時遊人~La liberte de l'esprit~

優游涵泳 不羈奔放 by椋柊

市庁舎の横に建ってます他

2009-04-30 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
市庁舎に隣接している教会が
こちらのサントゥアン教会です

教会内部は
ガラ~ンとしています
祭壇付近と
本来なら教会の正面となる部分にある
パイプオルガンがあるだけでした

身廊の部分は
椅子もなく…

見学のしおりもなくて…
ですが
綺麗は綺麗でした



 






こちらは
サン・パトリス教会の正面の彫刻


駅を出てすぐ左側にあるサン・ロマン教会


市庁舎の後ろにあるサン・ヴィヴィアン教会

ジャンヌ・ダルク

2009-04-29 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
起きたら
お天気が良かったもので
ルーアンに行ってみました

パリ・サンラザール駅から
ルーアン右岸駅までは
1時間30分くらいです


ルーアンのブーヴルイユ城にある通称「ジャンヌ・ダルクの塔」

15世紀
百年戦争でフランスを
勝利に導いたにもかかわらず
魔女として処刑されてしまった
ジャンヌ・ダルク
幽閉されたブーヴルイユ城の塔



ジャンヌ・ダルクのオブジェや肖像画
処刑場へ連れて行かれる様子が彫られた木片の他
ブーヴルイユ城についての資料が
展示されていました



塔の天辺まで上れます
疲れました
塔の窓から見えるノートルダム大聖堂



1431年5月30日
ジャンヌ・ダルクを異端者として
火刑にした処刑場跡に建つのが
ジャンヌ・ダルク教会



建築家ルイ・アレッチ氏は
多くの古い教会が持つ
「伝統」と「逆さまにした船の形」を
マッチさせようと試み
古代からの船の建築技術を取り入れ
身廊の天井に見られるような
木の構造を完成させたそうです



教会は
入り口より低い位置にあり
内部を一望することが出来ます
木とコンクリート
レンガとステンドグラス
洗練された教会でした

 

ルネッサンス期(1520年~1530年)のステンドグラスは
第二次世界大戦中
疎開していたらしく破壊を免れ
この教会の壁一面を飾ることになったようです

16世紀の
キリスト教徒の信仰心を図解したもので
聖・ピエール、聖・ジャックなど
聖書に綴られている伝説の場面が展開しているとのことです


火刑場跡地に建てられた十字架

GOEMON

2009-04-28 | 読書
5月1日
全国ロードショー公開を前に
一足お先に原案本を読んでみました

民衆のヒーロー石川五右衛門が
盗み出した南蛮渡来の箱

その中に封印されていた
信長暗殺の裏の真実が暴かれた時
時代の覇権と自由を巡る
壮絶な戦いが始まった

愛する人のため
友情のため
そして
争いのない世界のため
血を流し
涙を流し
五右衛門は運命に立ち向かう

戦う男たちの激情が胸を打つ
興奮&感動の時代エンタテインメント

          「イーブックオフ作品紹介」参照

普通に面白かったです
石川五右衛門が
実は元忍びだったと言う発想も面白かったし
茶々と五右衛門が相思相愛って言うのも
新しい?

後は
紀里谷和明氏の世界観に
自分の感性が
上手くはまるかはまらないか

です

滝沢演舞城'09

2009-04-27 | 滝沢秀明(TOBE)通信
3月29日より
新橋演舞場で上演されまていました
「滝沢演舞城'09」が
昨日
無事千秋楽を迎えました

25日に千秋楽のはずが
事務所お得意のパターン
土壇場追加公演なんて
企画をやってくれちゃいまして
26日が千秋楽…

25日の夜公演チケットを
入手出来た方は
さぞ複雑な心境だったことでしょう
チケットの申し込みも
携帯やフリーメールでは受付ら貰えないし
当選したらメールの画面をプリントアウトして
持参しろとか書いてあったけど
プリンターのない家だってあるだろうに…
ど~なの
こ~ゆ~のって
オークション対策??


