仕事柄ほぼ一日中椅子に座っていると、夕方になると調子が良くなっていた腰が
また元に戻ってしまう状態が続いていた。そして天気予報をみると山間部の
降水確率が結構高い。本来なら『線で繋ぐ山歩き』の東光森山が次の予定なのだが、
いまひとつ自信がないので、奥様たちには『もう一週だけ里山歩きにしてもらえませんか?』
と話をしていた。ならばどこの里山を歩くか色々考えたが、県内の里山で思いつく
山が出てこない。それならもう少し涼しくなって歩こうと考えていた、
今治市の世田山と笠松山はいかがでしょうか?と提案してみた。
以前にエントツ山さんの掲示板に上がっていて記憶にあった山で、最近は
WOC登山部の新幹線チーム?が歩いていたので、年内には歩いてみたいと思っていた山だ。
すると奥様から『近くにもう二座あるので、四座登りたい!』『今治までいくなら、美味しい
魚を食べたい!』とリクエストが来た。世田山と笠松山なら3時間もかからないが
残りの永納山と医王山を廻るとなると+1時間30分はかかる。
それなのに奥様からは『早起きはしたくない』というようなニュアンスのメッセージが
含まれていた。『3つの条件をクリアするのは難しいので、四座を諦めるかランチを諦める?か
それとも早起きをするかにしてください』と返信すると、どれも諦められないと、
何とも無理難題な答えが返って来た。
結局、少し早めの集合時間で出かけることに落ち着き、一路高速を今治へ目指した。
西条市と今治市の境にある厄除けで有名な世田薬師の駐車場に車を停めてスタート。
まずは大師堂にお参りしてお堂の右手から本堂(奥の院)へと歩いて行く。
公園のような場所から本堂への道は山道になる。入り口には春とこの時期にも花をつける十月桜が
綺麗に花を咲かせていた。あっちゃんは初めて見るらしく珍しがっている。
途中に案内板があると思いきや、グレーチングを盗んで帰る泥棒に怒りのメッセージが
書かれた立て札だった。確かに参道にあるものを盗むなんて絶対バチが当たるだろう!
山道は最初は竹林の中に続いていて、その竹林が終わると九十九折れの階段状の道になる。
道の脇には丁石のお地蔵さんが等間隔で立っている。途中の谷間の奥に大きな不動明王が見えた。
この摩崖仏は地元の90歳近くになるおじいちゃんが、毎日通って独りでコツコツと彫っている石仏だそうだ。
ある時この岩盤に現れた不動様を観て、それ以来一心に槌を振るって刻んでいるという、
何ともその情熱と信心の深さに感服する。
ここからは丁石とともに様々な石仏が並んでいた。
本堂手前の石段はあっちゃんが数えてみると丁度108段あったが、なかなか急なキツイ石段。
その石段を登りきると本堂の目の前には腹こわり石。昔からこの石に触ると
お腹をこわすという、何とも不思議な石で。ルリちゃんにも『触ったらいかんよ!』と声を掛ける。
YAMAPの活動日記に誰かが書いていたのをチラ見しただけだったが、知らずに触っていたら
普段からお腹の緩いへっぽこリーダーは、この後山の中でどうなっていたことやら。
奥の院は以前に本堂のあった場所。やはりここまでお参りする人は少ないようで、
お堂の扉も閉まっていて山中にひっそりと佇んでいた。本堂の脇には大館氏と十七勇士の墓がある。
道は杉林とシダの中を続いていく。世田山山頂は笠松山と共に山城の跡。
南北朝時代にこの山城で、先ほどの大舘氏が籠り壮絶な戦いが繰り広げられた場所。
『世田山城が落ちると伊予の国は亡ぶ』といわれるほどの最重要軍事の拠点だった世田山城跡には
今は大きな東屋の休憩所が建てられている。山頂は木々に囲まれていたが、
北側が少しだけ開けて今治市に続く田園風景が見下ろせた。
世田山からは風化した花崗岩の尾根道が続いている。山頂から一旦階段を下り小さなピークに向かう。
