8月末からの10日ほどをまとめると、災害と防災対策の10日間でしたね。記録のために書きだしておきましょう。
8月29日(水)
午後から大雨、近くのワンスク川が氾濫するかもしれないと警報メッセージが来る。翌日、朝4時出発で空港バスの停留所までのタクシーが捕まらないとアウトなので、晩御飯を食べた後、家を出てソウル市内で前泊。
8月30日(木)
朝、福岡行きの便が1時間半遅れで出発、福岡空港でプサン発チームと合流、バスで熊本へ。市役所と消防署の防災センターを訪問。
熊本市の職員から説明を聞く
8月31日(金)
終日、グリーンコープ生協の見学。店舗と老人施設で熊本地震の様子を聞く。午後からは南阿蘇の店舗と本部を訪問。熊本地震の時の生協の活躍は後ほど。
グリーンコープ生協の店舗で
9月1日(土)
午前中、益城のテクノ仮設住宅へ、キャンナス熊本のメンバーから状況を聞く。これも詳しい事は後で^^
午後は甲佐の小規模の老人ホームへ、ここでの熊本地震の体験談に参加者全員圧倒される。
後ろの民家が小規模多機能ホーム"ほたる"です
9月2日(日)
午後便で帰国。
9月3日(月)
4日からの農業現地視察の準備をドタバタと。台風早く通過しないかな、と願いながら準備をしている所へ、僕らの乗る便の欠航が決まったメッセージが届く。
30分以上呼び出して繋がったKALの担当者から夕方便は大丈夫と聞き、全員夕方便に変更をする。
清州(チョンジュ)からキンポに行くバスを遅らせ、4日、高島市で泊まる予定だった民宿をキャンセル、滋賀の観光バスを4日だけキャンセル、見学農家にも到着時間の変更を知らせる。
9月4日(水)
空港に12時過ぎには着き、チョンジュからのバスが到着、総勢18名でチェックイン。午前中、欠航が多いせいか、空港は何となく空いてる。出国手続きを済ませ、免税店でショッピングのあとは、免税店で買ったウイスキーで宴会を始める^^
そうしているうちに、関空が水に浸かったというツイッターを見つけ、どうなるんだと思っている時、夕方便も欠航!!
さあ、それからが大変。一部経費が補助なので、中止はダメ。行ける日が10月1日~4日というので、調べると席はありそう。じゃあ、これで決定、さあ帰ろうというとき、さっき飲んだウイスキーが問題に、そのまま入国するので、免税は返却との事。たいへん、飲んじゃっている。
写真はテクノ仮設住宅
"8月29日ごろから10日間のまとめ、その2"
9月4日ぱーと2
飲んじゃったウイスキーの件で税関で引っ掛かり、1時間近く待機、4時半過ぎにようやく<入国>の許可が降り、KAL職員の先導でゾロゾロ動き出す。ウイスキーは廃棄でお金も戻らず、という処置になったらしい。
皆は5時半のチョンジュ行きのバスで帰宅、僕も6時のバスで南楊州へ、家に戻ると同居人の飽きれ怒り顔。
9月5日
朝から航空券の払い戻しと10月1日チョンジュ空港発のチケットの予約。LCCなので、普通はネットで直買いだけど18名なので、そのままお願い。差額が出れば良いけど。
宿の方も、ネット予約は念のためネットでキャンセル手続き、キャンセル料は発生せずで、ホット一息。でも、1部屋ずつキャンセル入れるのも時間かかりますね。
滋賀県と大阪の泊まりを確保して、移動手段をチェックしてから、費用計算。どうにか今持ってる日本円で足りそうなので、ホット一息。あ、比叡山のボランティアガイドにキャンセル入れるの忘れてて、あわててキャンセルの電話。高島市役所のFさんにも電話いれるが、台風の被害状況の確認で外出中とか。被害、少ないと良いけど。
9月6日
明け方、時間を見るためスマートフォンを見ると、北海道震度6、という見出しが目に入る。慌てて起きてNHKを見ると、地震のニュース、昨日までは台風ばかりだったのが、一変する。一日中、テレビでチェックするが、変な気分。6月ごろから、日本おかしい。無神論者の僕ですら、大自然のカミサマが日アベ一族の横暴で残酷なふるまいに怒ってると思うほど。
でも、関西空港、いつになったら通常になるんだろ?
