YAMAPのみまもり機能は、登録した相手のLINEに登山中の現在位置が地図上に通知される機能で、私は
奥さんを登録している。当然奥さんはどこの山に出かけているのかが分かるし、万が一の時もおおよそどの辺り
にいるのかがわかる便利な機能だが(普段だと恐ろしい大きなお世話の機能だ)、昨日は『明日はどこの山に、
また小豆島!』と言われてしまった。『あ~やっぱりちゃんと見ているんだ』と思った。
ただそれ以上は前回同様聞かれずに済んで事なきを得たが、奥さんには言えないほんとうに魅力的な岩山が小豆
島にはたくさんある。別段ロッククライミングをするわけではないが、『岩山が・・・』なんて話をすると速攻
で『そんな危ないところ』と言われるのが目に見えている。
県内でも珍しいそんな山容の山が点在する小豆島だが、その中でも吉田地区にある山は、岩肌を露わにした岩壁
が連なる特異な風景が目の前に広がっている。
その内のひとつ千畳ケ岳に2週間前に登った時に、山頂から北西に見えた岩塔と岩壁には『ビシャ岳と内海ロッ
ク』という名前があるのを、家に帰ってこもれびさんやむらくもさんのブログを詳しく読み返してみて気づいた。
ただし他の人のブログでも紹介されていたが、二つの名前がそれぞれで食い違っていて、果たしてどの山名が正
解なのかが分からなかった。
そこで今週はもう一度登って確認してみるのと、前回と違うルートで吉田ダムの方へ下りられないかと考えた。
二週間経つと陽が登るのも少しづつ早くなっている。
土庄港から北回り福田行のバスに乗り込むのだが、バス停ではルートの違うバスが次々とやってくる。島の人に
とっては無くてはならない交通手段。ただ我々の乗った福田行のバスには我々二人以外はお年寄りが二人だけだ
った。これでは将来にわたってこの路線を維持するのは難しいだろうなと寂しく感じた。
吉田のバス停で降りると直ぐに目の前に岩壁の連なりが目に飛び込んでくる。
すると横に居た奥様が『あれ、ニット帽がないわ』と言い出した。ザックの中を探っても見当たらない。『きっ
とバスの中が暑いので脱いだまま置き忘れたんだわ』と言うので、直ぐにバス停の時刻表に載っているバス会社
に電話して、事情を説明して置き忘れていたら帰りに寄るので取り置きしてくれと頼んだ。
千畳ケ岳の山頂付近には今にも転がり落ちそうな岩塊がいくつも見える。そしてその右側には岩塔のビシャ岳と、
内海ロックの岩壁が見える。さらにその左側には吉田川の岩場。この辺りの岩壁には100以上のロッククライ
ミングのルートがあるそうだが、我々はそんな岩の間に生えた木々の中を伝って登って行く。
まずは82番霊場の吉田庵の横を通り、吉田オートビレッジへ。ここにはこの山域の写真と山名が書かれた案内
板があるのが分かったので立ち寄ってみた。案内板には岩塔がビシャ岳、その横の岩壁が内海ロックと書かれて
いた。これをネットでは逆に書いている人がいたが、地元の案内板が間違いない。
オートビレッジの西側の舗装路を山に向かって少し歩き、テープがかかった場所から道の脇へと入って行くと、
直ぐの猪避けの柵がある。扉を開けて通り、ちゃんと戸締りをして登って行く。木々に付けられたテープは西に
向かって続いている。そのテープを目印に登って行く。
途中の山中にあった石積み。前回も目に留まった石積みだったがその時は何の石積みかが分からなかった。帰っ
て読んだこもれびさんのブログには、別の場所で写した同じような石積みに『猪垣?(シシガキ)』と書かれて
いた。山歩きをしていてよく見かける石積みとは異なる乱雑に積まれた石積みはやはり猪垣なのだろう。
昔も今と変わらず害獣には悩まされていたようだ。
しばらく急登を登って行くと、麓から見えた樹林帯から突き出た岩壁の足元に着く。岩肌には錆びたボルトが点
々と岩の上まで続いているのが見える。
その岩壁を左に巻くと一つ目のロープ場。そのロープ場を登るとちょっとしたトラバース。西の奥様にとっては
『たいしたことないわ』なのだが、人によってはけっこう高度感を感じるはずだ。
トラバースを過ぎるとほぼ岩肌になってくる。徐々に高度感も出て来てそれに伴って眺望もどんどん開けてきた。
この辺りの壁には真新しいボルトが打ち込まれている。でもまあ結構な高さのここまで登って来て、さらにほと
んど垂直の岩を登ろうなんて?
