はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

自分を見張る

2015-03-19 00:56:37 | 岩国エッセイサロンより
2015年3月18日 (水)

岩国市  会 員   山本 一

風呂に入ろうと服を脱ぎ、浴槽の蓋を開けてビックリ。湯がない。栓をし忘れたのだ。約200㍑のお湯が無駄になった。妻の「また」というあざけり顔が目に浮かび、寒いが引き返せない。やむを得ずシャワーだけで我慢する。私は元々こんなヘマを以前からよくやる。
 「それにしても、何だか最近は多いぞ……」と、気になる。先日は入浴剤と間違えて、隣にある洗濯洗剤を入れた。根っからのうっかり者に老化が輪をかけ始めたらしい。

妻の目はごまかした。が、現実を素直に受け止め、自分で自分を厳しく監視しようと思う。

  (2015.03.18 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

雛人形

2015-03-18 23:52:10 | はがき随筆

 梅に菜の花、水仙と春到来、開花のオンパレードが続く。雛祭りも過ぎた。雛人形は厄よけと女の子の無事を祈って飾られる。子供の頃は3人娘でも雛人形など買ってもらえず、せめて娘にはと願いが膨らんだ。長女の初節句に雛人形を買うのか迷った。夫が転勤族だったため、市松人形で我慢した。年月がたつにつれ、雛人形にはこだわった。そんな時、木目込み人形を手作りする鹿児島の講習会に誘われ、内裏雛を完成させた。そこまでしたお雛様も今は飾らなくなった。押し入れに眠ったままだ。孫が帰省すれば、喜んで飾ったのに、と言い訳をする。
  鹿屋市 中鶴裕子 2015/3/18 毎日新聞鹿児島版掲載

記録を未来へ

2015-03-18 22:03:54 | ペン&ぺん


 MBCテレビで9日夜に放送された「戦後70年~千の証言~私の街も戦場だった」をご覧になられただろうか。
 戦時中、米軍は戦闘機に「ガンカメラ」を取り付け、地上攻撃する際の戦況を撮っていた。米機は各地を襲ったが、中でも鹿児島は爆撃機による空襲だけではなく、戦闘機の襲来でも甚大な被害を受けた。県内が機銃掃射で襲われる映像が多く衝撃だった。日本側は迎撃する火器も戦闘機もなく、やられっぱなし。地上には子供や女性、お年寄りがいたはず。改めてこれが戦争だと思った。
 70年前、静岡県浜松市にいた母(85)は爆撃機や戦闘機の空襲、艦砲射撃の生き証人。友人らは機銃で足や腕、頭を吹き飛ばされたり、内臓が飛び出したりと、まさに地獄だったという。今の15歳には想像できないだろう。私もだ。「パイロットの顔が見えるくらい超低空で、容赦などなかった」と聞いていたが、映像を見ると、その通りだ。
 さて、21日開幕の第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)の組み合わせが決まった。神村学園(いちき串木野市)は大会第3日目に甲子園常連校として全国に知られる仙台育英(宮城県)と対戦。春は2年ぶり11回目、夏は24回の出場を誇る。1989年夏と2001年春に準優勝した強豪校。
 だが、相手も同じ高校生。柔道少年だった私も相手が有名校だと闘志が燃えた。昨年のセンバツを思い出してほしい。21世紀枠で初出場した大島(奄美市名瀬)は大観衆の中でも堂々の試合。優勝した龍谷大平安(京都)から2桁安打を奪った。応援組は最優秀賞(日本一)に輝いた。ぜひ神村学園も「鹿児島ここにあり」というプレーを見せ、全国制覇を手にしてもらいたい。そして、野球などに打ち込める平和の尊さをかみしめてほしい。
 鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載

耕耘機

2015-03-18 21:54:29 | はがき随筆
 実家は6代続く農家である。
 亡き父は傘寿(80歳)の高齢にもかかわらず、大型耕耘機を上手にさばいていた。
 長年の農作業の経験が運転技術を向上させていたのだろう。 
 その後、母は小型耕耘機を買い、野菜作りのために使用している。
 その耕耘機におどかされながら、慣れない小生の畑仕事の手伝いに役立っている。
 小さいながらも快適なエンジン音を響かせて畑を耕してくれる耕耘機は、農作業があまり好きではない小生を、母と共に温かく応援している様に感じている。
  鹿児島市 下内幸一 2015/3/17 毎日新聞鹿児島版掲載

色白の乙女

2015-03-18 21:47:05 | はがき随筆
 築山のヒノキが大きくなり過ぎ、手にあまってある日、私の背丈ぐらいにばっさり切った。あれから数年、表皮が枯れたようになり、ぐらついていたので倒してみた。一皮むくと、きれいなつるつるっとした色白の肌色。のこぎりの切り口は赤味を帯びて、湯上がりの乙女のようだ。すっきりと細身になったヒノキがいとおしい。根っこの造形は捨てがたく低い鉢置きにする。
 そう言えば、ヒノキに登る野良猫を何度か見たことがある。残りのヒノキは彼らの爪研ぎ用に提供しましょうか。 額の汗も心地よく、達成感で終えた作業でした。
  霧島市 口町円子 2015/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載

