KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

牧野博士がこよなく愛したバイカオウレン!

2025年02月26日 | 四国の山

昨年は2月8日に佐川町の牧野公園加茂バイカオウレンを見に奥さんと出かけてきた。今年も楽しみにして

いる奥さんの期待に応えるべく、開花の情報をチェックしていたのだけれど、なかなかいい便りが聞こえてこな

かった。すると20日にアカリプタさんと一緒に香川の山友3人が出かけていた写真を見ると、そこそこ咲いて

いる写真が写っていた。アカリプタさんによると5~6分咲きとの事だったが、写真を見るが限りでは奥さんを

連れ立っても、恐らく満足してもらえるだろうと思って、二人が休みを取れる今日出かけてきた。

但し前日まで高知自動車道の川之江JCから大豊までは雪のため通行止めの情報。ずっと気を揉んでいたけれど

午後にはなんとか解除になり、そのまま今日もタイヤ装着の情報にもなっていなかったのでGO!

途中の立川PA辺りではまだ周りには雪が残っていたけれど、路面の状態は乾いていて問題なかった。

 

 

佐川町に着くと松山街道沿いに5・60台は駐車できそうな無料の駐車に停めて歩き始める。駐車場のすぐ横に

ある四国銀行の佐川支店には数年前に高松でお世話になった支店長が転勤で在籍していたので、中に入って軽く

挨拶をする。突然の訪問にえらく喜んでくれ『春の桜の季節もそれはそれは見事なのでぜひ来てみてください』

と仰った。支店長と分かれた後牧野公園へと土佐鶴の酒蔵が並ぶ風情のある道を歩いて行く。

酒蔵の漆喰の壁には高知県の独特な『水切り瓦』が取り付けられている。高知の激しい風雨から漆喰の壁を守る

役目で、2段3段と付けられているのを他でも見かけることがある。

 

 

酒蔵の横を緩やかな坂道を登って行くと正面に青源寺の石段。その横を過ぎると道沿いに今度は保育園がある。

園内の運動場では園児たちが元気に遊んでいた。保育園の運動場を回り込むようにして続く道。その保育園の

運動場の南端が牧野公園の入り口となる。

 

 

公園の入り口からは坂道が少し急になってくる。するとすぐにベンチの上に牧野博士の愛用の帽子と採取用のカ

バンのオブジェが置いてある。ベンチを過ぎると会議や宴会のできる座敷棟がある。その建物の反対側の花壇に

はいろいろ貴重な山野草が植えられていた。

直ぐに目に飛び込んできたのがセツブンソウ。春の訪れとともに咲く小さな可愛らしい花だが、私たちの前に大

きなカメラで熱心に写真を撮る男性の姿があった。白く和紙のように見えるのは実は花びらではなく萼片だそう

だ。その萼片に守られるように中にある黄色い部分が花びらで、さらに中の青紫色の葯が雄しべで薄紫色の突き

出た部分が雌しべだそうだ。やっぱり花って難しい!

 

 

 

 

座敷棟からくねくねとした坂道を登って行くと、道の脇には植えられた植物の名前が書かれたネームがあちこち

に挿されているが、いまはほぼどの植物も枯れて花も咲いてはいない。すると道の少し下に白い球状の実のよう

なものが見えた。近づいて見るとミツマタだった。

 

 

他にも公園の道沿いにはいろいろな種類の桜が植えられていて、花が咲いた時は見ごたえがありそうだ。今日は

ウォーキングも兼ねての花散策。公園の頂上まで一応歩いて登り、頂上から下って行くと、今度はこれも春を告

げる花、福寿草が咲いていた。ただ寒さのせいか日当たりのせいか、まだ花は開いてはいなかった。

 

 

福寿草の咲く場所から少し下るとバイカオウレンが咲いている。ヒノキの林床に小さな小さな花が一面咲いてい

た。でも花が小さすぎてきれいにピントが合わない。先週加茂のバイカオウレンを見に来ていたアカリプタさん

カマタマさんの写真を見ると、羨ましいドンピシャちゃんとピントが合っている。今度ご一緒した時に教えを

乞うことにする。

 

 

 

 

バイカオウレンの写真を奥さんも熱心に採っている。最近のスマホはほんときれいに撮れるので、びっくりする。

最近まで古いスマホを使っていた奥さんも、新しいスマホに買い替えてからは、きれいに撮れるので満足げだ。

バイカオウレンの咲く森からすぐ横の牧野博士のお墓に手を合わせ、また座敷棟まで降りてその横のトイレで用

を済ますと、トイレの横でカメラを構えた男性がいた。

近くによって見てみるとユキワリイチゲの花が咲いていた。早春の風が吹くと花が咲くと云われる風の花。この

花も他の花と同じでスプリング・エフェメラル(春の妖精)だ。

 

 

 

公園を出て保育所の横まで来ると、行きには全く気付かなかったが道の反対側にもユキワリイチゲが咲いていた。

 

 

牧野公園で春の妖精たちを見た後は、いよいよ加茂バイカオウレンへ。その途中でお昼ご飯。昨年立ち寄った

おばあちゃんと息子さんが営んでいた『まる美食堂』に今年もと思っていたが、朝その前を通った時に定休日の

看板が上がっていた。仕方がないのでまきのさんの道の駅にある西村商店へ!

以前に西の奥様たちと高知市内の本店に寄ったことがあるが、このお店はとにかく定食のメニューが豊富で、いつ

も大勢の人で賑わっている。

 

 

 

ご飯とお味噌汁のおかわり自由ですと店員さんに言われて、魚の出汁が効いた味噌汁が美味しくておかわり。つ

いでにご飯もと欲張ったらお腹がパンパン!そんな膨れたお腹を抱えていざ加茂のバイカオウレンの里へ!

昨年同様集落活動センター加茂の里に車を停める。週末の混雑を避けて平日にしたのだけれど、予想通りすんな

りと車を停められた。受付で入園料を払うとボランティアのおじさんおばさんが『初めてですか?』と聞いてき

た。『昨年も来ました』と言うと、『それじゃ道順は分かるわね』『去年よりは随分咲くのが遅くて、花も小さ

いような感じがする』と教えてくれた。センターの前の道路を渡り踏切を渡って民家の間を山の中へと入って行

く。脇の畑に季節外れの稲わら立て。藁で囲って霜などから野菜を守っているのだろうか?

 

 

山の中のコンクリート道を歩いて行く、奥さんにとっては結構な急坂だ。後ろから息を切らせて歩いてきている。

すると道の脇に切株をチェーンソーで作ったチェーンソーアートが置かれていた。

『去年、こんなのあったかな?』と奥さん。色褪せ具合から今年の作品ではないようだ。

 

 

 

急坂が終わり緩やかな下り坂になると横断幕がかかったバイカオウレンの森の入り口が見える。

横断幕の手前から一方通行になった道へと入って行く。

 

 

ヒノキの林床に白玉のようなバイカオウレンが散りばめられている。やはり気持ち昨年よりはまだ咲いている数

が少ないように見えた。近づいて見ると数センチの短い茎に白い花をつけている。この花もセツブンソと同じ

く、白い花びらに見えるのは萼片で、花びらは黄色い小さな部分だそうだ。

 

 

 

この場所は林床が平らではなく、大海原の波のようにうねり変化があり、その中で緑の苔とバイカオウレンの白、

そしてこもれびを受けた木々の陰影が何とも言えない雰囲気のある気持ちのいい空間だ。

それにしても昨年よりはうまく写真を撮ろうと思ってきたけれど、腕が悪くて思ったような写真が全く撮れない。

写真の難しさをほとほと感じる。

 

 

 

バイカオウレンを堪能した後はその先にある苔庭に。ここにはチェーンソーアートの森の住人と小さな小物が苔

が敷き詰められた林の中に置かれていた。こういったものは女性はお好きなようで奥さんも嬉しそうに写真を撮

っていた。

 

 

 

 

 

加茂のバイカオウレン鑑賞の後は帰り道にある芋屋金次郎でジャージー牛乳とムラサキ芋のミックスソフトを頂

く。その後市内に入って最近知った山中賞で有名になったTUTAYA中万々店に訪問。山中賞といえば毎年二

回、四国最大級の書店、TUTAYA中万々店のカリスマ書店員、山中由貴さんが、半年に一番おもしろかった、

どうしても読んでもらいたい本を選んだ賞でその知名度と注目度は全国クラス。興味を持ったのはその山中賞に

最近読んだ芥川賞の受賞作品の『バリ山行』が選ばれていたからだ。バリとはバリエーションルートの略で、普

通の登山道から外れて歩く社内の先輩に主人公が惹かれていく話で、時々藪コキして歩く人間にとっては身をも

って理解できる状況や心情を、楽しく読めた作品だった。

店内は広々としていて、その中で色々工夫したPOPやコーナーがあって賑やかで楽し気な空間だった。特に『

この店で一冊も売れていない作品を買ってください!』というコーナーは思わず噴き出した。

 

 

受賞作品には手書きでフリーペーパーを作って店内で配っていた。バリ山行は手元にあるので違う受賞作品を買

って店を出た。

最後ははるのの湯でほっこり。今年の春も花めぐりで私の株価をどんどん上げていく予定なのだ!

 

 

 


幸せになりたくて、幸山・福山へ!

2025年02月22日 | 四国外の山

 

前日急に用事が入ってスケジュールを入れ替え、さてさてどこに出かけようかと考えていたら、YAMAPに

『さゆさゆさん』が、岡山の総社市の南にある幸山・福山を歩いた活動日記をアップしていた。そこには大きな

大きな岩の上に立つ写真が載っていた。その巨岩は幸山福山の間にあるらしい。そして色々調べてみると、こ

の二つの山を一度に登ると幸福となると誰かが書いていた。さらに調べてみると近くにある他の三座を含めて、

周回している人がいた。『よ~しこれだ!二つの山を歩いて幸せになるぞ!』そう思って出かけてきた。

 

スタート地点は『清音ふるさとふれあい広場』の駐車場。車を停めた駐車場の横のテニスコートでは、朝早くか

ら結構年配の方が賑やかにテニスをしていた。ただし車のメーターに映された外気温は零度ちょうどだった!

公園の中、グランドゴルフ場や広場の横を通って山際まで歩いて行くと『福山を歩こう』と書かれた地図と案内

板が建っていた。その横の池には氷が張っていた。

 

 

 

遊歩道の入り口から階段をひと登りするとまた大きな案内板。そこには『幸山から福山へ、幸福の小路』と書か

れていた。そうこんな時は案内板をしっかりと確認するべきなのだが、最初の一座目は福山の西側にある軽部山

と決めていたので、キャッチフレーズも見ずに適当に案内板を眺めて、そこから一旦南に向かって下って行く。

急な坂道を下り山の中から集落の中を適当に県道に向かって歩いて行く。

 

 

県道469号線に出ると倉敷方面、浅原峠に向かって坂道を歩道の上を歩いて行く。途中歩道の横の広場のよう

な場所に何台もの車が停まっていた。なかには車からザックを下ろして担ぐ人の姿があった。YAMAPには

の横道南コース登山口となっている。その駐車場からしばらく登って峠の手前で歩道の脇にチェーンがかかった

進入路がある。その進入路を山に向かって登って行くと舗装が途切れるので、その場所の右側が軽部山への取り

付きになる。

 

 

 

取り付きからは落ち葉かたっぷり積もった道を、木の幹に巻かれた赤テープを目印にしながら登って行くと15

分ほどで軽部山に着いた。周りは木々に囲まれて見晴らしはないが、二等三角点 黒田 244.05mが足元に

あった。先ほどの登山口駐車場に停まっていた車の台数はかなりの数だったが、地元の人はこちらに来る人はあ

まりいないように感じた。

 

 

山頂から折り返して県道まで戻る。この県道は総社市から倉敷市に抜ける道なのか、けっこう車が走って行く。

峠から歩道の反対側に渡って山へと入って行く。すると右側には広々とした霊園。GoogleMapには浅原霊園とな

っている。Mapではポイントを押さえると概要が横に出てくるが、その中には24時間営業と掲載されていた。

確かに年中無休・24時間営業なのだが・・・・。(笑)

 

 

墓地の上をその奥の市街地を眺めながら登って行くと登山道になる。道の脇には先ほど見たのと同じような案内

板やベンチが置いてある。YAMAPの地図もこの案内板でもいろいろなコースがあって、特にYAMAPの地

図には福山を中心に縦横無尽にルートが設定されている。香川の里山でもこれだけルートがある山はなかなか無

い。(無理やりルートを造っている里山はあるが、正式な登山道として)それだけに地元の人に愛されている山

なのだろう。

 

 

歩く人が多いせいか軽部山と違って、道の落ち葉も踏み分けられていてちゃんと地面が現れている。ただ先ほど

軽部山でも見かけた小さな杭が道の真ん中に続いていて、軽部山では落ち葉に隠れて何度もつまずきそうにな

った。町境でもなさそうなのに何の杭なのか?

 

 

 

逆に『文部省』と彫られた大きな杭は倒れてしまって、道の脇の木に括りつけられていた。福山山頂からすると

南側になるのだが、何故か『西16』と書かれたプレートが木に打ち付けられている。この先でも何カ所か同じ

ようなプレートをこの先も見かける。(オリエンテーリング?)

 

 

地形図に福山城跡と書かれた場所で、登山道から少し脇に入って行くと展望所になっていた。ここまで来るとさ

すがに上着を脱がないと汗を掻いて暑い。遠くには水島のコンビナートの煙が見える。

ベンチに腰掛け上着を脱いで、水分補給をしていると女性が一人やってきた。地元の方らしいので、この後の

から和霊山・由加山までの様子を聞いてみた。道は福山から下って行く感じで、残りの二つの山は眺望がない

との事。

 

 

 

福山城跡の展望所から山頂は直ぐだった。色々と石碑が建つ中を歩いて行くと、段々になった山城跡らしい山頂

ではベンチが置かれて、何組かの人たちが腰掛け休んでいた。南に開けた場所のベンチでは老夫婦が景色を眺め

ながらのんびりと何か話をしていた。

南には倉敷の市街地。少し視線を東に振ると岡山の市内が見渡せた。

 

 

 

 

広々とした広場になった山頂にも大きな石碑が点在している。神社の跡だろうか1対の狛犬が向かい合って並ん

でいた。その先はまた展望が開けていて、今度は総社市の市街地を見渡すことができた。

 

 

 

 

展望所の横の東屋には時計が掛けられ、テーブルを囲んでベンチが並んでいる。地元の人たちがこの場所でお茶

やお菓子を広げて寛いでいる姿が目に浮かんでくる。これだけの眺望だと山城のロケーションとしてはバツグン

だろう。自撮りで写真を撮った後、次の和霊山へと歩いて行く。

 

 

 

 

広場の先に『野口 健』さんの名前を書いた杭。そこには総社市観光大使と書かれていた。野口さんと総社市の

関りは分からないが、平成21年から市内の小学校で毎年『環境学校』を開催して、環境についての講演や清掃

活動、そして実際に里山登山を行っているらしい。

山頂広場を過ぎると先ほどの展望所で話した女性に教えてもらった通り下りになって行く。

 

坂道を下りきると参道のような場所に出た。石柱の奥には屋根瓦が見えた。

愛媛の宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとされる神社だが、拝殿の横には絵馬殿を兼ねた城壁のような神門。そ

の下には参道の石段が続いていた。

 

 

 

神門をくぐると拝殿までの廻廊がある。山中に合って、こじんまりとはしているが格式を感じられる神社だ。

 

 

 

和霊山は拝殿の東奥が取り付きになっていた。ピンクのテープがなかったら分かりにくい場所だった。その取り

つきから少し歩くと和霊山。周りは木々に囲まれてピークらしくなく、山名札がなければ通り過ぎてしまいそう

な場所だった。

 

 

和霊山からもしばらくは下り坂が続く。陽だまりの気持ちのいい竹林を過ぎ、さらに歩いて行くと可愛らしく飾

られた山名札のかかった由加山に着いた。山の中にある木の枝や石をオブジェにして飾っている。そう言えば同

じような感じのものが三頭山にも飾ってあったな。

 

 

 

その横には手作りの木箱の中には、女の子が大切にしまっているような小物?が置かれていた。ここまで途中の

道はあまり歩かれていない様子だったが、この場所を大切に思っている人がいるのだろう。

 

 

 

時間はもう少しで12時。そろそろお腹が空いてきたが、ここや和霊山よりはせっかくなら眺望のいい福山まで

戻ってお昼にしたい。写真を撮った後すぐに折り返す。

福山和霊神社との間の鞍部まで戻ると、道は西に向かって二手に分かれていた。その一方の道標に猿田彦神社

と書かれていたので、その左側の道に歩いて行く。

すると青年が前から歩いてきた。下から登ってきたが福山への道が分からないと言うので、YAMAPの地図を

見ながら、『猿田彦神社から道がつづいているようですよ』と教えてあげる。

森の中にひっそりと佇む拝殿と奥社。その左奥に福山山頂への石段が続いていた。

 

 

 

ここにも石にペイントした可愛らしいオブジェが置いてあった。

 

 

石段を登り山頂に着くと先ほどいた老夫婦の姿はなく、同じベンチに腰掛けカップ麺にお湯を注いでお昼にする。

カップ麺を食べた後ずっと気になっていた場所を探しに歩いていると、またさっきの青年が前から歩いてきた。

『すみません、1234段の階段はどこにあるか知ってますか?』と今度は私が質問すると、丁寧にその場所ま

で案内してくれた。その1234段の階段は山頂北側の総社市が見える展望所の横にあった。

地形図には西に向かって続いていたので、こちら側(北側)にあるとは思わず探し回っていた。

1234段といえば金毘羅さんの本宮までの石段より多く、奥社までの石段1368段より少し少ないくらいの

段数だ。青年によるとやはり段数が多くてこちらから登ってくる人は少ないそうだ。

 

 

青年にお礼を言って別れた後、今日のメインディシュの巨岩のある幸山へと向かう。山頂広場から和霊山への道

を少し歩くと妙見展望台と書かれた道標が建っていた。その道標のある分岐から北に向かって下って行くと東屋

のある妙見展望台。東屋の下では年配の男性と女性が休憩していた。挨拶をしたあと、今日のここまでのルート

を話をして最後にこれから幸山に行くつもりだと話をすると、『ほんとうは幸山から福山へと歩くと幸福になる

んだよ!』と。ガ~~~ン!そう言えばたしかスタート地点にあった案内板にも『幸山から福山へ・幸福の径』

と書いてあった。(T_T)/~~~

 

 

 

 

そうか『幸福ではなくて福幸になってしまったのか』と思いながら眺望を眺めていると、男性が東屋の前で見下

ろし指さしながら幸山の場所を教えてくれた。今度は女性の方が『この下に大きな八畳岩があるわよ!』と教え

てくれるので、『ハイ、それを目当てに今日は来ました』と返事をする。

妙見展望台から年配の二人と分かれてさらに下って行くと、岩の上にまた小さなオブジェ。カエルを模した竹で

作られたオブジェはまるで『無事に帰りなさいね!』と言っているようだ。

無事カエルからシダの道を降りて行くと目の前に写真で見た巨岩が現れた。

 

 

 

その巨岩の上には三重の石塔が載っている。この大きな岩の上まで梯子でもかけて持ち上げたのだろうか?また

ここまで運んでくるのも大変だっただろうに。三重の石塔の岩の下が八畳岩になっていた。この岩と同じように

平らになった岩を八畳岩と呼んでいるのがあちらこちらにある。どこの岩も八畳岩と呼ばれて、けっして六畳岩

と名付けられている岩はない。広さ的にも六畳よりも八畳の方が広く感じるし、八という数字が縁起がいいから

だろうか?ただ先月登った小豆島の千畳岩はちょっと誇大過ぎた。

 

 

 

 

その八畳岩に腰掛けて麓に見える景色を眺めていると、田園風景の奥に備中国分寺の五重塔が見えた。たしか

WOC登山部が昨日訪れていた場所だ。この八畳岩とその上の大岩との間が挟み岩と呼ばれる岩があった。

どこからか転げてきたように見える岩が、巨岩と巨岩の間に挟まってここで留まっているように見える。

 

 

さらにその下にも八畳岩より少しだけ小ぶりな岩があった。どうやら八畳岩は三段になっている?

その岩の端はダイダイコケが付いてオレンジ色になっている。ただ小ぶりと思ったこの岩も回り込んで下まで降

りてみるととんでもなく大きな岩だった。

 

 

 

岩には毘沙門天磨崖仏が刻まれていた。そしてその足元には石仏が並んでいた。今日のルート福山山頂や和霊神

、そしてこの場所もきれいに掃き整っていて、日ごろから熱心に清掃をする人たちがいるのだろう。

 

 

 

八畳岩からさらに下って行くと幸山に着いた。この山も三方が絶壁で守りやすく攻めにくい天然の要塞となって

いて条件のいい山城となっていた。

 

 

 

城跡は山頂札のさらに下にあった。山頂と共に広場となった場所には幸山城跡と彫られた石柱が建っている。そ

の足もとにはまた今度は石の猫。

 

 

 

この城跡も山城らしく眺望が開けていて、正面には鬼ノ城、そして先ほども見えた国分寺の五重塔も見える。

500年近く前にこの城の城主も同じ景色を眺めていたのだろうか?

 

 

展望ヶ所から少し左に移動すると車を停めたふれあい広場が見えた。城跡から幸山へ、さらに先まで戻って下っ

て行く。登山道はよく整備されていて、分岐分岐には道標が建っている。平日にも関わらずそして薄氷が張るほ

ど寒い中でも、結構な人が歩いている総社を代表する里山。一番高い福山でも僅か300mほどの標高だったが

所々で眺望が開けていて、道々も変化があって楽しい楽しい里山歩きができた。

 

 


西行法師の歩いた鎌ノ刃越から前山へ!

