KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

あっぱれ絶景かな洞雲山・碁石山・大嶽

2024年12月13日 | 香川の里山

 

前回寒霞渓馬の背を登って、その西にある四方指から眺めたデコボコした洞雲山から大嶽の稜線。

馬の背の溶岩が固まった特異な地質の尾根を登った後、その四方指からの景色を眺めながら、『そう言えば以前

に登ったあの洞雲山から碁石山も同じようなガチガチ固まった稜線だった』のを思い出し、隣に居たあっちゃん

に『あの稜線も岩場になっていて楽しいですよ』と話をした。

その事を思い出して今回はまた小豆島に出かけてみることにした。計画としては坂手から洞雲山に登って碁石山

へ縦走、そこから大嶽へとアプローチするのだが、YAMAPの活動日記で事前に調べてみると、どうやら碁石

から大嶽への山頂直下のロープ場が難所らしい事が分かった。でもまあロープがかかっているという事はそれ

なりに歩いている人がいるのだろうと考えて、そのままロープ場を下って大嶽へ登った後、麓の苗羽(のうま)

に下る周回コースとした。

 

小豆島の山を登るときに一番考えるのはフェリーとバスの時間。取りあえず早めには出かけたいのだけれど、若

干一名が朝の早いのを難色を示す。それならと7時20分発の土庄行のフェリーに乗って、8時30分発の田ノ

浦行のバスに乗り継いで坂手港に向かうことにした。この時間だと今度は帰りの時間が気になるのだが、距離も

標高差もさほどではないので何とかなるだろう。

 

田ノ浦行のバスは坂手東で折り返して田ノ浦(映画村)へと向かう。その坂手東でバスを降りて、まずは『夏至

観音』で有名な、島霊場88ケ所の1番札所の洞雲山へと集落の中の道を登って行く。

坂の途中で振り返ると坂手港と田ノ浦の半島の横に五剣山が見えた。そこからしばらく歩いて行くと、2013

年の瀬戸芸で出品されたビートたけしとヤノベケンジの彫刻作品のある美井戸神社があった。

 

 

 

坂道の正面に見える岩壁に『あの上登るんかな~』とあっちゃんのテンションが上がってきた。洞雲山へのコン

クリート道はこの季節、行き交う人がいないのかたっぷりと落ち葉が積もっていた。コンクリート道からへんろ

道に入ると、さらに道は荒れていた。

 

 

 

オリーブの木が植えられた牧場の跡地を横目に見ながら更に登って行くと、第3番札所観音寺の奥の院・隼山

に着いた。大師堂の前の広場からは播磨灘を一望に、鳴門・淡路島が見える讃岐十景の展望地。銀色に輝く海

に空に浮かんだ雲が影を落とし、穏やかな風景はこちらの気持ちまで和ませてくれる。

 

 

 

その大師堂から洞雲山へと向かう途中に展望台があった。坂手の町を見下ろす展望台からは対岸の東讃の里山の

奥に、阿讃の峰々が続いているのが見える。

 

 

 

その展望台の先の参道からは、坂手の集落から見えた岩壁がそそり立っているのが目に飛び込んできた。

老杉の並ぶ境内に入ると、その岩壁の下に大きな洞窟。洞窟の中に本堂八角堂が薄明りに照らされていた。

 

 

 

洞雲山を後に一旦参道を引き返すと途中に、『洞雲山碁石山登山口』の小さな案内板が木の幹に掛けられている。

そこから乾いた土に足を滑らせながら岩壁の南側へと登って行く。

 

 

 

岩尾根特有のウバメガシの密集する急登を登って行くと岩壁の南端に出る。そこには先ほどの展望台より見た景

色より高度が上がって、さらに奥の内海湾の景色が広がっていた。

 

 

右手に視線を移すと草壁の町や寒霞渓、そしてこの稜線を眺めた四方指。坂手の町の奥には入り組んだ形の田

ノ浦の半島と、さらに先には釈迦ケ鼻のある半島が見える。

 

 

そこから先は岩尾根。馬の背同様露岩自体はしっかりしているが、高度感はかなりある。

碁石山のこんもりしたピークの先に、最終目的地の大嶽の垂直の岩壁も見え始め気分は上々!

五剣山屋島冠ケ嶽の岩壁とは比べようもない高さの岩壁の大嶽。そんな岩壁を眺めていて、あの上に立つこ

とはできないが、足元はどこも同じで土溜まりになっているはずだろうから、いつか真下から見上げてみたい。

あわよくば岩壁の弱点(岩登りではなく、木の生えている場所を辿りながら)を見つけて登れないかななんて、

不相応な大胆な考えをする。

 

 

 

そんな岩壁の下のゆるやかな裾を引く山肌は今が紅葉真っ盛りで、白い岩肌とのコントラストが対照的だ。

その岩尾根の高度感に腰の引けているルリちゃん。とはいえ足元のデコボコした露岩に足でも引掛けようものな

ら、奈落の底へ転落だ。『あわてずゆっくりでいいからね!』と声をかける。

洞雲山の石祠の前で記念撮影。『あっちゃん、それ以上後ろに下がらないでね!』

 

 

 

 

その石祠から先をひと登りすると洞雲山山頂の山名札が置かれていた。ネットを見てみると先ほどの石祠のある

場所を洞雲山山頂として写真を撮っている人が結構いるが、355mの標高はこちらの方が高いので、しかも地

元の山の会がわざわざ山頂と書いて置いているので間違いはないだろう。ちなみにYAMAPのランドマークと

もズレてはいる。ただこの山頂からの景色はこちらも申し分がない。

 

 

 

 

洞雲山山頂から碁石山へはウバメガシの林の中の尾根になる。碁石山寺への分岐を過ぎてさらに進んで行くと、

2回ほどアップダウンをして最後にひと登りしたら碁石山山頂。

 

 

 

 

 

山頂は木々に囲まれているが、その木々の頭越には千羽ケ岳と拇岳、そして島の最高峰の星ケ城が見える。

ここから大嶽まではまだ少し時間がかかるので、ここでお昼ご飯にすることに。ザックから取り出した先週と同

じ、巻きずしと稲荷寿司の弁当の蓋を開けたらその拍子に全部地面に落としてしまった。

おむすびコロリン・コロコロリンならぬ、巻きずしがコロコロ転がって行ってしまった。ガックリ肩を落として

いる私を見かねて奥様たちがおむずびとドーナツを恵んでくれた。ありがたや~ありがたや。

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えたら、さぁここから今日のメインイベント、最難関のロープ場の下りになる。

山頂から少し北に降りると細いロープが谷あいに伸びていた。足元を確認しながら特攻隊長あっちゃんがまずは

降りて行く。ロープの最後の場所に降りると『ここは足掛かりがあるから大丈夫』と声がする。写真では伝わら

ないが結構な斜度の上にロープが細い。途中で輪っかを作ってくれているので助かる。

さらに下からは『2本目のロープは足掛かりがないので滑りやすくて難しいわよ』と声がした。

 

 

 

 

 

 

 

ロープ場が終わっても急坂は続いていく。ただ木の幹に掴まりながら降りられるので問題はない。

一旦降りて巨大な岩塊の左下を巻くように進んで行くと次に岩壁が現れる。

 

 

その岩壁には黒いロープがかかっているのでひょいとひと登りした後、もう一本ロープをやり過ごすと岩尾根の

上に出た。

 

 

 

背の低い木々の間を抜けるとまた絶景が広がっていた。麓の苗羽地区に黒い建物群が見えるのはマルキン醤油の

工場だろうか?そしてもう目の前に大嶽の岸壁が迫ってきた。

 

 

 

ここから一旦下って行くとその苗羽地区への分岐になる。大嶽に登った後はここまで戻って下って行く予定だ。

 

 

 

分岐から少し進んで露岩の上を登って行くと大嶽山頂だ。山頂にはネズミサシの枝に小さな山名標がかかってい

て、足元には「洞雲山行者講」の陶板が石に埋め込まれていた。

 

 

北と南に分かれた岩壁の間に深い神秘の谷が広がっていた。ロストワールドのここが大嶽の岩壁の弱点となるの

か、なんとなく下から登れそうな気がしないでもないが、好奇心だけでは今日は時間がない。

そして北を見ると数年前にセニョさんと二人で登った拇岳が『いいね!』と指を立てている。あっちゃんを誘っ

たら絶対に『行きたい!』と言うだろうから、今日は黙っておこう。

 

 

 

東を見ると淡路島と対岸の須磨が見えた。そしてふと見ると西側の南の岩壁にはロープがかかっていた。誰か

があそこまで行ってロープまで付けている。またひとつ興味が増えた大嶽だった。

 

 

 

分岐まで戻って西に苗羽へとウバメガシの木の枝に掴まりながら下って行く。足元はその小さな落ち葉が積もっ

て滑りやすい。道は踏み跡もしっかりあり、テープや青いペンキの目印も木の幹や岩に付けられているので迷う

ことはない。

 

 

 

 

途中には木材搬出用のヤグラと滑車が残っていたが、この周りに植林した様子はなく何の木材を伐採運んでいた

のだろうか?また太い鉄管も転がっていて、この辺りで搬出以外の何かの作業されていた形跡が残っている。

 

沢筋になってくると大小の石が転がっていて歩きづらい。右に左にそんな石を避けながらしばらく下って行くと

やっと車道に出た。樹林帯を抜け集落が近づいてくると色づいた木々越しに大嶽の岩壁がはっきりと見えた。

南北の両岩壁の間には確かに神秘の谷が見えている。

 

 

 

 

小豆島で人気の島宿真里の横を通り、醤の里の工場まで来ると醤油の独特な匂いがした。県道まで出ると奥様た

ちは、さっそくマルキン醤油記念館へしょうゆソフトクリームを求めて飛び込んだ。

時間的には計画していたバスより1便早いバスに乗れ、乗り継いだフェリーも1時間早く乗り込むことができた。

マルキン醤油の工場の屋根の奥に見えた大嶽は、その存在感は小豆島だけに限らず、香川の里山の中でも抜きん

でていた。

 

 

 

あの大嶽の岩壁をもっと近くで見てみたいと思うのは私だけだろうか?できればもう一度この山だけを訪れて、

探索できればと。またひとつ出かけたい山ができてわくわく感が止まらない。

 

 

 

 

 


12月に1ダースの小野アルプス

2024年12月07日 | 四国外の山

YAMAPの功罪。

YAMAPを使い始めて今までなかなか手間だった山を歩いた結果が、直ぐに見える化できるようになった。

時間・距離・標高差がゴールに着いた途端にスマホに表示される。しかも最近はコース定数なるものや、平均ペ

ースまで表示されるようになった。それらの意図するところは自身の体力を知るところにあるのだろうけれど、

それを見て他の人と比べることもできるようになった。

もともと登山は人と比較したり、数字的なものを競ったりしないところがひとつの良さだったのに。そう呟きな

がらも、いつも一緒に出掛ける奥様たちが登頂したピークの数の話を話すたびに、二人よりYAMAPデビュー

がかなり遅くて、実際には今まで登っているピークの数より奥様たちと比べてかなり少ないのを気にしていた。

 

そう、いつの間にかYAMAPの数の術中にはまっていたのだった。

 

それならカシミールに保存してあるデータをGPXでYAMAPに取り込んで、実数に近づける事もできるのだ

けれど、これが意外と手間でそんなことをしている暇もない。

よし、じゃ~独りで歩いてピーク数を稼いで奥様たちとの差を縮めてみるかと考えて、一日で歩けてピーク数の

多い山を探してみると、兵庫県の小野アルプスが引っ掛かった。

そこでこの小野アルプスの近くにお住まいで、神戸在住ではないのにWOC登山部神戸支部長を自ら名のる、『山

爺』を誘って二人で歩けないかと抜け駆けを考えたが、それを奥様たちが許すはずもなく、結局いつものように

三人で出かけることになった。

 

 

山爺が来てくれたら、縦走後の下山場所に車をデポしてかなりの時間短縮ができると思っていたら、山爺から

『火曜日に登った段ケ峰の疲れがとれず山歩きはご一緒できない』と連絡がきた。それならわざわざデポするた

めにだけに来てもらうのも申し訳ないと返事を返した結果、下山後の下道歩きの6kmが増えてしまった。

 

集合場所から高速を小野市へと車を走らせる。途中の明石大橋で『そう言えばちょうど1年前に毎週この橋を渡

ってましたね』と奥様たちに話しかける。そう、1年前の12月は『六甲全山縦走』でこの橋を渡って通ってい

た。そんな話をしながら、自宅のある場所からスタート地点となる小野アルプス東端にある『白雲谷温泉 ゆぴ

か』までは2時間弱で着いた。

駐車場の端にある登山口には小野アルプスの案内板があったが、そこには9つのピークが載っていた。そのピー

クにプラスして3座がYAMAPのピークになっている。

 

 

案内板の奥からまずは一つ目のピークの高山へと登って行く。登山口からは四国の里山と変わらぬ雰囲気の道が

続いていく。途中で何枚もの手書きの看板が道の脇の木の幹に掛けられていた。

 

 

 

10分ほどで一つ目のピークの休憩所のある高山に着いた。まだ高度の低い朝陽に照らされ、私たちの顔もオレ

ンジに染まっている。

 

 

案内板にハイキングコースと書かれていたように道はよく踏まれていて、落ち葉がたっぷり積もった道をカサカ

サと音をたてながら次の前山へと歩いて行く。

 

 

この辺りの森は川崎重工業グループが整備に協力しているとの事で、途中の木々には名前を書いた札にKAWA

SAKIのシールが貼られていた。尾辺筋から少し下った鞍部に着くと日光峠の道標。ここからは北に鍬渓温泉

に下る道、そして数カ所ある内のひとつの小野アルプスの登山口への道になる。

 

 

 

 

日光峠から前山まではしばらく急登が続いていく。と言っても日光峠からは40mほどの標高差。急がず慌てず

ゆっくりと、息が切れない程度の速度で登って行く。

 

 

前山山頂には巨大な電波塔が建っていた。フェンスに囲まれた電波塔の南側は小さな広場になっていて、南に街

並みを見下ろすことができた。西に見える小さなピークは、これから向かう愛宕山と安場山だろうか。山肌は柿

色の中に緑が混じって、今が紅葉のピークに思えた。今日二つ目のピークをゲット。まだこれから10座ある。

 

 

 

 

一旦少し下って登り返すと直ぐに次の愛宕山。途中の道には119番通報ポイントの看板がこの後も掛けられて

いた。何かあったときにはこの看板のナンバーを連絡すると直ぐに場所が分かるようになっている。たしか六甲

全山縦走でも見かけた看板だ。

 

 

 

 

 

愛宕山からも一旦下っての登り返し。今日はずっとこのパターンが続いていく。四座目は安場山156.6m。

 

 

安場山からさらに下って行った鞍部は間伐されて、木々もまばらで明るい日差しが周りを照らしていた。

その鞍部から少し段差のある階段を登って行く。

 

 

 

 

道の途中には近くの町名を刻んだ石柱が所々に建っていた。それらの石柱を眺めながら下って行くと何の木だろ

うか黄葉の木が目立ち始める。その中の背の高い木々から落ち葉が舞って不思議な森の雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

 

 

その黄葉の森を抜けるとアザメ峠の車道に飛び出した。その峠の車道の両側は、また先ほどの黄色とは一味違っ

た赤やオレンジのモミジのプロムナードになっていた。そして今まで歩いてきた小野アルプス東コースの入り口

となっていた。

 

 

 

 

何百枚、何千枚もの小さな小さなモミジの葉が折り重なって、青い空を隠し真っ赤に染め上げている。それぞれ

の木の葉の色が違っていて、踏み出すたびに空の色も変わって行く。

 

 

 

 

足元もそれに負けじと何色もの色で彩られた絨毯になっている。この季節ならではの色彩のマジックを眺めなが

ら峠のお地蔵さんも満足げだ。お地蔵さんの前に停められた軽自動車の緑のボディーが、周りの彩の中で違和感

なく溶け込んでいる。

 

 

 

このコースは色々な道標が建っているが、一番立派な道標は白雲谷温泉ゆぴか鴨池が基点となっている。

手作りの道標は順番にピークを示してくれている。次に向かうのは総山。ここには二つの『そうやま』があるが、

そのうちの一つ目の総山になる。

 

 

峠からは20分弱で今日五座目の総山山頂(184m)に着いた。峠の前後から増え始めた笹が山頂の周りを囲ん

でいた。

 

 

 

その笹が少しかかった道を西に進んでい行くと、権現ダム方面へ下る道との分岐。その分岐を右に折れて次の

アンテナ山を目指して歩く。道の途中からそれらしいピークが木々の間から見えたが、アンテナのような建造物

はそのピークには見当たらなかった。

 

 

山頂近くになると露岩が現れた。すると先を歩く奥様たちが『これがアンテナかいな?』と言う声が聞こえてき

た。二人に追いついてみるとたしかに想像していた前山で見たアンテナには程遠い、テレビの共同アンテナが建

っていた。『ん~たしかにアンテナには違いない!』これで六座目のアンテナ山

 

 

 

 

少しがっかりした三人の思惑とは他所に、アンテナ山からの眺望は素晴らしかった。先ほど歩いた総山の肩腰に

は、明石大橋の橋脚が遠くに見える。周りの山々は季節は初冬だというのに秋色一色だ。

 

 

 

 

次の二つ目の『そうやま・惣山』へは少し下って尾根を辿って行く。

さすがため池の数が日本一の兵庫県。途中からもあちらこちらに空の青い色を映し出したため池が転がっていた。

 

 

 

惣山山頂はこのコースの中で一番の広場になっていた。ベンチが一つ置かれ木々も数本、南に開けた空からは明

るい日差しが降り注いでいた。予定では次の紅山でお昼にしようと思っていたが、ここまで来ると風が強くなっ

ていた。そうなると紅山の岩尾根は吹きっさらしになるので、ここでお昼ご飯にすることにした。

私は先日オープンしたばかりの地元のマルナカで買ってきた巻きずしとお稲荷さん。ナスビの温かい味噌汁が、

少し肌寒いなかで気持ちまで暖めてくれる。

 

 

 

 

20分ほどでお昼ご飯を食べ終えて次に今日のメインイベントの紅山へと一旦下って行く。

するとシロモジだろうか?薄く淡く透明感のある黄色のカーテンが道の両側を覆いつくし始めた。その薄黄色の

林の中で奥様たちが感嘆の声をあげている。

 

 

 

 

今まである程度黄葉が続く道を見た事はあったが、ここまで薄黄色一色に染まった道は初めてだった。今日はこ

の黄葉を見られただけでも満足だ!薄黄色のシャワーは九十九折れの下り坂の最後まで続いていた。

 

 

 

 

 

その急坂を下りきると岩倉峠。そこからは今度は柿色に染まる山肌の最上部に何やら岩肌らしき斜面が見えた。

『あれが紅山かな?』と言いながら歩いて行く。

 

 

 

紅山登山口と書かれた道標から10分弱歩くと紅山の岩尾根の全貌が目の前に現れた。登山口から途中で追い越

していった常連さんらしきおじさんが先に取り付いていた。

まるで巨大な恐竜の背中を小さな人間が取り付いているように見える。中間地点ではツブダイダイゴケで岩肌が

オレンジ色に染まっている。紅山の名前の由来はこのオレンジ色の岩肌からくるらしい。

 

 

 

 

 

途中からルリちゃんは迂回路へ。あっちゃんと二人で登って行くが写真で見たザラザラした岩肌も意外と硬くて

靴底のグリップがよく効いている。上部になるにしたがって斜度はキツくなってくるが、立って登れないことも

ない。立ったりすると高度感が出てくるが、登っているうちはそれほど感じることもなくスイスイと登って行く。

 

 

 

登りきるとやはり南側は遮るものがなく高速道路を走る車の音が鳴り響いていた。そして東側も小野市の市街地

が広がっていた。

 

 

すると何を思ったのかあっちゃんが登ったばかりだというのにまた岩尾根を下って行っている。

途中で立ち止まって写真の催促でもするのかと思ったら、結局下まで下って『下りの方が怖くないわよ!』と言

いながらまた登ってきた。何を考えているのやら・・・・?

