原田伊織の作品二作目を読む
このタイトルからわかるように官賊、長州薩摩は賊だった・・
この前読んだ明治維新という過ちでうすうす感じていたことがなるほどとつながったようだ・・
ペリー来航でアメリカと交渉をねばりつよく行った徳川の官僚たち、たしかに、あたりまえのことが今まで歴史で消されていたのでは
ないかと思える、日米和親条約 24か条ある内容を12カ条に絞り込んで不利にならないように交渉をしたのも徳川幕臣官僚
老中阿部正弘 堀田正睦 そして川路聖膜 水野忠徳 岩瀬忠震 井上清直 小栗虫順
とくにロシアのプチャーチンと交渉した川治はロシアとの交渉を友好的に進め
対アメリカとの交渉を交渉をスムースにさせた。
歴史からどうしてこのことが消されているのだろうかとほんとに不思議な感じがする、歴史的には黒船がきて慌てふためく幕府と
いうイメージが強く印象に残されている。
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いずれにしても薩長政権の誕生までの四半世紀、幕府はオランダ以外の列強、アメリカをはじめ、イギリス、フランス、ロシア
プロシア を相手にそれなりに外交体験を積んだのである、ペリーの黒船が来航して、初めての経験で右往左往し、それに乗じた混乱
倒幕運動で幕府が急に崩壊し 薩長政権が初めて欧米と渡り合うようになったなどという歴史は存在しない。それは例えば歴女が好む
漫画やゲームの世界である。
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薩摩長州の裏にはイギリスの日本支配の戦略があったとのこと
イギリスがアジア侵略の基本的外交スタンスは一つの定型がある。植民地化を含め、支配下に置こうとする国や地域に対して
反政府勢力を支援する、あるいは反政府勢力を作るというやり方である、よく観察すれば帝国主義時代と呼ばれるこの時代の列強
諸国のやり方は大概このやり方をとっている。
そう考えるとイギリスが死の商人グラバーを通じて薩摩と長州を支援していたのもなるほどといえる。
ちなみに坂本龍馬は氏によればグラバーの下請けの海運業を仲間でやっていたということで薩摩と長州につながりをもった
というだけと 薩長同盟などの正式な調印はなかった・・え・・今まで西郷と桂で書面でかわして坂本龍馬が赤い文字で
立会した裏書をしたのではないか??それは桂が西郷に会談の内容を書面で送るときに坂本龍馬にこれでよかったよね??と
送った手紙ということらしい・・
そしたらなぜイギリスは予定通り日本を支配しなかったのか??これこそ神風が吹いたということらしい
イギリスで砲艦外交を展開していた首相パーマストンが急死し、ラッセル新内閣が発足、外務大臣にクランレンドンが就任した
これにいよってイギリスの対日方針が一気に180度転換した、新外相は公使パークスに対して厳正中立を厳しく指示した。
書いたら書き切れないほどなのですが
ここ数年、安倍が明治150年記念といって明治の日を作るとかわけのわからないことをほざいているのが胡散臭い
初代総理大臣が伊藤博文 50年目が寺内正穀 100年目が佐藤栄作 そして150年が安倍
と安倍はほこらしげにみんな長州 山口県出身者で私も誇りに思う
と胡散臭く テロリスト長州の長州レジュームを脈々とつながる犯罪を賛美する。
これはほんとにあやしい、
長州に対しては自分はどちらかといいうと司馬遼太郎を読んでいて好きなイメージがあった
ここ数年少しずつ変わってきた、会津を学ぶと変わる 新選組は好きではないが 会津の正義に学ぶところがある。
安倍が総理になってからは特に長州を嫌うようになった。
そのタイミングで結構 幕末明治の歴史は歪んで教えられていたということがわかった
一部には司馬遼太郎の小説が事実としてとらえられテレビのドラマにもなり、長州 薩摩 坂本龍馬のイメージが司馬遼太郎の
小説が史実としてイコールとしてとらえられてる。
歴史は歪められる・・その時々の支配層により都合よく歴史は教えられる、これは日本だけでなくどこの国でもだろう
今の日本があるのは薩摩と長州が幕府を倒したから今の日本があるとよくいわれる
しかしながらその結果 富国強兵政策により侵略戦争に行き 大陸で虐殺をおこない 多くの沖縄の人たちを犠牲にし
ヒロシマ ナガサキにアメリカの原子爆弾による史上最大のテロが行われたのもその流れといえる
そこを正確に見ないと歴史の評価は歪む、安倍と日本会議の思うつぼというところだろう・・