KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『ビシャ岳に内海ロック』って、響きがなんかカッコイイ!

2025年01月23日 | 香川の里山

 

YAMAPのみまもり機能は、登録した相手のLINEに登山中の現在位置が地図上に通知される機能で、私は

奥さんを登録している。当然奥さんはどこの山に出かけているのかが分かるし、万が一の時もおおよそどの辺り

にいるのかがわかる便利な機能だが(普段だと恐ろしい大きなお世話の機能だ)、昨日は『明日はどこの山に、

また小豆島!』と言われてしまった。『あ~やっぱりちゃんと見ているんだ』と思った。

ただそれ以上は前回同様聞かれずに済んで事なきを得たが、奥さんには言えないほんとうに魅力的な岩山が小豆

島にはたくさんある。別段ロッククライミングをするわけではないが、『岩山が・・・』なんて話をすると速攻

で『そんな危ないところ』と言われるのが目に見えている。

 

県内でも珍しいそんな山容の山が点在する小豆島だが、その中でも吉田地区にある山は、岩肌を露わにした岩壁

が連なる特異な風景が目の前に広がっている。

その内のひとつ千畳ケ岳に2週間前に登った時に、山頂から北西に見えた岩塔と岩壁には『ビシャ岳と内海ロッ

』という名前があるのを、家に帰ってこもれびさんむらくもさんのブログを詳しく読み返してみて気づいた。

ただし他の人のブログでも紹介されていたが、二つの名前がそれぞれで食い違っていて、果たしてどの山名が正

解なのかが分からなかった。

そこで今週はもう一度登って確認してみるのと、前回と違うルートで吉田ダムの方へ下りられないかと考えた。

 

二週間経つと陽が登るのも少しづつ早くなっている。

土庄港から北回り福田行のバスに乗り込むのだが、バス停ではルートの違うバスが次々とやってくる。島の人に

とっては無くてはならない交通手段。ただ我々の乗った福田行のバスには我々二人以外はお年寄りが二人だけだ

った。これでは将来にわたってこの路線を維持するのは難しいだろうなと寂しく感じた。

吉田のバス停で降りると直ぐに目の前に岩壁の連なりが目に飛び込んでくる。

すると横に居た奥様が『あれ、ニット帽がないわ』と言い出した。ザックの中を探っても見当たらない。『きっ

とバスの中が暑いので脱いだまま置き忘れたんだわ』と言うので、直ぐにバス停の時刻表に載っているバス会社

に電話して、事情を説明して置き忘れていたら帰りに寄るので取り置きしてくれと頼んだ。

 

 

 

千畳ケ岳の山頂付近には今にも転がり落ちそうな岩塊がいくつも見える。そしてその右側には岩塔のビシャ岳と、

内海ロックの岩壁が見える。さらにその左側には吉田川の岩場。この辺りの岩壁には100以上のロッククライ

ミングのルートがあるそうだが、我々はそんな岩の間に生えた木々の中を伝って登って行く。

 

 

 

まずは82番霊場の吉田庵の横を通り、吉田オートビレッジへ。ここにはこの山域の写真と山名が書かれた案内

板があるのが分かったので立ち寄ってみた。案内板には岩塔がビシャ岳、その横の岩壁が内海ロックと書かれて

いた。これをネットでは逆に書いている人がいたが、地元の案内板が間違いない。

 

 

オートビレッジの西側の舗装路を山に向かって少し歩き、テープがかかった場所から道の脇へと入って行くと、

直ぐの猪避けの柵がある。扉を開けて通り、ちゃんと戸締りをして登って行く。木々に付けられたテープは西に

向かって続いている。そのテープを目印に登って行く。

 

 

途中の山中にあった石積み。前回も目に留まった石積みだったがその時は何の石積みかが分からなかった。帰っ

て読んだこもれびさんのブログには、別の場所で写した同じような石積みに『猪垣?(シシガキ)』と書かれて

いた。山歩きをしていてよく見かける石積みとは異なる乱雑に積まれた石積みはやはり猪垣なのだろう。

昔も今と変わらず害獣には悩まされていたようだ。

 

 

しばらく急登を登って行くと、麓から見えた樹林帯から突き出た岩壁の足元に着く。岩肌には錆びたボルトが点

々と岩の上まで続いているのが見える。

その岩壁を左に巻くと一つ目のロープ場。そのロープ場を登るとちょっとしたトラバース。西の奥様にとっては

『たいしたことないわ』なのだが、人によってはけっこう高度感を感じるはずだ。

 

 

 

トラバースを過ぎるとほぼ岩肌になってくる。徐々に高度感も出て来てそれに伴って眺望もどんどん開けてきた。

 

 

 

この辺りの壁には真新しいボルトが打ち込まれている。でもまあ結構な高さのここまで登って来て、さらにほと

んど垂直の岩を登ろうなんて?

といっても私たちも今日は千畳ケ岳の山頂から見えたビシャ岳や内海ロックへの好奇心からやって来ている。そ

の好奇心が、岩を登る人たちは垂直なだけなのだろう。

 

前回登って来た時に通過した展望岩が山頂直下にあった。千畳ケ岳の山頂ほどは広くはなかったが、同じように

見晴らしはバツグンだ。目の前には千畳ケ岳の岩塊が迫り、麓には吉田川の北側に吉田の小さな集落が見える。

今日は前回ほどは遠くまでは霞がかかっていて見えないが、吉田富士の奥に青い瀬戸の海に白い船が浮かぶ、

のどかで穏やか風景が広がっていた。

 

 

 

 

そんな景色を眺めていると後ろから来た奥様が私の横を通って岩の先端へ!『ダメダメ、見ているこっちがゾク

ゾクとする』と言っても聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか?

 

 

 

展望岩の先にはまた小さなテラスがあった。好奇心旺盛な奥様はまた先へ先へと行ってしまう。その内屈んで何

かを見ていると思ったらボルトにカラビナや朽ちたロープが残っていた。先ほどの新しくボルトが打ち換えられ

たルートと違って、こちらはもう登る人もいないのだろう。

ここからは先ほどの展望岩が見下ろせた。こうやって見るとあそこに立っていたのを思い出しただけでもゾクゾ

クとする。

 

 

 

 

千畳ケ岳の山頂は前回と同じ素晴らしい景色を私たちに見せてくれた。山・川・海そしてひっそりと暮らす人た

ちの集落。吉田川が流れこむ湾は、ここから見ても水がきれいに透き通っているのが伺える。

そしてその反対側を見るとお目当てのビシャ岳と内海ロックが私たちを待ち構えていた。内海ロックは前回吉田

富士に縦走するときに通った展望岩の辺りだ。となれば今日はビシャ岳の岩壁の足元に行ってみたい。

そしてその後、西側に見えているオレンジの岩肌の256.6mの三角点を通って、そこから吉田ダムへと下りたい。

事前にそのルートはYAMAPで『サホさん』が歩いていたのを見て確認している。奥様にも残りの行程を峰々

を眺めながら説明して、千畳ケ岳を後にする。

 

 

 

山頂からは北西にテープを辿りながら一旦下って登り返していく。この辺りはほとんど歩いている人の形跡はな

いが、テープだけはしっかり残っている。人によっては藪コキというのかもしれないが、藪慣れした奥様にはな

んでもないようだ。

 

 

前回は内海ロックに続く尾根にでて北に向かって砕石場を眺めながら歩いたが、今日はその尾根に出る手前で右

下にテープが続いているのを見つけた。『ひょっとしてビシャ岳へのルートか?』と思って歩いて行く。

だがこのテープを辿ると砕石場の見える展望岩のある尾根に出てしまった。そこでGPSを見るとビシャ岳

は行き過ぎていたので、少し戻って地形図に載っている崖地の表記に向かって適当に下って行く。

 

 

ただし何となく踏み跡らしき跡はあるようなないような。木々の密集度が高くてビシャ岳の岩塊もどこにあるの

かが確認できないので、それらしい尾根を辿りながら右に左にと下って行くと目の前に薄っすらと岩陰が見えた。

どうやらビシャ岳の頂部の様だ。

その岩の足元まで降り、際に生えている木の枝をかき分けその先へ。木々の先は岩棚になっていてビシャ岳の頂

部を眺めることができたが、その高さはほんの頭の部分だけで迫力には欠けていた。

ただこれで一応今日の目的地へは到達したことに二人で満足する。

 

 

 

 

その後岩塊に沿って下ってみるが、どれだけ下ってもビシャ岳本来の足元には着きそうもなく、切れ落ちた崖に

もなってきたので途中で引き返す。

ビシャ岳への尾根を外さないように木々をかき分け、木の幹に掴まりながらなんとか海ロックに続く尾根に出

た。その尾根に出る手前から唯一見えたビシャ岳の頂部は、意外にも平らで広かった。

 

 

尾根からは南西に向かって歩いて行く。シダに囲まれた尾根は随分昔に切られただろう古い切株が至る所にあっ

て、時々見えずにつまずきそうになる。

 

 

途中からサホさんの歩いたルートは今度は南東に振って歩いている。そのルートを見ながら尾根から外れて下っ

て行くと次第にシダの海の中へ入って行く。

最初はシダをかき分け悪戦苦闘したが、暫くすると足元は踏まれた感じになってきた。そして途中からピンクの

テープが目に入ってきた。何度かシダの海から這い出たが、その度また海の中への繰り返し。この間は今の時期

以外の季節は厳しいルートだなと思いながら下って行く。

 

 

 

 

足元の見えないシダの海は切株や段差で転びそうになり、平泳ぎのように手を動かしシダをかき分けかき分けで

けっこう疲れてきた。そして時々イバラが行く手を阻む。いい加減シダの海が飽きてきた頃足元に見慣れた白い

杭と石柱があった。四等三角点 灘山 256.78m  だ。

そしてその三角点の先には岩が見え、近づいて見るとオレンジの岩肌。千畳ケ岳から見えたオレンジの岩塊だっ

た。以前に歩いた小野アルプス紅山にもこのダイダイゴケの一種が貼り付いていて、遠くからは見ると朱色に

見えるので紅山と名前が付いたそうだが、全国にも同じように紅山と名前が付く山がある。

山道を走っていると法面のコンクリートに着いたコケにもオレンジ色の苔を見かけるが、それもダイダイゴケの

一種なのだろう。頂部の岩から一段下がった岩肌は、さらに鮮やかなオレンジ色をしていた。

遠くからでも一目で分かるこの岩塊を吉田のダイダイ岩と命名することにした。その横で奥様はおむすびを頬張

っていた。『KAZASHIさんは大丈夫?』と聞かれたが、『千畳ケ岳でチョコレートを食べたので大丈夫です』と

答えたが、これが後々・・・・。

 

 

三角点からは頂部の岩とダイダイ岩の間を下って行く。もしテープがなければ下ろうとは思わないような段差が

ある。ダイダイ岩を降り立ってもシダの道は続いていくが、シダの道にも慣れてきたのか下って行く奥様のスピ

ードは落ちない。

ただひょっとするとダイダイ岩で『12時を過ぎたけれど、ダムの展望台まで降りてお昼ご飯にしましょう』と

言ったせいかもしれない。今までこんなに遅くまで?お昼ご飯を食べなかったことはなかったから、急いで降り

てとにかくお昼ご飯を食べようという思惑か。

振り返ると着色したようにオレンジ色に輝く岩肌。コケと云えばジメジメしたところのイメージがあるが、小野

アルプス紅山も、このダイダイ岩も照り付ける太陽の下で生息している不思議な苔だ。

 

 

 

 

 

ダイダイ岩から下に見えた反射板まで降りてきた。時間は12時30分前。予定ではここからダムの展望台まで

降りて対岸まで渡り、舗装路を少し歩いて吉田へとは下らずに、そのまま福田へと山越えをするつもりなのだが、

距離も高低差も分からず時間が読めない。

展望台までも道はなく露岩の間を抜けて降りて行くのでスピードが上がらない。

 

 

 

 

展望台には着いたのが12時40分。福田発のバスは14時ちょうど。おそらく大丈夫だとは思うが念のため奥

様に『ここでの昼食はパスして福田まで歩きましょう』と言うと、珍しく『いいですよ、さっきおにぎり食べた

し』と仰った。

展望台からはほぼ同じ目線の高さに千畳ケ岳。そして左上にはビシャ岳。そしてもちろん麓には吉田ダムが見下

ろせた。竣工当時は県内では一番の高さを誇っていたが、塩江の椛川ダムができて2番目の高さとなっている。

 

 

 

展望台からダムの左岸の広場に降りると巨大な像が立っていた。筋肉質の女性の像だが奥様がその前に立つと、

その大きさが分かる。ダムが竣工されたのは1988年のバブル真っ盛りの時代。こんな像を立てられるほど、

潤沢な予算があったのだろう。

ダムの上部は天端というそうだが、その天端の腰壁も通路部分も石張りで豪華な造りだ。このダムからは島内全

域に上水道用水が供給されている。

 

 

右岸まで渡るとここにも一風変わった『うるおい』と命名されたモニュメント。1・4トンもの球体の石が、水

圧でくるくる回っていた。

奥様がトイレを済ませている間に私は管理事務所に寄ってダムカードをゲットした。

 

 

モニュメントのある広場から右岸の舗装路を下って行く。地形図では少し下ったところから破線が福田へと続い

ていたが、その破線は82番霊場の吉田庵から83番の福田庵へのへんろ道だろうと予測していたのだが、Goog

leMapのストリートビューで見てみると、取り付き当たりの道の脇にピンクのテープが垂れているのが何となく

見えたが、本当にへんろ道があるかの確信はなかった。

取り付きまで下って行く途中からは対岸の吉田川の岩場の全貌を望むことができた。

地面から突き出した搭状塊状の. 基盤岩の高まり, トール, 岩塔をトアと呼ぶそうだが、全国的に見てもダムの至

近にこれだけのトアが林立している所はないらしい。

 

 

そんな吉田川の岩場を眺めながら歩くと取り付き地点らしい場所に着いた。そこには垂れたテープと共にちゃん

とした『へんろ道』と書かれた案内板が立っていた。そして下手に下る道にはやはり吉田庵への道と書かれてい

る。予測したとおりに福田への道の存在に安堵し、手すりと石段が続くへんろ道を登って行く。

 

 

 

取り付きだけかと思った手すりはほぼ峠まで続いていた。石段や道も荒れていなくて奥様が『お金がかかるだろ

うに誰が整備してるんだろう?』と。ただ私はそれどころではなく、ビシャ岳への急な下りが良くなかったのか、

尾根からダムへの下りが災いしたのか、いつもの左膝に加えて右膝も痛み始めた。その上シャリバテなのか、ま

ったく足が動かない。

峠のお地蔵さんの前で待っていた奥様は『福田の港でバスが来るまでに持ってきたカップラーメン、食べられる

かな?』とお昼ご飯のことで頭の中がいっぱいらしい。(笑)

 

 

峠からの下りでもシャリバテはなんとか収まったものの、膝の痛みは変わらない。相変わらず奥様は『そう言え

ばバス停の横に食堂があったわね。メニューによったら食堂の方が早いかも!』と仰っている。(´▽`)

 

 

山道から町の民家の横に降りたった。狭い道を家々の間を歩いて行くと福田の小学校の横に出た。『生徒たちが

いる雰囲気がしないわね』と奥様。校庭のフェンスに沿って歩いて行くと別の入り口には卒業記念の石が並んで

いたが、平成18年を最後に途切れていた。

 

 

 

福田港のバス停にはバスの発車の15分前に着いた。奥様がバス停横の食堂にすぐさま飛び込んで、『バスの時

刻まで15分しかないんですけど、一番早く食べられるものはありますか?』と聞くとカレーライスを進められ

た。船員カレーと書かれたカレーライスは直ぐに運ばれてきて、慌ただしく食べ終えるとバスの発車1分前だっ

た。バス停のベンチに腰掛ける間もなく定刻通りにバスがやってきた。

 

 

 

時間的にはもう少し余裕がある予定だったが、千畳ケ岳までの展望ヶ所やビシャ岳へのアプローチを楽しんだせ

いで、予想以上に時間を食ってしまったようだ。

土庄に着いてすぐに土庄港のターミナルにあるバス会社に寄ってみると、やはりバスの中に奥様がニット帽を置

き忘れていた。お礼を言ってバス会社を出て今度はフェリー乗り場の待合室の椅子に腰かけていると、待合室の

大きな画面のテレビから、イチロウが大リーグの殿堂入りのニュースが流れていた。その周りではあまり関心が

ないのか、大きな声で中国語が飛び交っていた。

それにしても『ビシャ岳と内海ロック』は名前だけ聞くと本来の意味とは違うだろうが、響きがとにかくロック

な感じがしてかっこいい!

秋から数えて5回目になる小豆島の山歩きは、船で渡るところから始まり島バスで移動するので、プチ旅行気分

が味わえる。岩山登りは今回で一旦おいて置いて、来週は軽めのお山に登る予定だがやっぱりまた小豆島。

今ネット上では特定の対象に夢中になって抜け出せない状態を『沼にハマル』と言うそうだが、まさに小豆島

沼にはまっている私だった。


『YOUは何しにまた小豆島へ!』千畳ケ岳

2025年01月12日 | 香川の里山

 

今日はなぜか『どこに行くん?』と聞かれなかった。もし聞かれて『小豆島!』と答えたなら、『何しにまた小

豆島へ!』と嫌味ぽく聞き返されるだろう。そうなると『小豆島には岩山がたくさんあってスリルがあって』と

は決して言えずに返答に困っていただろう。ただYAMAPのみまもり機能の設定をしているので、どこの山に

出かけたかは結果的には分かってしまうので、家に帰ったなら『また小豆島にいってたん』と言われるかもしれ

ない。その時には『そこに山があるから・・!』と答えよう。

なんて考えを巡らせながら今日も小豆島へ出かけてきた。寒霞渓の馬の背・西の石門洞雲山・碁石山大嶽

あまり県内の里山にはない特徴的なそして魅力的な山が小豆島にはある。そして岩肌登りやロープ場の楽しさに

味を占めた西の奥様に、今日はさらに吉田の三山を提案してみた。

吉田山・吉田富士は以前にWOC登山部で登ったことはあったが、その西にある千畳ケ岳は未登の山。しかも途中

にはロープ場があり、山頂には絶景が広がっているらしい。そうなるともちろん奥様は断る理由もなく、性懲り

もなくまた出かけることとなった。

 

いつもの様に、7時20分発の土庄行のフェリーに乗り、土庄から今回初めて北回り福田行のバスに乗る。但し

フェリーが到着するのが8時20分で、土庄港発のバスが8時21分発なので慌ただしい。私たちは今回平和の

群像前から22分発のバスに乗った。小豆島オリーブバスの料金は150円と300円の二つしか設定されてい

ない。150円区間を過ぎれば今回のように土庄から吉田の様に島でも一番遠くになる地区でも、どれだけ乗っ

ても300円なのだ。

今シーズンは全て島の南側のバス移動だったので、北側の海岸線の景色は新鮮に感じる。クネクネと海岸線を走

るバスは9時5分に吉田のバス停に着いた。

 

 

バスを降りると直ぐに美味しそうな?岩肌が目に飛び込んでくる。吉田ダムの横の岩壁は、吉田の岩場と呼ばれ、

関西からでも大勢のロッククライマーがやって来るらしい。その右側には今日のメインディシュの千畳ケ岳の白

い岩肌が見えている。その千畳ケ岳から北にも緑の山肌の上にびしゃ岳の岩肌が見えている。バス停からはすぐ

吉田川に沿って西に歩いて行く。

 

 

 

川沿いの道の道幅が変わる場所から右にふるさと交流館があるが、登山口はその一つ奥の道に入って行く。

舗装路の脇に登山口の目印の赤テープがぶら下がっていて、ここからはルリちゃんとは別れてあっちゃんと二人

での歩きとなる。

 

 

取り付きからすぐにイノシシ避けの柵があり、通った後はちゃんと戸締りして歩いて行く。常緑樹の木々の中、

あまり陽が当たらず、手袋を脱いで柵の紐を結び直そうとするが、指がかじかんでなかなかうまく結べない。

 

道には落ち葉がたっぷり積もっていて踏み跡が分りづらいが、とにかくテープがけっこうな間隔であるので、

迷うことはない。途中で小さな砂防ダムの突堤を渡ると道の傾斜は急になってくる。

 

 

 

いままで陽が当たらず寒かった身体も、急登になってくるとやはり汗を掻き始め、暑くなってきたので上着を一

枚脱いで登って行く。そのうちに目の前に大きな岩塊が現れる。横から見るとクジラの顔に見える。

 

 

 

そしてその岩肌にボルトが打ち込まれているのをあっちゃんが見つけた。ボルトは岩塊の上の方まで続いている。

その足元から素人の二人がどうやって登って行くのか見上げてみるが、最初のボルトまでで足掛かり、手掛かり

が分からない。二人であ~だ、こ~だと言って結局『分からない、登れない』となった。(そりゃそうだ)

 

 

その岩塊を左に巻いて登って行くと今日最初のロープ場。ロープには結び目があり、足掛かりがあるので高ささ

え気にならなければ簡単に登れる。

そのロープ場を登ると今回一番気になっていたカニの横ばい。ただここも幅は1mにも満たないが、高所恐怖症

でなければ問題がなかった。その足元の下を覗き込んで『ここから落ちてもあそこの木か、その下の木に引っ掛

かるから大したことないわね』とあっちゃん。『たしかに木に引っ掛かって止まるかもしれないけれど、ただで

は済まないです』と私。

 

 

 

トラバースを過ぎて二つ目のロープ場を上がると麓の吉田川と、吉田ダムに続く道を見下ろせた。

ダム横の岩場の頂部なるのだろうか、頭の上に数本立っている木が可愛らしい。

 

 

 

 

 

そこからすぐ上の岩壁にもボルトが埋め込まれている。本格的な岩場は吉田ダムの方にあるらしいが、とにかく

こちらの岩壁もそこらじゅうにルートを作っている。

するとあっちゃんが斜めに走る突起を見て『あそこは登れそう!』なんて言うもんだから登って見せるも、途中

突起が無くなってしまうと半端ない高度感で冷や汗掻いて降りてきた。

 

 

 

 

諦めきれないあっちゃんもチャレンジするもやはり途中で『無理!』と言って降りてきた。

お遊びはやめて岩壁の足元を右に回り込んで、ロープをひとつ登ると目の前にデ~~んと千畳ケ岳の巨岩が目の

前に現れる。

 

 

 

その巨岩の足元を回り込んで北側から登りつめると千畳ケ岳の山頂になる。ただし千畳とはオーバーで、平らな

部分は10畳?位かな。それでも遮るもののないとは正にこの事。360度の大パノラマが広がっていた。

あっちゃん、それ以上先っちょに行かないでね。』見ているこちらの股間がゾクゾクするわ。

 

 

 

 

東にはこれから歩く吉田富士と吉田山

北には瀬戸内海を挟んで赤穂の工業地帯のエントツ群。

足元には吉田の穏やかな湾

そして南は星ケ城から続く稜線と 四等三角点 岩ケ谷 のあるピークが見える。

 

岩の端部にもボルトが打ち込まれていたので、その下はどうなっているのかと思って端に寄ってみるけど、これ

以上は無理です。それをわざわざ寝そべって岩壁の下を覗き込むあっちゃん。『そんなことしたって何もでない

ですよ!』

 

 

 

次に行く吉田富士は東側に見えているけれど、ここから東は断崖絶壁。

岩の北側のすぐ下から、まずは北側に見えているびしゃ岳の岩壁に向かって背の低い木々の中を歩いて行く。一

旦下って登り返すとさっきまでいた千畳ケ岳の平らな頂部が見えた。

 

 

ここでもテープがあるので迷うことはないが、次第に傾斜がきつくなり、シダの茂みを深くなってきた。今の

時期でこの状態なら、夏場になると道は不明瞭になるだろうな。

 

 

急登を登りつめるとやっと稜線に出た。ただしこの尾根は北に向かって続く尾根。しばらくは尾根に沿って北に

向かって歩い、所々で尾根の東側を巻きながら下って行く。

 

 

 

途中で道の北側に展望岩があり、見下ろすと麓の採石場が見えた。今日は土曜日でお休みなのか重機は動いてい

なかった。この採石場の西側にもさらに大きな灘山の採石場があるが、現在はほぼ停止状態にあるという。

大阪城の石垣にも使われ、島の産業として賑わった石材業も、輸入石材に押され、石の用途も変わって廃業する

業者も多いようだ。

 

 

展望岩から少し先で一ヵ所ロープで降り、さらに歩いて行くとまた展望岩に出た。

ここからは吉田富士・吉田山が見下ろせ、千畳ケ岳の平らな岩もよく見える。

 

 

 

 

展望岩からは今までの尾根から外れて、東に向かって吉田富士への尾根になる、このルートで一番長いロープ場

の下り。結び目のあるロープはほんと助かる。

 

 

 

 

長いロープを下りきるとルリちゃんが待っていた。麓から一人で登ってきてここから東の分岐で待っていたが、

待ちきれずにこのロープ場まで来たそうだ。

ロープ場からは踏み跡も薄い樹林帯の中を、テープを目印に下って行く。すると急に花崗岩が風化した幅広い尾

根に出た。目の前には吉田富士の岩塊が直ぐ近くに見える。

 

 

千畳ケ岳までは赤い矢印が岩に書かれてあったけれど、この辺りになると青いスプレーで『吉田フジ』と書かれ

ている。大嶽でも青いスプレーで印が付けられていたけれど、同じ人、山の会の人たちが付けたのだろうか?

 

 

吉田富士の岩塊もピークは広場になっていた。三人そろったのでここでお昼ご飯にする。

ここからは千畳ケ岳から歩いてきた稜線が見渡せた。それにしても今日は風もほとんどなく、青空が広がり青く

広がる海を見渡せ、島ならではの景色が楽しめる

 

 

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたらバスの時間が気になり始めた。北回りのバスの便数は少なく、吉田からの上りの便には

時間的にうまく乗れそうになく、下山後は福田まで県道を歩いて南回りの便に乗ることになる。

本当ならもっとゆっくりしたいところだが、この景色に名残惜しんで吉田富士を後にする。

吉田富士の岩稜は段々になっていて怖くもなく下りやすい。以前にWOC登山部でここに来た時に、下から見上げ

て『私は怖いので登りません』と言って登れなかったNさんは、それ以降かわいそうに『ヘタレ!』と呼ばれる

ようになったのを思い出した。

岩稜を下ると島霊場82番札所吉田庵から登ってくる分岐に着く。しばらくは自然林の中の尾根歩き。

 

 

吉田山が近づくとまた露岩が現れる。振り返って木々の間から見えた千畳ケ岳の頂部は、サイコロを積み上げた

ような形になっていた。尾根の右手の大岩を登ると吉田山山頂。山頂の露岩に腰掛けてあっちゃんルリちゃん

に、歩いてきたルートを説明している。

 

 

 

見落としそうな木の枝に掛けられた山頂札は吉田山の文字が消えかかっていて、よ~く見るとなんとなく吉田山

と書いてあるのが分る程度だ。こういう時は油性のマジックを持って来ていたらといつも思うのだが、いつも忘

れてしまっていて持ってきていない。

 

 

以前WOC登山部で来た時はここから折り返して吉田富士を登ったのだけれど、今日はこのまま東に尾根を下って

行く。一旦登り降りして更に小さなピークを登ると展望岩に出た。

 

 

 

正面には家島諸島の中で一番大きな西島が正面に見える。島の西半分は巨大な採石場になっていて、良質な花崗

岩や安山岩が採れるらしい。家島諸島は大小44からの島々で構成され、古くから歴史のある島だ。

そして少し右下には静かな湾内に造られた港にヨットが停泊し、その横にはリゾートホテルが見下ろせた。

 

 

 

 

展望岩からまだ先の藤崎へと歩いて行く。海沿いらしい木々の中を歩き最後にひと登りすると、今日始めての三

角点 二等三角点 吉田 119.03m

 

 

 

吉田の三角点からも藤崎に向かって下って行く。半島を回り込むように続いている県道土庄福田線が左手に見え

ているが、急な法面になっていたので右下に向かってテープを見ながら降りて行くと、県道に飛び出した。

 

 

ここから南回りのバス停のある福田港までは4kmの下道歩きとなる。吉田湾を回り込むと先ほどのリゾートホ

テルが見えた。その左上に見える法面保護のコンクリートの左裾野辺りが尾根から降りてきた場所だ。

 

 

道の脇には石材の地区らしく、作者と作品名が書かれた石のオブジェが、所々で展示されている。

福田港の南側の小島の前を、姫路行のフェリーが走っている。小島へはコンクリートの突堤と、岩が積み上げら

れていて島側から渡る事ができる。WOC登山部でも吉田山に登った後に、『さぬき百景・福田海岸』に車を停め

て島までメンバーと歩いた思い出がある。

 

 

 

緩やかな坂道を下って行きながら、水面が光るのどかな福田港を眺めながら歩いて行く。小豆島の北東の玄関口

といっても、福田の町は港の間際まで山が迫った小さな港町だ。フェリー乗り場の手前に南回りのバス乗り場が

あった。予定よりけっこう早く着いたので周辺を歩いていると、CLTという珍しい工法で建てられている建築

現場が目に付いた。打ち合わせをしている人に声をかけると、施工している会社の社長さんだった。

少し質問をすると現場の中まで案内してくれて、最上階まで上がりながら色々と詳しく説明してくれた。

まだまだ説明したらなそうだったが、バスの時間が迫ったのでお礼を言って現場を離れた。

 

 

 

南回りのバスは草壁までは初めて通るルート。途中の橘地区からは直ぐ真横にあの拇岳が見える。それまで車酔

いしていたのか目を閉じていたあっちゃんが、『あっ、拇岳が見える!』と言ったとたんに、ガバっと目を見開

いた。間近で見る拇岳は今まで遠くから眺めていた形とは少し違った形に見える。

車窓に見えた拇岳を見ながら、以前にセニョさんと歩いた拇平から千羽ケ岳、そして拇岳のルートを説明すると、

今までぐったりしていたあっちゃんの目がギラギラ輝いた。やはり小豆島の最終仕上げはあの山域になりそうだ。

 

土庄港ではフェリーの出航まで結構時間があったので、奥様たちはお土産売り場を物色。私はというと北に見え

皇踏山を、10年以上も前に山楽会のメンバーと一緒に登ったのを思い出しながら眺めていた。

登山道はたしか今見えている二つの岩肌の間を降りてきた記憶があるが、あの岩壁も面白そうだななんて考えな

がらフェリーに乗り込んだ。拇岳の前に皇踏山。まだまだ楽しめそうな小豆島だった。

 

 


三度目の正直の三角点国分台、また敗退(涙)

2025年01月05日 | 香川の里山

 

特に自分は三角点フリークではないけれど、以前から訪ねてみたいと思い続けている三角点が国分寺にあった。

四等三角点 国分台は過去二度チャレンジして、二度とも近づくことさえできなかった鬼門の三角点なのだ。

それは地形的なものとかルートの難易度とかの問題ではなく、ただ自分が平日登山者だということだった。

そう、国分台は八十番札所国分寺の北、五色台の山中にある三角点なのだが、その場所は自衛隊の演習場の中に

あり、平日だと自衛隊が演習していて立ち入ることができない。(もちろん日曜日でも)

山友はじめ他の人が訪ねているのは日曜日で、どうやら自衛隊もお休みの様子。それが平日だと銃器の発砲音が

山の中に鳴り響いている、そんな場所なのだ。

初めて計画した時は、その演習場のぐるりを囲むようにして造られている防火帯を通って三角点を目指す予定だ

ったが、道を間違えて演習場の中へいつの間にか入ってしまっていた。そしてふと見ると戦車が二台。何食わぬ

顔をして通り過ぎようとしたが当然注意され、追い出されてしまった。

 

 

 

その後防火帯の場所を探し出して予定のコースで歩いて行こうとしたら、行く手をジェットコースターの

ファーストドロップの様な急角度の防火帯に恐れをなして撤退した。

 

 

二度目は高結神社から直登して防火帯まで登ったが、やはり銃器の発砲音がして諦めたという経緯があった。

 

 

そんな因縁のある国分台だが、今日は土曜日だけれど正月。さすがの自衛隊もお休みしているだろうとふんで、

以前に計画した防火帯を通って三角点を目指すことにした。

その前に取り合えず何度も訪れているけれど、YAMAPの山頂ポイントとしてゲットしていない、猪尻山

大平山をゲットしてから三角点を目指すことにした。

いつものように国分寺のカッパドキアのスタート地点になる駐車場に車を停める。見上げると国分台の岸壁が、

寒風にさらされて白く輝いていた。

駐車した場所から少し下がって舗装路を東に入った場所の脇から取り付いて行く。以前は羊歯をかき分けかき分け

け歩いたけれど、今は羊歯も刈られていて歩きやすい道になっていた。

 

 

 

道の両側の背丈以上もある羊歯はこの寒さの中にあって、若い緑色していて生き生きしている。

少しづつ高度が上がってくると、国分寺の北部とその向こうに里山が見渡せる。

 

 

羊歯の海が終わるとカッパドキアの谷を見渡せる場所に出る。初めてこの谷を訪れたときは対岸にそってもちろ

ん藪をかき分けて登った記憶がある。その谷筋の終端にはいつの頃からそう呼ぶようになったのか大天狗の岩壁

が、その終端を塞ぐように立っている。

 

 

谷筋の上からは正面に国分台の岩壁とその上に波打つような防火帯がちらっと見えている。東を見ると六ツ目山

・伽藍山・挟箱山のおむすび家族とその後ろに堂山が逆光でシルエットになっている。

 

 

このカッパドキアの地質は年末に歩いた小豆島の地質に似た露岩だけれど、小豆島の露岩は崩れたりせず固まっ

ていたが、ここの露岩はぽろぽろ崩れている。道の脇には小さなキノコ岩。これも大嶽の足元から見上げた岸壁

に生えていた?のと同じような形をしている。

 

 

 

 

谷筋に沿って行くと終点の大天狗。この岩壁も大小の岩が岩壁に張り付いたようになっていて、これも五剣山

屋島の冠ケ嶽の岸壁と同じような地質をしている。

 

 

大天狗の岩壁の上は2mほどの幅の平らな露岩になっている。その下から冷たい風が吹き上げてくる。

見晴らしとしては抜群な場所。ここで腰掛景色を眺めながら一服したいところだが、とにかく風が冷たく寒い。

 

 

 

すぐに山手へ猪尻山目指して入って行く。ただ前回はこんなに苦労したかと思うくらい足元は滑り、木々の中に

は時々意地悪な茨が密集していたりと悪戦苦闘。ほぼ真っ直ぐには登れず、木々の隙間を見計らっては右に左に

とかき分けながら登って行く。

 

 

その内何度かは枯れ木のトラップに引っ掛かり、後ろにのけ反りそうになる。以前のトラックを見てみると、

少し東を歩いているが、トラックを辿るのも面倒でそのまま登って行くが、これが後の祭りで帰って過去のブロ

グを確認してみると、途中から踏み跡らしいルートを辿っていた。

 

 

 

結局、大天狗からは標高差150m、距離にして300mほどを50分かかって猪尻山着いた。久しぶりの藪

コキらしい藪コキだった。そして三角点の脇からは悔しいことにしっかりとした踏み跡が麓に向かって続いてい

た。写真を撮った後電波塔の横で腰掛小休止。今日初めての水分補給。四等三角点 猪ノ尻山 438.95m

 

 

 

猪尻山からはゴルフ場跡地の太陽光発電所のフェンスに沿って歩いて行く。横たわった屋島の上にちょこんと

剣山が頭を覗かしている。

 

 

発電所の横から少し脇に入って行くと巨大なNTTドコモ電波塔と今は用無し?になったマイクロウエーブの反射

板。この二つは麓の国分寺からもよく見える。発電所の入り口には唯一ゴルフ場の在りし日の門柱が残っていた。

 

 

 

さらに先に進んでいくとここにもカッパドキアのキノコ岩と同じような形をした、高松空港のレーダー施設が建

っている。

 

 

レーダー施設の入り口から県道に出る。舗装路の脇を落ち葉を踏みながら歩いて行くと一カ所東の眺望が開けて

いた。そこからは岩清尾山の左側に高松の湾岸地区、そしてシンボルタワーが見えた。

 

レーダー施設からまたNTTドコモの電波塔を過ぎ、二つ目の電波塔の奥に大平山。 三角点は二等三角点 新居

478.69m

 

 

それにしてもこの道沿いは電波塔だらけだ。そう思いながら歩いて行くと中山休憩所に着いた。そこには見慣れ

ないきれいなトイレができていた。そのトイレの裏の東屋で早めのお昼ご飯。久しぶりにカップラーメンにして

正解。暖かいお汁が身に染み渡る。

 

 

 

それでもじっとしていると身体の冷えは治まらない。食べ終えて早々に歩き始める。県道から四国のみち、そし

白峰寺から根来寺への遍路道に入って行く。いきなり倒木で道がふさがれていたが、長い脚?で跨いで歩いて

行く。道は最初は路盤が見えていたのに、次第に落ち葉で埋まって行く。

 

 

 

道には遍路道らしく石仏の丁石が並んでいる。

 

 

十九丁の石仏の横にはお遍路さんのための『景子ちゃんの接待所』があった。ちょうどボランティアの方がジュ

ースやお茶の補充をしていた。色々と話を聞かせてもらったが、景子ちゃんのお接待の謂れについて書かれたプ

レートの話が特に面白かった。(内緒)

 

 

 

ここから道は白峰寺へ道と一本松への道に分かれている。途中の石仏は丁石ではなくなっていたが、国分寺から

歩いてくるお遍路さんをずっと見守っているのだろう。

 

 

景子ちゃんの接待所から15分ほどで一本松に着いた。ここから南にへんろ道を下ると80番札所の国分寺

本来ならスタート地点からの周回だとここから下って行くのだけれど、今日の目的は周回ではなく国分台の三角

点。ここから県道を少し西に歩いて脇道に入って行く。

 

 

どこの山中でも見る廃車を横目に見て、最終民家の横を過ぎ少し藪っぽくなった所でズドーンと音がした。『ん

?』猟銃と思ったが、続いて連発の音がした。『いや~演習してるやん!』

自衛隊さん週休二日にして土曜日もお休みにしようよと思いながらも引き返した。さすがに銃弾飛び交う演習場

の中には入っていけない。

 

 

仕方がないので一本松まで引き返して下って行く。すぐに東屋のある展望台とお大師さん。

 

 

ここからはへんろ転がしと云われる急坂が続いて行く。大天狗からの滑りまくりの急登が堪えたのか、段差の大

きいこの階段状の道で左の膝が傷み始めた。一段一段膝を庇いながら降りていく。

 

 

 

へんろ転がしを降り終えて石鎚神社へ寄り道してみる。

 

 

 

石鎚神社の分社らしくて鎖場もあるが、今日は落ち葉が積もっていて膝の調子も悪くてパス。

 

 

 

石鎚神社に参拝した後、スタート地点の駐車場へとお戻って行く。正月太り解消するには計画通りに10kmオ

ーバーを歩きたかったけれど、素手では銃器に敵わない(笑)本来の目的の国分台の三角点には三度目の正直な

らず、3戦3敗になってしまったが、まぁ家でじっとしているよりはマシだと慰める。

 

 


登り納めは干支の山、竜王山

2024年12月30日 | 香川の里山

窓の外はどんよりした曇り空。朝から出かける気分にならず、とりあえずは奥さんのお手伝いでご機嫌取り。

すると昼から少しづつ青空が見え始めた。『よしそれじゃ~ちょっと歩いてきます』と言って近くの山に。午前

中のお手伝いの効果もあって、嫌味を言われずにあっさり出かけることができた。

 

今年最後の登り納めは『干支の山』に決めていた。ただ今年の干支の辰(竜・龍)の付く山は、県内には国土地

理院の地形図に載っているだけでも5座あり、その他にも各地に竜・龍の付く山がある。

もともと香川は水不足で、山頂近くに雨ごいの神様の龍王祠が祀られている山がけっこうある。そのせいもあっ

てか、竜王・龍王の名の付く山が他の県に比べても多い。

いつも干支の山を探して毎年登っているけれど、そんなわけで今年の干支の山は探すのに事足りる。

 

その中の一つ我が家から一番近くの竜王山に出かけてきた。先週登った小豆島の大嶽からは、五剣山や屋島や大

串半島が見えた。この竜王山も大串半島にあり、ひょっとしたら反対側から大嶽が見えるかも、と思ってだった。

 

さぬき市の鴨部地区から小田地区に抜ける道沿いにある、『さぬき森森林浴公園』の駐車場に車を停める。

この公園には3つのコースがあり、竜王山はやまなみコースの一番奥になる。駐車場から道路を挟んで反対側か

らスタート。すぐにコンクリート製の擬木の階段が始まる。

 

 

 

午前中のうす暗かった空は気持ちのいい青空に代わっていた。道の脇には里山らしい羊歯の葉が、夏に比べて

枯れる前の濃い緑から明るい緑に変わっていた。

 

擬木の階段が終わると今度は花崗岩が風化した真砂土が固まった道。斜度があるとけっこう滑りやすい。

途中、擬木の階段と同じような、コンクリート製のベンチが2対。この後も所々に設置されていた。

 

 

 

竜王山の手前にはこれも地形図に山名は載っていない御殿山がある。その山頂の手前に山名の由来が書かれた説

明文が、木の枝に掛けられていた。説明文にある馬場はスズタケが生い茂った場所になってしまっていた。

その馬場からすぐに御殿山。ただ山名標がなければただの尾根筋、わからず通り過ぎてしまうような場所だった。

その先では西に日盛山、その奥に五剣山・屋島が見えた。

 

 

 

 

御殿山からしばらく歩くと竜王山からの尾根筋になる。右に竜王山、左に小田方面の分岐で右に折れて竜王山へ。

ここから800mの間、何度かアップダウンを繰り返していく。

 

 

 

道は整備されてとても歩きやすい。木々の間から冷たい風が吹き抜けていく。寒風の中、元気な鳥の鳴き声があ

ちらこちらで聞こえてくる。気温が低く風が冷たいとはいえ、何度かの登りでじわっと背中に汗をかき始めた。

 

 

 

駐車場から1.3km、35分ほどで竜王山に着いた。山頂には 四等三角点 中尾 160.86m

山頂から北側を見ると麓に小田地区の港。その右手には志度カントリー。その奥に瀬戸内海、対岸にはの洞雲山

碁石山、そしてお目当ての大嶽が見えた。

 

 

 

 

 

小豆島の峰々を眺めた後、折り返してもと来た道を戻って行く。相変わらず擬木の階段と真砂土のアップダウン。

 

 

分岐からは駐車場に戻らず、そのまま小田方面へ直進する。途中の露岩からにひと登りすると、屋島の裾の向こ

うにサンポートのシンボルタワーが見えた。

 

 

 

 

さらに進んでいくと道の左上に龍王祠が祀られていた。龍王祠からは少し離れた小田地区。その奥に日差しが届

いて白く輝く大嶽の、大岩壁の先週下ったルートが確認できた。

 

 

 

龍王祠からは小田地区へ急坂を下って行く。最後は車の走る音が聞こえてくる方灌木の茂る中をかき分けて行く

と県道に飛び出した。

 

 

 

残りは県道の舗装路を歩いて公園の駐車場へと戻って行く。帰り道、沿岸部から南に走ると空にはまた雲がかか

り始めた。灰色の厚い雲の間から天使のはしごと呼べれる薄明光線(光芒)がさしていた。

 

 

 


大嶽のあの大岩壁のロープの先にある景色は?