σ(^^;) ですが
帝国劇場での
「新春滝沢革命」の観劇は
叶いませんでしたが
新橋演舞場の公演は
お陰様で登城することが叶いました

ご存知とは思いますが
滝沢秀明さんは
2005年のNHK大河ドラマ「義経」で
主役の源義経役を演じまていました
それ以来
日本文化に目覚めてしまったらしく
滝沢演舞城では
その辺りを意識した
舞台作りに力を入れています

今年で4年目
以前は
公演の最後に
ミニコンサートのような
コーナーを設けていましたが
それもなくなり
舞台でひたすら演じ
観客を満足させるまでになりました

また
あえて
舞台上で
歌舞伎の女形の化粧を実演披露するなど
彼ならではの試みもあったりします

‘滝沢歌舞伎’と題したパートでの
櫓のお七・鷺娘・執着獅子も
年々
レベルアップしています

監督・脚本・演出・撮影・編集・出演と
1人6役をこなした短編映像もあり
この方の才能には
毎度のことながら驚かされます
才能を温存することなく
日々努力を積み重ねていく
常に学び・新しいことに
挑戦しようとする姿勢は
見習わなければと思います

ひとたび
仕事モードに突入すると
己に厳しく
決して妥協をしない
これは
テレビのブラウン管を通してじゃ~
決して解りません
‘生’の滝沢秀明を見ないと!

相変わらず
肌が白くて綺麗でした
鍛え上げられた肢体もお見事!
指先フェチのσ(^^;) と致しましては
ほんの至近距離で
その白く美しい御手を拝見でき
至極ご満悦

当然
来年の再演も
楽しみに致しております
の前に
6月からソロコンサートツアーらしい


ユニット‘タッキー&翼’の活動は
休止状態です
‘解散’してませんから!

やっぱり
この人好きですね~

ジョルジョ・デ・キリコ 夢の製造

2009-04-26 | もろもろアート
後のシュルレアリスム運動に影響を与えた
見る者に不安と郷愁を同時に感じさせる
形而上絵画の創始者である
イタリアの画家・彫刻家ジョルジョ・デ・キリコの回顧展
1909年から1975年までの制作と記されている
170の絵画・彫刻作品を展示

かなり見応えありました


Intérieur métaphysique(avec grande usine)   Piazza d'ltalia Metafisica

ダリやマグリットも好きなので
シュルレアリスム運動に多大な影響を与えた
キリコの作品も
嫌いではない
なんて偉そうですね

形而上?
シュルレアリスム??
専門的な絵画の流れはともかく

自分の感性が
作品の波長と合うか合わないか
それが一番重要


Am Meer                      Place d'ltalie-Le Grand jeu

途中から
同一人物が描いたとは思えない
作品が展示されていたので驚きました

思わず
前の展示室に戻って
サイン確認してしまいました

素人の小生にも
くっきりスッキリ違いが解るくらい違う
チラシに
形而上絵画をある時期否定し
古典的な作品を描くようになり
晩年に再び原点に戻った
と言うようなコメントがあり
納得




ただ…

会場では
面白いと思った
のっぺらぼうのマネキンを
モチーフにした作品

家に戻り
改めて購入したポストカードを
じ~と見ていたら
不気味な感じがして…
不安になってしまいました



パリ市立近代美術館
(Musée d'Art moderne de la Ville de Paris )


市立近代美術館は
企画展以外無料です

ゆったりとした館内には
家具や陶器
写真などの展示もございました



床にゴロゴロしている
黒い物体は
巨大なレモンのオブジェです


Martin Barré「63-A-3」

解りません



パブロ・ピカソ「Téte d'homme」


アンドレ・マルシャン「Porte de Clignancourt」






Bernard Réquichot「Peinture et papiers choisis」



流石に
この2作品の画家は解りました
ユトリロとモジリアニですよね

ヴァラドンの作品が
ユトリロの作品の隣に展示されていました



ヌーヴォー・レアリスムのダニエル・スペーリ
廃材を用いたアートらしい

フランス出身の芸術家なのだと思いますが
近代のアートの知識が
殆どないので
画家の名前を読んでも
さっぱり…

モン・サン-ミシェル~外観と外郭~

2009-04-25 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
ようは
モン・サン-ミシェルを
外側から撮影した写真を
アップしているだけです




