尾瀬沼を離れる朝は快晴だった。昨日登った燧の峰々が鮮やかに望めた。大江湿原の一角のほんの少し小高くなった丘に、尾瀬を開いて、尾瀬の自然を守り続けた長蔵小屋の先代たちの墓が立っている。「平野家の墓」と称され、平野長蔵とその子の長英と妻の靖子、そして、その長男で36歳の若さで厳冬の尾瀬に果てた長靖たちの眠る墓。立ち寄って手を合わせた。燧を仰ぐその墓群は、長蔵小屋や尾瀬沼を見つめているようであった。
その丘の草むらだけにヤナギランがいくほんも咲いていた。ここだけはシカさんたちも遠慮したのかな。ヤナギランにまじってツリガネソウやキク科の花々も咲きにおって、チョウやトンボがたくさん飛んでいた。
いつかルートヴィッヒのメゾソプラノで聞いたドイツ歌曲「アナクレオンの墓」がよみがえった。ゲーテの詩にオーストリアの作曲家フーゴ・ヴォルフが曲をつけた短くも味わいの深い歌。墓というイメージをこんなにも安らかで幸福に満ちた場所に置換してくれたゲーテの力量というものを感じた。
「平野家の墓」も、まるで「アナクレオンの墓」と同じ世界、幸せすぎる環境のうちに設えられていた。このような墓を見たら、もうだれも既存の墓になんて入りたくないと思ってしまう。羨望である。
尾瀬を下って、桧枝岐のキャンプ地に二泊して、これも48年ぶりとなる会津駒(2133m)にも登ってきた。昔テントを張った場所は登山者向けのベンチとなっていたが、小さな池は今もきれいな水をたたえていた。(キャンプ地だったころ、この池の水を利用したんだ。)真っ白なワタスゲが風にゆらいでいた。
またやってきた台風に追われるように山を下りた。図書館に平野家先代に関する本を数冊予約した。尾瀬をもっと知りたくなった。ニッコウキスゲは終わっていた。(シカさんにに食べつくされたという心配)こんどは、もっと早い時期にやってこよう。毎年、季節代えて訪れたい場所。
中央のこんもりした草原が、「平野家の墓」、向こうは燧ケ岳。
墓の立つ丘は、「ヤナギランの丘」とも呼ばれていることを後で知った。
墓はすべて、長蔵小屋と尾瀬沼を向いていた。
「アナクレオンの墓」 詩 ゲーテ 訳 吉田秀和 作曲 ヴォルフ メゾソプラノ 白井光子
(davidoff310さんのYotubeから)
ゲーテの詩に習って拙い詩を書いてみた。
「ひらのけのはか」
ひうちのふもとの小さな丘にみかげの石が並んでる
丘はヤナギランが鮮やかな紅色をにおわせ
ツリガネソウの小さなベルを風がゆらし
風に乗ってチョウやトンボが愉快に空を舞い
むこうの沼辺では、水鳥の家族がやさしい水紋をのこして去っていく
丘のまわりは、草や虫や鳥たち、すべてのいきもたちの憩うところ
丘の上のみかげの石は誰のもの?
そこは、
長蔵~長英(靖子)~長靖たちの
尾瀬を愛し、尾瀬を守った 家族の眠るところ
春・夏そして秋と、いきものたちと喜びを交わした家族の憩うところ
そして、やがてくる吹雪の冬も
丘の下で春を待ちながら
安らかに眠っていくのでしょう ずうっと これからも