愛するみなさま こんばんは
さあちゃんオススメ本パート2
「思いやりを育む保育」という本を読みました。
(さあちゃん、サンキュー!またおすすめ本教えてね~)
しつけ は必要かどうか?
何のために しつけがあるのか?
もしかしたら、人ぞれぞれで躾を必要と考える意味は違ってくるのかもしれません
*こんなことも知らないなんて恥ずかしいと、思われないようにとか(恥をかかないように)
*こんなことも教えてない親だと思われないようにとか
*円滑に社会に溶け込んでいけるようにとか
その他いろいろあるかと思います。
環家では、いろいろと制約はあったものの
(カラオケ禁止、映画館禁止、サーカス禁止、原宿禁止など!笑→ もちろん行ってましたけども)
しつけ という しつけがあまりなかったな~と思ったんです。
その点、かなり自由に育ったと思います。日常ではあまりうるさく言われなかったのです。
環先生は、お茶やお花などもやっていたのですが、
その作法を一切 娘たちに伝えないという
ある意味スパルタ!
だから、靴のそろえ方とか、食器の洗い方とか扱い方とか、よそでのしぐさとか
全然知らないままだったんですね。
それで、小学生の間は全くきにしなかったのに
中学生とか、高校生とかになって、よそのお宅にあがるときに
「ありゃ?困ったぞ、本当は、どこに靴を置けばいいのかな?」とか
「この食器はどう使ったらいいのかな?」
「これは、食べていいのだろうか?」と、思うわけです。
それで、いろいろ観察が始まって、
どうも、玄関の上がり口の真ん中に靴を置いてはいけないんだな、開けるんだな
そうか、次からくる人のためにあけるのか~
食器の表の面に口をつけてはいけないのか~
そうか、大事な食器を傷をつけないためなのか~
とか、気づきはじめる(おそ!)
そういう社会でのルールが躾であるなら(これは私の個人的な考えですが)
それは、誰かを思いやる ということを常に想定するんだよ ということを
学ぶのが”躾”なのかなと思いました。
のちに空手の本では、日本人のそういうルールは先の動きをよんだものになっていて
(靴の向きを履く時の形で出やすいように置く、車はバックで入れて出やすくするなど)
先の動きを想定すると、体がよりよく機能するというのもあるようですが。
前置きが長くなりましたが、この本では
「思いやり」が育てば、わざわざ躾などはしなくていいのではないか?
もっと、自由でいいのではないか?という投げかけから始まります。
そして、思いやりの行動 よりも
そこに至る心のプロセスの方が重要なのではないか?
とのこと。
例えば、
ブランコを友達に譲ったという行為に対して
*相手への優しさからか
*保護者がみているからか
など、いろいろあって、
誰かに怒られることを避けるためなら、これは思いやりではないから。
その子が自発的に思いやりを生じるような
環境づくりを大人がサポートするのが大事だということが
さまざまな例をあげて書かれています。
結果より、プロセス。
これは、何にでもいえることだと思うのです。
特に、フェルデンクライスでは、これを常にいいます。
動きがどう始まり、伝わっていくのか
動きに参加するのは、どこなのか
ヒプノセラピーもそうです。
どういう思いから、その感情が生まれたのか
どういう過去の体験、思い込みがあったから、その感情に至ったのか
漢方薬もそうです。
気、血、津のどういうバランスで、その病気が起きているのか
五臓のバランスがどうなっているから、その症状が出ているのか
太極拳もそうです
型と作るのではなく、型と型の間をどうつないで、動いていくのか
体をどうやって全部参加させていくのか
プロセスに意識が向くだけで、結果は単なる通過点になるように思うのです。
眠れないから入眠剤をのむ
生理が来ないから、ホルモン剤を飲む
癌になったから抗がん剤を使う
体が出したサイン、それまでのプロセスが全て無視されて、結果だけを見ている状態です。
またまた、なでしこの話題ですが
フェルデンの由紀子先生が、フェイスブックでシェアしていた記事です
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ichiroozawa/20150701-00047135/
エースの大儀見選手のご主人はメンタルコーチなのだそうです。
それで、ゴールが入る、入らないという結果よりも
ゴールを打った時の体の動き、プロセスを重視することで、
ゴールがそれたときでも、体の動きの良かったところ、直すところに意識がいき
自己分析につながることがかかれていました。
福島先生はこんなふうにいっていましが
うまくいかないということは、
うまくいくための方法が増えていくということだ
って。
そして、この本では
相手の気持ちに立つ ことと
自分ならば と考えることは、全く別モノと書かれていました。
これはヒプノでもよく確認することですが
きっと、相手はこう思っていただろう という顕在意識での思いが
ヒプノに入り
相手の中に入って、感じると、
予想と全く違うことを相手が感じているということに気づきます。
野口先生がおっしゃった
理解とは誤解のことである というのは、こういうことも含まれるのだと思います。
私たちは、自分の思い込みだけで
相手をみてしまうのかもしれません。私なんて、失敗がいっぱい!
