風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

おいら男盛りの40歳 373号

2008年10月02日 17時10分37秒 | 随想
息子の祝言の情報が飛び交い、名古屋の叔父様の遺品のモーニングが廻り回って届き、黄ばんだ24年前の1984年(昭和59年)9月24日(月曜日)の新聞が緩衝材として入っていた。

蔵前国技館に蛍の光の合唱があった大相撲秋場所千秋楽に幕内最高優勝は前頭12枚目の多賀竜である。翌年の初場所から両国国技館に移行する。北の湖が衰え、千代の富士の時代になる。横綱隆の里、大関若島津・朝潮・北天佑・琴風、関脇逆鉾・大乃国、小結保志・旭富士など懐かしい名前が並んでいる。ハワイ出身力士、高見山が引退。そして唯一の外人力士が米国の小錦で殊勲賞と技能賞を獲得した。モンゴル相撲である北の湖理事長の協会と違い古き善き日本の国技だった。2008年、武蔵川が理事長になり、朝青龍は間も無く引退するだろう。しかし日本人の心意気は何処にあるのだろうか。

日本女子プロゴルフは大迫たつ子・岡本綾子・具玉姫・日陰温子・樋口久子が上位に名を連ねている。

運輸省航海訓練所の練習帆船「日本丸」が城ヶ島沖で初の帆走訓練をした。風任せの帆船の旅には海のロマンの香りが満ちている。

昭和59年の1年間の出来事を列挙してみる。

日経平均株価が初めて10000円の大台を突破。終値10053円81銭の右肩上がり。2008年は10000円の大台を間も無く突破するだろう。そして4桁になる右肩下がりの泥沼。

第二次中曽根康弘改造内閣が発足した。平成20年の物欲社会で麻生太郎が総理大臣を継続するか、小沢一郎が首相になるか、太郎も一郎も同じ長男坊。打撃好調の次男坊の「一生、朗らかに暮らせるように」のイチローに頼むか、大沢親分と張本を選択して喝を入れてもらうか。今の政治は机上の空論で現実離れしている。世間を舐めても甘くない。

植村直己が冬季マッキンレー山冬季単独登頂に成功後に消息が不明となり、国民栄誉賞が贈られたが、本人は知らない。喜ぶのは贈った大勲位総理だろう。
物質に恵まれている中では、人間本来のものは失われている。植村直己が氷雪の中から囁いている。

ロサンゼルスオリンピックで柔道の山下泰裕8段は左足に怪我を負いながらもエジプト代表のラシュワンを破り優勝した。 ラシュワンは弱点の左足を攻めなかった。善良な政治家・官僚も物欲に目が眩むと理性を失い、弱者の弱点を徹底的に痛めつける血も涙も無い勝組に変貌する。

山際淳司の『江夏の21球』やオールスターゲームで、初の9者連続奪三振を記録した江夏 豊が引退した。特異人格が災いして相手にされず、麻薬に手を出し静岡刑務所の臭い飯が人格を劇的に変えたという。

モーニングの緩衝材の新聞が、昭和59年のおいら男盛りの40歳の時を思い出させ、感傷に包まれている。その2年後には参男坊が誕生し、親父・お袋が相次いで極楽浄土に旅立った。

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