途中で北には瀬戸内海に浮かぶ小島、南には朝倉の田園風景が広がっていて、
稲刈り前の緑が続く景色を眺めながら歩いて行く。
小ピークを過ぎ少し下ると道の脇に小さな光明岩の札があり、ここから
右手にとって下って行く。意外と急な坂を下って行く途中で独りの女性とすれ違う。
登山者にしてはザックを置いたままで佇んでいた。よく見ると手には鎌を持っている。
どうやら登山道の脇の草木を刈っているようだ。里山ではボランティアで整備している人は多いが、
女性が独りでというのは珍しい。先ほどの石仏を彫るおじいちゃんといい、この女性といい、
誰に言われるわけでもなくコツコツと作業をする人の姿に、ただただ頭が下がる思いだ。
光明岩は木々が途切れ、目の前に景色が広がった尾根の先に直立していた。
まずはあっちゃんに『ありがたい岩やから登ったらいかんよ!』とくぎを刺して近づいて行く。
光明岩の名前の由来は分からないが、岩には『光明真言一百萬遍』と刻まれていた。
そして足元には額縁に入れたメッセージが書かれていた。
消えかかった文字の最後には『ゆっくりでいいから登って来れる自分をほめてあげましょう!』と
書かれてあった。『ほら!山はマイペースでいいからと書いているでしょう』とあっちゃんに言うと、
『いえ、YAMAPの平均ペース以上と書いていますよ!』と。ヤレヤレ・・・・・。
光明岩は横から見るとモアイ像のように見える。岩の横からの景色も抜群だ!
光明岩から下って来た道を登り返すと、先ほどの女性が作業を続けていた。
『ご苦労様です!』と声をかけて尾根道へと戻って行く。尾根道からはまた階段を下り、
そして登り返す道となる。このコースの上り下りはほぼ階段なので、けっこう疲れる。
更には気温が上がってきて、吹き出す汗が半端ない。
327m三角点辺りからはほぼ平らな道。脇の木々も背が低く見晴らしの良い道が続いていく。
するといつもの様に奥様たちの世間話が始まった。後ろから聞き耳をたててついて行くと
何やら医療保険や生命保険という言葉が飛び交っている。生命保険の死亡保険の内容になると
当然、本人ではなくご主人の話。その立場にあるものとしては何とも物騒な話だ!(笑)
しばらくすると笠松山に着いた。山頂らしき場所には小さな観音堂があった。
観音堂の周りでは山城の跡らしく眼下が一望できる。霞んではいるがしまなみ海道の橋まで眺められる。
休憩していると次から次と登ってくる人たちがいる。香川の里山のように地元の人たちの
手軽で身近な里山歩きの憩いの山となっているようだ。
観音堂の前で15分ほど休憩した後、元来た道を引き返していく。
往路と同じく瀬戸の海と田園風景が広がる尾根道。大勢の人が歩いているのも肯ける風光明媚ないい山だ。
途中の鞍部からは北側の野々瀬登山口への道が続いている。相変わらずアップダウンは階段の道。
そしてピークではまた見晴らしの良い道。少し残念なのは雲がかかっていなければ見えただろう
石鎚山が見えなかった事だけだ。
最後の階段を登ると世田山まで戻って来た。世田山から少し下った先に右に続く道があった。
寄り道して見ると大岩の脇を抜け、その先が岩壁の頂部の見晴らし台になっていた。
西条市から新居浜市の海岸線が一望できる。この世田山城が重要な拠点だったのも肯ける。
城主になった気分を味わった後は世田薬師へと下って行く。杉林を抜け、世田薬師の奥の院の
石段を下ると、不動明王像の場所で朝は姿が見えなかったおじいさんが登山者と話をしていた。
するとまた二人の朝ドラの話題が始まった。どうやら今回はその結末を二人で予想して、
あ~でもない、こ~でもないと話をしている。恐らく今後も山に登る度にこの話は聞かされ続けるのだろうな~!
