はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

きんかん談話

2015-03-15 18:10:57 | はがき随筆


 「あのきんかんの木は、じいちゃんが中の市で買ってきて植えたものだったんだけどねえ」と母が語る。きんかんの木が1本あった。毎年、たくさんの実をつけていた。母の炊くきんかんは寒い朝、喉の健康にもよく、風邪の予防にもなり、食卓をにぎあわせた。近所の方にも配って喜ばれた。
 そのきんかんの木を別の場所に植え替えることになり、移したのだが、時期が悪かったのか、育たなかった。
 今度は母がきんかんの木を2本植た。その木はまだ小さいが、大きな木に育ちゆっさゆっさと実をつける日が楽しみだ。
  出水市 山岡淳子 2015/3/7

平和記念の碑

2015-03-15 17:54:38 | はがき随筆
 ウオーキングの途中、国道220号線沿いの垂水市浜平にある平和記念之碑に立ち寄った。刻まれている文字を読み進めると両親の名前が……。私の頭の中は「?」がいっぱい。ここは昔の海軍の跡地。戦禍で不自由な体となり、それを支えた妻たちをたたえ、平和を願い浄財で建てられたと記されている。
 父は陸軍で傷痍軍人だった。銃弾を受けた右腕は左より一回り細く、夏でも半袖を着ることはなかった。戦争という共通性で陸軍、海軍の別なく、この地に建立されたのだろう。
 亡き両親の名前を何回もなでて、また、歩き始めた。
  垂水市 竹之内政子 2015/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載

プレゼント

2015-03-15 17:45:23 | はがき随筆
 妻が「吉野弘詩集」をプレゼントする。創作に怠慢の私に、1編でも心の詩をの願いも表情から読み取れる。
 詩集との出会いを機に一気に一読した。何十年要しても及ばずとも何回も何十度も読み、詩心を高めて1編の創作に誠意を込めて表現していく。歳月も要するが、慌てずぼちぼちと思考を深め1編を創作する。
 妻は、「頑張ってね」の一言も言わない。妻の望む心を察して今も詩集を読む。繰り返しによって私の詩心も高まっていくと信じ、1編の創作が待ち遠しい。妻の願いを今年中に表現したい気持ちでいっぱいである。
  鹿児島市 岩田昭治 2015/3/5 毎日新聞鹿児島版掲載

グラウンドゴルフ

2015-03-15 17:29:20 | はがき随筆
 う~ん、なぜ、グラウンドゴルフをしている方は、高齢者でも元気な方が多いのか。
 誘われて参加してみた。「はまった」。実際にやってみると、とても楽しい。「カーン」と球を打つ快感もいい。何より、その球が、どのように転がっていくのか胸がドキドキ。球を追っかけて自然に走る。ホールインワンすると、誰のものでも、興奮して大声が出る。外れても、あ――。一喜一憂、笑い声があちこちで起こる。元気の源が分かったような気がする。グラウンドゴルフ発祥の地は日本。
 60の手習い、グラウンドゴルフに行く日が楽しみだ。
  鹿児島市 永野町子 2015/3/4 毎日新聞鹿児島版掲載

目をそらさずに

2015-03-14 22:27:06 | ペン&ぺん


 川崎市の多摩川河川敷で中学1年、上村遼太さん(13)の刺殺体が見つかった事件。顔見知りの少年らが逮捕され、全容解明に向け動きだした。上村さんは年上がいるグループに入ったものの、友人に「抜けたい」と漏らしていたという。テレビで流れた目の周りの青あざ、それと屈託のない笑顔のギャップに、誰もが「この少年にいったい何があったのか」と思っただろう。私は柔道の選手だったので、相手の肘などが顔面に当たり、あざができたのを覚えている。私の経験からテレビで見たあざは、相当強く殴られているようだ。
 多くの人が「10代の若者は、友人や年上の者に生活態度や学習、物の考え方が大きく左右される」と思っているはずだ。少年時代の私の友だちにもいた。まだ自分自身の物事に対する考えや善悪の判断、人生の目標が定まっていないかもしれない。社会への反発、欲求不満があるのも分かる。
 「ガラスの○○」などとガラスのようにもろく、壊れやすい10代の若者の気持ち、葛藤をテーマにしたヒット曲も多い。一方、親や周囲も彼らに気を使い、なるべく波風立てず、10代を過ぎてほしいと願う。できれば運動や文化系の部活に専念して。明るくたくましく成長してほしい。これって、私だけの考えか。
 テレビや新聞各紙にるよと、上村さんから苦悩や危機のシグナルは出ていたようだ。暴力を振るわれていた13歳を救えなかったのが悔やまれる。いじめも暴力も殺人も、許されるわけがない。
 本紙社説「遼太さんの死 大人たちが問われる」(1日付)を読まれましたか。私も暴力やいじめは学校や家庭、行政が総がかりで対応しなければ解決できないと思う。今回の事件を教訓に、私を含め親も人ごととせずに鹿児島全体で地域の目としてあらゆる知恵を出し、近所の子供たちを守っていきたい。
  鹿児島市局長 三嶋祐一郎 2015/3/3 毎日新聞鹿児島版掲載