2025年02月13日 | 香川の里山

崇徳上皇と歌を通して親交があった西行は、保元の乱に敗れ、讃岐の地に配流された上皇のことを気にかけてい

ましたが、生前に訪れることはできず、崇徳上皇が崩御されて3年後、坂出市の王越に上陸し鎌ノ刃峠を越え、そ

の南にある経ノ田尾峠を越えて白峯御陵を詣でたとされている。

その白峰御陵で世を恨んで怨霊と化した崇徳上皇に西行法師は『よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は

何にかはせん』と詠んでその怒りを鎮めたそうだ。

今日は丁度一年前に歩いたその鎌ノ刃峠から西の稜線上にある前山を、WOC登山部のメンバーと再訪した。

 

スタートはその鎌ノ刃峠の麓にある厳島神社。桜の古木の並ぶ参道の鳥居を潜って坂道を登って行くと神社の駐

車場。先週とほぼ同じメンバーとひなちゃんで、まずは朱色の柱や梁と銅板の緑青の屋根が立派な社殿の厳島神

に参拝する。

 

その後境内から石段を降り、城壁を思わすような背の高い石垣の横を通ってコンクリート道を登って行く。昨年

来た時にはまだ工事中だった松ケ浦池の工事は完了して、きれいな堤体ができていた。道の脇には水仙が咲き、

ミニ霊場の石仏が並んでいた。

 

 

 

コンクリート道が九十九折れになってくると次第に傾斜が急になってい来る。すると里山あるあるの、ワイヤー

メッシュを立てて並べた猪避けの柵が道を塞いでいた。どこの柵もゲート部分が紐で括って開かないようにして

いるのだが、ここのゲートはその鉄筋を加工して引掛けているだけで開けやすくなっていた。

 

大屋冨揚水場の施設の横を通りさらに登って行くと、安山岩の露岩が道の横にも表れ、正面には大屋冨のロック

クライミン場として使われている大岩壁が近づいてくる。その岩壁をよくよく見ると先般小豆島の吉田の岩場で

も見かけたダイダイゴケの一種で、岩壁の所々がオレンジ色に見える。

 

 

 

何度か九十九に折れて標高を上げていくと、何度目かの曲がりぱなに右に続く道がある。前回興味本位でその道

を進んで行くとロッククライミング場の岩壁の足元に着いた。その話をしていたので当然西の奥様は躊躇なくそ

の道の奥へと歩いて行く。

すると目の前に練習場のコテージ風の小屋が現れる。小屋の壁には『しわく山の会 オレンジヒュッテ』と書い

た表札?がかかっていた。

 

岩壁にはルートごとに名前が付けられていて、何通りもルートがあるようでボルトが打ち込まれている。小豆島

の岩壁と比べると凹凸があって登りやすそうだったが、もちろん素人には手に負えない。

ただ西の奥様がそれで黙って指をくわえているだけで済むわけはなく、一応登った風で奥様がポーズを決め込む。

 

 

 

石鎚の東陵でお会いした紙ふうせんさんもここで練習していたのをYAMAPにアップしていたが、日曜日とか

だと練習をしている人の姿もありそうなので、一度は実際に登っている様子を見てみたいものだ。

写真を撮ったあとひなちゃんとやっさんの待つヘアピンカーブまで戻る。そのカーブの道の下には目を疑うよう

な大量の不法投棄。その先には何十年も前の古い車も捨てられていた。

 

 

コンクリート道が稜線に出ると西に向かって道は続いていたが、反対に山道に入って行くと北側に大きなお地蔵

さんが祭られていた。実際の峠はここからさらに東に行った場所なのだが、ここでコンクリート道へと引き返す。

道標に書かれた壇の峯が前山で笹原の峯が五色台の休暇村の辺りにあるようだ。

 

 

コンクリート道を西に進んで、テープを目印に尾根へと取り付く。海岸沿いの山では表土が少なくても乾燥に強

いウバメガシが多いが、そのウバメガシの林の尾根を登って行くと次第に露岩が現れ、その先では平らなテーブ

ル尾根になった。

先週歩いた城山も同様のメサ地形で、山頂付近は讃岐岩質安山岩の崖で覆われ麓に近いほど傾斜が緩やかになり、

ミカンの栽培地として利用されている。

 

 

 

山頂付近は広く平らになっていて、山名標がなければ山頂だとはまず分からない。337mの標高は同じメサ地

形の屋島より少し高い。気温は先週と比べてさほど変わらないが、とにかく風がほとんどないので体感温度が随

分と違う。

 

 

記念撮影のあとは踏み跡の薄い広い尾根の樹林帯の中を、テープを目印に木々間を右に左にと避けながら西に向

かって行く。

 

 

 

すると尾根の右側に一つ目のパラグライダー場に出た。麓には西行法師が船で着いた王越の乃生の湾。その横に

おむずび山ぽい王越山が見える。その王越山の肩に小槌島、その沖には大槌島が見える。なんとWOC登山部では

その大槌島にチャーターの船で上陸して三角点を踏んでいる。ただそれも誰が言い出しっぺかは想像がつく。沿

岸部の里山はこんな景色が眺められるのがいい。全員でそんな景色に感心しているとやっさんが『飛んでみて』

と声をかけると、あっちゃん2号が手を広げたが、残念ただのラジオ体操に見える。

 

 

 

 

パラグライダー場の後ろには先週と同じように木にロープをぶら下げてブランコ?を造っていた。そのブランコ

にぶら下がろうとするあっちゃん1号を『ダメダメ枝が折れると!』全員が制止する。油断も隙もあったもんじ

ゃない。

 

一つ目のパラグライダー場からは次のパラグライダー場との間に、荷物の運搬用のモノレールが造られている。

その途中にはクレオパトラの横顔岩。(スフィンクスの横顔?)

 

 

この辺りから雪がちらつき始めた。天気予報では昼から崩れそうだったので、集合時間を1時間早くしたのだが、

気の早い雪雲がいたようだ。二つ目のパラグライダー場は先ほどと反対の尾根の西側に開けていた。

昨年はここから中讃方面の里山が見えたが、生憎の空模様で遠くの山は望めない。

 

 

 

 

ここでもやっさんが『飛んでみて!』と言うと、今度はあっちゃん1号が手を広げて走り始めたが、チョコプラ

のTT兄弟にしか見えない。

 

 

ここで雪が本降りになってきたので、ザックカバーを付けて歩き始める。尾根の地道はこの先の227m標高点

のピークの手前まで続いている。今日の山道は鎌ノ刃峠から一つ目のハンググライダー場辺りまでで、あとはほ

ぼ下道歩き。前を歩く奥様たちは途中にあるお地蔵さまに気づく様子もなくお話に夢中で歩いている。

 

 

 

標高点の手前では東西に降りる道と北に向かう道の交差点になっていた。ここでひなちゃんが『以前に来た時に

ここから北に向かって歩いて藪の中になって前山にたどり着けなかった』と言っている。さっきの前山は樹林帯

の中だったが決して藪ではなかった。それをしきりに藪だったはずと言っている訳が分った。全く逆の方向に歩

いていたようだ。交差点の横では家畜を飼っていたのだろうか、柵で囲まれた廃屋が一軒残っていた。

 

尾根の交差点からはコンクリート道になる。ここでも車で登って来られるので、違法投棄が目立った。何なら大

きな冷蔵庫まで捨ててある。

 

 

コンクリート道が尾根まで続いているという事は、以前はミカン畑もあったのだろう。その面影に石垣が尾根近

くにも残っている。そして使われていな錆びたモノレールも・・・・。

 

 

 

コンクリート道を下るにつれて空が明るくなってきた。前回パラグライダー場から見えた景色と同じくらい遠く

の里山も見え始めた。先週歩いた城山から続く郷師山・金山・常山。その横に背の低い笠山角山・聖通寺山

そしてその真ん中に一番背の高い飯野山。坂出の里山がほぼ見渡せる。

 

 

 

道の傍らにモノレールの荷車。随分前からずっとミカン畑や山間部の急斜面に造られたモノレールに乗ってみた

いとあこがれていた。つるぎ町の一宇の十家の集落には道路はなく、このモノレールが唯一の交通手段だった。

国道横のモノレール駅の横を通るたびに、急斜面をトコトコと登って行く姿を想像してほのぼのしたものを感じ

ていた。

 

 

こちら側のコンクリート道にも猪避けの柵があった。こちらは登りの時と違っていつもの紐でゲートが括られて

いた。その先の猪捕獲の檻になぜかタヌキの死体が横たわっていた。檻の扉は開いているのになぜ中で死んでい

るのか。毒でももられていたかな?二週続けてキツネとタヌキ。ひょっとして化かされているのかも。

 

 

空はますます明るくなってきて、瀬戸大橋もくっきり見え始めた。集合時間を1時間早めたのが返って仇になっ

たかな。朝の弱い西の奥様には恨まれそうだ。

ミカン畑を抜け県道に降りる手前に相模防大権現。白峰時の鎮守とする日本八天狗の一狗である相模坊がこの場

所にも祭られている。

 

 

 

 

相模坊大権現から県道に降り、車を停めた厳島神社へと歩いて行く。途中には広大な畑に作付けをしているビニ

ールハウスがあった。かつて瀬戸内の沿岸部では塩田が広がっていた一方で、瀬戸内式気候で年間の降水量が全

国平均の2/3程度で度々水不足に悩まされてきた。そんな香川県坂出市の沿岸部に転機が訪れたのは昭和40年代

後半の頃。塩作りの方法がイオン交換膜を用いる方法に切り替わり、塩田の一部は製塩工場などの工場用地に生ま

れ変わったほか、時を同じくして香川用水が通水し、塩田への客土によってその一部は農地に劇的な転換を果たす。

その農地の遊休農地を含む何百という圃場を近隣の農家さんから借りて「大」小作人になることで、何十haもの面

積を耕作することが可能となったそうだ。同じように規模拡大を進める近隣の農園と力を合わせ、販売、栽培、そ

の他色々なことに工夫して一年を通して田畑を耕してのが大屋冨町の木下農園グループだ。

 

 

背の低いビニールハウスの中には大根が植えられていた。『ビニールハウスで大根を作っているのを初めて見た

わ』と奥様たち。そんなビニールハウスを見ながら集落の中を歩いて行くと厳島神社に着いた。

今日は時間的に早いのと天気がイマイチなので、お弁当ではなくお店でランチにしましょうと案内していたので、

駐車場からWOC登山部の山さん行きつけのお店に移動。

ほとんど下道歩きで楽々だった今日のランチにしては完全にカロリーオーバー。分かっているけど美味しそうな

メニューを前に注文してしまって、お腹の浮き輪は減らない自業自得の半日だった。

 

 


最強寒波だ、不動の滝の氷瀑だ!

2025年02月06日 | 香川の里山

テレビの天気予報のコーナーでは気象予報士がしきりに『今週は日本列島が今シーズン最強寒波に覆われます!

』と天気図を指さしながら説明していた。

それならと、坂出の城山不動の滝がひょっとして凍ってないかと思って、予定していた別の里山を変更してW

OC登山部のFBに案内してみた。ルートはYAMAPのからちゃんさんの周回ルートを参考にして西庄の別宮神

を起点としてみた。集合場所の国道11号線の西庄高架下には男性3名、女性3名の6名が今回集まった。

高架下の日陰ではさすがに寒すぎるので、挨拶もそこそこに直ぐにスタートする。

 

 

国道の側道から歩道へと進み、高松カントリーの大きな看板から不動の滝登山口の矢印に沿って山の中へと入っ

て行く。その入り口の歩道にはなぜかバナナの皮が散らばっていた。日が経って古いのもあれば真新しいのもあ

る。『おサルさんがここで一服してるんやろか?』と冗談を言ったが、誰かがここで散歩途中で毎回捨てている

のだろうか、それともバナナの皮で滑って転ぶ人がいないかと、愉快犯の仕業か!

 

 

 

国道から地道に入ると『里山整備中』の看板。最近どこの山でも地元の人が色々と里山に手を入れているのを見

かける事が多い。特に三豊市辺りの里山は山頂付近は眺望確保のために木々が伐採され、所によっては山頂から

の眺望を写真に写して、その写真に山名を書き込んでパネルにしている山もあって、まるで観光地の様相だ。

果たしてそれがいいのかどうか?疑問に思うが、この道はどうなっているのだろう、なんて思いながら歩いて行

くと車が一台停まっていた。車は2~3台なんとか停められるスペースがある。ここからが登山道になる。

 

登山道は場所によっては土嚢袋を置いて階段状にして歩きやすくしているが、手すり用に張られたロープが道を

横断していて、何度も跨いで行かなければならない。その内に目の前に巨大な砂防ダムが現れる。

 

 

ダムの突堤の横まで登ると沢沿いの道になる。その沢からは水の流れる音が聞こえている。するとあっちゃん

『あれ~けっこう水が流れているわね!』と一言。たしかに聞こえてくる水の音からして結構な水量だ。果たし

不動の滝は凍っているのか?気になり始めた。

取りあえず『案内に書いたように、凍っていなくても免責で!』と言い訳をする。

 

 

 

 

ベンチが二つ置かれた場所からはさらに道の傾斜が急になってきた。そして例のロープも続いていて、それを跨

いだり潜ったり。先ほどのあっちゃんの言葉がどんどん重くのしかかってくる。『ひょっとしたらツララが1本

くらいはあるかもしれません』と再度言い訳してみる。

するとツルツル凍った足元の岩が目に飛び込んできた。『ヌ・ヌ・ヌ~これは期待できるかも』と少し目の前が

明るくなってきた。

 

 

 

 

 

そうなると足取りも軽くなりどんどん登って行くと、城壁を思わすような皇寺奥の院の摩尼珠院の石積みが見え

ると先頭を歩くルリちゃんが、『白く見えるのは水の流れでなくて凍っているのよね!』と言っている。

『多分凍っているんだと思いますよ!』と答えながら期待感がどんどん膨らんでいく。

 

 

弘法大師修行の際、岩壁に不動の像を刻んだことから不動の滝と名付けられたと謂れている。その謂れと弘法大

師が摩尼珠院を創設したという事で、弘法大師像とその後昭和八年にこの不動の滝を開いたという塩田芳一師

像が滝の横に祭られていた。

 

 

不動の滝は完全氷結とはいかないが、段々になった岩壁から溢れた水が凍り、何十・何百本のツララとなり凍っ

た姿を我々に見せてくれた。滝の横では駐車場に停まっていた車の持ち主だろうか、大きなカメラを抱えて熱心

に凍った不動の滝を写していた。

 

 

 

 

滝の脇には緑の目をした不動明王が鎮座していて、訪れる人を見下ろしている。

 

 

 

ひとしきり不動の滝を眺めた後は山頂へと登って行く。滝の前に架かる赤い橋を渡り、水口・城門と書かれた案

内板に沿って登って行くと、メサ地形の特徴の頂部付近の露出した安山岩の岩壁は、屋島の冠ケ嶽でも見られる

巨大な岩壁。その下をトラバースしながら高度を上げていく。

 

 

巨岩の前で折り返してさらに登って行くと滝へと流れ込む沢沿いの道になる。途中で綾北展望台の案内板が木の

枝に掛けられていて、前回WOC登山部で来た時はその案内板に沿って左に沢へと降りて行ったが、今日はそのま

ま沢沿いを直進する初めて歩く道。

すると前の方から何やら声がした。近づいて行くとWOC登山部のメンバーのさおりんとゆかりんだった。

話を聞いてみると今日は垂水町の寅食堂でランチの予約をしていて、それまでに歩ける場所という事で山の上に

車を停めて不動の滝へ降りて行く途中だそうだ。

 

 

 

二人と分かれて沢沿いの道を歩いて行く。道の脇には登山口の看板に書いていた城山里山の会の人たちが置いた

のかベンチが並んでいる。坂出市内にあってこの沢沿いの素敵な景色はなかなか無い。この時期は別にして、ベ

ンチに腰掛けコーヒーでも飲みながら流れる水を眺めるのもいいかもしれない。

 

沢沿いの道は何度か右に左に渡渉する。すでに周りは高松カントリーのゴルフ場の中なのか、ゴルフ場のコース

の間に架かる橋が頭上に見える。

 

 

 

 

沢沿いの道を抜けるとスズタケが刈られた道になる。道の脇にはため池。道にはゴルフ場から飛んできたゴルフ

ボールが目立ち始める。

 

 

 

スズタケ原を抜けると一旦舗装路に出た。白いゲートの脇を抜けると民家や施設の建物がある小さな集落になる。

ここで少し寄道。からちゃんさんが活動日記に書いていた西庄小学校の分校跡を見てみたいと思い、二股になっ

た道の左奥へ歩いて行く。すると突き当りはただの民家で人の住む気配はなかった。

諦め戻って行く途中に山側にある廃屋の横にブランコがあるのをルリちゃんが見つけた。鉄製のブランコは運動

場によくあるブランコ。するとその横の廃屋が分校という事になるが、もうすでに木々に囲まれ埋もれてしまっ

ていた。

 

 

分校跡から二股まで戻り左に舗装路を進んで行く。ポツポツと建つ民家や鶏舎のような建物の横を通り、ゴルフ

場のコースを横目に見ながらさらに進んでい行くと県道に出た。

 

 

 

県道の脇にはどでかいアメ車のカマロが捨てられている。その横に『頂上へ登り口』と書かれた道標が木の枝に

掛けられていた。舗装路から道標に従ってまた登山道へと入って行く。

 

 

先ほど見えたゴルフ場のコースを左に見ながら登って行くと、1メートルほどの高さの石塁が目の前に現れた。

城山は名前のとおり古代の山城のあった場所で、山上の平坦部から急斜面に変換する地点にこの石塁と土塁が二

重に巡らされているらしい。

この石塁は上側の車道で分担されているが、車道から斜め上にも続いていた。

車道からからちゃんさんのルート通りに山側に入って行くと、途中から少し藪っぽくなったがここは素直に車道

を歩いた方が良かった。スズタケをかき分け再び車道に出て、あとは道なりに歩いて行くと山頂広場に着いた。

 

 

いつ来てもこの山頂からの眺望は素晴らしい!強風のお陰で空気が澄んで、北側の瀬戸大橋がいつになくくっき

りと見える。南には高松市内、綾川・綾歌の里山が一望できる。南側は雪雲のせいで霞んではいるが、特に目の

前の十瓶山、少し東の六ツ目山・伽藍山・挟箱山のおむすびさん兄弟。そして西に見える堤山・高鉢山岐七

富士など香川の里山らしい特徴的なきれいなおむすび山が一度に眺められる。

 

 

 

 

それにしても風が強い。強風と言うより爆風と言った感じで油断すると足元がグラつく。展望台の中の階段に避

難してお昼ご飯にする。強風のお陰でさっきまで陽が当たっていたと思ったら、入れ替わり立ち代わり直ぐに雪

雲が流れて来て、度々雪が降り始める。

 

 

 

手袋を脱ぐと手が凍えて痛い。今日はこのところ過食ので体重が増えてしまったので、お昼ご飯は食べずに行動

食だけで済ましたが、この寒さのお陰で食欲も全く沸かなかった。県内には7つある一等三角点 城山 462.26m

の石柱はやっぱりデカイ!

ヤモッチさんに写真を撮ってもらった後はすぐさま吹きっさらしの山頂を後にする。

 

 

 

山頂からトイレのある駐車場へと降りると北側にゴルフ場のカントリークラブ越に坂出番ノ洲の瀬居島、その奥

には瀬戸大橋が続いていた。

下りは素直に車道歩きと思ったが、途中の色々書かれた案内板に誘われて、また車道の脇へと入って行く。

 

 

途中テープを見失って木々の間を掴まりながら降りると県道に出た。そのまま県道を下ってカマロが捨てられて

いるヘアピンコーナーを左に折れて、直ぐにガードレールの脇から『古代山城 車道』と書かれた案内板の横を

通って一旦下って行く。車道とはその昔、山頂に立派な家を構えていた長者が、足の悪い娘を車に乗せて一緒に

散歩したという民話が残っている道だ。

 

 

 

 

県道から下るとまた登りの時とは違う小さな沢に出る。その沢に沿ってしばらく下り、一旦沢を渡渉すると今度

はしばらくの間登坂になる。

 

 

 

 

国指定史跡の文化財として指定されている城山。その印なのか『文化財保護委員会』と彫られた石柱が結構な間

隔であったが、そのほとんどが傾くか倒れているかしていた。

ゴルフ場の外周部を廻るようにして続く車道は、外周部までは割と急坂だったが、あとはほぼ平坦な道。外周部

から外れてくると今度は下り坂になり、道は次第に不明瞭になってくる。

 

 

 

ただテープがしっかり付いているので、テープを目印に下って行くと往路で歩いた沢沿いの道に出た。

しかし先に降りて行った二人の姿が見当たらない。『ルリちゃん~!』とあっちゃんが叫ぶと、向こうの方で返

事が聞こえてきた。しばらく待ったがそれでもやってくる気配がない。今度はひろちゃんが『お~い〇〇〇』と

奥様の名前を呼ぶとさっきは返事が返ってきたのに声がしない。『二人の愛は途切れたんですね』と冗談を言っ

ていると、その内に二人がやってきた。どうやら得意の朝ドラの話をしていて道を外れてしまったようだ。

ここでふと気づいた事がある。そうだ今回はあっちゃんが二人になっていた。これからどう書こうか思案の為所

だ。登山道から朝見た『綾北展望所』の案内板に従って沢へと降りて行くと、左手が不動の滝の落ち口になって

いる。段差になった川床を流れる水が飛沫となり、岩の所々を凍らせていた。落ち口に近づいて見ると真下に朝

渡った赤い橋が見えた。

 

 

 

 

この沢の川床は四角い岩が積み重なっていて、まるで人工的に作られた庭園のように見える。川床もそうだが周

りの露岩も四角い形をしたのが多い、火山の噴火でマグマが冷えていく過程でできる柱状節理が横になったよう

にも見える。不動の滝の落ち口を見た後は沢の上流へと歩いて行く。

すると対岸に案内板が見えた。沢を渡ると案内板には『綾北展望所』と書かれていた。

 

 

 

 

綾北展望所の手前に『遠見番所』と書かれたもう一つの展望所があった。緩やかに下っている山裾の奥に綾川と

横津川に挟まれた坂出江尻町辺りが見える。遠見番所となるこの場所、この眺望から遠見は分かるが、番所とな

っている意味が分からない。この場所が昔人の行き来のある交通の要所だったようには思えない。

 

 

 

遠見番所からは北にしばらく歩くと『綾北展望所』。山上から派生する支尾根の端部にあって、かなりの広さで

平場になっている。国道の金山トンネルを高松方面に抜けると支尾根が見え、笹原のように見えるこの綾北展望

が目に付き、いつも気になっていた。展望所には江戸時代に造られた『庚申様』の跡も残っている。

平場の端からは金山トンネルに続く国道を挟んで、左に常山、右に金山を見下ろせた。その二つの山の間の奥に

天霧山が遠く山影を見せていた。

 

 

 

この綾北展望所からあとは別宮八幡宮へ向かって下るだけ。枝に架けられた木の案内板には消えかかった文字で

『別宮八幡宮へ35分』と書かれている。地形図にも八幡宮に向かって破線が続いているが、今回はからちゃん

さんのトラックに沿って下って行ってみる。

 

 

道は次第に荒れて来て踏み跡も薄くなってきたが、やはりテープが所々に巻かれている。

するとからちゃんさんの活動日記に書かれていた巨大なブランコが現れた。背の高い桜の木の幹の両側から、長

いロープでブランコがぶら下がっていたが、こんな場所で子供たちが・・・・・?たしかに目の前の景色を見下

ろしながらブランコを漕いだら、アルプスの少女ハイジの気分になれるかもしれない。

 