2024年12月26日 | 香川の里山

2週間前に歩いた小豆島の洞雲山・碁石山。そこから最後に登った大嶽の山頂からは眼下に草壁地区内海湾

さらには島の岬と瀬戸内の海の絶景が広がっていた。そして目の前には荒々しい岩肌の大岩壁がそそり立ってい

た。左右に立つその大岩壁の左の岩肌をよく見ると、斜めにロープが垂れ下がっているのが見えた。『あんな危

なげな場所に・・・』と思ったが、直ぐに『ロープがかかっているという事は登れる?』という事と思いながら、

次に来た時は登ってみたいと思いながら、その日は帰ってきた。

 

 

 

ただ帰って来てからあのロープの事が頭に浮かんで消えず、『登ってみたい、登れるだろうか?』という思いが

日増しに強くなっていた。そこでYAMAPで検索してみるとやはりあの大岩壁のロープを登っている人がいた。

meさんの活動日記には手前の岩塊にもロープがあり、そこを昇り降りした後にあのロープを登っていた。そこで

meさんにメッセージで質問をしたところ、どうやら手前の岩塊のロープはしごが朽ちかけているので注意が必要

と、三点支持で登れば大丈夫でしょうという返事をいただいた。少しでも様子が分れば心強い。meさんありがと

うございました。

ただそこで好奇心は終わらず、ぜひあの大岩壁を真下から見上げてみたいと思った。ロープ場をピストンした後、

途中から大岩壁の襟足に沿って下れないかと考えた。

そんな不純な考えに付き合ってくれるのはあの人しかいないと思い誘ってみると『もちろん行きます』とニッコ

リマーク付で即返事が返ってきた。

 

前回と同じ7時20分発の土庄行のフェリーに乗り込む。今朝は放射冷却のせいで気温が下がり、写真を撮ろう

とデッキに出ると、甲板は凍っていてあわや転倒しそうになった。高松港を出港時には日の出で空と海がオレン

ジ色に輝き、土庄港に入港時には少し登った陽に照らされた海が、銀色に輝いていた。

 

 

土庄からは田ノ浦行のバスに乗り、苗羽(のうま)のバス停で降りた。この苗羽地区は醤の郷と呼ばれる醤油づ

くりの町。最盛期には400軒近くの醤油醸造所があり、今でも20軒近くの醤油蔵や佃煮工場が軒を並べてい

る。その苗羽地区は港から東に向かって坂道が続き、家々が立ち並んでいる。その坂道の先にはどこから見ても

あの大嶽の大岩壁が見えている。

 

 

途中から前回下ってきた道に合流して、舗装路から脇道に入って行く。

しばらくは舗装路が続いていくが、次第に路面が荒れ始める。

 

 

コンクリート製の水路の横を通り進んで行くと、大きな櫓とその脇にはモーターの様な大きな機械が据えられて

いた。モーターから櫓の上、そして山に向かってワイヤーロープが続いていく。前回も思ったのだが、何の運搬

に使っていたのだろうか?調べてみてもまったく情報が出てこない。

 

 

 

登山道は沢筋になり、ゴロゴロ転がった油断すると捻挫しそうな歩きにくい道が続いていく。

その沢筋に沿って相変わらずワイヤロープが続いている。

 

 

 

登山道は途中で道標のある場所から沢筋を離れ山道になって行く。ここまでもテープが所々巻かれていたが、こ

こからは幹にテープとは別に青いペンキが目印に塗られていた。

すると道の北側に木々の間から大嶽の大岩壁が見えた。奥様にはこの後のルートを指さし説明しながら、『下り

の時の距離感としてはこの位、迷ったとしても何とかなるでしょう』と話をする。

 

 

 

道は谷筋を回り込むようにトラバースになると碁石山との分岐になる。前回は碁石山の長いロープの下りをクリ

アしてほっと一息ついた場所だ。

この大嶽・碁石山と書かれた道標からは左に折れて、ウバメガシの林の中を登って行く。

 

 

 

ウバメガシがまばらになってくると岩肌が現れる。その岩肌をひと登りすると2週間前にも来た大嶽山頂だ。

今日の天気予報では晴れマークだったが、なぜか洞雲山からこの大嶽にかけてうす暗い雲がのしかかっている。

青空の下なら気分は高揚するが、うす暗いとなんだか先行きに不安を感じる。

 

 

それでも今日の第一ステージの大岩壁のロープを山頂から確認して、気持ちを奮い立たせる。

先ほど途中で見上げた時は手前の岩塊と大岩壁も思ったよりも高さがあった。ここからは大岩壁にかかる一本の

ロープしか見えないが、果たしてどうなっているのか。『さぁ行きましょう!』と奥様に声をかける。

 

 

山頂手前に大岩壁へと道が続いていた。ウバメガシの続く斜面を『こんなに下るのかな?』と思うくらい、結構

な高さを下って行くと鞍部に着いた。

 

 

ここから先は一般の登山道ではありませんので、決してお勧めするルートではありませんのでご注意ください。

 

鞍部からは手前の岩塊へと登って行く。ただmeさんの活動日記で見たロープはなく、『どこにロープがあるのか

しら?』と言いながら奥様が登って行くと、頂部の直下でロープがかかっていた。

溶岩が固まった岩は固く、ロープを使わないでも露岩の岩は手掛かり足掛かりが良く、三点支持で登って行ける。

 

 

 

ただ最後にロープが終わって頂部に出る所は、張り出した岩が邪魔をして注意が必要だ。登りきると半畳ほどの

平らな岩からは、山頂から見えた二つの岩壁が、間の谷に向かってさらに深く切れ落ちているのが見えた。なか

なかの高度感に股間がゾクッとする。ここでは少しでも変な動きをしたら落ちそうになので、その平らな岩から

安全そうな場所へ身体を移す。

 

 

 

身震いしながらさらに先の岩壁を見ると、山頂からは一本に見えたロープが何本か垂れ下がっているのが確認で

きた。さぁここからはほぼ垂直に近い岩壁を降りることになる。

奥様が先の岩壁でお昼にしたいというので、ザックはそのまま抱えて、ストックだけを置いて『いざ!』

 

 

 

頂部から一段降りた先には何本ものロープとロープはしごがかかっていた。ただしロープはしごの踏み桟は木で

できていて、外れかかっているのもあって当てにはできない。

足元も岩肌の上が土と苔で覆われていて滑りやすい。ロープだけで垂直懸垂する技術もないので、当てにはでき

ないが時々ロープはしごに足を入れながら降りて行く。

 

 

 

揺れるロープはしごに苦戦しながら何とか鞍部に降りたつと、今度は横にロープが張ってあり少し張り出た大岩

の横をトラバースする。歩ける幅は狭くすぐ横は切れ落ちていて、けっこうヒヤッとする場所だった。

トラバースした後はあの山頂から見えた岩壁のロープとなる。

何段かに分かれて掛けられていたロープは見えていた以上に何本もがかかっていた。その中でも結び目を作って

くれているロープが役に立ち、そのロープを握りながらもう片方のロープを握り、二本を使って登って行く。

 

 

さすがの奥様もすんなりとは登って来れていない。それでも少々苦戦しながらも登ってきた。振り返ると今降り

てきたロープはしごのある岩塊が、目の前に見えた。

 

 

二人とも登った後さらに先へと進んで行く。もちろん左側はあの大岩壁。もし落ちでもしたら数十メートル落ち

て即あの世行き。(汗)

そんなことは気にしない奥様は、どんどん先に下って行きもうそれ以上はというところでようやく諦めてくれた。

 

 

 

それじゃ~という事で、岩に腰掛けてお昼ご飯にする。あの大岩壁の上で吹き抜けていく風が冷たい。

インスタントの赤だしの温かい味噌汁がありがたい。

 

 

南を見ると坂手港にジャンボフェリーが入ってきているのが見える。ここから見るとジャンボフェリーなのに、

ジャンボにはけっして見えない。その反対側を見ると、大嶽前衛のもうひとつの岩壁がそそり立っている。『あ

の岩壁は登れるのだろうか?』とまた要らぬ考えが浮かんでくる。

 

 

そして山頂からは見えなかった苗羽地区が見渡せた。さらにマルキン醤油の黒い建物群の規模の大きさに驚かさ

れる。山頂から見たロープの先の景色が今こうして目の前に広がっている。

 

一応ここで今日の第一ステージはクリア。ここから折り返しの岩壁のロープの第二ステージとなる。

取りあえずはへっぽこリーダーが先行して降りて行く。

ただ登りで少し手こづったほどではなく、両手で二本のロープを握っていると、岩壁から身体を離せて足元の確

認ができて意外とすんなりと降りて行けた。

 

 

 

 

登りよりも下りが難しいと言われているが、今回はどちらかというと次のロープはしごがかかった垂直の岩の登

りが一番苦戦した。滑りやすく見えない足元に、どうしても腕に力が入り余裕がなくなってしまう。

増えた重たい身体を持ち上げるのに一苦労。痩せなきゃ~と思っても多分この時だけ。

 

 

 

何とかロープはしごの岩壁を登り切り岩塊の頂部に立つと、雲の間から一瞬陽の光が、反対側の岩壁を白く輝か

せていた。右の尾根から歩いて行けば、岩壁には頂部まで木が生えている。『ひょっとしたら登れるかも』、

『いかん、いかん、また変なことを考えたら・・・・。』

足元を見るとその白い岩壁と同じように、ズボンがまっ白に汚れている。普段はお尻は汚れることはあるけれど、

前側が汚れるなんてほとんどない。いかに岩肌にへばりついて昇り降りしていたがが分る。

 

 

さぁここから第三ステージ。ここまでは歩いていた人もいるので様子が伺えたが、ここから先は一切情報がない。

大岩壁の下はどこにもあるような土溜まりがあるはずだから、岩壁に沿って歩けるはずだ。ただそこまでの途中、

そこから先の谷筋が地形図を見ても航空写真を見ても読みずらい。

まずは岩塊を降り鞍部からその岩壁に沿って南に向かって斜面を降りて行くが、直ぐに深い谷にぶち当たってし

まった。二股に分かれた谷筋を大きく避け、東に振って回り込みながら下って行く。

 

 

 

 

谷筋が浅くなった場所からまた岩壁に向かってトラバースして行くと、岩壁はオーバーハングしていてその全容

は全く見えない。しばらくは土溜まりを進んで行くが、途中からはまた深くえぐられた岩壁になってこれ以上進

めない。

 

 

 

一旦戻って出来るだけ岩壁から離れないようにして回り込み、今度は尾根筋に向かって登って行く。

すると少し斜め上に白い岩肌が木々の間に見えたので、その岩肌に向かって登って行くと目の前にあの大岩壁が

迫っていた。横に大きく広がる大岩壁は木々が少し邪魔をしてすべてを見ることはできないが、それでも大迫力

だ。イボイボの岩肌には国分寺のカッパドキアにもあったキノコ岩が、垂直の岩壁に立っている。

風雨にさらされた岩壁は崩れることもなく、花崗岩と同じように赤く変色しているヶ所もある。

 

 

 

 

視線を北側に向けると、その垂直の岩壁の向こうに拇岳がこれも垂直に指を立てている。次に小豆島に来るとし

たら、あの千羽ケ岳と拇岳になるかな?なんて思いながら眺めた。

 

 

展望があるだろうと思っていた場所からは岩壁の全容が望めなかったので、もう少し下へ尾根筋を下ってみるこ

とにした。すると樹林帯を抜けた場所にまた岩稜が現れた。

 

 

そして振り返ると『なんという事でしょう!』少し距離は離れて目の前の木々でその高さは半減していたが、

大岩壁の端から端まで見渡せた。『これ、これ、これが見たかった!』もちろん奥様も大満足のご様子!

その麓はまだ少し彩の残る緩やかな山裾が広がり、この大岩壁を眺めながら歩いてきた苗羽の街が見下ろせた。

 

 

 

 

 

この露岩の場所を『大嶽展望所』と名付けることにしたが、おそらく訪れる人はいないだろう。(笑)

露岩のある先は木々が密集して歩きにくそうなので、この尾根から南に登ってきた登山道に向かってトラバース

する。谷筋は二本ほどあったが、出来るだけ浅く歩きやすそうな場所を選んで回り込みながら谷筋を渡って行く。

 

 

 

二本目の谷筋には大きな岩が転がり落ち葉がたっぷりと積もっていたが、『落ち葉のスキーね!』と言いながら、

奥様も器用に足を滑らせながら下っている。ここも向かいの尾根へ高さがあまりない場所を選んで渡り、尾根を

乗越し少し歩くと、往路で歩いた登山道に出た。

 

 

 

ここから苗羽のバス停まではゆっくり歩いてもバスの時刻には十分間に合いそうだ。

歩きにくいゴロゴロ岩の沢筋を下り舗装路に出ると、山頂近くにあった重苦しい雲は流れ、きれいな青空が広が

っていた。

古い立派な建物が多く残る道を二人で満足げに歩いて行く。バス停で一緒になった年配の女性に大嶽の話をする

と、息子さんが帰省した時は必ず大嶽をバックに写真を撮るそうで、他にも嬉しそうに色々と話を聞かせてくれ

た。バス停のある場所は旧苗羽村役場があった場所で、その横には大きな『岩部亀士紀功碑』があった。

岩部亀士は初代志度村の村長を務め、その手腕を丸金醤油創立者である木下忠次郎認められ懇願されて、苗羽

村長に就任したという。そんな話を聞くと少なからず何かの縁をこの苗羽に感じたのだった。

 

 

 

 

大岩壁からの落ち葉の積もった下りで予測のつかない足の動きになり、帰りのフェリーの中で膝が痛み始めたが

その痛み以上に、今日のコースは久しぶりに人がほとんど歩いていないバリエーションルート。歩く前からの下

調べに胸躍らせ、最後の下りではルートファインディングに頭を使い、ロープ場では緊張感を味わった楽しい楽

しい一日だった。ただこれに味を占めた奥様がこれ以上エスカレートしない事を願うばかりだった。

 


あっぱれ絶景かな洞雲山・碁石山・大嶽

2024年12月13日 | 香川の里山

 

前回寒霞渓馬の背を登って、その西にある四方指から眺めたデコボコした洞雲山から大嶽の稜線。

馬の背の溶岩が固まった特異な地質の尾根を登った後、その四方指からの景色を眺めながら、『そう言えば以前

に登ったあの洞雲山から碁石山も同じようなガチガチ固まった稜線だった』のを思い出し、隣に居たあっちゃん

に『あの稜線も岩場になっていて楽しいですよ』と話をした。

その事を思い出して今回はまた小豆島に出かけてみることにした。計画としては坂手から洞雲山に登って碁石山

へ縦走、そこから大嶽へとアプローチするのだが、YAMAPの活動日記で事前に調べてみると、どうやら碁石

から大嶽への山頂直下のロープ場が難所らしい事が分かった。でもまあロープがかかっているという事はそれ

なりに歩いている人がいるのだろうと考えて、そのままロープ場を下って大嶽へ登った後、麓の苗羽(のうま)

に下る周回コースとした。

 

小豆島の山を登るときに一番考えるのはフェリーとバスの時間。取りあえず早めには出かけたいのだけれど、若

干一名が朝の早いのを難色を示す。それならと7時20分発の土庄行のフェリーに乗って、8時30分発の田ノ

浦行のバスに乗り継いで坂手港に向かうことにした。この時間だと今度は帰りの時間が気になるのだが、距離も

標高差もさほどではないので何とかなるだろう。

 

田ノ浦行のバスは坂手東で折り返して田ノ浦(映画村)へと向かう。その坂手東でバスを降りて、まずは『夏至

観音』で有名な、島霊場88ケ所の1番札所の洞雲山へと集落の中の道を登って行く。

坂の途中で振り返ると坂手港と田ノ浦の半島の横に五剣山が見えた。そこからしばらく歩いて行くと、2013

年の瀬戸芸で出品されたビートたけしとヤノベケンジの彫刻作品のある美井戸神社があった。

 

 

 

坂道の正面に見える岩壁に『あの上登るんかな~』とあっちゃんのテンションが上がってきた。洞雲山へのコン

クリート道はこの季節、行き交う人がいないのかたっぷりと落ち葉が積もっていた。コンクリート道からへんろ

道に入ると、さらに道は荒れていた。

 

 

 

オリーブの木が植えられた牧場の跡地を横目に見ながら更に登って行くと、第3番札所観音寺の奥の院・隼山

に着いた。大師堂の前の広場からは播磨灘を一望に、鳴門・淡路島が見える讃岐十景の展望地。銀色に輝く海

に空に浮かんだ雲が影を落とし、穏やかな風景はこちらの気持ちまで和ませてくれる。

 

 

 

その大師堂から洞雲山へと向かう途中に展望台があった。坂手の町を見下ろす展望台からは対岸の東讃の里山の

奥に、阿讃の峰々が続いているのが見える。

 

 

 

その展望台の先の参道からは、坂手の集落から見えた岩壁がそそり立っているのが目に飛び込んできた。

老杉の並ぶ境内に入ると、その岩壁の下に大きな洞窟。洞窟の中に本堂八角堂が薄明りに照らされていた。

 

 

 

洞雲山を後に一旦参道を引き返すと途中に、『洞雲山碁石山登山口』の小さな案内板が木の幹に掛けられている。

そこから乾いた土に足を滑らせながら岩壁の南側へと登って行く。

 

 

 

岩尾根特有のウバメガシの密集する急登を登って行くと岩壁の南端に出る。そこには先ほどの展望台より見た景

色より高度が上がって、さらに奥の内海湾の景色が広がっていた。

 

 

右手に視線を移すと草壁の町や寒霞渓、そしてこの稜線を眺めた四方指。坂手の町の奥には入り組んだ形の田

ノ浦の半島と、さらに先には釈迦ケ鼻のある半島が見える。

 

 

そこから先は岩尾根。馬の背同様露岩自体はしっかりしているが、高度感はかなりある。

碁石山のこんもりしたピークの先に、最終目的地の大嶽の垂直の岩壁も見え始め気分は上々!

