かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

木曽グレートトラバース100kウルトラマラソンの思い出

2021-08-29 14:05:22 | 日記

8月も29日だというのに、今日も最高気温は31℃。日中は家の扇風機を浴びながら、囲碁「碁聖戦」、日本300名山グレートトラバース、NHK囲碁トーナメント、高校野球決勝、パラ車いすバスケ、ラグビーなどをあれこれ視聴していれば、今日の日曜日は、あっというまに夕刻となり、涼しい時間帯となるのだろう。

朝の日課に始めたスロージョグは続いており、まだ体重減の効果は現れないが、思考が前向きとなっていて走りながら9月第1週の日帰り登山やマラニックコースなどを頭に描いている。「平日に、列車で裏磐梯や鬼首高原に行って5、6時間走ってみようかな、日帰り温泉はどこにしよう」なんて。

長距離走のことを考えていたら、人生最後に100kマラソン完走したのはどこだっけ?と疑問符。思い出した。ちょうど6年前の2015年8月30日の日曜日に参加した長野県木曽郡木曽町全域をコースとした「木曽グレートトラバース100kウルトラマラソン」だった。(ようだ。)

このマラソン大会、トレランのハードなコース設計で有名なOSJという団体が企画したウルトラマラソンで、コースは100%舗装道路だが、平坦な道というところはほとんどなく、10キロ地点から御嶽山中腹まで標高差800mの急坂を登るほか、1日中標高1000m~1600m地点を上り下りするとんでもないコース設計で、制限時間は15時間と一般大会より1時間程度長いものの、上り坂を歩いてばかりいると制限時間が厳しいかなと思う大会だった。

ただでさえハードなコースであるのだが、2015年8月30日の木曽町は、ほぼ1日中冷たい雨が降っていて雨具を着ながら走っていたが、どんどん体が冷えてきて辛い大会だった。あとで、リザルトをみたら500名くらいの参加者がスタートしたが、200名近くが途中リタイアしていた。

オイラは、冷えた体を温めようと何とか登りも走ろうとしたが、すぐに歩いてしまい、数カ所ある関門の制限時間にひやひやしながら最後尾集団でもがいていた。最終関門80k地点もギリギリでクリアしたころには内心完走をあきらめていた。中央アルプス方向に向かう最後の上り坂を歩いて、フラフラしながら夕闇迫る90k地点のキビオ峠という最終エイドに着いたのは、残り時間1時間。普通のウルトラマラソンで90kを過ぎて、キロ6分、1時間たらず走りぬくことは困難だが、残されたコースが下り坂ということもあり、エイドのパンをコーラで流し込み、「よっしゃーいくぞー!」と気合を入れて、ダメもとで坂道を下ったっけ。

結果は・・・・すっかり日が落ちて、どこがどこだか分からん木曽福島町内の暗い路地をスタッフの案内やときおり暗闇から顔をだした町民の「がんばれー」に後押しされて、あらん限りの力を出し切って全力疾走(のつもり)、なんと15時間の制限時間まであと9秒で完走できた(泣)。ゴール直後、腰が抜けたみたいに小学校の校庭にへたへたと座り込んだ。最後のウルトラマラソン完走にふさわしいドタバタ劇だったが、甘美な思い出をいただいた。

ただし、1日中辛い思いをして体をいじめたせいで、数日後から顔面の帯状疱疹を発し、苦しい思いをした経緯は、2015年9月に開設した、このブログに書きとどめている。因果応報ということ。

このハードすぎるウルトラマラソン、参加者も多く集まらずリタイアも多いことが原因なのか、最初で最後、もう二度と開催されることはなかった。

大会を検索したら、今でもサイトが残っていたので、コースをつらつら眺めながら、あの寒く辛かった木曽の1日を思い出していたら、いつの間にか震えを覚えてきた・・・・6年後の8月最後の日曜日、いい涼みとなっている。

OSJの木曽ウルトラマラソンサイト

     

       2019年9月、乗鞍山頂からの御嶽山。なつかしい木曽のコースは、あの雲の下かな。

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