『今日は山に行かんの!天気ええよ!』の声に目が覚めた。
時計を見ると8時を少し過ぎている。いつぶりだろうか、こんな時間まで
寝っていたのは。そう思いながら起き上がり窓の外を見ると、たしかに青空が広がっている。
『あれ、台風は?』と思ったが寝起きのせいで頭が回らない。テレビをつけると天気予報の台風情報は昨日とほとんど
変わらず、自転車並みの速度でこちら(四国)に向かっているという。
ならこの青空も午前中までかな?と思い、さっそく簡単に身支度をして『少し歩いてくるわ!』と言って家を出た。
途中のコンビニで菓子パンとコーヒーを買って遅めの朝食。いつも車を停める
屋島小学校の北の遍路道の脇には、いつになく車が少なく二台ほど停まっている。
同じように並んで車を停めて、GPSをオンにしてスタート。
石貼りの階段を登ると『加持水』。四体のお地蔵さんは真新しい手編みの真っ赤な帽子を被っている。
いつもなら大勢の人とすれ違うのに、さすがに今日は歩く人もまばらだ。
そんな中で後ろから凄い勢いで追い抜いて行く二人の男性。恐らく毎日この道を登っているのだろう。
どう見ても私よりかなりの年上なのにと思い、少し同じペースで歩いてみたが、
とてもじゃないが付いて行けるスピードじゃない。直ぐにふくらはぎから太ももまで痛み始めた。
樹林帯の中の木陰の道は、讃岐岩質安山岩が露出した『畳石』辺りで木々がなくなり
厳しい日差しの下の道となる。
ただ直射日光が当たるのはこの畳石の前だけで、直ぐに木陰の道になり山上手前の最後の急登になる。
屋島寺の山門手前の番付表の前に着いた。ここまでで27分。今日は最初からしんどかった割にはまずまずのペースだ。
山上の屋島寺の仁王門に向かって歩いて行くとミンミンゼミとツクツクボウシの大合唱。
ここまでくると観光客の姿もちらほら見かける。
『獅子の霊巌』からはいつもの変わらない景色が広がっていた。目の前には青空と『女木島』。
少し目線を移すと高松の市街地に灰色の怪しげな雲がかかり始めている。
綿菓子のような雲がすごい勢いで流れていく。遮るもののない吹き曝しの場所では帽子が飛ばされそうになる。
まだ天気は持ちそうなので『北嶺』まで足を延ばすことにする。前回WOC登山部のメンバーと来た時は
通行止めで通れなかった遊歩道は、工事中だが鉄板が引かれて通れるようになっていた。アスファルトにカッターが入れられ
道に沿って掘削している。北嶺まで水道管でも埋設しているのだろうか?
屋島寺の前身となった『千間堂跡』の池ではスイレンが見頃を迎えている。先週の黒沢湿原で見たスイレンは
白い花だったが、この池のスイレンは赤紫色。
千間堂跡からさらに進んで北嶺の最北端の『遊鶴亭』へと歩いて行く。
気温の割には風が吹いているのでさほど暑さは感じない。
ウバメガシの林の道をくぐって行くと遊鶴亭に着いた。ここでも吹き上げてくる風がかなりキツイ。
瀬戸内の海の上にも雲がかかり始めたので先を急ごう。
この北嶺の遊歩道には以前から『魚見台』の跡が展望台になっていたが、三ヵ所あった展望台の他に
新しく階段状になったデッキの展望台が東側に整備中だった。ここからは『セカチュウ』の庵治の街並みと小豆島が正面に見える。
そいえば千間堂跡の広場にも大きな施設が建築中だった。コンクリートの立派な造りの建物だが完成したらどんな施設になるのだろうか?
先ほどの遊歩道の掘削はこの施設へ水道を引く工事だったのかな?
北嶺から戻り『談古嶺』の展望台の横には瀬戸内芸術祭の作品が展示されていた。
大型の写真に『Smoke and Fog』と題された作品だが、凡人にはその芸術性が悲しいかな全く理解できない。
『源平古戦場展望台』の前のホテルは巨大な廃墟。ネットで検索すると観光地ではなく
心霊スポットとして注目されているようだ。他の閉館となったホテルは解体されて平地となっているが、
このホテルは巨大すぎて手付かずの状態の様だ。
相変わらず風が強く雨を含んだ感じの雲がどんどん近づいている。
『屋島の城』まで来ると中国語を話す若者が眺望を眺めていた。その若者の横を通り
へんろ道への階段を下りて行く。
『不喰梨』へと続く道は無理やり整備したような感じで、注意して下りないと転げ落ちそうになる。
最後のお地蔵さんの前を通り車を停めた場所まで戻ると雨がポツリポツリと降り始めた。予想した通り青空は午前中までだった。
なんとか雨にも濡れずに8km・2時間30分の里山歩きでなんとか週に一度の運動をクリアした。
ただ軽く歩くつもりがいつになく足や膝が痛んだ里山歩きだった。