五剣山屋島冠ケ嶽の岩壁とは比べようもない高さの岩壁の大嶽。そんな岩壁を眺めていて、あの上に立つこ

とはできないが、足元はどこも同じで土溜まりになっているはずだろうから、いつか真下から見上げてみたい。

あわよくば岩壁の弱点(岩登りではなく、木の生えている場所を辿りながら)を見つけて登れないかななんて、

不相応な大胆な考えをする。

 

 

 

そんな岩壁の下のゆるやかな裾を引く山肌は今が紅葉真っ盛りで、白い岩肌とのコントラストが対照的だ。

その岩尾根の高度感に腰の引けているルリちゃん。とはいえ足元のデコボコした露岩に足でも引掛けようものな

ら、奈落の底へ転落だ。『あわてずゆっくりでいいからね!』と声をかける。

洞雲山の石祠の前で記念撮影。『あっちゃん、それ以上後ろに下がらないでね!』

 

 

 

 

その石祠から先をひと登りすると洞雲山山頂の山名札が置かれていた。ネットを見てみると先ほどの石祠のある

場所を洞雲山山頂として写真を撮っている人が結構いるが、355mの標高はこちらの方が高いので、しかも地

元の山の会がわざわざ山頂と書いて置いているので間違いはないだろう。ちなみにYAMAPのランドマークと

もズレてはいる。ただこの山頂からの景色はこちらも申し分がない。

 

 

 

 

洞雲山山頂から碁石山へはウバメガシの林の中の尾根になる。碁石山寺への分岐を過ぎてさらに進んで行くと、

2回ほどアップダウンをして最後にひと登りしたら碁石山山頂。

 

 

 

 

 

山頂は木々に囲まれているが、その木々の頭越には千羽ケ岳と拇岳、そして島の最高峰の星ケ城が見える。

ここから大嶽まではまだ少し時間がかかるので、ここでお昼ご飯にすることに。ザックから取り出した先週と同

じ、巻きずしと稲荷寿司の弁当の蓋を開けたらその拍子に全部地面に落としてしまった。

おむすびコロリン・コロコロリンならぬ、巻きずしがコロコロ転がって行ってしまった。ガックリ肩を落として

いる私を見かねて奥様たちがおむずびとドーナツを恵んでくれた。ありがたや~ありがたや。

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたら、さぁここから今日のメインイベント、最難関のロープ場の下りになる。

山頂から少し北に降りると細いロープが谷あいに伸びていた。足元を確認しながら特攻隊長あっちゃんがまずは

降りて行く。ロープの最後の場所に降りると『ここは足掛かりがあるから大丈夫』と声がする。写真では伝わら

ないが結構な斜度の上にロープが細い。途中で輪っかを作ってくれているので助かる。

さらに下からは『2本目のロープは足掛かりがないので滑りやすくて難しいわよ』と声がした。

 

 

 

 

 

 

 

ロープ場が終わっても急坂は続いていく。ただ木の幹に掴まりながら降りられるので問題はない。

一旦降りて巨大な岩塊の左下を巻くように進んで行くと次に岩壁が現れる。

 

 

その岩壁には黒いロープがかかっているのでひょいとひと登りした後、もう一本ロープをやり過ごすと岩尾根の

上に出た。

 

 

 

背の低い木々の間を抜けるとまた絶景が広がっていた。麓の苗羽地区に黒い建物群が見えるのはマルキン醤油の

工場だろうか?そしてもう目の前に大嶽の岸壁が迫ってきた。

 

 

 

ここから一旦下って行くとその苗羽地区への分岐になる。大嶽に登った後はここまで戻って下って行く予定だ。

 

 

 

分岐から少し進んで露岩の上を登って行くと大嶽山頂だ。山頂にはネズミサシの枝に小さな山名標がかかってい

て、足元には「洞雲山行者講」の陶板が石に埋め込まれていた。

 

 

北と南に分かれた岩壁の間に深い神秘の谷が広がっていた。ロストワールドのここが大嶽の岩壁の弱点となるの

か、なんとなく下から登れそうな気がしないでもないが、好奇心だけでは今日は時間がない。

そして北を見ると数年前にセニョさんと二人で登った拇岳が『いいね!』と指を立てている。あっちゃんを誘っ

たら絶対に『行きたい!』と言うだろうから、今日は黙っておこう。

 

 

 

東を見ると淡路島と対岸の須磨が見えた。そしてふと見ると西側の南の岩壁にはロープがかかっていた。誰か

があそこまで行ってロープまで付けている。またひとつ興味が増えた大嶽だった。

 

 

 

分岐まで戻って西に苗羽へとウバメガシの木の枝に掴まりながら下って行く。足元はその小さな落ち葉が積もっ

て滑りやすい。道は踏み跡もしっかりあり、テープや青いペンキの目印も木の幹や岩に付けられているので迷う

ことはない。

 

 

 

 

途中には木材搬出用のヤグラと滑車が残っていたが、この周りに植林した様子はなく何の木材を伐採運んでいた

のだろうか?また太い鉄管も転がっていて、この辺りで搬出以外の何かの作業されていた形跡が残っている。

 

沢筋になってくると大小の石が転がっていて歩きづらい。右に左にそんな石を避けながらしばらく下って行くと

やっと車道に出た。樹林帯を抜け集落が近づいてくると色づいた木々越しに大嶽の岩壁がはっきりと見えた。

南北の両岩壁の間には確かに神秘の谷が見えている。

 

 

 

 

小豆島で人気の島宿真里の横を通り、醤の里の工場まで来ると醤油の独特な匂いがした。県道まで出ると奥様た

ちは、さっそくマルキン醤油記念館へしょうゆソフトクリームを求めて飛び込んだ。

時間的には計画していたバスより1便早いバスに乗れ、乗り継いだフェリーも1時間早く乗り込むことができた。

マルキン醤油の工場の屋根の奥に見えた大嶽は、その存在感は小豆島だけに限らず、香川の里山の中でも抜きん

でていた。

 

 

 

あの大嶽の岩壁をもっと近くで見てみたいと思うのは私だけだろうか?できればもう一度この山だけを訪れて、

探索できればと。またひとつ出かけたい山ができてわくわく感が止まらない。

 

 

 

 

 


12月に1ダースの小野アルプス

2024年12月07日 | 四国外の山

YAMAPの功罪。

YAMAPを使い始めて今までなかなか手間だった山を歩いた結果が、直ぐに見える化できるようになった。

時間・距離・標高差がゴールに着いた途端にスマホに表示される。しかも最近はコース定数なるものや、平均ペ

ースまで表示されるようになった。それらの意図するところは自身の体力を知るところにあるのだろうけれど、

それを見て他の人と比べることもできるようになった。

もともと登山は人と比較したり、数字的なものを競ったりしないところがひとつの良さだったのに。そう呟きな

がらも、いつも一緒に出掛ける奥様たちが登頂したピークの数の話を話すたびに、二人よりYAMAPデビュー

がかなり遅くて、実際には今まで登っているピークの数より奥様たちと比べてかなり少ないのを気にしていた。

 

そう、いつの間にかYAMAPの数の術中にはまっていたのだった。

 

それならカシミールに保存してあるデータをGPXでYAMAPに取り込んで、実数に近づける事もできるのだ

けれど、これが意外と手間でそんなことをしている暇もない。

よし、じゃ~独りで歩いてピーク数を稼いで奥様たちとの差を縮めてみるかと考えて、一日で歩けてピーク数の

多い山を探してみると、兵庫県の小野アルプスが引っ掛かった。

そこでこの小野アルプスの近くにお住まいで、神戸在住ではないのにWOC登山部神戸支部長を自ら名のる、『山

爺』を誘って二人で歩けないかと抜け駆けを考えたが、それを奥様たちが許すはずもなく、結局いつものように

三人で出かけることになった。

 

 

山爺が来てくれたら、縦走後の下山場所に車をデポしてかなりの時間短縮ができると思っていたら、山爺から

『火曜日に登った段ケ峰の疲れがとれず山歩きはご一緒できない』と連絡がきた。それならわざわざデポするた

めにだけに来てもらうのも申し訳ないと返事を返した結果、下山後の下道歩きの6kmが増えてしまった。

 

集合場所から高速を小野市へと車を走らせる。途中の明石大橋で『そう言えばちょうど1年前に毎週この橋を渡

ってましたね』と奥様たちに話しかける。そう、1年前の12月は『六甲全山縦走』でこの橋を渡って通ってい

た。そんな話をしながら、自宅のある場所からスタート地点となる小野アルプス東端にある『白雲谷温泉 ゆぴ

か』までは2時間弱で着いた。

駐車場の端にある登山口には小野アルプスの案内板があったが、そこには9つのピークが載っていた。そのピー

クにプラスして3座がYAMAPのピークになっている。

 

 

案内板の奥からまずは一つ目のピークの高山へと登って行く。登山口からは四国の里山と変わらぬ雰囲気の道が

続いていく。途中で何枚もの手書きの看板が道の脇の木の幹に掛けられていた。

 

 

 

10分ほどで一つ目のピークの休憩所のある高山に着いた。まだ高度の低い朝陽に照らされ、私たちの顔もオレ

ンジに染まっている。

 

 

案内板にハイキングコースと書かれていたように道はよく踏まれていて、落ち葉がたっぷり積もった道をカサカ

サと音をたてながら次の前山へと歩いて行く。

 

 

この辺りの森は川崎重工業グループが整備に協力しているとの事で、途中の木々には名前を書いた札にKAWA

SAKIのシールが貼られていた。尾辺筋から少し下った鞍部に着くと日光峠の道標。ここからは北に鍬渓温泉

に下る道、そして数カ所ある内のひとつの小野アルプスの登山口への道になる。

 

 

 

 

日光峠から前山まではしばらく急登が続いていく。と言っても日光峠からは40mほどの標高差。急がず慌てず

ゆっくりと、息が切れない程度の速度で登って行く。

 

 

前山山頂には巨大な電波塔が建っていた。フェンスに囲まれた電波塔の南側は小さな広場になっていて、南に街

並みを見下ろすことができた。西に見える小さなピークは、これから向かう愛宕山と安場山だろうか。山肌は柿

色の中に緑が混じって、今が紅葉のピークに思えた。今日二つ目のピークをゲット。まだこれから10座ある。

 

 

 

 

一旦少し下って登り返すと直ぐに次の愛宕山。途中の道には119番通報ポイントの看板がこの後も掛けられて

いた。何かあったときにはこの看板のナンバーを連絡すると直ぐに場所が分かるようになっている。たしか六甲

全山縦走でも見かけた看板だ。

 

 

 

 

 

愛宕山からも一旦下っての登り返し。今日はずっとこのパターンが続いていく。四座目は安場山156.6m。

 

 

安場山からさらに下って行った鞍部は間伐されて、木々もまばらで明るい日差しが周りを照らしていた。

その鞍部から少し段差のある階段を登って行く。

 

 

 

 

道の途中には近くの町名を刻んだ石柱が所々に建っていた。それらの石柱を眺めながら下って行くと何の木だろ

うか黄葉の木が目立ち始める。その中の背の高い木々から落ち葉が舞って不思議な森の雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

 

 

その黄葉の森を抜けるとアザメ峠の車道に飛び出した。その峠の車道の両側は、また先ほどの黄色とは一味違っ

た赤やオレンジのモミジのプロムナードになっていた。そして今まで歩いてきた小野アルプス東コースの入り口

となっていた。

 

 

 

 

何百枚、何千枚もの小さな小さなモミジの葉が折り重なって、青い空を隠し真っ赤に染め上げている。それぞれ

の木の葉の色が違っていて、踏み出すたびに空の色も変わって行く。

 

 

 

 

足元もそれに負けじと何色もの色で彩られた絨毯になっている。この季節ならではの色彩のマジックを眺めなが

ら峠のお地蔵さんも満足げだ。お地蔵さんの前に停められた軽自動車の緑のボディーが、周りの彩の中で違和感

なく溶け込んでいる。

 

 

 

このコースは色々な道標が建っているが、一番立派な道標は白雲谷温泉ゆぴか鴨池が基点となっている。

手作りの道標は順番にピークを示してくれている。次に向かうのは総山。ここには二つの『そうやま』があるが、

そのうちの一つ目の総山になる。

 

 

峠からは20分弱で今日五座目の総山山頂(184m)に着いた。峠の前後から増え始めた笹が山頂の周りを囲ん

でいた。

 

 

 

その笹が少しかかった道を西に進んでい行くと、権現ダム方面へ下る道との分岐。その分岐を右に折れて次の

アンテナ山を目指して歩く。道の途中からそれらしいピークが木々の間から見えたが、アンテナのような建造物

はそのピークには見当たらなかった。

 

 

山頂近くになると露岩が現れた。すると先を歩く奥様たちが『これがアンテナかいな?』と言う声が聞こえてき

た。二人に追いついてみるとたしかに想像していた前山で見たアンテナには程遠い、テレビの共同アンテナが建

っていた。『ん~たしかにアンテナには違いない!』これで六座目のアンテナ山

 

 

 

 

少しがっかりした三人の思惑とは他所に、アンテナ山からの眺望は素晴らしかった。先ほど歩いた総山の肩腰に

は、明石大橋の橋脚が遠くに見える。周りの山々は季節は初冬だというのに秋色一色だ。

 

 

 

 

次の二つ目の『そうやま・惣山』へは少し下って尾根を辿って行く。

さすがため池の数が日本一の兵庫県。途中からもあちらこちらに空の青い色を映し出したため池が転がっていた。

 

 

 

惣山山頂はこのコースの中で一番の広場になっていた。ベンチが一つ置かれ木々も数本、南に開けた空からは明

るい日差しが降り注いでいた。予定では次の紅山でお昼にしようと思っていたが、ここまで来ると風が強くなっ

ていた。そうなると紅山の岩尾根は吹きっさらしになるので、ここでお昼ご飯にすることにした。

私は先日オープンしたばかりの地元のマルナカで買ってきた巻きずしとお稲荷さん。ナスビの温かい味噌汁が、

少し肌寒いなかで気持ちまで暖めてくれる。

 

 

 

 

20分ほどでお昼ご飯を食べ終えて次に今日のメインイベントの紅山へと一旦下って行く。

するとシロモジだろうか?薄く淡く透明感のある黄色のカーテンが道の両側を覆いつくし始めた。その薄黄色の

林の中で奥様たちが感嘆の声をあげている。

 

 

 

 

今まである程度黄葉が続く道を見た事はあったが、ここまで薄黄色一色に染まった道は初めてだった。今日はこ

の黄葉を見られただけでも満足だ!薄黄色のシャワーは九十九折れの下り坂の最後まで続いていた。

 

 

 

 

 

その急坂を下りきると岩倉峠。そこからは今度は柿色に染まる山肌の最上部に何やら岩肌らしき斜面が見えた。

『あれが紅山かな?』と言いながら歩いて行く。

 

 

 

紅山登山口と書かれた道標から10分弱歩くと紅山の岩尾根の全貌が目の前に現れた。登山口から途中で追い越

していった常連さんらしきおじさんが先に取り付いていた。

まるで巨大な恐竜の背中を小さな人間が取り付いているように見える。中間地点ではツブダイダイゴケで岩肌が

オレンジ色に染まっている。紅山の名前の由来はこのオレンジ色の岩肌からくるらしい。

 

 

 

 

 

途中からルリちゃんは迂回路へ。あっちゃんと二人で登って行くが写真で見たザラザラした岩肌も意外と硬くて

靴底のグリップがよく効いている。上部になるにしたがって斜度はキツくなってくるが、立って登れないことも

ない。立ったりすると高度感が出てくるが、登っているうちはそれほど感じることもなくスイスイと登って行く。

 

 

 

登りきるとやはり南側は遮るものがなく高速道路を走る車の音が鳴り響いていた。そして東側も小野市の市街地

が広がっていた。

 

 

すると何を思ったのかあっちゃんが登ったばかりだというのにまた岩尾根を下って行っている。

途中で立ち止まって写真の催促でもするのかと思ったら、結局下まで下って『下りの方が怖くないわよ!』と言

いながらまた登ってきた。何を考えているのやら・・・・?

 

 

 

 

今日のメインイベントを無事登り終え、今日八座目の紅山の山頂標の前で写真を撮る。

 

時間は12時30分だが、まだスタート地点のハイキングマップに載っていた岩山以外にまだ三座あるので先を

急ぐ。山頂の西側の岩肌からはちょうど紅山の岩尾根が真横から眺められた。ここから見てみるとおおよそ45

度くらいの斜度だろうか?

 

 

その露岩から少し下って行くと縁結びのパワースポットと云われる夫婦岩の男岩の横に西紅山の山名札がかかっ

ていた。男岩は正面から見ると女性の横顔のようにも見えたが、果たして女岩はどこ?これで今日九座目。

 

 

西紅山からさらに下って行くと、これも里山あるある。大シダの繁茂の道になっていた。そして鞍部には西コー

ス入り口の道標。ここから西はハイキングコースの案内板に一応縦走路は載っていたが、色づけされていなくて

ハイキングコースからは外れるようだ。

そして岩山山頂が近づくと、ここでも露岩が現れた。三角点は 四等三角点 岩山 163.78m

 

 

 

 

三角点の少し先に山名標がかかっていた。ここからは遠く瀬戸内海の海際に、神戸製鉄の巨大な工場が見えた。

 

 

 

 

露岩の続く山頂からの道からは大きな権現池が随分と近づいていた。

 

 

そして最後の鞍部へと下り、そして最後の宮山への登りとなる。道標には残りの宮山・南野山の名前はなく、

代わりに峠の名前になっている。そして十一座目の宮山、十二座目の南野山をクリアー。

 

 

 

十二座目の南野山を過ぎると福甸峠へと降り立った。さてさてここまで今日の行程の距離でいうと約半分。

ここから下道歩きの6kmが待っていた。

 

 

 

峠の西側はもう加古川市。ここから県道118号線を地味に歩いて行く。ただ道沿いにはきれいなため池が続き、

女池と呼ばれるため池には白鳥が二羽、優雅に泳いでいた。そんな景色を眺めながら楽しく歩いて行く。

 

 

 

その女池の北側にあった一風変わった雰囲気のカフェで一息入れる。雑貨やドライフラワーが並べられた中を通

り、私はアイスコーヒーを注文そして奥様たちは温かい紅茶を注文する。

 

 

 

 

一息入れた後は気合を入れて下道歩き。アスファルトの固い路面が疲れた足裏に堪える。この時ばかりは神戸支

部長に来てほしかったと三人で話をする。

カフェの周りは別荘地ぽい広々とした庭と、デザインされた建物が並んでいた。その先の男池には餌付けされた

カモが、近づいても逃げる様子もなく湖面を泳いでいた。

 

 

 

男池から約5kmを1時間10分かけて駐車場まで戻ると、スタートした時は数台しか停まっていなかった広々

とした駐車場にはほぼ満車状態で車が停まっていた。白雲谷温泉は人気の温泉の様だった。

12月のスタートにちょうど12座、1ダースのピークを登って奥様たちも大満足。結局出抜くこともできずに

同じだけ12座増えた一日だった。

 

 

 


『バリ山行』ともうひとつの石門

2024年11月22日 | 香川の里山

少し前になるが小説『バリ山行』が第171回芥川賞を受賞した。『バリ』とは『バリエーションルート』の略

で、正規の登山道以外のルートを使って山を登ることの略称だそうだ。山岳小説にしては舞台は六甲山という身

近な場所。その六甲山で『バリ山行』が繰り広げられるのだが、読んでみてそのバリエーションルートに少し違

和感を感じたのは私だけだろうか。

もちろん私もバリエーションルートと云われるルートを歩くこともあるし、藪コキをする事もあるけれど、藪コ

キなどは大抵が道を外れてしまっての時が多く、この小説に出てくる妻鹿のように、わざわざ藪を選んで歩くこ

とはほとんどない。それがバリエーションルートに当たるのかも疑問が残ったが、今回はそんな『バリ山行』を

奥様たちとやってみた。

 

小豆島の寒霞渓には『表十二景』『裏八景』の風光明媚な奇岩を眺めながらの登山道があり、大抵はこの登山

道を使ってその先の小豆島最高峰の星ケ城を往復するのが一般的だけれど、その『裏八景』の西側の尾根を登る

『馬の背』と呼ばれているバリエーションルートがあることを、昨年エントツ山さんのHPで初めて知った。

丁度昨年のこの時期にモミジ狩りを兼ねて、偶然池田町のフェリ―乗り場で出くわしたセニョさんあっちゃん

の三人で『馬の背を』登って、星ケ城まで歩いて『裏八景』を下って、最後に小豆島18番霊場の『石門洞』

石門を見て帰った。

 

今回もそろそろ寒霞渓の紅葉も見ごろだろうを思って、奥様たちを誘ってみた。そして『自己責任で!』と書い

て案内。今回は昨年一緒に歩いていないルリちゃんも参加したいと言うので、『馬の背』は一般的な登山道を外

して歩くのだから、当然何かあったときは『自己責任』でとして参加してもらった。

ただ昨年と同じような行程で歩いても芸がないので、セニョさんがその後独りで登った、馬の背の途中から西に

ある『玉筍峯』に寄道。その後ロープウェイ山頂駅まで登って、県道を歩いて『四方指』へ。そこから南に下っ

て、偶然以前にその存在を知った『もうひとつの石門』、通称『西の石門』を訪ねて見ることにした。

 

昨年と同様に池田港行の6時50分発のフェリーに乗る。但し駐車場はサンポート地下駐車場ではなく、少し離

れた大的場の青空駐車場を選んだ。というのも昨年あっちゃんは巨大な迷路のような地下駐車場で出口が分から

ず、馬の背の岩場よりも恐怖を感じたそうなので、分かりやすい青空駐車場にした。

サンポート周辺は新しくアリーナやホテルが建設されていて開発がどんどん進められていた。

 

 

 

池田港行のフェリーの第十一こくさい丸は『ぞうさん』が船のあちらこちらに象られていた。

出向後しばらくしてデッキに上がると、ちょうど東の空からお日様が昇ってきた。

 

 

池田港からロープウェイ乗り場になる紅雲亭行のバスはおおよそ30分待ちでほぼ満員で出発。

今日の登山口となる猪谷バス停で下車すると、我々以外も数組が降りてきた。裏八景からスタートして表十二

に降りる人はあまりいないので、皆さん馬の背を登るんだろうな~と思いながら歩き始める。

 

 

裏八景の登山道から馬の背の尾根への距離が短そうなところを適当に見計らって取り付く。滑りやすい斜面をひ

と登りすると尾根に出た。尾根からは西に寒霞渓から続く岩壁、そしてここから見ると『果たしてあんな所、登

れるんだろうか?』と思うような、これから登る玉筍峯が険しくそびえ立って見えた。

 

 

 

しばらくは黄葉の木々の下を歩いて行く。寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩層や火山角

礫岩層などの岩塊が、長い年月の地殻変動や風化と侵食によって多種多様の奇岩と崖地が絶景を創りあげた渓谷。

その岩肌はモルタルで固められたように固く、露出している岩も握ったり足をかけたりしてもビクともしなくて、

安心感があり、足掛かり手掛かりがあって登りやすい。

振り向いて後ろから登ってくる奥様たちの奥には、猪谷池内海ダムの向こうに草壁の街並みが見えた。

 

 

 