 

 

 

 

今日のメインイベントを無事登り終え、今日八座目の紅山の山頂標の前で写真を撮る。

 

時間は12時30分だが、まだスタート地点のハイキングマップに載っていた岩山以外にまだ三座あるので先を

急ぐ。山頂の西側の岩肌からはちょうど紅山の岩尾根が真横から眺められた。ここから見てみるとおおよそ45

度くらいの斜度だろうか?

 

 

その露岩から少し下って行くと縁結びのパワースポットと云われる夫婦岩の男岩の横に西紅山の山名札がかかっ

ていた。男岩は正面から見ると女性の横顔のようにも見えたが、果たして女岩はどこ?これで今日九座目。

 

 

西紅山からさらに下って行くと、これも里山あるある。大シダの繁茂の道になっていた。そして鞍部には西コー

ス入り口の道標。ここから西はハイキングコースの案内板に一応縦走路は載っていたが、色づけされていなくて

ハイキングコースからは外れるようだ。

そして岩山山頂が近づくと、ここでも露岩が現れた。三角点は 四等三角点 岩山 163.78m

 

 

 

 

三角点の少し先に山名標がかかっていた。ここからは遠く瀬戸内海の海際に、神戸製鉄の巨大な工場が見えた。

 

 

 

 

露岩の続く山頂からの道からは大きな権現池が随分と近づいていた。

 

 

そして最後の鞍部へと下り、そして最後の宮山への登りとなる。道標には残りの宮山・南野山の名前はなく、

代わりに峠の名前になっている。そして十一座目の宮山、十二座目の南野山をクリアー。

 

 

 

十二座目の南野山を過ぎると福甸峠へと降り立った。さてさてここまで今日の行程の距離でいうと約半分。

ここから下道歩きの6kmが待っていた。

 

 

 

峠の西側はもう加古川市。ここから県道118号線を地味に歩いて行く。ただ道沿いにはきれいなため池が続き、

女池と呼ばれるため池には白鳥が二羽、優雅に泳いでいた。そんな景色を眺めながら楽しく歩いて行く。

 

 

 

その女池の北側にあった一風変わった雰囲気のカフェで一息入れる。雑貨やドライフラワーが並べられた中を通

り、私はアイスコーヒーを注文そして奥様たちは温かい紅茶を注文する。

 

 

 

 

一息入れた後は気合を入れて下道歩き。アスファルトの固い路面が疲れた足裏に堪える。この時ばかりは神戸支

部長に来てほしかったと三人で話をする。

カフェの周りは別荘地ぽい広々とした庭と、デザインされた建物が並んでいた。その先の男池には餌付けされた

カモが、近づいても逃げる様子もなく湖面を泳いでいた。

 

 

 

男池から約5kmを1時間10分かけて駐車場まで戻ると、スタートした時は数台しか停まっていなかった広々

とした駐車場にはほぼ満車状態で車が停まっていた。白雲谷温泉は人気の温泉の様だった。

12月のスタートにちょうど12座、1ダースのピークを登って奥様たちも大満足。結局出抜くこともできずに

同じだけ12座増えた一日だった。

 

 

 


『バリ山行』ともうひとつの石門

2024年11月22日 | 香川の里山

少し前になるが小説『バリ山行』が第171回芥川賞を受賞した。『バリ』とは『バリエーションルート』の略

で、正規の登山道以外のルートを使って山を登ることの略称だそうだ。山岳小説にしては舞台は六甲山という身

近な場所。その六甲山で『バリ山行』が繰り広げられるのだが、読んでみてそのバリエーションルートに少し違

和感を感じたのは私だけだろうか。

もちろん私もバリエーションルートと云われるルートを歩くこともあるし、藪コキをする事もあるけれど、藪コ

キなどは大抵が道を外れてしまっての時が多く、この小説に出てくる妻鹿のように、わざわざ藪を選んで歩くこ

とはほとんどない。それがバリエーションルートに当たるのかも疑問が残ったが、今回はそんな『バリ山行』を

奥様たちとやってみた。

 

小豆島の寒霞渓には『表十二景』『裏八景』の風光明媚な奇岩を眺めながらの登山道があり、大抵はこの登山

道を使ってその先の小豆島最高峰の星ケ城を往復するのが一般的だけれど、その『裏八景』の西側の尾根を登る

『馬の背』と呼ばれているバリエーションルートがあることを、昨年エントツ山さんのHPで初めて知った。

丁度昨年のこの時期にモミジ狩りを兼ねて、偶然池田町のフェリ―乗り場で出くわしたセニョさんあっちゃん

の三人で『馬の背を』登って、星ケ城まで歩いて『裏八景』を下って、最後に小豆島18番霊場の『石門洞』

石門を見て帰った。

 

今回もそろそろ寒霞渓の紅葉も見ごろだろうを思って、奥様たちを誘ってみた。そして『自己責任で!』と書い

て案内。今回は昨年一緒に歩いていないルリちゃんも参加したいと言うので、『馬の背』は一般的な登山道を外

して歩くのだから、当然何かあったときは『自己責任』でとして参加してもらった。

ただ昨年と同じような行程で歩いても芸がないので、セニョさんがその後独りで登った、馬の背の途中から西に

ある『玉筍峯』に寄道。その後ロープウェイ山頂駅まで登って、県道を歩いて『四方指』へ。そこから南に下っ

て、偶然以前にその存在を知った『もうひとつの石門』、通称『西の石門』を訪ねて見ることにした。

 

昨年と同様に池田港行の6時50分発のフェリーに乗る。但し駐車場はサンポート地下駐車場ではなく、少し離

れた大的場の青空駐車場を選んだ。というのも昨年あっちゃんは巨大な迷路のような地下駐車場で出口が分から

ず、馬の背の岩場よりも恐怖を感じたそうなので、分かりやすい青空駐車場にした。

サンポート周辺は新しくアリーナやホテルが建設されていて開発がどんどん進められていた。

 

 

 

池田港行のフェリーの第十一こくさい丸は『ぞうさん』が船のあちらこちらに象られていた。

出向後しばらくしてデッキに上がると、ちょうど東の空からお日様が昇ってきた。

 

 

池田港からロープウェイ乗り場になる紅雲亭行のバスはおおよそ30分待ちでほぼ満員で出発。

今日の登山口となる猪谷バス停で下車すると、我々以外も数組が降りてきた。裏八景からスタートして表十二

に降りる人はあまりいないので、皆さん馬の背を登るんだろうな~と思いながら歩き始める。

 

 

裏八景の登山道から馬の背の尾根への距離が短そうなところを適当に見計らって取り付く。滑りやすい斜面をひ

と登りすると尾根に出た。尾根からは西に寒霞渓から続く岩壁、そしてここから見ると『果たしてあんな所、登

れるんだろうか?』と思うような、これから登る玉筍峯が険しくそびえ立って見えた。

 

 

 

しばらくは黄葉の木々の下を歩いて行く。寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩層や火山角

礫岩層などの岩塊が、長い年月の地殻変動や風化と侵食によって多種多様の奇岩と崖地が絶景を創りあげた渓谷。

その岩肌はモルタルで固められたように固く、露出している岩も握ったり足をかけたりしてもビクともしなくて、

安心感があり、足掛かり手掛かりがあって登りやすい。

振り向いて後ろから登ってくる奥様たちの奥には、猪谷池内海ダムの向こうに草壁の街並みが見えた。

 

 

 

普通、花崗岩の岩場だと表面がザレたり握った岩がポロっと取れたリするけど、ここの表面は固くてほんと安定

感がある。そのせいか初めて歩くルリちゃんも結構登れてきている。

植生はというとそれはどこも一緒なようで、岩尾根特有のネズミサシがけっこう生えている。

 

 

 

一カ所だけあるロープ場をよじ登ると、玉筍峯随分と近づいてきた。その玉筍峯の横に広がる寒霞渓の紅葉は、

夏の暑さの厳しさが影響しているのか、今年は色がくすんでいてイマイチのような感じがする。

 

 

 

 

小さくアップダウンを繰り返しながら岩場を歩いて行く。玉筍峯の岩塊の上に月がまだ見えた。

 

 

 

岩場は固く安定しているとはいえゴツゴツと凹凸があって、逆に注意しないと足を引っかけ転倒しかねない。

前を歩くあっちゃんが立ち止まってなりやら写真を撮っている。その場所まで行ってみるとこの季節に珍しくカ

マキリが岩に張り付いていた。

 

 

 

岩尾根になってからは西側はだいたい切れ落ちているので、巻道はほとんど東側を巻いて登って行く。

それにしてもあっちゃんのスピードは落ちない。普通に登山道を歩いている感じでどんどん登って行く。そして

先に岩塊を登りきると更に高い岩に登ろうとする。

 

 

 

玉筍峯ほぼ真横の高さまで登ってきた。この辺りから見るとけっこう木々が生えていて高さもそんなになくて、

また違う岩塊に見える。

 

 

岩尾根から樹林帯に入ると、左側にロープウェイが見下ろせるこのルート一番の展望所がある。渓谷の紅葉も

稜線近くはもうピークを過ぎた感じだが、ロープウェイの周りは今が見頃といった感じだった。

 

 

 

その見晴らし台の手前に赤い色褪せた布切れと、こちらも朽ちかけたテープが木の幹に掛けてある。そのテープ

から西に向かって降りていくと玉筍峯へのルートになる。木々の中を下って行くと彩の向こうに玉筍峯らしき影

が見えた。それを見て『意外と近そう!』とあっちゃん。『いや~あれは偽ピークぽいですけど』と私。

 

 

思った通り見えた岩は玉筍峯の手前の岩。その岩塊を回り込むとまた先ほどの見晴らし台からの景色とは違った

角度からの渓谷とロープウェイ、そして山頂駅の駅舎が見えた。

 

 

玉筍峯の直下からあっちゃんは左に登りやすい場所へ。私は直登をしてみるが、これがけっこう危うかった。当

然写真を撮る余裕もなく、なんとか岩塊の頭に出た。最後は3mほどの高さを垂直に登るのだが、高さは大した

ことがなくても足元が切れ落ちていて落ちたらアウトだ。少ししてあっちゃんも登ってきたので二人で記念撮影。

あまりアップで撮るとちょっとした岩に登っているくらいにしか見えないし、少し離れて撮っても高度感はまっ

たくでない。

それでも下るときは足元が全く見えないので『注意してゆっくりね!』と声をかける。

 

 

 

 

 

今日の目的のひとつの玉筍峯をゲットした後は、分岐近くで待つルリちゃんの所へ戻って行く。待っていたルリ

ちゃんと合流した後はルートに戻って山頂駅を目指す。スタート近くの尾根の黄葉から、この辺りはオレンジや

赤の紅葉に彩が変わってきた。

 

 

一旦下って登り返していくと見覚えのある白い露岩が現れる。ここから先は樹林帯、この馬の背ルートで内海湾

草壁の町が見下ろせる最後の眺望となる。

 

 

 

白い露岩からは山頂駅にある第一展望台の岩壁直下までの急な登り。ウバメガシの木々の間を縫って、乾いた小

さな葉に足を滑らせながら登って行くと岩壁の足元に着く。

 

 

岩壁まで来るとそこからは岩壁の足元を東へと歩いて行く。途中で小さな細い滝を見ながらさらに進んで行くと、

裏八景の登山道に飛び出した。少し荒れた裏八景を登りきると山頂駐車場。トイレを済ませて公園広場の東屋で

お昼ご飯にする。

 

 

かわら投げの出来る第二展望台から見る四方指までの間の紅葉は、陽の当たり方のせいか今一つな感じがした。

ただ展望台や公園にあるモミジは日差しが当たって輝いてた。

周りでは声高らかに中国語が飛び交っていた。観光地は今やインバウンドで海外の人が大勢押しかけているが、

紅葉の季節になる京都などは、もっとにぎやかなんだろうと想像する。

 

 

 

 

 

時間は11時40分前。ここから四方指まで3.5kmの県道歩き、その後西の石門まで下って、更に予定して

いる内海ダムのバス停までタイムリミットは約3時間しかないので、のんびりとはしていられない。

途中にある鷹取展望台や、二年前の瀬戸内芸術祭のオブジェの『空の玉』を見てみてたかったが、次回に行く事

にしてどんどん歩いて行く。

 

 

寒霞渓の紅葉よりこの間の紅葉がとにかく見事だった。赤に黄色にオレンジと足元には結構散った葉が積もって

いるが、それでもまだまだ見応えがある。

 

 

 

脇道から県道に出ると、道の両側に帯のように落ち葉が積もっていた。四方頂からGoogleMapで『寒霞渓スカイ

ラインビュースポット』となっている場所までは単調な登坂が続き、あまりおしゃべりもせず黙々と歩いて行く。

 

 

 

そのビュースポットからはススキの穂の奥に内海湾そして大獄から碁石山洞雲山に続く峰々を望むことができ

た。あのあたりの山も馬の背と同じようなゴツゴツとした岩が続いていて楽しめる山だ。

眼下に見える先ほど登った玉筍峯の真っすぐ奥に見える千羽ケ嶽拇指嶽がちょこっとだけ見えている。

 

 

県道から四方指の標識にしたがって左に折れる。手前の県道沿いに比べると急に彩が増して賑やかになってきた。

時間はほぼ予定通りの1時間近くが経過しようとしていた。ここにきてズボンの下に履いている着圧のタイツの

股の部分がよれて股の付け根で擦れ始めた。途中で道の脇の木の陰で直してみるが直ぐにまたよれ始めた。

 

 

 

 

美しの高原の中にある四方指大観峰からは山と海と空をひとりじめ出来そうな大パノラマが広がっていた。

大角半島の奥の海の向こうに薄く見えているのは鳴門の辺りだろうか?反対側はには本州の赤穂辺りが見える。

 

 

 

 

 

三角点の横には三角点の標石と同じ石に彫られた説明板が建っていたが、全国にある標石のほとんどがこの小豆

島の石が使われているのだけれど、説明文は少し説明不足のように感じた。

『全国の至る所にある三角点の標石には、ほとんどが小豆島の石が使われています』と書いた方が、書かれた人

の意図が伝わる気がした。 参考文献:小豆島産の三角点・国土地理院

 

 

 

さあ残り時間は2時間。ここから西の石門まで下がって更に県道まで下っても、そこからバス停まではまだ15

分ほどかかる。14時50分紅雲亭発の便に遅れると2時間20分待つことになり、それでは帰りがけっこう遅

くなる。展望台の西側の緩やかに斜面になった所から見えたピンクのテープを目指して樹林帯へと入って行く。

このピンクのテープはこの後ずっと続いていったが、所々で見失ったりしてうろつく場面もあった。ただ基本的

には下りだと東側が岩崖地になっているので、その岩崖に沿って下って行けば間違いがない。

時間に余裕がないという事で奥様たちも、茂った木々の間を右に左に避けながらブイブイと飛ばしていく。

 

 

 

 

すると中山みちと刻まれた石の立つ場所に着いた。かつてはここが中山から草壁への峠道だったようで、多くの

人の行き来があったそうだ。その石の横には『四方指』『窓』と書かれた二つの道標が建っていた。

 

 

 

『窓』の道標に従って東に下って行く。昔の峠道の面影は残っていたが、とにかく落石によるのか、足元はゴロ

ゴロした大小さまざまな石が転がっていて歩きづらい。しかも九十九折れの道はけっこう急な坂になっている。

すると少し遠方だが下の方でズドーンと鉄砲の音がした。何度かその音が続いたところで、『私は黒い服で目立

ちにくいので、赤い服のルリちゃん先頭でお願いします!』と言って、先を譲る。

 

 

 

今は使われていない道とはいえ、これだけ石が転がっている道は初めてだ。これでは時間がないのにスピードが

まったく上がらない。それよりもいつ石を踏み外して転倒してもおかしくない。

何とかそのゴロゴロ石の急坂をやり過ごすと、また『窓』と書かれた道標と石門の注意書きを書いた紙が木の幹

に掛けられていた。

 

 

 

ここからは岩壁の足元を南に向かって歩いて行く。岩壁の岩肌は馬の背の岩尾根と同じように火山角礫岩らしく

デコボコ、ゴツゴツした岩肌になっていた。

するとそのほぼ垂直の岩壁に、ロッククライミング用のハーケンが打ち込まれ、フィックスロープが垂れ下がっ

ていた。たしかさっきの注意書きには国の許可が必要だと書いていたはず・・・・。

 

 

その岩壁の足元を抜けると樹林帯の斜面をピンクのテープを目印に登って行く。事前にみたここを歩いているY

AMAPの活動日記を見て、それほど時間はかからないと思っていたが結構時間がかかっている。

その斜面を登って行くと先に登っていたあっちゃんから声があがった。『着いたよ~!』

 

 

 

 

手前側には大きな石が転がっていたが、石門の奥は平らな場所が広がっていて、何か祭事が行われていたような

形跡もあった。大きさは東の石門より大きく見える。そしてアーチの部分も随分と分厚い。

 

 

奥の広場になった場所には、なにやら文字が刻まれた石が建っていたが解読はできない。

視力のいいルリちゃん石門の上の方にもハーケンが打ち込まれているのを見つけた。手前の岩壁ならまだしも、

許可を届け出たとしても絶対降りるはずもなく、なんという事だ。

 

 

 

広場から石門を眺めながらうろついている奥様に、『バスの時間まで残り1時間です!』と声をかける。

岩壁の足元を抜け分岐まで戻り、あとはピンクのテープに従って降りて行く。

すると割と近くでまたズドーンと鉄砲の音がした。あっちゃんがストックをたたき合わせて音をだすが、

『それよりルリちゃんが叫んだ方がいいよ』といって『お~い!』と叫んだ声が鳴り響いたら、鉄砲の

音は止まった。

 

 

途中でYAMAPの活動日記で参考にした人のルートとは違っているのに気が付いたが、尾根にはテープは続い

ていたのでそのまま超特急で下って行く。

途中から分岐までのゴロゴロ石の道に比べると随分歩きやすい道になり、ますますスピードが上がって行く奥様

たち。その後ろで下りが続いてそろそろ膝が痛み始めたへっぽこリーダーはどんどん離されていく。

 

 

尾根道から地形図に載っている破線の道に飛び出し、そのまま下って行くと40分ほどで、こちら側からの取り

付きとなる元うどん屋の横に飛び出した。すると期間は終わっているが『シカ駆除』の注意書きがあった。

 

 

 

県道から内海ダムまで下って行く。時間的に余裕が出てきたので管理事務所に寄って『ダムカード』をもらう。

 

 

 

さっきまでは下り坂で膝の痛みが気になっていたが、平地になった途端に股の間の擦れが気になり始めた。

こうなったら遠慮なく奥様たちの前で、恥ずかしげもなく股の間の着圧タイツのヨレを直す。(かたやおっさん

、かたやおばさでも、遠慮も恥ずかしさもなくなったらおしましだ)

 

バスの時刻に10分ほど前に着くことができた。『さてさて満員でなかったらいいんだけれど』と話をしている

と、定刻にバスが来た。やってきたバスに手をあげるとなんと満員で、運転手さんが後ろを指さした。その後ろ

からはもう一台バスがやって来て、こちらに乗り込むと意外と空いていてちゃんと座る事が出来た。ラッキー!