 

ブランコから下がって行くと堀割のようになった道が続いていた。『ここを下りますか?』とあっちゃんが聞い

てきたが、掘割の道は大抵荒れていて石がゴロゴロしているので、そのまま土手を降りると声をかけた。

地形図の破線からは外れていたが、先ほどの案内板とは違って新しそうな立派な案内版が木の幹に掛かっていた。

但し道は不明瞭で落ち葉に埋もれて踏み跡もほとんどない。

 

 

暫くすると堀割の道も浅くなってきたのでその中を歩いて行く。次第に道に積もった落ち葉の高さが深くなって

いく。掘割を抜け出ると脇にキツネの遺体が横たわっていた。県内の里山でキツネを見たのはこれで2度目。こ

城山にも生息していたんだ。

 

 

 

その場所からはまもなく別宮八幡宮の裏に飛び出した。別宮八幡宮手水はなかったが立派な龍の手水の水元に、

境内もきれいに掃除が行き届いていた。

 

 

 

今まであまり経験したことのない強風と寒さの中、歩行中はさほどでもなかったが、山頂では手袋を脱ぐと凍傷

になってしまうのではと思うくらい気温も低く、風速1メートルで体感温度が1度下がるというのを実感。

最強寒波は噂?通りの最強!里山でも決して侮れない。


おっ・と・と・と~~皇踏山

2025年01月30日 | 香川の里山

昨年の秋の寒霞渓の馬の背に始まって今回で6度目の訪問になる小豆島

今までも紅葉の時期などに何度かは続けて通ったことはあったけれど、1シーズンに6回も出かけたことはなか

った。それだけ小豆島には魅力的な里山がある。

今回はその小豆島の拠点となる土庄から間近に見える皇踏山に出かけてきた。ただ今日は今までとちょっと趣向

を変えて、WOC登山部で案内したところ男性5名女性5名、合わせて10名の参加となった。

岬の分校は無垢な24の瞳だったけれど、今日はおっさんおばさんの20の瞳でスタートする。

 

皇踏山へは土庄港から北回り福田行の島バスに乗り、小馬越のバス停で下車。まずは奥の院笠ケ瀧を目指して集

落の中を歩いて行く。今回のコースは別の山の会で2003年に総勢27名で歩いた道だけれど、なんせ20年

以上も前、小馬越のバス停と奥の院の露岩の急坂の参道の記憶が薄く残るだけだった。

奥の院の案内板に沿って歩いて行くと、さっそく道の北側に岩壁にへばりつくようにして建つ奥の院が見えた。

 

 

まずは途中にある小豆島霊場72番 瀧湖寺(りょうこうじ)を訪れる。昭和49年の大火で境内の大半を焼失

した後再建された本堂は、コンクリート造りで立派に建て替えられていた。本堂の前では蠟梅の花が甘い香りを

漂わせていた。

 

 

 

本堂の中に入りお参りした後、その瀧湖寺の西側を山に向かって歩いて行く。まずは左に曲がって次に奥の院へ

の道標が立っている分岐を右に曲がって山際まで来ると、奥の院への厄除段・寿命段・招福段と呼ばれる石段が

始まる。

 

 

その苔むした自然石の石段を登りきると黄金色の鐘。この鐘撞堂の裏手から最初の露岩のゴツゴツした参道にな

る。

 

 

その鎖の手すりの続く露岩を登って行くとトイレと大師堂のある広場に着く。ベンチの置かれた広場には猫が数

匹たむろしていた。近寄ると逃げる子もいるが人馴れしている子もいる。

 

 

全員が登ってきたところで二つ目の露岩の参道を登る。目の前には断崖絶壁に建つ本堂が待ち構えている。参道

の真ん中にはしっかりとした鉄製の手すり。その手すりを握りながらゴツゴツ、デコボコした岩を登って行く。

 

 

 

この露岩は小豆島のあちらこちらで見られる溶岩の一種で、皇踏山溶岩流と呼ばれカチカチに固まりビクともし

ない露岩の参道になっている。中央部分の鉄製の手すりには、寄進者の名前が刻まれていた。

 

 

以前は本堂の脇から鉄製の梯子状になった岩壁を登り、最後は鎖を登って行くと、本堂の上にある十三重の塔へ

と登れたが、今は竹で蓋をされて登れなくなっていた。まあでも奥様が要らぬ考えを起こさなくてちょうど良か

った。本堂の横の行場の鎖が岩壁に垂れているがこちらも登ってはいけないと注意書きが書いてある。

本堂へは洞窟の中から入って行く。暗がりの中を進んで行くと小さな明かりが足元を照らしてくれる。途中には

六角形の穴の『幸せくぐり』(東大寺にもあるような)があったが、その大きさから誰一人潜ろうとはしない。

(洞窟から本堂の中は撮影禁止になっている)

 

 

 

 

本堂には女性に人気の『願掛指輪』があり、願いが叶ったら指輪を返すようになっている。その返された指輪を

見て、誰かが『なんで指輪を置いてるんやろ?』と言うと、その横で『離婚したとか相手が亡くなったとか』な

どと不謹慎な答えを言っている(笑)

本堂のお参りを済ませて登ってきた第二の参道を広場まで下って行く。けっこう急なので登りよりも下りの方が

が足運びが難しい。

広場まで降りると、西側にある鐘撞堂の奥からへんろ道へと入って行く。

 

 

鐘撞堂からはしばらくは露岩の斜面を歩いて行く。ただこちらの露岩もしっかりしているので、ゆっくり歩いて

行けば問題はない。

 

 

 

露岩を過ぎると皇踏山へと続く尾根になる。尾根に出ると右側に『きよめの不動明王』と書かれ囲まれた中に不

動明王が祭られている。その不動明王の脇からは東に尾根を伝って、本堂の上にある十三重石塔にこちらからも

登れるのだが、今は通行禁止になっている。

 

不動明王からは尾根の快適な道。クヌギやウバメカシの落ち葉を踏みながら歩いて行く。

 

 

すると道の脇に異形の岩が。その先にも今度は道の真ん中にもう一回り大きな岩が立っていた。脇の木の枝には

松茸岩と書かれている。寒霞渓の裏八景の登山道にも松茸岩はあったが、大きさはともかくこちらの方が形的に

はよく似ている。裏八景の松茸岩がそうだったように、この松茸岩も下の部分は「火山角礫岩(かざんかくれき

がん)」と呼ばれる石で、 火山から噴出した岩石が降り積もり、 それが長い年月をかけて浸食されたもののよ

うだ。松茸岩とはべつにこの岩を子宝岩と呼ぶ人もいた。(笑)

 

 

この時期尾根道に咲く花はなく、白と薄紫の小さなコウヤボウキが北側から吹き上げてくる風に揺れていた。

道にはこの強風のせいか、かなり落ち葉が積もっている。いつもなら若干1名そろそろ騒ぎ出すのだが、WOC登

山部のメンバーにはもう1名『腹減った大臣』がいる。そう『腹減った~腹減った~!』と山さんが騒いでいる。

といってももう時間は12時を過ぎている。後ろからくるもう一人の『腹減った大臣』の奥様は、振り向くとひ

とり立ち止まってチャッカリおにぎりを頬張っていた。

 

 

 

お昼ご飯の予定にした展望台の手前には吉田の千畳ケ岳でも見た石垣が並んでいた。『こんな尾根にも猪垣?』

と思いながら歩いて行くと展望台に着いた。展望台からは小豆島の最南端になる地蔵埼灯台のある三都半島が低

い峰々を従えながら続いている。

 

 

 

尾根の南に向かって開けた展望台は幸い北からの風がほとんど当たらず、各々広がる景色を眺めながらお弁当を

広げる。こんな寒い日はやはり温かい出汁のカップ麵に限る。説明版に書かれている通り、確かにここから夕陽

を眺めたら最高だろうな~。

展望台の後ろには先ほど見た石垣と同じ猪垣が尾根に沿って並んでいた。

 

 

 

お昼ご飯を食べた後は奥様から温かいコーヒーの振る舞い。カップ麺とコーヒーで身体は中から十分温まった。

展望台を後に皇踏山に向かって歩いて行くと尾根道の北側にずっと石垣が続いている。一部では猪垣ではなく

山城の石塁だと考える人もいるようだが、途中にはその内容が書かれた説明版があった。そこにはなんとこの石

積みが島内に延長百数十キロにもなると書いている。

 

 

道は途中で二股に分かれていて左の道を進んで行くと東権現社があった。この皇踏山山頂には東西二つの権現が

あり東権現社は巨石が集められ、神の鎮座する磐境 (いわさか) となっていて、敷地内には篭り堂が置かれている。

 

この東権現社からさらに進んで行くと芝生広場園地に出る。こちらも先ほどの展望台と同じように南に向かって

の眺望が広がっていた。麓には満ち潮で完全に独立した小島になったエンジェルロードが見える。

この園地は突き当りになっていたので、引き返して二股で左に来たのを右に進んで行く。

 

 

途中には『天狗の松』と書かれた場所を右に入って行くと、奥まった場所に祠と倒木があるだけだった。

天狗の松から先でまた分岐。道標に従って右に折れて大岩がゴロゴロしている中を歩いて行くと猫の額ほどの

踏山山頂に着いた。

 

 

 

 

山頂には 三等三角点 淵崎 393.67m。記念撮影でセルフタイマーでシャッターを押した山さん。三脚を置い

た場所から足元が悪くて何とかギリギリ間に合った。

 

 

山頂からも一旦戻って分岐から更に西に向かって歩いて行くと、西権現社。先ほどの東権現社は北山地区の権現

さん。こちらは麓の淵崎地区の方の権現さんになる。

 

 

 

 

西権現社の拝殿から南に下がって行くと三つ目の展望台。最初の展望台と比べると、土庄の町に随分と近づいて

きた。いつもは波静かな土庄港の湾内にも白波が立っているのが見える。

 

 

 

展望台の脇から淵崎への下りの道になる。滑りやすい危なげな場所にはロープが張られていて助かる。

対岸の屋島もそうだが、山頂近くの頂部は断崖になっていてそこから標高が下がるにつれて傾斜は緩やかになっ

ていく。

 

 

 

すると後ろから来ていた奥様が私を呼び止めた。ピンクのテープを指さして『ここから奥に見える岩場に行ける

かも?』とおっしゃる。今日は他のメンバーもいるのでおとなしくしていると思いきや、先ほどから下りながら

左手に木々の間から見えている岩肌を見て様子を伺っていたようだ。

『仕方がない・・・・』。前を降りて行くメンバーに『寄り道してみるので先に行ってください!』と声をかけ

る。ピンクのテープから木々をかき分け下って行くと、確かに踏み跡があるような、ないような。

すると谷筋の岩の上に出た。その奥にも踏み跡らしきものが・・・・。

 

 

谷筋を渡って木々に掴まりながら登って行くと岩壁の下に出た。イバラやネズミサシに阻まれながらも少し登っ

てみるが、まだまだ上に岩が続いている。地元の里山ならまだしも、今日は帰りのフェリーの時間がある。

見晴らしのいい場所で『今日はここまでかな?』と奥様を説得する。

 

 

 

 

すぐ下には来る前に航空写真で見た砂防ダムが見えた。先に下って行ったメンバーは、山を下りてもう街歩きを

している頃だろう。花崗岩の岩肌は山頂近くの安山岩に比べて風化して脆く崩れやすい。十分に注意して下り、

谷筋から登り返して登山道に戻る。

 

 

 

道は次第に緩やかになり、最後は淵崎の集落に降りたった。民家の間を歩いて行くと再編成の合併で廃校となっ

淵崎の小学校。この小学校は江戸時代になんと岡山県北の津山の飛び地領の陣屋跡だった由緒ある場所にある

小学校だった。ただ長い間水が抜けて乾いて汚れの付いたプールが何とも言えず寂しげだった。

小学校から舗装路をぐるっと回り込んで歩いて行くと、いつもバスの車窓から見た土渕海峡淵崎の本島土庄

町前島の間、最も狭いところで9.93mという事で世界一狭い海峡としてギネスに認定されているらしいが、

パッと見海峡といったイメージは湧いてこない。

 

 

土渕海峡からは土庄港に直ぐには行かずに寄り道をする。朝土庄港の待合にあった土庄の観光案内のパンフレッ

トに載っていた、西光寺の小路を訪ねてみた。土渕海峡から迷路のまちの中を通って少し東に向かって歩いて行

くと、西光寺の小路にある練り塀と呼ばれる練り土で石や瓦を交互に重ね、瓦葺の屋根が付けられた塀の横を通

って行くと、パンフレットで見た通りの風景があった。

片側は練り塀その反対側は杉の板塀。落ち着いた色彩のその奥の朱色の三重の塔とのコントラストが目を引く。

 

 

 

パンフレット通りの写真が撮れて大満足の二人。あとはメンバーの待つフェリー乗り場まで迷路のまちを通って

歩いて行く。迷路のまちは海賊から島民を守るためにとも、南北朝時代の攻防戦に備えたとも云われる、複雑な

路地が続き迷路のようになっている。

その街中は昭和のレトロな建物が多く残り、昭和生まれの年代の私たちには懐かしい散歩道になる。

 

 

 

 

迷路のまちを抜け港に着くと、ちょうどメンバーはフェリーに乗り込んでいた。

過去の5回は比較的暖かい日に出かけていたので汗を掻きながら歩いたが、今日は一日珍しく上着を脱ぐことのな

い寒い一日だった。久しぶりの大勢での山歩き。気の置けない人たちとの楽しい会話。冬の間の里山歩きはまた

WOC登山部での山行もいいな、と思いながらフェリーの中でも楽しくおしゃべりしながら帰った。


『ビシャ岳に内海ロック』って、響きがなんかカッコイイ!

2025年01月23日 | 香川の里山

 

YAMAPのみまもり機能は、登録した相手のLINEに登山中の現在位置が地図上に通知される機能で、私は

奥さんを登録している。当然奥さんはどこの山に出かけているのかが分かるし、万が一の時もおおよそどの辺り

にいるのかがわかる便利な機能だが(普段だと恐ろしい大きなお世話の機能だ)、昨日は『明日はどこの山に、

また小豆島!』と言われてしまった。『あ~やっぱりちゃんと見ているんだ』と思った。

ただそれ以上は前回同様聞かれずに済んで事なきを得たが、奥さんには言えないほんとうに魅力的な岩山が小豆

島にはたくさんある。別段ロッククライミングをするわけではないが、『岩山が・・・』なんて話をすると速攻

で『そんな危ないところ』と言われるのが目に見えている。

 

県内でも珍しいそんな山容の山が点在する小豆島だが、その中でも吉田地区にある山は、岩肌を露わにした岩壁

が連なる特異な風景が目の前に広がっている。

その内のひとつ千畳ケ岳に2週間前に登った時に、山頂から北西に見えた岩塔と岩壁には『ビシャ岳と内海ロッ

』という名前があるのを、家に帰ってこもれびさんむらくもさんのブログを詳しく読み返してみて気づいた。

ただし他の人のブログでも紹介されていたが、二つの名前がそれぞれで食い違っていて、果たしてどの山名が正

解なのかが分からなかった。

そこで今週はもう一度登って確認してみるのと、前回と違うルートで吉田ダムの方へ下りられないかと考えた。

 

二週間経つと陽が登るのも少しづつ早くなっている。

土庄港から北回り福田行のバスに乗り込むのだが、バス停ではルートの違うバスが次々とやってくる。島の人に

とっては無くてはならない交通手段。ただ我々の乗った福田行のバスには我々二人以外はお年寄りが二人だけだ

った。これでは将来にわたってこの路線を維持するのは難しいだろうなと寂しく感じた。

吉田のバス停で降りると直ぐに目の前に岩壁の連なりが目に飛び込んでくる。

すると横に居た奥様が『あれ、ニット帽がないわ』と言い出した。ザックの中を探っても見当たらない。『きっ

とバスの中が暑いので脱いだまま置き忘れたんだわ』と言うので、直ぐにバス停の時刻表に載っているバス会社

に電話して、事情を説明して置き忘れていたら帰りに寄るので取り置きしてくれと頼んだ。

 

 

 

千畳ケ岳の山頂付近には今にも転がり落ちそうな岩塊がいくつも見える。そしてその右側には岩塔のビシャ岳と、

内海ロックの岩壁が見える。さらにその左側には吉田川の岩場。この辺りの岩壁には100以上のロッククライ

ミングのルートがあるそうだが、我々はそんな岩の間に生えた木々の中を伝って登って行く。

 

 

 

まずは82番霊場の吉田庵の横を通り、吉田オートビレッジへ。ここにはこの山域の写真と山名が書かれた案内

板があるのが分かったので立ち寄ってみた。案内板には岩塔がビシャ岳、その横の岩壁が内海ロックと書かれて

いた。これをネットでは逆に書いている人がいたが、地元の案内板が間違いない。

 

 

オートビレッジの西側の舗装路を山に向かって少し歩き、テープがかかった場所から道の脇へと入って行くと、

直ぐの猪避けの柵がある。扉を開けて通り、ちゃんと戸締りをして登って行く。木々に付けられたテープは西に

向かって続いている。そのテープを目印に登って行く。

 

 

途中の山中にあった石積み。前回も目に留まった石積みだったがその時は何の石積みかが分からなかった。帰っ

て読んだこもれびさんのブログには、別の場所で写した同じような石積みに『猪垣?(シシガキ)』と書かれて

いた。山歩きをしていてよく見かける石積みとは異なる乱雑に積まれた石積みはやはり猪垣なのだろう。

昔も今と変わらず害獣には悩まされていたようだ。

 

 

しばらく急登を登って行くと、麓から見えた樹林帯から突き出た岩壁の足元に着く。岩肌には錆びたボルトが点

々と岩の上まで続いているのが見える。

その岩壁を左に巻くと一つ目のロープ場。そのロープ場を登るとちょっとしたトラバース。西の奥様にとっては

『たいしたことないわ』なのだが、人によってはけっこう高度感を感じるはずだ。

 

 

 

トラバースを過ぎるとほぼ岩肌になってくる。徐々に高度感も出て来てそれに伴って眺望もどんどん開けてきた。

 

 

 

この辺りの壁には真新しいボルトが打ち込まれている。でもまあ結構な高さのここまで登って来て、さらにほと

んど垂直の岩を登ろうなんて?

といっても私たちも今日は千畳ケ岳の山頂から見えたビシャ岳や内海ロックへの好奇心からやって来ている。そ

の好奇心が、岩を登る人たちは垂直なだけなのだろう。

 

前回登って来た時に通過した展望岩が山頂直下にあった。千畳ケ岳の山頂ほどは広くはなかったが、同じように

見晴らしはバツグンだ。目の前には千畳ケ岳の岩塊が迫り、麓には吉田川の北側に吉田の小さな集落が見える。

今日は前回ほどは遠くまでは霞がかかっていて見えないが、吉田富士の奥に青い瀬戸の海に白い船が浮かぶ、

のどかで穏やか風景が広がっていた。

 

 

 

 

そんな景色を眺めていると後ろから来た奥様が私の横を通って岩の先端へ!『ダメダメ、見ているこっちがゾク

ゾクとする』と言っても聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか?

 

 

 

展望岩の先にはまた小さなテラスがあった。好奇心旺盛な奥様はまた先へ先へと行ってしまう。その内屈んで何

かを見ていると思ったらボルトにカラビナや朽ちたロープが残っていた。先ほどの新しくボルトが打ち換えられ

たルートと違って、こちらはもう登る人もいないのだろう。

ここからは先ほどの展望岩が見下ろせた。こうやって見るとあそこに立っていたのを思い出しただけでもゾクゾ

クとする。

 

 

 

 

千畳ケ岳の山頂は前回と同じ素晴らしい景色を私たちに見せてくれた。山・川・海そしてひっそりと暮らす人た

ちの集落。吉田川が流れこむ湾は、ここから見ても水がきれいに透き通っているのが伺える。

そしてその反対側を見るとお目当てのビシャ岳と内海ロックが私たちを待ち構えていた。内海ロックは前回吉田

富士に縦走するときに通った展望岩の辺りだ。となれば今日はビシャ岳の岩壁の足元に行ってみたい。

そしてその後、西側に見えているオレンジの岩肌の256.6mの三角点を通って、そこから吉田ダムへと下りたい。

事前にそのルートはYAMAPで『サホさん』が歩いていたのを見て確認している。奥様にも残りの行程を峰々

を眺めながら説明して、千畳ケ岳を後にする。

 

 

 

山頂からは北西にテープを辿りながら一旦下って登り返していく。この辺りはほとんど歩いている人の形跡はな

いが、テープだけはしっかり残っている。人によっては藪コキというのかもしれないが、藪慣れした奥様にはな

んでもないようだ。

 

 

前回は内海ロックに続く尾根にでて北に向かって砕石場を眺めながら歩いたが、今日はその尾根に出る手前で右

下にテープが続いているのを見つけた。『ひょっとしてビシャ岳へのルートか?』と思って歩いて行く。

だがこのテープを辿ると砕石場の見える展望岩のある尾根に出てしまった。そこでGPSを見るとビシャ岳

は行き過ぎていたので、少し戻って地形図に載っている崖地の表記に向かって適当に下って行く。

 

 

ただし何となく踏み跡らしき跡はあるようなないような。木々の密集度が高くてビシャ岳の岩塊もどこにあるの

かが確認できないので、それらしい尾根を辿りながら右に左にと下って行くと目の前に薄っすらと岩陰が見えた。

どうやらビシャ岳の頂部の様だ。

その岩の足元まで降り、際に生えている木の枝をかき分けその先へ。木々の先は岩棚になっていてビシャ岳の頂

部を眺めることができたが、その高さはほんの頭の部分だけで迫力には欠けていた。

ただこれで一応今日の目的地へは到達したことに二人で満足する。

 

 

 

 

その後岩塊に沿って下ってみるが、どれだけ下ってもビシャ岳本来の足元には着きそうもなく、切れ落ちた崖に

もなってきたので途中で引き返す。

ビシャ岳への尾根を外さないように木々をかき分け、木の幹に掴まりながらなんとか海ロックに続く尾根に出

た。その尾根に出る手前から唯一見えたビシャ岳の頂部は、意外にも平らで広かった。

 

 

尾根からは南西に向かって歩いて行く。シダに囲まれた尾根は随分昔に切られただろう古い切株が至る所にあっ

て、時々見えずにつまずきそうになる。

 

 