クリスマスローズ

2015-03-16 09:26:23 | アカショウビンのつぶやき








アカショウビン宅の、クリスマスローズは今が盛り。 
季節外れ? と思われそうですが、我が家のクリスマスローズはいつも3月に満開となります。
古い株は10年以上、花芽の数は少なくなってもまだ健在です。

去年は後半に体調を崩し、ほとんど庭の手入れはできませんでした。
ただ、パラパラと化学肥料をまいただけ。

花芽がでるかな、と心配しましたが、大丈夫でした。


クリスマスローズのお話をひとつ

クリスマスローズはドイツやイギリスでは、
クリスマスを祝う花として知られていて、
冬の花の少ない時期に咲く花「冬の貴婦人」とも呼ばれています。

そして、このクリスマスローズ(ニゲル)の白い花には、
キリスト教の国々で語り継がれている物語があります。

一人の貧しい少女がキリストの誕生を祝う事ができずに
流した涙が落ちた場所から、クリスマスローズ(ニゲル)の白い花が
咲き乱れました。

少女はその花を摘み聖母マリアとキリストに捧げたと伝えられています。

冬に力強く咲いてくれるクリスマスローズ。

しかし、クリスマスに開花するのは、「ニゲル」と言う品種のみ、
市場に多く出回っている「オリエンタリス」等は、2月から3月に咲きます。


芝居小屋

2015-03-15 22:46:32 | はがき随筆


 早春の一日、市文化協会の研修旅行に参加した。三池炭鉱の抗跡と熊本県山鹿市の八千代座見学で、ガイドさんの歌や語りに心地よくバスに揺られた。
 日本の産業発展を支え、役目を終えて静かに眠る抗跡と、江戸時代の芝居小屋が見事に復元され、今に生きる八千代座は対照的であった。明治の後期から昭和まで続くも、時代の流れに取り残され、閉鎖となり老朽化するが、地元のさまざまな運動で修復されたという。
 ビルも繁華街もない静かな町の人々の心意気に守られた芝居小屋は、匠の技の集結した日本の宝物であった。
  出水市 塩田きぬ子 2015/3/15 毎日新聞鹿児島版掲載

棟上げ式

2015-03-15 22:39:22 | はがき随筆
 「午後4時から餅まきをします。お時間があれば」。斜め向かいの新築の方が声を掛けた。
 棟上げ式に思い出がある。学生時代、建築中の家々に工場から瓦を運ぶアルバイトを20日間ほどした。トラックへの積み下ろしから全てが手作業。普通のバイト料が日給2000円前後だったが、この肉体労働は5000円余りを支給してくれた。
 初出勤の日、運搬先の家が棟上げ式だった。施主さんから祝儀袋を頂いた。形だけのものと思い開けてみると5000円。更に豪華弁当と焼酎まで。しかし運のいい日は続かず、後はきつい汗だけを流す日々だった。
  鹿児島市 高橋 誠 2015/3/14 毎日新聞鹿児島版掲載

槍と木守唄

2015-03-15 22:31:32 | はがき随筆
 天草の福連木に伝わる「福連木の子守唄」。その悲しい子守唄や歴史に、私は胸が痛む。
 福連木の森は、徳川時代、突如、槍の柄木として納める直轄地になった。村民共有の稼山を失い、村人はどんなに厳しい生活を強いられたことだろう。口減らしで泣く泣く、娘たちは球磨地方に子守に出されたのが福連木の子守唄の起こりらしい。
 加藤清正の槍が紀州家に贈られた経緯から、私は福連木の森の樫が徳川家の槍の柄になったのではと思う。んどみゃ 盆ぎり 盆ぎり……と、不運な子供たちが、五木や人吉で歌う時の悲しみを私は言葉にできない。
  出水市 小村忍 2015/3/13 毎日新聞鹿児島版掲載

ぼくの昭和史5

2015-03-15 22:24:42 | はがき随筆
 ぼくが育った武蔵野の変貌は凄まじく、雑木林は開墾され、さつま芋と麦の二毛作の畑と変わり広く明るくなった。食糧不足の急場凌ぎだが、もっと深刻な問題は住宅事情で、その畑に4軒長屋の都営住宅が建ち並ぶことになる。僅かな間に雑木林から畑、そして住宅地になった。
 この一連の影響がぼくたちに及んだのは2部授業という現象である。月替わりで登校時間が午前と午後に替わるのだが、低学年のぼくは午後の授業の時、家は出るのだが学校へ向かわないことがよくあった。ぼくの学力不足の遠因はここにあると思う。
  志布志市 若宮庸成 2015/3/12 毎日新聞鹿児島版掲載