普通、花崗岩の岩場だと表面がザレたり握った岩がポロっと取れたリするけど、ここの表面は固くてほんと安定

感がある。そのせいか初めて歩くルリちゃんも結構登れてきている。

植生はというとそれはどこも一緒なようで、岩尾根特有のネズミサシがけっこう生えている。

 

 

 

一カ所だけあるロープ場をよじ登ると、玉筍峯随分と近づいてきた。その玉筍峯の横に広がる寒霞渓の紅葉は、

夏の暑さの厳しさが影響しているのか、今年は色がくすんでいてイマイチのような感じがする。

 

 

 

 

小さくアップダウンを繰り返しながら岩場を歩いて行く。玉筍峯の岩塊の上に月がまだ見えた。

 

 

 

岩場は固く安定しているとはいえゴツゴツと凹凸があって、逆に注意しないと足を引っかけ転倒しかねない。

前を歩くあっちゃんが立ち止まってなりやら写真を撮っている。その場所まで行ってみるとこの季節に珍しくカ

マキリが岩に張り付いていた。

 

 

 

岩尾根になってからは西側はだいたい切れ落ちているので、巻道はほとんど東側を巻いて登って行く。

それにしてもあっちゃんのスピードは落ちない。普通に登山道を歩いている感じでどんどん登って行く。そして

先に岩塊を登りきると更に高い岩に登ろうとする。

 

 

 

玉筍峯ほぼ真横の高さまで登ってきた。この辺りから見るとけっこう木々が生えていて高さもそんなになくて、

また違う岩塊に見える。

 

 

岩尾根から樹林帯に入ると、左側にロープウェイが見下ろせるこのルート一番の展望所がある。渓谷の紅葉も

稜線近くはもうピークを過ぎた感じだが、ロープウェイの周りは今が見頃といった感じだった。

 

 

 

その見晴らし台の手前に赤い色褪せた布切れと、こちらも朽ちかけたテープが木の幹に掛けてある。そのテープ

から西に向かって降りていくと玉筍峯へのルートになる。木々の中を下って行くと彩の向こうに玉筍峯らしき影

が見えた。それを見て『意外と近そう!』とあっちゃん。『いや~あれは偽ピークぽいですけど』と私。

 

 

思った通り見えた岩は玉筍峯の手前の岩。その岩塊を回り込むとまた先ほどの見晴らし台からの景色とは違った

角度からの渓谷とロープウェイ、そして山頂駅の駅舎が見えた。

 

 

玉筍峯の直下からあっちゃんは左に登りやすい場所へ。私は直登をしてみるが、これがけっこう危うかった。当

然写真を撮る余裕もなく、なんとか岩塊の頭に出た。最後は3mほどの高さを垂直に登るのだが、高さは大した

ことがなくても足元が切れ落ちていて落ちたらアウトだ。少ししてあっちゃんも登ってきたので二人で記念撮影。

あまりアップで撮るとちょっとした岩に登っているくらいにしか見えないし、少し離れて撮っても高度感はまっ

たくでない。

それでも下るときは足元が全く見えないので『注意してゆっくりね!』と声をかける。

 

 

 

 

 

今日の目的のひとつの玉筍峯をゲットした後は、分岐近くで待つルリちゃんの所へ戻って行く。待っていたルリ

ちゃんと合流した後はルートに戻って山頂駅を目指す。スタート近くの尾根の黄葉から、この辺りはオレンジや

赤の紅葉に彩が変わってきた。

 

 

一旦下って登り返していくと見覚えのある白い露岩が現れる。ここから先は樹林帯、この馬の背ルートで内海湾

草壁の町が見下ろせる最後の眺望となる。

 

 

 

白い露岩からは山頂駅にある第一展望台の岩壁直下までの急な登り。ウバメガシの木々の間を縫って、乾いた小

さな葉に足を滑らせながら登って行くと岩壁の足元に着く。

 

 

岩壁まで来るとそこからは岩壁の足元を東へと歩いて行く。途中で小さな細い滝を見ながらさらに進んで行くと、

裏八景の登山道に飛び出した。少し荒れた裏八景を登りきると山頂駐車場。トイレを済ませて公園広場の東屋で

お昼ご飯にする。

 

 

かわら投げの出来る第二展望台から見る四方指までの間の紅葉は、陽の当たり方のせいか今一つな感じがした。

ただ展望台や公園にあるモミジは日差しが当たって輝いてた。

周りでは声高らかに中国語が飛び交っていた。観光地は今やインバウンドで海外の人が大勢押しかけているが、

紅葉の季節になる京都などは、もっとにぎやかなんだろうと想像する。

 

 

 

 

 

時間は11時40分前。ここから四方指まで3.5kmの県道歩き、その後西の石門まで下って、更に予定して

いる内海ダムのバス停までタイムリミットは約3時間しかないので、のんびりとはしていられない。

途中にある鷹取展望台や、二年前の瀬戸内芸術祭のオブジェの『空の玉』を見てみてたかったが、次回に行く事

にしてどんどん歩いて行く。

 

 

寒霞渓の紅葉よりこの間の紅葉がとにかく見事だった。赤に黄色にオレンジと足元には結構散った葉が積もって

いるが、それでもまだまだ見応えがある。

 

 

 

脇道から県道に出ると、道の両側に帯のように落ち葉が積もっていた。四方頂からGoogleMapで『寒霞渓スカイ

ラインビュースポット』となっている場所までは単調な登坂が続き、あまりおしゃべりもせず黙々と歩いて行く。

 

 

 

そのビュースポットからはススキの穂の奥に内海湾そして大獄から碁石山洞雲山に続く峰々を望むことができ

た。あのあたりの山も馬の背と同じようなゴツゴツとした岩が続いていて楽しめる山だ。

眼下に見える先ほど登った玉筍峯の真っすぐ奥に見える千羽ケ嶽拇指嶽がちょこっとだけ見えている。

 

 

県道から四方指の標識にしたがって左に折れる。手前の県道沿いに比べると急に彩が増して賑やかになってきた。

時間はほぼ予定通りの1時間近くが経過しようとしていた。ここにきてズボンの下に履いている着圧のタイツの

股の部分がよれて股の付け根で擦れ始めた。途中で道の脇の木の陰で直してみるが直ぐにまたよれ始めた。

 

 

 

 

美しの高原の中にある四方指大観峰からは山と海と空をひとりじめ出来そうな大パノラマが広がっていた。

大角半島の奥の海の向こうに薄く見えているのは鳴門の辺りだろうか?反対側はには本州の赤穂辺りが見える。

 

 

 

 

 

三角点の横には三角点の標石と同じ石に彫られた説明板が建っていたが、全国にある標石のほとんどがこの小豆

島の石が使われているのだけれど、説明文は少し説明不足のように感じた。

『全国の至る所にある三角点の標石には、ほとんどが小豆島の石が使われています』と書いた方が、書かれた人

の意図が伝わる気がした。 参考文献:小豆島産の三角点・国土地理院

 

 

 

さあ残り時間は2時間。ここから西の石門まで下がって更に県道まで下っても、そこからバス停まではまだ15

分ほどかかる。14時50分紅雲亭発の便に遅れると2時間20分待つことになり、それでは帰りがけっこう遅

くなる。展望台の西側の緩やかに斜面になった所から見えたピンクのテープを目指して樹林帯へと入って行く。

このピンクのテープはこの後ずっと続いていったが、所々で見失ったりしてうろつく場面もあった。ただ基本的

には下りだと東側が岩崖地になっているので、その岩崖に沿って下って行けば間違いがない。

時間に余裕がないという事で奥様たちも、茂った木々の間を右に左に避けながらブイブイと飛ばしていく。

 

 

 

 

すると中山みちと刻まれた石の立つ場所に着いた。かつてはここが中山から草壁への峠道だったようで、多くの

人の行き来があったそうだ。その石の横には『四方指』『窓』と書かれた二つの道標が建っていた。

 

 

 

『窓』の道標に従って東に下って行く。昔の峠道の面影は残っていたが、とにかく落石によるのか、足元はゴロ

ゴロした大小さまざまな石が転がっていて歩きづらい。しかも九十九折れの道はけっこう急な坂になっている。

すると少し遠方だが下の方でズドーンと鉄砲の音がした。何度かその音が続いたところで、『私は黒い服で目立

ちにくいので、赤い服のルリちゃん先頭でお願いします!』と言って、先を譲る。

 

 

 

今は使われていない道とはいえ、これだけ石が転がっている道は初めてだ。これでは時間がないのにスピードが

まったく上がらない。それよりもいつ石を踏み外して転倒してもおかしくない。

何とかそのゴロゴロ石の急坂をやり過ごすと、また『窓』と書かれた道標と石門の注意書きを書いた紙が木の幹

に掛けられていた。

 

 

 

ここからは岩壁の足元を南に向かって歩いて行く。岩壁の岩肌は馬の背の岩尾根と同じように火山角礫岩らしく

デコボコ、ゴツゴツした岩肌になっていた。

するとそのほぼ垂直の岩壁に、ロッククライミング用のハーケンが打ち込まれ、フィックスロープが垂れ下がっ

ていた。たしかさっきの注意書きには国の許可が必要だと書いていたはず・・・・。

 

 

その岩壁の足元を抜けると樹林帯の斜面をピンクのテープを目印に登って行く。事前にみたここを歩いているY

AMAPの活動日記を見て、それほど時間はかからないと思っていたが結構時間がかかっている。

その斜面を登って行くと先に登っていたあっちゃんから声があがった。『着いたよ~!』

 

 

 

 

手前側には大きな石が転がっていたが、石門の奥は平らな場所が広がっていて、何か祭事が行われていたような

形跡もあった。大きさは東の石門より大きく見える。そしてアーチの部分も随分と分厚い。

 

 

奥の広場になった場所には、なにやら文字が刻まれた石が建っていたが解読はできない。

視力のいいルリちゃん石門の上の方にもハーケンが打ち込まれているのを見つけた。手前の岩壁ならまだしも、

許可を届け出たとしても絶対降りるはずもなく、なんという事だ。

 

 

 

広場から石門を眺めながらうろついている奥様に、『バスの時間まで残り1時間です!』と声をかける。

岩壁の足元を抜け分岐まで戻り、あとはピンクのテープに従って降りて行く。

すると割と近くでまたズドーンと鉄砲の音がした。あっちゃんがストックをたたき合わせて音をだすが、

『それよりルリちゃんが叫んだ方がいいよ』といって『お~い!』と叫んだ声が鳴り響いたら、鉄砲の

音は止まった。

 

 

途中でYAMAPの活動日記で参考にした人のルートとは違っているのに気が付いたが、尾根にはテープは続い

ていたのでそのまま超特急で下って行く。

途中から分岐までのゴロゴロ石の道に比べると随分歩きやすい道になり、ますますスピードが上がって行く奥様

たち。その後ろで下りが続いてそろそろ膝が痛み始めたへっぽこリーダーはどんどん離されていく。

 

 

尾根道から地形図に載っている破線の道に飛び出し、そのまま下って行くと40分ほどで、こちら側からの取り

付きとなる元うどん屋の横に飛び出した。すると期間は終わっているが『シカ駆除』の注意書きがあった。

 

 

 

県道から内海ダムまで下って行く。時間的に余裕が出てきたので管理事務所に寄って『ダムカード』をもらう。

 

 

 

さっきまでは下り坂で膝の痛みが気になっていたが、平地になった途端に股の間の擦れが気になり始めた。

こうなったら遠慮なく奥様たちの前で、恥ずかしげもなく股の間の着圧タイツのヨレを直す。(かたやおっさん

、かたやおばさでも、遠慮も恥ずかしさもなくなったらおしましだ)

 

バスの時刻に10分ほど前に着くことができた。『さてさて満員でなかったらいいんだけれど』と話をしている

と、定刻にバスが来た。やってきたバスに手をあげるとなんと満員で、運転手さんが後ろを指さした。その後ろ

からはもう一台バスがやって来て、こちらに乗り込むと意外と空いていてちゃんと座る事が出来た。ラッキー!

 

 

帰りのフェリーはゾウさんからパンダさんに変わっていた。陽が落ち始めた瀬戸内の海をデッキで眺めていると

内海から出た途端に風が強くなり肌寒くなってきたので船内に戻る。

そんなにゆっくり歩いたつもりもなく、休憩時間もそれほど取っていなかったのに、時間的に今回は余裕がなか

った。『今日は少し欲張り過ぎたですね』と奥様たちに言うと、『ぴったり予定通りの時間で良かったですよ』

と言ってくれた。『最後のバスが座れたのがいい意味での誤算でしたね』と言って笑い合った。

 

 

 


ア~那岐山のシンドバット~♫♪

2024年11月14日 | 四国外の山

 

先月西の奥様と石鎚山に登った時に、『来月の13日はルリちゃんが旅行で留守なので、かねてからの懸案だっ

剣山の鬼神の岩屋に連れて行ってください!』と頼まれていたのを思い出した。

ただここ最近膝の調子が思わしくなく、登山道から外れて歩くのは少し躊躇いがあったので、三つほどピックア

ップしてみた。其の内のひとつ『紅葉はイマイチかもしれませんが、山頂からの360度の大展望の山』と銘打

った那岐山にあっちゃんが食いついた。(事前に調べたYAMAPの活動日記には紅葉の様子をアップした写真が

あまり見当たらなかったので)

 

集合場所の丸亀からだと高速を利用するので、2時間強で登山口まで行ける距離。普段出かける四国の山とさほ

ど変わらない。津山ICを降り国道53号線を奈義町へと車を走らせる。

登山口の手前にある『那岐山麓 山の駅』でトイレを済ませて、那岐山登山口第一駐車場に車を停める。駐車場

には車が数台停まっていた。

 

 

駐車場で身支度を整えていると目に付いたのがこの注意書き。『ヌ・ヌ・ヌ8月と言えばつい最近じゃないです

か!』しかもCコースは今から登って行く道・・・・。

 

駐車場からしばらくは舗装路を歩いて行く。道の脇の木々は意外と色づいていていい感じだ。するとまた熊注意

の看板。『そうかここは熊の生息域に立ち入らせてもらってるんだ』

 

 

 

その先で道の右側に蛇渕の滝の道標。その道標の横から脇道に入って沢へと降りていくと、上手に何段かに分か

れた蛇渕の滝があった。

 

 

滝自体は高さもなく小滝といった感じで平凡だったが、渓谷に差し込む朝の光に照らされたモミジが幻想的で、

思わず声をあげて見入ってしまった。

 

 

 

渓谷から道に出る間にもまた熊の注意喚起の看板。しかも今度は写真付き。この後熊注意の看板は度々目にする

事になる。気になったので帰って調べてみると、今年の6月には那岐山から西の広戸仙の登山道で男性が噛まれ

て怪我をしていた。熊被害は北海道や東北の話だと思っていたのにこの辺りでも身近な事のようだ。

 

蛇渕の滝から少し歩くと登山道入り口になる。その取りつきから先でBコースとCコースの分岐になる。YAM

APの活動日記ではBコースとCコースで周回する人が多いが、今日はあっちゃんから山頂からAコースで周回

しましょうと提案があった。Aコース上には慈母峰・八巻山・大別当山があるので、YAMAPの山頂ポイント

を増やそうという魂胆だと思ったので、距離は少し伸びるけど素直に了承従うことにした。

 

 

Bコースの様子は分からないが、Cコースは取り付きからしばらくの間は大小さまざまな大きさの石がゴロゴロ

転がっていて歩きづらい。場所によってはその石を避けて道の脇を歩いて行く・

 

 

 

この那岐山氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されているだけあって、登山道の道標もしっかりした道標が続い

ていく。丸太で作った階段も、先週歩いた龍王山の丸太よりひと回り太くてしっかりしている。

気温が下がってきたとはいえやはり登りではまだ汗が噴き出る。途中で二人とも上着を脱いで登って行く。

 

ゴロゴロ石や丸太の階段をやり過ごすと、少し歩きやすい道になる。途中にあった水飲み場。細い塩ビのパイプ

から流れ落ちる水に手をやるととても冷たく、その手で顔の汗を拭う。

 

 

道は次第に急登になってくるとヒノキの林から自然林へと移って行く。すると上の方から何やら子供の声が聞こ

えてきた。あっちゃんにそのことを言うと、『下から?』と言うので『いえ上からです』と言った先に声は聞こ

えなくなった。

 

 

 

連絡した時は『紅葉は期待できないと思います』と書いてメッセージを送ったが、いやいや嬉しい期待外れ?こ

こまで来ると錦の中の登山道になる。『おかしいな~YAMAPの活動日記にはほとんど紅葉の写真が上がって

なかったのに』と思いながらも、今シーズン最高の紅葉に二人で感嘆の声をあげながら歩いて行く。

 

 

 

 

しばらく登って行くと大神岩の広場で子供たちの姿が見えた。さっき聞こえた子供の声は聴き間違いではなかっ

た。その人数の多さに驚いたのと、ここまで我々でも1時間20分ほどかかっているのに子供たちが、と驚いた。

引率の女性に話を聞くと岡山のあゆみ保育園の年長組さんで、ここからさらに山頂まで登るというのを聞いて、

さらに驚いた。

 

 

大神岩には「大日如来」「不動明王」の文字が刻まれているというので、岩の下を回り込んでみるが分からなか

った。その後岩の上に登ってみると眼下に奈義町の田園風景が広がっていた。

 

 

 

すると私たちが登っているのを見て、園児たちも登ってきた。普通なら危ないので引率の先生は止めるはずなの

に、逆に声をかけてどんどん登らせている。園児たちも慣れた様子で喜んで上がってきた。

段差が高くて上がりづらそうにしている園児のお尻に手を当てて押し上げてあげるが、先生たちはあまり手伝わ

ない。おそらくこの保育園はそういう教育方針なのだろう、多少危なくてもむやみには手をかけずにどんどん外

で遊ばせているようだ。

 

 

 

大神岩からは登山道の雰囲気が変わってきた。登山道というよりは広尾根で明瞭な道といった感じではない。

周りの木々も葉が散って明るさも増してきた。そのせいか風が吹き抜け少し肌寒くなってきたので、この道標の

建つ場所で脱いだ上着を着込む。

 

 

 

 

 

二つ目の神仏ポイントの須佐之男命と刻まれた文字は間近に見る事が出来た。この神仏ポイントから少し上で樹

林帯を抜けて、笹原が広がり始めた。

 

 

 

風はやはり強かったが、陽が当たるので思ったよりは寒くはなかった。スタートから2時間20分で稜線に出た。

 

 

 

左手には真新しいトイレが建っていて、右手には北に向かっての展望台があった。展望台からは西に向かって続

く稜線上に滝山が見える。そして東には那岐山山頂で何人かの人が休んでいるのが見える。

 

 

 

 

 

南東には山頂からの周回になる慈母峰。普通植林地の境界は線上になってはっきりしているが、慈母峰の植林地

は自然林に交わって斑になっている。逆光で陰になった道標が十字架に見える。

 

 

山頂の途中にある三つめの神仏ポイントにはこの山の由来にもなる「伊邪那岐命」のほかに「天照大御神」「奈

義神」の文字が刻まれている。

 

 

山頂の手前に屋根にエントツを構えた立派な避難小屋があった。時間は11時20分。お昼前だがあっちゃんが

『お腹が減ったと』騒がないうちに小屋の中でお昼にする。室内は10度をきっていたが風がない分暖かく感じ

る。

 

 

20分ほど休憩した後山頂へと登って行く。山頂手前で振り返ってあっちゃんに『子供たちはまだ来んやろね~

』と話をすると『ん~来てくれたらいいのに』と。

でも後ろに見える展望台をよ~く見ると、何やらゴゾゴゾと動いている。『いや~もう登って来てるわ!』とあ

っちゃんに言うと『早くこっちまで来ないかな?』と。

するとしばらく見ていると展望台からこちらに来ているのが見えた。そして避難小屋の前で集まっている。

 

 

 

山頂に着いたが360度の大展望どころではない。二人で園児の様子をずっと伺って、『避難小屋でお昼にする

かな?』『こっちでお昼にしたらいいのに』などと言いながら眺めていて、周りの景色を全く見ていない。

すると何人かの子らがこの山頂に向かって走り出した。『キャ~来る来る!』と大騒ぎ。

早い子はやはり走って登ってきた。先に登ってきていた先生と一緒になって『一番・二番・・・』と声をかける。

次々と登ってくる園児たち。ふざけてワザとへばったふりをする子もいたが、息を切らせていても一瞬で治まる

あたりはまるで小さなアスリートだ。そして集合写真を撮るというので自ら進んで買って出る。

 

 

 

 

 

一気ににぎやかになった山頂で園児たちがお昼にする様子。そんな園児たちを見ながらずっと目じりが下がりぱ

なしだった。写真をとってあげたのでこちらも先生に撮ってもらう。

 

園児たちに『バイバイ!』とあいさつをして山頂を後に東へ縦走路を歩いて行く。山頂からしばらくはドウダン

ツツジの並木が続いている。途中で振り返ると山頂、避難小屋そして展望台が見えた。

 

 

 

 

 

Bコースへの分岐の道標を越えて更に東に、1201mの標高点から今度は南に下って行く。ここからがAコー

スとなる。

 

 

 

 

