今年も残すところ残り一ケ月となった。そろそろ県外の山から県内の
里山歩きになる季節。さてさてどこに出かけようかと考えていると、
むらくもさんとピオーネさんが岡山県の総社市の鬼ケ城山を
歩いているレポートが目についた。麺法師さんにも、そのレポートのページを
リンクを貼って案内すると、『ぜひ、出かけてみましょう』と即、返事が返ってきた。
鬼ケ城は大和朝廷によって国の防衛の為に築かれたとされる古代山城で『日本100名城』のひとつ。
その鬼ケ城山の近くには犬墓山と少し離れて登龍山の
二つの三角点があり、それらの山を巡って周回できるコースがある。
これなら、三角点マニアのセニョさんも食いついてくるだろうと思って
案内を出すと、さっそく『参加します!』と返事が返ってきた。
高速を総社ICで降り鬼ケ城ビジターセンターを目指す。砂川公園からは離合も難しい幅の狭い
登坂が続いていたが、丸亀からでも意外と近く約70kmでビジターセンターに着いた。
駐車場には1台車が停まっていて、登山服姿の男女が身支度をしていた。
時間的にはまだ早いので、先ずは犬墓山を目指し鬼ケ城山でお昼の時間になるように
時計回りに周回していくことにする。
ビジターセンターの道路の反対側に犬墓山の登山口があり、階段上になった道を登って行く。
『先週の御在所山の石段に比べたら楽勝ですね!』などと言いながら、麺法師さんを先頭に
歩いて行くと、階段は直ぐに終わって、里山らしい花崗土と小さな花崗岩が露出した尾根道になる。
しばらく尾根道を進んで行くと道の脇に大きな露岩があり、そこからは鬼ケ城を見下ろせ、
鬼ケ城の西門の奥には朝靄がかかった総社市の里山の幻想的な風景が広がっていた。
その鬼ケ城山から視線を左に移すと、まだ彩を残す緩やかな山裾が広がる山々。
その展望岩からしばらく歩くと犬墓山に着いた。『あれ?もう山頂』とセニョさんがひと言。
先週に比べると、意外と早く簡単に三角点をゲットできたセニョさん。
ここからの道は所々で巨岩が点在しいく。鬼が手刀で真っ二つに割ったような不思議な形をした岩や、
方位岩や汐差岩と名付けられた奇岩の数々。その度に立ち止まったり、岩の上に登ってみたりする。
汐差岩も先ほどの岩と同じようにスッパリと鉈ででも切られたように割れている。
花崗岩は規則正しい割れ方をするようで、ここだけではなく他の山でもきれいに割れた
岩の形はよく目にする事がある。そんな不思議な形から色々な伝説が生まれたり、
それに合わせた岩の名前が付けられたりする。
途中にある案内標識には馬頭観音の名が書かれているが、
その馬頭観音は今まで道の脇に点在していた弘法大師と観音様の石仏と同じような
二体並んだ石仏で、それまでの仰々しい案内標識の割にはその石仏の前に案内板はなく、
よくよく見ないとその馬頭を見逃しそうになる。
馬頭観音を過ぎると道の北側の少し下った所に屏風岩。
正面や脇から見てもどうも屏風には見えない。正面に少し登れそうな岩肌があり、
それを見たあっちゃんが登りたそうにするので、
先に私が登って見せたが、足がかりのない岩に、さすがのあっちゃんも登れず途中であきらめた。
屏風岩の次には岩の上部が平らになった八畳岩は、
『こんなに広いのに八畳どころではないよね!』とメンバーが口を揃えて言っている。
八畳岩から少し歩くと道の北側に樹木がなくなり、吉備高原への山並みが続いている。
ここからの奇岩は鬼のもちつき岩・鬼の酒盛り岩と鬼の岩シリーズが続いていく。
鬼が腰掛て酒盛りをしていた様な二つの椅子の様な岩とテーブルの様な岩の酒盛り岩から
