最近届いた「写真測量とリモートセンシング」という、日本写真測量学会が発行している学会誌の表紙に、軍艦島(端島)の画像が載っていた。
以下は、その表紙説明文。
表紙は端島(通称軍艦島)を3Dスキャナで計測したものである。
軍艦島は、長崎半島の西方海上にある面積6.3haの小島で、かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、1974年の閉山以後無人島となった。
大正から昭和の各時代を反映した鉄筋コンクリート構造物が残存し、産業遺産となっている。
長崎大学インフラ長寿命化センター(松田浩センター長)は「軍艦島の鉄筋コンクリート造高層建物群の環境劣化調査と安全性評価に関する研究」を実施しており、3Dレーザスキャナ(Riegl VZ-400)を用い計25箇所から計測を行なった。
そこに3D点群を球体表示することで構造形状がより把握しやすくなると考え、球体表示ビューワ「Macaron(ビジュアルツール(株)」で描画した結果、3DCADでモデリングしたものと同等に詳細部材まで表示可能である事が確認できた。(使用機器:RIEGL社製 VZ-400)
以上は、表紙説明文。
阪神・淡路大震災が発生した年の前の年から、諫早市内の長崎ソフトウエアーセンターという建物の一部を借りて入っていた扇精光株式会社の事業開発室で、航空写真測量の技術指導者ということで働かせてもらっていた。
その時に、扇精光株式会社が長崎県から受注していた「海岸台帳」作成のための航空写真測量を実施した海岸のひとつが端島(軍艦島)だった。
釣り船用の漁船をチャーターして端島に渡り、その漁船が迎えに来るまでの時刻までに測量作業を終えなくてはならなかった。
航空写真測量では、復元されたステレオモデルにおける水準面の規正と微調整のために、一部において、簡易水準測量という標高値を把握するための測量を実施する必要がある。
水準儀(レベル)を使っての水準測量で、標尺を立てた位置を、撮影計画に基づいて撮影された航空写真の2倍伸ばし写真画像の上に、刺針しながら進む作業になる。
端島の外周を囲んでいるコンクリート製の堤防の上に水準儀(レベル)を据えて、島を一周するという測量で、島の船着場の付近に設置されている標高の基準点から出発して、島を一周し、又その標高の基準点まで戻ってくるという測量だった。
当然の事ながら、標高の基準点から出発して、島の堤防の上を尺取虫の様にして水準測量を進めて行き、又その標高基準点まで戻ってきた時の水準測量による計算値が、所要の精度内に入っていなければならない。
島の堤防の上を左回りに測量して回ったが、右側は海面までかなりの高さがあり、高所恐怖症の自分にとってはあまり気持ちの良い状況ではなかった。
チャーターしていた漁船が迎えに来るまでの時刻に、所要精度にて測量を終える事ができた。
そのような思い出のある端島(軍艦島)だが、写真測量学会誌の表紙に載っている最近の端島(軍艦島)の現況は、測量をした当時の状況とは若干変化しているようだ。
観光資源としての活用のために、測量した当時は海だった一部分に、見学道路が新設されていて、端島(軍艦島)の面積が増えているようだ。
当時、測量して回った島の外周の堤防の一部は倒壊していて、その外側を締め切るようにして、堤防のような構造で見学道路が新設されており、海底だった部分の石が露出している様子がわかる。
面積が12平方キロメートル弱(わかりやすい長方形で表現すれば3km×4kmの広さ)の旧愛野町の現在の人口がおよそ5500人ぐらいだが、それと同じぐらいの人たちが、わずか6.3ha(わかりやすい長方形で表現すれば、100m×630mの広さ)の島の中に住んでいた時代があったということ。
必然的に高層建物群の建設によるしかそれらの数の人々を収容するすべはなかったゆえに、高層建物群が建設された。
石炭がエネルギー源として重視されていた頃の産業遺産ではあるが、現代の人類においては制御不能な原子力に頼らずとも、その気になって取り組めば、我が国のエネルギー源の選択肢は色々あるはずだ。
産業遺産の端島(軍艦島)がその事を象徴しているように思える。
なお、日本写真測量学会のホームページの閲覧は以下で。