分岐からは慈母峰との鞍部まで300mを一気に下って行く。足元もさほど良くはなく、少し膝に違和感が出始

めた。笹原から樹林帯へと入ると、また彩が目に飛び込んできた。下り坂だが右に左にと細かく足を運んでいる

と次第に暑くなってきた。

 

 

 

陽の当たりが薄くなるヒノキの林の中が体感温度が下がってちょうどいい。

稜線の分岐から30分で鞍部に着いた。林道の脇のススキの穂が陽に当たって輝いている。

 

 

 

さあここから慈母峰までがひと踏ん張り。長い階段状の道が続いていく。中腹位になると段差のある個所は、土

嚢袋を置いて段差を低くしてくれているのが助かる。

 

 

 

鞍部からは100mほどの標高差だが急でほぼ直登。とにかく息が切れるが、周りの彩を眺めながらだと幾分か

しんどさが軽くなる。

 

 

 

階段を登りきると慈母峰までの稜線は平坦な道になる。ベンチの置かれた場所からは、那岐山の稜線と山麓の

風景が見渡せた。

 

 

 

 

 

そのベンチの後ろの木の枝に、小さくて見逃しそうな山名札がかかっていた。山頂近くからこの慈母峰を見た時

に、植林地が斑になっているのが見えたが、那岐山の南面もの濃い緑が斑になっていた。

 

 

 

慈母峰から次の八巻山へと歩いて行くと、こちらも道の両側できれいな彩を見せてくれた。

 

 

 

 

道の横にある大岩を過ぎると尾根の西側が伐採地の頂部になった。伐採地の麓の少し先には朝トイレを使った那 

岐山麓・山の駅が見えている。山の家の手前にはため池が見えているが、他にもあちこちにため池があるのが分

る。ちなみに県別のため池の数は香川が多そうに思えるが、やはり県の面積自体が小さいためか、数でいうと一

位は兵庫県の2万4000ヶ所になる。香川県が第三位で1万4000ヶ所だから、兵庫県のため池の数は圧倒

的だ。そして岡山県は第五位だった。

 

 

慈母峰からしばらく歩くとヒノキの林の中に、こちらは擬木の階段が続いていく。

 

 

 

擬木の階段が終わる途中の鞍部で菩提寺への分岐になっていた。菩提寺には大イチョウがあるそうなので、時間

が早く降りれれば、帰りにちょっと寄ってみようとあっちゃんに話をする。

 

 

更に道標に従って進んで行くと道の両脇に、八巻城跡の説明版が設置されていた。ここには説明版はあったが、

山名の標識や札がなかったが、YAMAPを見ると八巻山になっていたので取りあえず写真を撮る。

 

 

 

この辺りの林も錦のオンパレード。赤からオレンジ、そして黄色のグラデーション。少し薄い緑が混じっている

のもいい感じだ。予想もしなかった紅葉の波に『ご案内はしていなかったですが、割増料金になりますがよろし

いでしょうか?』と冗談であっちゃんに言ってみた。

 

 

 

 

錦の林を過ぎると今度はヒノキの林の中の道。地形図では鞍部まで何度も折れた破線が続いている。その地形図

通りに道は右に左にと何度もターンを繰り返す。

林床から伸びたシロモジだろうか?陽に当たって輝き、陰になったヒノキの幹とのコントラストが、その輝きを

ひときわ目立たせてくれている。

 

 

 

九十九折れの下り坂が終わると車道の上に出た。その車道を跨ぐようにしてつり橋がかかっていた。

橋の下の車道は菩提寺へと続く道だ。

 

 

つり橋を渡ると今日最後の登り坂。これを登ると四座目の大別当山になる。取り付きの階段を登ると、昔十円玉

を入れて右に左にパチンコを打つようにしてゴールさせるゲームを思わせる坂道。その道を登りきると大別当山

の山名札がかかっていた。

 

 

 

四座目をゲットしたのでさっそくもと来た坂を下りて行く。するとつり橋まで戻って来るとあっちゃんが『あ!

標高点まで行けていないわ』と言い出した。言われてYAMAPを見てみると、確かに591mの標高点まで行

けていなかった。『どうします?』と言われたが、もう気持ちは登る返す気にならない。『たぶん、山頂ピーク

はゲットできていますよ』と言って、そのまま車道を下って行く。

駐車場まで戻ると、もう神戸ナンバーの車が残るだけだった。

 

 

 

時間通りに戻って来られたので、途中で話をした菩提寺の大イチョウを見に行ってみる。

本堂から東に立つ大イチョウは今まで見た事もないような大きなイチョウの木だった。根元から何本も分かれた

幹から太い大きな枝が真横に伸びていた。その枝から下に向かって乳のような担根体がぶら下がっている。古木

で時々見られるというが、たしか梶ケ森に行く途中でも『八畝の乳イチョウ』があったと話をする。

樹齢900年となっているが、その樹皮の深い彫に重ねてきた長い年月を感じ、畏怖する感じてしまう。

 

 

 

 

今日は終日頭の中で那岐山とは全く関係ない、ピンクレディーの『渚のシンドバット』のフレーズが流れていた。

思わぬ園児たちとの出会い、そして予想していなかった彩さらにはこの大イチョウと、天候にも恵まれて久しぶ

りの10km近い山歩きに、心地よい疲れを感じながら高速道路を家路へと車を走らせた。


病院で診察のあとにサクッと竜王山へモミジ狩り!

2024年11月09日 | 香川の里山

 

昨年の年末に六甲山で転倒して岩に膝をぶつけてしまい、帰宅後どんどん腫れてきた。ただもう病院は年末年始

でお休み。仕方がないので年が明けて直ぐに駆け込んで、腫れた膝から水を抜いてもらった。

1週間後のMRIを検査をすると内側の半月板損傷だと診断された。幸い重度ではないので薬と湿布薬で保存治

療をすることになったが、薬は約1か月分出るのだけれど、なかなか飲み切れずに結局数ヶ月経って数回行くだ

けになってしまった。

その間鋭い痛みはなく、山に登っていても下りが続くと鈍痛が出る程度だったのが、ここ最近じっと椅子に座っ

ていても、痛みほどではないが何かジンジンするので職場の近くで再検査をしてもらうことにした。

というのも通っていた整形外科の先生、私の通院が不真面目だと思っての事か、こちらが質問してもあまり反応

が良くない。

一度『先生、内側が損傷と言う事ですが、どちらかと言えば外側に違和感を感じるんですけど?』と聞くと、

『おかしいな~・・・・』とだけ。

別日に『先生、最近曲げて伸ばすとポキポキ音がするんですけど?』と聞くと、

『そうやろな~』と。

おそらくこちらから色々と聞きなおすと答えてはくれるのだろうけれど、具体的な説明は聞けそうもない。

また休日はほぼ出かけていて家にいることがなく、地元の整形外科よりも、職場に近い整形外科の方が何かと融

通が効くと思って、今回予約を入れて出かけてきた。

 

問診と触診のあと取りあえずレントゲンを撮ってもらいMRI検査は次回となった。その時に『前の整形外科で

MRIの画像をCDに焼いてもらって持ってきてください、比較をしてみたいので』と言われたので、医院を出

て直ぐに電話を入れてみると、受付の女性が

『何に使われますか?』と聞くので

『別の病院で検査を受けようと思うのですが比較をしたいのでということです。』

『わかりました』と言った後、先生に聞きに行ったのか電話を保留に。戻ってきて

『画像だけでいいんですか?』と言うので『ハイ』と答えるとまた先生の所へ。そしてまた戻って来て

『どこの病院に行かれるんですか?』と聞くので『○○整形外科です』と言うとまた先生の所へ。

 

今時の事、患者側からで色々と問題となることがあるのだろうが、

結局根掘り葉掘り聞かれたけれども了承してくれて、夕方までに取りに来るようにということになった。

 

再検査をしてもらった整形外科でもMRI検査でないと詳しくは分からないが、レントゲンの画像では骨として

は非常にいい状態で、膝蓋骨と脛骨の間の隙間も年齢の割にはちゃんと空いていて問題ないと思いますと言われ

たので、まずは少しは気持ちが和らいだ。

そうなると夕方までにあまり時間はないがせっかくの休み、どこか山に出かけたいと考えて、思いついたのが

王山だった。なぜならYAMAPでもらえるバッジの県別四国の最高峰の山で、阿波竜王山だけバッジがもらえ

ていない。もちろんいつものスタート地点となる奥の湯キャンプ場からは時間的に無理なので、今回は鷹山公園

に車を停めて、そこから阿波竜王山を目指すことにした。

 

とその前にまずは腹ごしらえで久し振りにいこい食堂へ行ってみた。

お昼時、店の前には数人並んで待っていたけど回転がいいのか10分ほどで中へ入れた。案内係の男性は段取り

と愛想がよくて、次々待っている人を中に案内して注文を聞いている。

ここの中華そばは県内では唯一ここだけ、親鳥を卵でとじたスープと具。その中華そばを待つ間におでんの焼き

豆腐(出汁が染みていてこれも美味しい~)を食べているとその内にお目当てが運ばれてきた。

 

無料のにんにくをトッピングしてもらい、噛み応えのある親鳥と少し甘めのスープで美味しくいただいた。但し

私もだが、歯が悪い人には親鳥がけっこう固いので注意が必要。

 

 

腹ごしらえをした後は、食堂から内場ダムの横を通って相栗峠まで走り、少し道幅が狭くなった町道竜王線を通

って鷹山公園に着いた。

 

今日はここから阿波竜王山往復するのではなく、町道竜王線を利用して周回するつもりだったが、さてさて登

山道と町道のどちらを先に歩こうかと考えた。

たしか讃岐龍王山からはけっこう長い急坂になっていたのを思い出して、帰りに登山道を使うと、その長い急坂

を下ることになるので、急登も苦手だが、膝には登りの方がいいだろうと思い登山道を登りに使うことにした。

案の定スタートからしばらくの間長い急登が続いて行く。

 

 

鷹山公園で車を停めた時にメーターには外気温9度と表示されていたので、上着をどうしようかと考えたが、そ

のまま車に置いてきて正解だった。薄手のシャツでも寒くはなく、反対に背中がけっこう汗で濡れてきた。

途中何度か立ち止まって水分を補給する。

すると1005mの標高点辺りまで来ると、登山道の右側が急に開けた。内場川の源流域の谷あいの北と南に伐

採地が広がり以前は鬱蒼として杉やヒノキに囲まれていた登山道が、一気に見晴らしのいい登山道になっていた。

奥の湯キャンプ場をスタートして、竜王山キャンプ場を通るとその上が広大な伐採地になっていたが、その伐採

地越しに高松の市街地が見下ろせる。

 

いつもは下から見ると結構大きな山塊に見える屋島も、ここから見ると小さなこんもりした盛り上がりにしか見

えない。

目線を少し右に振ると、天満ケ原越しに見えるのは矢筈山だろうか?

 

 

暫くの間は伐採地の最上部の作業道と登山道が並行して続いていく。

どうやらこの登山道が香川と徳島の県境になっているようで、伐採地が香川県側となる。

 

 

 

その県境は徳島県側も植林地になっているけれど、杉やヒノキの足元の低木は結構色づいている。

登山道に近い伐採地の最上部で、二人ほど作業をしている人がいたので『こんにちは!』と挨拶をしてをして通

り過ぎる。

 

 

伐採地を過ぎ、珍しく四つに幹が分れた赤松を横目に見て、しばらく歩くと讃岐龍王山に着いた。

讃岐龍王山には三角点はないので、山頂標のすぐ横にあった境界石柱でそれらしく写す。

 

 

讃岐竜王山からは一旦細い丸太でできた階段を下って行く。これがけっこう長い階段で、前にストックを突きな

がら一段一段ゆっくりと、頭の上の色づきを確かめながら下って行く。

 

 

 

この辺りの登山道の右手は貝ノ股川の源流域になるのだろうか?その源流域の谷あいもきれいに色づいている。

阿波竜王山までは丸太の階段が同じように登りでも続いていく。

 

 

途中の笠形山への分岐は昔は峠だったのだろう、縦に割れてひびが入ったお地蔵さんがその面影を残していた。

 

 

 

香川と徳島の県境となるこの道には、以前歩いた時に度々見かけた阿讃縦走コースの札が木の枝に掛かっていた。

次第に道の左側は植林地から自然林になり、紅葉のグラデーションにハッと目を奪われる。

 

阿波竜王山山頂にある展望台。その下に 四等三角点 阿波竜王 1059.77m

いつも思うのだが、阿波竜王山の三角点はまんのう町に位置して、香川県の最高峰となっているのに阿波竜王山

とはおかしなもんだ。讃岐龍王山も香川県になるのなら、西竜王山東竜王山に名前を変えればいいのに・・・。

それにしてもいこい食堂で満腹になったせいか、お腹の浮き輪が大きく膨らみ過ぎている!

 

 

展望台からは手前にちょこんと三角形の頭が飛び出た笠形山。その左にひときわ高い大川山

笠形山の奥には大麻山善通寺五岳が見える。

 

そして間違いなく山座同定ができる飯野山の右には、城山が大きく横たわっている。

 

手前の鉄塔の先端には高松空港。そしてその奥には高松市の市街地が広がり、中央には峰山、そしてその左手に

五色台勝賀山が見えている。

展望台の柱の下には誰かが採ってきたのだろう、大きな大きなサルノコシカケが置き忘れられていた。

 

 

ここでしばらく休憩したかったが、整形外科に画像を焼いてもらったCDを撮りに行く時間が気になったので、

西に向かって町道へと降りていく。

町道に出る手前で急な下り坂があったが難なく下って、あとは下道歩き。

 

 

降り立ったところからしばらくは緩やかな登坂。今は使用禁止となっているトイレのある広場に大きな一本のモ

ミジの木。その横には『生活環境保全整備事業』と書かれた説明版。説明にはかなりの範囲で整備事業が行われ

ているが、書かれている通り『国民生活の安定・向上に資する事を目的とする事業』となっているが、結構な税

金が使われて、果たしてその通りの効果は??

 

 

 

その広場からしばらく歩くと道の脇に龍王神社の道標があった。その道標に従って左上に登って行くと、小さな

小屋のような水婆女(みつはめ)神社が建っていた。水婆女は最初みつはめとは読めずに、ミズババと読むのか

と思っていたら、由緒正しき水の神様の様で、干ばつの際は地域の人で雨乞いが行われていたようだ。

 

 

その水婆女神社の奥にはアメダスと二つの大きな電波塔が並んでいた。その周りの自然林の色づきが何とも言え

ず柔らかくてしばらく見とれてしまった。

 

 

水婆女神社から町道に戻って鷹山公園に向かって歩いて行くと、ここからは紅葉のオンパレード!

整形外科を出た後、もう少し近場の里山でも歩こうかと思ったが、結局この竜王山に変えて来てみて正解だった。

赤からオレンジ、そして黄色へのグラデーションの木。また赤一色に染まる木。緑の葉が混ざっているのもなか

なかいい感じだ。

 

 

 

 

そして途中にあった徳島県立竜王山青少年野外活動センター。こちらもご多分に漏れず今は廃墟となっていた。

全国に同じようなキャンプができる野外活動センターがあるようだが、この施設に限らず近場でいうと、の湯

・竜王山キャンプ場も今はほぼ利用されていない。以前は山中にあったキャンプ場も賑わっていたが、今は平野

部やアクセスのいい場所が選ばれて、少しでも不便な場所はどこも利用されなくなった。そして便利な場所にあ

るキャンプ場は最近はデイキャンプでBBQ場と化している。

 

 

 

野外活動センターからも下道歩きは続いていく。ただ道の脇の次から次と現れる紅葉のお陰で、単調な下道歩き

も飽きることなく鷹山公園まで戻って来られた。

 

 

 

 

 

鷹山公園からの帰り道、こちらも随分前に閉館になってしまった奥の湯温泉(けっこうお湯が良かった記憶があ

る)の横を通り、また内場ダムの横を通って帰路についた。

来週のMRI検査で膝がジクジクする原因が分れば、そして多少歩いても差しさわりがないと分かれば、また気

分的に違ってはくるので、その結果待ちでまた山歩きが楽しめるようになればいいと思っている。

 

 

整形外科に行く前に立ち寄ったコスモス畑が見ごろを迎えていた。

 

 

 


『あの高原にもう一度行ってみたいわ!』と彼女は言った。

2024年11月01日 | 四国の山

 

 

先週に続いて休みが合ってしまった。『・・・・しまった』というのは言い方がおかしいので、休みが合ったの

で、どこにお連れしようかと考えた。先週の剣山では、次郎笈峠から剣山への登りで相当バテていたので、今週

は軽めにと考えていたら、『そう言えば塩塚高原にススキを見に行ったことがあるわね』と仰った。と言うこと

は『もう一度行ってみたい』いや『連れて行け!』ということだろうと直ぐに理解した。

ただ一緒に出掛けた記憶が全くない・・・・のは決して口には出さずに、塩塚高原だけでは時間がもたないので、

他にどこか立ち寄る場所はないかと考え、そう言えば以前から行ってみたいと思っていた毎週水曜日が定休日の

『ハレとケ珈琲』が営業していると思ってコースにプラスしてみた。その近くには紅葉の名所の『竜ケ岳』もあ

るので、様子伺いで車を走らせてみるのもいい。

 

6月に西の奥様たちと歩いて登った時のスタート地点になった『道の駅 霧の森』でトイレをすませて県道から

塩塚高原への道へと入ると直ぐに『ノーベル物理学賞受賞、真鍋淑郎博士の生家』の案内板。

『真鍋さんて知ってる?』と聞かれたが、『さぁ?』と答える。(博士と地元の方すみません)

 

 

そこからさらに車を走らせると『西横井の棚田』。稲刈りを終えた棚田の向こうの山の斜面に、茶畑が続く集落

が見える。新宮はその気候や土質がお茶の栽培に適しているということで、『新宮茶』として特産物になってい

るそうだ。

 

 

 

それまでの山間部の道から高原まで上がってくると一気に景色が変わった。薄曇りの白い空の奥の白い太陽から

届いた柔らかい光に、ススキの穂が銀色に輝いている。

高原の起伏のある台地が幾重にも重なり、一面に広がるススキ原が大海原で押し寄せる波の様だ。

 

 

 

 

展望台による前にパラグライダーフライトライディング場へ車を走らせる。ライディング場からは塩塚峰山頂へ

登って行けるのだが、前回歩いた時に結構急登だった記憶があったので、今回は先週の剣山の事もあるので、無

理はせずに無難にパスして、展望台へと向かう。

あまり天候もよくないが、道の北側は瀬戸内海の島々まで見渡せた。

 

 

 

展望台手前の駐車場に車を停めて歩き始める。駐車場にある公衆トイレは使用禁止になっているので要注意。

緩やかな階段状になった斜面を登って行くと東屋のある展望台にすぐ着いた。

6月に歩いた時は緑の萱原だった稜線は銀色のススキ原に変わっていた。遠目にはそのススキが柔らかい産毛

のように見える。

\

 

 

 

展望台はもちろん遮るものはなく360度の景色。

北側は低い位置に横に続く雲の下に、同じように横に荘内半島讃岐三埼灯台まで続いている。

 

 

西側は塩塚峰の山頂とその手前のピークとの間に見えるのは筒上山。と言うことは塩塚峰山頂の奥には石鎚山

見えているはず。

 

 

 

南は手前にカガマシ山から笹ヶ峰へと続く稜線。その奥に工石山と白髪山が頭を出している。

 

東は国見山の右に、天狗塚から三嶺、剣山と続く稜線。左は中津山の両側に黒笠山烏帽子山。ただ遠すぎて山

容がはっきり確認できない。唯一、烏帽子山だけは同定できた。

 

 

 

駐車場に戻る途中、右側の斜面に紫色の花が咲いていた。遠すぎてはっきりと分からないが形的にはアジサイの

花のように見えた。

 

 

駐車場からもと来た道を戻って行くと陽の光がどんどん強くなってきた。オートキャンプ場まで下ってきたが、

せっかくなのでもう一度写真を撮りに引き返してみたが、あまり変わり映えはしなかった。どうせならやっぱり

青空が欲しかった。

 

 

 

 

銀色に輝く高原のススキを堪能した後は、今日の次の目的地の『ハレとケ珈琲』へと向かう。

高原から山城町に差し掛かると『半田岩』と書かれた案内板があった。車を停めて道の下を覗いてみると川の対

岸に水車小屋。川底には巨岩が並び、そのまわりはモミジの木々。そのモミジが色づいた時はいい写真が撮れた

だろうに、残念ちょっと時期が早かった。

その昔長曾我部軍が田尾城攻略した際に、この地で休憩して軍議を行った。その際この巨岩の一つが膳に似てい

ることから、『飯台岩』と呼ばれていたのが、いつしか半田岩の字が当てられるようになったという。

 

 

(三好市公式観光サイトより)

 

半田岩から順調に車を走らせて県道319号線に出る手前で警備員に車を止められた。『すみません!時間通行止

めで、11時20分まで通れません』と言う。時間は10時50分過ぎ。途中で時間通行止めの看板を見ていたが

今まで見てきた時間通行止めはだいたい50分から00分の間が通行できるようになっていたので、ここもそうだ

と思って、書いている時間を確認せずに走ってきたのが間違いだった。

『どこか迂回路はないですか?』と尋ねると、『1kmほど戻って、田尾城跡の看板に沿って行けば、別の道で国

道に出られます』と教えてくれた。

聞いた通りの道を走って行くと、これがけっこう狭い道でスピードも出せずに、結局迂回するのに15分ほどかか

ってしまって待っているのとあまり変わらなかった。

 

