風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

病気は心が造るもの 318号

2008年07月11日 11時13分53秒 | 随想
或る人に言われ、心に痛手を受けた言葉がある。

『最近痩せたね。癌じゃないの』

天候不順で、高齢の為、過酷な労働で疲れ体調不良を実感していたので、殊の外ダメージが大きい言葉だった。憂鬱な日々を過ごしたのであるが、友人と雑談しながらの深酒をし、正体無く熟睡すると元気を取り戻したのである。

或る人の労務管理の手法で、多くの人が大人しくなる様である。何人かは病院に行った様であるが持病以外は発見されない。人騒がせな御人である。

人間は弱いもので、言葉に触発され、自分で病気を作ってしまう困った動物である。昔に本で読んだか、話を聞いたか定かでないが、人間の弱さが解る話がある。

人間は血液を多量に失うと死んでしまう。死刑囚で生体実験をした例が外国であった。目隠した死刑囚をベットに寝かせ、腕に針で痛みを与える。そしてバケツに血液がたれる音を聞かせる。

『ポタリ・ポタリ・ポタリ・ポタリ』

そして関係者が会話する。人間は血液の60%が流失すると死に至ることを死刑囚に聞こえる声で話す。

『10%たまった』と言うと死刑囚が反応する。
『20%になった』というと死刑囚は反応する。
『30%』『40%』『50%』死刑囚が激しく反応する。
『60%になった。そろそろ死ぬだろう』と医師が述べた瞬間、死刑囚は死んだ。

刃物で多くの人命を奪った死刑囚は言葉で死んでしまった。血液は体外に出ず、音はヤカンの水の垂れるサウンドだった。人間は弱い存在である。

反面、アンデスの山中に墜落した航空機の乗客の一部の人間は仲間の肉を食って生き残ったと言う。

比叡山の千日回峰行者である酒井雄哉師は、猪に追われ谷に転落して、親指を負傷し化膿した。歩行禅である修行は、中断する事は許されない。死を覚悟した行者は、親指を自身で切開手術する。しばし失神し、目覚め痛みを堪えて歩き出す。

美濃加茂正眼寺の山川宋玄老師は修行時代に腰痛に苦しめられる。腰痛を悪化させ救急車で送り返される覚悟でより厳しい修行を自身に課す。しかし倒れない。そして修行を満行する。

人間は心の有様で、病気を造ったり、治したり、死んだり、生き返ったり出来るようである。強い人間、弱い人間その両面の可能性を管理するのは心である。甘えが弱い心にし、強い心は様々な体験が鍛えてくれる。

心の弱い私は、百獣の王ライオンの強く生きる生涯を空想している。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。