KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『線で繋ぐ西赤石山~阿讃山脈』碁石山・峰畑山・五郎山

2024年03月23日 | 四国の山


『私たちは金曜日に堀切峠から曼陀峠を歩きます!』とあっちゃんからメッセージが届

いた。この区間を歩くと法皇山脈から阿讃山脈が繋がることになる。『ご一緒にいか

がですか』と書いてあったが、金曜日は県外の業者からアポイントが入っていたので、

渋々諦めていたら、前日にその業者から『申し訳ありません、どうもインフルエンザに

かかったみたいで、明日はお会いできません』と連絡がきた。『それはそれは、お大事

に』と電話を切ったあとニンマリ!すぐに奥様たちに『明日の集合時間は何時ですか?』

とメッセージを入れた。『9時に曼陀峠集合で、そこから移動して堀切峠を10時スター

トです!』とルリちゃんから返信があった。事情があってと書いてあったが、歩行距離

の割にはスタート時間が遅いなと思いながらも、少し早めに家を出た。








時間に余裕があったので曼陀峠に向かう途中で豊稔池ダムに立ち寄ってみる。ゆる抜き

の写真はよく目にしていたが、今日初めて訪れた。石積みの風情のあるアーチのダムか

らは、ゆる抜きほどではないが、配水量の調整のためか放流されていた。











※映像が粗い場合は右下の歯車を開いて、画質を1080に設定してください。


豊稔池ダムをあとに集合場所の曼陀トンネルの手前の広場に向かうと、すでに奥様たち

は来ていて、急いで車を乗り換えまずは一台を曼陀峠にデポする。そこからまた一台で

堀切峠に移動。奥様たちの集合した時間が早かったおかげで、予定していたより30分ほ

ど早く峠に着いた。堀切トンネルが開通してからはほとんど往来がなくなり、朝の冷え

た空気とともに峠の道はひっそりとしていた。







峠は四差路になっていて西に行くと翠波高原、東に行くと呉石高原への道になるが、最

初なぜかルリちゃんは翠波高原に向かって歩き出そうとするので、呼び止めて反対の東

に向かって歩き出す。するとすぐに道の脇に『峰の地蔵尊』と彫られた石柱があった。

その奥の建屋の中に大きなお地蔵が建っていた。私の身長以上はあるとても大きな、そ

して比較的新しそうなお地蔵さんだった。








この区間はほとんど舗装路の道。堀切峠に『E-システム新宮工場』と書かれた看板があ

ったが、その工場のトラックだろうか、道幅いっぱいの大きなトラックとすれ違う。

そのトラックを見て『産廃の会社だろうか、こんな山の中にあるなんて、どうせロクな

捨て方してないだろうな』と知りもしないのに嘯く私。

道の脇のフキノトウはもう花が開いてしまっている。











土佐北街道のお茶屋跡と書かれた道標の先に広大な太陽光発電所。その太陽光発電のパ

ネルの奥に、雪を抱いた稜線が見える。佐々連尾山辺りだろうか?








ちょうど堀切トンネルの上あたりに、歴史の道選定記念の碑である「うすくこく遠近分

て夕日影霞む浪まの沖の嶋々」と書かれた、藩主・山内豊雍公の歌碑がある。ここから

南に新宮へと土佐北街道が続いている。








歌碑からしばらく歩くと作業車の音が聞こえてきたと思ったら、大きな建屋が見えてき

た。タイヤショベルカーが道の北側から横断して南側の建屋に何やら運んでいる。

北側の建屋の周りには木くずが積み上げられていた。

ここでは木くずや汚泥を発酵させて肥料を作っているようだ。その発酵過程で、けっこ

う強烈な匂いがしている。『なるほど、こんな匂いのする施設は民家のない山の中でな

かったら無理だな』と、さきほど変な勘繰りをしたことを反省。

その工場の屋根越に佐々連尾山から大森山そして猿田峠が鞍部になっているのが見えた。

山肌に雪を抱いた稜線は、何となく北国の山を連想させていい感じに見える。











電波塔が並ぶ当たりのピークには 四等三角点 堀切 793.46m があったが道からは少

し登らなければならないようなので今日はパス。(といってももう訪れることもないのだが)