 

 

帰りのフェリーはゾウさんからパンダさんに変わっていた。陽が落ち始めた瀬戸内の海をデッキで眺めていると

内海から出た途端に風が強くなり肌寒くなってきたので船内に戻る。

そんなにゆっくり歩いたつもりもなく、休憩時間もそれほど取っていなかったのに、時間的に今回は余裕がなか

った。『今日は少し欲張り過ぎたですね』と奥様たちに言うと、『ぴったり予定通りの時間で良かったですよ』

と言ってくれた。『最後のバスが座れたのがいい意味での誤算でしたね』と言って笑い合った。

 

 

 


ア~那岐山のシンドバット~♫♪

2024年11月14日 | 四国外の山

 

先月西の奥様と石鎚山に登った時に、『来月の13日はルリちゃんが旅行で留守なので、かねてからの懸案だっ

剣山の鬼神の岩屋に連れて行ってください!』と頼まれていたのを思い出した。

ただここ最近膝の調子が思わしくなく、登山道から外れて歩くのは少し躊躇いがあったので、三つほどピックア

ップしてみた。其の内のひとつ『紅葉はイマイチかもしれませんが、山頂からの360度の大展望の山』と銘打

った那岐山にあっちゃんが食いついた。(事前に調べたYAMAPの活動日記には紅葉の様子をアップした写真が

あまり見当たらなかったので)

 

集合場所の丸亀からだと高速を利用するので、2時間強で登山口まで行ける距離。普段出かける四国の山とさほ

ど変わらない。津山ICを降り国道53号線を奈義町へと車を走らせる。

登山口の手前にある『那岐山麓 山の駅』でトイレを済ませて、那岐山登山口第一駐車場に車を停める。駐車場

には車が数台停まっていた。

 

 

駐車場で身支度を整えていると目に付いたのがこの注意書き。『ヌ・ヌ・ヌ8月と言えばつい最近じゃないです

か!』しかもCコースは今から登って行く道・・・・。

 

駐車場からしばらくは舗装路を歩いて行く。道の脇の木々は意外と色づいていていい感じだ。するとまた熊注意

の看板。『そうかここは熊の生息域に立ち入らせてもらってるんだ』

 

 

 

その先で道の右側に蛇渕の滝の道標。その道標の横から脇道に入って沢へと降りていくと、上手に何段かに分か

れた蛇渕の滝があった。

 

 

滝自体は高さもなく小滝といった感じで平凡だったが、渓谷に差し込む朝の光に照らされたモミジが幻想的で、

思わず声をあげて見入ってしまった。

 

 

 

渓谷から道に出る間にもまた熊の注意喚起の看板。しかも今度は写真付き。この後熊注意の看板は度々目にする

事になる。気になったので帰って調べてみると、今年の6月には那岐山から西の広戸仙の登山道で男性が噛まれ

て怪我をしていた。熊被害は北海道や東北の話だと思っていたのにこの辺りでも身近な事のようだ。

 

蛇渕の滝から少し歩くと登山道入り口になる。その取りつきから先でBコースとCコースの分岐になる。YAM

APの活動日記ではBコースとCコースで周回する人が多いが、今日はあっちゃんから山頂からAコースで周回

しましょうと提案があった。Aコース上には慈母峰・八巻山・大別当山があるので、YAMAPの山頂ポイント

を増やそうという魂胆だと思ったので、距離は少し伸びるけど素直に了承従うことにした。

 

 

Bコースの様子は分からないが、Cコースは取り付きからしばらくの間は大小さまざまな大きさの石がゴロゴロ

転がっていて歩きづらい。場所によってはその石を避けて道の脇を歩いて行く・

 

 

 

この那岐山氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されているだけあって、登山道の道標もしっかりした道標が続い

ていく。丸太で作った階段も、先週歩いた龍王山の丸太よりひと回り太くてしっかりしている。

気温が下がってきたとはいえやはり登りではまだ汗が噴き出る。途中で二人とも上着を脱いで登って行く。

 

ゴロゴロ石や丸太の階段をやり過ごすと、少し歩きやすい道になる。途中にあった水飲み場。細い塩ビのパイプ

から流れ落ちる水に手をやるととても冷たく、その手で顔の汗を拭う。

 

 

道は次第に急登になってくるとヒノキの林から自然林へと移って行く。すると上の方から何やら子供の声が聞こ

えてきた。あっちゃんにそのことを言うと、『下から?』と言うので『いえ上からです』と言った先に声は聞こ

えなくなった。

 

 

 

連絡した時は『紅葉は期待できないと思います』と書いてメッセージを送ったが、いやいや嬉しい期待外れ?こ

こまで来ると錦の中の登山道になる。『おかしいな~YAMAPの活動日記にはほとんど紅葉の写真が上がって

なかったのに』と思いながらも、今シーズン最高の紅葉に二人で感嘆の声をあげながら歩いて行く。

 

 

 

 

しばらく登って行くと大神岩の広場で子供たちの姿が見えた。さっき聞こえた子供の声は聴き間違いではなかっ

た。その人数の多さに驚いたのと、ここまで我々でも1時間20分ほどかかっているのに子供たちが、と驚いた。

引率の女性に話を聞くと岡山のあゆみ保育園の年長組さんで、ここからさらに山頂まで登るというのを聞いて、

さらに驚いた。

 

 

大神岩には「大日如来」「不動明王」の文字が刻まれているというので、岩の下を回り込んでみるが分からなか

った。その後岩の上に登ってみると眼下に奈義町の田園風景が広がっていた。

 

 

 

すると私たちが登っているのを見て、園児たちも登ってきた。普通なら危ないので引率の先生は止めるはずなの

に、逆に声をかけてどんどん登らせている。園児たちも慣れた様子で喜んで上がってきた。

段差が高くて上がりづらそうにしている園児のお尻に手を当てて押し上げてあげるが、先生たちはあまり手伝わ

ない。おそらくこの保育園はそういう教育方針なのだろう、多少危なくてもむやみには手をかけずにどんどん外

で遊ばせているようだ。

 

 

 

大神岩からは登山道の雰囲気が変わってきた。登山道というよりは広尾根で明瞭な道といった感じではない。

周りの木々も葉が散って明るさも増してきた。そのせいか風が吹き抜け少し肌寒くなってきたので、この道標の

建つ場所で脱いだ上着を着込む。

 

 

 

 

 

二つ目の神仏ポイントの須佐之男命と刻まれた文字は間近に見る事が出来た。この神仏ポイントから少し上で樹

林帯を抜けて、笹原が広がり始めた。

 

 

 

風はやはり強かったが、陽が当たるので思ったよりは寒くはなかった。スタートから2時間20分で稜線に出た。

 

 

 

左手には真新しいトイレが建っていて、右手には北に向かっての展望台があった。展望台からは西に向かって続

く稜線上に滝山が見える。そして東には那岐山山頂で何人かの人が休んでいるのが見える。

 

 

 

 

 

南東には山頂からの周回になる慈母峰。普通植林地の境界は線上になってはっきりしているが、慈母峰の植林地

は自然林に交わって斑になっている。逆光で陰になった道標が十字架に見える。

 

 

山頂の途中にある三つめの神仏ポイントにはこの山の由来にもなる「伊邪那岐命」のほかに「天照大御神」「奈

義神」の文字が刻まれている。

 

 

山頂の手前に屋根にエントツを構えた立派な避難小屋があった。時間は11時20分。お昼前だがあっちゃんが

『お腹が減ったと』騒がないうちに小屋の中でお昼にする。室内は10度をきっていたが風がない分暖かく感じ

る。

 

 

20分ほど休憩した後山頂へと登って行く。山頂手前で振り返ってあっちゃんに『子供たちはまだ来んやろね~

』と話をすると『ん~来てくれたらいいのに』と。

でも後ろに見える展望台をよ~く見ると、何やらゴゾゴゾと動いている。『いや~もう登って来てるわ!』とあ

っちゃんに言うと『早くこっちまで来ないかな?』と。

するとしばらく見ていると展望台からこちらに来ているのが見えた。そして避難小屋の前で集まっている。

 

 

 

山頂に着いたが360度の大展望どころではない。二人で園児の様子をずっと伺って、『避難小屋でお昼にする

かな?』『こっちでお昼にしたらいいのに』などと言いながら眺めていて、周りの景色を全く見ていない。

すると何人かの子らがこの山頂に向かって走り出した。『キャ~来る来る!』と大騒ぎ。

早い子はやはり走って登ってきた。先に登ってきていた先生と一緒になって『一番・二番・・・』と声をかける。

次々と登ってくる園児たち。ふざけてワザとへばったふりをする子もいたが、息を切らせていても一瞬で治まる

あたりはまるで小さなアスリートだ。そして集合写真を撮るというので自ら進んで買って出る。

 

 

 

 

 

一気ににぎやかになった山頂で園児たちがお昼にする様子。そんな園児たちを見ながらずっと目じりが下がりぱ

なしだった。写真をとってあげたのでこちらも先生に撮ってもらう。

 

園児たちに『バイバイ!』とあいさつをして山頂を後に東へ縦走路を歩いて行く。山頂からしばらくはドウダン

ツツジの並木が続いている。途中で振り返ると山頂、避難小屋そして展望台が見えた。

 

 

 

 

 

Bコースへの分岐の道標を越えて更に東に、1201mの標高点から今度は南に下って行く。ここからがAコー

スとなる。

 

 

 

 

分岐からは慈母峰との鞍部まで300mを一気に下って行く。足元もさほど良くはなく、少し膝に違和感が出始

めた。笹原から樹林帯へと入ると、また彩が目に飛び込んできた。下り坂だが右に左にと細かく足を運んでいる

と次第に暑くなってきた。

 

 

 

陽の当たりが薄くなるヒノキの林の中が体感温度が下がってちょうどいい。

稜線の分岐から30分で鞍部に着いた。林道の脇のススキの穂が陽に当たって輝いている。

 

 

 

さあここから慈母峰までがひと踏ん張り。長い階段状の道が続いていく。中腹位になると段差のある個所は、土

嚢袋を置いて段差を低くしてくれているのが助かる。

 

 

 

鞍部からは100mほどの標高差だが急でほぼ直登。とにかく息が切れるが、周りの彩を眺めながらだと幾分か

しんどさが軽くなる。

 

 

 

階段を登りきると慈母峰までの稜線は平坦な道になる。ベンチの置かれた場所からは、那岐山の稜線と山麓の

風景が見渡せた。

 

 

 

 

 

そのベンチの後ろの木の枝に、小さくて見逃しそうな山名札がかかっていた。山頂近くからこの慈母峰を見た時

に、植林地が斑になっているのが見えたが、那岐山の南面もの濃い緑が斑になっていた。

 

 

 

慈母峰から次の八巻山へと歩いて行くと、こちらも道の両側できれいな彩を見せてくれた。

 

 

 

 

道の横にある大岩を過ぎると尾根の西側が伐採地の頂部になった。伐採地の麓の少し先には朝トイレを使った那 

岐山麓・山の駅が見えている。山の家の手前にはため池が見えているが、他にもあちこちにため池があるのが分

る。ちなみに県別のため池の数は香川が多そうに思えるが、やはり県の面積自体が小さいためか、数でいうと一

位は兵庫県の2万4000ヶ所になる。香川県が第三位で1万4000ヶ所だから、兵庫県のため池の数は圧倒

的だ。そして岡山県は第五位だった。

 

 

慈母峰からしばらく歩くとヒノキの林の中に、こちらは擬木の階段が続いていく。

 

 

 

擬木の階段が終わる途中の鞍部で菩提寺への分岐になっていた。菩提寺には大イチョウがあるそうなので、時間

が早く降りれれば、帰りにちょっと寄ってみようとあっちゃんに話をする。

 

 

更に道標に従って進んで行くと道の両脇に、八巻城跡の説明版が設置されていた。ここには説明版はあったが、

山名の標識や札がなかったが、YAMAPを見ると八巻山になっていたので取りあえず写真を撮る。

 

 

 

この辺りの林も錦のオンパレード。赤からオレンジ、そして黄色のグラデーション。少し薄い緑が混じっている

のもいい感じだ。予想もしなかった紅葉の波に『ご案内はしていなかったですが、割増料金になりますがよろし

いでしょうか?』と冗談であっちゃんに言ってみた。

 

 

 

 

錦の林を過ぎると今度はヒノキの林の中の道。地形図では鞍部まで何度も折れた破線が続いている。その地形図

通りに道は右に左にと何度もターンを繰り返す。

林床から伸びたシロモジだろうか?陽に当たって輝き、陰になったヒノキの幹とのコントラストが、その輝きを

ひときわ目立たせてくれている。

 

 

 

九十九折れの下り坂が終わると車道の上に出た。その車道を跨ぐようにしてつり橋がかかっていた。

橋の下の車道は菩提寺へと続く道だ。

 

 

つり橋を渡ると今日最後の登り坂。これを登ると四座目の大別当山になる。取り付きの階段を登ると、昔十円玉

を入れて右に左にパチンコを打つようにしてゴールさせるゲームを思わせる坂道。その道を登りきると大別当山

の山名札がかかっていた。

 

 

 

四座目をゲットしたのでさっそくもと来た坂を下りて行く。するとつり橋まで戻って来るとあっちゃんが『あ!

標高点まで行けていないわ』と言い出した。言われてYAMAPを見てみると、確かに591mの標高点まで行

けていなかった。『どうします?』と言われたが、もう気持ちは登る返す気にならない。『たぶん、山頂ピーク

はゲットできていますよ』と言って、そのまま車道を下って行く。

駐車場まで戻ると、もう神戸ナンバーの車が残るだけだった。

 

 

 

時間通りに戻って来られたので、途中で話をした菩提寺の大イチョウを見に行ってみる。

本堂から東に立つ大イチョウは今まで見た事もないような大きなイチョウの木だった。根元から何本も分かれた

幹から太い大きな枝が真横に伸びていた。その枝から下に向かって乳のような担根体がぶら下がっている。古木

で時々見られるというが、たしか梶ケ森に行く途中でも『八畝の乳イチョウ』があったと話をする。

樹齢900年となっているが、その樹皮の深い彫に重ねてきた長い年月を感じ、畏怖する感じてしまう。

 

 

 

 

今日は終日頭の中で那岐山とは全く関係ない、ピンクレディーの『渚のシンドバット』のフレーズが流れていた。

思わぬ園児たちとの出会い、そして予想していなかった彩さらにはこの大イチョウと、天候にも恵まれて久しぶ

りの10km近い山歩きに、心地よい疲れを感じながら高速道路を家路へと車を走らせた。


病院で診察のあとにサクッと竜王山へモミジ狩り!

2024年11月09日 | 香川の里山

 

昨年の年末に六甲山で転倒して岩に膝をぶつけてしまい、帰宅後どんどん腫れてきた。ただもう病院は年末年始

でお休み。仕方がないので年が明けて直ぐに駆け込んで、腫れた膝から水を抜いてもらった。

1週間後のMRIを検査をすると内側の半月板損傷だと診断された。幸い重度ではないので薬と湿布薬で保存治

療をすることになったが、薬は約1か月分出るのだけれど、なかなか飲み切れずに結局数ヶ月経って数回行くだ

けになってしまった。

その間鋭い痛みはなく、山に登っていても下りが続くと鈍痛が出る程度だったのが、ここ最近じっと椅子に座っ

ていても、痛みほどではないが何かジンジンするので職場の近くで再検査をしてもらうことにした。

というのも通っていた整形外科の先生、私の通院が不真面目だと思っての事か、こちらが質問してもあまり反応

が良くない。

一度『先生、内側が損傷と言う事ですが、どちらかと言えば外側に違和感を感じるんですけど?』と聞くと、

『おかしいな~・・・・』とだけ。

別日に『先生、最近曲げて伸ばすとポキポキ音がするんですけど?』と聞くと、

『そうやろな~』と。

おそらくこちらから色々と聞きなおすと答えてはくれるのだろうけれど、具体的な説明は聞けそうもない。

また休日はほぼ出かけていて家にいることがなく、地元の整形外科よりも、職場に近い整形外科の方が何かと融

通が効くと思って、今回予約を入れて出かけてきた。

 

問診と触診のあと取りあえずレントゲンを撮ってもらいMRI検査は次回となった。その時に『前の整形外科で

MRIの画像をCDに焼いてもらって持ってきてください、比較をしてみたいので』と言われたので、医院を出

て直ぐに電話を入れてみると、受付の女性が

『何に使われますか?』と聞くので

『別の病院で検査を受けようと思うのですが比較をしたいのでということです。』

『わかりました』と言った後、先生に聞きに行ったのか電話を保留に。戻ってきて

『画像だけでいいんですか?』と言うので『ハイ』と答えるとまた先生の所へ。そしてまた戻って来て

『どこの病院に行かれるんですか?』と聞くので『○○整形外科です』と言うとまた先生の所へ。

 

今時の事、患者側からで色々と問題となることがあるのだろうが、

結局根掘り葉掘り聞かれたけれども了承してくれて、夕方までに取りに来るようにということになった。

 

再検査をしてもらった整形外科でもMRI検査でないと詳しくは分からないが、レントゲンの画像では骨として

は非常にいい状態で、膝蓋骨と脛骨の間の隙間も年齢の割にはちゃんと空いていて問題ないと思いますと言われ

たので、まずは少しは気持ちが和らいだ。

そうなると夕方までにあまり時間はないがせっかくの休み、どこか山に出かけたいと考えて、思いついたのが

王山だった。なぜならYAMAPでもらえるバッジの県別四国の最高峰の山で、阿波竜王山だけバッジがもらえ

ていない。もちろんいつものスタート地点となる奥の湯キャンプ場からは時間的に無理なので、今回は鷹山公園

に車を停めて、そこから阿波竜王山を目指すことにした。

 

とその前にまずは腹ごしらえで久し振りにいこい食堂へ行ってみた。

お昼時、店の前には数人並んで待っていたけど回転がいいのか10分ほどで中へ入れた。案内係の男性は段取り

と愛想がよくて、次々待っている人を中に案内して注文を聞いている。

ここの中華そばは県内では唯一ここだけ、親鳥を卵でとじたスープと具。その中華そばを待つ間におでんの焼き

豆腐(出汁が染みていてこれも美味しい~)を食べているとその内にお目当てが運ばれてきた。

 

無料のにんにくをトッピングしてもらい、噛み応えのある親鳥と少し甘めのスープで美味しくいただいた。但し

私もだが、歯が悪い人には親鳥がけっこう固いので注意が必要。

 

 

腹ごしらえをした後は、食堂から内場ダムの横を通って相栗峠まで走り、少し道幅が狭くなった町道竜王線を通

って鷹山公園に着いた。

 

今日はここから阿波竜王山往復するのではなく、町道竜王線を利用して周回するつもりだったが、さてさて登

山道と町道のどちらを先に歩こうかと考えた。

たしか讃岐龍王山からはけっこう長い急坂になっていたのを思い出して、帰りに登山道を使うと、その長い急坂

を下ることになるので、急登も苦手だが、膝には登りの方がいいだろうと思い登山道を登りに使うことにした。

案の定スタートからしばらくの間長い急登が続いて行く。

 

 

鷹山公園で車を停めた時にメーターには外気温9度と表示されていたので、上着をどうしようかと考えたが、そ

のまま車に置いてきて正解だった。薄手のシャツでも寒くはなく、反対に背中がけっこう汗で濡れてきた。

途中何度か立ち止まって水分を補給する。

すると1005mの標高点辺りまで来ると、登山道の右側が急に開けた。内場川の源流域の谷あいの北と南に伐

採地が広がり以前は鬱蒼として杉やヒノキに囲まれていた登山道が、一気に見晴らしのいい登山道になっていた。

奥の湯キャンプ場をスタートして、竜王山キャンプ場を通るとその上が広大な伐採地になっていたが、その伐採

地越しに高松の市街地が見下ろせる。

 

いつもは下から見ると結構大きな山塊に見える屋島も、ここから見ると小さなこんもりした盛り上がりにしか見

えない。

目線を少し右に振ると、天満ケ原越しに見えるのは矢筈山だろうか?

 

 

暫くの間は伐採地の最上部の作業道と登山道が並行して続いていく。

どうやらこの登山道が香川と徳島の県境になっているようで、伐採地が香川県側となる。

 

 

 

その県境は徳島県側も植林地になっているけれど、杉やヒノキの足元の低木は結構色づいている。

登山道に近い伐採地の最上部で、二人ほど作業をしている人がいたので『こんにちは!』と挨拶をしてをして通

り過ぎる。

 

 

伐採地を過ぎ、珍しく四つに幹が分れた赤松を横目に見て、しばらく歩くと讃岐龍王山に着いた。

讃岐龍王山には三角点はないので、山頂標のすぐ横にあった境界石柱でそれらしく写す。

 

 

讃岐竜王山からは一旦細い丸太でできた階段を下って行く。これがけっこう長い階段で、前にストックを突きな

がら一段一段ゆっくりと、頭の上の色づきを確かめながら下って行く。

 

 

 

この辺りの登山道の右手は貝ノ股川の源流域になるのだろうか?その源流域の谷あいもきれいに色づいている。

阿波竜王山までは丸太の階段が同じように登りでも続いていく。

 

 

途中の笠形山への分岐は昔は峠だったのだろう、縦に割れてひびが入ったお地蔵さんがその面影を残していた。

 

 

 

香川と徳島の県境となるこの道には、以前歩いた時に度々見かけた阿讃縦走コースの札が木の枝に掛かっていた。

次第に道の左側は植林地から自然林になり、紅葉のグラデーションにハッと目を奪われる。

 

阿波竜王山山頂にある展望台。その下に 四等三角点 阿波竜王 1059.77m

いつも思うのだが、阿波竜王山の三角点はまんのう町に位置して、香川県の最高峰となっているのに阿波竜王山

とはおかしなもんだ。讃岐龍王山も香川県になるのなら、西竜王山東竜王山に名前を変えればいいのに・・・。

それにしてもいこい食堂で満腹になったせいか、お腹の浮き輪が大きく膨らみ過ぎている!

