怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「物語の役割」小川洋子

2015-12-05 08:19:58 | 
3部構成になっていますが、小川洋子が3回にわたって物語について講演した記録を基にしたものです。
小川洋子が小説を創作していく様子ともの心ついてから影響を受けてきた数々の本についてよく分かります。

「博士の愛した数式」を書くきっかけはなんとテレビで藤原正彦(新田次郎と藤原ていの息子であの「国家の品格」というベストセラーを書いた数学者)がハミルトンという数学者の悲恋を語ったのを見たことからとか。数学には知識も縁もなかったのに数学者に興味を持ち、数学者を主人公にした小説を考える。
数学者と適当な距離を保ちつつ、尊敬の念を育めるような関係の観察者として家政婦さん、これで主要な登場人物が決まります。
そして「友愛数」;一方の約数の和が、他方の約数の和になるというペアの数。最初にピタゴラスが発見したペアの数は220と284です。そして物語では220は家政婦さんの誕生日2月20日に、284は数学者が論文を書いて賞をもらった時の記念品の腕時計に刻まれている番号になります。
こうやって場面、場面が浮かび上がっていく中で自然と物語が出来上がっていく。創作者であるはずの小川洋子より前に博士や家政婦やルート君がいて、自分より前にすでに完全数や友愛数がある。そういうものがすべてある者の姿を一生懸命追いかけていって、振り返った時に、自分の足跡が小説になっているという感じ。
小説というのは言葉で書いてあるのに、言葉にできない感動を与えなければいけない矛盾に満ちた困難な仕事だけに謙虚に書き続けているのでしょう。
第2部では短編小説集「まぶた」の中にある「リンデンバウム通りの双子」という小説の創作過程をより具体的に話しています。
小説のタネとの出会いは論理的に起こる現象ではなくて、突然前触れもなく、しかも非常に静かにやってくる瞬間なので、静かに待つしかない。この小説も「ヨーロッパの家」という写真集を見ていて、その中の年老いた兄弟の写真を目にとめてかすかな予感を感じたとか。それとは無関係に友人とおしゃべりをした時のエピソードが結びついて勝手な妄想なのですが頭の中に映像が浮かんできた。映像が浮かんでくることが小説になるというサイン。言葉が浮かんでくることが始まりではなく、言葉は常に後から遅れてやってくる感触なのだそうです。
浮かんできた2つの無関係なものに橋をかけるのは自分なりの想像力なのですが、ふたつのものをつないで自分だけの一つの王国を作り上げていくのです。ストーリーも最初から決まっているものではなくて橋をかけた段階で自然に浮かび上がってきたもの、小説が書ける予感がした時にはストーリーは一字も思い浮かんでいない。ストーリーは作家が考えるものではなくて、実はすでにあって、それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目。
う~ん、そういうキャッチができるのはやっぱり稀有な才能なんでしょうけどね。
第3部では小川洋子の幼い時からの読書遍歴が披露されますが、小学校1年にしてボタンとボタンホールの物語を自分で作り自分を救っています。それはさておき小学生の時に夢中になったのは「ファーブル昆虫記」とか。これは私も小学5年か6年の時に夢中になって読んだ記憶があります。「トムは真夜中の庭で」という物語は知りませんでした。でもこれってジブリのアニメの原作になっているのでは?
そして「アンネの日記」。いろいろな場所で触れていますが、隠れ家という殻に閉じ込められた特別な才能を持った少女の濃密な2年間の記録。
民族も言葉も年代も性別も違う人間がどこかで出会ったとき、同じ本で育っていれば共通の思いを分かち合うことができるかもしれません。
新書版で120ページほどの本ですが小川洋子の愛読者は必読本でしょう。でもこの本、小川洋子の小説でもエッセイでもないので並んでいる棚は小説と遠く離れた棚で小説の理論のようなところでした。図書館ではなかなか見つけにくいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする