時遊人~La liberte de l'esprit~

優游涵泳 不羈奔放 by椋柊

Basilique du Sacré-Cœur(サクレ・クール寺院)

2020-08-22 | 仏蘭西探訪(20区内)
18区

モンマルトルの丘の頂にそびえる

ロマネスク様式

ビザンティン様式の

バジリカ大聖堂





市内を一望

この界隈には

ダリ美術館があります







ドラマのロケで

登場しがちな

表側?正面エリアです

因みに

裏側?エリアは

治安微妙なので

気を付けて下さい



寺院の内部は

こんな感じ













10月には

Fête des Vendanges de Montmartre

(モンマルトルのぶどう収穫祭)が

開催されます

1934年以来

続いているそうな



実は

サクレ・クール寺院の

北東には

ぶどう畑があり

ここで収穫されたぶどうで

1000本のワインが

製造されているんです



昼間は

伝統衣装を身にまとった

関係者によるパレード

夜は

打ち上げ花火がみれます

Arc de triomphe de l'Étoile(エトワール凱旋門)

2020-08-19 | 仏蘭西探訪(20区内)
ネタがないので

Arc de triomphe de l'Étoile

(エトワール凱旋門)

通称‘凱旋門’

行った時の写真載せてみました



ドラマや旅行記

ニュースなんかで

よく登場しますが

近くで見るって

以外と少ない?














遠い記憶ですが

入場料払って

らせん階段で

上まで

登った記憶があります



と言うか

エレベーター

下りしか

利用出ず

歩いて

上るしか

なかったような…



上らなきゃよかった



ひらすら

後悔しながら

上った記憶があります



因みに

エレベーター

乗れたとしても

美術館・お土産ブティックがある

中二階まで



屋上テラスまでは

結局

自力です





上がってみれば

それなりに

爽快な気分

味わえます



シャンゼリゼ大通りは

ツール・ド・フランスの

ゴール地点です



こちらは8区方向

La tour Eiffel

(エッフェル塔)



ビルが集まっている付近は

15区あたりです



こちらは

16区

高級住宅街のエリア



こちらは

La Grande Arche

(新凱旋門)をはじめとする

高層ビル群

パリ西部近郊にある

都市再開発地区

La Défense

(ラ・デファンス)



遠くに見えるのは

18区

モンマルトルの丘

Basilique du Sacré-Cœur

(サクレ・クール寺院)



気持ちよかったです!

と言いたいところですが

テラスにいる間ずっと

激しい耳の痛みに襲われ

最悪の状態でした

航空性中耳炎?

この時以来

気圧の差で

耳が痛くなることが

多くなりました



シャンゼリゼ大通りを

一本入ったところにあった

アントニ・ガウディを

彷彿させる

建築物

la Grande Arche(新凱旋門)

2020-08-17 | 仏蘭西探訪(20区内)
パリに関する
番組や報道が流れると
必ずと言っていいほど
登場するのが
8区
シャンゼリゼ通り西端にある
凱旋門
(Arc de triomphe de l'Étoile)
ですが
パリには
あと二つ
あります



ひとつは
ルーブル美術館に隣接している
チュイルリー公園内にある
カルーゼル凱旋門
(arc de triomphe du Carrousel)
そして
パリ近郊
ラ・デファンスにある
超高層ビル
グランダルシュ
( la Grande Arche de la Fraternité)
別名‘新凱旋門’です



実際は
戦勝を記念して建てられた
門ではないので
本来の意味である
凱旋門とは
違うですけどね



オフィス街なんでしょうが
映画館や遊具設備もあります
近代アート的な
オブジェも点在していて
歴史と伝統のパリとは
また違う一面を
みせてくれます





























最上階の35階は
展望台になっいるので
取敢えず
上ってみました





霞んでますけど
凱旋門が見えます



凱旋門と
エッフェル塔が
一緒に見えた



秋には
こんな感じで
花火の打ち上げも
ありました



パリに
行かれることがあったら
行ってみて下さい

Parc-André-Citroën

2020-08-16 | 仏蘭西探訪(20区内)
15区

セーヌ川左岸のアベル地区に

シトロエン自動車工場跡地を利用して

再開発された公共公園です



広い

そして綺麗

公園名は

創業者アンドレ・シトロエンの名にちなんで

名付けられています



周囲には

小奇麗でモダンな

共同住宅をはじめ

医療施設や学校があります



因みに

σ(^_^;)も

この近くに部屋

借りてたので

お昼時に

本とランチ持参で

行ったりしてました



一面

芝生が敷き詰められ

敷地内には

温室・噴水

ユーテルサット(Eutelsat)と呼ばれる

気球があります



固定されてるんで

上って

下がる

だけなんですけどね



だから

地元の人は

殆ど

乗らないんじゃないか?