世田薬師の駐車場まで戻り、道の反対側から永納山へと林道を歩いて行く。
その途中で来週には歩けるだろう東光森山の話になり、ルリちゃんと集合場所と
集合時間の打合せをしていると、今までニコニコ顔で歩いていたあっちゃんの顔が急に曇った。
どうやら大田尾越えに7時30分に集合というのが、本人にとってはどんな険しい山を登るより
厳しい条件の様だ。するとルリちゃんが『あんた、仕事をしていた時何時に職場についていたん?』
と聞くと、ほぼ就業時間のギリギリだったと答えるあっちゃん。寝坊なのは今に始まった事ではなく
昔からの様だ。更にルリちゃんが『低血圧なん?』と聞くと、『ん、ん。100位!』とあっちゃん。
『それを低血圧と言うんじゃわ!』と二人で大笑いする。
西側登山口となる場所には古代の永納山城跡の説明板がある。
善人杖の置かれた場所から山の中へと入って行くと直ぐに尾根に出た。
緩やかで広々とした尾根を東に歩いて行くと最初のピーク。ここからは燧灘が見下ろせる。
そのピークからはこの辺りの山の特徴らしい、風化した花崗岩の尾根道。
道の先には今日三座目となる永納山が見える。
途中には周りの木々が伐採され、外郭の整備工事がなされていた。
古代山城は四国では3ヶ所(内香川が2ヶ所)しか発見されていなくて
愛媛県ではこの永納山城のみだそうだ。
工事の内容を記した説明板から最後の坂を登って行くと、最初に見晴らし台のような場所に着いた。
見晴らし台から更に登って行くと露岩が現れ始め、滑りやすい乾いた花崗土の坂を登ると永納山に着いた。
山頂には地形図には載っていない真新しい補助三角点があり、周りの眺望もバツグンだ。
最後にこれから登る医王山も直ぐ近くに見える。
山頂から一旦下り、伐採され明るくなった尾根に丸太のベンチが置かれている場所を通り、
回り込むようにして更に下って行くと、高速道路の側道の脇の東側登山口に出た。
高速道路の側道を歩き、一旦その高速道路の下を潜って国道に出た後、鉄道と交わる辺りから
今度は南に向かって県道を歩くと西条市の標識があり、ここから医王山へと取り付いた。
取付きは不明だったが直ぐ上に見える支尾根へとグイッと登ると踏み跡があった。
この道は直ぐにシダの海へと突入していく。シダ自体は大した藪にもなっていなくて
足元はしっかりしているのだが、ただとにかく蜘蛛の巣が酷い。数歩歩いては立ち止まり、
ストックでその蜘蛛の巣を払いながらになるので、なかなか前に進まない。
何とか蜘蛛の巣地獄をやり過ごすと目の前に岩壁が迫っていた。遠目で見るとかなりの岩壁だが、
こちらから登ると傾斜はそれほどでもなく、一旦ザックを置いて登って行く。
もちろんこんな場所はあっちゃんが特攻隊長となる。
両手両足を登って行くと岩壁の頂部に着いた。後ろから来るルリちゃんが心配だったが
意外と平気で登ってきている。この山頂にも三角点の様な石柱があった。
岩塊の頂部だけあって高度はないものの、360度見渡せる眺望が広がっていた。
先ほど登った世田山や燧灘。そして車を停めた世田薬師を見下ろせた。
ここで今日のミッションのひとつの四座をクリア。奥様たちも満足気だ。
さぁ~ではでは次のミッションが待っているので、岩肌を落ちないように慎重に下り、
取り払って蜘蛛の巣がなくなったシダの道をあっという間に下って県道に着いた。
県道を世田薬師へと戻って行く途中、振り返って見えた医王山はなかなかの山容をしていた。
四座を歩き終えて安堵していると、やはり急にお腹が空いて来た。駐車場で靴を履き替え、
次のミッションの『魚の美味しい店』へと車を走らせる。
と言っても駐車場でgoogle mapで調べて、三人であ~だ、こうだと言いながらチョイスした
『魚河岸ごはん 矢野鮮魚店』は、よくある一品のおかずのご飯屋。ごはん屋といっても
鮮魚店のお店だけあって、おかずには新鮮な刺身の一品も並んでいた。
奥様たちは海鮮丼。小食の私は海鮮巻きずしと刺身。海鮮丼を待つ間にノンアルビールで乾杯する二人。