少し下って行くと広場になった場所に出た。
鬼の差し上げ岩と名付けられた巨岩は、温羅(うら)が岩屋を造る際に
岩を持ち上げ天井にしたという伝説が残る巨岩で、岡山県では最大規模の巨岩の遺構だそうだ。
その温羅とは、この吉備地方を統治していた伝承上の鬼で、朝廷から派遣された吉備津彦に退治されたという。
この鬼の差し上げ岩の脇には岩屋寺の毘沙門堂がひっそりと巨岩のを背に佇んでいた。
毘沙門堂の前の石段を下ると今は無住となった小さな本堂の観音堂があった。
本堂の大きさの割にはその境内の前には立派な石垣があり、盛時の面影を残している。
石垣の周りでは、今年は最後になるかもしれないモミジの彩を束の間楽しんだ。
岩屋寺から次に実僧坊山を目指すが、本堂の脇の道から
登ったり降りたり、元の道に戻ったりと少し右往左往をしてしまう。
道にはたっぷりと落ち葉が積もり、これからくる寒い冬の訪れを感じながら、
鬼の昼寝岩への分岐を更に進んで行くと、後ろから麺法師さんと
ひなちゃんの姿が見えないのに気づく。『お~い!』と呼んでも返事が返ってこない。
登坂の途中でやっさんもセニョさんもあっちゃんも、呼びかけるだけで
動こうとしないの(笑い)。仕方がないので度々呼びかけながら戻ってみるとその内に返事が返ってきた。
どうやら二人は昼寝岩まで行ってしまったようだ。二人と合流して実僧坊山へと登って行く。
里山らしい雑木の中の道を登りながら、『こんな所まではまさかキティー山岳会のプレートは無いわな~』と
セニョさんと話をしながら登って行くと山頂に着いた。
実僧坊山は樹木に囲まれ展望もなく、ポツンと岩がある寂しげな山頂だった。
ところが岩の脇の木に、なんと!、キティちゃんのプレートがあるではないですか。
ん?でも何かおかしい。プレートには登龍山と書かれている。
地形図ではこの先にある山が登龍山になっているのに。でも、あのキティーちゃんが間違えるなんて・・・?。
三角点も次のピークが点名:登龍山になっているし、などとセニョさんと疑問を残しながら
次の山へと歩いて行く。
登龍山?であろうピークの手前には見晴らしの良い展望岩があった。
取りあえず山頂の三角点で今日、二つ目のポケモンをゲットしたセニョさん。
少し広場になった場所には何故か可愛らしい鯉のぼりがあり、周りをウロウロ探して見ると
あったあった!キティちゃん!でもやっぱりこちらが実僧坊山と書かれている。
『弘法も筆の誤りならぬ、キティちゃんも筆の誤り?』『これは鬼の錯乱か?』などと言いながらも
やはりモヤモヤとした疑問が残ったままで、山頂を後に登って来た道を引き返す。
分岐まで戻り更に先に進んで行くと、先ほど逸れた麺法師さんとひなちゃんが待っていた
鬼の昼寝岩に着いた。今度はセニョさんが岩登りにチャレンジした。
この昼寝岩で鬼シリーズの奇岩は終わり、幅の広い落ち葉道を進んで行き立派な石垣の民家の
横を通ると集落の明るい里道に出た。里道の脇には岩屋の大桜の案内板があり、
案内板に従って歩いて行くと、広場にはそれはそれは立派な背の高い桜の巨木が、
すっかりと葉を落とし、少し寒そうに立っていた。
この桜が満開の時にまた見に来たいね、などと話をしながらまた集落の中の里道を
進んで行くと、トイレのある岩屋の休憩所に着いた。ここでしばらくトイレ休憩。
休憩所からは鬼ケ城の案内板に沿って少し下って行くと茅原に出た。青空が広がり
明るい陽光に、ススキの穂が輝いている。休憩所からの道は中国自然歩道になっていて
全長2,300kmにも及ぶ自然歩道の吉備路ルートの中の古代山城を尋ねるみちの一部。
