日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

音威子府(おといねっぷ)

2007年06月27日 | インポート
久し振りに懐かしい地名を聞いた。

牛肉ミンチ偽装事件の会社の社長の出身地が、音威子府(おといねっぷ)だという事をテレビで報じていた。

私が19歳の時(34年前)、測量専門学校を卒業し、航空写真測量の会社に就職して半年が過ぎた頃の話。

「往復は航空機(旅客機)を使っての1週間程度の出張だから。」という甘い誘い文句に乗せられて、航測課に配属されていた、同じ測量専門学校の同じクラスから就職した同期の新入社員3名が、北海道の現場作業の手伝いに行く事になった。

3名ともまだ、生まれてから1度も飛行機に乗った経験が無かったので、大喜びでその現場作業に同行した。

ベテランの実測課の課長を班長とする、総勢8名のチーム編成だった。

作業内容は、縮尺1/5000地形図の測図(航空写真を基に、地図として図面化する作業)のために必要な航空写真の撮影計画に基づいて、その撮影範囲内で選定された既設の国家三角点に対空標識を設置する事と、新設の標定点増設のための多角測量(トラバース測量)の実施などだった。

生まれて初めて飛行機に乗り、羽田空港から千歳空港まで行き、その後は列車に乗り換えての移動となる。

その時の現場地名が、音威子府(おといねっぷ)、鬼士別(おにしべつ)、浜頓別(はまとんべつ)、知来別(ちらいべつ)など。

音威子府や鬼士別には、それぞれ数泊したが、音威子府は比較的大きな町だったように記憶している。

1週間ぐらいという当初の甘い業務命令は、出張後の1週間目には「次は別の現場に明日移動する。」という班長の一言で簡単に撤回された。

結局、北海道では気候の良い9月中旬に東京を出てから、雪が降り始めた10月の中旬までの1ヵ月あまりの現場出張となり、過酷な現場作業を色々と経験させてもらった。

中でも、地元のテレビや新聞で報道された「測量作業員遭難事件」は、特に印象に残っている。

私たちの現場測量隊のベテラン課長と主任が、二人で一番奥地の国家三角点に対空標識を設置に行って、夜になっても帰ってこない。

その地域はヒグマの生息地域でもあり、宿泊していた旅館の人が「ヒグマにやられたんではないべか」と言い出し、地元の警察に知らせて大騒ぎになった事があった。

翌日の早朝から、地元の消防団員や警察官などによる捜索隊を編成して捜索に向かっていた時に、二人は無事に下山してきた。

地元のテレビニュースや新聞記事にもなった事件だった。

その現場は、なだらかではあるが尾根と谷が複雑に入り組んだ地形で、しかも山肌は北海道特有の、背丈以上もある熊笹の密生地だ。

山頂の国家三角点まで到達するには、国土地理院発行の1/50000地形図を読みながら、まず、複雑に蛇行している川に沿って上り、目標とする国家三角点の直近まで行き、そこから熊笹の密生地を泳ぐように藪こぎしながら、ひたすら頂上を目指すということになる。

「遭難事件」の先輩二人は、そのような過酷な作業をしての帰途、川沿いに下って来ている時に日暮れとなり、そのまま下るのは危険だと判断して、途中で火を焚いて野宿をしていたのだという。

そして翌早朝に川沿いに下りて来たということだった。

テレビが報じていた「音威子府」という地名から、そんな事があった事を思い出した。


豊田かずき