『ハレとケ珈琲』『ハレとケ』。それは、特別な・晴れを意味する「ハレ」と日常の「ケ」。民俗学者である柳田

國男氏が提唱している言葉らしいが、高尚過ぎてあまりよく分からない。

まぁとにかく廃校を利用した施設と言うことで、話をすると奥さんは食いついてきた。

国道32号線の祖谷口から吉野川にかかる橋を渡って、県道32号線を東に走り、松尾川温泉への分岐の200mほ

ど手前で山側へと入って行くと、こんなところに?と思うような場所に立派な鉄筋コンクリートの旧出合小学校の校

舎があった。正門を通って校舎の手前に車を停めて中へと入って行く。

最盛期には500人以上の児童が通っていたようだが、2004年には7人となり、翌年には廃校となった小学校だ。

 

 

 

 

1階の教室の中をそのまま利用して『ハレとケ珈琲』は営業していた。

 

 

 

 

店内は昭和を感じさせるソファーや懐かしい小学校の木製の小さな椅子が並んでいて、黒板にチョークでメニュー

が書かれていた。奥さんは紅茶、私はコーヒーそして初めて食べるカヌレなるものを一緒に頼んだ。

コーヒーは深煎りなのにそれほど濃くもなく、奥深い香りと風味があって美味しかった。

初めて食べるカヌレは表面が固くて一瞬『ん?』となったが、なかはもっちりとして一瞬でペロリ。

 

 

コーヒーを飲んでゆっくりとした時間を過ごした後、竜ケ岳へと紅葉の様子見に車を走らせたが、松尾川温泉

らさらに奥へと走って行くとまた時間通行止めの看板。周りの紅葉もまだまだな感じだったので、そのまま引き

返す。それにしても竜ケ岳松尾川温泉からもけっこう遠くて道幅もけっこう狭くてなかなかの道だった。

国道まで戻ってさてさてお昼はどうしようかと考えながら車を走らせる。そして思いついたのがいつもは朝夕に

横を通るけれど、こちらも今まで立ち寄ることはなかった三好市の八番館

ゆとりのある空間に川沿いの建物らしく大きな窓の下には吉野川が見下ろせた。少し遅いランチになったが、手

作りハンバーグに一味違うデミグラスソース。カリカリ揚がった白身魚に酸味の効いたタルタルソースがとても

美味しくて、けっこう量があったのに奥さんも『美味しい美味しい』と言いながら完食した。

 

 

ランチの時間としては遅かったが、家に帰るにはまだちと早い。どうしようかなと考えた結果、奥さんがまだ一

度も行ったことがないというのでまたひと走り。

奥さんは初めてだというが、私も車で来るのは初めて。いつもは香川側から歩いて登ってくる場所。

駐車場に来るまでの間、そして参道を歩いていると『参道補修費の協力金』のお願いの看板が目立つ。看板に書い

てある通りに納経所で500円を払って参拝する。

参道から歩いている途中ですれ違ったスクーターに乗ったお坊さんが本堂の横に居た。すると納経所の奥から来た

女性が、そのお坊さんに向かって『住職、連絡がつくように携帯電話を持っていてください』と言って怒っている。

どうやら急ぐ用事があるのに住職さんは境内をうろついて、携帯も持って出ていないので連絡が付かずに困ってい

たらしい。威厳のある雰囲気の住職が、年の離れた女性に叱られているのをみて思わずクス!とする。

境内のモミジの紅葉を少しは期待して来てみたが、色づいた木もあったが、全体的にあともう少し先の様だった。

 

 

 

季節に関係なくこの石像『五百羅漢』は見ごたえがある。奥さんも熱心に動画を撮っている。

 

 

 

ここまで来るとやはりあの場所によってみたい。駐車場には『広場に行く人は車を停めないでください』と大きな

看板が立っていたが、駐車場料のお金も払っているのでちょっとだけ寄らせてもらった。

すると奥さんはやっぱり予想通り写真や動画を撮りまくって、うれしそうにしている。

 

 

 

これでニュースにはならないが、今日の私の株価はストップ高となってるはずだ。(ニンマリ!)

 

広場から引き返す途中で目にした木に刺していた活力剤。同じようにそれを見つけた女の子が、『ママ、マヨネ

ーズが刺してるよ!』と可愛らしく言っている。その横で『マヨネーズじゃなくてケチャップやろ』と小声で聞

こえないように言ったおばさん。(おばさんやな~!と、これも聞こえないように小声で言う)

 

境内まで戻って仁王門をくぐって太子堂にお参りする。鐘楼の横のモミジが一番色づきが良かったが、それでも後

少しかな。

 

 

 

陽が低い位置に落ち始め杉の大木の中の参道は少し暗くなり始め気温がさがってきていた。

帰り道、いつも山の帰りに立ち寄る温泉でほっこりと温まって帰る。

 


ウララ♪・ウララ♪♪・ウラ次郎!

2024年10月25日 | 四国の山

 

 

『明日は何時に出発?』と奥さんが聞いてきた。いつものように私が家を出る時間を聞いたのかと思ったら、

なんと自分も出かけるつもりらしい。

テレビで流れた『ヤッホー!紅葉狩りは四国徳島の剣山!』のちょっと古めかしいCMを見ながら、『剣山は今

が紅葉の見ごろらしいよ、行ってみる?』と冗談で話をしたら、なんと本気にしたらしい。

と言うのも、以前に誘って歩いた天円山の山頂からの下りがとにかく怖かったらしくて、『もう山には行かん』

と言ってので、山登りはもうすることもないだろうと思っていたからだ。

それならせっかくなので、そんな過去の話はけっして持ち出さず、ニコニコ顔で出発時間を答えた。その後、準

備物を二人分用意して、カップラーメン用にお湯を入れる水筒から、お湯を沸かすコンロに変えてザックに詰め

た。その横で奥さんは『何を着て行こうか』と楽し気に聞いてきた。

 

天気予報は昼から少し崩れそうな雰囲気だったので、早い時間に出発する予定だったが、奥さん同行となるとや

はりリフトを利用した方が無難だ。そのリフトの営業時間に合わせて車を走らせた。

見ノ越までの途中のスキー場手前まで来ると、北側に雲海が広がっていた。車を停めて写真を撮っていると、後

ろから見覚えのある車がやってきた。そう車からは奥様たち二人が降りてきた。

二人は丸笹山から赤帽子山方面を歩くと言うので、軽く話をして別れた。

 

見ノ越の駐車場は平日のこの天気にもかかわらずけっこう車が停まっていた。そして駐車場の前に停まったバス

からは、海外の団体さんが降りてきた。駐車場は15度前後の気温、こちらは上着を一枚羽織っているというの

に、短パン半袖姿の人がけっこういる。

リフトに乗るのは何年ぶりだろう。登りのリフトに乗るのはおそらく息子が小学生の時に一緒に来て以来だ。

 

 

西島駅から北側は青空も見えて比較的見通しもよく、丸笹山矢筈山の笹原もきれいに見えた。

三嶺の右奥には法皇山系から石鎚山系へと続く稜線も見える。

 

 

 

 

いつもなら刀掛けの松へと登って行くけど、今日一番の目的地は剣山山頂ではなく次郎笈の西斜面、通称?『裏

次郎』なので、次郎笈へのトラバース道を歩いて行く。このルートは目的地への近道もあるのだけれど、徐々に

高度を上げていく緩やかな道なので、歩き慣れていない奥さんにはちょうどいいと思ってなのだ。

次郎笈峠へも峠からのトラバースもゆっくり歩けばまず奥さんからのクレームにならない。その後余裕があった

剣山山頂に登ればいい、そう考え随分と気を遣った計画となった。(今回は必要以上に気を遣う)

 

 

トラバース道の両側には黄色やオレンジ色の彩の中を歩く。ピークは少し過ぎた感じで、足元にはけっこう落ち

葉が積もっていた。ここ数日強い風が吹いたのか、そう言えば見ノ越に来る途中の国道の路面にも杉の枝葉がけ

っこう落ちていた。

 

 

 

すると後ろから来た外人さんのご夫婦に声をかけられた。手元にスマホを持っていたので、二人の写真を撮って

もらいたいのかと思ってシャッターを押すジェスチャーをすると『ノンノン』と言って手元のスマホを指さした。

そのスマホをよく見ると奥さんのスマホだった。『オーサンキュー・サンキュー』(この英語は喋れた)と言っ

て奥さんに手渡すと驚きながら『サンキュー・ベリー・マッチ』と中学生で習った英語で奥さんもお礼を言った。

 

そこからしばらく歩いて東屋の休憩所のある場所まで来ると、先ほどの外人さんの夫婦が道標の前で立ち止まっ

ていた。道が右と左に分かれ道標には右手の道が『山頂』と書かれていた。その山頂と書かれた道標を指さし

『エクスキューズミー』と話しかけてきたので、どうやら二手になった道のどちらに行けばいいのかを迷ってい

るのだと思って、二つの道がその先で合流するジェスチャーをしてあげると、ご主人が『OK!』と言ってにっこ

りした。(英語をしゃべれなくても意外と通じるもんだ)

そのご夫婦とは分かれ、等高線に沿うようにして曲線を描きながら歩いて行くと目線の先に次郎笈が姿を現した。

 

 

相変わらず空は曇り空だが贅沢は言ってられない。緩やかに高度を上げていくこのルートを選んで正解だった。

奥さんも顔は赤らんでいたが、さほど苦し気でもなく歩いている。

 

 

 

時々ハッとするくらい鮮やかなダケカンバや楓の色に二人で『オ~~!』と声をあげる。

普段ここまでの彩を見ることのない奥さんは、度々立ち止まってはスマホで写真を撮っている。

 

 

 

二度見の展望所まで来ると剣山と次郎笈との鞍部の北面の紅葉が目に入る。やはり少し色落ちした雰囲気だが、

それでもこの角度から初めて見る次郎笈の姿に奥さんは感心した様子だ。

ただ稜線の美しい笹原はササコナフキツノアブラムシのせいで、結構な広さが枯死して色が変わっている。

 

 

剣山山頂と次郎笈への分岐からはこのルート一番の景観。次郎笈のどっしりとした山容を正面に、その鞍部へと

続く稜線上に、まるで絵に描いたようなきれいな一本線の登山道が続いて行く。

 

 

 

次郎笈峠まで少しだけ登ると後は丸石方面へのトラバース道。峠で一息入れているとほとんどの人が山頂目指し

て登って行く。そんな中二人だけトラバース道へと進んで行く。

 

 

裏次郎のビューポイントへ行く途中にある一本楓は、日曜日にKyoさんが歩いた時には鮮やかな色で待ち構えて

いたのに、残念ながら今日はもうほとんど散ってしまっていた。

代わりにすぐ上の小さな楓の木には色づいた葉が残っていたので、今日の一本楓はこちらで!

 

 

とはいえ道のあちらこちらで一本楓は見つけることができる。

 

 

トラバース道を次郎笈の西側まで回り込み、その先の小さなピークから振り返ると裏次郎のビューポイントにな

る。こちらもKyoさんが載せていた写真を見るとやはり色落ちした雰囲気だったが、それを知らない奥さんにと

ってはこれでも大絶賛!これで『もう山には登らない!』と言った記憶は消え去り、季節によっては甘い言葉で

お誘いすると喜んで付いてきてくれそうだ。

 

 

 

 

 

裏次郎で錦秋を堪能した後はトラバース道を折り返して戻って行く。

トラバース道から見える次郎笈の北斜面にも、ササコナフキツノアブラムシによる被害で小さなサークルになっ

た色違いの笹が目立つ。

途中で見ノ越の駐車場で見かけた外人さんの団体とすれ違う。すれ違いざまには『コンニチワ』と、片言の日本

語で笑顔で挨拶してくれた。

 

 

次郎笈峠まで来ると反対側の剣山の西側がさらにひどく、広い範囲で笹が枯死しているように見えた。

ササコナフキツノアブラムシは降水量が少ない年に異常繁殖すると云われているが、確かにこの夏は雨も少なく

気温が高かった。ただ気温が低下すると死滅すると云われているので、来年は繁殖せずに美しい緑一面の笹原を

見られることを期待したい。

 

 

 

次郎笈峠から朝歩いてきた分岐まで戻ってきた。お昼を前に剣山からは次郎笈へと向かう人たちが次々と降りて

来ている。取りあえず奥さんに『どうする山頂まで登る?』と聞いてみると、登ると返事。

ただこのあと分岐から山頂まで、奥さんは何十回立ち止まっただろう。その度『大丈夫?』と声をかけるとが、

『とにかく息がきれる』と言う。やはり普段から歩き慣れていないと、これくらいの傾斜でも息が切れるらしい。

本人曰く『自分は呼吸が浅いので』と言っている。

次郎笈峠で11時30分だったので、山頂までは30分くらいでちょうどお昼には着くかなと予想したが、おそ

らくそんな時間ではつかないと諦め、ただただ励ますことに。

ここでしんどさだけが残ってしまうと、せっかく裏次郎までで気分良く歩いていたのが、また『二度と山には登

らん』と言いかねない。

 

 

 

時間も気になったがそれよりも空模様が気になり始めた。南からは怪しげな重たそうな雲が流れて来ていた。

せっかく山頂まで登って、景色のいい西のテラスでのお昼ご飯の計画も台無しになる。

何度も何度も足を止める奥さんを励ましながら何とか山頂に着いた。

山頂での記念撮影を終えて、予定通り西のテラスで久しぶりに持ってきたコンロを出して、カップラーメンのお

湯を沸かそうとすると、コンロの着火の火花が散らない。何度やってもダメなので、ザックの中を探してみるも

ライターも見当たらない。(禁煙する前はライターはいくつも持ってきていたのに・・・・。)

 

 

 

仕方がないので山荘まで移動してお昼ご飯に半田そうめんを頂くことにした。

風の強いテラスから暖かい山荘の中で腰を下ろして、半田そうめんの温かい出汁をを飲みながら奥さんが、『美

味しいね』言うので、先ほどの失敗を埋めるかのように『こっちが正解やったな』と言い訳をする。

 

 

 

半田そうめんを食べ終える頃また外人さんの団体が入ってきた。そうめんをすすりながら団体さんの話を聞いて

いると、どうやらフランス語の様だ。英語もまともにわからない二人にはちんぷんかんぷん!

カウンター越しに注文している様子を見ていると、山荘の人も少し苦戦をしている様子だった。それにしても今

日は何人の外人さんにあっただろう。しかも青い目をした人ばかりだ。

前回登った石鎚山でも思ったが、剣山へもインバウンドの波が押し寄せてるみたいだ。

半田そうめんを食べ終え外に出ると、山荘の前からは北側に雲海が広がっていた。青空こそ見られなかったが、

今日はこの雲海を見られた事で天気は及第点としよう。

 

 

雲海を眺めた後西島駅へと降りていく。階段状になった登山道は歩くペースこそ落ちたが、奥さんには天円山

ような怖さは無いようだった。時間的にはまだ13時過ぎ、下からは登ってくる人の姿が多くみられる。その中

にはやはり外人さん。日本人とは比べもにならないくらい大きなお腹を抱えて汗だくで息を切らせて登っていた。

 

 

 

途中登山口の北東に見えた景色。錦の鮮やかなグラデーションの山肌の奥に、雲海に浮かぶ墨絵のような峰々が

続いている。そして頭の上にも最後の色づきを見せてくれる楓の木。

 

 

 

西島駅まで降りてくると、次郎笈のトラバース道ですれ違った外人さんの団体が、二度見の展望台の方から降り

てきた。それにしても今日はアジア系の外人さんにはほとんど会わなかった。

西島駅から取りあえずどうするか考えたが、奥さんも膝の調子は良くなく、下りの時間はここまでよりは長くな

るので安全策でリフトを使うことにする。

 

 

見ノ越からの帰り道。夫婦池を過ぎた辺りで見慣れた二人組が歩いていた。そう朝会った奥様たちだった。

丸笹から赤帽子山の手前で南に下りて国道へ歩いて、見ノ越そして塔ノ丸の登山口までの線を繋ぐ為に最後歩い

ているとの事だった。

 

奥様たちと分かれて、時間も早かったので寄り道しながら帰る。途中にある葛籠堂のある辺りは、貞光から見ノ

越までの間の最後の集落になる。先週歩いた寺地の集落跡でも見かけたお堂だが、この葛籠堂は道路の横にある

のを通るたびに見かけていたのでせっかくなので写真を撮ってみた。この辺りのお堂は三方が開けたシンプルな

構造だが、その割には屋根はとてもきれいな金属板に葺き替えられていて、地元の人に大切にされているのが伺

える。葛籠堂の道を挟んだ上には『剣山登山・葛籠道入口』と書かれた道標が立っている。今は歩く人もほとん

どなく使われていない道だが、葛籠堂の横には四十丁の丁石が建っているということは、登山以前に信仰の道だ

ったのだろう。

 

 

写真を撮っていると車を停めたすぐ横に停まっていたコミュティーバスの運転手さんが声をかけてきた。

『この奥に葛籠のヒノキがあるから見に行ってごらん!』と言うのだ。

せっかくなので教えてもらった奥の道に車を走らせると、天然記念物と書かれた案内の柱が建つ奥に、四方八方

に枝を広げた大きなヒノキがあった。葛籠堂の横には案内板があったのをいつも見ていたが、寄道してまで決し

て見に立ち寄ることはなかったが、やはり地元の人を話をすると時間をとって見てみようという気になる。

そのヒノキの守り人だろうか、すぐ下にある民家の穀物を干すためのハデの間からは、さらに奥の民家が見えた。

 

まだそれでも時間があったので少し離れた温泉に立ち寄り、ついでに夕食を温泉の食堂で食べる。

特大の海老天丼は今日の歩行距離では絶対カロリーオーバーやな、と思いながら家路に。

 

平野部ではなかなか目にすることのない色とりどりの鮮やかな山の紅葉。そして最後は温泉と、これで奥さん

の『山は嫌な所』という汚名を幾分かは返上できた有意義な(笑)一日だった。


やっと片側だけは肩の荷が・・・・!

2024年10月20日 | 雑記

性格的にどうだろう、なんて思っていた娘がやっと片付きました。

 

結婚式も披露宴もどうだかね~なんて思っていたけど、二人にとっては

大切な思い出の時間。結果やっぱり良かった・・・!

 

両親への手紙で何とか涙腺崩壊にならずに危ないアブナイ。

あと一人残っているけど、いつまでも兄弟仲良く。

 

 

新郎さんどうぞよろしくお願いします!


いっちゅうは・・・『一字』でなく『一宇』と書くのだ!