9月7日
本来なら今日戻って来る日なんだけど。朝から通常どおり、日弁連の韓国訪問の準備や公害紛争関連の日本現地調査の提案書の作成。
9月8日
締め切り伸ばしてもらった原稿書き。夜、緊急メッセージが入り、近くのサウナで火災発生。9時のニュースに流れるぐらいちょっと大きな火事で、3階建のサウナはほぼ全焼のようだ。
その上、MERSの患者が3年振りに発生したとか。3年まえ、パク•グネ政権の時、初期対応を間違え、その上秘密主義で対応したため、40人近くが死んだんだっけ。
と、この10日間、災害と緊急対策を勉強し?実践した日々でした^^
写真は火事が出たサウナ。真ん中の建物です^^
8月29日(水)
午後から大雨、近くのワンスク川が氾濫するかもしれないと警報メッセージが来る。翌日、朝4時出発で空港バスの停留所までのタクシーが捕まらないとアウトなので、晩御飯を食べた後、家を出てソウル市内で前泊。
8月30日(木)
朝、福岡行きの便が1時間半遅れで出発、福岡空港でプサン発チームと合流、バスで熊本へ。市役所と消防署の防災センターを訪問。
熊本市の職員から説明を聞く
8月31日(金)
終日、グリーンコープ生協の見学。店舗と老人施設で熊本地震の様子を聞く。午後からは南阿蘇の店舗と本部を訪問。熊本地震の時の生協の活躍は後ほど。
グリーンコープ生協の店舗で
9月1日(土)
午前中、益城のテクノ仮設住宅へ、キャンナス熊本のメンバーから状況を聞く。これも詳しい事は後で^^
午後は甲佐の小規模の老人ホームへ、ここでの熊本地震の体験談に参加者全員圧倒される。
後ろの民家が小規模多機能ホーム"ほたる"です
9月2日(日)
午後便で帰国。
9月3日(月)
4日からの農業現地視察の準備をドタバタと。台風早く通過しないかな、と願いながら準備をしている所へ、僕らの乗る便の欠航が決まったメッセージが届く。
30分以上呼び出して繋がったKALの担当者から夕方便は大丈夫と聞き、全員夕方便に変更をする。
清州(チョンジュ)からキンポに行くバスを遅らせ、4日、高島市で泊まる予定だった民宿をキャンセル、滋賀の観光バスを4日だけキャンセル、見学農家にも到着時間の変更を知らせる。
9月4日(水)
空港に12時過ぎには着き、チョンジュからのバスが到着、総勢18名でチェックイン。午前中、欠航が多いせいか、空港は何となく空いてる。出国手続きを済ませ、免税店でショッピングのあとは、免税店で買ったウイスキーで宴会を始める^^
そうしているうちに、関空が水に浸かったというツイッターを見つけ、どうなるんだと思っている時、夕方便も欠航!!
さあ、それからが大変。一部経費が補助なので、中止はダメ。行ける日が10月1日~4日というので、調べると席はありそう。じゃあ、これで決定、さあ帰ろうというとき、さっき飲んだウイスキーが問題に、そのまま入国するので、免税は返却との事。たいへん、飲んじゃっている。
写真はテクノ仮設住宅
"8月29日ごろから10日間のまとめ、その2"
9月4日ぱーと2
飲んじゃったウイスキーの件で税関で引っ掛かり、1時間近く待機、4時半過ぎにようやく<入国>の許可が降り、KAL職員の先導でゾロゾロ動き出す。ウイスキーは廃棄でお金も戻らず、という処置になったらしい。
皆は5時半のチョンジュ行きのバスで帰宅、僕も6時のバスで南楊州へ、家に戻ると同居人の飽きれ怒り顔。
9月5日
朝から航空券の払い戻しと10月1日チョンジュ空港発のチケットの予約。LCCなので、普通はネットで直買いだけど18名なので、そのままお願い。差額が出れば良いけど。
宿の方も、ネット予約は念のためネットでキャンセル手続き、キャンセル料は発生せずで、ホット一息。でも、1部屋ずつキャンセル入れるのも時間かかりますね。
滋賀県と大阪の泊まりを確保して、移動手段をチェックしてから、費用計算。どうにか今持ってる日本円で足りそうなので、ホット一息。あ、比叡山のボランティアガイドにキャンセル入れるの忘れてて、あわててキャンセルの電話。高島市役所のFさんにも電話いれるが、台風の被害状況の確認で外出中とか。被害、少ないと良いけど。
9月6日
明け方、時間を見るためスマートフォンを見ると、北海道震度6、という見出しが目に入る。慌てて起きてNHKを見ると、地震のニュース、昨日までは台風ばかりだったのが、一変する。一日中、テレビでチェックするが、変な気分。6月ごろから、日本おかしい。無神論者の僕ですら、大自然のカミサマが日アベ一族の横暴で残酷なふるまいに怒ってると思うほど。
でも、関西空港、いつになったら通常になるんだろ?
9月7日
本来なら今日戻って来る日なんだけど。朝から通常どおり、日弁連の韓国訪問の準備や公害紛争関連の日本現地調査の提案書の作成。
9月8日
締め切り伸ばしてもらった原稿書き。夜、緊急メッセージが入り、近くのサウナで火災発生。9時のニュースに流れるぐらいちょっと大きな火事で、3階建のサウナはほぼ全焼のようだ。
その上、MERSの患者が3年振りに発生したとか。3年まえ、パク•グネ政権の時、初期対応を間違え、その上秘密主義で対応したため、40人近くが死んだんだっけ。
と、この10日間、災害と緊急対策を勉強し?実践した日々でした^^
写真は火事が出たサウナ。真ん中の建物です^^