ロケット見学

2015-03-14 22:12:39 | はがき随筆


 最近、ロケットの打ち上げが頻繁だ。我が家も2月1日、種子島にロケット見学に行った。
 打ち上げが見える高台の公園には見物人が集まり、出店も出て、お祭りのようだった。打ち上がると歓声が上がった。「お腹が痛い」と横になっていた長男(5)も急に元気になった。
 実は鹿児島市内の自宅からも打ち上げの瞬間を見たことがある。深夜2時ごろ、南側の窓から遠くに炎の柱が上がり、ゆっくり上がっていくのが見えた。夜だと、ここからでも見えるのだなあと感心した。今回は子供たちにとって初めての経験となり、いい思い出になった。
  鹿児島市 津島友子 2015/3/3 毎日新聞鹿児島版掲載

狩猟民族

2015-03-14 22:06:03 | はがき随筆
 春一番の頃、石狩の海でギンナン草やワカメを採り、夏から秋にニセコで山ブドウやキノコを採り、オホーツク海ではサケを釣り、一年中楽しい時間を過ごしています。
 札幌に嫁いでから43年ぶりに、古里である出水の温かい冬を満喫さてせいただいています。出水でも野山を駆け巡り、川や海たちと遊んでいます。奥山深く分け入っても、必ず元の場所に戻ることができる私を、同行される北海道の人も、出水の人も「狩猟民族」と呼びます。
 古里を歩き回り、懐かしい人たちと出会う時、狩猟民族の私でも、目頭が熱くなります。
  札幌市 古井みきえ 2015/3/2 毎日新聞鹿児島版掲載

春を待つ

2015-03-14 22:00:05 | はがき随筆
 冬の寒さを引きずりながら立春を迎えた。春の感触は、あまりない。それでも白梅、紅梅が咲いて花は春を迎えたようだ。
 やがて梅は散り、これから桜の季節を迎える。戻り寒に耐えて、春を待ちたい。趣味の文芸もいろいろ勉強し、残り少ない人生ではあるが、退屈しないよう充実させたい。また、「お茶の時間よ」と言える夫が元気でいることは、ありがたいことなのだと毎日感謝している。
 長生きしてみて人生の基は、やはり優しさだと思う。しみじみそう信じている。寒さに負けず、これからも自然や人に対して、優しく生きていきたい。
  出水市 橋口礼子 2015/3/1 毎日新聞鹿児島版掲載

縄跳びで絆育む児童

2015-03-09 21:50:54 | 岩国エッセイサロンより
2015年3月 9日 (月)

 岩国市   会 員   片山 清勝
 
 小学校の運動場から元気な声が聞こえる。低学年らしい児童が縄跳びをしている。
 前跳びが何回もできる子に交じって、1回の子も2回の子もいる。後ろ跳びや、シャンプ1回で複数回縄を回す子。どの子も一生懸命に見える。
 縄跳びは、回っている縄が地面に着く時にシャンプして縄を通過させる。ジャンプするタイミングで、跳べたり跳べなかったりするから面白い。どこでもできる手軽な運動であり遊びでもある。
 縄跳びをしたことがないという人は恐らく少ないだろう。2重跳びは難しく、交差跳びは神業に見えた記憶がある。
 長い縄の両端を回して何人かが連れ立って跳ぶ。全員の息が合えば続く。先日は声を掛け合って40回、50回と続いていた。運動場でのこうした育みが、和みや絆になっていくのだろう。
 春めいた日差しの下での縄跳び。汗をかいて風邪をひくな。そんなことを思いながら、子どもの頃を思い出していた。

   (2015.03.09 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

ダブルの悲しみ

2015-03-06 21:20:16 | 岩国エッセイサロンより
2015年3月 6日 (金)

 岩国市  会 員   林 治子

早朝、東京からの電話。今父が亡くなりましたと姪の沈んだ声。あー、やっぱりだめだったか。13年近く家族同然に暮らしてきた。あの日外出から帰って目にしたのは意識がない弟。病院へ。担当医から脳幹から出血している、助からない、一刻も早く親族の方に連絡するように、と。急に言われ頭の中は真っ白。その時の記憶がない。
 転院を含め10力月、せめて口がきけるようにとの願いもかなわずそのまま逝ってしまった。一緒の布団で寝るほど可愛がっていた犬も突然後を追うように死んでしまった。重なる悲しみに私の足は母の眠る寺に向かっていた。