あ、失敗なんてものはないんだった!
チャンスばっかり!
というわけで、
結果よりプロセスのフェルデンクライスの
個人調整、FIは
あさって10日金曜日です。
あと、2枠空きがございます!
15時~
17時~
ご予約お待ちしております!
満席となりました、ありがとうございます!
漢方専門薬局 環
042-989-3721
*************
さてさて、夕飯はご飯が一番いいです。
できるだけ、麺類は避けたほうがいいです。なぜなら、まずは太るから。
ダイエット相談に見える方ほぼ100%麺類好きです。
そして、健康のためにも、日本の農業のためにも お米を食べるようにしています。
と、いっておきながら、不本意ながらも、たまには、もうへとへとでパスタで堪忍!
という日もあります。
ここまで、続くかー!となった、先週土曜日より
トマトと紫蘇の冷たいパスタ
と自家製フォカッチャ
パン焼く元気はあるやんかー!というところですが
パスタですみません。
日曜日のお昼
グリンピースとコーンのペンネ
自家製フォカッチャ残り
夕飯に
ラザニアにしようと思ったら、ラザニアのパスタがカビていて!
ペンネのラザニアに・・
ベビーリーフと甘夏のサラダ
バゲット
先週末は もうご飯は楽させてもらっちゃいました。
でも、こういう夕飯はおすすめしません。笑
それでも一応弁解がてら
パスタは無農薬 無化学肥料で育った小麦のものを使用しております。
地球と体のために
さあちゃんオススメ本パート2
「思いやりを育む保育」という本を読みました。
(さあちゃん、サンキュー!またおすすめ本教えてね~)
しつけ は必要かどうか?
何のために しつけがあるのか?
もしかしたら、人ぞれぞれで躾を必要と考える意味は違ってくるのかもしれません
*こんなことも知らないなんて恥ずかしいと、思われないようにとか(恥をかかないように)
*こんなことも教えてない親だと思われないようにとか
*円滑に社会に溶け込んでいけるようにとか
その他いろいろあるかと思います。
環家では、いろいろと制約はあったものの
(カラオケ禁止、映画館禁止、サーカス禁止、原宿禁止など!笑→ もちろん行ってましたけども)
しつけ という しつけがあまりなかったな~と思ったんです。
その点、かなり自由に育ったと思います。日常ではあまりうるさく言われなかったのです。
環先生は、お茶やお花などもやっていたのですが、
その作法を一切 娘たちに伝えないという
ある意味スパルタ!
だから、靴のそろえ方とか、食器の洗い方とか扱い方とか、よそでのしぐさとか
全然知らないままだったんですね。
それで、小学生の間は全くきにしなかったのに
中学生とか、高校生とかになって、よそのお宅にあがるときに
「ありゃ?困ったぞ、本当は、どこに靴を置けばいいのかな?」とか
「この食器はどう使ったらいいのかな?」
「これは、食べていいのだろうか?」と、思うわけです。
それで、いろいろ観察が始まって、
どうも、玄関の上がり口の真ん中に靴を置いてはいけないんだな、開けるんだな
そうか、次からくる人のためにあけるのか~
食器の表の面に口をつけてはいけないのか~
そうか、大事な食器を傷をつけないためなのか~
とか、気づきはじめる(おそ!)
そういう社会でのルールが躾であるなら(これは私の個人的な考えですが)
それは、誰かを思いやる ということを常に想定するんだよ ということを
学ぶのが”躾”なのかなと思いました。
のちに空手の本では、日本人のそういうルールは先の動きをよんだものになっていて
(靴の向きを履く時の形で出やすいように置く、車はバックで入れて出やすくするなど)
先の動きを想定すると、体がよりよく機能するというのもあるようですが。
前置きが長くなりましたが、この本では
「思いやり」が育てば、わざわざ躾などはしなくていいのではないか?