とは言え

一度くらいはね

記念に

せっかくだし


暑いみたいで

2020-08-13 | 仏蘭西探訪(20区内)
北海道より
北に位置するフランスでは
夏でもエアコン要らず
だったのに
近年
最高気温が
40度に迫るなど
大変熱い夏になっているようです
パリでは
最高気温
39.3度の猛暑日もあったとか

エアコン設置率も
以前よりは
上がってるとは思うけど
なんて
他国の事
心配している場合ではない!
日本も
例外なく
連日
異様な暑さです
ゲリラ豪雨困るけど
夕方に
一雨欲しい
と言うのが
正直なところです

あぁ~
早く寒くなってくれい
皆さま
密でなけば
マスクはずしましょ
こまめな水分補給と
塩分摂取
お忘れなきよう!

Cathédrale Notre-Dame de Paris(パリ4区)

2020-05-25 | 仏蘭西探訪(20区内)
Cathédrale = 大聖堂
Notre = 私たち
Dame de Paris = パリの母

Cathédrale Notre-Dame de Parisを
強引に日本語訳すると
パリの我ら母なる大聖堂
となるのか?

余談ですが
ノストラダムスの大予言で知られている
Michel Nostradamus
(ミシェル・ノストラダムス)の本名(フランス語表記)は
Michel de Nostredame
(ミシェル・ド・ノートルダム)
なんですよ



1163年に建築着工
正面部分のデザインの工事を経て
1345年に完成しています
1789年の
フランス革命以降
彫刻が破壊されたり
略奪にあい
荒廃した時期もありましたが
その後の改修・復元を経得て
蘇ってきた大聖堂です

ナポレオン・ボナパルトの
戴冠式が行われたのは
1804年12月2日です



基本的に
Welcomeなので
いつ行っても

人 人 人

観光客が
大挙して押し寄せる中でも
結婚式や葬式
やってた記憶があります

流石に
騒いだりする人は
いませんでしたけど
それでも
カシャ カシャ
とシャッター音が
するわけですよ

日本では
ちょっと
考えられない
光景でした


photo/AFP BB NEWS

ご存じのように
昨年
2019年4月15日出火
木組み構造の身廊・翼廊の屋根部分が
ほぼ全焼し尖塔は崩壊
屋根の2/3が焼失しました
幸いなことに
13世紀の3つのバラ窓
2つの塔と正面部は
損壊を免れたました



2024年に開催される
パリオリンピックがまでには
再建したいと
多額の寄付も集まりましたが
再建よりも
貧困層支援に
使うべきでは?
と言う声が上がったり
今年に入り
例の如く
COVID-19が大流行



2024年に開催される
パリオリンピックがまでには
再建したいと
多額の寄付も集まりましたが
再建よりも
貧困層支援に
使うべきでは?
と言う声が上がったり
今年に入り
例の如く
COVID-19が大流行

再建への道のりは
平坦ではないようです



ありきたりでが
ありますが
幾たびもの
災害や試練を乗り越えながら
その名を
その優美な姿を
残してきた歴史があります
時はかかろうと
再び
貴婦人と称される
美しい大聖堂の復活を
静かに
待ちたいと思います











Jardin du Luxembourg(パリ6区)

2020-05-20 | 仏蘭西探訪(20区内)
パリ市内には
いくつか大きな
公園があります
そのうちのひとつが
6区のある
リュクサンブール公園です



もとは
リュクサンブール宮殿に
付随するものとして造園された
庭園でございました

現在
一部が
公開されてまして
フレデリク・バルトルディ作
『自由の女神像』の
最初のモデルをはじめ
数百の彫刻が
公園内のあちらこちらにあります



円形の
大きな池がありまして
リモコン式の
帆掛け舟?
浮かべて遊ぶ
子供の姿を
結構目にした気が
致します



あとは
公園内に
メリーゴーランドとか
馬がいたような…

パンテオンや
ソルボンヌ大学が
近くにあって
日中は
散歩&観光がてら
夕方以降は
お芝居とか
音楽会聴きに
寄らせて頂きました

日中は
兎に角
人が多い!



観光客も多いけど
明らかに
地元の方ですよね?
的な人も
負けじといる!
ひとりがけの
椅子が
やたらとあって
真昼間から
日向ぼっこ

・・・
皆さん
お仕事は?
と思ったものです



広々としてるし
人も多いし
ひとりで
プラプラしてました

シテ島
サン・ルイ島あたりからも
歩ける距離(範囲)です



パティシエ
青木定治さんのお店が
近くにあったような

ケーキ買って
公園で食べた記憶がある!