といっても私たちも今日は千畳ケ岳の山頂から見えたビシャ岳や内海ロックへの好奇心からやって来ている。そ
の好奇心が、岩を登る人たちは垂直なだけなのだろう。
前回登って来た時に通過した展望岩が山頂直下にあった。千畳ケ岳の山頂ほどは広くはなかったが、同じように
見晴らしはバツグンだ。目の前には千畳ケ岳の岩塊が迫り、麓には吉田川の北側に吉田の小さな集落が見える。
今日は前回ほどは遠くまでは霞がかかっていて見えないが、吉田富士の奥に青い瀬戸の海に白い船が浮かぶ、
のどかで穏やか風景が広がっていた。
そんな景色を眺めていると後ろから来た奥様が私の横を通って岩の先端へ!『ダメダメ、見ているこっちがゾク
ゾクとする』と言っても聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか?
展望岩の先にはまた小さなテラスがあった。好奇心旺盛な奥様はまた先へ先へと行ってしまう。その内屈んで何
かを見ていると思ったらボルトにカラビナや朽ちたロープが残っていた。先ほどの新しくボルトが打ち換えられ
たルートと違って、こちらはもう登る人もいないのだろう。
ここからは先ほどの展望岩が見下ろせた。こうやって見るとあそこに立っていたのを思い出しただけでもゾクゾ
クとする。
千畳ケ岳の山頂は前回と同じ素晴らしい景色を私たちに見せてくれた。山・川・海そしてひっそりと暮らす人た
ちの集落。吉田川が流れこむ湾は、ここから見ても水がきれいに透き通っているのが伺える。
そしてその反対側を見るとお目当てのビシャ岳と内海ロックが私たちを待ち構えていた。内海ロックは前回吉田
富士に縦走するときに通った展望岩の辺りだ。となれば今日はビシャ岳の岩壁の足元に行ってみたい。
そしてその後、西側に見えているオレンジの岩肌の256.6mの三角点を通って、そこから吉田ダムへと下りたい。
事前にそのルートはYAMAPで『サホさん』が歩いていたのを見て確認している。奥様にも残りの行程を峰々
を眺めながら説明して、千畳ケ岳を後にする。
山頂からは北西にテープを辿りながら一旦下って登り返していく。この辺りはほとんど歩いている人の形跡はな
いが、テープだけはしっかり残っている。人によっては藪コキというのかもしれないが、藪慣れした奥様にはな
んでもないようだ。
前回は内海ロックに続く尾根にでて北に向かって砕石場を眺めながら歩いたが、今日はその尾根に出る手前で右
下にテープが続いているのを見つけた。『ひょっとしてビシャ岳へのルートか?』と思って歩いて行く。
だがこのテープを辿ると砕石場の見える展望岩のある尾根に出てしまった。そこでGPSを見るとビシャ岳へ
は行き過ぎていたので、少し戻って地形図に載っている崖地の表記に向かって適当に下って行く。
ただし何となく踏み跡らしき跡はあるようなないような。木々の密集度が高くてビシャ岳の岩塊もどこにあるの
かが確認できないので、それらしい尾根を辿りながら右に左にと下って行くと目の前に薄っすらと岩陰が見えた。
どうやらビシャ岳の頂部の様だ。
その岩の足元まで降り、際に生えている木の枝をかき分けその先へ。木々の先は岩棚になっていてビシャ岳の頂
部を眺めることができたが、その高さはほんの頭の部分だけで迫力には欠けていた。
ただこれで一応今日の目的地へは到達したことに二人で満足する。
その後岩塊に沿って下ってみるが、どれだけ下ってもビシャ岳本来の足元には着きそうもなく、切れ落ちた崖に
もなってきたので途中で引き返す。
ビシャ岳への尾根を外さないように木々をかき分け、木の幹に掴まりながらなんとか内海ロックに続く尾根に出
た。その尾根に出る手前から唯一見えたビシャ岳の頂部は、意外にも平らで広かった。
尾根からは南西に向かって歩いて行く。シダに囲まれた尾根は随分昔に切られただろう古い切株が至る所にあっ
