怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

8月10日鶴舞公園テニスコートは台風の最中で中止

2014-08-11 07:38:42 | テニス
8月10日は鶴舞公園テニスコートの予定でしたが、台風11号が接近。
速度が遅くて土曜日には四国沖をゆっくり進んできます。土曜日は何も予定もなく完全休養日だったのですが、一日雨で家でゴロゴロ。
本を読んでいるとすぐに眠たくなってしまいいつの間にか昼寝
台風11号は10日の日曜日の朝には高知に上陸。
当然ながら名古屋でも朝から雨
テニスも考える余地なく中止。
久しぶりに土曜、日曜と連続して休養です。
ところで日曜日は菩提寺の雲心寺でお盆のお施餓鬼。今年は父の初盆なので母と一緒に行ってきました。雨でなかったらテニスの予定があるからいけないと断っていたのですが、残念ながら雨でテニスは中止。面倒くさいけど仕方ないから行くか。
本堂にはたくさんの檀家の人が詰めかけていて、坊様も住職を始め7人での読経。さらに卒塔婆を扱う人もいて1大イベントです。
意味も分からず読経の声を聴いていると、グレゴリオ聖歌でもそうですが、これはある種の音楽。ところで仏教ではなぜ太鼓とかねといった打楽器だけなのでしょうか。神道では笛もあるので管楽器もあります。弦楽器はどちらもないですよね。でも日本古来から琵琶とかあったと思うのですが。
施餓鬼では住職が一人一人卒塔婆を手に読みあげるので結構時間がかかります。
何時も理屈を言うと母からは嫌われますが、仏教の理念からして先祖供養というのはあり得ない。お釈迦さまは家族を捨て、我が子を踏みつけて出家したはずです。親鸞は親子のために念仏申したこと一度もなしと言っています。法然が先祖供養など言ったのでしょうか。江戸時代の檀家制度と儒教の理念が結びつき土俗的習俗とごちゃごちゃになっているのでは。本来宗教の原理論は世俗の常識に対して革命的(思想的にであり政治的にということではありません)なものです。浄土真宗も親鸞の教えはともかく蓮如によって世俗化した教えを広めることによって大教団になることができたのです。
座ってお経を聞いているだけでやることがないので、まったくもってその場の状況にそぐわないことを考えていたのですが、施餓鬼をやっている間にもどんどん雨は激しくなってきて、本堂前の廊下はもうびしょびしょ。施餓鬼をやりだした10時過ぎから強風圏に入り風雨が一番激しかったのでしょうか。前職だったらこの日は災害待機で泊りだったか。
車で帰る時も道路にほとんど車が走っておらず、風でとんだ枝葉が散乱していました。
それでもパチンコ屋の駐車場は満車。小人閑居して不善をなす…
吹き戻しの風は強かったですが雨は4時ごろには上がり、図書館に行ってきましたが、不善はしなくても無為な一日でした。
コメント
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