途中からサホさんの歩いたルートは今度は南東に振って歩いている。そのルートを見ながら尾根から外れて下っ

て行くと次第にシダの海の中へ入って行く。

最初はシダをかき分け悪戦苦闘したが、暫くすると足元は踏まれた感じになってきた。そして途中からピンクの

テープが目に入ってきた。何度かシダの海から這い出たが、その度また海の中への繰り返し。この間は今の時期

以外の季節は厳しいルートだなと思いながら下って行く。

 

 

 

 

足元の見えないシダの海は切株や段差で転びそうになり、平泳ぎのように手を動かしシダをかき分けかき分けで

けっこう疲れてきた。そして時々イバラが行く手を阻む。いい加減シダの海が飽きてきた頃足元に見慣れた白い

杭と石柱があった。四等三角点 灘山 256.78m  だ。

そしてその三角点の先には岩が見え、近づいて見るとオレンジの岩肌。千畳ケ岳から見えたオレンジの岩塊だっ

た。以前に歩いた小野アルプス紅山にもこのダイダイゴケの一種が貼り付いていて、遠くからは見ると朱色に

見えるので紅山と名前が付いたそうだが、全国にも同じように紅山と名前が付く山がある。

山道を走っていると法面のコンクリートに着いたコケにもオレンジ色の苔を見かけるが、それもダイダイゴケの

一種なのだろう。頂部の岩から一段下がった岩肌は、さらに鮮やかなオレンジ色をしていた。

遠くからでも一目で分かるこの岩塊を吉田のダイダイ岩と命名することにした。その横で奥様はおむすびを頬張

っていた。『KAZASHIさんは大丈夫?』と聞かれたが、『千畳ケ岳でチョコレートを食べたので大丈夫です』と

答えたが、これが後々・・・・。

 

 

三角点からは頂部の岩とダイダイ岩の間を下って行く。もしテープがなければ下ろうとは思わないような段差が

ある。ダイダイ岩を降り立ってもシダの道は続いていくが、シダの道にも慣れてきたのか下って行く奥様のスピ

ードは落ちない。

ただひょっとするとダイダイ岩で『12時を過ぎたけれど、ダムの展望台まで降りてお昼ご飯にしましょう』と

言ったせいかもしれない。今までこんなに遅くまで?お昼ご飯を食べなかったことはなかったから、急いで降り

てとにかくお昼ご飯を食べようという思惑か。

振り返ると着色したようにオレンジ色に輝く岩肌。コケと云えばジメジメしたところのイメージがあるが、小野

アルプス紅山も、このダイダイ岩も照り付ける太陽の下で生息している不思議な苔だ。

 

 

 

 

 

ダイダイ岩から下に見えた反射板まで降りてきた。時間は12時30分前。予定ではここからダムの展望台まで

降りて対岸まで渡り、舗装路を少し歩いて吉田へとは下らずに、そのまま福田へと山越えをするつもりなのだが、

距離も高低差も分からず時間が読めない。

展望台までも道はなく露岩の間を抜けて降りて行くのでスピードが上がらない。

 

 

 

 

展望台には着いたのが12時40分。福田発のバスは14時ちょうど。おそらく大丈夫だとは思うが念のため奥

様に『ここでの昼食はパスして福田まで歩きましょう』と言うと、珍しく『いいですよ、さっきおにぎり食べた

し』と仰った。

展望台からはほぼ同じ目線の高さに千畳ケ岳。そして左上にはビシャ岳。そしてもちろん麓には吉田ダムが見下

ろせた。竣工当時は県内では一番の高さを誇っていたが、塩江の椛川ダムができて2番目の高さとなっている。

 

 

 

展望台からダムの左岸の広場に降りると巨大な像が立っていた。筋肉質の女性の像だが奥様がその前に立つと、

その大きさが分かる。ダムが竣工されたのは1988年のバブル真っ盛りの時代。こんな像を立てられるほど、

潤沢な予算があったのだろう。

ダムの上部は天端というそうだが、その天端の腰壁も通路部分も石張りで豪華な造りだ。このダムからは島内全

域に上水道用水が供給されている。

 

 

右岸まで渡るとここにも一風変わった『うるおい』と命名されたモニュメント。1・4トンもの球体の石が、水

圧でくるくる回っていた。

奥様がトイレを済ませている間に私は管理事務所に寄ってダムカードをゲットした。

 

 

モニュメントのある広場から右岸の舗装路を下って行く。地形図では少し下ったところから破線が福田へと続い

ていたが、その破線は82番霊場の吉田庵から83番の福田庵へのへんろ道だろうと予測していたのだが、Goog

leMapのストリートビューで見てみると、取り付き当たりの道の脇にピンクのテープが垂れているのが何となく

見えたが、本当にへんろ道があるかの確信はなかった。

取り付きまで下って行く途中からは対岸の吉田川の岩場の全貌を望むことができた。

地面から突き出した搭状塊状の. 基盤岩の高まり, トール, 岩塔をトアと呼ぶそうだが、全国的に見てもダムの至

近にこれだけのトアが林立している所はないらしい。

 

 

そんな吉田川の岩場を眺めながら歩くと取り付き地点らしい場所に着いた。そこには垂れたテープと共にちゃん

とした『へんろ道』と書かれた案内板が立っていた。そして下手に下る道にはやはり吉田庵への道と書かれてい

る。予測したとおりに福田への道の存在に安堵し、手すりと石段が続くへんろ道を登って行く。

 

 

 

取り付きだけかと思った手すりはほぼ峠まで続いていた。石段や道も荒れていなくて奥様が『お金がかかるだろ

うに誰が整備してるんだろう?』と。ただ私はそれどころではなく、ビシャ岳への急な下りが良くなかったのか、

尾根からダムへの下りが災いしたのか、いつもの左膝に加えて右膝も痛み始めた。その上シャリバテなのか、ま

ったく足が動かない。

峠のお地蔵さんの前で待っていた奥様は『福田の港でバスが来るまでに持ってきたカップラーメン、食べられる

かな?』とお昼ご飯のことで頭の中がいっぱいらしい。(笑)

 

 

峠からの下りでもシャリバテはなんとか収まったものの、膝の痛みは変わらない。相変わらず奥様は『そう言え

ばバス停の横に食堂があったわね。メニューによったら食堂の方が早いかも!』と仰っている。(´▽`)

 

 

山道から町の民家の横に降りたった。狭い道を家々の間を歩いて行くと福田の小学校の横に出た。『生徒たちが

いる雰囲気がしないわね』と奥様。校庭のフェンスに沿って歩いて行くと別の入り口には卒業記念の石が並んで

いたが、平成18年を最後に途切れていた。

 

 

 

福田港のバス停にはバスの発車の15分前に着いた。奥様がバス停横の食堂にすぐさま飛び込んで、『バスの時

刻まで15分しかないんですけど、一番早く食べられるものはありますか?』と聞くとカレーライスを進められ

た。船員カレーと書かれたカレーライスは直ぐに運ばれてきて、慌ただしく食べ終えるとバスの発車1分前だっ

た。バス停のベンチに腰掛ける間もなく定刻通りにバスがやってきた。

 

 

 

時間的にはもう少し余裕がある予定だったが、千畳ケ岳までの展望ヶ所やビシャ岳へのアプローチを楽しんだせ

いで、予想以上に時間を食ってしまったようだ。

土庄に着いてすぐに土庄港のターミナルにあるバス会社に寄ってみると、やはりバスの中に奥様がニット帽を置

き忘れていた。お礼を言ってバス会社を出て今度はフェリー乗り場の待合室の椅子に腰かけていると、待合室の

大きな画面のテレビから、イチロウが大リーグの殿堂入りのニュースが流れていた。その周りではあまり関心が

ないのか、大きな声で中国語が飛び交っていた。

それにしても『ビシャ岳と内海ロック』は名前だけ聞くと本来の意味とは違うだろうが、響きがとにかくロック

な感じがしてかっこいい!

秋から数えて5回目になる小豆島の山歩きは、船で渡るところから始まり島バスで移動するので、プチ旅行気分

が味わえる。岩山登りは今回で一旦おいて置いて、来週は軽めのお山に登る予定だがやっぱりまた小豆島。

今ネット上では特定の対象に夢中になって抜け出せない状態を『沼にハマル』と言うそうだが、まさに小豆島

沼にはまっている私だった。


『YOUは何しにまた小豆島へ!』千畳ケ岳

2025年01月12日 | 香川の里山

 

今日はなぜか『どこに行くん?』と聞かれなかった。もし聞かれて『小豆島!』と答えたなら、『何しにまた小

豆島へ!』と嫌味ぽく聞き返されるだろう。そうなると『小豆島には岩山がたくさんあってスリルがあって』と

は決して言えずに返答に困っていただろう。ただYAMAPのみまもり機能の設定をしているので、どこの山に

出かけたかは結果的には分かってしまうので、家に帰ったなら『また小豆島にいってたん』と言われるかもしれ

ない。その時には『そこに山があるから・・!』と答えよう。

なんて考えを巡らせながら今日も小豆島へ出かけてきた。寒霞渓の馬の背・西の石門洞雲山・碁石山大嶽

あまり県内の里山にはない特徴的なそして魅力的な山が小豆島にはある。そして岩肌登りやロープ場の楽しさに

味を占めた西の奥様に、今日はさらに吉田の三山を提案してみた。

吉田山・吉田富士は以前にWOC登山部で登ったことはあったが、その西にある千畳ケ岳は未登の山。しかも途中

にはロープ場があり、山頂には絶景が広がっているらしい。そうなるともちろん奥様は断る理由もなく、性懲り

もなくまた出かけることとなった。

 

いつもの様に、7時20分発の土庄行のフェリーに乗り、土庄から今回初めて北回り福田行のバスに乗る。但し

フェリーが到着するのが8時20分で、土庄港発のバスが8時21分発なので慌ただしい。私たちは今回平和の

群像前から22分発のバスに乗った。小豆島オリーブバスの料金は150円と300円の二つしか設定されてい

ない。150円区間を過ぎれば今回のように土庄から吉田の様に島でも一番遠くになる地区でも、どれだけ乗っ

ても300円なのだ。

今シーズンは全て島の南側のバス移動だったので、北側の海岸線の景色は新鮮に感じる。クネクネと海岸線を走

るバスは9時5分に吉田のバス停に着いた。

 

 

バスを降りると直ぐに美味しそうな?岩肌が目に飛び込んでくる。吉田ダムの横の岩壁は、吉田の岩場と呼ばれ、

関西からでも大勢のロッククライマーがやって来るらしい。その右側には今日のメインディシュの千畳ケ岳の白

い岩肌が見えている。その千畳ケ岳から北にも緑の山肌の上にびしゃ岳の岩肌が見えている。バス停からはすぐ

吉田川に沿って西に歩いて行く。

 

 

 

川沿いの道の道幅が変わる場所から右にふるさと交流館があるが、登山口はその一つ奥の道に入って行く。

舗装路の脇に登山口の目印の赤テープがぶら下がっていて、ここからはルリちゃんとは別れてあっちゃんと二人

での歩きとなる。

 

 

取り付きからすぐにイノシシ避けの柵があり、通った後はちゃんと戸締りして歩いて行く。常緑樹の木々の中、

あまり陽が当たらず、手袋を脱いで柵の紐を結び直そうとするが、指がかじかんでなかなかうまく結べない。

 

道には落ち葉がたっぷり積もっていて踏み跡が分りづらいが、とにかくテープがけっこうな間隔であるので、

迷うことはない。途中で小さな砂防ダムの突堤を渡ると道の傾斜は急になってくる。

 

 

 

いままで陽が当たらず寒かった身体も、急登になってくるとやはり汗を掻き始め、暑くなってきたので上着を一

枚脱いで登って行く。そのうちに目の前に大きな岩塊が現れる。横から見るとクジラの顔に見える。

 

 

 

そしてその岩肌にボルトが打ち込まれているのをあっちゃんが見つけた。ボルトは岩塊の上の方まで続いている。

その足元から素人の二人がどうやって登って行くのか見上げてみるが、最初のボルトまでで足掛かり、手掛かり

が分からない。二人であ~だ、こ~だと言って結局『分からない、登れない』となった。(そりゃそうだ)

 

 

その岩塊を左に巻いて登って行くと今日最初のロープ場。ロープには結び目があり、足掛かりがあるので高ささ

え気にならなければ簡単に登れる。

そのロープ場を登ると今回一番気になっていたカニの横ばい。ただここも幅は1mにも満たないが、高所恐怖症

でなければ問題がなかった。その足元の下を覗き込んで『ここから落ちてもあそこの木か、その下の木に引っ掛

かるから大したことないわね』とあっちゃん。『たしかに木に引っ掛かって止まるかもしれないけれど、ただで

は済まないです』と私。

 

 

 

トラバースを過ぎて二つ目のロープ場を上がると麓の吉田川と、吉田ダムに続く道を見下ろせた。

ダム横の岩場の頂部なるのだろうか、頭の上に数本立っている木が可愛らしい。

 

 

 

 

 

そこからすぐ上の岩壁にもボルトが埋め込まれている。本格的な岩場は吉田ダムの方にあるらしいが、とにかく

こちらの岩壁もそこらじゅうにルートを作っている。

するとあっちゃんが斜めに走る突起を見て『あそこは登れそう!』なんて言うもんだから登って見せるも、途中

突起が無くなってしまうと半端ない高度感で冷や汗掻いて降りてきた。

 

 

 

 

諦めきれないあっちゃんもチャレンジするもやはり途中で『無理!』と言って降りてきた。

お遊びはやめて岩壁の足元を右に回り込んで、ロープをひとつ登ると目の前にデ~~んと千畳ケ岳の巨岩が目の

前に現れる。

 

 

 

その巨岩の足元を回り込んで北側から登りつめると千畳ケ岳の山頂になる。ただし千畳とはオーバーで、平らな

部分は10畳?位かな。それでも遮るもののないとは正にこの事。360度の大パノラマが広がっていた。

あっちゃん、それ以上先っちょに行かないでね。』見ているこちらの股間がゾクゾクするわ。

 

 

 

 

東にはこれから歩く吉田富士と吉田山

北には瀬戸内海を挟んで赤穂の工業地帯のエントツ群。

足元には吉田の穏やかな湾

そして南は星ケ城から続く稜線と 四等三角点 岩ケ谷 のあるピークが見える。

 

岩の端部にもボルトが打ち込まれていたので、その下はどうなっているのかと思って端に寄ってみるけど、これ

以上は無理です。それをわざわざ寝そべって岩壁の下を覗き込むあっちゃん。『そんなことしたって何もでない

ですよ!』

 

 

 

次に行く吉田富士は東側に見えているけれど、ここから東は断崖絶壁。

岩の北側のすぐ下から、まずは北側に見えているびしゃ岳の岩壁に向かって背の低い木々の中を歩いて行く。一

旦下って登り返すとさっきまでいた千畳ケ岳の平らな頂部が見えた。

 

 

ここでもテープがあるので迷うことはないが、次第に傾斜がきつくなり、シダの茂みを深くなってきた。今の

時期でこの状態なら、夏場になると道は不明瞭になるだろうな。

 

 

急登を登りつめるとやっと稜線に出た。ただしこの尾根は北に向かって続く尾根。しばらくは尾根に沿って北に

向かって歩い、所々で尾根の東側を巻きながら下って行く。

 

 

 

途中で道の北側に展望岩があり、見下ろすと麓の採石場が見えた。今日は土曜日でお休みなのか重機は動いてい

なかった。この採石場の西側にもさらに大きな灘山の採石場があるが、現在はほぼ停止状態にあるという。

大阪城の石垣にも使われ、島の産業として賑わった石材業も、輸入石材に押され、石の用途も変わって廃業する

業者も多いようだ。

 

 

展望岩から少し先で一ヵ所ロープで降り、さらに歩いて行くとまた展望岩に出た。

ここからは吉田富士・吉田山が見下ろせ、千畳ケ岳の平らな岩もよく見える。

 

 

 

 

展望岩からは今までの尾根から外れて、東に向かって吉田富士への尾根になる、このルートで一番長いロープ場

の下り。結び目のあるロープはほんと助かる。

 

 

 

 

長いロープを下りきるとルリちゃんが待っていた。麓から一人で登ってきてここから東の分岐で待っていたが、

待ちきれずにこのロープ場まで来たそうだ。

ロープ場からは踏み跡も薄い樹林帯の中を、テープを目印に下って行く。すると急に花崗岩が風化した幅広い尾

根に出た。目の前には吉田富士の岩塊が直ぐ近くに見える。

 

 

千畳ケ岳までは赤い矢印が岩に書かれてあったけれど、この辺りになると青いスプレーで『吉田フジ』と書かれ

ている。大嶽でも青いスプレーで印が付けられていたけれど、同じ人、山の会の人たちが付けたのだろうか?

 

 

吉田富士の岩塊もピークは広場になっていた。三人そろったのでここでお昼ご飯にする。

ここからは千畳ケ岳から歩いてきた稜線が見渡せた。それにしても今日は風もほとんどなく、青空が広がり青く

広がる海を見渡せ、島ならではの景色が楽しめる

 

 

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたらバスの時間が気になり始めた。北回りのバスの便数は少なく、吉田からの上りの便には

時間的にうまく乗れそうになく、下山後は福田まで県道を歩いて南回りの便に乗ることになる。

本当ならもっとゆっくりしたいところだが、この景色に名残惜しんで吉田富士を後にする。

吉田富士の岩稜は段々になっていて怖くもなく下りやすい。以前にWOC登山部でここに来た時に、下から見上げ

て『私は怖いので登りません』と言って登れなかったNさんは、それ以降かわいそうに『ヘタレ!』と呼ばれる

ようになったのを思い出した。

岩稜を下ると島霊場82番札所吉田庵から登ってくる分岐に着く。しばらくは自然林の中の尾根歩き。

 

 

吉田山が近づくとまた露岩が現れる。振り返って木々の間から見えた千畳ケ岳の頂部は、サイコロを積み上げた

ような形になっていた。尾根の右手の大岩を登ると吉田山山頂。山頂の露岩に腰掛けてあっちゃんルリちゃん

に、歩いてきたルートを説明している。

 

 

 

見落としそうな木の枝に掛けられた山頂札は吉田山の文字が消えかかっていて、よ~く見るとなんとなく吉田山

と書いてあるのが分る程度だ。こういう時は油性のマジックを持って来ていたらといつも思うのだが、いつも忘

れてしまっていて持ってきていない。

 

 

以前WOC登山部で来た時はここから折り返して吉田富士を登ったのだけれど、今日はこのまま東に尾根を下って

行く。一旦登り降りして更に小さなピークを登ると展望岩に出た。

 

 

 

正面には家島諸島の中で一番大きな西島が正面に見える。島の西半分は巨大な採石場になっていて、良質な花崗

岩や安山岩が採れるらしい。家島諸島は大小44からの島々で構成され、古くから歴史のある島だ。

そして少し右下には静かな湾内に造られた港にヨットが停泊し、その横にはリゾートホテルが見下ろせた。

 

 

 

 

展望岩からまだ先の藤崎へと歩いて行く。海沿いらしい木々の中を歩き最後にひと登りすると、今日始めての三

角点 二等三角点 吉田 119.03m

 

 

 

吉田の三角点からも藤崎に向かって下って行く。半島を回り込むように続いている県道土庄福田線が左手に見え

ているが、急な法面になっていたので右下に向かってテープを見ながら降りて行くと、県道に飛び出した。

 

 

ここから南回りのバス停のある福田港までは4kmの下道歩きとなる。吉田湾を回り込むと先ほどのリゾートホ

テルが見えた。その左上に見える法面保護のコンクリートの左裾野辺りが尾根から降りてきた場所だ。

 

 

道の脇には石材の地区らしく、作者と作品名が書かれた石のオブジェが、所々で展示されている。

福田港の南側の小島の前を、姫路行のフェリーが走っている。小島へはコンクリートの突堤と、岩が積み上げら

れていて島側から渡る事ができる。WOC登山部でも吉田山に登った後に、『さぬき百景・福田海岸』に車を停め

て島までメンバーと歩いた思い出がある。

 

 

 

緩やかな坂道を下って行きながら、水面が光るのどかな福田港を眺めながら歩いて行く。小豆島の北東の玄関口

といっても、福田の町は港の間際まで山が迫った小さな港町だ。フェリー乗り場の手前に南回りのバス乗り場が

あった。予定よりけっこう早く着いたので周辺を歩いていると、CLTという珍しい工法で建てられている建築

現場が目に付いた。打ち合わせをしている人に声をかけると、施工している会社の社長さんだった。

少し質問をすると現場の中まで案内してくれて、最上階まで上がりながら色々と詳しく説明してくれた。

まだまだ説明したらなそうだったが、バスの時間が迫ったのでお礼を言って現場を離れた。

 

 

 

南回りのバスは草壁までは初めて通るルート。途中の橘地区からは直ぐ真横にあの拇岳が見える。それまで車酔

いしていたのか目を閉じていたあっちゃんが、『あっ、拇岳が見える!』と言ったとたんに、ガバっと目を見開

いた。間近で見る拇岳は今まで遠くから眺めていた形とは少し違った形に見える。

車窓に見えた拇岳を見ながら、以前にセニョさんと歩いた拇平から千羽ケ岳、そして拇岳のルートを説明すると、

今までぐったりしていたあっちゃんの目がギラギラ輝いた。やはり小豆島の最終仕上げはあの山域になりそうだ。

 

土庄港ではフェリーの出航まで結構時間があったので、奥様たちはお土産売り場を物色。私はというと北に見え

皇踏山を、10年以上も前に山楽会のメンバーと一緒に登ったのを思い出しながら眺めていた。

登山道はたしか今見えている二つの岩肌の間を降りてきた記憶があるが、あの岩壁も面白そうだななんて考えな

がらフェリーに乗り込んだ。拇岳の前に皇踏山。まだまだ楽しめそうな小豆島だった。

 

 


三度目の正直の三角点国分台、また敗退(涙)

2025年01月05日 | 香川の里山

 

特に自分は三角点フリークではないけれど、以前から訪ねてみたいと思い続けている三角点が国分寺にあった。

四等三角点 国分台は過去二度チャレンジして、二度とも近づくことさえできなかった鬼門の三角点なのだ。

それは地形的なものとかルートの難易度とかの問題ではなく、ただ自分が平日登山者だということだった。

そう、国分台は八十番札所国分寺の北、五色台の山中にある三角点なのだが、その場所は自衛隊の演習場の中に

あり、平日だと自衛隊が演習していて立ち入ることができない。(もちろん日曜日でも)

山友はじめ他の人が訪ねているのは日曜日で、どうやら自衛隊もお休みの様子。それが平日だと銃器の発砲音が

山の中に鳴り響いている、そんな場所なのだ。

初めて計画した時は、その演習場のぐるりを囲むようにして造られている防火帯を通って三角点を目指す予定だ

ったが、道を間違えて演習場の中へいつの間にか入ってしまっていた。そしてふと見ると戦車が二台。何食わぬ

顔をして通り過ぎようとしたが当然注意され、追い出されてしまった。

 