海鮮丼はルリちゃんはミニ丼。あっちゃんは普通を頼んだが、やはりけっこうなボリュームだ。
後で写真を見ると、ごちそうを前に笑うルリちゃんの顔が、北の国からの純君に見えた。(笑)
二つ目のミッションをクリアしたのだが、このミッション遂行のせいで時間が無く歩けなかった
笠松山のガメラ岩を最後に目指すことにする。
朝倉地区の集落の中を車で移動し登山口となる場所に車を停めて軽装で取り付いて行く。
ガメラ岩までは直ぐ近くなのでと思っていたが、急な場所もありロープを使って登って行くと
こんもりとした丘の上にガメラ岩が見えた。
YAMAPで笠松山を探すと、大体の人がこのガメラ岩を訪れているので、
せっかくここまで来たら外せない場所だ。地元ではおんびき岩(カエル岩)と呼ばれてる大岩は、
YAMAPでは皆さんガメラ岩と呼んでいる。確かに亀が口を開けているように見える。
今日は時間も早いのでこのガメラ岩でじゃれて遊んでみる。
ガメラに食べられそうなあっちゃん
ガメラの背に乗るあっちゃん
ガメラに登って見ようとするが、ガメラの頭は平ではなく薄く尖っていて、
ここまで登るのが精いっぱいの私。振り返ると笠松山と山頂へと続く道が見える。
午前中と比べると青空が広がり、来島海峡大橋もくっきりと見え始めた。
ひと時ふざけてガメラ岩を後にする。世田山、笠松山はこの地の歴史的にも貴重な山で、
登山道も良く整備され、尾根の縦走路は見晴らしも良く、地元の人たちにも愛されているのが
よく判る予想以上にいい里山だった。奥様たちにも満足いただけた一日となった。
さぁ来週はいよいよ急登で有名な東光森山になる。ここのところ里山歩きばかりで体力が
落ちているのが心配だというルリちゃん。それは未だ腰の状態が良くない私も同様だが、
それ以上に早起きが心配で仕方がないというあっちゃん。さてさてどうなる事やら、
後はお天気のローテーション次第、神のみが知る事となる。
今日の3Dトラックです。
また元に戻ってしまう状態が続いていた。そして天気予報をみると山間部の
降水確率が結構高い。本来なら『線で繋ぐ山歩き』の東光森山が次の予定なのだが、
いまひとつ自信がないので、奥様たちには『もう一週だけ里山歩きにしてもらえませんか?』
と話をしていた。ならばどこの里山を歩くか色々考えたが、県内の里山で思いつく
山が出てこない。それならもう少し涼しくなって歩こうと考えていた、
今治市の世田山と笠松山はいかがでしょうか?と提案してみた。
以前にエントツ山さんの掲示板に上がっていて記憶にあった山で、最近は
WOC登山部の新幹線チーム?が歩いていたので、年内には歩いてみたいと思っていた山だ。
すると奥様から『近くにもう二座あるので、四座登りたい!』『今治までいくなら、美味しい
魚を食べたい!』とリクエストが来た。世田山と笠松山なら3時間もかからないが
残りの永納山と医王山を廻るとなると+1時間30分はかかる。
それなのに奥様からは『早起きはしたくない』というようなニュアンスのメッセージが
含まれていた。『3つの条件をクリアするのは難しいので、四座を諦めるかランチを諦める?か
それとも早起きをするかにしてください』と返信すると、どれも諦められないと、
何とも無理難題な答えが返って来た。
結局、少し早めの集合時間で出かけることに落ち着き、一路高速を今治へ目指した。
西条市と今治市の境にある厄除けで有名な世田薬師の駐車場に車を停めてスタート。
まずは大師堂にお参りしてお堂の右手から本堂(奥の院)へと歩いて行く。
公園のような場所から本堂への道は山道になる。入り口には春とこの時期にも花をつける十月桜が
綺麗に花を咲かせていた。あっちゃんは初めて見るらしく珍しがっている。
途中に案内板があると思いきや、グレーチングを盗んで帰る泥棒に怒りのメッセージが
書かれた立て札だった。確かに参道にあるものを盗むなんて絶対バチが当たるだろう!
