川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

われ、荒川河口に到達す

2009-12-08 22:02:06 | 川越・近郊
 12月7日(月)晴れ

 荒川河口を目指すサイクリング2日目。

 9時15分浮間舟渡駅を出発。浮間公園を横断して荒川右岸の土手に登り一路南下。岩淵水門までは右に新河岸(しんがし)川、左に荒川を見ながら快走。

 岩淵水門のところで新河岸川は隅田川となり浅草などを経て豊洲で東京湾に注ぐ。昔は荒川本流も隅田川に流れ込んでいたが荒川放水路ができてからは東流することとなった。今はこちらを荒川と呼んでいる。放水路の工事に従事していた朝鮮人が大震災時に虐殺された歴史を知る人は少ない。

 今日のコースhttp://arakawa.cycling.jp/map/map.html
 岩淵水門http://www.f-banchan.net/tokyo/iwabuchi/iwabuchi.htm 
 
 川越から江戸までは「栗(九里)より旨い十三里半」といわれた。新河岸川を下る舟運で川越芋が浅草や日本橋に運ばれたのだろう。十三里半は54kmということになる。

 ぼくは岩淵水門を渡って隅田川とはお別れ。荒川右岸沿いに広く立派な道が続いている。
 この道は非常時の避難道路なので通常は車やバイクの通行を認めていない。だから通るのは人と自転車だけである。実質的にサイクリングロードとなっている。走ってみるとあちこちで河川敷の工事が行われており、トラックが時折通行するがどの車も徐行運転で危険性は感じなかった。

 北区、足立区、荒川区、墨田区、江戸川区、江東区と過ぎていく。あちこちで家庭訪問した人たちや友人たちの姿を思い浮かべた。会いたくても長く音信不通の人もいる。池商は全都が学区だったから、地元の北区以外の荒川流域の区からの通学者が多かったのだ。

 荒川ロックゲートなど寄って見学したいところもあるが立ち止まる程度で通過する。

   荒川ロックゲートhttp://www.ara.go.jp/location/loc/16.html

 河口近くの清砂大橋で左岸に渡ることにする。自転車を押して橋に登る。わかりにくいのはここだけだった。橋の中央部分で河口部を見る。水面に陽光が反射してまぶしいばかりだ。左手に洪(ほん)さんの住む高層マンション群が見えるので訪問を予告する。11時半。ここまで2時間15分。順子号の時速は12,3kmくらいか。

清砂大橋からの眺めhttp://blog-imgs-36.fc2.com/d/a/n/danchotei/IMG_3307.jpg

 急な訪問だが洪さんは喜んでくれ?、西葛西駅近くのラーメン屋で昼食をともにする。これがまた美味。おつゆを一滴も残さなかった。川越からママチャリで食べにきたよと言うと店員が驚いたり、喜んだり。

 一時半頃、洪さんと別れ、荒川沿いの(少し上流で中川が合流しているので中川沿いでもある)「健康の道」を葛西臨海公園へ。数キロに亘って続くこの道は実にすばらしい。大河海に入る風景である。 

 荒川河口の風景(葛西臨海公園に続く健康の道)
http://shukas.exblog.jp/tags/%E8%91%9B%E8%A5%BF%E8%87%A8%E6%B5%B7%E5%85%AC%E5%9C%92/

 臨海公園は前にもきたことがあるが荒川を下ってたどり着いた東京湾の広がりは格別である。
 ぼくの生徒だった桂子さんが働いている水族館もあるが今日は遠慮することにする。日没前に北区王子に着かなければならない。海辺を一周してもと来た道をたどる。

 帰り道は北風が強くなってやや難渋する。休み休み走行するが清砂大橋が間近に見えるところで恵美ちゃん宅に電話して予定変更を告げる。今日の走行はここまでとし、自転車は洪さんに預かってもらうことにする。もうすぐ3時だ。この調子ではとても日没までに王子にはつけないし、体力も心配だ。

 洪さんは手ぐすね引いて待っていた?風情。こういうことがあることはそれぞれに考えてはいたことなのである。

 清新町の高層マンションの眺めのいい部屋で男二人が6時近くまであれこれと四方山話。焼酎の湯割りが心地よい。
 
 洪さんは今年このマンションのいわば村長さんを引き受けており、「村民」から「ほんさん」と呼ばれていろいろと世話をするのが気に入っているようである。
 在日コリアン二世だが幼くして両親を失い、兄に育てられたがお兄さんも若くしてなくなった。苦労続きの青年時代だったがアイデンティティの核として民族名を大切にしてきた。その名前を「村」中の人が呼んで親しんでくれるのである。

 いつあっても家族を大事に思う気持ちが伝わってくる。今日はみんなで羽黒山に登った話をしてくれた。自然にテーマは「東北論」になる。このあたりの問題意識もぼくと共通する。多賀城を始め古代の「柵」あとも訪ねている。

 コリアンの中でどんなテーマでも心おきなく話ができる数少ない友人の一人である。洪さんはぼくのことを「先生」と呼ぶが、ぼくが彼の「先生」であったわけではない。しかし、いつの頃からか、ぼくは彼の名前をさん抜きで呼ぶようになった。友達には違いないが「生徒」か「弟」扱いに近くなったのだろう。勝手なことで迷惑かもしれないが…。

 今日はこれでまたよかったなあ、帰りの電車の中で思いおこしつつ、眠り込んでしまった。それでも8時過ぎにはきちんと駅からバスに乗って帰宅することができ
た。

 恵美ちゃんには申し訳ないことをした。いつになるか、風のない暖かい日に洪さんのところから順子号で訪ねるので悪しからず、よろしく。