 

 

展望台からは手前にちょこんと三角形の頭が飛び出た笠形山。その左にひときわ高い大川山

笠形山の奥には大麻山善通寺五岳が見える。

 

そして間違いなく山座同定ができる飯野山の右には、城山が大きく横たわっている。

 

手前の鉄塔の先端には高松空港。そしてその奥には高松市の市街地が広がり、中央には峰山、そしてその左手に

五色台勝賀山が見えている。

展望台の柱の下には誰かが採ってきたのだろう、大きな大きなサルノコシカケが置き忘れられていた。

 

 

ここでしばらく休憩したかったが、整形外科に画像を焼いてもらったCDを撮りに行く時間が気になったので、

西に向かって町道へと降りていく。

町道に出る手前で急な下り坂があったが難なく下って、あとは下道歩き。

 

 

降り立ったところからしばらくは緩やかな登坂。今は使用禁止となっているトイレのある広場に大きな一本のモ

ミジの木。その横には『生活環境保全整備事業』と書かれた説明版。説明にはかなりの範囲で整備事業が行われ

ているが、書かれている通り『国民生活の安定・向上に資する事を目的とする事業』となっているが、結構な税

金が使われて、果たしてその通りの効果は??

 

 

 

その広場からしばらく歩くと道の脇に龍王神社の道標があった。その道標に従って左上に登って行くと、小さな

小屋のような水婆女(みつはめ)神社が建っていた。水婆女は最初みつはめとは読めずに、ミズババと読むのか

と思っていたら、由緒正しき水の神様の様で、干ばつの際は地域の人で雨乞いが行われていたようだ。

 

 

その水婆女神社の奥にはアメダスと二つの大きな電波塔が並んでいた。その周りの自然林の色づきが何とも言え

ず柔らかくてしばらく見とれてしまった。

 

 

水婆女神社から町道に戻って鷹山公園に向かって歩いて行くと、ここからは紅葉のオンパレード!

整形外科を出た後、もう少し近場の里山でも歩こうかと思ったが、結局この竜王山に変えて来てみて正解だった。

赤からオレンジ、そして黄色へのグラデーションの木。また赤一色に染まる木。緑の葉が混ざっているのもなか

なかいい感じだ。

 

 

 

 

そして途中にあった徳島県立竜王山青少年野外活動センター。こちらもご多分に漏れず今は廃墟となっていた。

全国に同じようなキャンプができる野外活動センターがあるようだが、この施設に限らず近場でいうと、の湯

・竜王山キャンプ場も今はほぼ利用されていない。以前は山中にあったキャンプ場も賑わっていたが、今は平野

部やアクセスのいい場所が選ばれて、少しでも不便な場所はどこも利用されなくなった。そして便利な場所にあ

るキャンプ場は最近はデイキャンプでBBQ場と化している。

 

 

 

野外活動センターからも下道歩きは続いていく。ただ道の脇の次から次と現れる紅葉のお陰で、単調な下道歩き

も飽きることなく鷹山公園まで戻って来られた。

 

 

 

 

 

鷹山公園からの帰り道、こちらも随分前に閉館になってしまった奥の湯温泉(けっこうお湯が良かった記憶があ

る)の横を通り、また内場ダムの横を通って帰路についた。

来週のMRI検査で膝がジクジクする原因が分れば、そして多少歩いても差しさわりがないと分かれば、また気

分的に違ってはくるので、その結果待ちでまた山歩きが楽しめるようになればいいと思っている。

 

 

整形外科に行く前に立ち寄ったコスモス畑が見ごろを迎えていた。

 

 

 


『あの高原にもう一度行ってみたいわ!』と彼女は言った。

2024年11月01日 | 四国の山

 

 

先週に続いて休みが合ってしまった。『・・・・しまった』というのは言い方がおかしいので、休みが合ったの

で、どこにお連れしようかと考えた。先週の剣山では、次郎笈峠から剣山への登りで相当バテていたので、今週

は軽めにと考えていたら、『そう言えば塩塚高原にススキを見に行ったことがあるわね』と仰った。と言うこと

は『もう一度行ってみたい』いや『連れて行け!』ということだろうと直ぐに理解した。

ただ一緒に出掛けた記憶が全くない・・・・のは決して口には出さずに、塩塚高原だけでは時間がもたないので、

他にどこか立ち寄る場所はないかと考え、そう言えば以前から行ってみたいと思っていた毎週水曜日が定休日の

『ハレとケ珈琲』が営業していると思ってコースにプラスしてみた。その近くには紅葉の名所の『竜ケ岳』もあ

るので、様子伺いで車を走らせてみるのもいい。

 

6月に西の奥様たちと歩いて登った時のスタート地点になった『道の駅 霧の森』でトイレをすませて県道から

塩塚高原への道へと入ると直ぐに『ノーベル物理学賞受賞、真鍋淑郎博士の生家』の案内板。

『真鍋さんて知ってる?』と聞かれたが、『さぁ?』と答える。(博士と地元の方すみません)

 

 

そこからさらに車を走らせると『西横井の棚田』。稲刈りを終えた棚田の向こうの山の斜面に、茶畑が続く集落

が見える。新宮はその気候や土質がお茶の栽培に適しているということで、『新宮茶』として特産物になってい

るそうだ。

 

 

 

それまでの山間部の道から高原まで上がってくると一気に景色が変わった。薄曇りの白い空の奥の白い太陽から

届いた柔らかい光に、ススキの穂が銀色に輝いている。

高原の起伏のある台地が幾重にも重なり、一面に広がるススキ原が大海原で押し寄せる波の様だ。

 

 

 

 

展望台による前にパラグライダーフライトライディング場へ車を走らせる。ライディング場からは塩塚峰山頂へ

登って行けるのだが、前回歩いた時に結構急登だった記憶があったので、今回は先週の剣山の事もあるので、無

理はせずに無難にパスして、展望台へと向かう。

あまり天候もよくないが、道の北側は瀬戸内海の島々まで見渡せた。

 

 

 

展望台手前の駐車場に車を停めて歩き始める。駐車場にある公衆トイレは使用禁止になっているので要注意。

緩やかな階段状になった斜面を登って行くと東屋のある展望台にすぐ着いた。

6月に歩いた時は緑の萱原だった稜線は銀色のススキ原に変わっていた。遠目にはそのススキが柔らかい産毛

のように見える。

\

 

 

 

展望台はもちろん遮るものはなく360度の景色。

北側は低い位置に横に続く雲の下に、同じように横に荘内半島讃岐三埼灯台まで続いている。

 

 

西側は塩塚峰の山頂とその手前のピークとの間に見えるのは筒上山。と言うことは塩塚峰山頂の奥には石鎚山

見えているはず。

 

 

 

南は手前にカガマシ山から笹ヶ峰へと続く稜線。その奥に工石山と白髪山が頭を出している。

 

東は国見山の右に、天狗塚から三嶺、剣山と続く稜線。左は中津山の両側に黒笠山烏帽子山。ただ遠すぎて山

容がはっきり確認できない。唯一、烏帽子山だけは同定できた。

 

 

 

駐車場に戻る途中、右側の斜面に紫色の花が咲いていた。遠すぎてはっきりと分からないが形的にはアジサイの

花のように見えた。

 

 

駐車場からもと来た道を戻って行くと陽の光がどんどん強くなってきた。オートキャンプ場まで下ってきたが、

せっかくなのでもう一度写真を撮りに引き返してみたが、あまり変わり映えはしなかった。どうせならやっぱり

青空が欲しかった。

 

 

 

 

銀色に輝く高原のススキを堪能した後は、今日の次の目的地の『ハレとケ珈琲』へと向かう。

高原から山城町に差し掛かると『半田岩』と書かれた案内板があった。車を停めて道の下を覗いてみると川の対

岸に水車小屋。川底には巨岩が並び、そのまわりはモミジの木々。そのモミジが色づいた時はいい写真が撮れた

だろうに、残念ちょっと時期が早かった。

その昔長曾我部軍が田尾城攻略した際に、この地で休憩して軍議を行った。その際この巨岩の一つが膳に似てい

ることから、『飯台岩』と呼ばれていたのが、いつしか半田岩の字が当てられるようになったという。

 

 

(三好市公式観光サイトより)

 

半田岩から順調に車を走らせて県道319号線に出る手前で警備員に車を止められた。『すみません!時間通行止

めで、11時20分まで通れません』と言う。時間は10時50分過ぎ。途中で時間通行止めの看板を見ていたが

今まで見てきた時間通行止めはだいたい50分から00分の間が通行できるようになっていたので、ここもそうだ

と思って、書いている時間を確認せずに走ってきたのが間違いだった。

『どこか迂回路はないですか?』と尋ねると、『1kmほど戻って、田尾城跡の看板に沿って行けば、別の道で国

道に出られます』と教えてくれた。

聞いた通りの道を走って行くと、これがけっこう狭い道でスピードも出せずに、結局迂回するのに15分ほどかか

ってしまって待っているのとあまり変わらなかった。

 

『ハレとケ珈琲』『ハレとケ』。それは、特別な・晴れを意味する「ハレ」と日常の「ケ」。民俗学者である柳田

國男氏が提唱している言葉らしいが、高尚過ぎてあまりよく分からない。

まぁとにかく廃校を利用した施設と言うことで、話をすると奥さんは食いついてきた。

国道32号線の祖谷口から吉野川にかかる橋を渡って、県道32号線を東に走り、松尾川温泉への分岐の200mほ

ど手前で山側へと入って行くと、こんなところに?と思うような場所に立派な鉄筋コンクリートの旧出合小学校の校

舎があった。正門を通って校舎の手前に車を停めて中へと入って行く。

最盛期には500人以上の児童が通っていたようだが、2004年には7人となり、翌年には廃校となった小学校だ。

 

 

 

 

1階の教室の中をそのまま利用して『ハレとケ珈琲』は営業していた。

 

 

 

 

店内は昭和を感じさせるソファーや懐かしい小学校の木製の小さな椅子が並んでいて、黒板にチョークでメニュー

が書かれていた。奥さんは紅茶、私はコーヒーそして初めて食べるカヌレなるものを一緒に頼んだ。

コーヒーは深煎りなのにそれほど濃くもなく、奥深い香りと風味があって美味しかった。

初めて食べるカヌレは表面が固くて一瞬『ん?』となったが、なかはもっちりとして一瞬でペロリ。

 

 

コーヒーを飲んでゆっくりとした時間を過ごした後、竜ケ岳へと紅葉の様子見に車を走らせたが、松尾川温泉

らさらに奥へと走って行くとまた時間通行止めの看板。周りの紅葉もまだまだな感じだったので、そのまま引き

返す。それにしても竜ケ岳松尾川温泉からもけっこう遠くて道幅もけっこう狭くてなかなかの道だった。

国道まで戻ってさてさてお昼はどうしようかと考えながら車を走らせる。そして思いついたのがいつもは朝夕に

横を通るけれど、こちらも今まで立ち寄ることはなかった三好市の八番館

ゆとりのある空間に川沿いの建物らしく大きな窓の下には吉野川が見下ろせた。少し遅いランチになったが、手

作りハンバーグに一味違うデミグラスソース。カリカリ揚がった白身魚に酸味の効いたタルタルソースがとても

美味しくて、けっこう量があったのに奥さんも『美味しい美味しい』と言いながら完食した。

 

 

ランチの時間としては遅かったが、家に帰るにはまだちと早い。どうしようかなと考えた結果、奥さんがまだ一

度も行ったことがないというのでまたひと走り。

奥さんは初めてだというが、私も車で来るのは初めて。いつもは香川側から歩いて登ってくる場所。

駐車場に来るまでの間、そして参道を歩いていると『参道補修費の協力金』のお願いの看板が目立つ。看板に書い

てある通りに納経所で500円を払って参拝する。

参道から歩いている途中ですれ違ったスクーターに乗ったお坊さんが本堂の横に居た。すると納経所の奥から来た

女性が、そのお坊さんに向かって『住職、連絡がつくように携帯電話を持っていてください』と言って怒っている。

どうやら急ぐ用事があるのに住職さんは境内をうろついて、携帯も持って出ていないので連絡が付かずに困ってい

たらしい。威厳のある雰囲気の住職が、年の離れた女性に叱られているのをみて思わずクス!とする。

境内のモミジの紅葉を少しは期待して来てみたが、色づいた木もあったが、全体的にあともう少し先の様だった。

 

 

 

季節に関係なくこの石像『五百羅漢』は見ごたえがある。奥さんも熱心に動画を撮っている。

 

 

 

ここまで来るとやはりあの場所によってみたい。駐車場には『広場に行く人は車を停めないでください』と大きな

看板が立っていたが、駐車場料のお金も払っているのでちょっとだけ寄らせてもらった。

すると奥さんはやっぱり予想通り写真や動画を撮りまくって、うれしそうにしている。

 

 

 

これでニュースにはならないが、今日の私の株価はストップ高となってるはずだ。(ニンマリ!)

 

広場から引き返す途中で目にした木に刺していた活力剤。同じようにそれを見つけた女の子が、『ママ、マヨネ

ーズが刺してるよ!』と可愛らしく言っている。その横で『マヨネーズじゃなくてケチャップやろ』と小声で聞

こえないように言ったおばさん。(おばさんやな~!と、これも聞こえないように小声で言う)

 

境内まで戻って仁王門をくぐって太子堂にお参りする。鐘楼の横のモミジが一番色づきが良かったが、それでも後

少しかな。

 

 

 

陽が低い位置に落ち始め杉の大木の中の参道は少し暗くなり始め気温がさがってきていた。

帰り道、いつも山の帰りに立ち寄る温泉でほっこりと温まって帰る。

 


ウララ♪・ウララ♪♪・ウラ次郎!

2024年10月25日 | 四国の山

 

 

『明日は何時に出発?』と奥さんが聞いてきた。いつものように私が家を出る時間を聞いたのかと思ったら、

なんと自分も出かけるつもりらしい。

テレビで流れた『ヤッホー!紅葉狩りは四国徳島の剣山!』のちょっと古めかしいCMを見ながら、『剣山は今

が紅葉の見ごろらしいよ、行ってみる?』と冗談で話をしたら、なんと本気にしたらしい。

と言うのも、以前に誘って歩いた天円山の山頂からの下りがとにかく怖かったらしくて、『もう山には行かん』

と言ってので、山登りはもうすることもないだろうと思っていたからだ。

それならせっかくなので、そんな過去の話はけっして持ち出さず、ニコニコ顔で出発時間を答えた。その後、準

備物を二人分用意して、カップラーメン用にお湯を入れる水筒から、お湯を沸かすコンロに変えてザックに詰め

た。その横で奥さんは『何を着て行こうか』と楽し気に聞いてきた。

 

天気予報は昼から少し崩れそうな雰囲気だったので、早い時間に出発する予定だったが、奥さん同行となるとや

はりリフトを利用した方が無難だ。そのリフトの営業時間に合わせて車を走らせた。

見ノ越までの途中のスキー場手前まで来ると、北側に雲海が広がっていた。車を停めて写真を撮っていると、後

ろから見覚えのある車がやってきた。そう車からは奥様たち二人が降りてきた。

二人は丸笹山から赤帽子山方面を歩くと言うので、軽く話をして別れた。

 

見ノ越の駐車場は平日のこの天気にもかかわらずけっこう車が停まっていた。そして駐車場の前に停まったバス

からは、海外の団体さんが降りてきた。駐車場は15度前後の気温、こちらは上着を一枚羽織っているというの

に、短パン半袖姿の人がけっこういる。

リフトに乗るのは何年ぶりだろう。登りのリフトに乗るのはおそらく息子が小学生の時に一緒に来て以来だ。

 

 

西島駅から北側は青空も見えて比較的見通しもよく、丸笹山矢筈山の笹原もきれいに見えた。

三嶺の右奥には法皇山系から石鎚山系へと続く稜線も見える。

 

 

 

 

いつもなら刀掛けの松へと登って行くけど、今日一番の目的地は剣山山頂ではなく次郎笈の西斜面、通称?『裏

次郎』なので、次郎笈へのトラバース道を歩いて行く。このルートは目的地への近道もあるのだけれど、徐々に

高度を上げていく緩やかな道なので、歩き慣れていない奥さんにはちょうどいいと思ってなのだ。

次郎笈峠へも峠からのトラバースもゆっくり歩けばまず奥さんからのクレームにならない。その後余裕があった

剣山山頂に登ればいい、そう考え随分と気を遣った計画となった。(今回は必要以上に気を遣う)

 

 

トラバース道の両側には黄色やオレンジ色の彩の中を歩く。ピークは少し過ぎた感じで、足元にはけっこう落ち

葉が積もっていた。ここ数日強い風が吹いたのか、そう言えば見ノ越に来る途中の国道の路面にも杉の枝葉がけ

っこう落ちていた。

 

 

 

すると後ろから来た外人さんのご夫婦に声をかけられた。手元にスマホを持っていたので、二人の写真を撮って

もらいたいのかと思ってシャッターを押すジェスチャーをすると『ノンノン』と言って手元のスマホを指さした。

そのスマホをよく見ると奥さんのスマホだった。『オーサンキュー・サンキュー』(この英語は喋れた)と言っ

て奥さんに手渡すと驚きながら『サンキュー・ベリー・マッチ』と中学生で習った英語で奥さんもお礼を言った。

 

そこからしばらく歩いて東屋の休憩所のある場所まで来ると、先ほどの外人さんの夫婦が道標の前で立ち止まっ

ていた。道が右と左に分かれ道標には右手の道が『山頂』と書かれていた。その山頂と書かれた道標を指さし

『エクスキューズミー』と話しかけてきたので、どうやら二手になった道のどちらに行けばいいのかを迷ってい

るのだと思って、二つの道がその先で合流するジェスチャーをしてあげると、ご主人が『OK!』と言ってにっこ

りした。(英語をしゃべれなくても意外と通じるもんだ)

そのご夫婦とは分かれ、等高線に沿うようにして曲線を描きながら歩いて行くと目線の先に次郎笈が姿を現した。

 

 

相変わらず空は曇り空だが贅沢は言ってられない。緩やかに高度を上げていくこのルートを選んで正解だった。

奥さんも顔は赤らんでいたが、さほど苦し気でもなく歩いている。

 

 

 

時々ハッとするくらい鮮やかなダケカンバや楓の色に二人で『オ~~!』と声をあげる。

普段ここまでの彩を見ることのない奥さんは、度々立ち止まってはスマホで写真を撮っている。

 

 

 

二度見の展望所まで来ると剣山と次郎笈との鞍部の北面の紅葉が目に入る。やはり少し色落ちした雰囲気だが、

それでもこの角度から初めて見る次郎笈の姿に奥さんは感心した様子だ。

ただ稜線の美しい笹原はササコナフキツノアブラムシのせいで、結構な広さが枯死して色が変わっている。

 

 

剣山山頂と次郎笈への分岐からはこのルート一番の景観。次郎笈のどっしりとした山容を正面に、その鞍部へと

続く稜線上に、まるで絵に描いたようなきれいな一本線の登山道が続いて行く。

 

 

 

次郎笈峠まで少しだけ登ると後は丸石方面へのトラバース道。峠で一息入れているとほとんどの人が山頂目指し

て登って行く。そんな中二人だけトラバース道へと進んで行く。

 

 

裏次郎のビューポイントへ行く途中にある一本楓は、日曜日にKyoさんが歩いた時には鮮やかな色で待ち構えて

いたのに、残念ながら今日はもうほとんど散ってしまっていた。

代わりにすぐ上の小さな楓の木には色づいた葉が残っていたので、今日の一本楓はこちらで!