山道は最初は竹林の中に続いていて、その竹林が終わると九十九折れの階段状の道になる。
道の脇には丁石のお地蔵さんが等間隔で立っている。途中の谷間の奥に大きな不動明王が見えた。
この摩崖仏は地元の90歳近くになるおじいちゃんが、毎日通って独りでコツコツと彫っている石仏だそうだ。
ある時この岩盤に現れた不動様を観て、それ以来一心に槌を振るって刻んでいるという、
何ともその情熱と信心の深さに感服する。
ここからは丁石とともに様々な石仏が並んでいた。
本堂手前の石段はあっちゃんが数えてみると丁度108段あったが、なかなか急なキツイ石段。
その石段を登りきると本堂の目の前には腹こわり石。昔からこの石に触ると
お腹をこわすという、何とも不思議な石で。ルリちゃんにも『触ったらいかんよ!』と声を掛ける。
YAMAPの活動日記に誰かが書いていたのをチラ見しただけだったが、知らずに触っていたら
普段からお腹の緩いへっぽこリーダーは、この後山の中でどうなっていたことやら。
奥の院は以前に本堂のあった場所。やはりここまでお参りする人は少ないようで、
お堂の扉も閉まっていて山中にひっそりと佇んでいた。本堂の脇には大館氏と十七勇士の墓がある。
道は杉林とシダの中を続いていく。世田山山頂は笠松山と共に山城の跡。
南北朝時代にこの山城で、先ほどの大舘氏が籠り壮絶な戦いが繰り広げられた場所。
『世田山城が落ちると伊予の国は亡ぶ』といわれるほどの最重要軍事の拠点だった世田山城跡には
今は大きな東屋の休憩所が建てられている。山頂は木々に囲まれていたが、
北側が少しだけ開けて今治市に続く田園風景が見下ろせた。
世田山からは風化した花崗岩の尾根道が続いている。山頂から一旦階段を下り小さなピークに向かう。
途中で北には瀬戸内海に浮かぶ小島、南には朝倉の田園風景が広がっていて、
稲刈り前の緑が続く景色を眺めながら歩いて行く。
小ピークを過ぎ少し下ると道の脇に小さな光明岩の札があり、ここから
右手にとって下って行く。意外と急な坂を下って行く途中で独りの女性とすれ違う。
登山者にしてはザックを置いたままで佇んでいた。よく見ると手には鎌を持っている。
どうやら登山道の脇の草木を刈っているようだ。里山ではボランティアで整備している人は多いが、
女性が独りでというのは珍しい。先ほどの石仏を彫るおじいちゃんといい、この女性といい、
誰に言われるわけでもなくコツコツと作業をする人の姿に、ただただ頭が下がる思いだ。
光明岩は木々が途切れ、目の前に景色が広がった尾根の先に直立していた。
まずはあっちゃんに『ありがたい岩やから登ったらいかんよ!』とくぎを刺して近づいて行く。
光明岩の名前の由来は分からないが、岩には『光明真言一百萬遍』と刻まれていた。
そして足元には額縁に入れたメッセージが書かれていた。
消えかかった文字の最後には『ゆっくりでいいから登って来れる自分をほめてあげましょう!』と
書かれてあった。『ほら!山はマイペースでいいからと書いているでしょう』とあっちゃんに言うと、
『いえ、YAMAPの平均ペース以上と書いていますよ!』と。ヤレヤレ・・・・・。
光明岩は横から見るとモアイ像のように見える。岩の横からの景色も抜群だ!
