はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

2015-11-19 11:27:51 | はがき随筆
 98歳だが、かくしゃくとした父が脳梗塞で倒れた。
 病室から見る有明海のかなたに、激動の異国での青春の在りし日に思いをはせているのか、時折合掌している。
1世紀近く愚直に生き、平和を重んじ、人命を尊ぶことを語る父を大樹の如く仰ぎ見て私たちは育った。「もうすぐ退院できる」と耳もとで言えば笑顔で応じる。「枯れ木も山のにぎわい」と裏方に徹した父の寝顔に、枯れ木は春の芽吹きを待つ裸木と思える自分になった。
 退院したら、温泉で背中をながしてやると言えば、酸素マスクの父はうなずいた。
  出水市 宮路量温 2015/11/17 毎日新聞鹿児島版掲載

後悔

2015-11-16 10:56:39 | はがき随筆
 病床の夫への後悔の念にかられる。こんなときはこのようにと足指の爪を切ってやれなかった。爪が妙に曲がり黒ずみ伸びた。何だか切るのが難しい。医師が処置した。感慨無量。夫は明朗な気分に浸った。爪は大切な身体の一部だが、つい見逃してしまう。10年余り病魔に襲われ壮絶なガンとの戦いに暮れた。
 ただ、傍らにいるだけが孝行者と認めて、微少な力が注がれた。昼下がり、のどが乾いたと、綿花に水を含ませて口元に誘うと、ごくごくとのどは響いた。のどはやさしく潤う。夫は永遠に幸せの美しい家族愛に包まれた。
  姶良市加治木町 堀美代子 2015/11/16 毎日新聞鹿児島版掲載

義実家の恐怖

2015-11-16 10:56:01 | はがき随筆
 「あなたたちは幸せ者なのよ! 鹿児島に嫁がなくて良かったわね!」
 鹿児島出身者で、地元に嫁いだ女性にとって、夫の実家から干渉されるのは当然だそうだ。
 家族旅行に必ずついて来る義父、知らぬ間に部屋の片付け、模様替えをする義母など。
 一番驚いたのは、飲み屋代わりにされる話。夜子どもを寝かし付けていたら、突然知り合いを連れて,酒を持ち込み、嫁につまみを作らせるという。絶句する県外出身者に、彼女たちが叫んだのが冒頭の言葉だ。
 鹿児島の皆さん、嫁を大事にしてあげてくださいね。
  鹿児島市 津島友子 2015/11/15

呪文のカンカラ

2015-11-14 22:03:58 | はがき随筆
 カンカラコモデケア。呪文の言葉。30年ほど前に地方の温泉街で開かれた、広報担当者のセミナーで耳にした。
 呪文は感動、カラフル、今日性、物語性、データ、決意、明るさの頭文字だ。ジャーナリスト志望の若者向けに、読ませる原稿の極意として講師の毎日新聞Y記者が編み出した文章術。
 昨年の毎日ペンクラブ研修会で久しぶりにこの言葉と出会った。西部本社編集局長N氏が講演で披露した。彼はゴ(五感)ミ(見直し、推敲)をプラスすると、更に伝わる文章になると。今年もどんな話が聞けるか楽しみ。研修会は11月15日。
鹿児島市 高橋誠 2015/11/14 毎日新聞鹿児島版掲載

傘寿を迎えて2

2015-11-14 21:17:02 | はがき随筆
 ついに80歳の坂を越えたが比較的元気である。父は85歳で他界したが、私の歳までには脳梗塞を3回も患った。私は住職の座は2年前に譲ったが、今も現職の僧侶として人々に向き合って生かされている。
 かつて50代の頃からは教育委員や保護司などいろいろ仰せつかったが、今は何もない。会議に呼ばれることもない。日課は寺の法務と境内の清掃。時々ワープロに向かって年4回発行の寺報の作成と随筆の推敲に費やす。喜寿を目前にした家内と月数回の外食を楽しむ。傘寿を迎えて、平凡にして孤高な老いの日々と自己満足している。
  志布志市 一木法明 2015/11/13 毎日新聞鹿児島版掲載