Saint-Germain-des-Prés(パリ6区)

2020-05-04 | 仏蘭西探訪(20区内)
基本的に
バスか徒歩でしか
行ったことないので
非常に
曖昧な記憶ですが
地下鉄の
サンジェルマン・デ・プレ駅
地上に出ると
目の前?
にあった気がする



サンジェルマン・デ・プレ教会は
世紀をまたいで
最もパリで
修復を受けた教会らしく
ロマネスク様式やゴシック様式など
様々な建築様式が
混在しておりました

ルネ・デカルトが
埋葬されている
教会でもあります



因みに
サンジェルマン・デ・プレ教会教会の裏
l'Abbaye(アベイ通)を入った
Place de Furstemberg (フュルスタンベール広場)
に面したあたりに
Musée Delacroix(ドラクロワ美術館)
があります

徒歩圏内には
映画「ダ・ヴィンチ・コード」の
ロケ地として使われ
有名になった教会
Église Saint-Sulpice(サン・シュルピス教会)

ござんす



この界隈に
出没した際には
たいてい
教会出た左側あたりで
営業していた
クレープ屋
屋台だったか
キッチンカーで
何度か
nutella(ヌテラ)のクレープ
購入してました



この時初めて
nutella(ヌテラ)の存在を
知った
σ(^_^;)は
チョコレートと
何が違うんだ!?

長いこと
思ってました

実は
nutella(ヌテラ)
登録商標で
イタリア発祥だと
日本に帰国してから
知った次第です

Eglise de la Sainte-Trinite de Paris(パリ9区)

2020-04-23 | 仏蘭西探訪(20区内)
サントトリニテ教会は

オペラ座を正面に見て

右っ側の通りを

Chaussée d'Antin - La Fayette

(ショセ・ダンタン=ラ・ファイエット駅)の交差点?

まで進み

そこから

rue de la Chaussée-d'Antin

(ショセ=ダンタン通り)を

直進すると

真正面にあります



因みに

キリスト教

ローマ・カトリックの教会どぇす

Sainte-Trinite

(サントトリニテ)とは

聖三位一体

すなわち

父=神 子=イエス・キリスト 聖霊=神の活動する力

をあらわしてます



教会によっては

昼の時間帯等々

閉めているところも

あるんですけど

こちらは

昼間に関しては

Welcome

だったので



観光客と思しき姿は

殆どなく

ボ~っとしたり

夏場

涼んだり

近くにある

Musée Gustave Moreau

(ギュスターブ・モロー美術館)

行った折に

何度か

立ち寄らせて頂きやした

呪ってやるぅ~byジャック・ド・モレー

2009-05-08 | 仏蘭西探訪(20区内)
仏蘭西探訪も
今回でひとまず終わりです

ラストを飾るのが
呪ってやるぅ~


ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay)

第23代目
テンプル騎士団総長にして
最後の総長であった彼は
初代総長ユー・ド・ペイエンと
同じくらい
有名な人物なのだそうです



モンサンミッシェルを観光した時
修道院とテンプル騎士団の関係資料を読み
その時に
テンプル騎士団最後の総長
ジャック・ド・モレーと騎士団の
シテ島での最期を知りました



ジャック・ド・モレーは
ブルゴーニュ地方の
小貴族の子であったとされていますが
その人生の2/3は
よく解っていないそうです

聖地から追われた後
一つの王国以上の資産を擁していた
騎士団の財政をうらやんだ
フランス王フィリップ4世により
異端の濡れ衣を着せられ
異端審問のうえ有罪とされてしまいます



フィリップ4世は
テンプル騎士団の資産没収を終えると
口封じのため
1314年
投獄されていた
4人の指導者たちの処刑を指示


フランス王フィリップ4世             火刑に処される騎士団員

この時
パリ・シテ島の刑場で
生きたまま火あぶりにされた
最高指導者のひとりが
ジャック・ド・モレー
その人だったそうです


ドーム型の屋根はフランス学士院 エッフェル塔 セーヌに架かっているのは芸術橋

ジャック・ド・モレーは
亡くなる前に

フィリップ4世と
ローマ教皇クレメンス5世らに呪の言葉を残した

と言われています

フランス王家となった
カペー家直系の断絶を願う呪の言葉も…

テンプル騎士団について
ご存知の方には
常識なのかもしれませんが
σ(^^;) にとっては…



ガイドブックにも
載っていない
歴史の闇的な部分に
興味をそそられたのです

時の流れとは
なんとも不思議です

だって
14世紀
生きたまま
人を火あぶりにした場所が
21世紀の現在
こんな長閑な
憩いの場となっているのですから…

その後
1314年に
フィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世は急死
そして
カペー家直系の断絶により
1328年にフランス王位は
ヴァロワ家に継承されていると言う

これが
第23代目テンプル騎士団総長にして
最後の総長ジャック・ド・モレーの
呪いだったのかそうでないかは
永遠の謎です…