光明岩から下って来た道を登り返すと、先ほどの女性が作業を続けていた。
『ご苦労様です!』と声をかけて尾根道へと戻って行く。尾根道からはまた階段を下り、
そして登り返す道となる。このコースの上り下りはほぼ階段なので、けっこう疲れる。
更には気温が上がってきて、吹き出す汗が半端ない。
327m三角点辺りからはほぼ平らな道。脇の木々も背が低く見晴らしの良い道が続いていく。
するといつもの様に奥様たちの世間話が始まった。後ろから聞き耳をたててついて行くと
何やら医療保険や生命保険という言葉が飛び交っている。生命保険の死亡保険の内容になると
当然、本人ではなくご主人の話。その立場にあるものとしては何とも物騒な話だ!(笑)
しばらくすると笠松山に着いた。山頂らしき場所には小さな観音堂があった。
観音堂の周りでは山城の跡らしく眼下が一望できる。霞んではいるがしまなみ海道の橋まで眺められる。
休憩していると次から次と登ってくる人たちがいる。香川の里山のように地元の人たちの
手軽で身近な里山歩きの憩いの山となっているようだ。
観音堂の前で15分ほど休憩した後、元来た道を引き返していく。
往路と同じく瀬戸の海と田園風景が広がる尾根道。大勢の人が歩いているのも肯ける風光明媚ないい山だ。
途中の鞍部からは北側の野々瀬登山口への道が続いている。相変わらずアップダウンは階段の道。
そしてピークではまた見晴らしの良い道。少し残念なのは雲がかかっていなければ見えただろう
石鎚山が見えなかった事だけだ。
最後の階段を登ると世田山まで戻って来た。世田山から少し下った先に右に続く道があった。
寄り道して見ると大岩の脇を抜け、その先が岩壁の頂部の見晴らし台になっていた。
西条市から新居浜市の海岸線が一望できる。この世田山城が重要な拠点だったのも肯ける。
城主になった気分を味わった後は世田薬師へと下って行く。杉林を抜け、世田薬師の奥の院の
石段を下ると、不動明王像の場所で朝は姿が見えなかったおじいさんが登山者と話をしていた。
するとまた二人の朝ドラの話題が始まった。どうやら今回はその結末を二人で予想して、
あ~でもない、こ~でもないと話をしている。恐らく今後も山に登る度にこの話は聞かされ続けるのだろうな~!
世田薬師の駐車場まで戻り、道の反対側から永納山へと林道を歩いて行く。
その途中で来週には歩けるだろう東光森山の話になり、ルリちゃんと集合場所と
集合時間の打合せをしていると、今までニコニコ顔で歩いていたあっちゃんの顔が急に曇った。
どうやら大田尾越えに7時30分に集合というのが、本人にとってはどんな険しい山を登るより
厳しい条件の様だ。するとルリちゃんが『あんた、仕事をしていた時何時に職場についていたん?』
と聞くと、ほぼ就業時間のギリギリだったと答えるあっちゃん。寝坊なのは今に始まった事ではなく
昔からの様だ。更にルリちゃんが『低血圧なん?』と聞くと、『ん、ん。100位!』とあっちゃん。
『それを低血圧と言うんじゃわ!』と二人で大笑いする。
西側登山口となる場所には古代の永納山城跡の説明板がある。
善人杖の置かれた場所から山の中へと入って行くと直ぐに尾根に出た。
緩やかで広々とした尾根を東に歩いて行くと最初のピーク。ここからは燧灘が見下ろせる。
そのピークからはこの辺りの山の特徴らしい、風化した花崗岩の尾根道。
道の先には今日三座目となる永納山が見える。
途中には周りの木々が伐採され、外郭の整備工事がなされていた。
古代山城は四国では3ヶ所(内香川が2ヶ所)しか発見されていなくて
愛媛県ではこの永納山城のみだそうだ。
工事の内容を記した説明板から最後の坂を登って行くと、最初に見晴らし台のような場所に着いた。
見晴らし台から更に登って行くと露岩が現れ始め、滑りやすい乾いた花崗土の坂を登ると永納山に着いた。
山頂には地形図には載っていない真新しい補助三角点があり、周りの眺望もバツグンだ。
最後にこれから登る医王山も直ぐ近くに見える。
山頂から一旦下り、伐採され明るくなった尾根に丸太のベンチが置かれている場所を通り、
回り込むようにして更に下って行くと、高速道路の側道の脇の東側登山口に出た。