 

 

その後防火帯の場所を探し出して予定のコースで歩いて行こうとしたら、行く手をジェットコースターの

ファーストドロップの様な急角度の防火帯に恐れをなして撤退した。

 

 

二度目は高結神社から直登して防火帯まで登ったが、やはり銃器の発砲音がして諦めたという経緯があった。

 

 

そんな因縁のある国分台だが、今日は土曜日だけれど正月。さすがの自衛隊もお休みしているだろうとふんで、

以前に計画した防火帯を通って三角点を目指すことにした。

その前に取り合えず何度も訪れているけれど、YAMAPの山頂ポイントとしてゲットしていない、猪尻山

大平山をゲットしてから三角点を目指すことにした。

いつものように国分寺のカッパドキアのスタート地点になる駐車場に車を停める。見上げると国分台の岸壁が、

寒風にさらされて白く輝いていた。

駐車した場所から少し下がって舗装路を東に入った場所の脇から取り付いて行く。以前は羊歯をかき分けかき分け

け歩いたけれど、今は羊歯も刈られていて歩きやすい道になっていた。

 

 

 

道の両側の背丈以上もある羊歯はこの寒さの中にあって、若い緑色していて生き生きしている。

少しづつ高度が上がってくると、国分寺の北部とその向こうに里山が見渡せる。

 

 

羊歯の海が終わるとカッパドキアの谷を見渡せる場所に出る。初めてこの谷を訪れたときは対岸にそってもちろ

ん藪をかき分けて登った記憶がある。その谷筋の終端にはいつの頃からそう呼ぶようになったのか大天狗の岩壁

が、その終端を塞ぐように立っている。

 

 

谷筋の上からは正面に国分台の岩壁とその上に波打つような防火帯がちらっと見えている。東を見ると六ツ目山

・伽藍山・挟箱山のおむすび家族とその後ろに堂山が逆光でシルエットになっている。

 

 

このカッパドキアの地質は年末に歩いた小豆島の地質に似た露岩だけれど、小豆島の露岩は崩れたりせず固まっ

ていたが、ここの露岩はぽろぽろ崩れている。道の脇には小さなキノコ岩。これも大嶽の足元から見上げた岸壁

に生えていた?のと同じような形をしている。

 

 

 

 

谷筋に沿って行くと終点の大天狗。この岩壁も大小の岩が岩壁に張り付いたようになっていて、これも五剣山

屋島の冠ケ嶽の岸壁と同じような地質をしている。

 

 

大天狗の岩壁の上は2mほどの幅の平らな露岩になっている。その下から冷たい風が吹き上げてくる。

見晴らしとしては抜群な場所。ここで腰掛景色を眺めながら一服したいところだが、とにかく風が冷たく寒い。

 

 

 

すぐに山手へ猪尻山目指して入って行く。ただ前回はこんなに苦労したかと思うくらい足元は滑り、木々の中に

は時々意地悪な茨が密集していたりと悪戦苦闘。ほぼ真っ直ぐには登れず、木々の隙間を見計らっては右に左に

とかき分けながら登って行く。

 

 

その内何度かは枯れ木のトラップに引っ掛かり、後ろにのけ反りそうになる。以前のトラックを見てみると、

少し東を歩いているが、トラックを辿るのも面倒でそのまま登って行くが、これが後の祭りで帰って過去のブロ

グを確認してみると、途中から踏み跡らしいルートを辿っていた。

 

 

 

結局、大天狗からは標高差150m、距離にして300mほどを50分かかって猪尻山着いた。久しぶりの藪

コキらしい藪コキだった。そして三角点の脇からは悔しいことにしっかりとした踏み跡が麓に向かって続いてい

た。写真を撮った後電波塔の横で腰掛小休止。今日初めての水分補給。四等三角点 猪ノ尻山 438.95m

 

 

 

猪尻山からはゴルフ場跡地の太陽光発電所のフェンスに沿って歩いて行く。横たわった屋島の上にちょこんと

剣山が頭を覗かしている。

 

 

発電所の横から少し脇に入って行くと巨大なNTTドコモ電波塔と今は用無し?になったマイクロウエーブの反射

板。この二つは麓の国分寺からもよく見える。発電所の入り口には唯一ゴルフ場の在りし日の門柱が残っていた。

 

 

 

さらに先に進んでいくとここにもカッパドキアのキノコ岩と同じような形をした、高松空港のレーダー施設が建

っている。

 

 

レーダー施設の入り口から県道に出る。舗装路の脇を落ち葉を踏みながら歩いて行くと一カ所東の眺望が開けて

いた。そこからは岩清尾山の左側に高松の湾岸地区、そしてシンボルタワーが見えた。

 

レーダー施設からまたNTTドコモの電波塔を過ぎ、二つ目の電波塔の奥に大平山。 三角点は二等三角点 新居

478.69m

 

 

それにしてもこの道沿いは電波塔だらけだ。そう思いながら歩いて行くと中山休憩所に着いた。そこには見慣れ

ないきれいなトイレができていた。そのトイレの裏の東屋で早めのお昼ご飯。久しぶりにカップラーメンにして

正解。暖かいお汁が身に染み渡る。

 

 

 

それでもじっとしていると身体の冷えは治まらない。食べ終えて早々に歩き始める。県道から四国のみち、そし

白峰寺から根来寺への遍路道に入って行く。いきなり倒木で道がふさがれていたが、長い脚?で跨いで歩いて

行く。道は最初は路盤が見えていたのに、次第に落ち葉で埋まって行く。

 

 

 

道には遍路道らしく石仏の丁石が並んでいる。

 

 

十九丁の石仏の横にはお遍路さんのための『景子ちゃんの接待所』があった。ちょうどボランティアの方がジュ

ースやお茶の補充をしていた。色々と話を聞かせてもらったが、景子ちゃんのお接待の謂れについて書かれたプ

レートの話が特に面白かった。(内緒)

 

 

 

ここから道は白峰寺へ道と一本松への道に分かれている。途中の石仏は丁石ではなくなっていたが、国分寺から

歩いてくるお遍路さんをずっと見守っているのだろう。

 

 

景子ちゃんの接待所から15分ほどで一本松に着いた。ここから南にへんろ道を下ると80番札所の国分寺

本来ならスタート地点からの周回だとここから下って行くのだけれど、今日の目的は周回ではなく国分台の三角

点。ここから県道を少し西に歩いて脇道に入って行く。

 

 

どこの山中でも見る廃車を横目に見て、最終民家の横を過ぎ少し藪っぽくなった所でズドーンと音がした。『ん

?』猟銃と思ったが、続いて連発の音がした。『いや~演習してるやん!』

自衛隊さん週休二日にして土曜日もお休みにしようよと思いながらも引き返した。さすがに銃弾飛び交う演習場

の中には入っていけない。

 

 

仕方がないので一本松まで引き返して下って行く。すぐに東屋のある展望台とお大師さん。

 

 

ここからはへんろ転がしと云われる急坂が続いて行く。大天狗からの滑りまくりの急登が堪えたのか、段差の大

きいこの階段状の道で左の膝が傷み始めた。一段一段膝を庇いながら降りていく。

 

 

 

へんろ転がしを降り終えて石鎚神社へ寄り道してみる。

 

 

 

石鎚神社の分社らしくて鎖場もあるが、今日は落ち葉が積もっていて膝の調子も悪くてパス。

 

 

 

石鎚神社に参拝した後、スタート地点の駐車場へとお戻って行く。正月太り解消するには計画通りに10kmオ

ーバーを歩きたかったけれど、素手では銃器に敵わない(笑)本来の目的の国分台の三角点には三度目の正直な

らず、3戦3敗になってしまったが、まぁ家でじっとしているよりはマシだと慰める。

 

 


登り納めは干支の山、竜王山

2024年12月30日 | 香川の里山

窓の外はどんよりした曇り空。朝から出かける気分にならず、とりあえずは奥さんのお手伝いでご機嫌取り。

すると昼から少しづつ青空が見え始めた。『よしそれじゃ~ちょっと歩いてきます』と言って近くの山に。午前

中のお手伝いの効果もあって、嫌味を言われずにあっさり出かけることができた。

 

今年最後の登り納めは『干支の山』に決めていた。ただ今年の干支の辰(竜・龍)の付く山は、県内には国土地

理院の地形図に載っているだけでも5座あり、その他にも各地に竜・龍の付く山がある。

もともと香川は水不足で、山頂近くに雨ごいの神様の龍王祠が祀られている山がけっこうある。そのせいもあっ

てか、竜王・龍王の名の付く山が他の県に比べても多い。

いつも干支の山を探して毎年登っているけれど、そんなわけで今年の干支の山は探すのに事足りる。

 

その中の一つ我が家から一番近くの竜王山に出かけてきた。先週登った小豆島の大嶽からは、五剣山や屋島や大

串半島が見えた。この竜王山も大串半島にあり、ひょっとしたら反対側から大嶽が見えるかも、と思ってだった。

 

さぬき市の鴨部地区から小田地区に抜ける道沿いにある、『さぬき森森林浴公園』の駐車場に車を停める。

この公園には3つのコースがあり、竜王山はやまなみコースの一番奥になる。駐車場から道路を挟んで反対側か

らスタート。すぐにコンクリート製の擬木の階段が始まる。

 

 

 

午前中のうす暗かった空は気持ちのいい青空に代わっていた。道の脇には里山らしい羊歯の葉が、夏に比べて

枯れる前の濃い緑から明るい緑に変わっていた。

 

擬木の階段が終わると今度は花崗岩が風化した真砂土が固まった道。斜度があるとけっこう滑りやすい。

途中、擬木の階段と同じような、コンクリート製のベンチが2対。この後も所々に設置されていた。

 

 

 

竜王山の手前にはこれも地形図に山名は載っていない御殿山がある。その山頂の手前に山名の由来が書かれた説

明文が、木の枝に掛けられていた。説明文にある馬場はスズタケが生い茂った場所になってしまっていた。

その馬場からすぐに御殿山。ただ山名標がなければただの尾根筋、わからず通り過ぎてしまうような場所だった。

その先では西に日盛山、その奥に五剣山・屋島が見えた。

 

 

 

 

御殿山からしばらく歩くと竜王山からの尾根筋になる。右に竜王山、左に小田方面の分岐で右に折れて竜王山へ。

ここから800mの間、何度かアップダウンを繰り返していく。

 

 

 

道は整備されてとても歩きやすい。木々の間から冷たい風が吹き抜けていく。寒風の中、元気な鳥の鳴き声があ

ちらこちらで聞こえてくる。気温が低く風が冷たいとはいえ、何度かの登りでじわっと背中に汗をかき始めた。

 

 

 

駐車場から1.3km、35分ほどで竜王山に着いた。山頂には 四等三角点 中尾 160.86m

山頂から北側を見ると麓に小田地区の港。その右手には志度カントリー。その奥に瀬戸内海、対岸にはの洞雲山

碁石山、そしてお目当ての大嶽が見えた。

 

 

 

 

 

小豆島の峰々を眺めた後、折り返してもと来た道を戻って行く。相変わらず擬木の階段と真砂土のアップダウン。

 

 

分岐からは駐車場に戻らず、そのまま小田方面へ直進する。途中の露岩からにひと登りすると、屋島の裾の向こ

うにサンポートのシンボルタワーが見えた。

 

 

 

 

さらに進んでいくと道の左上に龍王祠が祀られていた。龍王祠からは少し離れた小田地区。その奥に日差しが届

いて白く輝く大嶽の、大岩壁の先週下ったルートが確認できた。

 

 

 

龍王祠からは小田地区へ急坂を下って行く。最後は車の走る音が聞こえてくる方灌木の茂る中をかき分けて行く

と県道に飛び出した。

 

 

 

残りは県道の舗装路を歩いて公園の駐車場へと戻って行く。帰り道、沿岸部から南に走ると空にはまた雲がかか

り始めた。灰色の厚い雲の間から天使のはしごと呼べれる薄明光線(光芒)がさしていた。

 

 

 


大嶽のあの大岩壁のロープの先にある景色は?

2024年12月26日 | 香川の里山

2週間前に歩いた小豆島の洞雲山・碁石山。そこから最後に登った大嶽の山頂からは眼下に草壁地区内海湾

さらには島の岬と瀬戸内の海の絶景が広がっていた。そして目の前には荒々しい岩肌の大岩壁がそそり立ってい

た。左右に立つその大岩壁の左の岩肌をよく見ると、斜めにロープが垂れ下がっているのが見えた。『あんな危

なげな場所に・・・』と思ったが、直ぐに『ロープがかかっているという事は登れる?』という事と思いながら、

次に来た時は登ってみたいと思いながら、その日は帰ってきた。

 

 

 

ただ帰って来てからあのロープの事が頭に浮かんで消えず、『登ってみたい、登れるだろうか?』という思いが

日増しに強くなっていた。そこでYAMAPで検索してみるとやはりあの大岩壁のロープを登っている人がいた。

meさんの活動日記には手前の岩塊にもロープがあり、そこを昇り降りした後にあのロープを登っていた。そこで

meさんにメッセージで質問をしたところ、どうやら手前の岩塊のロープはしごが朽ちかけているので注意が必要

と、三点支持で登れば大丈夫でしょうという返事をいただいた。少しでも様子が分れば心強い。meさんありがと

うございました。

ただそこで好奇心は終わらず、ぜひあの大岩壁を真下から見上げてみたいと思った。ロープ場をピストンした後、

途中から大岩壁の襟足に沿って下れないかと考えた。

そんな不純な考えに付き合ってくれるのはあの人しかいないと思い誘ってみると『もちろん行きます』とニッコ

リマーク付で即返事が返ってきた。

 

前回と同じ7時20分発の土庄行のフェリーに乗り込む。今朝は放射冷却のせいで気温が下がり、写真を撮ろう

とデッキに出ると、甲板は凍っていてあわや転倒しそうになった。高松港を出港時には日の出で空と海がオレン

ジ色に輝き、土庄港に入港時には少し登った陽に照らされた海が、銀色に輝いていた。

 

 

土庄からは田ノ浦行のバスに乗り、苗羽(のうま)のバス停で降りた。この苗羽地区は醤の郷と呼ばれる醤油づ

くりの町。最盛期には400軒近くの醤油醸造所があり、今でも20軒近くの醤油蔵や佃煮工場が軒を並べてい

る。その苗羽地区は港から東に向かって坂道が続き、家々が立ち並んでいる。その坂道の先にはどこから見ても

あの大嶽の大岩壁が見えている。

 

 

途中から前回下ってきた道に合流して、舗装路から脇道に入って行く。

しばらくは舗装路が続いていくが、次第に路面が荒れ始める。

 

 

コンクリート製の水路の横を通り進んで行くと、大きな櫓とその脇にはモーターの様な大きな機械が据えられて

いた。モーターから櫓の上、そして山に向かってワイヤーロープが続いていく。前回も思ったのだが、何の運搬

に使っていたのだろうか?調べてみてもまったく情報が出てこない。

 

 

 

登山道は沢筋になり、ゴロゴロ転がった油断すると捻挫しそうな歩きにくい道が続いていく。

その沢筋に沿って相変わらずワイヤロープが続いている。

 

 

 

登山道は途中で道標のある場所から沢筋を離れ山道になって行く。ここまでもテープが所々巻かれていたが、こ

こからは幹にテープとは別に青いペンキが目印に塗られていた。

すると道の北側に木々の間から大嶽の大岩壁が見えた。奥様にはこの後のルートを指さし説明しながら、『下り

の時の距離感としてはこの位、迷ったとしても何とかなるでしょう』と話をする。

 

 

 

道は谷筋を回り込むようにトラバースになると碁石山との分岐になる。前回は碁石山の長いロープの下りをクリ

アしてほっと一息ついた場所だ。

この大嶽・碁石山と書かれた道標からは左に折れて、ウバメガシの林の中を登って行く。

 

 

 

ウバメガシがまばらになってくると岩肌が現れる。その岩肌をひと登りすると2週間前にも来た大嶽山頂だ。

今日の天気予報では晴れマークだったが、なぜか洞雲山からこの大嶽にかけてうす暗い雲がのしかかっている。

青空の下なら気分は高揚するが、うす暗いとなんだか先行きに不安を感じる。

 

 

それでも今日の第一ステージの大岩壁のロープを山頂から確認して、気持ちを奮い立たせる。

先ほど途中で見上げた時は手前の岩塊と大岩壁も思ったよりも高さがあった。ここからは大岩壁にかかる一本の

ロープしか見えないが、果たしてどうなっているのか。『さぁ行きましょう!』と奥様に声をかける。

 

 

山頂手前に大岩壁へと道が続いていた。ウバメガシの続く斜面を『こんなに下るのかな?』と思うくらい、結構

な高さを下って行くと鞍部に着いた。

 

 

ここから先は一般の登山道ではありませんので、決してお勧めするルートではありませんのでご注意ください。

 

鞍部からは手前の岩塊へと登って行く。ただmeさんの活動日記で見たロープはなく、『どこにロープがあるのか

しら?』と言いながら奥様が登って行くと、頂部の直下でロープがかかっていた。

溶岩が固まった岩は固く、ロープを使わないでも露岩の岩は手掛かり足掛かりが良く、三点支持で登って行ける。

 

 

 

ただ最後にロープが終わって頂部に出る所は、張り出した岩が邪魔をして注意が必要だ。登りきると半畳ほどの

平らな岩からは、山頂から見えた二つの岩壁が、間の谷に向かってさらに深く切れ落ちているのが見えた。なか

なかの高度感に股間がゾクッとする。ここでは少しでも変な動きをしたら落ちそうになので、その平らな岩から

安全そうな場所へ身体を移す。

 

 

 

身震いしながらさらに先の岩壁を見ると、山頂からは一本に見えたロープが何本か垂れ下がっているのが確認で

きた。さぁここからはほぼ垂直に近い岩壁を降りることになる。

奥様が先の岩壁でお昼にしたいというので、ザックはそのまま抱えて、ストックだけを置いて『いざ!』

 

 

 

頂部から一段降りた先には何本ものロープとロープはしごがかかっていた。ただしロープはしごの踏み桟は木で

できていて、外れかかっているのもあって当てにはできない。

足元も岩肌の上が土と苔で覆われていて滑りやすい。ロープだけで垂直懸垂する技術もないので、当てにはでき

ないが時々ロープはしごに足を入れながら降りて行く。

 

 

 

揺れるロープはしごに苦戦しながら何とか鞍部に降りたつと、今度は横にロープが張ってあり少し張り出た大岩

の横をトラバースする。歩ける幅は狭くすぐ横は切れ落ちていて、けっこうヒヤッとする場所だった。

トラバースした後はあの山頂から見えた岩壁のロープとなる。

何段かに分かれて掛けられていたロープは見えていた以上に何本もがかかっていた。その中でも結び目を作って

くれているロープが役に立ち、そのロープを握りながらもう片方のロープを握り、二本を使って登って行く。

 

 

さすがの奥様もすんなりとは登って来れていない。それでも少々苦戦しながらも登ってきた。振り返ると今降り

てきたロープはしごのある岩塊が、目の前に見えた。

 

 

二人とも登った後さらに先へと進んで行く。もちろん左側はあの大岩壁。もし落ちでもしたら数十メートル落ち

て即あの世行き。(汗)

そんなことは気にしない奥様は、どんどん先に下って行きもうそれ以上はというところでようやく諦めてくれた。

 

 

 

それじゃ~という事で、岩に腰掛けてお昼ご飯にする。あの大岩壁の上で吹き抜けていく風が冷たい。

インスタントの赤だしの温かい味噌汁がありがたい。

 

 

南を見ると坂手港にジャンボフェリーが入ってきているのが見える。ここから見るとジャンボフェリーなのに、

ジャンボにはけっして見えない。その反対側を見ると、大嶽前衛のもうひとつの岩壁がそそり立っている。『あ

の岩壁は登れるのだろうか?』とまた要らぬ考えが浮かんでくる。

 

 

そして山頂からは見えなかった苗羽地区が見渡せた。さらにマルキン醤油の黒い建物群の規模の大きさに驚かさ

れる。山頂から見たロープの先の景色が今こうして目の前に広がっている。

 

一応ここで今日の第一ステージはクリア。ここから折り返しの岩壁のロープの第二ステージとなる。

取りあえずはへっぽこリーダーが先行して降りて行く。

ただ登りで少し手こづったほどではなく、両手で二本のロープを握っていると、岩壁から身体を離せて足元の確

認ができて意外とすんなりと降りて行けた。

 

 

 

 

登りよりも下りが難しいと言われているが、今回はどちらかというと次のロープはしごがかかった垂直の岩の登

りが一番苦戦した。滑りやすく見えない足元に、どうしても腕に力が入り余裕がなくなってしまう。

増えた重たい身体を持ち上げるのに一苦労。痩せなきゃ~と思っても多分この時だけ。

 

 

 

何とかロープはしごの岩壁を登り切り岩塊の頂部に立つと、雲の間から一瞬陽の光が、反対側の岩壁を白く輝か

せていた。右の尾根から歩いて行けば、岩壁には頂部まで木が生えている。『ひょっとしたら登れるかも』、

『いかん、いかん、また変なことを考えたら・・・・。』

足元を見るとその白い岩壁と同じように、ズボンがまっ白に汚れている。普段はお尻は汚れることはあるけれど、

前側が汚れるなんてほとんどない。いかに岩肌にへばりついて昇り降りしていたがが分る。

 

 

さぁここから第三ステージ。ここまでは歩いていた人もいるので様子が伺えたが、ここから先は一切情報がない。

大岩壁の下はどこにもあるような土溜まりがあるはずだから、岩壁に沿って歩けるはずだ。ただそこまでの途中、

そこから先の谷筋が地形図を見ても航空写真を見ても読みずらい。

まずは岩塊を降り鞍部からその岩壁に沿って南に向かって斜面を降りて行くが、直ぐに深い谷にぶち当たってし

まった。二股に分かれた谷筋を大きく避け、東に振って回り込みながら下って行く。

 

 

 

 

谷筋が浅くなった場所からまた岩壁に向かってトラバースして行くと、岩壁はオーバーハングしていてその全容

は全く見えない。しばらくは土溜まりを進んで行くが、途中からはまた深くえぐられた岩壁になってこれ以上進

めない。

 

 

 

一旦戻って出来るだけ岩壁から離れないようにして回り込み、今度は尾根筋に向かって登って行く。

すると少し斜め上に白い岩肌が木々の間に見えたので、その岩肌に向かって登って行くと目の前にあの大岩壁が

迫っていた。横に大きく広がる大岩壁は木々が少し邪魔をしてすべてを見ることはできないが、それでも大迫力

だ。イボイボの岩肌には国分寺のカッパドキアにもあったキノコ岩が、垂直の岩壁に立っている。

風雨にさらされた岩壁は崩れることもなく、花崗岩と同じように赤く変色しているヶ所もある。

 

 

 

 

視線を北側に向けると、その垂直の岩壁の向こうに拇岳がこれも垂直に指を立てている。次に小豆島に来るとし

たら、あの千羽ケ岳と拇岳になるかな?なんて思いながら眺めた。

 

 

展望があるだろうと思っていた場所からは岩壁の全容が望めなかったので、もう少し下へ尾根筋を下ってみるこ

とにした。すると樹林帯を抜けた場所にまた岩稜が現れた。

 

 

そして振り返ると『なんという事でしょう!』少し距離は離れて目の前の木々でその高さは半減していたが、

大岩壁の端から端まで見渡せた。『これ、これ、これが見たかった!』もちろん奥様も大満足のご様子!