    (2015.03.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

ミカンとメジロ

2015-03-01 00:45:38 | はがき随筆


 「チッ、チッ」と枝から枝へと今年もメジロがやって来た。サワーポメロを横に二つ切りにして棒に差す。それを見やすく剪定して丸い枝々に差したまま、載せておく。
 夕方、メジロとヒヨドリがやって来る。丸いミカンの縁を細い足で器用につかんで、警戒しながらついばむ。
 2.3度ついばんでは安心したのか、またついばむ。たちまちみずみずしいオレンジジュースは空っぽになってしまう。縁側からガラス越しにじっと眺めていると、とてもいとしい。「また、明日も待ってるよ」と。
  出水市 畠中大喜 201/2/28 毎日新聞鹿児島版掲載 

早春ダゴ祭り

2015-03-01 00:32:59 | はがき随筆


 志布志の山間地にある山宮神社では、毎年2月の第1日曜日に「ダゴ祭り」がある。春の到来を告げる祭りとして知られている。祭りのダゴ(団子)は各集落で作られ、小さく丸めた紅白の餅やニンジンなどを串に刺し、さおに束ね「ダゴ花」にして持ち寄り、神殿に飾られる。神事後、神舞が奉納され、やがて数本の「ダゴ花」は境内の真ん中に出され、等間隔に並ぶ。
 参拝者は豊作や無病息災を願って合図と共に「ダゴ争奪戦」に参加してダゴを持ち帰る。
 昨年3月、中学校が閉校した過疎のむら。藩政時代から続く祭りが今年も盛大行われた。
  志布志市 一木法明 2015/2/27 毎日新聞鹿児島版掲載 写真は一木さんのブログより

お別れ女子会

2015-03-01 00:25:30 | はがき随筆
 R子さんが福岡に転居されると聞いて、昔の仲間が20年ぶりに集まった。ほとんどが前期高齢者の12人だが、全員そろうとにぎやかで、まあ華やかなこと。「みんな変わらないねえ」と、来し方に思いをはせる。 
 生協の発足や地域活動など、共に頑張った日々。自身の大病や夫、肉親との死別、現在も健闘中の彼女たち。中でも、利き腕ではない方で、あいさつ文を見事な字で書かれたR子さんの努力に頭が下がった。
 人生は山あり、谷あり。たくましく明るい笑顔に出会えたこの日の帰途、県下一週駅伝に出くわすというおまけがついた。
  伊佐市 山室浩子 2015/2/26 毎日新聞鹿児島版掲載

高校生に学べ

2015-03-01 00:06:22 | ペン&ぺん


 23日付鹿児島版の「太平洋戦争時 鹿児島南高敷地に軍需工場 生徒自ら語り継ぐ 新聞部同好会」の記事を読まれただろうか。戦時中、鹿児島で何があったのか、高校生が懸命に調べ、語り継ごうとしている。県内は地域面だったが、福岡や北九州市など都市部で配っている夕刊は社会面トップで報じた。
 記事に添えた写真を見ると一目瞭然。米機はこんな低空で鹿児島を襲ったのかと驚く。私の母(85)も敗戦末期、学徒動員で浜松市の軍需工場で働き、何度も空襲を経験した。母から聞いていた話と合致する。
 子供の頃、「米艦載機は操縦士の顔が見えるほどの低さで飛んできて、相手が女や年寄りだろうが、機銃掃射は容赦なかった」と聞いていた。平成入った現代、今度はイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の兵器庫などを空襲する映像がニュースで流れる。地上の風景も鮮明だ。ミサイルが命中すると、建物も車両も吹き飛ばされる。そこには人がいるに違いない。それが、戦争なのだろう。 
 さて、私の長女(高3)、次女(中3)。母の戦争体験談や父のシベリア抑留の話をしても「ポッカーン」としている。私が単身赴任7年で、幼い2人に膝を交えて祖父母の話をしてあげる機会がなかったからかな。
 私の小中高時代の教師たちは私の両親と同世代だったこともあり、授業の合間に自身が戦地で体験したことを話してくれる「元兵士」もいた。それは悲惨だった。今でも覚えている。今、現役の教師で戦争体験者はいない。だが、鹿児島南高の取り組のように戦争について調べ、平和を考える方法は幾通りもある。
 今年は終戦70年。3月11日は東日本大震災、福島第1原発事故から4年。鹿児島は戦争から何を学び、発信できるか。そして、さらなる震災支援ができないか考えたい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/2/25 毎日新聞鹿児島版掲載