て、時々見えずにつまずきそうになる。
途中からサホさんの歩いたルートは今度は南東に振って歩いている。そのルートを見ながら尾根から外れて下っ
て行くと次第にシダの海の中へ入って行く。
最初はシダをかき分け悪戦苦闘したが、暫くすると足元は踏まれた感じになってきた。そして途中からピンクの
テープが目に入ってきた。何度かシダの海から這い出たが、その度また海の中への繰り返し。この間は今の時期
以外の季節は厳しいルートだなと思いながら下って行く。
足元の見えないシダの海は切株や段差で転びそうになり、平泳ぎのように手を動かしシダをかき分けかき分けで
けっこう疲れてきた。そして時々イバラが行く手を阻む。いい加減シダの海が飽きてきた頃足元に見慣れた白い
杭と石柱があった。四等三角点 灘山 256.78m だ。
そしてその三角点の先には岩が見え、近づいて見るとオレンジの岩肌。千畳ケ岳から見えたオレンジの岩塊だっ
た。以前に歩いた小野アルプスの紅山にもこのダイダイゴケの一種が貼り付いていて、遠くからは見ると朱色に
見えるので紅山と名前が付いたそうだが、全国にも同じように紅山と名前が付く山がある。
山道を走っていると法面のコンクリートに着いたコケにもオレンジ色の苔を見かけるが、それもダイダイゴケの
一種なのだろう。頂部の岩から一段下がった岩肌は、さらに鮮やかなオレンジ色をしていた。
遠くからでも一目で分かるこの岩塊を吉田のダイダイ岩と命名することにした。その横で奥様はおむすびを頬張
っていた。『KAZASHIさんは大丈夫?』と聞かれたが、『千畳ケ岳でチョコレートを食べたので大丈夫です』と
答えたが、これが後々・・・・。
三角点からは頂部の岩とダイダイ岩の間を下って行く。もしテープがなければ下ろうとは思わないような段差が
ある。ダイダイ岩を降り立ってもシダの道は続いていくが、シダの道にも慣れてきたのか下って行く奥様のスピ
ードは落ちない。
ただひょっとするとダイダイ岩で『12時を過ぎたけれど、ダムの展望台まで降りてお昼ご飯にしましょう』と
言ったせいかもしれない。今までこんなに遅くまで?お昼ご飯を食べなかったことはなかったから、急いで降り
てとにかくお昼ご飯を食べようという思惑か。
振り返ると着色したようにオレンジ色に輝く岩肌。コケと云えばジメジメしたところのイメージがあるが、小野
アルプスの紅山も、このダイダイ岩も照り付ける太陽の下で生息している不思議な苔だ。
ダイダイ岩から下に見えた反射板まで降りてきた。時間は12時30分前。予定ではここからダムの展望台まで
降りて対岸まで渡り、舗装路を少し歩いて吉田へとは下らずに、そのまま福田へと山越えをするつもりなのだが、
距離も高低差も分からず時間が読めない。
展望台までも道はなく露岩の間を抜けて降りて行くのでスピードが上がらない。
展望台には着いたのが12時40分。福田発のバスは14時ちょうど。おそらく大丈夫だとは思うが念のため奥
様に『ここでの昼食はパスして福田まで歩きましょう』と言うと、珍しく『いいですよ、さっきおにぎり食べた
し』と仰った。
展望台からはほぼ同じ目線の高さに千畳ケ岳。そして左上にはビシャ岳。そしてもちろん麓には吉田ダムが見下
ろせた。竣工当時は県内では一番の高さを誇っていたが、塩江の椛川ダムができて2番目の高さとなっている。
展望台からダムの左岸の広場に降りると巨大な像が立っていた。筋肉質の女性の像だが奥様がその前に立つと、
その大きさが分かる。ダムが竣工されたのは1988年のバブル真っ盛りの時代。こんな像を立てられるほど、
潤沢な予算があったのだろう。
ダムの上部は天端というそうだが、その天端の腰壁も通路部分も石張りで豪華な造りだ。このダムからは島内全
域に上水道用水が供給されている。
右岸まで渡るとここにも一風変わった『うるおい』と命名されたモニュメント。1・4トンもの球体の石が、水