その麓はまだ少し彩の残る緩やかな山裾が広がり、この大岩壁を眺めながら歩いてきた苗羽の街が見下ろせた。

 

 

 

 

 

この露岩の場所を『大嶽展望所』と名付けることにしたが、おそらく訪れる人はいないだろう。(笑)

露岩のある先は木々が密集して歩きにくそうなので、この尾根から南に登ってきた登山道に向かってトラバース

する。谷筋は二本ほどあったが、出来るだけ浅く歩きやすそうな場所を選んで回り込みながら谷筋を渡って行く。

 

 

 

二本目の谷筋には大きな岩が転がり落ち葉がたっぷりと積もっていたが、『落ち葉のスキーね!』と言いながら、

奥様も器用に足を滑らせながら下っている。ここも向かいの尾根へ高さがあまりない場所を選んで渡り、尾根を

乗越し少し歩くと、往路で歩いた登山道に出た。

 

 

 

ここから苗羽のバス停まではゆっくり歩いてもバスの時刻には十分間に合いそうだ。

歩きにくいゴロゴロ岩の沢筋を下り舗装路に出ると、山頂近くにあった重苦しい雲は流れ、きれいな青空が広が

っていた。

古い立派な建物が多く残る道を二人で満足げに歩いて行く。バス停で一緒になった年配の女性に大嶽の話をする

と、息子さんが帰省した時は必ず大嶽をバックに写真を撮るそうで、他にも嬉しそうに色々と話を聞かせてくれ

た。バス停のある場所は旧苗羽村役場があった場所で、その横には大きな『岩部亀士紀功碑』があった。

岩部亀士は初代志度村の村長を務め、その手腕を丸金醤油創立者である木下忠次郎認められ懇願されて、苗羽

村長に就任したという。そんな話を聞くと少なからず何かの縁をこの苗羽に感じたのだった。

 

 

 

 

大岩壁からの落ち葉の積もった下りで予測のつかない足の動きになり、帰りのフェリーの中で膝が痛み始めたが

その痛み以上に、今日のコースは久しぶりに人がほとんど歩いていないバリエーションルート。歩く前からの下

調べに胸躍らせ、最後の下りではルートファインディングに頭を使い、ロープ場では緊張感を味わった楽しい楽

しい一日だった。ただこれに味を占めた奥様がこれ以上エスカレートしない事を願うばかりだった。

 


あっぱれ絶景かな洞雲山・碁石山・大嶽

2024年12月13日 | 香川の里山

 

前回寒霞渓馬の背を登って、その西にある四方指から眺めたデコボコした洞雲山から大嶽の稜線。

馬の背の溶岩が固まった特異な地質の尾根を登った後、その四方指からの景色を眺めながら、『そう言えば以前

に登ったあの洞雲山から碁石山も同じようなガチガチ固まった稜線だった』のを思い出し、隣に居たあっちゃん

に『あの稜線も岩場になっていて楽しいですよ』と話をした。

その事を思い出して今回はまた小豆島に出かけてみることにした。計画としては坂手から洞雲山に登って碁石山

へ縦走、そこから大嶽へとアプローチするのだが、YAMAPの活動日記で事前に調べてみると、どうやら碁石

から大嶽への山頂直下のロープ場が難所らしい事が分かった。でもまあロープがかかっているという事はそれ

なりに歩いている人がいるのだろうと考えて、そのままロープ場を下って大嶽へ登った後、麓の苗羽(のうま)

に下る周回コースとした。

 

小豆島の山を登るときに一番考えるのはフェリーとバスの時間。取りあえず早めには出かけたいのだけれど、若

干一名が朝の早いのを難色を示す。それならと7時20分発の土庄行のフェリーに乗って、8時30分発の田ノ

浦行のバスに乗り継いで坂手港に向かうことにした。この時間だと今度は帰りの時間が気になるのだが、距離も

標高差もさほどではないので何とかなるだろう。

 

田ノ浦行のバスは坂手東で折り返して田ノ浦(映画村)へと向かう。その坂手東でバスを降りて、まずは『夏至

観音』で有名な、島霊場88ケ所の1番札所の洞雲山へと集落の中の道を登って行く。

坂の途中で振り返ると坂手港と田ノ浦の半島の横に五剣山が見えた。そこからしばらく歩いて行くと、2013

年の瀬戸芸で出品されたビートたけしとヤノベケンジの彫刻作品のある美井戸神社があった。

 

 

 

坂道の正面に見える岩壁に『あの上登るんかな~』とあっちゃんのテンションが上がってきた。洞雲山へのコン

クリート道はこの季節、行き交う人がいないのかたっぷりと落ち葉が積もっていた。コンクリート道からへんろ

道に入ると、さらに道は荒れていた。

 

 

 

オリーブの木が植えられた牧場の跡地を横目に見ながら更に登って行くと、第3番札所観音寺の奥の院・隼山

に着いた。大師堂の前の広場からは播磨灘を一望に、鳴門・淡路島が見える讃岐十景の展望地。銀色に輝く海

に空に浮かんだ雲が影を落とし、穏やかな風景はこちらの気持ちまで和ませてくれる。

 

 

 

その大師堂から洞雲山へと向かう途中に展望台があった。坂手の町を見下ろす展望台からは対岸の東讃の里山の

奥に、阿讃の峰々が続いているのが見える。

 

 

 

その展望台の先の参道からは、坂手の集落から見えた岩壁がそそり立っているのが目に飛び込んできた。

老杉の並ぶ境内に入ると、その岩壁の下に大きな洞窟。洞窟の中に本堂八角堂が薄明りに照らされていた。

 

 

 

洞雲山を後に一旦参道を引き返すと途中に、『洞雲山碁石山登山口』の小さな案内板が木の幹に掛けられている。

そこから乾いた土に足を滑らせながら岩壁の南側へと登って行く。

 

 

 

岩尾根特有のウバメガシの密集する急登を登って行くと岩壁の南端に出る。そこには先ほどの展望台より見た景

色より高度が上がって、さらに奥の内海湾の景色が広がっていた。

 

 

右手に視線を移すと草壁の町や寒霞渓、そしてこの稜線を眺めた四方指。坂手の町の奥には入り組んだ形の田

ノ浦の半島と、さらに先には釈迦ケ鼻のある半島が見える。

 

 

そこから先は岩尾根。馬の背同様露岩自体はしっかりしているが、高度感はかなりある。

碁石山のこんもりしたピークの先に、最終目的地の大嶽の垂直の岩壁も見え始め気分は上々!

五剣山屋島冠ケ嶽の岩壁とは比べようもない高さの岩壁の大嶽。そんな岩壁を眺めていて、あの上に立つこ

とはできないが、足元はどこも同じで土溜まりになっているはずだろうから、いつか真下から見上げてみたい。

あわよくば岩壁の弱点(岩登りではなく、木の生えている場所を辿りながら)を見つけて登れないかななんて、

不相応な大胆な考えをする。

 

 

 

そんな岩壁の下のゆるやかな裾を引く山肌は今が紅葉真っ盛りで、白い岩肌とのコントラストが対照的だ。

その岩尾根の高度感に腰の引けているルリちゃん。とはいえ足元のデコボコした露岩に足でも引掛けようものな

ら、奈落の底へ転落だ。『あわてずゆっくりでいいからね!』と声をかける。

洞雲山の石祠の前で記念撮影。『あっちゃん、それ以上後ろに下がらないでね!』

 

 

 

 

その石祠から先をひと登りすると洞雲山山頂の山名札が置かれていた。ネットを見てみると先ほどの石祠のある

場所を洞雲山山頂として写真を撮っている人が結構いるが、355mの標高はこちらの方が高いので、しかも地

元の山の会がわざわざ山頂と書いて置いているので間違いはないだろう。ちなみにYAMAPのランドマークと

もズレてはいる。ただこの山頂からの景色はこちらも申し分がない。

 

 

 

 

洞雲山山頂から碁石山へはウバメガシの林の中の尾根になる。碁石山寺への分岐を過ぎてさらに進んで行くと、

2回ほどアップダウンをして最後にひと登りしたら碁石山山頂。

 

 

 

 

 

山頂は木々に囲まれているが、その木々の頭越には千羽ケ岳と拇岳、そして島の最高峰の星ケ城が見える。

ここから大嶽まではまだ少し時間がかかるので、ここでお昼ご飯にすることに。ザックから取り出した先週と同

じ、巻きずしと稲荷寿司の弁当の蓋を開けたらその拍子に全部地面に落としてしまった。

おむすびコロリン・コロコロリンならぬ、巻きずしがコロコロ転がって行ってしまった。ガックリ肩を落として

いる私を見かねて奥様たちがおむずびとドーナツを恵んでくれた。ありがたや~ありがたや。

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたら、さぁここから今日のメインイベント、最難関のロープ場の下りになる。

山頂から少し北に降りると細いロープが谷あいに伸びていた。足元を確認しながら特攻隊長あっちゃんがまずは

降りて行く。ロープの最後の場所に降りると『ここは足掛かりがあるから大丈夫』と声がする。写真では伝わら

ないが結構な斜度の上にロープが細い。途中で輪っかを作ってくれているので助かる。

さらに下からは『2本目のロープは足掛かりがないので滑りやすくて難しいわよ』と声がした。

 

 

 

 

 

 

 

ロープ場が終わっても急坂は続いていく。ただ木の幹に掴まりながら降りられるので問題はない。

一旦降りて巨大な岩塊の左下を巻くように進んで行くと次に岩壁が現れる。

 

 

その岩壁には黒いロープがかかっているのでひょいとひと登りした後、もう一本ロープをやり過ごすと岩尾根の

上に出た。

 

 

 

背の低い木々の間を抜けるとまた絶景が広がっていた。麓の苗羽地区に黒い建物群が見えるのはマルキン醤油の

工場だろうか?そしてもう目の前に大嶽の岸壁が迫ってきた。

 

 

 

ここから一旦下って行くとその苗羽地区への分岐になる。大嶽に登った後はここまで戻って下って行く予定だ。

 

 

 

分岐から少し進んで露岩の上を登って行くと大嶽山頂だ。山頂にはネズミサシの枝に小さな山名標がかかってい

て、足元には「洞雲山行者講」の陶板が石に埋め込まれていた。

 

 

北と南に分かれた岩壁の間に深い神秘の谷が広がっていた。ロストワールドのここが大嶽の岩壁の弱点となるの

か、なんとなく下から登れそうな気がしないでもないが、好奇心だけでは今日は時間がない。

そして北を見ると数年前にセニョさんと二人で登った拇岳が『いいね!』と指を立てている。あっちゃんを誘っ

たら絶対に『行きたい!』と言うだろうから、今日は黙っておこう。

 

 

 

東を見ると淡路島と対岸の須磨が見えた。そしてふと見ると西側の南の岩壁にはロープがかかっていた。誰か

があそこまで行ってロープまで付けている。またひとつ興味が増えた大嶽だった。

 

 

 

分岐まで戻って西に苗羽へとウバメガシの木の枝に掴まりながら下って行く。足元はその小さな落ち葉が積もっ

て滑りやすい。道は踏み跡もしっかりあり、テープや青いペンキの目印も木の幹や岩に付けられているので迷う

ことはない。

 

 

 

 

途中には木材搬出用のヤグラと滑車が残っていたが、この周りに植林した様子はなく何の木材を伐採運んでいた

のだろうか?また太い鉄管も転がっていて、この辺りで搬出以外の何かの作業されていた形跡が残っている。

 

沢筋になってくると大小の石が転がっていて歩きづらい。右に左にそんな石を避けながらしばらく下って行くと

やっと車道に出た。樹林帯を抜け集落が近づいてくると色づいた木々越しに大嶽の岩壁がはっきりと見えた。

南北の両岩壁の間には確かに神秘の谷が見えている。

 

 

 

 

小豆島で人気の島宿真里の横を通り、醤の里の工場まで来ると醤油の独特な匂いがした。県道まで出ると奥様た

ちは、さっそくマルキン醤油記念館へしょうゆソフトクリームを求めて飛び込んだ。

時間的には計画していたバスより1便早いバスに乗れ、乗り継いだフェリーも1時間早く乗り込むことができた。

マルキン醤油の工場の屋根の奥に見えた大嶽は、その存在感は小豆島だけに限らず、香川の里山の中でも抜きん

でていた。

 

 

 

あの大嶽の岩壁をもっと近くで見てみたいと思うのは私だけだろうか?できればもう一度この山だけを訪れて、

探索できればと。またひとつ出かけたい山ができてわくわく感が止まらない。

 

 

 

 

 


12月に1ダースの小野アルプス

2024年12月07日 | 四国外の山

YAMAPの功罪。

YAMAPを使い始めて今までなかなか手間だった山を歩いた結果が、直ぐに見える化できるようになった。

時間・距離・標高差がゴールに着いた途端にスマホに表示される。しかも最近はコース定数なるものや、平均ペ

ースまで表示されるようになった。それらの意図するところは自身の体力を知るところにあるのだろうけれど、

それを見て他の人と比べることもできるようになった。

もともと登山は人と比較したり、数字的なものを競ったりしないところがひとつの良さだったのに。そう呟きな

がらも、いつも一緒に出掛ける奥様たちが登頂したピークの数の話を話すたびに、二人よりYAMAPデビュー

がかなり遅くて、実際には今まで登っているピークの数より奥様たちと比べてかなり少ないのを気にしていた。

 

そう、いつの間にかYAMAPの数の術中にはまっていたのだった。

 

それならカシミールに保存してあるデータをGPXでYAMAPに取り込んで、実数に近づける事もできるのだ

けれど、これが意外と手間でそんなことをしている暇もない。

よし、じゃ~独りで歩いてピーク数を稼いで奥様たちとの差を縮めてみるかと考えて、一日で歩けてピーク数の

多い山を探してみると、兵庫県の小野アルプスが引っ掛かった。

そこでこの小野アルプスの近くにお住まいで、神戸在住ではないのにWOC登山部神戸支部長を自ら名のる、『山

爺』を誘って二人で歩けないかと抜け駆けを考えたが、それを奥様たちが許すはずもなく、結局いつものように

三人で出かけることになった。

 

 

山爺が来てくれたら、縦走後の下山場所に車をデポしてかなりの時間短縮ができると思っていたら、山爺から

『火曜日に登った段ケ峰の疲れがとれず山歩きはご一緒できない』と連絡がきた。それならわざわざデポするた

めにだけに来てもらうのも申し訳ないと返事を返した結果、下山後の下道歩きの6kmが増えてしまった。

 

集合場所から高速を小野市へと車を走らせる。途中の明石大橋で『そう言えばちょうど1年前に毎週この橋を渡

ってましたね』と奥様たちに話しかける。そう、1年前の12月は『六甲全山縦走』でこの橋を渡って通ってい

た。そんな話をしながら、自宅のある場所からスタート地点となる小野アルプス東端にある『白雲谷温泉 ゆぴ

か』までは2時間弱で着いた。

駐車場の端にある登山口には小野アルプスの案内板があったが、そこには9つのピークが載っていた。そのピー

クにプラスして3座がYAMAPのピークになっている。

 

 

案内板の奥からまずは一つ目のピークの高山へと登って行く。登山口からは四国の里山と変わらぬ雰囲気の道が

続いていく。途中で何枚もの手書きの看板が道の脇の木の幹に掛けられていた。

 

 

 

10分ほどで一つ目のピークの休憩所のある高山に着いた。まだ高度の低い朝陽に照らされ、私たちの顔もオレ

ンジに染まっている。

 

 

案内板にハイキングコースと書かれていたように道はよく踏まれていて、落ち葉がたっぷり積もった道をカサカ

サと音をたてながら次の前山へと歩いて行く。

 

 

この辺りの森は川崎重工業グループが整備に協力しているとの事で、途中の木々には名前を書いた札にKAWA

SAKIのシールが貼られていた。尾辺筋から少し下った鞍部に着くと日光峠の道標。ここからは北に鍬渓温泉

に下る道、そして数カ所ある内のひとつの小野アルプスの登山口への道になる。

 

 

 

 

日光峠から前山まではしばらく急登が続いていく。と言っても日光峠からは40mほどの標高差。急がず慌てず

ゆっくりと、息が切れない程度の速度で登って行く。

 

 

前山山頂には巨大な電波塔が建っていた。フェンスに囲まれた電波塔の南側は小さな広場になっていて、南に街

並みを見下ろすことができた。西に見える小さなピークは、これから向かう愛宕山と安場山だろうか。山肌は柿

色の中に緑が混じって、今が紅葉のピークに思えた。今日二つ目のピークをゲット。まだこれから10座ある。

 

 

 

 

一旦少し下って登り返すと直ぐに次の愛宕山。途中の道には119番通報ポイントの看板がこの後も掛けられて

いた。何かあったときにはこの看板のナンバーを連絡すると直ぐに場所が分かるようになっている。たしか六甲

全山縦走でも見かけた看板だ。

 

 

 

 

 

愛宕山からも一旦下っての登り返し。今日はずっとこのパターンが続いていく。四座目は安場山156.6m。

 

 

安場山からさらに下って行った鞍部は間伐されて、木々もまばらで明るい日差しが周りを照らしていた。

その鞍部から少し段差のある階段を登って行く。

 

 

 

 

道の途中には近くの町名を刻んだ石柱が所々に建っていた。それらの石柱を眺めながら下って行くと何の木だろ

うか黄葉の木が目立ち始める。その中の背の高い木々から落ち葉が舞って不思議な森の雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

 

 

その黄葉の森を抜けるとアザメ峠の車道に飛び出した。その峠の車道の両側は、また先ほどの黄色とは一味違っ

た赤やオレンジのモミジのプロムナードになっていた。そして今まで歩いてきた小野アルプス東コースの入り口

となっていた。

 

 

 

 

何百枚、何千枚もの小さな小さなモミジの葉が折り重なって、青い空を隠し真っ赤に染め上げている。それぞれ

の木の葉の色が違っていて、踏み出すたびに空の色も変わって行く。

 

 

 

 

足元もそれに負けじと何色もの色で彩られた絨毯になっている。この季節ならではの色彩のマジックを眺めなが

ら峠のお地蔵さんも満足げだ。お地蔵さんの前に停められた軽自動車の緑のボディーが、周りの彩の中で違和感

なく溶け込んでいる。

 

 

 

このコースは色々な道標が建っているが、一番立派な道標は白雲谷温泉ゆぴか鴨池が基点となっている。

手作りの道標は順番にピークを示してくれている。次に向かうのは総山。ここには二つの『そうやま』があるが、

そのうちの一つ目の総山になる。

 

 

峠からは20分弱で今日五座目の総山山頂(184m)に着いた。峠の前後から増え始めた笹が山頂の周りを囲ん

でいた。

 

 

 

その笹が少しかかった道を西に進んでい行くと、権現ダム方面へ下る道との分岐。その分岐を右に折れて次の

アンテナ山を目指して歩く。道の途中からそれらしいピークが木々の間から見えたが、アンテナのような建造物

はそのピークには見当たらなかった。

 

 

山頂近くになると露岩が現れた。すると先を歩く奥様たちが『これがアンテナかいな?』と言う声が聞こえてき

た。二人に追いついてみるとたしかに想像していた前山で見たアンテナには程遠い、テレビの共同アンテナが建

っていた。『ん~たしかにアンテナには違いない!』これで六座目のアンテナ山

 

 

 

 

少しがっかりした三人の思惑とは他所に、アンテナ山からの眺望は素晴らしかった。先ほど歩いた総山の肩腰に

は、明石大橋の橋脚が遠くに見える。周りの山々は季節は初冬だというのに秋色一色だ。

 

 

 

 

次の二つ目の『そうやま・惣山』へは少し下って尾根を辿って行く。

さすがため池の数が日本一の兵庫県。途中からもあちらこちらに空の青い色を映し出したため池が転がっていた。

 

 

 

惣山山頂はこのコースの中で一番の広場になっていた。ベンチが一つ置かれ木々も数本、南に開けた空からは明

るい日差しが降り注いでいた。予定では次の紅山でお昼にしようと思っていたが、ここまで来ると風が強くなっ

ていた。そうなると紅山の岩尾根は吹きっさらしになるので、ここでお昼ご飯にすることにした。

私は先日オープンしたばかりの地元のマルナカで買ってきた巻きずしとお稲荷さん。ナスビの温かい味噌汁が、

少し肌寒いなかで気持ちまで暖めてくれる。

 

 

 

 

20分ほどでお昼ご飯を食べ終えて次に今日のメインイベントの紅山へと一旦下って行く。

するとシロモジだろうか?薄く淡く透明感のある黄色のカーテンが道の両側を覆いつくし始めた。その薄黄色の

林の中で奥様たちが感嘆の声をあげている。

 

 

 

 

今まである程度黄葉が続く道を見た事はあったが、ここまで薄黄色一色に染まった道は初めてだった。今日はこ

の黄葉を見られただけでも満足だ!薄黄色のシャワーは九十九折れの下り坂の最後まで続いていた。

 

 

 

 

 

その急坂を下りきると岩倉峠。そこからは今度は柿色に染まる山肌の最上部に何やら岩肌らしき斜面が見えた。

『あれが紅山かな?』と言いながら歩いて行く。

 

 

 

紅山登山口と書かれた道標から10分弱歩くと紅山の岩尾根の全貌が目の前に現れた。登山口から途中で追い越

していった常連さんらしきおじさんが先に取り付いていた。

まるで巨大な恐竜の背中を小さな人間が取り付いているように見える。中間地点ではツブダイダイゴケで岩肌が

オレンジ色に染まっている。紅山の名前の由来はこのオレンジ色の岩肌からくるらしい。

 

 

 

 

 

途中からルリちゃんは迂回路へ。あっちゃんと二人で登って行くが写真で見たザラザラした岩肌も意外と硬くて

靴底のグリップがよく効いている。上部になるにしたがって斜度はキツくなってくるが、立って登れないことも

ない。立ったりすると高度感が出てくるが、登っているうちはそれほど感じることもなくスイスイと登って行く。

 

 

 

登りきるとやはり南側は遮るものがなく高速道路を走る車の音が鳴り響いていた。そして東側も小野市の市街地

が広がっていた。

 

 

すると何を思ったのかあっちゃんが登ったばかりだというのにまた岩尾根を下って行っている。

途中で立ち止まって写真の催促でもするのかと思ったら、結局下まで下って『下りの方が怖くないわよ!』と言

いながらまた登ってきた。何を考えているのやら・・・・?