途中で『龍王山』と書いた道標があったが、地形図にもYAMAPにも山名は載っていない。











今日一つ目のピークの呉石山へは道から少し外れて登っていく。

YAMAPでは呉石山となっているが、国土地理院の地形図には山名は載っていない。

山頂は 三等三角点 黒石 826.89m 今日の行程での最高地点となる。













三角点の脇に背の高いヒノキの木。見上げると上の方で二股に分かれている。見たこと

のあるような形をしていると思ったら、音楽の時間に見た音叉だった。『ねぇご飯はどこ

で食べるの?』と、毎度のことだが気の早いあっちゃん。『道路では食べるところがない

わよ』と、とにかくお昼ご飯の心配をしている。







呉石山山頂からは雑木の中を下って行くとまもなく作業道に出た。クネクネと曲がった

作業道を道なりに歩いて行くと舗装路に出た。そこには呉石高原まで50mと書いた道

標が建っていた。













その道標からすぐに三差路になって広場になった場所になる。日当たりもよく道の脇に

は、腰掛けるのにちょうどいい太い木が積まれている。『それじゃお昼にしましょうか』

と声をかける。今日はおにぎり弁当と無印良品のミネステローネ。食後にはルリちゃん

からもらったお菓子を頬張る。













ここまで約5km、まだまだ先は長いが、幸い膝の調子も悪くないし舗装路歩きは単調だ

がスピードが上がる。道標に書いていた呉石高原はお昼ご飯を食べた場所の南側に見えた

耕作地らしかったが、高原といった雰囲気は全くなかった。

そしてこの道沿いには東予変電所から讃岐変電所までの間の、四国中央東幹線の巨大な鉄

塔が続いている。











道標は呉石高原から境目に表示が変わった。ここの二股で左に進んで行き、しばらくし

て二つ目のピークの峰畑山の尾根へのルートから、外れて行ってるのに気が付いた。

少し迷ったがまだ時間的には余裕があったので、引き返して作業道を歩いて行く。







作業道からは右手の木々の間から、尾根と空が見えていた。できるだけ作業道から段差

のない場所を選んで、適当に尾根に向かって登っていく。













尾根に出てしばらくは灌木の中を右に左に木をよけながら歩いて行く。しばらくすると

境界杭が続いているのに気が付き、杭を見失わないように歩いて行くと、割と幅のある

道になった。どうやら鉄塔巡視路に出たようだ。














途中で分岐になり左に道が続いていたが、峰畑山からは折り返してこの道を下ることに

なる。尾根の灌木の中と比べると随分と歩きやすい道。すると右手に鉄塔広場が見えた。

四国中央東幹線の鉄塔は足元まで来るとさらにその巨大さを実感する。







広場からは霞んではいるが、善通寺五岳の火上山から我拝師山、その左手には天霧山

見える。その右手には雲辺寺に向かって幹線の鉄塔が続いている。








鉄塔からはまた灌木の中を進んで行くと 二等三角点 峰畑峰 747.92m 。







山頂からは引き返して鉄等巡視路の分岐から右に道を下って行く。ここまではまだまだ

快適な道だが、落ち葉で滑りやすいのかあっちゃんが木の枝を拾い杖変わりにして下っ

て行っている。











一旦舗装路に出た後すぐにGPSを見ながら右の県境の線に沿ってさらに下って行く。

『あっちゃん、拾って持っている木の枝、長すぎません?』

道の脇には国土調査を終えた印の杭が続いている。










掘割のようになってくぼんだ道には、木の枝や落ち葉が積もって歩きづらい。特に弓な

りに折れた杉の枝は、引っ掛かると足に絡んで躓きそうになる。『危ない、危ない。今

一番イヤなパターンだ』できるだけ膝に負担がかからないように慎重に下って行く。








それでも20分ほど下っただろうか、やっと目の前が明るくなり集落の上にある墓地に飛

び出した。1区画が広い立派な墓地の奥に梅の木が1本。その木の足元には季節外れ?

の色違いのクリスマスローズが咲いていた。














今までの山道で今日は全く花を見かけず、時々日陰に薄く雪が残ってまだ春遠しといっ

た雰囲気の殺風景な景色だったが、ここまで降りてくると、いっぺんに里は春といった

感じになった。














境目峠の切通の道を左に見ながら、へんろ道と書かれた道標に沿って分岐を右に山手に

登っていく。途中の分岐でへんろ道からは分かれて左に折れてさらに登っていく。

今日の行程の道は奥様たちにとってはほぼ舗装路で大したことのない道。スタート

してからすっと二人でおしゃべりに忙しそうだ。

 














阿讃山脈の南側になるこの辺りは日差しが届いて暖かい。そんな陽気に誘われてか、気

の早い桜が花を開かせていた。








地形図に載っている県境の線に沿って道は続いている。この道から右が徳島県、左が愛

媛県になる。途中で畑に行儀よく整列して植えられた木は何の木だろうか?
















この間にいたるところで見かけた『川之江市 自然遊歩道』と書かれた道標だが、帰っ

て調べてみても判らない。四国中央市になる合併前のものだから20年以上前にできた

ものだろうけれど、四国のみちと一緒で、今は手が入れられずに荒れて遊歩道というよ

りは登山道といった雰囲気だ。










最後にまたこの遊歩道から外れて県境を山の中へ分け入る。しばらくすると今度は四国の

みち
に出た。













最後に見た自然遊歩道の道標に書かれていた七田は阿讃を越えて北側の集落かと思ったら、

この四国の道の地図を見ると、南側にある集落のようだ。どうやら途中の自然遊歩道の道

標は、四国のみちの道標を兼ねていたのかもしれない。








ここからほどなく歩くと五郎山に着いた。前回阿讃縦走路で歩いた時は、曼陀峠をスター

トして、このピークを巻いて進んでしまい見逃した山頂だった。今日三つ目のYAMAP

の山頂ポイントをゲット!このピークは香川・徳島・愛媛の三県の県境になる。

三等三角点 海老済 595.08m








五郎山から下ると前回この山に登らず通り過ぎてしまった場所に出た。確かに右の方が

登山道らしくて意識していないと気が付かないわな。

その分岐から東に進むと南の眺望が広がる場所があった、ピラミダルな形で中津山とす

ぐに同定できたが、左に見えるのは寒峰からの稜線、右の稜線に少し雪を抱いた稜線が

見えるのは天狗塚だろうか?

















眺望箇所からは尾根を少し進んで、尾根から左に降りていくと朝車をデポした曼陀峠

着いた。YAMAPでは15km、6時間の行程だった。これで今日の目的の法皇山脈

阿讃山脈を繋ぐことができたし、当初思っていた果たして今までで一番長い距離を歩く

事ができるだろうかという不安も、途中で二度ほど膝が差し込んで激痛が走ったが、そ

れさえなければ何とかなりそうだという手ごたえを得ることができて、二つの課題をク

リアできた有意義な一日だった。誘ってくれた奥様たちに感謝だ!















今日途中で出会ったおじいさんは、定年後に農家を始めてシャインマスカットやトマト、

今の時期は紅はるかで干し芋や菜の花も出荷しているそうだ。そのバイタリティーや。

私と一回りは違いそうな風貌だが、その農作業の合間に画を描いたり、山にも登ってい

ると楽しそうに話をしてくれた。