たまおのページ

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きゅしょくのおもいで

2020年01月28日 | Weblog
 1月 28日

 休職の思い出。訂正 給食の思い出。 
 
 母親は肉魚乳製品などなど殆どの食品が食べられな人でした。(本人は
「クサイ」と言っていました)元祖ヴィーガンだね。(笑)
 母親以外の家族はなんでも食べていましたが、母親が味を見ることができ
ないし、凝った調味料は使わないから、味付はほぼ味噌・醤油でした。

 で、学校での給食。
 洋食風のおかずがでたり、生家では食べない(食卓に出てこない)料理が
楽しみでしたねぇ。シチューとかコロッケ、竜田揚げにポテトサラダ。
 クラス全員に配膳して、鍋に残ったシチューなどはお代わりしてもいいん
だよね。アタイも急いで食べてお代わりしましたよ。
 でも一番最初にお代わりできませんでしたね。だいたいが5~6番目。
どんなに掻き込んでも負けてしまう。真っ先にお代わりする人は噛まないで
流し込んでいたんでしょうか?(笑)

 生家は農家だったので、食べる物が無い。っていうことではなく、種類が
限られていたんです。時期(季節)ごとに収穫できる野菜があり、それが
無くなるまで毎日同じものを食べていました。飽きるんですよね味付けも
同じだから。

 んで、給食は完食していましたよ。アタイにとっては何でも旨い。
 ところが残す人がケッコーいましたよ。不味い。ってね。
 今から考えると、実はそれほど美味しい給食ではなかったんでしょうね。

 給食を残していたのはやはり女子が多かった。食が細いこともあるん
でしょ。あとはサラリーマンとか自営業の家庭の子。
 普段からそれなりのものを食べているから給食は味が一段落ちる。

 給食。自分が子どもの頃には気が付きませんでしたが、先生も生徒と
同じ量でした。そうすると大人が小学生と同じ量では足りませんよね。
 職員室で菓子パンとかクラッカーを食べていたんでしょか?(^^)

 休んだ子のパン(コッペパン)をその子の家まで持って行ったり
していました。帰り道が同じ人が。総菜は運べないから、パンとジャム
ぐらいでしたね。

 最近は生徒が給食を残さないようにするのがタイヘンだそうですね。
食材を吟味したり、子ども好みの料理にしたり、味付けを考えたりね。
 飽食の時代。っていわれてから何年経っているのは忘れてしまいまし
たが、子どもの口も肥えてきている。
 いや、肥えているわけじゃないね。ジャンクフードの味に慣らされて
しまい、味が濃ければ美味しいと勘違いしているんでしょ。
 逆に食事らしいものを食べるのは給食だけ。という貧困家庭も増えて
います。
 
 安全で美味しい給食を食べられるのは幸せですよね。(^_^)/
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