 

 

 

 

今日のメインイベントを無事登り終え、今日八座目の紅山の山頂標の前で写真を撮る。

 

時間は12時30分だが、まだスタート地点のハイキングマップに載っていた岩山以外にまだ三座あるので先を

急ぐ。山頂の西側の岩肌からはちょうど紅山の岩尾根が真横から眺められた。ここから見てみるとおおよそ45

度くらいの斜度だろうか?

 

 

その露岩から少し下って行くと縁結びのパワースポットと云われる夫婦岩の男岩の横に西紅山の山名札がかかっ

ていた。男岩は正面から見ると女性の横顔のようにも見えたが、果たして女岩はどこ?これで今日九座目。

 

 

西紅山からさらに下って行くと、これも里山あるある。大シダの繁茂の道になっていた。そして鞍部には西コー

ス入り口の道標。ここから西はハイキングコースの案内板に一応縦走路は載っていたが、色づけされていなくて

ハイキングコースからは外れるようだ。

そして岩山山頂が近づくと、ここでも露岩が現れた。三角点は 四等三角点 岩山 163.78m

 

 

 

 

三角点の少し先に山名標がかかっていた。ここからは遠く瀬戸内海の海際に、神戸製鉄の巨大な工場が見えた。

 

 

 

 

露岩の続く山頂からの道からは大きな権現池が随分と近づいていた。

 

 

そして最後の鞍部へと下り、そして最後の宮山への登りとなる。道標には残りの宮山・南野山の名前はなく、

代わりに峠の名前になっている。そして十一座目の宮山、十二座目の南野山をクリアー。

 

 

 

十二座目の南野山を過ぎると福甸峠へと降り立った。さてさてここまで今日の行程の距離でいうと約半分。

ここから下道歩きの6kmが待っていた。

 

 

 

峠の西側はもう加古川市。ここから県道118号線を地味に歩いて行く。ただ道沿いにはきれいなため池が続き、

女池と呼ばれるため池には白鳥が二羽、優雅に泳いでいた。そんな景色を眺めながら楽しく歩いて行く。

 

 

 

その女池の北側にあった一風変わった雰囲気のカフェで一息入れる。雑貨やドライフラワーが並べられた中を通

り、私はアイスコーヒーを注文そして奥様たちは温かい紅茶を注文する。

 

 

 

 

一息入れた後は気合を入れて下道歩き。アスファルトの固い路面が疲れた足裏に堪える。この時ばかりは神戸支

部長に来てほしかったと三人で話をする。

カフェの周りは別荘地ぽい広々とした庭と、デザインされた建物が並んでいた。その先の男池には餌付けされた

カモが、近づいても逃げる様子もなく湖面を泳いでいた。

 

 

 

男池から約5kmを1時間10分かけて駐車場まで戻ると、スタートした時は数台しか停まっていなかった広々

とした駐車場にはほぼ満車状態で車が停まっていた。白雲谷温泉は人気の温泉の様だった。

12月のスタートにちょうど12座、1ダースのピークを登って奥様たちも大満足。結局出抜くこともできずに

同じだけ12座増えた一日だった。

 

 

 


『バリ山行』ともうひとつの石門

2024年11月22日 | 香川の里山

少し前になるが小説『バリ山行』が第171回芥川賞を受賞した。『バリ』とは『バリエーションルート』の略

で、正規の登山道以外のルートを使って山を登ることの略称だそうだ。山岳小説にしては舞台は六甲山という身

近な場所。その六甲山で『バリ山行』が繰り広げられるのだが、読んでみてそのバリエーションルートに少し違

和感を感じたのは私だけだろうか。

もちろん私もバリエーションルートと云われるルートを歩くこともあるし、藪コキをする事もあるけれど、藪コ

キなどは大抵が道を外れてしまっての時が多く、この小説に出てくる妻鹿のように、わざわざ藪を選んで歩くこ

とはほとんどない。それがバリエーションルートに当たるのかも疑問が残ったが、今回はそんな『バリ山行』を

奥様たちとやってみた。

 

小豆島の寒霞渓には『表十二景』『裏八景』の風光明媚な奇岩を眺めながらの登山道があり、大抵はこの登山

道を使ってその先の小豆島最高峰の星ケ城を往復するのが一般的だけれど、その『裏八景』の西側の尾根を登る

『馬の背』と呼ばれているバリエーションルートがあることを、昨年エントツ山さんのHPで初めて知った。

丁度昨年のこの時期にモミジ狩りを兼ねて、偶然池田町のフェリ―乗り場で出くわしたセニョさんあっちゃん

の三人で『馬の背を』登って、星ケ城まで歩いて『裏八景』を下って、最後に小豆島18番霊場の『石門洞』

石門を見て帰った。

 

今回もそろそろ寒霞渓の紅葉も見ごろだろうを思って、奥様たちを誘ってみた。そして『自己責任で!』と書い

て案内。今回は昨年一緒に歩いていないルリちゃんも参加したいと言うので、『馬の背』は一般的な登山道を外

して歩くのだから、当然何かあったときは『自己責任』でとして参加してもらった。

ただ昨年と同じような行程で歩いても芸がないので、セニョさんがその後独りで登った、馬の背の途中から西に

ある『玉筍峯』に寄道。その後ロープウェイ山頂駅まで登って、県道を歩いて『四方指』へ。そこから南に下っ

て、偶然以前にその存在を知った『もうひとつの石門』、通称『西の石門』を訪ねて見ることにした。

 

昨年と同様に池田港行の6時50分発のフェリーに乗る。但し駐車場はサンポート地下駐車場ではなく、少し離

れた大的場の青空駐車場を選んだ。というのも昨年あっちゃんは巨大な迷路のような地下駐車場で出口が分から

ず、馬の背の岩場よりも恐怖を感じたそうなので、分かりやすい青空駐車場にした。

サンポート周辺は新しくアリーナやホテルが建設されていて開発がどんどん進められていた。

 

 

 

池田港行のフェリーの第十一こくさい丸は『ぞうさん』が船のあちらこちらに象られていた。

出向後しばらくしてデッキに上がると、ちょうど東の空からお日様が昇ってきた。

 

 

池田港からロープウェイ乗り場になる紅雲亭行のバスはおおよそ30分待ちでほぼ満員で出発。

今日の登山口となる猪谷バス停で下車すると、我々以外も数組が降りてきた。裏八景からスタートして表十二

に降りる人はあまりいないので、皆さん馬の背を登るんだろうな~と思いながら歩き始める。

 

 

裏八景の登山道から馬の背の尾根への距離が短そうなところを適当に見計らって取り付く。滑りやすい斜面をひ

と登りすると尾根に出た。尾根からは西に寒霞渓から続く岩壁、そしてここから見ると『果たしてあんな所、登

れるんだろうか?』と思うような、これから登る玉筍峯が険しくそびえ立って見えた。

 

 

 

しばらくは黄葉の木々の下を歩いて行く。寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩層や火山角

礫岩層などの岩塊が、長い年月の地殻変動や風化と侵食によって多種多様の奇岩と崖地が絶景を創りあげた渓谷。

その岩肌はモルタルで固められたように固く、露出している岩も握ったり足をかけたりしてもビクともしなくて、

安心感があり、足掛かり手掛かりがあって登りやすい。

振り向いて後ろから登ってくる奥様たちの奥には、猪谷池内海ダムの向こうに草壁の街並みが見えた。

 

 

 

普通、花崗岩の岩場だと表面がザレたり握った岩がポロっと取れたリするけど、ここの表面は固くてほんと安定

感がある。そのせいか初めて歩くルリちゃんも結構登れてきている。

植生はというとそれはどこも一緒なようで、岩尾根特有のネズミサシがけっこう生えている。

 

 

 

一カ所だけあるロープ場をよじ登ると、玉筍峯随分と近づいてきた。その玉筍峯の横に広がる寒霞渓の紅葉は、

夏の暑さの厳しさが影響しているのか、今年は色がくすんでいてイマイチのような感じがする。

 

 

 

 

小さくアップダウンを繰り返しながら岩場を歩いて行く。玉筍峯の岩塊の上に月がまだ見えた。

 

 

 

岩場は固く安定しているとはいえゴツゴツと凹凸があって、逆に注意しないと足を引っかけ転倒しかねない。

前を歩くあっちゃんが立ち止まってなりやら写真を撮っている。その場所まで行ってみるとこの季節に珍しくカ

マキリが岩に張り付いていた。

 

 

 

岩尾根になってからは西側はだいたい切れ落ちているので、巻道はほとんど東側を巻いて登って行く。

それにしてもあっちゃんのスピードは落ちない。普通に登山道を歩いている感じでどんどん登って行く。そして

先に岩塊を登りきると更に高い岩に登ろうとする。

 

 

 

玉筍峯ほぼ真横の高さまで登ってきた。この辺りから見るとけっこう木々が生えていて高さもそんなになくて、

また違う岩塊に見える。

 

 

岩尾根から樹林帯に入ると、左側にロープウェイが見下ろせるこのルート一番の展望所がある。渓谷の紅葉も

稜線近くはもうピークを過ぎた感じだが、ロープウェイの周りは今が見頃といった感じだった。

 

 

 

その見晴らし台の手前に赤い色褪せた布切れと、こちらも朽ちかけたテープが木の幹に掛けてある。そのテープ

から西に向かって降りていくと玉筍峯へのルートになる。木々の中を下って行くと彩の向こうに玉筍峯らしき影

が見えた。それを見て『意外と近そう!』とあっちゃん。『いや~あれは偽ピークぽいですけど』と私。

 

 

思った通り見えた岩は玉筍峯の手前の岩。その岩塊を回り込むとまた先ほどの見晴らし台からの景色とは違った

角度からの渓谷とロープウェイ、そして山頂駅の駅舎が見えた。

 

 

玉筍峯の直下からあっちゃんは左に登りやすい場所へ。私は直登をしてみるが、これがけっこう危うかった。当

然写真を撮る余裕もなく、なんとか岩塊の頭に出た。最後は3mほどの高さを垂直に登るのだが、高さは大した

ことがなくても足元が切れ落ちていて落ちたらアウトだ。少ししてあっちゃんも登ってきたので二人で記念撮影。

あまりアップで撮るとちょっとした岩に登っているくらいにしか見えないし、少し離れて撮っても高度感はまっ

たくでない。

それでも下るときは足元が全く見えないので『注意してゆっくりね!』と声をかける。

 

 

 

 

 

今日の目的のひとつの玉筍峯をゲットした後は、分岐近くで待つルリちゃんの所へ戻って行く。待っていたルリ

ちゃんと合流した後はルートに戻って山頂駅を目指す。スタート近くの尾根の黄葉から、この辺りはオレンジや

赤の紅葉に彩が変わってきた。

 

 

一旦下って登り返していくと見覚えのある白い露岩が現れる。ここから先は樹林帯、この馬の背ルートで内海湾

草壁の町が見下ろせる最後の眺望となる。

 

 

 

白い露岩からは山頂駅にある第一展望台の岩壁直下までの急な登り。ウバメガシの木々の間を縫って、乾いた小

さな葉に足を滑らせながら登って行くと岩壁の足元に着く。

 

 

岩壁まで来るとそこからは岩壁の足元を東へと歩いて行く。途中で小さな細い滝を見ながらさらに進んで行くと、

裏八景の登山道に飛び出した。少し荒れた裏八景を登りきると山頂駐車場。トイレを済ませて公園広場の東屋で

お昼ご飯にする。

 

 

かわら投げの出来る第二展望台から見る四方指までの間の紅葉は、陽の当たり方のせいか今一つな感じがした。

ただ展望台や公園にあるモミジは日差しが当たって輝いてた。

周りでは声高らかに中国語が飛び交っていた。観光地は今やインバウンドで海外の人が大勢押しかけているが、

紅葉の季節になる京都などは、もっとにぎやかなんだろうと想像する。

 

 

 

 

 

時間は11時40分前。ここから四方指まで3.5kmの県道歩き、その後西の石門まで下って、更に予定して

いる内海ダムのバス停までタイムリミットは約3時間しかないので、のんびりとはしていられない。

途中にある鷹取展望台や、二年前の瀬戸内芸術祭のオブジェの『空の玉』を見てみてたかったが、次回に行く事

にしてどんどん歩いて行く。

 

 

寒霞渓の紅葉よりこの間の紅葉がとにかく見事だった。赤に黄色にオレンジと足元には結構散った葉が積もって

いるが、それでもまだまだ見応えがある。

 

 

 

脇道から県道に出ると、道の両側に帯のように落ち葉が積もっていた。四方頂からGoogleMapで『寒霞渓スカイ

ラインビュースポット』となっている場所までは単調な登坂が続き、あまりおしゃべりもせず黙々と歩いて行く。

 

 

 

そのビュースポットからはススキの穂の奥に内海湾そして大獄から碁石山洞雲山に続く峰々を望むことができ

た。あのあたりの山も馬の背と同じようなゴツゴツとした岩が続いていて楽しめる山だ。

眼下に見える先ほど登った玉筍峯の真っすぐ奥に見える千羽ケ嶽拇指嶽がちょこっとだけ見えている。

 

 

県道から四方指の標識にしたがって左に折れる。手前の県道沿いに比べると急に彩が増して賑やかになってきた。

時間はほぼ予定通りの1時間近くが経過しようとしていた。ここにきてズボンの下に履いている着圧のタイツの

股の部分がよれて股の付け根で擦れ始めた。途中で道の脇の木の陰で直してみるが直ぐにまたよれ始めた。

 

 

 

 

美しの高原の中にある四方指大観峰からは山と海と空をひとりじめ出来そうな大パノラマが広がっていた。

大角半島の奥の海の向こうに薄く見えているのは鳴門の辺りだろうか?反対側はには本州の赤穂辺りが見える。

 

 

 

 

 

三角点の横には三角点の標石と同じ石に彫られた説明板が建っていたが、全国にある標石のほとんどがこの小豆

島の石が使われているのだけれど、説明文は少し説明不足のように感じた。

『全国の至る所にある三角点の標石には、ほとんどが小豆島の石が使われています』と書いた方が、書かれた人

の意図が伝わる気がした。 参考文献:小豆島産の三角点・国土地理院

 

 

 

さあ残り時間は2時間。ここから西の石門まで下がって更に県道まで下っても、そこからバス停まではまだ15

分ほどかかる。14時50分紅雲亭発の便に遅れると2時間20分待つことになり、それでは帰りがけっこう遅

くなる。展望台の西側の緩やかに斜面になった所から見えたピンクのテープを目指して樹林帯へと入って行く。

このピンクのテープはこの後ずっと続いていったが、所々で見失ったりしてうろつく場面もあった。ただ基本的

には下りだと東側が岩崖地になっているので、その岩崖に沿って下って行けば間違いがない。

時間に余裕がないという事で奥様たちも、茂った木々の間を右に左に避けながらブイブイと飛ばしていく。

 

 

 

 

すると中山みちと刻まれた石の立つ場所に着いた。かつてはここが中山から草壁への峠道だったようで、多くの

人の行き来があったそうだ。その石の横には『四方指』『窓』と書かれた二つの道標が建っていた。

 

 

 

『窓』の道標に従って東に下って行く。昔の峠道の面影は残っていたが、とにかく落石によるのか、足元はゴロ

ゴロした大小さまざまな石が転がっていて歩きづらい。しかも九十九折れの道はけっこう急な坂になっている。

すると少し遠方だが下の方でズドーンと鉄砲の音がした。何度かその音が続いたところで、『私は黒い服で目立

ちにくいので、赤い服のルリちゃん先頭でお願いします!』と言って、先を譲る。

 

 

 

今は使われていない道とはいえ、これだけ石が転がっている道は初めてだ。これでは時間がないのにスピードが

まったく上がらない。それよりもいつ石を踏み外して転倒してもおかしくない。

何とかそのゴロゴロ石の急坂をやり過ごすと、また『窓』と書かれた道標と石門の注意書きを書いた紙が木の幹

に掛けられていた。

 

 

 

ここからは岩壁の足元を南に向かって歩いて行く。岩壁の岩肌は馬の背の岩尾根と同じように火山角礫岩らしく

デコボコ、ゴツゴツした岩肌になっていた。

するとそのほぼ垂直の岩壁に、ロッククライミング用のハーケンが打ち込まれ、フィックスロープが垂れ下がっ

ていた。たしかさっきの注意書きには国の許可が必要だと書いていたはず・・・・。

 

 

その岩壁の足元を抜けると樹林帯の斜面をピンクのテープを目印に登って行く。事前にみたここを歩いているY

AMAPの活動日記を見て、それほど時間はかからないと思っていたが結構時間がかかっている。

その斜面を登って行くと先に登っていたあっちゃんから声があがった。『着いたよ~!』

 

 

 

 

手前側には大きな石が転がっていたが、石門の奥は平らな場所が広がっていて、何か祭事が行われていたような

形跡もあった。大きさは東の石門より大きく見える。そしてアーチの部分も随分と分厚い。

 

 

奥の広場になった場所には、なにやら文字が刻まれた石が建っていたが解読はできない。

視力のいいルリちゃん石門の上の方にもハーケンが打ち込まれているのを見つけた。手前の岩壁ならまだしも、

許可を届け出たとしても絶対降りるはずもなく、なんという事だ。

 

 

 

広場から石門を眺めながらうろついている奥様に、『バスの時間まで残り1時間です!』と声をかける。

岩壁の足元を抜け分岐まで戻り、あとはピンクのテープに従って降りて行く。

すると割と近くでまたズドーンと鉄砲の音がした。あっちゃんがストックをたたき合わせて音をだすが、

『それよりルリちゃんが叫んだ方がいいよ』といって『お~い!』と叫んだ声が鳴り響いたら、鉄砲の

音は止まった。

 

 

途中でYAMAPの活動日記で参考にした人のルートとは違っているのに気が付いたが、尾根にはテープは続い

ていたのでそのまま超特急で下って行く。

途中から分岐までのゴロゴロ石の道に比べると随分歩きやすい道になり、ますますスピードが上がって行く奥様

たち。その後ろで下りが続いてそろそろ膝が痛み始めたへっぽこリーダーはどんどん離されていく。

 

 

尾根道から地形図に載っている破線の道に飛び出し、そのまま下って行くと40分ほどで、こちら側からの取り

付きとなる元うどん屋の横に飛び出した。すると期間は終わっているが『シカ駆除』の注意書きがあった。

 

 

 

県道から内海ダムまで下って行く。時間的に余裕が出てきたので管理事務所に寄って『ダムカード』をもらう。

 

 

 

さっきまでは下り坂で膝の痛みが気になっていたが、平地になった途端に股の間の擦れが気になり始めた。

こうなったら遠慮なく奥様たちの前で、恥ずかしげもなく股の間の着圧タイツのヨレを直す。(かたやおっさん

、かたやおばさでも、遠慮も恥ずかしさもなくなったらおしましだ)

 

バスの時刻に10分ほど前に着くことができた。『さてさて満員でなかったらいいんだけれど』と話をしている

と、定刻にバスが来た。やってきたバスに手をあげるとなんと満員で、運転手さんが後ろを指さした。その後ろ

からはもう一台バスがやって来て、こちらに乗り込むと意外と空いていてちゃんと座る事が出来た。ラッキー!