 

 

とはいえ道のあちらこちらで一本楓は見つけることができる。

 

 

トラバース道を次郎笈の西側まで回り込み、その先の小さなピークから振り返ると裏次郎のビューポイントにな

る。こちらもKyoさんが載せていた写真を見るとやはり色落ちした雰囲気だったが、それを知らない奥さんにと

ってはこれでも大絶賛!これで『もう山には登らない!』と言った記憶は消え去り、季節によっては甘い言葉で

お誘いすると喜んで付いてきてくれそうだ。

 

 

 

 

 

裏次郎で錦秋を堪能した後はトラバース道を折り返して戻って行く。

トラバース道から見える次郎笈の北斜面にも、ササコナフキツノアブラムシによる被害で小さなサークルになっ

た色違いの笹が目立つ。

途中で見ノ越の駐車場で見かけた外人さんの団体とすれ違う。すれ違いざまには『コンニチワ』と、片言の日本

語で笑顔で挨拶してくれた。

 

 

次郎笈峠まで来ると反対側の剣山の西側がさらにひどく、広い範囲で笹が枯死しているように見えた。

ササコナフキツノアブラムシは降水量が少ない年に異常繁殖すると云われているが、確かにこの夏は雨も少なく

気温が高かった。ただ気温が低下すると死滅すると云われているので、来年は繁殖せずに美しい緑一面の笹原を

見られることを期待したい。

 

 

 

次郎笈峠から朝歩いてきた分岐まで戻ってきた。お昼を前に剣山からは次郎笈へと向かう人たちが次々と降りて

来ている。取りあえず奥さんに『どうする山頂まで登る?』と聞いてみると、登ると返事。

ただこのあと分岐から山頂まで、奥さんは何十回立ち止まっただろう。その度『大丈夫?』と声をかけるとが、

『とにかく息がきれる』と言う。やはり普段から歩き慣れていないと、これくらいの傾斜でも息が切れるらしい。

本人曰く『自分は呼吸が浅いので』と言っている。

次郎笈峠で11時30分だったので、山頂までは30分くらいでちょうどお昼には着くかなと予想したが、おそ

らくそんな時間ではつかないと諦め、ただただ励ますことに。

ここでしんどさだけが残ってしまうと、せっかく裏次郎までで気分良く歩いていたのが、また『二度と山には登

らん』と言いかねない。

 

 

 

時間も気になったがそれよりも空模様が気になり始めた。南からは怪しげな重たそうな雲が流れて来ていた。

せっかく山頂まで登って、景色のいい西のテラスでのお昼ご飯の計画も台無しになる。

何度も何度も足を止める奥さんを励ましながら何とか山頂に着いた。

山頂での記念撮影を終えて、予定通り西のテラスで久しぶりに持ってきたコンロを出して、カップラーメンのお

湯を沸かそうとすると、コンロの着火の火花が散らない。何度やってもダメなので、ザックの中を探してみるも

ライターも見当たらない。(禁煙する前はライターはいくつも持ってきていたのに・・・・。)

 

 

 

仕方がないので山荘まで移動してお昼ご飯に半田そうめんを頂くことにした。

風の強いテラスから暖かい山荘の中で腰を下ろして、半田そうめんの温かい出汁をを飲みながら奥さんが、『美

味しいね』言うので、先ほどの失敗を埋めるかのように『こっちが正解やったな』と言い訳をする。

 

 

 

半田そうめんを食べ終える頃また外人さんの団体が入ってきた。そうめんをすすりながら団体さんの話を聞いて

いると、どうやらフランス語の様だ。英語もまともにわからない二人にはちんぷんかんぷん!

カウンター越しに注文している様子を見ていると、山荘の人も少し苦戦をしている様子だった。それにしても今

日は何人の外人さんにあっただろう。しかも青い目をした人ばかりだ。

前回登った石鎚山でも思ったが、剣山へもインバウンドの波が押し寄せてるみたいだ。

半田そうめんを食べ終え外に出ると、山荘の前からは北側に雲海が広がっていた。青空こそ見られなかったが、

今日はこの雲海を見られた事で天気は及第点としよう。

 

 

雲海を眺めた後西島駅へと降りていく。階段状になった登山道は歩くペースこそ落ちたが、奥さんには天円山

ような怖さは無いようだった。時間的にはまだ13時過ぎ、下からは登ってくる人の姿が多くみられる。その中

にはやはり外人さん。日本人とは比べもにならないくらい大きなお腹を抱えて汗だくで息を切らせて登っていた。

 

 

 

途中登山口の北東に見えた景色。錦の鮮やかなグラデーションの山肌の奥に、雲海に浮かぶ墨絵のような峰々が

続いている。そして頭の上にも最後の色づきを見せてくれる楓の木。

 

 

 

西島駅まで降りてくると、次郎笈のトラバース道ですれ違った外人さんの団体が、二度見の展望台の方から降り

てきた。それにしても今日はアジア系の外人さんにはほとんど会わなかった。

西島駅から取りあえずどうするか考えたが、奥さんも膝の調子は良くなく、下りの時間はここまでよりは長くな

るので安全策でリフトを使うことにする。

 

 

見ノ越からの帰り道。夫婦池を過ぎた辺りで見慣れた二人組が歩いていた。そう朝会った奥様たちだった。

丸笹から赤帽子山の手前で南に下りて国道へ歩いて、見ノ越そして塔ノ丸の登山口までの線を繋ぐ為に最後歩い

ているとの事だった。

 

奥様たちと分かれて、時間も早かったので寄り道しながら帰る。途中にある葛籠堂のある辺りは、貞光から見ノ

越までの間の最後の集落になる。先週歩いた寺地の集落跡でも見かけたお堂だが、この葛籠堂は道路の横にある

のを通るたびに見かけていたのでせっかくなので写真を撮ってみた。この辺りのお堂は三方が開けたシンプルな

構造だが、その割には屋根はとてもきれいな金属板に葺き替えられていて、地元の人に大切にされているのが伺

える。葛籠堂の道を挟んだ上には『剣山登山・葛籠道入口』と書かれた道標が立っている。今は歩く人もほとん

どなく使われていない道だが、葛籠堂の横には四十丁の丁石が建っているということは、登山以前に信仰の道だ

ったのだろう。

 

 

写真を撮っていると車を停めたすぐ横に停まっていたコミュティーバスの運転手さんが声をかけてきた。

『この奥に葛籠のヒノキがあるから見に行ってごらん!』と言うのだ。

せっかくなので教えてもらった奥の道に車を走らせると、天然記念物と書かれた案内の柱が建つ奥に、四方八方

に枝を広げた大きなヒノキがあった。葛籠堂の横には案内板があったのをいつも見ていたが、寄道してまで決し

て見に立ち寄ることはなかったが、やはり地元の人を話をすると時間をとって見てみようという気になる。

そのヒノキの守り人だろうか、すぐ下にある民家の穀物を干すためのハデの間からは、さらに奥の民家が見えた。

 

まだそれでも時間があったので少し離れた温泉に立ち寄り、ついでに夕食を温泉の食堂で食べる。

特大の海老天丼は今日の歩行距離では絶対カロリーオーバーやな、と思いながら家路に。

 

平野部ではなかなか目にすることのない色とりどりの鮮やかな山の紅葉。そして最後は温泉と、これで奥さん

の『山は嫌な所』という汚名を幾分かは返上できた有意義な(笑)一日だった。


やっと片側だけは肩の荷が・・・・!

2024年10月20日 | 雑記

性格的にどうだろう、なんて思っていた娘がやっと片付きました。

 

結婚式も披露宴もどうだかね~なんて思っていたけど、二人にとっては

大切な思い出の時間。結果やっぱり良かった・・・!

 

両親への手紙で何とか涙腺崩壊にならずに危ないアブナイ。

あと一人残っているけど、いつまでも兄弟仲良く。

 

 

新郎さんどうぞよろしくお願いします!


いっちゅうは・・・『一字』でなく『一宇』と書くのだ!

2024年10月14日 | 四国の山

 

剣山に始めて登ったのはもう四半世紀以上も前になる。登山口となる見ノ越へのルートの国道438号線も昔に

比べると少し道が広がった場所もあって、多少は走りやすくなった気がする。

通い慣れた見ノ越までの途中通過する一宇。つるぎ町に合併する前は一宇村と呼ばれ、最盛期には8000人近

くの人口で商店街もそれなりに賑わっていたようだ。

その一宇の中心市街地の古見から見上げる山一面に展開する大宗と赤松の集落は、おそらく国内でも最大規模の

山岳集落になるといわれている。

前回塔ノ丸を歩いた帰りに時間があったので車を走らせてみた。その時に少し調べていて目に付いたのが、集落

のさらに上にある『宇峠』だった。『宇峠・・・・宇?』ということは麓は当然『一宇』。なぜそう思ったのか。

そう、一宇はいままでずっと『一字』と書くと思っていたから・・・・。ブログにも度々『一字』と書いてきた

ので目からウロコだった。(地図にも道路標識にも一宇と書いてあるのに、思い込みとは恐ろしいもんだ)

それは徳島の親戚のおじさんがイチウのことを『いっちゅう』と言っていたので、わたしも昔から『いっちゅう、

いっちゅう』と言っていた。最初から『イチウ』と言っていたなら間違いは起こらなかったのに、思い込みで単

純に『一字』と書いてしまっていた。結果情けない事に数十年ぶりに誤字に気が付いてしまった。

 

 

その誤字に気づかせてくれた『宇峠』を今回訪ねてきた。ついでに西側にある焼堂峠から志貴岳を歩いて周回し

てみることに。このルートは2010年にこもれびさんがお二人で歩いている。そのレポートを参考にしたのだが、

こもれびさんのレポートにはトラックの記録が載っていない、その上地形図には全く破線が載っていないルート

だったので、とにかくレポートの写真と文章を頭に入れてスタートした。

廃屋となった民家の周りは萱で取り囲まれ、ススキの穂が朝の光に輝いていた。

 

 

スタート地点は集落の最上部に近い赤松にある聖午王神社の少し下のカーブになった場所。カーブの奥からは西

にコンクリート道が続いていた。

 

 

 

コンクリート道が途切れると道の脇に運搬用のモノレールのレールが続いていた。スタートした場所に車が停ま

っていたのと、コンクリート道が荒れていない、さらには谷筋に架けられた丸太の橋が新しかった事から、この

先にはまだ住んでいる民家がある。そう思いながら歩くと予想通り、外周りを獣除けの高いネットでぐるっと囲

った民家があった。その民家の庭先の一段下、ネットの外側を通ってさらに奥へと進んで行く。

 

 

最終民家でモノレールは途切れたかのように見えたが、まだまだ先どこまで続くのだろうと思うくらい延々とレ

ールは続いていた。途中で薄暗い林の中に不似合いな大きな案内板が立っていた。スタート地点にもあった同じ

案内板が立っていたが、その『ウラジロの木』と書かれた案内板の上手に、日本最大といわれるウラジロの木

その根元にお地蔵さんを祭った祠があった。ただもともとウラジロの木は他の木に比べて大きくはないのか、日

本最大にしては迫力にかけていた。

 

 

 

ウラジロの木からもさらにモノレールのレールは続いている。ただ途中で途切れたヶ所が何カ所もあって、この

先にあるだろう民家には人の気配が感じられなかった。

すると陽の届かぬ暗い林の中、前方から歩いてくる人の姿が・・・。一瞬びっくりしたがすれ違いざまに少し話

しをすると、やはり住人ではなくスタート地点に停まっていた二台の内の一台の車の持ち主のようだった。

『峠まで行かれたんですか?』と尋ねると『そこまでは行かずに引き返してきた』という。持ち物にはカメラの

バックのようなものを抱えている。あまり話をする雰囲気でもなかったので、ひょっとすると廃屋マニア(そん

なマニアがいるのかは?)かな、なんて思いながら別れた。

 

 

 

杉林の影の向こうの明るい日差しの中に赤い屋根が見えた。『ん、民家かな?』と思い谷筋を回り込むようにし

てさらに進んで行くと、畑地の跡なのか石垣が現れた。さっき見えた集落が近いそう思っていると道の下手に土

壁の納屋らしき建物。この辺りの畑の農作業で使われていた建物だろう。

 

 

 

道の端には排水用だろうか、側溝らしき蓋が続いている。すると日陰から明るくなった先にお堂が見えた。

見ノ越に行く途中でも集落には同じようなお堂が建っている。三方が開けたお堂には何の神様が祭られているの

だろうか?お堂があるということはこの先に集落があるという事。

 

 

スタート地点にも掛けられていた張り紙。書かれているルールを守れない人が多くいるのか。それでも立ち入り

禁止とは書かずに、『ルールを守って楽しみましょう』とは、優しい言葉だ。

 

お堂の先は急に開けて目の前が明るくなった。どうやら地形図にも載っている『寺地』の集落の様だ。

開けた場所からは南から南西にかけての山々が見える。相変わらず次郎笈の頭には雲がかかっている。少し視線

を右に振ると秋葉山から津志岳に続く稜線が見える。

 

 

先ほど谷筋の反対側から見えたのはこの赤い屋根だった。平成10年にこもれびさんが訪れた際に、すでにこの

集落には住人はいなかった。廃屋の周りは畑はシダが伸び放題で、あと何年もすればこの建物も朽ちて草木に埋

もれて杜に帰ることだろう。

 

 

 

 

航空写真で見るとたしかにこの場所は開けて集落を形成している。しかも赤松の集落よりもさらに標高の高い場

所にある。こんな場所に住む人たちはどんな生活をしていたのだろう、そして何で生計を立てていたのだろうか。

ただその昔に開墾して広げたこの場所も、もうすでに緑の中に埋もれつつあって、その当時の暮らしぶりを垣間

見ることはできない。

地形図ではこの集落のさらに西に、麓から焼堂峠に続く破線が載っている。まずはその破線に向かって歩いて

行くが、次第に道は不明瞭になって行く。倒木や石で荒れた掘割のような道らしき道を、ルートは合っているの

か不安になりながら進んで行くと、小さな谷筋に古い丸太の橋が架かっていた。おそらく焼堂峠への破線へと続

く道だと確信。

 

 

 

さらに先では道が二手に分かれていた。左側の道は明瞭だったがとにかくずっと下って行く様子。それならと右

側の少し荒れた踏み跡を登ってみるが、これが間違いだと気づいたのは結構登ってしまってからだった。

何となく道らしい踏み跡を辿って登って行くが、とにかく急登。積もった落ち葉に足を滑らさないように、登っ

て行けば尾根には出るだろう、そう思いながら登る事20分ほどでやっと尾根らしき場所に青空が見えた。

 

 

 

尾根に出ると一旦焼堂峠に引き返すようになる。稜線上をとにかく辿って西に向かって歩いて行く。途中怪しげ

な間違えそうな場所もあったが、尾根を外さないようにして進んで行く。

 

 

 

すると尾根の北側の窪地のような場所にブリキでできた祠があった。中にはお地蔵さんが二体。

峠ということで祠の北側を覗いてみると、麓に続く道らしきものが見えたが南側はと言うと、尾根の南は広尾根

になっていて少しうろついてみるが、地形図に載っている破線の道は確認できなかった。

 

 

 

 

 

お地蔵さんに手を合わせた後、引き返して今度は尾根を東へと歩いて行く。すると先ほど寺地からむりやり登っ

てきた場所に見覚えのある杭があり、その先で道は二手に分かれていた。左側は下り坂になっていたので、その

まま尾根を登って行く。地表が洗われ木の根が露出している。

 

 

途中けっこうな急登もあるが稜線上は南から涼しい風が吹いてきて、割と気持ちよく歩いて行ける。

地形図にのっている1000mの標高点の場所には木の幹に黄色と赤色のテープが巻かれていた。見当たらない

石柱の代わりの目印だろうか。

 

 

このルートで何度か見かけた『地すべり指定年月日』が書かれた大きな支柱。でもその60年以上前の指定日を

書いただけの支柱を立てて、なにか意味があるのだろうか?大きく両手を広げたような赤松が印象的だ。

 

 

何度かのアップダウンをした後、スタートから2時間30分弱で志貴岳に着いた。三等三角点 三頭 1073.4m

三角点の北側には阿讃山脈とその南に流れる吉野川、そして貞光の街並みが見えた。尾根の下の木々も少し色づ

き始めている。南側も開けているが木々が伸びてあまり景色は見えない。松の木の枝と枝の間に塔ノ丸の笹原は

確認できた。

 

 

 

 

ここで朝食べた菓子パンの残り半分を口に入れる。三角点でREIKOさんがいつも撮っている写真のマネをし

てストックと一緒に写してみる。

 

 

 

ここからは一旦東の小ピークを目指す。そのピークの手前で踏み跡らしき跡がトラバースしていたので、ここで

いつもの悪い癖がでてしまい、楽をしようとトラバースして行くが、結局これも間違っていて、小ピークへ急登

を登る羽目になる。その小ピークからは北東に支尾根が猿飼の集落に向かって続いていて急坂にトラロープがか

かっていた。その途中から今度は南東に宇峠へ進まなければならない。地形図には破線はなく、ルート図もない

状態がこれほど不安だとは思ってもみなかった。(地形図の等高線が少し複雑になっていたので)

 

 

分岐になった場所では右に道らしき踏み跡があったので、半信半疑で下って行くと道は明瞭になり、トラロープ

もかかっていたので、宇峠への道に間違いないと一安心。

 

 

さらに下って行くと目の前に大きな木(何の木だろう?)。太い幹がえぐられたようになっていて、くねった枝

が垂れ下がり、何だか痛々しい。どうやらここが宇峠の様だが、皆さんのレポートに出てくる祠が見当たらない。

すると『宇峠』と書かれた道標の後ろに朽ち果て廃材のようになった阿弥陀堂の跡が確認できた。

 

 

 

皆さんのレポートにはまだ立派な阿弥陀堂が写っていたのに、十年以上経過するとここまで朽ち果ててしまうの

だろうか?その近くにも二つほど何かの跡だろうか、廃材が転がっていた。

 

 

宇峠と書かれた道標と皆さんの写真で見た、庚申塔と地蔵でやはりここが峠だと分かった。

 

 

 

 

阿弥陀堂(跡)と石仏の数からいって昔はけっこうな人の行き来があったように思うが、一宇村と貞光・半田

結んだ峠も阿弥陀堂が朽ち石仏が傾きかけた寂しげな場所になり、今その昔を偲ぶすべはない。

 

 

 

石仏の前から谷筋へと下って行く。このルートは珍しくほとんどテープがない。谷筋の左岸を踏み跡を辿って

等三角点 赤松 725.4mに向かって下って行く。

 

 

 

最初は涸れていた沢も、下まで来るとチョロチョロと水が流れ始め、途中からは給水の管が集落に向かって続い

ていく。

 

 

すると畑地の跡の石垣が道の左手に現れた。畑跡の中に立つ杉の木の大きさからして、耕作しなくなってもう何

十年にもなるのだろう。

 

 

畑跡を見ながら進んで行くと萱原に飛び出した。ただその先には大きな屋根が見える。寺地の集落では廃屋の周

りはシダで囲まれていたが、ここでは背の高い萱に囲まれている。その萱をかき分けながら進んで行くと廃屋の

軒先に出た。たしかこもれびさんがスタートしてこちらに歩いてきてあった民家だ。その時は住人のおじいさん

にたしか道を尋ねていたが、今は・・・・。

 

 

赤松の集落から続く林道の突き当りにある4・5軒ほどの民家はどこも今は住む人の姿はなく廃屋となっていた。

 

 

 

 

その当時も住人の人たちが眺めていただろう景色は今も変わらず青空の下に広がっている。当時は畑で何を作っ

ていたのだろうか?畑に立つ大木の奥にやっと頭を出した次郎笈。その大木の前の畑も今は萱原となってしまっ

ている。

 

 

 

最終民家から舗装路を車を停めた場所まで下って行く。途中のブロックで囲まれた中は墓じまいを済ませていた。

それを眺めながら、子供たちが県外に出てしまった今他人ごとではないな~と思う。

にし阿波に点在する傾斜地にある集落は200ヶ所近くあるといわれている。その集落も今は住人の高齢化が進み

ほとんどの集落では廃屋が多くみられる。

災害が少なく温暖な平野部で暮らしてきた私たちには、なぜそこに?という疑問が湧いてくるが、これから少し

づつ山歩きを兼ねて色々な場所にある残された集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 

帰りにまた一宇の中学校跡を訪ねてみた。そこは中学校と古見の小学校と幼稚園にもなっていた。地上5階建て

の大きな校舎の横には、また大きな体育館。廃校になる前の子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうだった。

 

 

 

