昨日は高知から夜遅くに帰ってきました。
そして今日は松山まで出かけて来ました。
今度の松山で建築予定の現場から直ぐ近くにある、三津浜という港に出かけて来ました。
江戸の後期に長崎の出島を模して造られた港で、松山市の港として栄えていたそうです。
今はさらに北に行った所に、観光港ができ、高速艇や旅客船はそちらに発着しています。
港に車を停めて写真を撮っていると、丁度渡し舟が動き出しました。
白い日傘をさした婦人を乗せて、対岸までの80mを渡って行きました。
この渡しのことを三津浜の人は『三津の渡し・須崎の渡し』と言い、
対岸の港山の人は『古深里の渡し・港山の渡し』と呼んでいるそうです。
この渡しの正式名称は『松山市道高浜2号線』の一部だそうで、
航路が道路として認められている実物を初めて目にしました。
歴史の古い港町だけに、今でも洋風建築や、狭い路地が残っていて
その当時の旺盛が偲ばれます。
松山を出た後は、今日はそのまま現場のある徳島へ入りました。
高知から徳島は以前に移動したことはあったのですが、
松山から徳島への移動は今回が初めてです。
高速道路の移動だけでも、350キロの長旅?でした。
こ・こ・腰が・・・・・・!
そして今日は松山まで出かけて来ました。
今度の松山で建築予定の現場から直ぐ近くにある、三津浜という港に出かけて来ました。
江戸の後期に長崎の出島を模して造られた港で、松山市の港として栄えていたそうです。
今はさらに北に行った所に、観光港ができ、高速艇や旅客船はそちらに発着しています。
港に車を停めて写真を撮っていると、丁度渡し舟が動き出しました。
白い日傘をさした婦人を乗せて、対岸までの80mを渡って行きました。
この渡しのことを三津浜の人は『三津の渡し・須崎の渡し』と言い、
対岸の港山の人は『古深里の渡し・港山の渡し』と呼んでいるそうです。
この渡しの正式名称は『松山市道高浜2号線』の一部だそうで、
航路が道路として認められている実物を初めて目にしました。
歴史の古い港町だけに、今でも洋風建築や、狭い路地が残っていて
その当時の旺盛が偲ばれます。
松山を出た後は、今日はそのまま現場のある徳島へ入りました。
高知から徳島は以前に移動したことはあったのですが、
松山から徳島への移動は今回が初めてです。
高速道路の移動だけでも、350キロの長旅?でした。
こ・こ・腰が・・・・・・!