 

 

帰りのフェリーはゾウさんからパンダさんに変わっていた。陽が落ち始めた瀬戸内の海をデッキで眺めていると

内海から出た途端に風が強くなり肌寒くなってきたので船内に戻る。

そんなにゆっくり歩いたつもりもなく、休憩時間もそれほど取っていなかったのに、時間的に今回は余裕がなか

った。『今日は少し欲張り過ぎたですね』と奥様たちに言うと、『ぴったり予定通りの時間で良かったですよ』

と言ってくれた。『最後のバスが座れたのがいい意味での誤算でしたね』と言って笑い合った。

 

 

 


ア~那岐山のシンドバット~♫♪

2024年11月14日 | 四国外の山

 

先月西の奥様と石鎚山に登った時に、『来月の13日はルリちゃんが旅行で留守なので、かねてからの懸案だっ

剣山の鬼神の岩屋に連れて行ってください!』と頼まれていたのを思い出した。

ただここ最近膝の調子が思わしくなく、登山道から外れて歩くのは少し躊躇いがあったので、三つほどピックア

ップしてみた。其の内のひとつ『紅葉はイマイチかもしれませんが、山頂からの360度の大展望の山』と銘打

った那岐山にあっちゃんが食いついた。(事前に調べたYAMAPの活動日記には紅葉の様子をアップした写真が

あまり見当たらなかったので)

 

集合場所の丸亀からだと高速を利用するので、2時間強で登山口まで行ける距離。普段出かける四国の山とさほ

ど変わらない。津山ICを降り国道53号線を奈義町へと車を走らせる。

登山口の手前にある『那岐山麓 山の駅』でトイレを済ませて、那岐山登山口第一駐車場に車を停める。駐車場

には車が数台停まっていた。

 

 

駐車場で身支度を整えていると目に付いたのがこの注意書き。『ヌ・ヌ・ヌ8月と言えばつい最近じゃないです

か!』しかもCコースは今から登って行く道・・・・。

 

駐車場からしばらくは舗装路を歩いて行く。道の脇の木々は意外と色づいていていい感じだ。するとまた熊注意

の看板。『そうかここは熊の生息域に立ち入らせてもらってるんだ』

 

 

 

その先で道の右側に蛇渕の滝の道標。その道標の横から脇道に入って沢へと降りていくと、上手に何段かに分か

れた蛇渕の滝があった。

 

 

滝自体は高さもなく小滝といった感じで平凡だったが、渓谷に差し込む朝の光に照らされたモミジが幻想的で、

思わず声をあげて見入ってしまった。

 

 

 

渓谷から道に出る間にもまた熊の注意喚起の看板。しかも今度は写真付き。この後熊注意の看板は度々目にする

事になる。気になったので帰って調べてみると、今年の6月には那岐山から西の広戸仙の登山道で男性が噛まれ

て怪我をしていた。熊被害は北海道や東北の話だと思っていたのにこの辺りでも身近な事のようだ。

 

蛇渕の滝から少し歩くと登山道入り口になる。その取りつきから先でBコースとCコースの分岐になる。YAM

APの活動日記ではBコースとCコースで周回する人が多いが、今日はあっちゃんから山頂からAコースで周回

しましょうと提案があった。Aコース上には慈母峰・八巻山・大別当山があるので、YAMAPの山頂ポイント

を増やそうという魂胆だと思ったので、距離は少し伸びるけど素直に了承従うことにした。

 

 

Bコースの様子は分からないが、Cコースは取り付きからしばらくの間は大小さまざまな大きさの石がゴロゴロ

転がっていて歩きづらい。場所によってはその石を避けて道の脇を歩いて行く・

 

 

 

この那岐山氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されているだけあって、登山道の道標もしっかりした道標が続い

ていく。丸太で作った階段も、先週歩いた龍王山の丸太よりひと回り太くてしっかりしている。

気温が下がってきたとはいえやはり登りではまだ汗が噴き出る。途中で二人とも上着を脱いで登って行く。

 

ゴロゴロ石や丸太の階段をやり過ごすと、少し歩きやすい道になる。途中にあった水飲み場。細い塩ビのパイプ

から流れ落ちる水に手をやるととても冷たく、その手で顔の汗を拭う。

 

 

道は次第に急登になってくるとヒノキの林から自然林へと移って行く。すると上の方から何やら子供の声が聞こ

えてきた。あっちゃんにそのことを言うと、『下から?』と言うので『いえ上からです』と言った先に声は聞こ

えなくなった。

 

 

 

連絡した時は『紅葉は期待できないと思います』と書いてメッセージを送ったが、いやいや嬉しい期待外れ?こ

こまで来ると錦の中の登山道になる。『おかしいな~YAMAPの活動日記にはほとんど紅葉の写真が上がって

なかったのに』と思いながらも、今シーズン最高の紅葉に二人で感嘆の声をあげながら歩いて行く。

 

 

 

 

しばらく登って行くと大神岩の広場で子供たちの姿が見えた。さっき聞こえた子供の声は聴き間違いではなかっ

た。その人数の多さに驚いたのと、ここまで我々でも1時間20分ほどかかっているのに子供たちが、と驚いた。

引率の女性に話を聞くと岡山のあゆみ保育園の年長組さんで、ここからさらに山頂まで登るというのを聞いて、

さらに驚いた。

 

 

大神岩には「大日如来」「不動明王」の文字が刻まれているというので、岩の下を回り込んでみるが分からなか

った。その後岩の上に登ってみると眼下に奈義町の田園風景が広がっていた。

 

 

 

すると私たちが登っているのを見て、園児たちも登ってきた。普通なら危ないので引率の先生は止めるはずなの

に、逆に声をかけてどんどん登らせている。園児たちも慣れた様子で喜んで上がってきた。

段差が高くて上がりづらそうにしている園児のお尻に手を当てて押し上げてあげるが、先生たちはあまり手伝わ

ない。おそらくこの保育園はそういう教育方針なのだろう、多少危なくてもむやみには手をかけずにどんどん外

で遊ばせているようだ。

 

 

 

大神岩からは登山道の雰囲気が変わってきた。登山道というよりは広尾根で明瞭な道といった感じではない。

周りの木々も葉が散って明るさも増してきた。そのせいか風が吹き抜け少し肌寒くなってきたので、この道標の

建つ場所で脱いだ上着を着込む。

 

 

 

 

 

二つ目の神仏ポイントの須佐之男命と刻まれた文字は間近に見る事が出来た。この神仏ポイントから少し上で樹

林帯を抜けて、笹原が広がり始めた。

 

 

 

風はやはり強かったが、陽が当たるので思ったよりは寒くはなかった。スタートから2時間20分で稜線に出た。

 

 

 

左手には真新しいトイレが建っていて、右手には北に向かっての展望台があった。展望台からは西に向かって続

く稜線上に滝山が見える。そして東には那岐山山頂で何人かの人が休んでいるのが見える。

 

 

 

 

 

南東には山頂からの周回になる慈母峰。普通植林地の境界は線上になってはっきりしているが、慈母峰の植林地

は自然林に交わって斑になっている。逆光で陰になった道標が十字架に見える。

 

 

山頂の途中にある三つめの神仏ポイントにはこの山の由来にもなる「伊邪那岐命」のほかに「天照大御神」「奈

義神」の文字が刻まれている。

 

 

山頂の手前に屋根にエントツを構えた立派な避難小屋があった。時間は11時20分。お昼前だがあっちゃんが

『お腹が減ったと』騒がないうちに小屋の中でお昼にする。室内は10度をきっていたが風がない分暖かく感じ

る。

 

 

20分ほど休憩した後山頂へと登って行く。山頂手前で振り返ってあっちゃんに『子供たちはまだ来んやろね~

』と話をすると『ん~来てくれたらいいのに』と。

でも後ろに見える展望台をよ~く見ると、何やらゴゾゴゾと動いている。『いや~もう登って来てるわ!』とあ

っちゃんに言うと『早くこっちまで来ないかな?』と。

するとしばらく見ていると展望台からこちらに来ているのが見えた。そして避難小屋の前で集まっている。

 

 

 

山頂に着いたが360度の大展望どころではない。二人で園児の様子をずっと伺って、『避難小屋でお昼にする

かな?』『こっちでお昼にしたらいいのに』などと言いながら眺めていて、周りの景色を全く見ていない。

すると何人かの子らがこの山頂に向かって走り出した。『キャ~来る来る!』と大騒ぎ。

早い子はやはり走って登ってきた。先に登ってきていた先生と一緒になって『一番・二番・・・』と声をかける。

次々と登ってくる園児たち。ふざけてワザとへばったふりをする子もいたが、息を切らせていても一瞬で治まる

あたりはまるで小さなアスリートだ。そして集合写真を撮るというので自ら進んで買って出る。

 

 

 

 

 

一気ににぎやかになった山頂で園児たちがお昼にする様子。そんな園児たちを見ながらずっと目じりが下がりぱ

なしだった。写真をとってあげたのでこちらも先生に撮ってもらう。

 

園児たちに『バイバイ!』とあいさつをして山頂を後に東へ縦走路を歩いて行く。山頂からしばらくはドウダン

ツツジの並木が続いている。途中で振り返ると山頂、避難小屋そして展望台が見えた。

 

 

 

 

 

Bコースへの分岐の道標を越えて更に東に、1201mの標高点から今度は南に下って行く。ここからがAコー

スとなる。

 

 

 

 

分岐からは慈母峰との鞍部まで300mを一気に下って行く。足元もさほど良くはなく、少し膝に違和感が出始

めた。笹原から樹林帯へと入ると、また彩が目に飛び込んできた。下り坂だが右に左にと細かく足を運んでいる

と次第に暑くなってきた。

 

 

 

陽の当たりが薄くなるヒノキの林の中が体感温度が下がってちょうどいい。

稜線の分岐から30分で鞍部に着いた。林道の脇のススキの穂が陽に当たって輝いている。

 

 

 

さあここから慈母峰までがひと踏ん張り。長い階段状の道が続いていく。中腹位になると段差のある個所は、土

嚢袋を置いて段差を低くしてくれているのが助かる。

 

 

 

鞍部からは100mほどの標高差だが急でほぼ直登。とにかく息が切れるが、周りの彩を眺めながらだと幾分か

しんどさが軽くなる。

 

 

 

階段を登りきると慈母峰までの稜線は平坦な道になる。ベンチの置かれた場所からは、那岐山の稜線と山麓の

風景が見渡せた。

 

 

 

 

 

そのベンチの後ろの木の枝に、小さくて見逃しそうな山名札がかかっていた。山頂近くからこの慈母峰を見た時

に、植林地が斑になっているのが見えたが、那岐山の南面もの濃い緑が斑になっていた。

 

 

 

慈母峰から次の八巻山へと歩いて行くと、こちらも道の両側できれいな彩を見せてくれた。

 

 

 

 

道の横にある大岩を過ぎると尾根の西側が伐採地の頂部になった。伐採地の麓の少し先には朝トイレを使った那 

岐山麓・山の駅が見えている。山の家の手前にはため池が見えているが、他にもあちこちにため池があるのが分

る。ちなみに県別のため池の数は香川が多そうに思えるが、やはり県の面積自体が小さいためか、数でいうと一

位は兵庫県の2万4000ヶ所になる。香川県が第三位で1万4000ヶ所だから、兵庫県のため池の数は圧倒

的だ。そして岡山県は第五位だった。

 

 

慈母峰からしばらく歩くとヒノキの林の中に、こちらは擬木の階段が続いていく。

 

 

 

擬木の階段が終わる途中の鞍部で菩提寺への分岐になっていた。菩提寺には大イチョウがあるそうなので、時間

が早く降りれれば、帰りにちょっと寄ってみようとあっちゃんに話をする。

 

 

更に道標に従って進んで行くと道の両脇に、八巻城跡の説明版が設置されていた。ここには説明版はあったが、

山名の標識や札がなかったが、YAMAPを見ると八巻山になっていたので取りあえず写真を撮る。

 

 

 

この辺りの林も錦のオンパレード。赤からオレンジ、そして黄色のグラデーション。少し薄い緑が混じっている

のもいい感じだ。予想もしなかった紅葉の波に『ご案内はしていなかったですが、割増料金になりますがよろし

いでしょうか?』と冗談であっちゃんに言ってみた。

 

 

 

 

錦の林を過ぎると今度はヒノキの林の中の道。地形図では鞍部まで何度も折れた破線が続いている。その地形図

通りに道は右に左にと何度もターンを繰り返す。

林床から伸びたシロモジだろうか?陽に当たって輝き、陰になったヒノキの幹とのコントラストが、その輝きを

ひときわ目立たせてくれている。

 

 

 

九十九折れの下り坂が終わると車道の上に出た。その車道を跨ぐようにしてつり橋がかかっていた。

橋の下の車道は菩提寺へと続く道だ。

 

 

つり橋を渡ると今日最後の登り坂。これを登ると四座目の大別当山になる。取り付きの階段を登ると、昔十円玉

を入れて右に左にパチンコを打つようにしてゴールさせるゲームを思わせる坂道。その道を登りきると大別当山

の山名札がかかっていた。

 

 

 

四座目をゲットしたのでさっそくもと来た坂を下りて行く。するとつり橋まで戻って来るとあっちゃんが『あ!

標高点まで行けていないわ』と言い出した。言われてYAMAPを見てみると、確かに591mの標高点まで行

けていなかった。『どうします?』と言われたが、もう気持ちは登る返す気にならない。『たぶん、山頂ピーク

はゲットできていますよ』と言って、そのまま車道を下って行く。

駐車場まで戻ると、もう神戸ナンバーの車が残るだけだった。

 

 

 

時間通りに戻って来られたので、途中で話をした菩提寺の大イチョウを見に行ってみる。

本堂から東に立つ大イチョウは今まで見た事もないような大きなイチョウの木だった。根元から何本も分かれた

幹から太い大きな枝が真横に伸びていた。その枝から下に向かって乳のような担根体がぶら下がっている。古木

で時々見られるというが、たしか梶ケ森に行く途中でも『八畝の乳イチョウ』があったと話をする。

樹齢900年となっているが、その樹皮の深い彫に重ねてきた長い年月を感じ、畏怖する感じてしまう。

 

 

 

 

今日は終日頭の中で那岐山とは全く関係ない、ピンクレディーの『渚のシンドバット』のフレーズが流れていた。

思わぬ園児たちとの出会い、そして予想していなかった彩さらにはこの大イチョウと、天候にも恵まれて久しぶ

りの10km近い山歩きに、心地よい疲れを感じながら高速道路を家路へと車を走らせた。


病院で診察のあとにサクッと竜王山へモミジ狩り!

2024年11月09日 | 香川の里山

 

昨年の年末に六甲山で転倒して岩に膝をぶつけてしまい、帰宅後どんどん腫れてきた。ただもう病院は年末年始

でお休み。仕方がないので年が明けて直ぐに駆け込んで、腫れた膝から水を抜いてもらった。

1週間後のMRIを検査をすると内側の半月板損傷だと診断された。幸い重度ではないので薬と湿布薬で保存治

療をすることになったが、薬は約1か月分出るのだけれど、なかなか飲み切れずに結局数ヶ月経って数回行くだ

けになってしまった。

その間鋭い痛みはなく、山に登っていても下りが続くと鈍痛が出る程度だったのが、ここ最近じっと椅子に座っ

ていても、痛みほどではないが何かジンジンするので職場の近くで再検査をしてもらうことにした。

というのも通っていた整形外科の先生、私の通院が不真面目だと思っての事か、こちらが質問してもあまり反応

が良くない。

一度『先生、内側が損傷と言う事ですが、どちらかと言えば外側に違和感を感じるんですけど?』と聞くと、

『おかしいな~・・・・』とだけ。

別日に『先生、最近曲げて伸ばすとポキポキ音がするんですけど?』と聞くと、

『そうやろな~』と。

おそらくこちらから色々と聞きなおすと答えてはくれるのだろうけれど、具体的な説明は聞けそうもない。

また休日はほぼ出かけていて家にいることがなく、地元の整形外科よりも、職場に近い整形外科の方が何かと融

通が効くと思って、今回予約を入れて出かけてきた。

 

問診と触診のあと取りあえずレントゲンを撮ってもらいMRI検査は次回となった。その時に『前の整形外科で

MRIの画像をCDに焼いてもらって持ってきてください、比較をしてみたいので』と言われたので、医院を出

て直ぐに電話を入れてみると、受付の女性が

『何に使われますか?』と聞くので

『別の病院で検査を受けようと思うのですが比較をしたいのでということです。』

『わかりました』と言った後、先生に聞きに行ったのか電話を保留に。戻ってきて

『画像だけでいいんですか?』と言うので『ハイ』と答えるとまた先生の所へ。そしてまた戻って来て

『どこの病院に行かれるんですか?』と聞くので『○○整形外科です』と言うとまた先生の所へ。

 

今時の事、患者側からで色々と問題となることがあるのだろうが、

結局根掘り葉掘り聞かれたけれども了承してくれて、夕方までに取りに来るようにということになった。

 

再検査をしてもらった整形外科でもMRI検査でないと詳しくは分からないが、レントゲンの画像では骨として

は非常にいい状態で、膝蓋骨と脛骨の間の隙間も年齢の割にはちゃんと空いていて問題ないと思いますと言われ

たので、まずは少しは気持ちが和らいだ。

そうなると夕方までにあまり時間はないがせっかくの休み、どこか山に出かけたいと考えて、思いついたのが

王山だった。なぜならYAMAPでもらえるバッジの県別四国の最高峰の山で、阿波竜王山だけバッジがもらえ

ていない。もちろんいつものスタート地点となる奥の湯キャンプ場からは時間的に無理なので、今回は鷹山公園

に車を停めて、そこから阿波竜王山を目指すことにした。

 

とその前にまずは腹ごしらえで久し振りにいこい食堂へ行ってみた。

お昼時、店の前には数人並んで待っていたけど回転がいいのか10分ほどで中へ入れた。案内係の男性は段取り

と愛想がよくて、次々待っている人を中に案内して注文を聞いている。

ここの中華そばは県内では唯一ここだけ、親鳥を卵でとじたスープと具。その中華そばを待つ間におでんの焼き

豆腐(出汁が染みていてこれも美味しい~)を食べているとその内にお目当てが運ばれてきた。

 

無料のにんにくをトッピングしてもらい、噛み応えのある親鳥と少し甘めのスープで美味しくいただいた。但し

私もだが、歯が悪い人には親鳥がけっこう固いので注意が必要。

 

 

腹ごしらえをした後は、食堂から内場ダムの横を通って相栗峠まで走り、少し道幅が狭くなった町道竜王線を通

って鷹山公園に着いた。

 

今日はここから阿波竜王山往復するのではなく、町道竜王線を利用して周回するつもりだったが、さてさて登

山道と町道のどちらを先に歩こうかと考えた。

たしか讃岐龍王山からはけっこう長い急坂になっていたのを思い出して、帰りに登山道を使うと、その長い急坂

を下ることになるので、急登も苦手だが、膝には登りの方がいいだろうと思い登山道を登りに使うことにした。

案の定スタートからしばらくの間長い急登が続いて行く。

 

 

鷹山公園で車を停めた時にメーターには外気温9度と表示されていたので、上着をどうしようかと考えたが、そ

のまま車に置いてきて正解だった。薄手のシャツでも寒くはなく、反対に背中がけっこう汗で濡れてきた。

途中何度か立ち止まって水分を補給する。

すると1005mの標高点辺りまで来ると、登山道の右側が急に開けた。内場川の源流域の谷あいの北と南に伐

採地が広がり以前は鬱蒼として杉やヒノキに囲まれていた登山道が、一気に見晴らしのいい登山道になっていた。

奥の湯キャンプ場をスタートして、竜王山キャンプ場を通るとその上が広大な伐採地になっていたが、その伐採

地越しに高松の市街地が見下ろせる。

 

いつもは下から見ると結構大きな山塊に見える屋島も、ここから見ると小さなこんもりした盛り上がりにしか見

えない。

目線を少し右に振ると、天満ケ原越しに見えるのは矢筈山だろうか?

 

 

暫くの間は伐採地の最上部の作業道と登山道が並行して続いていく。

どうやらこの登山道が香川と徳島の県境になっているようで、伐採地が香川県側となる。

 

 

 

その県境は徳島県側も植林地になっているけれど、杉やヒノキの足元の低木は結構色づいている。

登山道に近い伐採地の最上部で、二人ほど作業をしている人がいたので『こんにちは!』と挨拶をしてをして通

り過ぎる。

 

 

伐採地を過ぎ、珍しく四つに幹が分れた赤松を横目に見て、しばらく歩くと讃岐龍王山に着いた。

讃岐龍王山には三角点はないので、山頂標のすぐ横にあった境界石柱でそれらしく写す。

 

 

讃岐竜王山からは一旦細い丸太でできた階段を下って行く。これがけっこう長い階段で、前にストックを突きな

がら一段一段ゆっくりと、頭の上の色づきを確かめながら下って行く。

 

 

 

この辺りの登山道の右手は貝ノ股川の源流域になるのだろうか?その源流域の谷あいもきれいに色づいている。

阿波竜王山までは丸太の階段が同じように登りでも続いていく。

 

 

途中の笠形山への分岐は昔は峠だったのだろう、縦に割れてひびが入ったお地蔵さんがその面影を残していた。

 

 

 

香川と徳島の県境となるこの道には、以前歩いた時に度々見かけた阿讃縦走コースの札が木の枝に掛かっていた。

次第に道の左側は植林地から自然林になり、紅葉のグラデーションにハッと目を奪われる。

 

阿波竜王山山頂にある展望台。その下に 四等三角点 阿波竜王 1059.77m

いつも思うのだが、阿波竜王山の三角点はまんのう町に位置して、香川県の最高峰となっているのに阿波竜王山

とはおかしなもんだ。讃岐龍王山も香川県になるのなら、西竜王山東竜王山に名前を変えればいいのに・・・。

それにしてもいこい食堂で満腹になったせいか、お腹の浮き輪が大きく膨らみ過ぎている!

 

 

展望台からは手前にちょこんと三角形の頭が飛び出た笠形山。その左にひときわ高い大川山

笠形山の奥には大麻山善通寺五岳が見える。

 

そして間違いなく山座同定ができる飯野山の右には、城山が大きく横たわっている。

 

手前の鉄塔の先端には高松空港。そしてその奥には高松市の市街地が広がり、中央には峰山、そしてその左手に

五色台勝賀山が見えている。

展望台の柱の下には誰かが採ってきたのだろう、大きな大きなサルノコシカケが置き忘れられていた。

 

 

ここでしばらく休憩したかったが、整形外科に画像を焼いてもらったCDを撮りに行く時間が気になったので、

西に向かって町道へと降りていく。

町道に出る手前で急な下り坂があったが難なく下って、あとは下道歩き。

 

 

降り立ったところからしばらくは緩やかな登坂。今は使用禁止となっているトイレのある広場に大きな一本のモ

ミジの木。その横には『生活環境保全整備事業』と書かれた説明版。説明にはかなりの範囲で整備事業が行われ

ているが、書かれている通り『国民生活の安定・向上に資する事を目的とする事業』となっているが、結構な税

金が使われて、果たしてその通りの効果は??

 

 

 

その広場からしばらく歩くと道の脇に龍王神社の道標があった。その道標に従って左上に登って行くと、小さな

小屋のような水婆女(みつはめ)神社が建っていた。水婆女は最初みつはめとは読めずに、ミズババと読むのか

と思っていたら、由緒正しき水の神様の様で、干ばつの際は地域の人で雨乞いが行われていたようだ。

 

 

その水婆女神社の奥にはアメダスと二つの大きな電波塔が並んでいた。その周りの自然林の色づきが何とも言え

ず柔らかくてしばらく見とれてしまった。

 

 

水婆女神社から町道に戻って鷹山公園に向かって歩いて行くと、ここからは紅葉のオンパレード!

整形外科を出た後、もう少し近場の里山でも歩こうかと思ったが、結局この竜王山に変えて来てみて正解だった。

赤からオレンジ、そして黄色へのグラデーションの木。また赤一色に染まる木。緑の葉が混ざっているのもなか

なかいい感じだ。

 

 

 

 

そして途中にあった徳島県立竜王山青少年野外活動センター。こちらもご多分に漏れず今は廃墟となっていた。

全国に同じようなキャンプができる野外活動センターがあるようだが、この施設に限らず近場でいうと、の湯

・竜王山キャンプ場も今はほぼ利用されていない。以前は山中にあったキャンプ場も賑わっていたが、今は平野

部やアクセスのいい場所が選ばれて、少しでも不便な場所はどこも利用されなくなった。そして便利な場所にあ

るキャンプ場は最近はデイキャンプでBBQ場と化している。

 

 

 

野外活動センターからも下道歩きは続いていく。ただ道の脇の次から次と現れる紅葉のお陰で、単調な下道歩き

も飽きることなく鷹山公園まで戻って来られた。

 

 

 

 

 

鷹山公園からの帰り道、こちらも随分前に閉館になってしまった奥の湯温泉(けっこうお湯が良かった記憶があ

る)の横を通り、また内場ダムの横を通って帰路についた。

来週のMRI検査で膝がジクジクする原因が分れば、そして多少歩いても差しさわりがないと分かれば、また気

分的に違ってはくるので、その結果待ちでまた山歩きが楽しめるようになればいいと思っている。

 

 

整形外科に行く前に立ち寄ったコスモス畑が見ごろを迎えていた。