そしてお昼を過ぎてお腹が空いているのを我慢して、今まで一度は寄ってみたいと思った貞光にあるお店でお昼

に。愛想のいいおばあちゃんの応対にほっこりしながら美味しいハンバーグカレーを頂いて帰った。


四国の紅葉は石鎚山から・・・・でもね。

2024年10月11日 | 四国の山

 

 

『今年は彼岸花全然見ないね~』とうちの奥さんと話をしていたら、ここ最近気温が少し

下がり始めて、急にあちらこちらの田んぼの畔で目に付くようになった。

やはり今年の夏はかなりの猛暑だったようで、季節の花も咲く時期がずれてしまっている。

そのせいか10月に入っても今度は紅葉の便りが聞こえてこない。いつもなら石鎚山の紅

葉が10月に入って直ぐにWeb上で目に付くようになるのに・・・・。

そうこの時期はやはり石鎚山の東稜コースを登って南尖峰の色づいた岩肌、そして墓場尾

根、最後は弥山からの天狗岳の彩を見てみたい。

ただ来週は事情があって遠出ができない。その次の週になるとさすがに山頂近くの紅葉は

もう終わっているだろう。そう思って少し早いかもしれないが出かけてみることにした。

あっちゃんには『紅葉はまだかもしれませんが、どうしますか?』と連絡したら、『いい

わよ今回の目的はリベンジだから!』と返事が返ってきた。

そうあっちゃんは前々から、昨年自力で登れなかった南尖峰への最後の岩をロープを使わ

ずに登りたいと言っていたのだ。

『それなら今回はリベンジということで』と今回は紅葉の様子は気にせず出かけてきた。

 

平野部では青空が広がっていたが山間部に入るにつれて少しづつ雲がかかり始めた。UF

Oラインでも周りは薄曇りで、子持ち権現の辺りでは青空が見えて期待感が高まったが、

土小屋に着くと周りは真っ白なガスがかかって、いつもは下の駐車場から見える南尖峰

それこそ雲隠れして全く見えなかった。

 

 

 

それでも天気予報では昼には晴れマークがついていたので、そのうちにと思いながら歩き

始める。駐車場は思っていたよりたくさんの車が停まっていて、これから歩き始めるとい

った感じの人の姿も多くみられた。

土小屋までの道中のアスファルトの路面もずっと濡れていたが、登山道も昨日降った雨が

まだ乾いていなくて濡れている。

途中にある細い丸太でできた木道も濡れていてとても滑りやすい。痛めた膝には転倒が一

番怖いが、それよりもあっちゃんが一昨日から腰を痛めてプチ・ギックリになっているら

しくて『足を滑らせるのが怖い!』と言いながら用心深く歩いている。

何も調子が悪いのならわざわざ出かけなくてもと思うのだが、どうしてもリベンジを果た

して今年中には後味の悪さを払拭したいらしい。

 

第一ベンチからもまだ南尖峰さんはお姿を見せてくれない。

事前にあっちゃんには『遅くまで雨が残りそうなので、足元が悪かったら辛い東稜コース

を登るのはやめて、一般道を歩いて弥山まで行ってそこから南尖峰へ。目的の岩を一旦降

りて登り返すという手立てはどうですか?』と話をしていたが、その肝心の南尖峰が見え

ないのではテンションもイマイチ上がってこない。

 

 

 

 

濡れた丸太の木道も危ういが、濡れた岩も油断大敵。まぁ今日はポンコツ二人、ゆっくり

歩いて行きましょう。

 

第一ベンチまでは鶴ノ子ノ頭の北側を巻くようにして続く道だったが、第一ベンチを過ぎ

ると今度は稜線の南側に続く道になり、南の景色が広がってくる。

頭の上には相変わらずガスが重たくのしかかっていたが、南に見える峰々の上には青空が

広がっているので、まだ望みは捨てきれずにいる。

 

 

 

東稜コースの起点となる第三ベンチには見慣れない看板が立っていた。自然保護の注意喚

起の看板だったが、日本語の看板の横には同じ内容の英語で書かれた看板が立てられてい

た。(もちろん英語は読めるわけではないですが)

 

第三ベンチからは先は天狗岳の北壁の下部を回り込みようにして道が続いて行く。

垂直に近くそそり立つ天狗岳の北壁。谷筋には崩れた大きな岩が転がっている。そのせい

か落石注意の看板も立っている。

 

 

 

土小屋から1時間50分ほどで二ノ鎖元小屋に着いた。

後ろから男女が混じった若者のグループが楽しそうに登ってきた。その中に一人だけ年配

の男性が息を切らせて大変そうにしていた。部活動の団体?と思ったが、あとから三ノ鎖

の上で声をかけて尋ねてみると、会社の同僚と年配の人は上司との事だった。なかなかい

い会社じゃないですか~!

 

 

二ノ鎖元からはスチールの階段が始まる。いつもなら鎖場を登って行くあっちゃんも、今

日のこの天気で濡れた足元の上に腰痛では『行きます!』とは言わなかった。

 

 

 

弥山に着いてすぐ山荘にいるさおりんを訪ねた。天気の様子を尋ねたら『朝はいい感じで

晴れていたのに、今日は北側が晴れてこないと難しそう』と教えてくれた。

それでは『南尖峰まで行って戻ってきてからお昼ご飯をいただきます』と言って山荘を出

た。弥山の広場では腰を下ろして休んでいる人が大勢いたが、やはり天狗岳は薄くそれら

しい形が見える程度だった。

天狗岳への取り付きの手前では『どうしようか・・・』と話し合っている人の姿があった。

それもそのはず、真っ白なガスを吹き上げて北壁から突風がものすごい音をたてて舞い上

がっている。まともにその風を受けたら飛ばされそうなくらいの風で、一瞬恐怖すら感じ

るほどだった。それでも一組だけ取り付きの鎖を降りて行く人がいたので後に続いて我々

も降りて行く。

 

 

 

 

いつもなら前にも後ろにも行列ができ、離合するのに時間がかかったりするのだが、今日

はすれ違う人はほとんどいなくて、すれ違う人がいると『ゆっくりでいいですよ、気を付

けて安全に!』と声をかけあう。

ガスのせいで周りの雰囲気は皆目だが、稜線上の木々はけっこう色づいている。

あっちゃんも恐怖心からなのか腰の痛みからなのか笑顔が引きつっている。

 

 

 

途中でGOPROで動画を撮っているペアとすれ違った。『どちらからですか?』と尋ねると、

『東稜コースを登ってきました』と女性が答えてくれた。『笹滝は大変だったでしょう』

と言うと『もうずぶ濡れでした』と。

後日KINチャンネルさんにはその時の様子の動画がアップされていた。(18分57秒辺り)

 

南尖峰でも吹き上げてくる風は強かった。目印の取り付きに立つ白骨林から下を覗き込む。

その白骨林に安全のために一応ロープをかけて、もう一段下の白骨林まで降りて行く。

後ろからあっちゃんが降りてロープを回収。二つ目の白骨林にまたロープをかけ、まずは

左の(下から見ると右側)斜めの割れ目へと降りて行く。

そこから登り返しで登って行くのだが、けっこうな人が中央からではなくこの右側から登

っているけど、手のかかり足の置き場所を少し考える。リーチがあれば全く問題ないが、

後から来たあっちゃんは『体の大きさが違うから!』と文句を言いながら少し苦戦をして

いた。

 

 

 

それでも問題なく登ってまた二人で一旦降りて、今日のリベンジの目的の中央部へ。

昨年は中央の割れ目の足元が悪くて、右斜め上の岩の割れ目に手が届かずに身体を持ち上

げられなかった。でも今日は足元が埋まってきたのか段差ができて、右手を岩に引掛ける

ことができ、硬い身体を持ち上げることができた。一段上がればあとはスイスイ、ロープ

に頼ることもなく『あれ~こんなに簡単だったんだ』

 

 

 

 

もちろんあっちゃんも右側よりも案外簡単に登ってきた。少し拍子抜けしたが二人でハイ

タッチをしてリベンジ達成を喜んだ。

目標達成した途端に奥様が『お腹が空いた~』と騒ぎ始めたので、さおりんのいる山荘へ

と折り返していく。

それにしても東稜コースを登ってきたわけでもなく、この南尖峰の最後の岩だけを登りに

しかも降りては登るを2回繰り返すという物好きな人はいないだろうなと二人で話をする。

ガスがかかって北壁の高度感はまったく感じないが、やはり吹き上げてくる爆風に慎重に

歩いて行く。

 

 

 

この時期いつもなら順番待ちになる天狗岳も人っ子一人いない。

 

 

 

 

前回歩いた時にはなかったような気がするが、岩には所々で矢印がペンキでぬられている。

植生保護で立ち入り禁止になった場所に入らないように誘導しているのかな?

稜線沿いのドウダンツツジも結構色づいている。

 

 

 

天気が良ければ弥山からの天狗岳の紅葉も、そこそこきれいに見られたんじゃないかな?

なんて考えながら歩いて行く。

 

 

弥山の上には大勢の人影が見えるが、こちらに下りてくる人の姿は見られない。

やはりこの強風では危うさを感じているのだろう。

 

 

 

 

山荘ではさおりんが天狗岳カレーを取り置きしてくれていた。そのカレーを頂く前に、

念願のリベンジ達成を二人で乾杯をする。

普段はおにぎりかインスタントラーメンくらいしか食べない小食には、このカレーとクロ

ワッサンは少々多すぎた。さおりんとあっちゃんと三人で山の話をしながら何とか完食で

きたが、お腹周りの浮き輪がまたひと回り膨らんできた。

 

 

 

 

満腹のお腹を抱えながら山荘を出ると『まだ練習中なの』と言いながら、さおりんと山荘

のメンバーが『出陣式』のほら貝を吹いてくれた。その野太い音を背に受けながら山荘を

あとにする。

 

 

まだ乾ききらぬ丸太の階段や木道を滑らないように必要以上に注意しながら降りて行く。

二ノ鎖元まで降りてくると一人の年配の男性が休んでいた。少し話をすると足が攣って休

んでいるとの事。心配したが今日は山頂の山荘に泊まるとの事なので『お気をつけて』と

言って別れた。毛糸の帽子を被った天狗さんが可愛らしい。

 

 

 

結局天気予報に反して最後まで晴れることはなかったが、北側に少し日が差す瞬間もあっ

た。いつもなら特急列車でスピードを出して降りて行く奥様も、今日はさすがにゆっくり

としたペースで降りている。そのおかげで道の脇や周りの景色がよく見える。

ハチクを大きくしたような木に、赤くなったツタが絡んでいる。

 

 

 

道には黄色や赤の落ち葉が散っているが、登山道の本格的な紅葉はもう少し先だろう。

 

 

 

土小屋をスタートして6時間強で戻ってきた。天狗岳の紅葉は恐らくこの週末が見ごろだ

ろう。その時はこの駐車場には停めきれない車が路肩にも溢れているだろう。

リベンジが目的で紅葉は二の次といったものの、やはり弥山から真っ赤に染まった天狗岳

を眺めて見たかったと欲が出てきたのだった。

いつになく対向車の少ない瓶ケ森林道を車を走らせ帰路についた。


ワイワイ・ガヤガヤ、ゆるッと紫雲出山!

2024年09月28日 | 香川の里山

 

今日はお昼からある会が開かれる。故人を偲んで友人・知人が集まってくる。その前に顔

なじみのWOC登山部のメンバーが集まって近くの紫雲出山に登る事になった。

7月の剣山の例大祭の時は山頂でメンバーと会って、下山で何人かの人と一緒に下った。

その前は昨年の正月の大麻山の山頂で待ち合わせをして、この時も一緒に下っただけだっ

たので、スタート時点からメンバーと一緒に登るのは一昨年の夏の白峰寺以来のお久しぶ

りだった。

 

偲ぶ会には30~40名ほど参加する予定だが、登山は17名。その内男性は5名だった。

早速スタート時点の車道歩きから女性陣は賑やかだ。

後ろからくる車に『車が来てるよ~!』と声をかけても話に夢中なのか、避ける気配もな

い。けっこう通る車にまるで小学生の遠足の様で引率の先生の気持ちで気が気でない。

 

暫く車道を歩いた後、黒崎のバス停の手前で南に集落へと入って行く。集落の上に行く程

道幅は狭くなってくる。

 

 

 

コンクリート道が途切れるといよいよ山への取り付きとなる。

最初は里山あるあるで植生は竹林からになり、次第に勾配が急になり始まると周りの樹種

も変わってきた。すぐ横でヤマさんが『腹減った』と言っている。『朝ごはん食べんかっ

たん?』と聞くとちゃんと食べてきたという。いつもなら別の奥様がよく口にするセリフ

だが、そういえばWOC登山部で歩いていた時は、いつも早い時間に二人から聞いていたセ

リフだった。

 

 

暫くの間は落ち葉の積もった急坂だったが、そのうちに周りの草が茂って踏み跡もなく藪

の中へ入って行く。すると先頭にいた女性陣が騒ぎ始めた。

地形図を見てみると少し東側で九十九折れの破線が続いている。どうやら一本西側から違

う道を登って来たらしい。それでも少し藪コキして進んでみると、先ほどまでと同じよう

な道になる。

 

 

途中からは道が階段状になり、トラロープが張られた個所もあり九十九折れの道が続いて

行く。地形図の破線が登山道なら、この道は山頂近くの竜王社への道?

何回目かの折れ曲がりのヶ所で道は二股になっていたが、よく踏まれている道の方へ登っ

て行くと、駐車場から少し上の舗装路に飛び出した。

山さんが以前に登って来た時はこの場所ではなく、もう少し下に出てきたというので、や

はり破線の道とは違っていて、しかも竜王社へは二股になった場所からもう一方の道を登

って行くのかもしれない。

 

 

 

 

舗装路を駐車場へと一旦下って、駐車場横の見晴らし台まで行く。

先週の天気予報では雨模様だったが、曇り空から少しは青空も顔をのぞかせていた。見晴

らし台から積の集落を見下ろす。

 

 

山道から舗装路に出たところで、山頂へ登る人とこの見晴らし台に来る人とに分かれたが、

今いるメンバーで故人がいつも三角点でしていたバンザイのポーズをみんなでしてみる。

 

 

 

 

ここからさらに山頂に行くメンバーと、会の準備をするメンバーとに分かれて、我々は時

間の都合もあって直ぐに下って行く。

 

 

 

時間の都合もあったが、下り坂なのでそれほど慌てて下りることもないので、周りの草花

を写しながらゆっくりと降りて行く。

 

 

 

 

途中にあった竹の橋。丸太の橋はよく見るが竹で作った橋を見るのは初めてかもしれない。

 

 

半分くらい下っただろうか、舗装路に出た。ここから麵法師さんが往路と違う方向へ下っ

てみようというのでついて行く。しばらく歩くと道の脇にポニーを飼っているおじさんが

いた。

 

その馬小屋の少ししたでももう一頭まだらのポニーが草を食んでいた。人慣れしているの

か近づいても触っても逃げる気配がない。それどころか一番最後を付いてきてしまった。

困ってしまって我々が騒いでいる声が聞こえたのかおじさんが迎えに来た。

 

 

 

2時間ほどの里山歩きの後、予定していた人の数以上の人が集まって故人を偲ぶ会は無事

行われた。

最近読んだ芥川賞の『バリ山行』。バリとはバリエーションルートの事で、会社で少し変

わり者扱いされている人がそのバリ山行をしているのを知った主人公。会社の登山部の活

動では物足りなくなり、そのバリ山行に一緒に行かせてもらうことになるのだが、故人は

そのバリ山行をしている人に少し似ているところがあった。

とにかく藪コキは厭わず、目標の三角点に突き進む。最後に一緒に二人だけで歩いたのが

5月だったが、復路で少し登り返しを嫌ってトラバースをしたら最後は藪コキになってし

まった。ただ故人も私もそんなハプニングを楽しむところがあって気が合ったのかもしれ

ない。ちょうどひと回り歳が違ったがお茶目なところがあって、いつも周りを笑わせてく

れた。二人だけで歩いた時は無駄な話はせずに、最近の失敗談なんかを話してくれて笑わ

せてくれた。

ここ最近独り歩きをする事が増え、バリ山行の影響もあってか、今日のように賑やかなの

もいいけれど、静かにゆっくりと自分のペースで歩くのが気が楽で痛めた膝にもいいよい

う気がしてきたので、これからの歩き方をまた少し考えてみようと思う。

 

会の途中で抜けて、計画していた今見ごろだという島ケ峰のソバの花を見に車を走らせた。

会場から1時間あまりで道の駅ことなみに着いた。そこから南に三頭トンネルの手前で左

に折れると『島ケ峰』の標識が立っていた。このソバの花の時期は道は一方通行になって

いるらしく、標識に沿って右に左にとクネクネと高度を上げて行くとソバ畑が広がってい

た。

 

2016年からそばづくりに適した標高800メートルを超える寒暖差の大きい、天空の地まん

のう町「島ヶ峰」で荒廃地の開墾から始めそば畑を造ったそうだ。

先週末には花見の会が開催され大勢の人で賑わったようだが、阿讃山脈を背に白い花畑が

広がる景色は、一度は訪れたいと思っていたのでちょうどの時期に来られて正解だった。

 

 

 

 


Blowin' in the Wind 風に吹かれて塔丸

2024年09月19日 | 四国の山

 

先週計画していた塔丸。お昼前後の天気予報が怪しかったので予定を変更して里山歩きを

したら、これがバテバテの熱中症寸前で暑さにやられてしまった。しかもずっと蜘蛛の巣

に悩まされて、安易に考えたのが間違いだった。

そうこうしているうちに土曜日にエントツ山さんreikoさんらがサクッと歩いていた。

ルートは往復ではなく山頂から名頃へ下っての縦走で、少し雨にも降られて急な下り坂に

女性陣が苦戦している様子だった。

里山の暑さや虫たちからは解放されて、とにかく稜線に吹き上げてくる爽やかな風の中を

快適に歩きたいと思って、今日も昼過ぎから少し下り気味の天気予報だったが、早めにス

タートすれば問題ないと考えて出かけてきた。

ちょうど8時に登山口に着いたらもうすでに何台もの車が停まっていた。

登山口の道標には『塔の丸』と書かれているが、地形図には『塔丸』と載っている。山頂

の三角点も『塔丸』と表記されているが、個人的には『塔ノ丸』がシュッとしていていい

のになんて、どうでもいい事を考えながら歩き始める。

 

 

登山口からは、ダケカンバやウラジロモミの自然林の中を緩やかに登って行く。

この林の中の道、不思議と鳥の鳴く声も一切なく、遠く上空を飛んでいるジェット機の音

と、自身の足音と吐く息の音が聞こえてくるだけの静かな静かな道。あ!そう言えば先週

に続いて今日も奥様たちのいない独り歩きだった。

 

 

 

 

しばらくすると道はトラバース道になり、一カ所だけザレた場所を通過する。(以前より

は随分と歩きやすくなっていた)

 

 

左手に木々の間から明るい日差しが差し込み、稜線の奥にチラチラと太郎さんと次郎さん

の姿が見え始めると、間もなく尾根に出た。

 

尾根に出てもしばらくは低木の木々の間を歩いて行く。すると今度は木々の間からはっき

りと太郎・次郎さんの姿が目に飛び込んできた。

 

東塔丸の三角点辺りからは樹林帯から笹尾根へと変わり、遠く塔丸山頂、そして少し雲の

かかった三嶺の姿が望めた。

 

 

暫くは道の両側は萱原だったが、このルートのシンボルの白い巨岩を過ぎると周りはいよ

いよ笹原尾根になる。すると前を一戸団体のグループが歩いていた。CLとSLを男性が、

その間に女性陣。どこかの山の会だろうか?軽く挨拶をして先に行かせてもらう。

 

 

笹原尾根になると樹林帯ではなかった風が吹いてきた。歌詞の内容は少し難しそうだが、

とにかくBlowin' in the Windのメロディが頭の中に流れてきた。そのメロディに合わせた

わけではないが、気持ちよさそうにススキの穂が揺れている。

 

 

北側を見ると白骨林の向こうに一字の大宗・赤松の天空の集落が見える。ここから見ると

かなり上の方まで集落があるのが見て取れる。高低差500m、1k㎡にわたって広がる

国内でも最大の山岳斜面集落だ。

 

しばらく歩くと尾根の右手に剥皮の被害にあった一本の木。一瞬『クマ?』と思ったが、

この辺りでクマが出た話はつい聞いたことがない。シカによる角こすりだろうか?

