雪駄を履いての一日を過ごした。雪駄による神経と骨の鍛練の効果実感する。
朴歯の高下駄の代用として履き始めた雪駄(本当は別の理由、端的には地球との相互浸透の実験として履き始めたのだが、そこはカット)、これまで履いていた鼻緒のサンダルとそれほどの違いを当初は予想していなかった。
が、実際に一日を雪駄で過ごしてみると、朴歯の高下駄には劣るけれどもそれなりの神経と骨の鍛練の効果実感する。
先ず何より . . . 本文を読む
卒業研究の二重性とは、卒業研究を全うするということと卒業研究を通して自身の実力を向上させるということ。
当然に両者の統一が必要ではあるが、卒業研究を鍼灸学校での学びの総括と捉えるならば、後者の自身の実力に資する形での研究という点は常に忘れてはならない、と思う。
では、それは何なのか?
弁証法的、認識論的な視点で鍼灸の事実を捉え返すということに尽きる。と思う。
そう考えるならば卒業研究の課題 . . . 本文を読む
卒業研究について。プラトン→アリストテレスの発展の意味をおさえて、卒業研究の課題を決めるべき。
対象の究明の結果の正否を問うていたプラトンから対象の究明の結果の正否のみならず、対象の究明の仕方の正否を問うようになっていったアリストテレス。
これは、形而上学的→弁証法的という発展があったと捉えて良いのでは、と思う。アリストテレスにあっては結果だけでは無しに、そこへ至る過程を問題にして行くようにな . . . 本文を読む
卒業研究の形式と内容について。おおまかなデッサン。
(目的)
鍼灸の世界においては『黄帝内経』(=古代中国医学)は東洋医学の原点であるとして聖書の如き扱いをされている。にもかかわらず現状ではそれが文化遺産として充分には役に立てられていない。のみならず、その内容の検討もせずに非科学的な迷信の類?であるとしてしまっている鍼灸師も多数存在する。と思える。
そのような現状に鑑みて、東洋医学の原点である . . . 本文を読む