http://www.jsprs.jp
豊田一喜
以下は、その表紙説明文。
表紙は端島(通称軍艦島)を3Dスキャナで計測したものである。
軍艦島は、長崎半島の西方海上にある面積6.3haの小島で、かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、1974年の閉山以後無人島となった。
大正から昭和の各時代を反映した鉄筋コンクリート構造物が残存し、産業遺産となっている。
長崎大学インフラ長寿命化センター(松田浩センター長)は「軍艦島の鉄筋コンクリート造高層建物群の環境劣化調査と安全性評価に関する研究」を実施しており、3Dレーザスキャナ(Riegl VZ-400)を用い計25箇所から計測を行なった。
そこに3D点群を球体表示することで構造形状がより把握しやすくなると考え、球体表示ビューワ「Macaron(ビジュアルツール(株)」で描画した結果、3DCADでモデリングしたものと同等に詳細部材まで表示可能である事が確認できた。(使用機器:RIEGL社製 VZ-400)
以上は、表紙説明文。
阪神・淡路大震災が発生した年の前の年から、諫早市内の長崎ソフトウエアーセンターという建物の一部を借りて入っていた扇精光株式会社の事業開発室で、航空写真測量の技術指導者ということで働かせてもらっていた。
その時に、扇精光株式会社が長崎県から受注していた「海岸台帳」作成のための航空写真測量を実施した海岸のひとつが端島(軍艦島)だった。
釣り船用の漁船をチャーターして端島に渡り、その漁船が迎えに来るまでの時刻までに測量作業を終えなくてはならなかった。
航空写真測量では、復元されたステレオモデルにおける水準面の規正と微調整のために、一部において、簡易水準測量という標高値を把握するための測量を実施する必要がある。
水準儀(レベル)を使っての水準測量で、標尺を立てた位置を、撮影計画に基づいて撮影された航空写真の2倍伸ばし写真画像の上に、刺針しながら進む作業になる。
端島の外周を囲んでいるコンクリート製の堤防の上に水準儀(レベル)を据えて、島を一周するという測量で、島の船着場の付近に設置されている標高の基準点から出発して、島を一周し、又その標高の基準点まで戻ってくるという測量だった。
当然の事ながら、標高の基準点から出発して、島の堤防の上を尺取虫の様にして水準測量を進めて行き、又その標高基準点まで戻ってきた時の水準測量による計算値が、所要の精度内に入っていなければならない。
島の堤防の上を左回りに測量して回ったが、右側は海面までかなりの高さがあり、高所恐怖症の自分にとってはあまり気持ちの良い状況ではなかった。
チャーターしていた漁船が迎えに来るまでの時刻に、所要精度にて測量を終える事ができた。
そのような思い出のある端島(軍艦島)だが、写真測量学会誌の表紙に載っている最近の端島(軍艦島)の現況は、測量をした当時の状況とは若干変化しているようだ。
観光資源としての活用のために、測量した当時は海だった一部分に、見学道路が新設されていて、端島(軍艦島)の面積が増えているようだ。
当時、測量して回った島の外周の堤防の一部は倒壊していて、その外側を締め切るようにして、堤防のような構造で見学道路が新設されており、海底だった部分の石が露出している様子がわかる。
面積が12平方キロメートル弱(わかりやすい長方形で表現すれば3km×4kmの広さ)の旧愛野町の現在の人口がおよそ5500人ぐらいだが、それと同じぐらいの人たちが、わずか6.3ha(わかりやすい長方形で表現すれば、100m×630mの広さ)の島の中に住んでいた時代があったということ。
必然的に高層建物群の建設によるしかそれらの数の人々を収容するすべはなかったゆえに、高層建物群が建設された。
石炭がエネルギー源として重視されていた頃の産業遺産ではあるが、現代の人類においては制御不能な原子力に頼らずとも、その気になって取り組めば、我が国のエネルギー源の選択肢は色々あるはずだ。
産業遺産の端島(軍艦島)がその事を象徴しているように思える。
なお、日本写真測量学会のホームページの閲覧は以下で。
http://www.jsprs.jp
豊田一喜