もっと、自由でいいのではないか?という投げかけから始まります。
そして、思いやりの行動 よりも
そこに至る心のプロセスの方が重要なのではないか?
とのこと。
例えば、
ブランコを友達に譲ったという行為に対して
*相手への優しさからか
*保護者がみているからか
など、いろいろあって、
誰かに怒られることを避けるためなら、これは思いやりではないから。
その子が自発的に思いやりを生じるような
環境づくりを大人がサポートするのが大事だということが
さまざまな例をあげて書かれています。
結果より、プロセス。
これは、何にでもいえることだと思うのです。
特に、フェルデンクライスでは、これを常にいいます。
動きがどう始まり、伝わっていくのか
動きに参加するのは、どこなのか
ヒプノセラピーもそうです。
どういう思いから、その感情が生まれたのか
どういう過去の体験、思い込みがあったから、その感情に至ったのか
漢方薬もそうです。
気、血、津のどういうバランスで、その病気が起きているのか
五臓のバランスがどうなっているから、その症状が出ているのか
太極拳もそうです
型と作るのではなく、型と型の間をどうつないで、動いていくのか
体をどうやって全部参加させていくのか
プロセスに意識が向くだけで、結果は単なる通過点になるように思うのです。
眠れないから入眠剤をのむ
生理が来ないから、ホルモン剤を飲む
癌になったから抗がん剤を使う
体が出したサイン、それまでのプロセスが全て無視されて、結果だけを見ている状態です。
またまた、なでしこの話題ですが
フェルデンの由紀子先生が、フェイスブックでシェアしていた記事です
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ichiroozawa/20150701-00047135/
エースの大儀見選手のご主人はメンタルコーチなのだそうです。
それで、ゴールが入る、入らないという結果よりも
ゴールを打った時の体の動き、プロセスを重視することで、
ゴールがそれたときでも、体の動きの良かったところ、直すところに意識がいき
自己分析につながることがかかれていました。
福島先生はこんなふうにいっていましが
うまくいかないということは、
うまくいくための方法が増えていくということだ
って。
そして、この本では
相手の気持ちに立つ ことと
自分ならば と考えることは、全く別モノと書かれていました。
これはヒプノでもよく確認することですが
きっと、相手はこう思っていただろう という顕在意識での思いが
ヒプノに入り
相手の中に入って、感じると、
予想と全く違うことを相手が感じているということに気づきます。
野口先生がおっしゃった
理解とは誤解のことである というのは、こういうことも含まれるのだと思います。
私たちは、自分の思い込みだけで
相手をみてしまうのかもしれません。私なんて、失敗がいっぱい!
あ、失敗なんてものはないんだった!
チャンスばっかり!
というわけで、
結果よりプロセスのフェルデンクライスの
個人調整、FIは
あさって10日金曜日です。
あと、2枠空きがございます!
満席となりました、ありがとうございます!
漢方専門薬局 環
042-989-3721
*************
さてさて、夕飯はご飯が一番いいです。
できるだけ、麺類は避けたほうがいいです。なぜなら、まずは太るから。
ダイエット相談に見える方ほぼ100%麺類好きです。
そして、健康のためにも、日本の農業のためにも お米を食べるようにしています。
と、いっておきながら、不本意ながらも、たまには、もうへとへとでパスタで堪忍!
という日もあります。
ここまで、続くかー!となった、先週土曜日より
トマトと紫蘇の冷たいパスタ
と自家製フォカッチャ
パン焼く元気はあるやんかー!というところですが
パスタですみません。
日曜日のお昼
グリンピースとコーンのペンネ
自家製フォカッチャ残り
夕飯に
ラザニアにしようと思ったら、ラザニアのパスタがカビていて!
ペンネのラザニアに・・
ベビーリーフと甘夏のサラダ
バゲット
先週末は もうご飯は楽させてもらっちゃいました。
でも、こういう夕飯はおすすめしません。笑
それでも一応弁解がてら
パスタは無農薬 無化学肥料で育った小麦のものを使用しております。
地球と体のために