今週の登山部は瀬戸内の島シリーズで予てから出かけてみたかった
さぬき広島に出かけてきた。香川にあって広島とは
少しややこしいのだが、塩飽諸島の中でも一番大きな島で、麺法師さんのルーツの島。
もちろん今日の案内人は麺法師さんにお願いして丸亀からフェリーに乗り込んだ。
船が港を離れ始めると飯野山や丸亀城などの、丸亀の見慣れた景色が目に飛び込んできた。
甲板で朝の少し冷たい風を受けながら周りの島々や、いつもと違う
北側から見る香川の風景を楽しんでいると、フェリーは45分ほどで広島の江の浦に着いた。
島ではコミュニティーバスが船の発着に合わせて運行されていているのだが、
バスの定員は13名。今日の参加者も13名なので島の人で利用する人がいたら
歩く予定でいたが今日は幸い利用者もなく、心経山の登山口となる
青木の集落まで、海岸沿いを運転手さんに島の現況などを聞きながら乗せてもらった。
登山口にはさすが石の島だけのことはあって石材のりっぱな道標。
しばらく舗装路を山に向かって歩いて行くと直ぐに石切り場への道なのか、今は利用されていない
コンクリート道の上に落ち葉が積もった道になる。
運び出されずに積み上げられた石材の山を横目に見ながら登って行くのだが、
これが結構な急登で、既にふくらはぎの辺りが張ってきた。
薄暗い竹林の中の木漏れ日がルリちゃんとクーちゃんにスポットライトを当てている。
先頭を歩く麺法師さんが振り返って『あれが小手島です!』と教えてくれる。
山の特定には自信があるのだが、瀬戸内の小さな島の事はさっぱりわからない。
さすがガイド役の麺法師さん!
『大師道』と彫られた石柱から道は里山らしい雰囲気の登山道となる。
道の脇に花崗岩の巨石が点在し始めると尾根に近づいて来た事が判る。
尾根に出て山頂直下の大師堂の自然石の石段を登り
太子堂の門を潜ると、奥には弘法大師千百年忌供養塔が建てられていて、
毎年弘法大師の命日の5月4日には大師祭が催されているそうだ。
大師堂から巨岩の脇を回り込みヒトツバの群生する狭い道を進んで行く。
このヒトツバは岩の上に着生する植物で、五剣山や拇指岳でも群生していたのを思い出す。
ヒトツバの群生した道を抜けると心経山の山頂に着いた。巨岩が露出した山頂は遮るものがなく、
360度の瀬戸内の眺望は絶景だ!
岩の矛先まで進んでみるがその高度感に股間がゾクゾクとする。
相変わらず高いところ好きのあっちゃんのバンザイ!
メンバーも続々と先端に集まって、その眺望を楽しいでいる。
昔は高い所も全然平気だったのに歳をとったせいか、足元が心もとない。
自分が立たなくても人の姿を見ただけでゾクゾクするようになった。
小さな祠に手を合わせて山頂を後にする。向かいの山肌には紅葉がまだ残っていて、
最後の彩を楽しませてくれる。
心経山の大絶景を楽しんだ後は王頭山へと向かって行く。
一旦、鞍部へと下って行くがさらに落ち葉が積もっていてとても滑りやすい。
鞍部からは九十九折れの道。先ほどの心経山の岩の上で瀬戸内の風に当たって乾いた汗が
また額から流れ落ち始めた。急登を登りきるとスズタケの茂る道になるが
踏み跡はしっかりしているので、どんどんスピードが上がってくる。
スズタケ道を過ぎると背の低い松と足元は乾いた花崗土の道になり、
時々先ほど登った心経山が見下ろせる高さまでなる。
前を歩く今日で2回目の参加のクーちゃんも、黙々とメンバーに付いて歩いている。
王頭山山頂には二等三角点『広島』。周りは木々に囲まれ見晴らしは無い。
やっさんが熱心にその三角点を写真に撮っている。
山頂から少し下って行くと観光案内の写真でもよく見る王頭砂漠に着いた。
花崗岩が風化してできた真砂土が砂漠のように広がり、コロコロと花崗岩の自然石が点在する
空中庭園のような場所だが、想像していたよりもその規模は小さかった。
今日はかしまし娘ではなく、あっちゃん・キョウちゃん・みなちゃん・ゆかりんの若草物語?
四人の娘?が賑やかに小さめの岩に登ってはしゃいでいる。ついでに私も!
今日はこの王頭砂漠でお昼ご飯。各々お弁当や即席麺を広げてのんびりとする。
お弁当を食べ終えた麺法師さんが、丸い巨岩の下を『杉さんは通れるかな~?』と
言いながら潜って遊んでいる。
砂漠の中でのランチの後は江の浦へと下って行くのだが、真砂土の乾いた土に
ひなちゃんとひろりんが足を滑らせて登れず苦戦している。
山頂からの支尾根の道では随所で瀬戸内の眺望が広がっていた。
その内のひとつの展望岩で、麺法師さんが沖に浮かぶ灯台の岩礁を指さし、
『あの軍艦のように見えるのが波節岩灯標(はぶしいわとうひょう)』と教えてくれた。
あまり高い所が得意ではない長さんもその展望岩の先でビビりながらもポーズ!