圧でくるくる回っていた。
奥様がトイレを済ませている間に私は管理事務所に寄ってダムカードをゲットした。
モニュメントのある広場から右岸の舗装路を下って行く。地形図では少し下ったところから破線が福田へと続い
ていたが、その破線は82番霊場の吉田庵から83番の福田庵へのへんろ道だろうと予測していたのだが、Goog
leMapのストリートビューで見てみると、取り付き当たりの道の脇にピンクのテープが垂れているのが何となく
見えたが、本当にへんろ道があるかの確信はなかった。
取り付きまで下って行く途中からは対岸の吉田川の岩場の全貌を望むことができた。
地面から突き出した搭状塊状の. 基盤岩の高まり, トール, 岩塔をトアと呼ぶそうだが、全国的に見てもダムの至
近にこれだけのトアが林立している所はないらしい。
そんな吉田川の岩場を眺めながら歩くと取り付き地点らしい場所に着いた。そこには垂れたテープと共にちゃん
とした『へんろ道』と書かれた案内板が立っていた。そして下手に下る道にはやはり吉田庵への道と書かれてい
る。予測したとおりに福田への道の存在に安堵し、手すりと石段が続くへんろ道を登って行く。
取り付きだけかと思った手すりはほぼ峠まで続いていた。石段や道も荒れていなくて奥様が『お金がかかるだろ
うに誰が整備してるんだろう?』と。ただ私はそれどころではなく、ビシャ岳への急な下りが良くなかったのか、
尾根からダムへの下りが災いしたのか、いつもの左膝に加えて右膝も痛み始めた。その上シャリバテなのか、ま
ったく足が動かない。
峠のお地蔵さんの前で待っていた奥様は『福田の港でバスが来るまでに持ってきたカップラーメン、食べられる
かな?』とお昼ご飯のことで頭の中がいっぱいらしい。(笑)
峠からの下りでもシャリバテはなんとか収まったものの、膝の痛みは変わらない。相変わらず奥様は『そう言え
ばバス停の横に食堂があったわね。メニューによったら食堂の方が早いかも!』と仰っている。(´▽`)
山道から町の民家の横に降りたった。狭い道を家々の間を歩いて行くと福田の小学校の横に出た。『生徒たちが
いる雰囲気がしないわね』と奥様。校庭のフェンスに沿って歩いて行くと別の入り口には卒業記念の石が並んで
いたが、平成18年を最後に途切れていた。
福田港のバス停にはバスの発車の15分前に着いた。奥様がバス停横の食堂にすぐさま飛び込んで、『バスの時
刻まで15分しかないんですけど、一番早く食べられるものはありますか?』と聞くとカレーライスを進められ
た。船員カレーと書かれたカレーライスは直ぐに運ばれてきて、慌ただしく食べ終えるとバスの発車1分前だっ
た。バス停のベンチに腰掛ける間もなく定刻通りにバスがやってきた。
時間的にはもう少し余裕がある予定だったが、千畳ケ岳までの展望ヶ所やビシャ岳へのアプローチを楽しんだせ
いで、予想以上に時間を食ってしまったようだ。
土庄に着いてすぐに土庄港のターミナルにあるバス会社に寄ってみると、やはりバスの中に奥様がニット帽を置
き忘れていた。お礼を言ってバス会社を出て今度はフェリー乗り場の待合室の椅子に腰かけていると、待合室の
大きな画面のテレビから、イチロウが大リーグの殿堂入りのニュースが流れていた。その周りではあまり関心が
ないのか、大きな声で中国語が飛び交っていた。
それにしても『ビシャ岳と内海ロック』は名前だけ聞くと本来の意味とは違うだろうが、響きがとにかくロック
な感じがしてかっこいい!
秋から数えて5回目になる小豆島の山歩きは、船で渡るところから始まり島バスで移動するので、プチ旅行気分
が味わえる。岩山登りは今回で一旦おいて置いて、来週は軽めのお山に登る予定だがやっぱりまた小豆島。
今ネット上では特定の対象に夢中になって抜け出せない状態を『沼にハマル』と言うそうだが、まさに小豆島の
沼にはまっている私だった。