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呪ってやるぅ~byジャック・ド・モレー

2009-05-08 | 仏蘭西探訪(20区内)
仏蘭西探訪も
今回でひとまず終わりです

ラストを飾るのが
呪ってやるぅ~


ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay)

第23代目
テンプル騎士団総長にして
最後の総長であった彼は
初代総長ユー・ド・ペイエンと
同じくらい
有名な人物なのだそうです



モンサンミッシェルを観光した時
修道院とテンプル騎士団の関係資料を読み
その時に
テンプル騎士団最後の総長
ジャック・ド・モレーと騎士団の
シテ島での最期を知りました



ジャック・ド・モレーは
ブルゴーニュ地方の
小貴族の子であったとされていますが
その人生の2/3は
よく解っていないそうです

聖地から追われた後
一つの王国以上の資産を擁していた
騎士団の財政をうらやんだ
フランス王フィリップ4世により
異端の濡れ衣を着せられ
異端審問のうえ有罪とされてしまいます



フィリップ4世は
テンプル騎士団の資産没収を終えると
口封じのため
1314年
投獄されていた
4人の指導者たちの処刑を指示


フランス王フィリップ4世             火刑に処される騎士団員

この時
パリ・シテ島の刑場で
生きたまま火あぶりにされた
最高指導者のひとりが
ジャック・ド・モレー
その人だったそうです


ドーム型の屋根はフランス学士院 エッフェル塔 セーヌに架かっているのは芸術橋

ジャック・ド・モレーは
亡くなる前に

フィリップ4世と
ローマ教皇クレメンス5世らに呪の言葉を残した

と言われています

フランス王家となった
カペー家直系の断絶を願う呪の言葉も…

テンプル騎士団について
ご存知の方には
常識なのかもしれませんが
σ(^^;) にとっては…



ガイドブックにも
載っていない
歴史の闇的な部分に
興味をそそられたのです

時の流れとは
なんとも不思議です

だって
14世紀
生きたまま
人を火あぶりにした場所が
21世紀の現在
こんな長閑な
憩いの場となっているのですから…

その後
1314年に
フィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世は急死
そして
カペー家直系の断絶により
1328年にフランス王位は
ヴァロワ家に継承されていると言う

これが
第23代目テンプル騎士団総長にして
最後の総長ジャック・ド・モレーの
呪いだったのかそうでないかは
永遠の謎です…

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