展望岩を過ぎるとこれも里山らしい羊歯の道になった。足元が見えずらい羊歯の道が終わると
江の浦を見下ろしながらの道が続いていく。港を出ていくフェーリーの先には
対岸の飯野山・青ノ山・城山などの里山が見渡せる。
支尾根の展望道が終わると所々で急坂の下りになり、要所要所でロープが張られていたが
時々足を滑らせた声が聞こえてくる。シャッターチャンスを狙って下から構えてみたが
逆に私が足を滑らせツーさんに笑われた。そのツーさんも滑って大笑い。
すってんころりんと賑やかに下って行くと江の浦の集落に出た。のどかな風景の中を
お喋りしながら歩いくが、何軒かは人の気配のない家が点在していた。
ススキの穂の向こうに下ってきた王頭山が見える。
自転車ですれ違ったおばあちゃんが『こんにちは!』と明るく挨拶をしてくれた。
今の時期、島外が来ているので気軽に話しかけるのは躊躇うが、
向こうから挨拶してくれると『こんにちは!』と返す。
神社の鳥居の横に花崗岩を積み上げられた石蔵が建っていた。
開口部の周りと他のヶ所の石の仕上げが異なり、そのコントラストが美しい建物だ。
『神社の宝物殿かな?』と話していたが、後で調べるると先ほどの波節岩灯標の
灯標用油の貯蔵庫として活用されていたそうだ。
帰りのフェリーまではまだまだ時間があるので、海岸沿いを立石の集落へと歩いて行く。
もう師走だというのに瀬戸内の島で急ぐこともなく、ゆっくりと潮風を感じながら歩く。
立石の集落には江戸時代に廻船問屋として繁栄した尾上家の邸宅の旧尾上邸がある。
周りにめぐらされた高い石垣には青木石が使われており、その豪壮さは邸宅の石垣というよりは
城壁といっていいほどの見事な石積みだった。
観光案内には総ケヤキ造りの建築は『塩飽大工』の技術が随所に発揮されていると書かれているが、
未公開とされている宅内も偶然に島外に住んでいる家主が在宅で見学していいと許可をくれた。
広大な敷地には母屋や離れが複雑に連なり建っていたが、人の住んでいない家の傷みは酷く、
朽ちていくのを見届けるしかなかったところを、島の人々でクラウドファンディングで資金を集め、
その再生に向けて動いているそうだ。
ただ長年の埃をかぶった家屋より、やはり目につくのは4m以上もある石垣だった。
すぐ横の畑で作業をしていたおじいちゃんが、『石垣の石と石の間に小さい石の詰め物が一切ないだろう』
『石を削って丁寧に合わせて積み上げたんや』と教えてくれた。たしかに石垣は場所によってはすき間が無く
正面門の角の石垣の反りは名だたる城の城壁にも劣らない。塩飽大工というよりは
この島で古くから青木石を採石していた石工の技術の高さだと思った。
尾上邸の再生工事には偶然にも丸亀の建築会社の方が従事していた。
メンバーとも顔見知りの社長さんと話が弾む。
旧尾上邸の見学を後に近くの八幡神社まで寄り道してみる。
ここには珍しい陶器の狛犬が座っていて、その横の石段を登って行く。
『こんなに石段長かったかな~覚えてないな~』と麺法師さんの息も上がっている。
八幡神社の石段を下りると、今度こそは今日は登りは無いはずだ。
海沿いのすれ違う人もいない平らな道を歩いて行くと、道の脇に可愛いらしい
お稲荷さんだろうか?狐が笠木にちょこんと載った緑青の鳥居があった。
また道の脇には所々でうんちくのある言葉が刻まれた石碑も立っている。
まだまだ時間はある。海岸沿いの広場になった場所で久しぶりのコーヒータイム。
今日は人数も多いので一台のバーナーと、コーヒーを淹れるあっやんとみなちゃんも大忙しだ。
麺法師さんとツーさんのツーショット!
コーヒーを楽しいんだ後はフェリー乗り場で時間をつぶす。
沖にはその向こうの香川の山並みが隠れそうな巨大な船が通り過ぎていく。
予定より一便早い客船に乗り込み島を後にする。これが大正解で、島々の向こうに
沈んでいく夕陽とそれに染まる瀬戸の海を、丸亀に着く間たっぷりと堪能できた。
庄内半島の奥には雲の上に浮かんだように見える法皇山系の山並みまで見渡せる。
陽の沈んだ後の薄暮の中を船を降り、車を停めた場所まで戻る途中の丸亀駅では
イルミネーションが点灯されていた。そんな12月の忙しない雰囲気を全く感じなかった、
ただただのどかでゆっくりとした時間の流れる、島の里山と島歩きの一日だった。
今日のトラック (距離9.46km 沿面距離9.63km 行動時間5時間16分)
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