2024年10月14日 | 四国の山

 

剣山に始めて登ったのはもう四半世紀以上も前になる。登山口となる見ノ越へのルートの国道438号線も昔に

比べると少し道が広がった場所もあって、多少は走りやすくなった気がする。

通い慣れた見ノ越までの途中通過する一宇。つるぎ町に合併する前は一宇村と呼ばれ、最盛期には8000人近

くの人口で商店街もそれなりに賑わっていたようだ。

その一宇の中心市街地の古見から見上げる山一面に展開する大宗と赤松の集落は、おそらく国内でも最大規模の

山岳集落になるといわれている。

前回塔ノ丸を歩いた帰りに時間があったので車を走らせてみた。その時に少し調べていて目に付いたのが、集落

のさらに上にある『宇峠』だった。『宇峠・・・・宇?』ということは麓は当然『一宇』。なぜそう思ったのか。

そう、一宇はいままでずっと『一字』と書くと思っていたから・・・・。ブログにも度々『一字』と書いてきた

ので目からウロコだった。(地図にも道路標識にも一宇と書いてあるのに、思い込みとは恐ろしいもんだ)

それは徳島の親戚のおじさんがイチウのことを『いっちゅう』と言っていたので、わたしも昔から『いっちゅう、

いっちゅう』と言っていた。最初から『イチウ』と言っていたなら間違いは起こらなかったのに、思い込みで単

純に『一字』と書いてしまっていた。結果情けない事に数十年ぶりに誤字に気が付いてしまった。

 

 

その誤字に気づかせてくれた『宇峠』を今回訪ねてきた。ついでに西側にある焼堂峠から志貴岳を歩いて周回し

てみることに。このルートは2010年にこもれびさんがお二人で歩いている。そのレポートを参考にしたのだが、

こもれびさんのレポートにはトラックの記録が載っていない、その上地形図には全く破線が載っていないルート

だったので、とにかくレポートの写真と文章を頭に入れてスタートした。

廃屋となった民家の周りは萱で取り囲まれ、ススキの穂が朝の光に輝いていた。

 

 

スタート地点は集落の最上部に近い赤松にある聖午王神社の少し下のカーブになった場所。カーブの奥からは西

にコンクリート道が続いていた。

 

 

 

コンクリート道が途切れると道の脇に運搬用のモノレールのレールが続いていた。スタートした場所に車が停ま

っていたのと、コンクリート道が荒れていない、さらには谷筋に架けられた丸太の橋が新しかった事から、この

先にはまだ住んでいる民家がある。そう思いながら歩くと予想通り、外周りを獣除けの高いネットでぐるっと囲

った民家があった。その民家の庭先の一段下、ネットの外側を通ってさらに奥へと進んで行く。

 

 

最終民家でモノレールは途切れたかのように見えたが、まだまだ先どこまで続くのだろうと思うくらい延々とレ

ールは続いていた。途中で薄暗い林の中に不似合いな大きな案内板が立っていた。スタート地点にもあった同じ

案内板が立っていたが、その『ウラジロの木』と書かれた案内板の上手に、日本最大といわれるウラジロの木

その根元にお地蔵さんを祭った祠があった。ただもともとウラジロの木は他の木に比べて大きくはないのか、日

本最大にしては迫力にかけていた。

 

 

 

ウラジロの木からもさらにモノレールのレールは続いている。ただ途中で途切れたヶ所が何カ所もあって、この

先にあるだろう民家には人の気配が感じられなかった。

すると陽の届かぬ暗い林の中、前方から歩いてくる人の姿が・・・。一瞬びっくりしたがすれ違いざまに少し話

しをすると、やはり住人ではなくスタート地点に停まっていた二台の内の一台の車の持ち主のようだった。

『峠まで行かれたんですか?』と尋ねると『そこまでは行かずに引き返してきた』という。持ち物にはカメラの

バックのようなものを抱えている。あまり話をする雰囲気でもなかったので、ひょっとすると廃屋マニア(そん

なマニアがいるのかは?)かな、なんて思いながら別れた。

 

 

 

杉林の影の向こうの明るい日差しの中に赤い屋根が見えた。『ん、民家かな?』と思い谷筋を回り込むようにし

てさらに進んで行くと、畑地の跡なのか石垣が現れた。さっき見えた集落が近いそう思っていると道の下手に土

壁の納屋らしき建物。この辺りの畑の農作業で使われていた建物だろう。

 

 

 

道の端には排水用だろうか、側溝らしき蓋が続いている。すると日陰から明るくなった先にお堂が見えた。

見ノ越に行く途中でも集落には同じようなお堂が建っている。三方が開けたお堂には何の神様が祭られているの

だろうか?お堂があるということはこの先に集落があるという事。

 

 

スタート地点にも掛けられていた張り紙。書かれているルールを守れない人が多くいるのか。それでも立ち入り

禁止とは書かずに、『ルールを守って楽しみましょう』とは、優しい言葉だ。

 

お堂の先は急に開けて目の前が明るくなった。どうやら地形図にも載っている『寺地』の集落の様だ。

開けた場所からは南から南西にかけての山々が見える。相変わらず次郎笈の頭には雲がかかっている。少し視線

を右に振ると秋葉山から津志岳に続く稜線が見える。

 

 

先ほど谷筋の反対側から見えたのはこの赤い屋根だった。平成10年にこもれびさんが訪れた際に、すでにこの

集落には住人はいなかった。廃屋の周りは畑はシダが伸び放題で、あと何年もすればこの建物も朽ちて草木に埋

もれて杜に帰ることだろう。

 

 

 

 

航空写真で見るとたしかにこの場所は開けて集落を形成している。しかも赤松の集落よりもさらに標高の高い場

所にある。こんな場所に住む人たちはどんな生活をしていたのだろう、そして何で生計を立てていたのだろうか。

ただその昔に開墾して広げたこの場所も、もうすでに緑の中に埋もれつつあって、その当時の暮らしぶりを垣間

見ることはできない。

地形図ではこの集落のさらに西に、麓から焼堂峠に続く破線が載っている。まずはその破線に向かって歩いて

行くが、次第に道は不明瞭になって行く。倒木や石で荒れた掘割のような道らしき道を、ルートは合っているの

か不安になりながら進んで行くと、小さな谷筋に古い丸太の橋が架かっていた。おそらく焼堂峠への破線へと続

く道だと確信。

 

 

 

さらに先では道が二手に分かれていた。左側の道は明瞭だったがとにかくずっと下って行く様子。それならと右

側の少し荒れた踏み跡を登ってみるが、これが間違いだと気づいたのは結構登ってしまってからだった。

何となく道らしい踏み跡を辿って登って行くが、とにかく急登。積もった落ち葉に足を滑らさないように、登っ

て行けば尾根には出るだろう、そう思いながら登る事20分ほどでやっと尾根らしき場所に青空が見えた。

 

 

 

尾根に出ると一旦焼堂峠に引き返すようになる。稜線上をとにかく辿って西に向かって歩いて行く。途中怪しげ

な間違えそうな場所もあったが、尾根を外さないようにして進んで行く。

 

 

 

すると尾根の北側の窪地のような場所にブリキでできた祠があった。中にはお地蔵さんが二体。

峠ということで祠の北側を覗いてみると、麓に続く道らしきものが見えたが南側はと言うと、尾根の南は広尾根

になっていて少しうろついてみるが、地形図に載っている破線の道は確認できなかった。

 

 

 

 

 

お地蔵さんに手を合わせた後、引き返して今度は尾根を東へと歩いて行く。すると先ほど寺地からむりやり登っ

てきた場所に見覚えのある杭があり、その先で道は二手に分かれていた。左側は下り坂になっていたので、その

まま尾根を登って行く。地表が洗われ木の根が露出している。

 

 

途中けっこうな急登もあるが稜線上は南から涼しい風が吹いてきて、割と気持ちよく歩いて行ける。

地形図にのっている1000mの標高点の場所には木の幹に黄色と赤色のテープが巻かれていた。見当たらない

石柱の代わりの目印だろうか。

 

 

このルートで何度か見かけた『地すべり指定年月日』が書かれた大きな支柱。でもその60年以上前の指定日を

書いただけの支柱を立てて、なにか意味があるのだろうか?大きく両手を広げたような赤松が印象的だ。

 

 

何度かのアップダウンをした後、スタートから2時間30分弱で志貴岳に着いた。三等三角点 三頭 1073.4m

三角点の北側には阿讃山脈とその南に流れる吉野川、そして貞光の街並みが見えた。尾根の下の木々も少し色づ

き始めている。南側も開けているが木々が伸びてあまり景色は見えない。松の木の枝と枝の間に塔ノ丸の笹原は

確認できた。

 

 

 

 

ここで朝食べた菓子パンの残り半分を口に入れる。三角点でREIKOさんがいつも撮っている写真のマネをし

てストックと一緒に写してみる。

 

 

 

ここからは一旦東の小ピークを目指す。そのピークの手前で踏み跡らしき跡がトラバースしていたので、ここで

いつもの悪い癖がでてしまい、楽をしようとトラバースして行くが、結局これも間違っていて、小ピークへ急登

を登る羽目になる。その小ピークからは北東に支尾根が猿飼の集落に向かって続いていて急坂にトラロープがか

かっていた。その途中から今度は南東に宇峠へ進まなければならない。地形図には破線はなく、ルート図もない

状態がこれほど不安だとは思ってもみなかった。(地形図の等高線が少し複雑になっていたので)

 

 

分岐になった場所では右に道らしき踏み跡があったので、半信半疑で下って行くと道は明瞭になり、トラロープ

もかかっていたので、宇峠への道に間違いないと一安心。

 

 

さらに下って行くと目の前に大きな木(何の木だろう?)。太い幹がえぐられたようになっていて、くねった枝

が垂れ下がり、何だか痛々しい。どうやらここが宇峠の様だが、皆さんのレポートに出てくる祠が見当たらない。

すると『宇峠』と書かれた道標の後ろに朽ち果て廃材のようになった阿弥陀堂の跡が確認できた。

 

 

 

皆さんのレポートにはまだ立派な阿弥陀堂が写っていたのに、十年以上経過するとここまで朽ち果ててしまうの

だろうか?その近くにも二つほど何かの跡だろうか、廃材が転がっていた。

 

 

宇峠と書かれた道標と皆さんの写真で見た、庚申塔と地蔵でやはりここが峠だと分かった。

 

 

 

 

阿弥陀堂(跡)と石仏の数からいって昔はけっこうな人の行き来があったように思うが、一宇村と貞光・半田

結んだ峠も阿弥陀堂が朽ち石仏が傾きかけた寂しげな場所になり、今その昔を偲ぶすべはない。

 

 

 

石仏の前から谷筋へと下って行く。このルートは珍しくほとんどテープがない。谷筋の左岸を踏み跡を辿って

等三角点 赤松 725.4mに向かって下って行く。

 

 

 

最初は涸れていた沢も、下まで来るとチョロチョロと水が流れ始め、途中からは給水の管が集落に向かって続い

ていく。

 

 

すると畑地の跡の石垣が道の左手に現れた。畑跡の中に立つ杉の木の大きさからして、耕作しなくなってもう何

十年にもなるのだろう。

 

 

畑跡を見ながら進んで行くと萱原に飛び出した。ただその先には大きな屋根が見える。寺地の集落では廃屋の周

りはシダで囲まれていたが、ここでは背の高い萱に囲まれている。その萱をかき分けながら進んで行くと廃屋の

軒先に出た。たしかこもれびさんがスタートしてこちらに歩いてきてあった民家だ。その時は住人のおじいさん

にたしか道を尋ねていたが、今は・・・・。

 

 

赤松の集落から続く林道の突き当りにある4・5軒ほどの民家はどこも今は住む人の姿はなく廃屋となっていた。

 

 

 

 

その当時も住人の人たちが眺めていただろう景色は今も変わらず青空の下に広がっている。当時は畑で何を作っ

ていたのだろうか?畑に立つ大木の奥にやっと頭を出した次郎笈。その大木の前の畑も今は萱原となってしまっ

ている。

 

 

 

最終民家から舗装路を車を停めた場所まで下って行く。途中のブロックで囲まれた中は墓じまいを済ませていた。

それを眺めながら、子供たちが県外に出てしまった今他人ごとではないな~と思う。

にし阿波に点在する傾斜地にある集落は200ヶ所近くあるといわれている。その集落も今は住人の高齢化が進み

ほとんどの集落では廃屋が多くみられる。

災害が少なく温暖な平野部で暮らしてきた私たちには、なぜそこに?という疑問が湧いてくるが、これから少し

づつ山歩きを兼ねて色々な場所にある残された集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 

帰りにまた一宇の中学校跡を訪ねてみた。そこは中学校と古見の小学校と幼稚園にもなっていた。地上5階建て

の大きな校舎の横には、また大きな体育館。廃校になる前の子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうだった。

 

 

 

そしてお昼を過ぎてお腹が空いているのを我慢して、今まで一度は寄ってみたいと思った貞光にあるお店でお昼

に。愛想のいいおばあちゃんの応対にほっこりしながら美味しいハンバーグカレーを頂いて帰った。


四国の紅葉は石鎚山から・・・・でもね。

2024年10月11日 | 四国の山

 

 

『今年は彼岸花全然見ないね~』とうちの奥さんと話をしていたら、ここ最近気温が少し

下がり始めて、急にあちらこちらの田んぼの畔で目に付くようになった。

やはり今年の夏はかなりの猛暑だったようで、季節の花も咲く時期がずれてしまっている。

そのせいか10月に入っても今度は紅葉の便りが聞こえてこない。いつもなら石鎚山の紅

葉が10月に入って直ぐにWeb上で目に付くようになるのに・・・・。

そうこの時期はやはり石鎚山の東稜コースを登って南尖峰の色づいた岩肌、そして墓場尾

根、最後は弥山からの天狗岳の彩を見てみたい。

ただ来週は事情があって遠出ができない。その次の週になるとさすがに山頂近くの紅葉は

もう終わっているだろう。そう思って少し早いかもしれないが出かけてみることにした。

あっちゃんには『紅葉はまだかもしれませんが、どうしますか?』と連絡したら、『いい

わよ今回の目的はリベンジだから!』と返事が返ってきた。

そうあっちゃんは前々から、昨年自力で登れなかった南尖峰への最後の岩をロープを使わ

ずに登りたいと言っていたのだ。

『それなら今回はリベンジということで』と今回は紅葉の様子は気にせず出かけてきた。

 

平野部では青空が広がっていたが山間部に入るにつれて少しづつ雲がかかり始めた。UF

Oラインでも周りは薄曇りで、子持ち権現の辺りでは青空が見えて期待感が高まったが、

土小屋に着くと周りは真っ白なガスがかかって、いつもは下の駐車場から見える南尖峰

それこそ雲隠れして全く見えなかった。

 

 

 

それでも天気予報では昼には晴れマークがついていたので、そのうちにと思いながら歩き

始める。駐車場は思っていたよりたくさんの車が停まっていて、これから歩き始めるとい

った感じの人の姿も多くみられた。

土小屋までの道中のアスファルトの路面もずっと濡れていたが、登山道も昨日降った雨が

まだ乾いていなくて濡れている。

途中にある細い丸太でできた木道も濡れていてとても滑りやすい。痛めた膝には転倒が一

番怖いが、それよりもあっちゃんが一昨日から腰を痛めてプチ・ギックリになっているら

しくて『足を滑らせるのが怖い!』と言いながら用心深く歩いている。

何も調子が悪いのならわざわざ出かけなくてもと思うのだが、どうしてもリベンジを果た

して今年中には後味の悪さを払拭したいらしい。

 

第一ベンチからもまだ南尖峰さんはお姿を見せてくれない。

事前にあっちゃんには『遅くまで雨が残りそうなので、足元が悪かったら辛い東稜コース

を登るのはやめて、一般道を歩いて弥山まで行ってそこから南尖峰へ。目的の岩を一旦降

りて登り返すという手立てはどうですか?』と話をしていたが、その肝心の南尖峰が見え

ないのではテンションもイマイチ上がってこない。

 

 

 

 

濡れた丸太の木道も危ういが、濡れた岩も油断大敵。まぁ今日はポンコツ二人、ゆっくり

歩いて行きましょう。

 

第一ベンチまでは鶴ノ子ノ頭の北側を巻くようにして続く道だったが、第一ベンチを過ぎ

ると今度は稜線の南側に続く道になり、南の景色が広がってくる。

頭の上には相変わらずガスが重たくのしかかっていたが、南に見える峰々の上には青空が

広がっているので、まだ望みは捨てきれずにいる。

 

 

 

東稜コースの起点となる第三ベンチには見慣れない看板が立っていた。自然保護の注意喚

起の看板だったが、日本語の看板の横には同じ内容の英語で書かれた看板が立てられてい

た。(もちろん英語は読めるわけではないですが)

 

第三ベンチからは先は天狗岳の北壁の下部を回り込みようにして道が続いて行く。

垂直に近くそそり立つ天狗岳の北壁。谷筋には崩れた大きな岩が転がっている。そのせい

か落石注意の看板も立っている。

 

 

 

土小屋から1時間50分ほどで二ノ鎖元小屋に着いた。

後ろから男女が混じった若者のグループが楽しそうに登ってきた。その中に一人だけ年配

の男性が息を切らせて大変そうにしていた。部活動の団体?と思ったが、あとから三ノ鎖

の上で声をかけて尋ねてみると、会社の同僚と年配の人は上司との事だった。なかなかい

い会社じゃないですか~!

 

 

二ノ鎖元からはスチールの階段が始まる。いつもなら鎖場を登って行くあっちゃんも、今

日のこの天気で濡れた足元の上に腰痛では『行きます!』とは言わなかった。

 

 

 

弥山に着いてすぐ山荘にいるさおりんを訪ねた。天気の様子を尋ねたら『朝はいい感じで

晴れていたのに、今日は北側が晴れてこないと難しそう』と教えてくれた。

それでは『南尖峰まで行って戻ってきてからお昼ご飯をいただきます』と言って山荘を出

た。弥山の広場では腰を下ろして休んでいる人が大勢いたが、やはり天狗岳は薄くそれら

しい形が見える程度だった。

天狗岳への取り付きの手前では『どうしようか・・・』と話し合っている人の姿があった。

それもそのはず、真っ白なガスを吹き上げて北壁から突風がものすごい音をたてて舞い上

がっている。まともにその風を受けたら飛ばされそうなくらいの風で、一瞬恐怖すら感じ

るほどだった。それでも一組だけ取り付きの鎖を降りて行く人がいたので後に続いて我々

も降りて行く。

 

 

 

 

いつもなら前にも後ろにも行列ができ、離合するのに時間がかかったりするのだが、今日

はすれ違う人はほとんどいなくて、すれ違う人がいると『ゆっくりでいいですよ、気を付

けて安全に!』と声をかけあう。

ガスのせいで周りの雰囲気は皆目だが、稜線上の木々はけっこう色づいている。

あっちゃんも恐怖心からなのか腰の痛みからなのか笑顔が引きつっている。

 

 

 

途中でGOPROで動画を撮っているペアとすれ違った。『どちらからですか?』と尋ねると、

『東稜コースを登ってきました』と女性が答えてくれた。『笹滝は大変だったでしょう』

と言うと『もうずぶ濡れでした』と。

後日KINチャンネルさんにはその時の様子の動画がアップされていた。(18分57秒辺り)

 

南尖峰でも吹き上げてくる風は強かった。目印の取り付きに立つ白骨林から下を覗き込む。

その白骨林に安全のために一応ロープをかけて、もう一段下の白骨林まで降りて行く。

後ろからあっちゃんが降りてロープを回収。二つ目の白骨林にまたロープをかけ、まずは

左の(下から見ると右側)斜めの割れ目へと降りて行く。

そこから登り返しで登って行くのだが、けっこうな人が中央からではなくこの右側から登

っているけど、手のかかり足の置き場所を少し考える。リーチがあれば全く問題ないが、

後から来たあっちゃんは『体の大きさが違うから!』と文句を言いながら少し苦戦をして

いた。

 

 

 

それでも問題なく登ってまた二人で一旦降りて、今日のリベンジの目的の中央部へ。

昨年は中央の割れ目の足元が悪くて、右斜め上の岩の割れ目に手が届かずに身体を持ち上

げられなかった。でも今日は足元が埋まってきたのか段差ができて、右手を岩に引掛ける

ことができ、硬い身体を持ち上げることができた。一段上がればあとはスイスイ、ロープ

に頼ることもなく『あれ~こんなに簡単だったんだ』

 

 

 

 

もちろんあっちゃんも右側よりも案外簡単に登ってきた。少し拍子抜けしたが二人でハイ

タッチをしてリベンジ達成を喜んだ。

目標達成した途端に奥様が『お腹が空いた~』と騒ぎ始めたので、さおりんのいる山荘へ

と折り返していく。

それにしても東稜コースを登ってきたわけでもなく、この南尖峰の最後の岩だけを登りに

しかも降りては登るを2回繰り返すという物好きな人はいないだろうなと二人で話をする。

ガスがかかって北壁の高度感はまったく感じないが、やはり吹き上げてくる爆風に慎重に

歩いて行く。

 

 

 

この時期いつもなら順番待ちになる天狗岳も人っ子一人いない。

 

 

 

 

前回歩いた時にはなかったような気がするが、岩には所々で矢印がペンキでぬられている。

植生保護で立ち入り禁止になった場所に入らないように誘導しているのかな?

稜線沿いのドウダンツツジも結構色づいている。

 

 

 

天気が良ければ弥山からの天狗岳の紅葉も、そこそこきれいに見られたんじゃないかな?

なんて考えながら歩いて行く。

 

 

弥山の上には大勢の人影が見えるが、こちらに下りてくる人の姿は見られない。

やはりこの強風では危うさを感じているのだろう。

 

 

 

 

山荘ではさおりんが天狗岳カレーを取り置きしてくれていた。そのカレーを頂く前に、

念願のリベンジ達成を二人で乾杯をする。

普段はおにぎりかインスタントラーメンくらいしか食べない小食には、このカレーとクロ

ワッサンは少々多すぎた。さおりんとあっちゃんと三人で山の話をしながら何とか完食で

きたが、お腹周りの浮き輪がまたひと回り膨らんできた。

 

 

 

 

満腹のお腹を抱えながら山荘を出ると『まだ練習中なの』と言いながら、さおりんと山荘

のメンバーが『出陣式』のほら貝を吹いてくれた。その野太い音を背に受けながら山荘を

あとにする。

 

 

まだ乾ききらぬ丸太の階段や木道を滑らないように必要以上に注意しながら降りて行く。

二ノ鎖元まで降りてくると一人の年配の男性が休んでいた。少し話をすると足が攣って休

んでいるとの事。心配したが今日は山頂の山荘に泊まるとの事なので『お気をつけて』と

言って別れた。毛糸の帽子を被った天狗さんが可愛らしい。

 

 

 

結局天気予報に反して最後まで晴れることはなかったが、北側に少し日が差す瞬間もあっ

た。いつもなら特急列車でスピードを出して降りて行く奥様も、今日はさすがにゆっくり

としたペースで降りている。そのおかげで道の脇や周りの景色がよく見える。

ハチクを大きくしたような木に、赤くなったツタが絡んでいる。

 

 

 

道には黄色や赤の落ち葉が散っているが、登山道の本格的な紅葉はもう少し先だろう。

 

 

 

土小屋をスタートして6時間強で戻ってきた。天狗岳の紅葉は恐らくこの週末が見ごろだ

ろう。その時はこの駐車場には停めきれない車が路肩にも溢れているだろう。

リベンジが目的で紅葉は二の次といったものの、やはり弥山から真っ赤に染まった天狗岳

を眺めて見たかったと欲が出てきたのだった。

いつになく対向車の少ない瓶ケ森林道を車を走らせ帰路についた。