先週9日から2泊3日の予定で南アルプス南部の深田「日本百名山」光岳(てかりだけ)2592mに向かった会津若松市の夫婦が行方不明になって長野県警の捜索隊が出動しているとの報。
Yahooだけあって、SNSの反応が多数寄せられているが、多数意見としては、
① 夫の年齢が81歳、妻の年齢が78歳と二人ともかなり高齢であること
② 往路だけでも7,8時間もかかること
③ 頂上直下の山小屋は休業中であり、食料、寝具が必要で荷も重量となること
④ 9日の週は、秋雨前線の影響で連日悪天候が予報されていたこと
⑤ コロナで不要不急の外出は控えるべきであること
以上の点から、夫婦の光岳登山は同情の余地のない無謀な登山であって、捜索隊の出動は税金の無駄使いである。
そのような圧倒的多数の意見はもっとなことであるが、二人とも元気に反省の色もなくへらへら笑って下山してきたのならともかく、電波も届かない山中のどこかで、低体温と食料不足のため生死の境をさまよって、二人で何とか頑張ろう励まし合っているかもしれないのであって、現状でそのような批判的書き込みをするのは、山を歩いている人間としては、とても書き込める内容ではない。
この種の報道の常として、続報がなくまだ見つからないのかとヤキモキしている。この歳まで仲良く連れだって山を愛してこられたのだろう。ベテランなので何とか生きておいでだろう。元気な姿で早く見つかってほしい。
久々に、光岳という名前を聞いて、オイラが登った時のことを思い出した。50代前半の「人生で一番元気だったころ」、の夏の日。正確な記録を残していないが、記憶をたどると、
① 富士登山競争を走り歩いた翌日から光岳に向かったこと。
② 静岡駅前泊まって、翌朝畑薙方面へのバスに乗ろうとしたが、何かの都合で運休していたこと。
③ 飯田線に回って、たぶん平岡駅から少しだけバスに乗って、下車した地点から遠山郷を経て登山口の易
老渡(いろうど)まで5,6時間歩いて、日没近くに到着した登山口にツェルトを張って仮眠したこと。
④ 翌朝未明の2時過ぎにヘッドランプ姿でスタートし、光岳登頂を成し遂げ、同じ日の14時ころまでは
下山してきたこと。天気は快晴で、イザルガ岳の大展望と頂上直下の展望地で富士山などを楽しんだこと。
⑤ 下山し、また5,6時間歩いて平岡駅に戻ろうとして遠山郷を歩いていたらたら、聖岳を登ってきたお兄
さんの車に拾われ、いっしょに日帰り温泉(どこだったか)で汗を流し駅に送ってもらったこと。
以上のことを、風化した古文書のようにとぎれとぎれ覚えているが、ほんとにあのころのオジサン元気だった。ボケが少し始まっているが、光岳登山日の夜明けの山中で聴いた「アカハラ」のさえずりと遠山郷のカナカナ大合唱だけは鮮明に覚えているから不思議だよね。
あるいは、会津若松のご夫婦も、昔の登った古き良き思い出を追体験したくて、光岳の女神に誘われたのかもしれない。オイラにも、そんな日がいつか来るかも。
NHKさま、すみません。今朝放映していたグレートトラバース3の映像をお借りします。