 

足元には小さなリンドウがあちらこちらで咲いていた。この花を見るとやはりそろそろ夏

が終わる・・・・そんな気持ちになる。稜線上には時折大岩が転がっている。先ほどの白

い巨岩とはまた色の違う岩がゴロゴロ。

 

 

 

この稜線は笹原と岩と白骨林、そして今の時期は揺れるススキの穂。先週の顔にまとわり

つく蜘蛛の巣ロードとは雲泥の差。イメージ通りの風に吹かれて快適な笹原ロード!

リンドウと共に対照的な色をしたアキノキリンソウもけっこう目に付く。

 

 

 

 

 

次第に山頂部だけが笹原の塔丸が近づいてきた。北側には矢筈山から寒峰への稜線もくっ

きりと見えている。以前歩いた時は天気が悪く見通しが効かなかったので、この間の小ピ

ークを塔丸山頂だと何回か勘違いしてその度『偽ピークに騙された~!』と声をあげてい

たが、今日はこの天気だ山肌の違う塔丸山頂を間違えることはない。

 

 

 

 

山頂の手前にあるワンワン岩を過ぎ、低木の樹林帯を登りつめると 三等三角点 塔丸

1713.01m。 山頂標の文字は消えかかっている。すぐ横にいた男性が『マジック持って

きて塗らんといかんな~』と。

すると別の男性から『ウメバチソウを見なかったですか?』と尋ねられた、この山頂から

二つほど手前の小ピークの岩を指さし、『去年はあの岩の辺りにたくさん咲いていたのに、

今日はまったく見当たらないんです』と。『花音痴の私に・・・?』と思ったが、どうや

ら一眼レフカメラを肩から下げていたので、花好きだと思われたのかもしれない。

残念だったが『ちょっと分からないですね~』としか答えられなかった。

 

 

 

山頂から三嶺はすぐ目の前だが、残念雲がかかって顔を覗かせてくれていない。

取りあえず山名標で写真を撮り、南の平らな岩に腰掛けてチュロスと水筒に入れたカフェ

オレで軽食。途中で追い越したグループはまだ到着していなくて、名頃のダムを見下ろし

ながら静かな山頂でまったりとした時間を過ごす。

剣山から三嶺の稜線には雲がかかり始めていた。天気も気になってきたが、朝来た時にス

キー場跡から先が舗装工事のためも時間通行止めになっていた。時間通行止めはどこでも

そうだが、1時間の内10分しか通行できないので、通行止めの時間に引っ掛かると50

分時間をつぶすことになる。ただお昼休みは1時間あるのでその時間を狙って行けば、通

過するのに時間の余裕がある。時間はまだ10時過ぎなので最後にゴクリとカフェオレを

飲んで腰をあげる。

 

 

 

 

 

山頂直下の樹林帯では剣山やこの山域でも多く見られる、鹿の食害防止のネットで木の幹

が囲われている。

一旦鞍部まで降り小ピークへと登り返す。相変わらず気持ちよさそうにススキの穂が揺れ

ている。

 

 

 

小ピークからはまた快適な笹原歩きが始まる。1682mの標高点を過ぎ、二つ目の小ピ

ークを過ぎた辺りで昨年秋に小島峠から周回した時に下った場所に出た。ルート的にはま

だ先の地形図に載っている町境から下るのだが、前回はショートカットでこの斜面をトラ

バースした。

 

 

地形図の町境の分岐にはよ~く見ると背の低い白骨林に赤テープが巻いてあった。

 

 

 

登山口には12時過ぎても時間通行止めのお昼休みには十分間に合う。天気も意外ともち

そうで丸笹山に並んで剣山次郎笈の雲も流れてしまっていた。

気持ちのいい笹原をのんびりゆっくりと戻って行く。途中の岩の上で一眼レフを三脚に固

定して初めて動画を撮ってみる。

 

 

 

 

 

カメラの設定がまだまだよく分かっていなくて、小さい花を写すのがなかなか難しい。

 

 

振り返るといつの間にか三嶺も顔を出していた。

 

 

笹原が終わり樹林帯に入る。時間的に余裕があるので往路とは違う尾根筋を歩くことにす

る。以前にREIKOさんが歩いたレポートを見た記憶があり、今回エントツ山さんは往路で

他の人たちと分かれて独りで歩いていた。

YAMAPでは道外れの警告がしきりにアップしてくるが、尾根はしっかりとした踏み跡

というかちゃんとした登山道になっていた。

 

 

 

途中尾根の左手は窪地が続いていて、何カ所もの大きなヌタ場になっていた。テープも時

々巻かれているが、境界杭も続いているし道もしっかりしているので必要なのかななんて

思いながら歩いて行く。

 

 

 

 

尾根道に入ってから35分ほどで夫婦池から続く舗装路が正面に見えた。

この道を選んだのは時間的なこともあったが、もう一つは登山口からラフォーレつるぎ山

との間の線を繋げるためもでもあった。

これで丸笹山山頂から見ノ越トンネルの上まで繋ぎ、塔丸山頂から名頃まで繋いだら、ぐ

るっと剣山・三嶺・塔丸・丸笹山の周回ルートが完成する。

 

 

 

尾根道から降りて国道へと出て舗装路をラフォーレつるぎ山へと歩いて行く。これで一応

塔丸、丸笹山間はつながったことになる。

木々に囲まれた夫婦池は風もなく、湖面に青空を映し出していた。

 

 

 

 

 

予定通り舗装工事の時間通行止めを難なくクリアして、次の目的地の天磐戸神社へと向か

う。第一ヘアピンカーブを過ぎて案内板の立つ脇道へと国道から入って行く。

一軒だけあった民家を過ぎると道は少し荒れ始めたが、10分ほどで鳥居の前に着いた。

 

 

不整形な崩れかかった石段を登り拝殿を参拝した後、左奥にある案内版に沿って登って行

くと、次第に周りの景色も何となく霊気を帯びてきたような気がした。

 

 

 

すると石灯篭の先に、三頭峠にもあった猿田彦大神天字受売命の石像が立っていた。

三頭峠のものとは違い、猿田彦大神の鼻はお折れずに長く、天字受売命の胸は開けていな

かった。

 

 

 

二体の石像からさらに上へと登って行くと以前に神楽を舞っていた広く平らな神楽石。そ

してさらに上に石段が続き大岩の下に祠が祭られていた。その祠の奥は大きな洞窟が続い

ていた。この中に天照大神が隠れ籠ったのか?そしてすぐ下の神楽石の上で天字受売命が

上半身裸で踊ったのだろうか?

 

 

 

 

 

天磐戸神社をあとに今日の次の目的地の一字の高根資料館へ立ち寄る。駐車場には車が3

台停まっていて停められず、すぐ下の一字中学校跡の入り口に停める。いつも見ノ越に向

かう途中で見る校舎は5階建て地下一階の大きな校舎だった。高松市内の中学校でもなか

なか見られない大きさで、こんな山間部で当時は学生たちで賑わっていた風景が目に浮か

んでくる。

最近急に興味を持ちだした剣山のアーク伝説の資料が展示されている高根資料館では、住

職が違う部屋で別の方に説明しているらしくて、代わりに奥さんが少し説明をしてくれた。

次は粟飯原住職の話を是非聞いてみたい。

 

 

 

その資料館の坂の上からは向かいに塔丸から見えた、大宗・赤松の集落が見えた。

天空の集落とは果たして・・・・?そう思ってついでに車を走らせた。

集落の坂道をどんどん登って行く。まだ裾野の赤松の集落には住む人の姿は見られたが、

最上部に近い大宗の集落にある民家は、ほとんどが廃屋になってきていた。

かつてはどれほどの人の暮らしがここにあったのだろう。今も残る立派な石積みだけがそ

の当時の旺盛を物語っている。

 

 

 

 

 

 

おそらくその当時の人も眺めていたであろう南に広がる風景の中に、遠く稜線の奥に次郎

笈が見えた。板金で覆われていた茅葺の大きな屋根も、人が住まわなくなると痛み方が激

しい。この大宗の集落だけでなく徳島の山間部の集落は同じような道を辿りつつある。

少し南にある十家の集落は、車道がなくモノレールだけが荷物を運ぶ手段で、道を歩けば

小一時間かかるという不便な場所に今はもうすでに一人しか住んでいないという。

何故?そんな場所に・・・と思うのだが、住んでいる人にとっては・・・・。そんな話を

是非一度聞いてみたいと思い、また次は十家の集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 


世界の中心で大汗をかいた庵治の5座!

2024年09月13日 | 香川の里山
 
今週の水曜日の天気予報は山間部がお昼前後からの天気が怪しく、終日晴れマ
 
ークは香川県のみ。それならと考えていた県外のお山は諦めて里山歩きに切り
 
替えた。里山歩きなら近場を歩いて普段できていない用事も済ませたい。そう
 
思って近所の山を調べてみるが、もうほとんどの山は歩いていて新たにという
 
山が思いつかなかった。ただよくよく調べてみると地形図には載っていないが
 
YAMAPの山頂ポイントに未登の山があるのを見つけた。
 
何年か前にWOC登山部メンバーと歩いた庵治の4座。御殿山・大仙山・遠見
 
山、そして竜王山。その時は竜王山の手前に立石山があるのを見逃している。
 
(ただYAMAPの山頂ポイントにはまだなっていなかった?)
 
そして新たに竜王山の南に毘沙門山・裏毘沙門山がポイントとして追加されて
 
いた。これなら3座ポイントをゲットできるとニコニコ顔で出かけてきた。
 
 
 
近くの里山にしては後からの用事を考えて割と早めに家を出た。
 
牟礼町から丸山峠を越えて庵治町に入って直ぐにあるしろばな公園。海沿いの
 
公園は水際に沿って遊歩道が造られ、公園の中には庵治石のオブジェが飾られ
 
ている。まだ低い位置にある陽の当たり具合で波静かな海と周りの景色の陰影
 
がとてもきれいだ。
 
 
 
 
 
前回と同じように今日も庵治支所の駐車場に車を停めさせてもらう。
 
駐車場からまずは今日の山への取り付きとなる皇子神社を目指して港に沿って
 
ぐるっと歩いて行く。
 
港町の朝は早い。波止場ではもう作業をしている人の姿、そして漁船からのエ
 
ンジンの音が聞こえてくる。
 
 
 
 
 
その途中にある『雨平写真館』は『世界の中心で愛を叫ぶ』で度々出てくる
 
撮影用に建てられた建物で、撮影後に一度は取り壊されたあとに復元された
 
レトロな雰囲気のする建物だった。
 
さらに道沿いにある建物は今は廃屋となっていたが、昭和感の漂うお店があっ
 
た。平坦な道を歩いているだけなのに、ここまでですでに額から伝って鼻の頭
 
からポタポタ汗が落ちてくる。標高の高い山なら気温も低くてまだしばらくは
 
爽やかに歩いている頃だろうが、やはり平野部の暑さはまだまだ油断できない。
 
 
 
 
 
 
庵治港を南から北に回り込むと皇子神社がある。急な石段を『瞳を閉じて~君
 
を描くよ〜』と口ずさみながら登って行くと、神社の前の広場にはブランコが
 
ある。これも映画のワンシーンに出てくるブランコだ。
 
 
 
 
 
庵治の漁師さんの守り神として権現さんと呼ばれ、毎年夏には急な石段をだん
 
じりが降りて、全国的にも珍しいちょうちんで明々と照らされた漁船にだんじ
 
りや神輿や獅子が乗り込む『船渡御』がここからスタートする。
 
 
 
 
 
 
拝殿を参拝した後、その右手横から山の中へと入って行く。高松藩主の松平
 
頼重公の別荘があったことから名づけられた御殿山山頂までは遊歩道が続いて
 
いる。緩やかな坂を登って行くと目の前を小さな黒い物体が横切った。『ウリ
 
坊だ!』と思った瞬間、『ブヒッ』と一声あげて林の中に飛び込んで姿は見え
 
なくなった。ただその茂みの奥から『ビヒッ、ブヒッ』とおそらく親イノシシ
 
のさらに大きな威嚇の声が聞こえてくる。慌てて手に持っているストックをか
 
ち合わせて音をたてながら急いで小走りで歩いて行くと、次第にその鳴き声が
 
遠ざかった。
 
 
 
 
 
 
 
御殿山山頂には見覚えのある東屋があった。ここまで来るとイノシシの恐怖か
 
らは逃れて一息ついた。この時期周りは草木が伸び放題だったが、西を見ると
 
屋島の裾野の奥に高松のサンポートのシンボルタワーがくっきりと見えた。
 
 
 
 
 
 
 
山頂の東屋から一旦下って行くとこの山を囲むようにしてある遊歩道に出た。
 
アスファルトの遊歩道を北に歩いて行くと道の脇に、真っ白な庵治白石照射灯
 
が建っていた。照射灯とは陸上から強い高度の投光器により航路付近の岩礁な
 
ど危険箇所を照射して、障害物の所在を航行船舶に示す施設で、ここでは白石
 
という岩礁を照らしているのだろう。
 
 
 
 
 
その照射灯を過ぎてさらに歩いて行くと道の脇に巨大な花崗岩。大きな頭の下
 
に口があってまるでマッコウクジラを横から見た感じ。
 
 
その先では道の北側が開けて、島影の間を小豆島からのフェリーが穏やかな瀬
 
戸の海を走っていた。
 
 
 
 
 
 
御殿山をぐるっと回り込むと県道に出た。道の反対側の庵治観光ホテルの上の
 
駐車場へ入り、山際の石積に掛けられたはしごを登って行くと、大仙山と書か
 
れた小さな道標が立っていた。
 
 
 
 
 
山の斜面を登って行くと、以前あった耕作地への今は使われていないだろう荒
 
れたコンクリート道に出た。道に沿って登って行くと大仙山の支尾根になる。
 
 
 
 
 
尾根道は樹林帯の中の道。確かに周りの木々が日差しを遮ってくれてはいる
 
が、そろそろ気温が上がり始めて湿度も高いせいか、流れる汗の量が半端な
 
い。足元にはツルボだろうか?薄紫の花が道のあちこちに咲いている。
 
その可愛い花の横をニョロニョロと長い蛇が動いて行ってドッキとする。
 
 
 
 
 
観光ホテルの駐車場から25分ほどで大仙山山頂に着いた。最初に目に飛び込
 
んできたのは瓦屋根の載った石造りの立派な雨乞祈祷所だ。瀬戸内に面した半
 
島のほぼ先にある庵治町は、三方を低い山に囲まれて大きな川もなく、昔から
 
夏になると水不足に悩まされていたのではないかと思う。そのせいか祈祷所は
 
荒れた様子もなく今でも大切にされている気がした。
 
 
 
 
 
祈祷書の横には南に向かって観音様が立っている。その目線の先には普段見慣
 
れた五剣山とは少し山容の違った五剣山の五つの峰が並んでいた。
 
頭の上ではトンビが『ピーヒョロ』と鳴きながら、風に乗って気持ち良さそう
 
に飛んでいる。
 
縄張りなのか大きなクマンバチが頭の周りをグルグル回って、隙を見て刺して
 
こようとしている。その度タオルで振り払うので最後は腕がだるくなってきた。
 
 
 
 
 
 
 
祈祷所の屋根の下の日陰で腰を下ろして一息入れる。ここまでですでに500
 
mlのスポーツドリンクを一本飲んでしまった。今日は残り一本しか残ってい
 
ない。果たして最後までもつか心配になってきたが、幸い竜王公園の駐車場に
 
自動販売機があったのを思いだし、何とかなりそうだと考えザックからもう一
 
本取り出した。
 
山頂から下って行くと庵治町の郊外から笹尾の集落に抜ける竹峰峠に降り立っ
 
た。峠には大仙山山頂にあった立岩の説明が書かれた案内板がある。峠道をま
 
たいで向かいから今度は遠見山へと取り付く。
 
 
 
 
 
峠の取り付きから登って行くと直ぐに南無阿弥陀仏と彫られた石柱とお地蔵さ
 
んがあった。この峠もそうだがここから先の峠も新しく道が造られ切り通しに
 
なっている。従来の峠道だった場所は今の峠から離れた場所だったようで、今
 
切り通しになった峠からは少し離れた場所にお地蔵さんが立っている。
 
お地蔵さんから少し先には石祠。こちらは台座が新しい庵治石で造られてい
 
た。先ほどのお地蔵さんの南無阿弥陀仏と彫られた石柱といい、この台座とい
 
い、さすが庵治石の産地だけある。
 
 
 
 
 
石祠を過ぎると道には巨石が点在し始める。香川の里山の尾根ではよく見られ
 
る風景だが、この道の岩はとにかく大きさが飛びぬけてデカイ!
 
こんな巨大な花崗岩が露岩となるのはどうなってなのか、また一度興味がるの
 
で調べてみたい。
 
それにしてもこの道筋は蜘蛛の巣だらけだ。毎回毎回ストック振り払うが、う
 
っかり見逃すと顔にそのままベタ~とまとわりつく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そのうちに尾根の南側に平らな展望岩が見えた。その展望岩の端に立つと庵治
 
町ののどかな田園風景の奥に屋島が見える。平らな岩の横にある小さな岩に腰
 
掛けて、ズボンの下が暑気していた着圧のタイツを脱ぐ。ここ最近は着圧タイ
 
ツのせいで同じように暑気がしていたので、ショートのパンツをはいていた
 
が、今日はこの時期草木で道が荒れていたらと思って、普通のトレッキングパ
 
ンツをはいてきたのが間違いだった。タイツを脱いだお陰でズボンの中が急に
 
体温が下がったような気がした。
 
 
 
 
 
展望岩からさらに先に進むと、今度は北側の景色が広がり西鎌尾根と書かれた
 
道標の横にテーブルとベンチが置かれていた。
 
波静かな瀬戸内海の青い海の向こうに小豆島が横たわっている。星ケ城を最高
 
地点とする峰々をよ~く見てみると、その東端の千羽ケ岳の山頂の下に見覚え
 
のあるちょこんと尖った峰が何となく見える。デジカメの望遠で見ると、セニ
 
ョさんと二人で登った親指岳だった。
 
 
 
 
 
西鎌尾根から八幡神社の道標の建つ分岐を過ぎると今日三座目の遠見山に着い
 
た。山頂からは南に五剣山。西にはこれから行く立石山と龍王山が見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この遠見山山頂は屋島城ができた奈良時代にはのろし台があった云われてい
 
る。その狼煙を焚いた場所だったのか広場の手前には窪んだ場所があった。そ
 
こから見える屋島は本当に平らで屋根の形をしている。反対に五剣山の峰は指
 
を閉じて小指を立てているように見える。
 
山頂広場には丸太を横にしたベンチがある。ここでも水分補給と小休止。ただ
 
水分を採ってもなかなか息切れが収まらない。
 
 
 
 
 
 
 
山頂から少し下って行くとまた見晴らしのいい展望岩があった。ここからは下
 
に鎌野の集落と港が見える。先ほどの西鎌尾根の展望台はこの鎌野の集落から
 
名づけられたのかもしれない。当然だが槍ケ岳の西鎌尾根とは関係ないだろ
 
う。東側に見える竜王山と手前の立石山。おむすびの形をした立石山は山頂ま
 
でひと登りありそうな形をしていた。
 
 
 
 
 
 
 
それにしてもこの遠見山山頂の前後には巨岩が多くみられる。遠目に全景を移
 
したのではその大きさは分からないと思ってストックを置いてみた。1m15
 
㎝に伸ばしたストックと比べると、やはり3m以上ある大きな岩だ。そして他
 
の山でもよく見られる大きく縦に割れてその隙間に落ちずにいる小さな岩が複
 
雑に風化する花崗岩の特質を現している。
 
 
 
 
 
 
 
 
この大岩を過ぎるとウバメガシの林の中の尾根道となる。足元は花崗岩が風化
 
してザラついたとても滑り上に、ウバメガシの小さな乾いた葉がさらに滑りや
 
すくしていた。ただ今日は独り歩き。慌てることもなくとにかくゆっくりゆっ
 
くりと下って行く。すると目の前に立石山らしいピークとその下にアスファル
 
ト道が見えた。下って行くときれいな花が供えられたお地蔵さん。さらに下り
 
て行くと奥ノ坊峠と書かれた道標があった。地形図には線がなく、新しく舗装
 
路がついているがこの場所も昔から南北の峠だったのだろうか。里からは少し
 
離れた場所にも関わらず、こうやって花が供えられているのを見ると、地元の
 
方の信仰心の深さを感じる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舗装路から立石山へと取り付くと直ぐにこちらにも馬塚とお地蔵様。遠見山か
 
ら見えた通り立石山へは花崗岩の風化した滑りやすい急登が続いている。
 
汗の量もそうだがとにかく息切れが酷い。そういえばどこかの山で最近同じよ
 
うになったな~と思いながら一歩一歩踏み出し登って行く。
 
 
 
 
 
 
 
山頂近くなるとほとんど『ハアハア、フウフウ』と息遣いがとにかく荒い。
 
それでもやっと着いた立石山は素晴らしい景色で出迎えてくれた。木々が伐採
 
され正面に見える小豆島には、空高く登った入道雲が覆い被って、その上には
 
青々として澄み切った夏空が広がっていた。
 
 
 
 
 
立石岩から下って行くとまた巨岩が転がっていた。そのうちの一つの女郎岩と
 
名付けられた岩にはその手前で道標がかかっていた。
 
道標の矢印の方角に少し下って行くと、女郎岩と名札がかかった巨岩があっ
 
た。『ん・・・?これが女郎岩?』と思いながらその横を通って更に下って下
 
から眺めてみるとなるほど・・・・。おかっぱ頭の女性に見える。
 
 
 
 
 
 
 
 
女郎岩から引き返し東に下って行くと車道に出た。車道から見える二つの山が
 
毘沙門山と裏毘沙門山だろうか?
 