島の入り口の門をくぐり
大通りとは名ばかりの
狭い通りが
まんま参道になってます

両脇には
ホテルやお土産屋さん
レストランがひしめき合ってます


                     島でもっとも狭い抜け道

メインストリートの参道以外にも
脇道にそれて城壁から
修道院に向かうことも出来ます



城壁ルート
参道ルート共に
この十字架付近で合流となります



そして
修道院へ向かう
大階段を上ると…



修道院入り口で
チケット拝見~

この辺の雰囲気は
要塞っぽいです


こちらのサン・ミッシェルが…

そして
大階段を上りきると
展望台に到着です

塔の天辺では
金メッキを施された
サン・ミッシェル(大天使ミカエル)の像が
修道院を守っています



聖オベールが
サン・ミシェルのお告げにより建てた
初期の修道院から
現在の形に至るまでの
修道院変遷を模した
模型を見つつ

西のテラスへと向かいます
教会の外郭と18世紀の火災で焼け残った身廊の
前三列からなるエリアです

現在の教会のファサード(正面)は
1780年に再建されたものだそうです

尖塔と鐘楼は
1897年に完成したネオゴシック



最上階にある13世紀の列柱廊
瞑想の回廊とも言われています

列柱は
石灰岩・花崗岩・砂岩から出来でおり
屋根の骨組みには木材が使われています
二列に並ぶ柱が
わずかにずれて並んでいるのも特徴的



回廊中央では
野菜などの栽培をしていたそうです


ここだったと思う…西側の窓          窓から見た未建築に終わった部分

西側にある大きな窓は
教会参事会室への
連絡通路になるはずだったものだそです
未建築のまま今に至っております



この日は
快晴&小春日和
桜も咲いて
春が来たと思ったんですけどね~
翌週は
冬に逆戻りでした

グットタイミングの遠出でした



この日は
城壁に沿って島の出入り口付近に抜ける道が
通行止めだったので
折角行ったのに
ユーターンを余儀なくされました

行きはヨイヨイ帰りは怖い

上りなのです











昨日アップした車輪のある場所
                 




テカッて見ずらいんですが
砂が全て除去され
島までの橋が完成すると
の様な雰囲気になるそうです

二度あることは三度ある
三度目に訪れる時は
是非
この雰囲気を生で味わいたいと思います

モン・サン-ミシェル~内覧~

2009-04-24 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
8世紀の初め
アヴランシュの司教だった
オベールの夢の中に
二度ほど
サン・ミッシェルが出現し
この地に修道院を建てよ
と告げたらしいのですが
当のオベールは
それを信ぜず

サン・ミッシェルが
三度目に出現した時には
大天使もいい加減にせ~よ
って感じだったらしい

オベールの頭の中に指(だったかな?)を突っ込み
お告げを頭にインプットしたとか
しないとか




1000年から1010年の間に
建築された修道院付属の教会内部

標高80メートルを誇る岩山の頂上
長さ80メートルに及ぶ土台の上にあります
身廊の天井は
薄い板で覆われた板張りで
1421年に崩壊した
ロマネスク様式の内陣は
100年戦争後
ゴシック様式で再建されています



19世紀には
この修道院が
牢獄として使われていたことがあるそうで
当時
この部屋は
囚人の食堂として利用されていました

南壁の司教座で
僧が読唱する間
囚人達が沈黙のうちに食事をとったとか?

バスチーユの牢獄のように
生きて出る事の出来ない
孤島の牢獄だったんのでしょうか…
収容された囚人は総勢14,000人



囚人達が
この監獄から解き放たれるにあたり
作ったと言われる
‘Notre dame(我らの母)’→聖母マリア

因みに
‘Notre dame’をイタリア語にすると
‘ノストラダムス’らしい…



かつて
修道僧の納骨堂だったフロアには
大きな車輪が陣取っています
この車輪を回し
囚人用の食料を引き上げたそうです



車輪の中に
随時6人の囚人が入り
ハツカネズミのごとく
ひたすらに車輪を動かしていた

囚人が命尽きて
死んだ場合は
すぐ脇にある
大きな穴に死体を投げ捨てたとか



穴の底には扉があり
扉の前は
囚人用のお墓になっていたそうです


                     チャペルにある墓地へ続く階段

死者のためのチャペル
‘ステファヌスのチャペル’

ラテン十字の下には
ギリシャ語の‘ΑΩ’の文字
これは
誰にも平等に
始まりと終わり(生と死)が訪れることを
表しています


騎士の間(修道僧達の仕事場&執務室)

大きな珍しく暖炉があります
これは
寒さ対策ではありません
なんと
ペンのインクが寒さで
固まらない様に
との配慮なのだそうです

ペンさまさま

また
昔は
台所と言うフロアの観念がなかったらしく
暖炉の周辺がキッチンだったそうです
なので
来賓が集まる時には
仕切りを置いて
来賓の目に触れないようにしていたそうです

サン・ピエール教会

2009-04-23 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
モンサンミッシェルにある教会です

カトリックでは
カテドラル、バジリカ(バジリク)、エグリーズ、チャペル等と
格付け(と言うのは不適格な表現かもしれませんが)があるとか?

