怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「江戸の居酒屋」伊藤善資

2021-11-12 14:32:50 | 
中津川に行った時、列車の乗車時間は1時間を超えるので時間つぶしに読む本として借りてきた本です。
往復2時間で読み終えたのですが、江戸時代だけでなく縄文時代の古くからの日本酒の歴史も書いてあり、酒造りの基礎知識とかトレビアな話題豊富。
車内で気楽に読めたのですが、うれしい誤算、予想外に面白い拾い物でした。

巻頭に江戸の酒飲み風景とか、代表的な居酒屋の様子、居酒屋料理の値段に地図に落とし込んだ居酒屋のあった場所など図絵があってまずこれだけでも楽しめます。
徳川家康が江戸に入府して以来、都市整備を進めていく中で関東一円から人夫が集まってきた。当然そのほとんどが男性。必要に応じて遊女屋と酒屋が営業し始める。
酒は最初ただ酒を売るだけで店頭で飲ませることはなかった。一方明暦の大火後大土木工事に集まった人足を当て込んで煮売り茶屋が登場し、茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆などを食べさせていたのだが、酒も出すようになり煮売茶屋と呼ばれるようになった。同じころ酒屋は店頭で酒を飲ませる店(今の角打ち)が出だし、そのうちに田楽やイモの煮っころがしなどの簡単な魚を出すようなってきた。居ながら酒を飲むので「居酒」、料理の品ぞろえが豊富となってきて煮売り酒屋と区別できなくなり、天明3年の町奉行所の調査では1803軒とか。
因みに居酒屋で飲む酒の値段は
にごり酒;どぶろく、1合4文(120円)
中汲み;上澄みと沈殿部の中間をくみ取ったもので、白濁しているが米粒感はない、1合8文(240円)
地回り酒;関東周辺の地酒、1合12文(360円)
上酒1合24~28文(720~840円)
極上酒1合32文(960円)
お酒は関西の伊丹・池田・鴻池などの下り酒が一番で、菱垣廻船で運ばれてくるのだが、航海の間に塾生が進むのか美味さが増したそうです。やがて灘の宮水で醸した酒が急成長して、今に至る灘の生一本となってくる。当時は上方から来た「下りもの」が珍重され、そうでないものは「下らない」と言われたと言うのは聞いたことがある様な。
酒の消費量はどんどん伸びて、文化14年(1817年)のは133万樽となる。当時の江戸の人口は約100万人で、成人男性の割合が高く、飲酒人口が半分として一人当たり年間約2.4樽。一升瓶に直すと84本。一日平均2合半。よく飲んでいます。日本人は体質的にアルコールに弱いなどと言われていますが、これを見るとどうしてどうして、なかなかのものです。
当時の人気店は鎌倉河岸(現;神田)の豊島屋酒店とか日本橋の四方酒店とかで、豊島屋は今でも猿楽町に移転して酒小売店を営み、清酒「金婚正宗」を東村山市で醸造しているとか。
居酒屋の店内の風景も描写していて、テレビの時代劇で見るものとは若干と言うかドラマにならない風景になる。酒は年中燗酒で、大半は男ばかりで切り盛りしていて美人の酌で飲むような色気はない。店内にテーブルもなく、空き樽に腰を下ろす程度。
そんな居酒屋で出てくる料理は、イモの煮っころがしとか豆腐、イモ、こんにゃくの味噌田楽が人気だったが、やがて醤油と味醂で煮込んだおでんにとってかわられる。いろいろな種類のお吸い物も酒の肴としてよく出されていたそうで、みそ仕立ての味噌汁と醤油仕立てのすまし汁があった。
総じて江戸では武士から庶民に至るまでしこたま酒を飲んでいるのですが、飲酒に寛容な社会だったみたいです。
お酒好きのあなた、時代劇ファンのあなた、一読すれば好奇心が満たされます。暇な時には是非どうぞ。
コメント
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