怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

卒業式で感じること

2020-03-09 08:26:05 | Weblog
新型コロナウイルス対策で、小中高校がずいぶん早い春休みに突入。
おかげで卒業式をどうするんだということで日本全国大混乱。名古屋市は卒業式位は大切な思い出になるのでやりましょうということでいろいろ条件を付けて実施することに。
具体的には在校生の参加はなしで保護者も参加は児童生徒一人に一人だけとか。
大切な思い出になるのでやるべきという議論がほとんどで、やらなくてもいいという話は聞こえてこない。
そもそも学校を休校にする必要があるのかということついては、議論があって、私は少なくても小学校についてはその直接的な影響だけでなく間接的に社会に与える影響というか社会的費用と比べて効果はあまりにも小さいと思っています。熟慮の結果というよりは何としても「やってる感」を出したい官邸の政治的決断というかパーフォーマンスだと思うし、筋としてはディサービスの休止のほうがまともな気がします。もっとも個人的には今せっかく母をうまくごまかしてディサービスに行かせだしたところなので通っているディサービスが休止になると大変困りますけどね。
ところで卒業式ですけど、この歳になるともはや記憶も定かでないのが正直なところ。
小学校の卒業式についてはほとんど覚えていないのですが、途中でトイレに行きたくなって、式の途中で行くかどうか葛藤したうえで何とか我慢して式が終わると教室に戻る前にトイレに駆け込んだ記憶しかありません。なんとも消し去りたい記憶しかないのです。
中学校については、これが何と全く覚えていない。アルバムでもひっくり返してみれば何か思い出すかもしれませんが、記憶はきれいに消えている。
卒業式は大切な行事で一生心の残るものなどと言われていますが、私的にはこんなものです。そこから言えば、あれは親のためのもので本人的にはやってもやらなくてもいいぐらいにしか言えません。むしろこういう騒ぎで卒業式はできなかったとか普通とは違って簡略化してやったというほうが記憶に残るのでは。
まあ、私は子ども二人の卒業式には出たことないので大きなことは言えませんけど。
因みに子どもの通った旗屋小学校は歴史と伝統がある小学校で、入学式と卒業式の時だけは長屋門のある入り口を通ります。

何やら貴重なピアノもあるみたいですけど、これも卒業式には活躍するのでしょうか。

長屋門をくぐる機会がなくなるのはちょっと寂しいかも。
高校の卒業式は騒乱の70年の時代だったので、学園紛争の影響で私が1年生の時から在校生の出席はなし。送辞も答辞もなしだったはず。親の出席もあったかどうか。少なくても私は親に出席するなといった記憶がある。
1年生の時に写真部の友人が記録のために出校できたのですが、校門付近には私服がうろうろしていて、途中S校と組んだ全闘委が卒業式粉砕を叫んで押しかけてくるというデマが飛んで職員室が騒然となったとか。あの頃は何でも粉砕とか阻止とか勇ましい言葉が飛び交っていて、村上龍は佐世保の高校を封鎖し(小説「69」になっている)全国ニュースになっている。
私の卒業式も在校生出席なしで卒業証書を校長からもらうだけだった記憶。卒業証書を手渡される時には校長に礼もしないで横向いて受け取った失礼な高校生でした。
たまたまテレビを見ていたら母校の卒業式をやっていたが、異例なことに在校生の出席はなしで保護者も人数制限とのナレーションでした。私にとっては記憶通りの当たり前の式なのですが、もう卒業後50年近くたっているので、当時は疾風怒涛の世情の中で異例な高校生活を過ごしてきたということをいまさらながらに感じます。
でも歳を取ってしまえば多分こういった異例な式をしたということは普通の式を行うよりは記憶に残るのでは。
コメント
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