 
 
 
 
竜王公園へと続く車道を歩いて行く。登坂の続く道、日陰を選んで歩いて行く
 
が今まで以上に息切れが酷い。2本目のスポーツドリンクも飲み干した。これ
 
で公園に自販機がなければ万事休すだ。
 
 
 
やっとの思いで着いた竜王公園の駐車場のトイレの横に、待ちに待った自販機
 
があった。今までスポーツドリンクで口の中が甘だるくなっていたので、ミネ
 
ラルウォーターを買い求める。自販機から音をたてて落ちてきたミネラルウォ
 
ーターは取り出すとバッチリ冷えていて、早速すぐ横の東屋の下でゴクゴクと
 
半分以上飲み干した。飲んだ後にこれではまた足りなくなると思ってもう一本
 
慌てて買い足した。東屋の先にある展望広場からはまた瀬戸内海の絶景が広が
 
っていた。普通ならのんびりとこの景色を楽しんでいるところだが、今日はす
 
ぐに東屋の日陰に戻ってまたミネラルウォーターをゴクリと口にする。
 
 
 
 
 
 
お腹の中でタプタプといい始めたので、重い腰を上げて公園へと歩いて行く。
 
いつもなら芝生の丘の中を石のオブジェを眺めながら登って行くのだが、遮る
 
ものがなく日差しのキツイ公園を歩く、そんな余裕もなく歩きやすい舗装路の
 
日陰を選んで歩いて行く。一応舗装から見えた石のオブジェを遠目から写真に
 
撮ってみた。
 
 
ただ公園の小高い丘の上にある見晴らし台へは日陰となる道は階段を登って行
 
かなければならなかった。ここでもうほとんど熱中症状態。汗の量と息切れが
 
半端ない。水分は十分に採ったつもりだったが、その量に対して塩分をほとん
 
ど採れていなかった。
 
やっとのことで登った腕時計の形をした見晴らし台でも容赦なく日差しが照り
 
付ける。360度の屋島・小豆島そして志度湾の大展望を楽しむ余裕もなく早
 
々に次に向かって見晴らし台を降りて行く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
時間は10時55分。愛嬌のある日時計の鳥は11時を指していた。
 
 
 
 
見晴台から南に公園の道を歩いて行くと兜を被った武神像が祭られた竜権さん
 
がある。明治の時代に日蓮宗の信者によって『南無妙法蓮華経 』のお題目と
 
八大竜王が祭られ、武神像が刻まれたそうだ。
 
尾根道を南に下って行くと目線の先に裏毘沙門山が見えた。ただここまででも
 
うほぼ限界。下っているのに息切れが収まらない。
 
 
 
 
 
 
 
 
これ以上歩いて登っても、まだ車を停めた駐車場まではけっこう距離がある。
 
そう思って今回は残りの2座を諦めた。
 
車道に降り立つ手前で岩をくり抜いてお地蔵さんが立っていた。今日のコース
 
上では、すべての峠にお地蔵さんが祭られていた。峠とい云ってもそれほどの
 
高さでもなく、町から集落へもそれほど人の行き来があったようには思えない
 
が、それでも行き交う人の安全を祈って見守っている。
 
 
 
ここから庵治支所までは舗装路歩き。車道を右に左に日陰に沿って下って行く。
 
しかし先ほどと同じように息切れが激しくなるばかり。木々に囲まれた山の中と
 
比べると、アスファルト舗装の路面の温度は高い。
 
途中一度日陰で少し風が吹いてくる場所で、大の字なって寝そべった。里山だと
 
思って履いてきた、ショートの靴は靴底が柔らかくて、足の裏が酷く暑く熱を持
 
っていた。靴も靴下も脱いで大休憩。
 
 
 
 
 
しばらく休んで気を取り直して舗装路を下り郊外の平地になると、今度は日陰が
 
ない。道の脇の建物でできた日陰で何度も何度も立ち止まって休みながら、何と
 
か支所の駐車場にたどり着いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
支所の建屋の横には『世界の中心で愛をさけぶ』のロケ地の大きな案内板が立
 
っていた。その中心で愛は叫ばなかったが、ただただ大汗を掻いた一日だった。
 
まだまだ里山歩きには厳しい気候だと思い知らされた。
 

涼風求めて四国カルストの高原へ!

2024年09月05日 | 四国の山


ここ2週間はあまり昇り降りのない場所を選んで散策してきたが、相変わらず

膝の調子は代り映えがしない。無理ができないのを察してか奥様たちから負担

の少ない四国カルストで花散策はどうですかと連絡が入った。四国カルストの

天狗ノ森なら高低差も250m位歩行距離もさほどでもない。ただ車での移動

距離と時間に今まで二の足を踏んでいた場所だった。

それでもYAMAPでアカリプタさんがアップしている活動日記にはたくさん

の花と四国らしからぬ雄大な風景写真が載っていて、奥様たちは花、私はカル

スト台地に魅了され、出かけることにした。

四国カルストはずいぶん昔に友人と二人で『四万十川源流』を訪ねて車で走っ

た際に、キャンプ場でテント泊して以来だった。その時は四万十市(旧中村

市)からスタートして四万十川に沿って遡上して行ったが、今回はGooglMap

で調べると、須崎市から西に国道を197号線を走って行くルートが出てきた

。そのルートを辿って確認していくと、途中で『白龍湖』なるポイントが目に

付いた。そのポイントをクリックして出てきた写真には、少し怪しげだが透明

度抜群の小さな湖の写真が何枚も出てきた。一応立ち寄り場所としてチェック

して家を出た。

高速を須崎で降りて津野町に向かう国道197号線へ右折する交差点の『道の

駅かわうその里すさき』でトイレ休憩。すると交差点に葬祭場の『〇〇家ご葬

儀会場』と書かれた看板が立っていた。その〇〇家の苗字見て、須崎市の近く

に居る大学時代の同級生を思い出した。その時は須崎市には〇〇と云う苗字が

多いのかな?と思っただけだった・・・・・が。

トイレ休憩を終えて197号線を西に走ると直ぐに道の両側にたくさんのビニ

ールハウスが並んでいた。後ろの座席で奥様たちが『何のビニールハウスだろ

うか?』と話しているがはっきりとした答えがでない。(帰って調べてみると

須崎市はミョウガの栽培は全国一の販売額になっているそうなので、ミョウガ

かな?)

国道は新荘川に沿って続いて行くが、途中津野町で北に国道439号線(ヨサ

ク)を今度は北川に沿って走って行く。すると途中のポイントにしていた大き

な目印が目に飛び込んできた。巨大な竜のオブジェと与作と名付けられた狸の

像。これらの像の横を通って中に入って行く。白龍湖は津野町で建設業を営む

野波さんが、『家族や地域の方の憩いの場所になれば』と私有地の天然の淵を

整備して作り上げた人工の湖だそうだ。




入り口で協力金を箱の中に入れて進んで行く。河原に続く砂利道を下って行く

と、眼下に写真で見た通りの透き通った小さな湖が見えた。



そのまま下って行き、矢印の道標に沿って歩いて行くと、湖のちょうど真ん中

にベルトコンベアの廃材で造られた橋が架かっていた。






石灰岩を多く含んだ地質と太陽の光の関係で水がより青く見えるそうだが、湖

の中を覗くと、結構ふくよかな鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。





湖の深さはさほどではないが、それでも底まで透き通って見える。












仁淀ブルーのにこ淵は大勢の観光客で賑わっているけれど、この白龍湖はほと

んど知られていないのが不思議なくらいとても素敵な場所だった。またまだほ

とんど観光化されていないのがかえっていいのかもしれない。






白龍湖をあとにして国道をさらに北上。途中、郷内の集落から県道に入って次

第に標高をあげていく。クネクネした道になった途端に後ろの座席のあっちゃ

んが目を閉じ黙っている。いつものように車酔いが始まったか?

それでも20分ほどでなんとかやり過ごして『星ふるヴィレッジTENGU』の

駐車場に着いた。駐車場は施設が休みのせいか数台停まっているだけで閑散と

していた。






駐車場の奥にある天狗高原キャンプ場からスタートする。キャンプ場の真新し

い綺麗なトイレの横を通り、最後のコテージの脇を抜け展望休憩所のデッキを

過ぎると自然林の中の道になる。





林床は笹だったが、道の脇には小さな草花があちらこちらで咲いていた。

奥様たちは事前にアカリプタさんの活動日記にあげている花の写真を見て勉強

してきたと仰るが、その割には花の名前が全く出てこないので、ネットで調べ

る有様。









天狗ノ森の尾根に乗っかると左に折れて行った先に見晴らしのいい場所があっ

た。少し木々に遮られてはいるものの、天狗高原の緑の草原と白い岩肌の石灰

岩が見えた。




見晴台から引き返して尾根を道標に従って進んで行くと、今度は道の南北が開

けた場所に出た。少し岩場になった場所。前から歩いてきたご夫婦とすれ違い

ざまに少し話をする。道の脇の岩の上にヒョイと上がって北を見ると、遠くに

天空の赤鳥居のある中津山が見えた。振り向いて南を見るがこの辺りは全く土

地勘もなく見える峰々の山の名前が分からない。山頂近くが三角になった山は

不入山だろうか?








この辺りから石灰岩の露岩が目立つようになってきた。長年の水による溶解や

風化で、岩の形は複雑になっている。







しばらく歩いて行くと天狗ノ森の山頂に着いた。三等三角点 栂山 1484.87

m。ここで一旦行動食を口に入れたあと、折り返して途中にあった分岐まで戻

る。




道の脇からは石灰岩の露天掘りとしては日本一の産出量を誇る鳥形山の鉱山が

見えた。この鉱山、航空写真で見てみると東西はこちらの四国カルスト並みの

距離があるのが分かる。そして南北の幅はかなりの幅で、とてつもない広さだ

というのがよく分る。






分岐からは東に天狗ノ森の山頂の下を通って下って行くようになるが、地形図

では山頂から東で破線が続いていて、この道は表記されていない。ただその割

にはしっかりとした登山道になっていた。しばらくは道の所々で異形の石灰岩

の露岩がある。






東に向かっていた道が西に振ると樹林帯の中の道になり、周りの景色も変わっ

てきた。林床の笹原の中に続く道はきれいに整備され、山頂までの尾根の道と

はまた違ったとてもいい雰囲気の道だった。










道は地形図にも載っているセラピーロードに合流した後、西に向かって駐車場

まで続いている。途中でロープの張られた場所があり、『ひょっとして?』と

思って見てみると、活動日記にも載っていたキレンゲショウマの咲く場所だっ

た。

残念なことにすでに花は終わっていたが、道の反対側に一輪だけ残ってなんと

か咲いていた。




さらにその先では四国のみちの道標が目に付くようになり、足元はヒノキのチ

ップが敷かれていた。全国に30カ所ある『森林セラピー基地』の中で標高が

1,300mという最も高い位置にあるセラピーロード。木漏れ日の差す中気持ち

よく歩いて行く。




尾根の分岐からセラピーロードに出て、そこから45分ほどでキャンプ場まで

戻ってきた。スタート時点と比べると駐車場の車の台数は増え、若い人たちが

南に広がる景色を写真に撮ったりしていた。車の横でザックを下ろして昼食に

する。

昨日会社の帰りにマルナカによって、さてさて何も食べようかと考えて、塩塚

高原であっちゃんがインスタントの焼きそばを買ってきたのを思い出した。今

回も高原。高原つながりで焼きそばもありだと思って買ってきたら、横であっ

ちゃんがザックから取り出したのが同じ『一平ちゃん夜店の焼きそば』だっ

た。その横でルリちゃんは冷やしたうどんを食べている。







昼食の後は車で移動して先ずは天狗高原、そして五段高原を走って行く。

緑の草原に白い石灰岩が転がる中を、黒い牛たちが草を食んでいる牧歌的な

風景が続いていく。道の所々で脇に車を停めて観光客がこの景色を写真に収

めて楽しんでいる。







今日二つ目の三角点となる五段城の山頂へは、GoogleMapでちょうど『四国

カルスト』とポイントの付いた場所から登って行く。

路肩が広くなった場所に車を停めて、道の北側の鉄条網と鉄条網の間に尾根

道が続いている。





道沿いにはシコクフウロがそこかしこに咲いていた。そしてあちこちに油断

すると踏んずけそうになる大きな大きな黒い糞。ただその形からして牛さん

のではなさそうだが、果たして誰の?







山頂にはゆっくり歩いて15分ほどで着いた。大きな山頂標の文字は消えかか

っていたが、その前で『ハイ、ポーズ!』  二等三角点 丸山 1455.66m








本当は雲一つない青空を期待していたが、雲が日差しを遮ってくれてかえって

ほとんど汗をかくことなく涼しく歩けてこれはこれで良かった。







車を停めた場所まで戻り、近くに居た牛さんを見物しに歩いて行く。牛さんは

人なれしているのか、すぐ横まで近づいても逃げようとせず、少し腰のあたり

を触るとしっぽを振って叩かれた。





今日の目標の三角点とYAMAPの山頂ポイント二つをゲットした後は、次の

奥様たちの目標はソフトクリームのゲット。車を高原の中さらに西に走らせて

姫鶴荘の横のキッチンカーで目標達成!








帰り道は少しだけ遠回りして、今度は私のリクエストの梼原町の隈研吾の建築

物見学。雲の上の図書館と雲の上のギャラリーで日本建築の木組みの美しさを

再確認した。









その後最後に気になった所へ寄り道するのを奥様たちの了解を得て車を走らせ

た。朝須崎市で葬儀社の案内板で思い出した、市の隣町にある同級生のお店だ。

須崎市からすぐ5分ほどで着いたお店は、以前来た時と比べると店舗は縮小し

ていて、中に入って『〇〇さんいらっしゃいますか?』と店員さんに声をかけ

た。すると店の奥から出てきた同級生。『ちょうど良かった今葬式から帰って

きたところや』と。『誰の?』と聞くと『親父の葬式だった』と答えた。

『そうか朝見た葬儀社の案内看板は同級生の親父の葬式だったんだ』

いつもは明るく元気はつらつな子だったが、やはり少しお疲れ気味の様子だっ

た。しばらく店内を案内してもらい、奥様たちは買い物を済ませて店を出た。


家から片道3時間30分、やはりけっこう遠かった四国カルスト。いつもに比

べると山歩きの時間は短かったが、途中や帰り道にあちこち寄り道をしたの

で、家に着く頃は既に陽が落ち夕闇が迫っていた。久しぶりにたっぷりと遊ん

だ一日だった。



今日見た花たち




台風10号が来る前にウオーキングで満濃池へ

2024年08月29日 | 香川の里山

先週も早い段階で天気予報の雨予想でお山はお休みにした。今週も台風10号

が上陸するかもという予想で、奥様たちにはお休みの連絡をした。

ところがその10号の歩みが遅くて、今日一日はどうやら曇りの予報に変わっ

た。それなら少しは歩いておこうと考えて出来るだけ平坦な道でウォーキング

しようと思い、満濃池の周遊道を選んだ。

できたらウォーキングが終わったら少し足を延ばして宝山湖の青い睡蓮も見て

みたい。そう考えて曇り空の下車を走らせ出かけてきた。

満濃池森林公園の駐車場に車を停めてスタート。駐車場の横のトイレは建て替

え中で使用不可。その奥の大屋根のテーブルとベンチでは、数人のおばさんた

ちが賑やかに雑談中だった。

駐車場から車道に出て南にしばらく歩いて行く。少し下って途中に左手に入る

小道があったので適当に入って行くと周遊道にでた。

周遊道は要所要所で現在地に番号が振られたMAPが立てられていて、その

MAPには2~6kmほどの5つのコースが書かれていた。




2022年に完成した周遊道だが、この時期さすがに雑草が伸び放題の場所

もあり、一般の人が歩くには・・・・?かな。


樹木に囲まれた周遊道は日陰の道が続いているが、それでも蒸し暑さのせいで

額からはぬぐってもぬぐっても汗が流れ落ちてくる。熱中症にならないように

コマめに水分を補給しながら歩いて行くが、頭の上のミンミンゼミの大合唱が

なお一層暑さを助長してくる。

この周遊道はこれで3回目で、前回までは歩いた野鳥の森には寄らずにそのま

ま歩いて行く。







この周遊道は途中から今は閉鎖された『こんぴらレイクサイドゴルフ場』の

中を通っている。ゴルフ場はフェンスで囲まれて太陽光発電所に変わっている

が、歩行路やカート道に敷いてあった養生マットがその面影を残している。









そのフェンスに沿って歩いて行くと注意喚起の看板。たしかに急な坂なので

カートが下りでスピードを出し過ぎると危ないと感じたが、いったいどんな

事故が起こったのか興味が湧いてくる。





少しアップダウンをしながらゴルフ場の中を進んで行くと目の前には立ち入り

禁止のフェンスが現れた。本来なら先ほど左手に見えた道へ曲がらなければな

らなかったのに、うっかり進んでしまったようで直ぐに引き返す。







突き当りから引き返して通り過ぎた場所から脇道へ入って行くと杉林の中の

道になる。コンクリートの道を登って一旦下ると、満濃池の最南端部になる。

ここから満濃池に流れ込む小さな小川に沿って歩いて行く。

その流れが満濃池に流れ込む辺りには水かさが増した時には池の水の中に浸か

ってしまいそうな水中木が何本か立っていた。







その最深部から北に向かって歩いて行くと道の脇にベンチがあった。ここで

ひと先ず休憩。持ってきた水筒に入れたアイスコーヒーとシュークリームで

行動食代わり。ため池の湖面を撫でて吹く風が涼しくて心地よい。







ウエストポーチに水筒と一緒に入れたシュークリームは、潰れてしまって中の

クリームが全部飛び出していたが、お腹に入れれば何でも一緒。それまでお腹

が空いてあまりパッとしなかった身体が生き返った。

一息入れて『さぁ歩くぞ!』と腰を上げて歩き始めると直ぐに雨音がし始め

た。次第に雨脚が強くなり始め、仰ぎ見る空もどんどん黒くなってきた。

仕方がないので途中で周遊は諦め引き返すことに。

幸い木々の下の周遊道ではずぶ濡れになることもなく、何とか駐車場まで戻っ

てくることができた。




登山のよくあるあるで『山を下りたら晴れた』で、今日も車に乗り込むと雨

もやんで少し青空も覗き始めた。

次は満濃池から移動して宝山湖へ。

宝山湖の駐車場では五・六人の人たちが草刈り中だった。その横を通って

里山ビオトーブへと歩いて行く。






ビオトーブの青い睡蓮は、近くの農家さんが高知のモネの庭で購入して、自宅

で育てたものを移植したらしい。その後は三豊人材シルバーセンターのメンバ

ーでお世話をしているそうだ。開花の時期はまだこれからの様で、咲いている

花は疎らだったが、先週黒沢湿原でみた睡蓮とは違った爽やかな印象を与えて

くれた。