座右の銘として

2015-11-14 21:16:01 | はがき随筆
子いわく「君子矜して争わず」
 過日、同好の集まりで若い者のあまりの無礼さに、つい声を荒げ席を蹴ってしまった。そのときは俺にもまだ元気が残っていたかとうれしい気もした。
 ところが日ならずして手元の論語の以前付箋した箇所を何気なく開けたら冒頭の一節が出てきたのである。
 参った、なんと愚かなことを、若い者を諭す立場にありながら年がいもなくと臍をかんだのだった。老いてはいるが、まだ先は長い。今一度孔子様の教えを座右の銘として生きていこうと己に誓うことだった。
 鹿児島市 野崎正昭 2015/11/12 毎日新聞鹿児島版掲載

元気をもらう

2015-11-14 19:53:12 | 岩国エッセイサロンより
2015年11月14日 (土)


岩国市  会 員   横山 恵子



古里近くで祭りがあると聞き、妹夫婦と出かけた。
 標高500㍍から深呼吸。地域の平均年齢は82歳とか。祭りを行うにも親元を離れた子供たちの手助けが欠かせない。神楽、餅つき……。昔に戻ったにぎやかさ。空き家や荒れた田畑が多い中、稲刈りを終えた田を見るとホッとする。

 古里の家に寄り、まず墓参り。主が入院中の庭に赤トンボ2匹。3週間余り雨降らずとも青々と育つ白菜などを見て妹が「すごい、見習わんといけんねー」と叫ぶ。水やり、草取りをしておじを見舞う。元気そうでひと安心。古里の空気は一段とおいしい。  

  (2015.11.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

昭和史に添えて

2015-11-11 21:29:22 | はがき随筆
 武蔵野の雑木林の中で育ったぼくは、空襲で逃げ惑う恐怖は知らない。焼け野原も、死屍累々の惨状を直視することもなかった。しかし、紙一重の場所では逃げ場を失った人たちが灼熱の中で息絶えた戦争。平和であれば、戦争さえなければと、困窮の中から一歩一歩歩んできたのがぼくの昭和史である。
 あのぼうぜん自失の一簿手前で不戦を誓ったはずだが、状況次第では戦闘も許さないと言いだした。国連要請の支援とは訳が違い、はっきり敵対関係を打ち出すという。憲法解釈をゴムのように伸ばして、悲しい平成史は書きたくない。
  志布志市 若宮庸成 2015/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載

うらなり万歳

2015-11-11 21:09:14 | 岩国エッセイサロンより


2015年11月11日 (水)

岩国市  会 員   安西 詩代

「これ、うらなりだけどおいしいのよ」とミニトマトを夫に差し出した。夏は終わり葉も枯れてきたのに、枝の先にまだまだたくさんの実が色づいている。

 私は七兄姉の一番下。「どうせうらなりだから」と反抗すると、母は「うらなりはあなたみたいに大きくならないのよ」と答えた。10歳上の兄が戦後食料がなく、農家に毛布を持って行き、お米と交換してもらったそうだ。お陰で一度もひもじい思いをしたことはなかった。

 「うらなり」は一番得だった。

 うらなりトマトを食べた夫は「うまい!」と言った。私が褒められた感覚になった。

(2015.11.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

渋抜き

2015-11-10 20:31:53 | 岩国エッセイサロンより
2015年11月10日 (火)

岩国市  会 員   片山 清勝

今年も渋柿をもらった。皮を剥き、軒下にぶら下げ陰干しにして干し柿にする。この作業を始めると「熟すまで待つ」という祖母の渋抜きを思い出す。

木箱に、青く硬い柿を並べ、それをもみ殼で覆い隠し、蓋をしてそのままにしておく。年が明けると祖母は蓋を開ける。待ち遠しい一瞬だ。もみ殼を除くと、赤い熟し柿が姿を現す。