高速道路の側道を歩き、一旦その高速道路の下を潜って国道に出た後、鉄道と交わる辺りから
今度は南に向かって県道を歩くと西条市の標識があり、ここから医王山へと取り付いた。
取付きは不明だったが直ぐ上に見える支尾根へとグイッと登ると踏み跡があった。
この道は直ぐにシダの海へと突入していく。シダ自体は大した藪にもなっていなくて
足元はしっかりしているのだが、ただとにかく蜘蛛の巣が酷い。数歩歩いては立ち止まり、
ストックでその蜘蛛の巣を払いながらになるので、なかなか前に進まない。
何とか蜘蛛の巣地獄をやり過ごすと目の前に岩壁が迫っていた。遠目で見るとかなりの岩壁だが、
こちらから登ると傾斜はそれほどでもなく、一旦ザックを置いて登って行く。
もちろんこんな場所はあっちゃんが特攻隊長となる。
両手両足を登って行くと岩壁の頂部に着いた。後ろから来るルリちゃんが心配だったが
意外と平気で登ってきている。この山頂にも三角点の様な石柱があった。
岩塊の頂部だけあって高度はないものの、360度見渡せる眺望が広がっていた。
先ほど登った世田山や燧灘。そして車を停めた世田薬師を見下ろせた。
ここで今日のミッションのひとつの四座をクリア。奥様たちも満足気だ。
さぁ~ではでは次のミッションが待っているので、岩肌を落ちないように慎重に下り、
取り払って蜘蛛の巣がなくなったシダの道をあっという間に下って県道に着いた。
県道を世田薬師へと戻って行く途中、振り返って見えた医王山はなかなかの山容をしていた。
四座を歩き終えて安堵していると、やはり急にお腹が空いて来た。駐車場で靴を履き替え、
次のミッションの『魚の美味しい店』へと車を走らせる。
と言っても駐車場でgoogle mapで調べて、三人であ~だ、こうだと言いながらチョイスした
『魚河岸ごはん 矢野鮮魚店』は、よくある一品のおかずのご飯屋。ごはん屋といっても
鮮魚店のお店だけあって、おかずには新鮮な刺身の一品も並んでいた。
奥様たちは海鮮丼。小食の私は海鮮巻きずしと刺身。海鮮丼を待つ間にノンアルビールで乾杯する二人。
海鮮丼はルリちゃんはミニ丼。あっちゃんは普通を頼んだが、やはりけっこうなボリュームだ。
後で写真を見ると、ごちそうを前に笑うルリちゃんの顔が、北の国からの純君に見えた。(笑)
二つ目のミッションをクリアしたのだが、このミッション遂行のせいで時間が無く歩けなかった
笠松山のガメラ岩を最後に目指すことにする。
朝倉地区の集落の中を車で移動し登山口となる場所に車を停めて軽装で取り付いて行く。
ガメラ岩までは直ぐ近くなのでと思っていたが、急な場所もありロープを使って登って行くと
こんもりとした丘の上にガメラ岩が見えた。
YAMAPで笠松山を探すと、大体の人がこのガメラ岩を訪れているので、
せっかくここまで来たら外せない場所だ。地元ではおんびき岩(カエル岩)と呼ばれてる大岩は、
YAMAPでは皆さんガメラ岩と呼んでいる。確かに亀が口を開けているように見える。
今日は時間も早いのでこのガメラ岩でじゃれて遊んでみる。
ガメラに食べられそうなあっちゃん
ガメラの背に乗るあっちゃん
ガメラに登って見ようとするが、ガメラの頭は平ではなく薄く尖っていて、
ここまで登るのが精いっぱいの私。振り返ると笠松山と山頂へと続く道が見える。
午前中と比べると青空が広がり、来島海峡大橋もくっきりと見え始めた。
ひと時ふざけてガメラ岩を後にする。世田山、笠松山はこの地の歴史的にも貴重な山で、
登山道も良く整備され、尾根の縦走路は見晴らしも良く、地元の人たちにも愛されているのが
よく判る予想以上にいい里山だった。奥様たちにも満足いただけた一日となった。
さぁ来週はいよいよ急登で有名な東光森山になる。ここのところ里山歩きばかりで体力が
落ちているのが心配だというルリちゃん。それは未だ腰の状態が良くない私も同様だが、
それ以上に早起きが心配で仕方がないというあっちゃん。さてさてどうなる事やら、
後はお天気のローテーション次第、神のみが知る事となる。
今日の3Dトラックです。
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