四国で言えば四国のみちみたいな感じだ。
一旦、車道を横断し自然の道は鬼ケ城への山道へとなっていく。次第に羊歯の生い茂る
里山によくある登坂にセニョさんが、『もう、下りの脚になってたからしんどいな~』と。
あっちゃんが『お腹が空いた~』と騒がしくなってきた。
もう少しですからと、騙しだまし登って行くと石積みと敷石の遺構に出た。
北門跡と書かれた場所は、鬼ケ城の背面にあり、裏門にあたる門。
北門跡からの尾根道を歩いて行くと南側が緩やかに斜面になった東屋のある広場に出た。
南に広がる景色を眺めながらここでお昼ご飯にする。
東屋の横でお弁当を広げると、風もなく青空の下のポカポカの陽気に
のんびりとした時間が過ぎていき、何とも言えない穏やかな気持ちになる。
そんな中で食事を終えたセニョさんがウロウロとしている。地形図にある397mの標高点を
探しているのだが、どこを探しても見つからない。
いつになくゆっくりとお昼ご飯を済まし、東屋から少し下って行くと復元された巨大な
西門の遺構にでた。高さ6m近くある城壁は石垣の上に土塁が築かれ、復元された西門の
建築様式と相まって、どこか異国情緒を感じる場所だった。
建物には登れないがその下の門をくぐるとその土塁の巨大さがよく判る。
飛鳥時代のとき白村江の戦い(はくそんこう)にて百済復活のため大和朝廷は援軍を出したが、
大和朝廷との連合軍は敗北し、唐・新羅(しらぎ)の連合軍が日本に侵攻してくることが想定され、
そのため大和朝廷は倭(日本)の防衛のため、西日本各地に大きな城を造営した、
そのうちの一つが鬼ノ城(鬼城山城)だとされている。各地の山城は百済から逃れてきた
百済人の協力を得て築城したとされているが、人の手だけでそのエネルギーたるや
凄まじさを感じずにはいられない。
すぐ横にある角楼跡も展望台になっていて、総社市の街並みが見下ろせる。
角楼跡から南西に見える展望台に寄り道してみる。この展望台からは鬼ケ城で検索すると
必ず出てくる写真のビューポイントになっていた。
展望台から駐車場まで戻ると、平日にも関わらず観光客の車がたくさん停まっていた。
時間はまだ13時過ぎ。今日の予定にはないが、少し欲張って西門から見えた
南にある経山にも登ってみることにする。
ビジターセンターから車で少し下って、離合のできるスペースに車を停めて
経山城跡の道標のある登山口から登って行く。
標高差は100mもない登山道を登って行くと15分ほどで山頂に着いた。
今日はこれで三つの三角点をゲットでき大漁の日となった。
経山を下る途中で麺法師さんが、まだ時間がるので最上稲荷に寄ってみませんか
と提案され、車に乗り込み向かって行く。
日本三大稲荷の最上稲荷は、正月には大勢の初詣客で賑わうが駐車場には一台も車が停まっていなかった。
仁王門まで続く参道の門前町の土産屋や飲食店もほとんど閉まっていている中を歩いて行くと、
近代的な石造りの仁王門。さらに石段を登って行くと立派な社殿が目の前に現れた。
広い境内にも人影はまばらで、取りあえず本堂で商売繁盛をお祈りし、
廻りにある史跡を散策した後、車に乗り込み巨大な赤鳥居を潜って帰路についた。
里山らしい道と奇岩・巨岩や古代の史跡の伝承・伝説が至るところで残る神秘と謎の多い
コースだったが、今日一番のミステリーはキティーちゃんのプレートの入れ違いだった。
果たして本当の実僧坊山と登龍山どちらなのか、大きな宿題をもらった一日だった。
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