雨に咲く白い花

2015-03-15 22:06:50 | はがき随筆





 温かさを感じる柔らかい雨が、ハクモクレンを濡らしている。雨に咲く白い花……などと書き始めると、なんとなく詩人になったような気分になる。
 独り住まいだった義母と生活をするために来た種子島。その義母が95歳で天寿を全う。10年祭が済むまでは島にとどまり、その後のことはそれから考えることにしていたのだが、それがもう来年のことになった。
 「結局はここが終の棲家になるのかもね」。義母が生活をしていたこの部屋の縁側からハクモクレンを眺めながら、カミさんと顔を見合わせる。ヒヨドリが来て、花びらを1枚落とした。
  西之表市 武田静瞭 2015/3/11 毎日新聞鹿児島版掲載

蒸しオムライス

2015-03-15 21:59:37 | はがき随筆
 月2回、面会する長男の2人の子供と会話が弾む。10歳の女の子と8歳の男の子。
 「これ、蒸しオムライスだよ。油を使わないから、体にいいと料理教室で習ったの」「勉強したらすぐ作るんだね」「そうよ。卵の上にケチャップで絵を描いてね」。2人は思い思いに描いた物を崩しながら完食。「さっぱりしておいしかった」
 三十数年前に私が作った7段のひな壇の前で、恒例の記念撮影をする。いい笑顔だ。
 「あれから6年、ずいぶん大きくなったよね」。くじけそうになり、諦めかけた面会闘争を思い出していた。
  阿久根市 別枝由井 2015/3/10 毎日新聞鹿児島版掲載

感謝と支え合う心

2015-03-15 21:39:52 | ペン&ぺん


 第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社主催)が21日開幕する。県内からは2年連続5回目の神村学園(いちき串木野市)が出場、活躍が楽しみだ。 3月は卒業式や人事異動など別れの季節。昨春は県立大島高(奄美市)も悲願かない憧れの大舞台に立った。優勝した龍谷大平安から2桁安打の堂々たるプレー。しかも大高生や卒業生らの応援は日本一に輝いた。神村、大高ナインも卒業生もセンバツの舞台に立てたのは、保護者や同窓会、地域などの理解と支援があってこそ実現したことや、感謝の心を忘れずに卒業していってほしい。
 大高に限って言えば、練習環境や費用など奄美という離島の厳しいハンディを乗り越えた初の甲子園は、学校関係者の一生の思い出だろう。大高と直接関係はないのに実に多くの人が喜んだ。スポーツが大好きな薩摩焼宗家十四代、沈寿官さん(日置市東市来町)や島出身者らが集う居酒屋、花りん(鹿児島市西田1)の女将さんらはポスターを貼りセンバツを大いに後押ししていただいた。大高の屋村優一郎校長は「多くの方の協力で生徒たちも甲子園という大きな舞台を体験でき、この経験はきっとこれからの人生を切り開く原動力になることでしょう」とお礼の気持ちを述べた。
 「3.11」がくる。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸4年。九州だってまだ寒いのに東北の被災地はもっと寒いだろう。
 「8.6水害」で甚大な被害を受け、大勢の犠牲者を出した。川内原発もあって、原発事故は人ごとではない。いつまた鹿児島が大きな災害に見舞われるか、分からない。鹿児島からさらなる被災地支援ができないものか。私は4年で何かしたのか。もっとエネルギー問題を発信しなくていいのか。明治維新期の鹿児島の人たちならば、どう動くだろうかとよく考える。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

2015-03-15 18:33:08 | はがき随筆
 子供の頃、見上げた夕空に赤く焼けた雲の美しさに。ふとこの雲を空から見たらどんな景色だろうか確かめたい思いがあった。時は過ぎ、中国旅行を終え、午後2時に搭乗、北京から帰路へ。眼下を見下ろすと真っ白の雲海が一面に広がっていた。雲海はとぎれることもなくその上を飛行していく。どれほど行ったか、雲海の下から赤く染め上がり、瞬く間に雲海は淡紅色一面になった。その美しさに言葉もない。ぼうぜんとなった。それもつかの間、夕闇に突入していった。夕焼け雲の上の飛行だった。忘れられない景色である。
  出水市 年神貞子 2015/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

彼岸の両親へ

2015-03-15 18:22:23 | はがき随筆
 2月14日、お寺で母の1年忌を営んだ。千葉や福岡から帰省。寺の庭には親鸞聖人の銅像があり、ヒカンザクラは満開。金色に輝く御堂の飾り台に、母の位牌が置かれ、住職の法話が始まった。真剣さの中にユニークさがあり、人の心をとりこに。
 父の命日も2月で、両親に焼香、拝礼をして供養を終えた。 
 そして記念撮影の後、食事会へ。子供全員還暦を過ぎ、昔の思い出は尽きない。
 1950(昭和25)年の家族写真は幼少の面影と現在が比較され、成長を物語る。帰路は「元気でね」と笑顔で慰め励まし合い、また会う日を楽しみに。
  肝付町 鳥取部京子 2015/3/8 毎日新聞鹿児島版掲載