風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

不治の遺伝病 30号

2007年02月16日 17時50分47秒 | 随想
不治の遺伝病に冒されている。医者の世話にはなっていないし、薬も飲まず元気である。死に至る病ではない。専門的にはAGA(Androgenetic Alopecia)といい、男性型脱毛症である。通俗的には禿げ(はげ)と言われる。

男性脱毛症とは、本人や周囲の人間が生えることを期待していた毛髪(主に過去に生えていた箇所の毛)が生えなくなった状態のことである。学問的には、人の頭髪の形状は年齢や個々人の個性により多様であり、こうあらねばならないという正解があるわけではない。故に脱毛症は、本人や周囲の期待の上にだけ成立する抽象的な概念なのである。頭髪を失うというのは本人にとってショックが大きく、引きこもりになったり、他人の視線に恐怖を覚える視線恐怖症や対人恐怖症の原因になることもある。

強度の精神的負荷がかかると、円形の境目がはっきりした脱毛斑が発生する円形脱毛症を、誰もが発症する可能性を持っている。若い時に発症したが自然に元に戻った経験があるが、禿げ(はげ)は不治の病である。

一時期悩んだことも有るが、同じ坊主頭で「類は友を呼ぶ」ではないが、禅寺に参禅して悟ったのである。諸法実相であり、そのまま素直に認めよう。そして陽気に考えよう。頭髪は女性ホルモンなので、男っぽいから禿げたのだ。床屋へ行けば丸刈りで、安上がりだし時間も短縮できる。洗髪でなく洗頭だからボディソープでシャンプーは必要ないから経済的である。坊主と間違えられて妙齢のご婦人に拝まれる。

禿を卵白で磨いて艶を出し、誇りにしている人も居る。心の持ち様で明るく振舞えるのである。見栄や体裁、世間の評判に付き合っていたら、不経済である。かつらは高価である。世間の通念や多数決の暴力に負けない三男坊の強い心が有る。自分の不治の病なのだから、そして懸命に生きてきた努力精進の賜物の全面脱毛症なのだから、仲良くする運命なのだ。男の勲章なのである。負け惜しみを言っているのではない。自信を持って言っている。パトリック・スチュアートは男らしくて魅力的だ。それが解かる女性は貴婦人である。 

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