その頂点に座すのが
バチカン



フランスでは
カテドラルとして有名なのがノートルダム寺院
バジリカの称号を得ているのがサクレ・クール寺院



サン・ピエール教会では
天井の塗り替え作業中
ニスの匂いが立ち込めてました



差し込む太陽の日差しが
ステンドグラスの色を
一段と輝かせています



ここに
何故
テーブルと椅子があるのか…



この輝き具合
眩い光に包まれて
今にも天使が
舞い降りてきそうな雰囲気しませんか?

日本の神社仏閣は好きだけど
拝観料を取られるのがね~
こちらでは
拝観料を徴収されるのは稀です
ウエルカム精神が基本?

さて問題です!

2009-04-22 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
ここは何処でしょう!



川ではありません!!


2012年に終了予定とか…

現在
周囲に蓄積してしまった
砂を除去しています



遥か昔
写真に写っているこの小島とは
陸続きになっていたと言う
現在は無人島

かつては
この小島まで続く線路があり
汽車が行き来していたそうです


解っちゃいました?

潮が引いているときは
専門のガイドさんと
周囲の砂地を
散策することができます

気をつけないと
頚まで浸かる深みがあるとか…

潮干狩りもできます



大通り門に鎮座するは
100年戦争で用いられた大砲

そして城門


この橋の左が修道僧の居住棟、右が修道院

百年戦争では
強固な要塞の役目を果たしていた
この修道院

敵が進入してきた際に
熱油をぶちまけるための穴などもあります

ですが…
油は当時
大変貴重かつ高価だったので
実際は
‘熱湯’をぶちまけるたそうです

とは言え
イギリス軍が
ここまで攻め入ったことはない


解っちゃいましたね

道を隔て
右側がノルマンディー
左側がブルターニュ
かな…


厨房付近でのパフォーマンス

元祖元祖オム○○の店
「ラメールプーラール」と言えば…






絶好のお天気
小春日和誘われて
遠出してみました
大好きな場所です

ドビュッシーの「沈める寺」を演奏するときは
必ずと言っていいほど
この修道院をイメージします

1979年
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に指定されました
モン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel)です

パリ・モンパルナス駅からTGVに乗り込み
レンヌ駅で下車
TGVの到着に合わせ
レンヌ駅のバスターミナルに
モン・サン・ミッシェル行きのバスが
待機してます

ジゾール(Gisors)にて  

2009-04-21 | 仏蘭西探訪(郊外/地方)
ジゾールは
パリの北西60キロに位置する市です

この市には
11世紀から16世紀の終わりまでかかり
建てられた教会
サン・ジェルベ、サン・プロテ教会がございます

因みに
パリの市庁舎の裏手には
同名の教会がございます
このblogでも
以前紹介させていただいております



シャルトルのノートルダム大聖堂で見た
「エッサイの木のステンドグラス」の
彫刻版が
こちらの教会にありました

シャルトルのステンドグラスは
高い位置にあって
綺麗ではありますが
正直図柄が解りにくかったので
今回の彫刻を見る事が出来たのは
ラッキーでした



そしてもうひとつが
ジゾール城です

城と言っても
シャトーの‘城’ではなく
都市防衛を目的とした城砦
と言った方がよいのかもしれません



10世紀に
ノルマンディー地方に封ぜられた
ノルマン大公とフランス王との
領土の境に位置した軍事上の要地だそうです



城壁の周りには
敵からの進入を防ぐため
堀を廻らしていたそうです



中心にある塔の入り口は…
地上にはありませせん
日本で言う2階に梯子を架け
或いは
周囲の城郭から橋を架けて入るそうです

見方が塔に入ると
梯子や橋を撤去する…
敵は侵入出来ない!

と言うことらしいです



城砦の前方(地下)には
食糧貯蔵用が掘られています

人工的に造られた丘の上に建つ
城砦から見下ろす
町の景色はなかなか美しい



この川は
ノルマンディーとランスの
境界線だそうです

この後
一路
ボーヴェ(Baeuvais)へ
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