果肉のとろっとした口触り、その中に満ちていた甘さは今も覚えている。この技を受け継がなかったことを残念に思う。

10月から後期高齢者に。身についたいやな渋をどうして抜くか思案している。

  (2015.11.10 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

トゲ

2015-11-10 05:49:30 | はがき随筆
 「トゲが刺さった」と太い腕を差し出す。「どれどれ」と私は針をあぶり、チクチクと取り出す。夫は元気で働き者だった。左官職人でブロック塀や壁塗りはお手の物。こて道具を操り、その手さばきは熟練の素手のなせる技。
 仕事の需要が減り、建築関係に従事した。体を動かすのが大好きな人だった。やはり素手の荒仕事。そんな汗の現場の男が気弱な顔を見せる。こんな小さなトゲにとおかしくもあった。毎朝、制服もさっそうと出かけて行く後ろ姿の頼もしかったこと。私の心に、未練のトゲは刺さったまま。
  出水市 伊尻清子 2015/11/10 毎日新聞鹿児島版掲載

フェイジョア

2015-11-09 00:01:35 | アカショウビンのつぶやき


我が家自慢の果物、フェイジョア。
そろそろ収穫も終わりです。

今年はブルーベリーもキウイフルーツも収穫が少なく、猛暑の影響かな…と、思いましたが、南米原産のフェイジョアだけは、大豊作、粒も大きく味も最高でした。
でも、そろそろ収穫も終わり…。

去年はウサギのモモちゃんが大喜びで食べましたが、二代目ココアは、ドクターの指示どおり、ペレット以外は与えないので、全然興味なし…。

多くの方々にお裾分けしてオシマイです。

by アカショウビン

孫育てを楽しむ

2015-11-08 21:38:30 | はがき随筆
 奈良の聖地から娘婿と晩遅く帰宅。一休みして中1の孫息子の明日の体育祭の弁当を作る。買えば楽だけど、ご近所にもあげることだし。手順は例年通り。娘とおしゃべりしながら作る。場所取りは婿殿の役目。
 高校球児で「平成の怪物」といわれる清宮幸太郎さんのお父様は元ラガーマン。文武両道で子育てをしておられる。「一生のうち15年しか子育てを楽しめない、その15年間を全力で楽しみましょう」と書いておられる。弁当作りも孫育てに一役。子らの成長ぶりがまぶしく、敬老席で目がウルウルした。
  鹿児島市 内山陽子 2015/11/8 毎日新聞鹿児島版掲載



秋が空き

2015-11-08 21:31:40 | はがき随筆


 秋峯さんの秋が来ましたねと言われてうれしかった。
 洗濯物を干しながら見上げると、澄み切った朝空に半月が白く浮かんでいる。庭にはシュウメイギクが風に揺れ、この花をくれた友を思う。ムラサキシキブの小粒の実も鈴なりになって艶やかに光っている。電線ではキキキッとモズが鋭く鳴いた。
 家の前は一面のソバ畑で白い花の海。小蜂やチョウが飛び交う。あっ、モクセイの香り。私の畑には9月初めにまいた大根、ホウレンソウ、水菜などが伸びてきて、軟らかく青い間引き菜はもう食べられる。草むらでは虫が思い思いに鳴いている。
  霧島市 秋峯いくよ 2015/11/7 毎日新聞鹿児島版掲載


屈辱

2015-11-08 21:15:53 | はがき随筆
 音楽というと、苦い思い出がよみがえる。高校入学時「選択科目」として美術・音楽・書道から、履修したい1科目を選ばされた。私は自信がある順に①美術②書道③音楽と記した。結果はあろうことか第3希望の音楽。しかも担当教諭はチョビひげを蓄えた気障を地で行く男。手始めに「野ばら」をドイツ語で歌うとおっしゃる。地獄の幕開けであった。ちなみに1学期の音楽の成績はなんと「赤点追試」という散々なもの。そんな屈辱的な過去にもめげず、最近チェロに挑戦したくなった。はてさて、どうなることやら。乞うご期待!
  霧島市 久野茂樹 2015/11/6 毎日新聞鹿児島版掲載