旧日本軍においては命令は絶対で、特攻命令を受けて出撃したパイロットで9回出撃して9回とも生きて帰ってきた人がいたとはこの本を読むまでは信じられませんでした。実際、機体整備不良なり何らかの理由で帰還した兵は生きていては困るとばかりに隔離されて軟禁状態にされた実例もあります。

その佐々木友次さんは、92歳まで生きて、偶然と幸運が重なり鴻上は2015年に実際に5回もインタビューすることができました。
この本はその佐々木友次さんの半生とインタビューから成り立っています。実は出版当時結構話題になった「陸軍特別攻撃隊」の著者の高木俊朗は佐々木さんの自宅に3週間ほど泊まり込んでインタビューしています。綿密な調査と膨大な資料を駆使して、陸軍特別攻撃隊の始まりからフィリピン戦線の終わりまでを圧倒的な筆力で描写しています。この本でも多くの記述を高木の本に拠っています。残念ながら今は絶版だそうです。
よく話題になりますが、特攻は志願なのか命令なのか?
特攻を話題にするときにその立場が大きく影響しています。命令を出す立場の人の記述はほぼ「志願」。現実に特攻出撃するものにとっては「命令」。
また、最初のフィリッピン戦の時と沖縄戦の時とではその性格も違ってきています。
佐々木さんの場合は第一回の陸軍特別攻撃隊に指名されていて明らかに命令。最初は何としても戦果をあげたいということで優秀なパイロットが選抜されたみたいです。隊長の岩本大尉は操縦と爆撃の名手で、体当たり攻撃には反対だったのだが指名されている。岩本は自分の判断で許可得ることなく固定されていた爆弾を主導で落下させることができるようにして改造させていて、結果としてこれが佐々木を生還させる力となった。
岩本大尉(確か永遠のゼロにでも名前は出てきていた)の反対理由は非常に合理的で体当たり攻撃では操縦者の生命と飛行機を犠牲にするだけで、効果がありえないからと言うこと。どんなに急降下で突っ込んでも揚力があるので飛行機の速度は爆弾の落下速度の半分ほど。搭載している爆弾ではアメリカ艦船の装甲甲板を貫くことができない。さらに甲板を貫ける徹甲爆弾は海軍しかなく陸軍ではなかった。無謀な作戦を考える前に有効な爆弾を開発することの方が大切なのに「崇高な精神力は科学を超越して奇蹟を表す」(航空技術研究所)と言われると馬鹿らしくてやってられないのが本音では。
岩本は自分の生命と技術を最も有意義に使い活かし、出来るだけの多くの敵艦を沈めたいと言って、出撃しても爆弾を命中させて帰って来いと言った。
佐々木さんはその岩本の教えを忠実に守り、最初の出撃では揚陸艦に爆弾を落とすも命中せず。体当たりすることなく帰った。しかし大本営発表では戦艦を沈めたことになっていて、すぐに次に出撃が命令される。だがその時は夜間出撃で空中集合が出来ずに帰還。
3回目の出撃では参謀長から必ず体当たりして帰って来てはならないと言われている。しかしこの時はアメリカ艦載機の急襲を受けて飛行機は炎上。
4回目の出撃に際して必ず体当たりして来いと言う参謀長や作戦参謀に死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させますと反論している。
何度か生還してくると佐々木さんのことが兵隊たちの中で話題になってくる。悪く言う人はおらず、人気者に。みんな心の奥では作戦の馬鹿らしさにあきれていたのだろう。
6回目の出撃では大型船に爆弾を命中させ撃沈している。しかしその時には体当たりして戦死と広報され、故郷では2度目の大掛かりの葬式がされている。その頃には援護する戦闘機もなくなり、まともな飛行機はどんどん減ってきている。生きていては困るので何でもいいので出撃命令を出している。第4航空軍では銃殺命令さえ出ていたという。
その後佐々木さんはマラリアにり患し、山の中に逃げ延び、敗戦を経て日本へ帰還した。
それにしてもここに出てくる富永第4航空軍司令とか猿渡参謀長の醜さはどうか。そういう人が軍の枢軸にいる組織はそれだけでダメでしょう。でも組織の中ではこんな人はたくさんいるか。
鴻上のインタビューでは佐々木さんの富永なり猿渡への思いを聞いていますが、長い年月が溶解したのか恨み言をいっていません。どうして生還できたかと問われても寿命だと淡々としています。でも当時の軍隊内でちゃんと主張できたということはすごい精神力だったと思うのですが。
ところで全く合理性を欠く特攻ですが、その戦果はと言うとフィリッピン戦では命中率11%、至近突入を含めて18.89%、沖縄本土で5%、至近突入を含めて9.9%。従来の統計ではもっと多いのですが小破(損傷)を含めているから。でも小破は戦果とは呼べないぐらいの損害。次のないただ1回の攻撃である体当たり攻撃の効果は軍事的効率としては評価できない。
特に優秀なパイロットを投入したフィリッピン戦はともかく沖縄戦では未熟練な予備士官などの練度不足搭乗員で飛行機も練習機までを投入して待ち受けるアメリカ軍戦闘機と対空砲火で艦船までまともにたどり着けていない。ほとんど効果がないことは指導部も分かっていながら惰性のごとく続けている。最早客観的な戦力を見れば結果は明らかな中、国民の精神的高揚効果の為だけに続けていたのだろう。何とも暗たんなる気分です。
この作戦を遂行した指導部は絶対に許すことができないのですが、命令を出した自分たちは生き延びて、美化したような言説を言いつのっている輩がいるのには吐き気を催します。
特攻を美化する気分が多少なりともあるのならぜひ読んで頂きたい本です。

その佐々木友次さんは、92歳まで生きて、偶然と幸運が重なり鴻上は2015年に実際に5回もインタビューすることができました。
この本はその佐々木友次さんの半生とインタビューから成り立っています。実は出版当時結構話題になった「陸軍特別攻撃隊」の著者の高木俊朗は佐々木さんの自宅に3週間ほど泊まり込んでインタビューしています。綿密な調査と膨大な資料を駆使して、陸軍特別攻撃隊の始まりからフィリピン戦線の終わりまでを圧倒的な筆力で描写しています。この本でも多くの記述を高木の本に拠っています。残念ながら今は絶版だそうです。
よく話題になりますが、特攻は志願なのか命令なのか?
特攻を話題にするときにその立場が大きく影響しています。命令を出す立場の人の記述はほぼ「志願」。現実に特攻出撃するものにとっては「命令」。
また、最初のフィリッピン戦の時と沖縄戦の時とではその性格も違ってきています。
佐々木さんの場合は第一回の陸軍特別攻撃隊に指名されていて明らかに命令。最初は何としても戦果をあげたいということで優秀なパイロットが選抜されたみたいです。隊長の岩本大尉は操縦と爆撃の名手で、体当たり攻撃には反対だったのだが指名されている。岩本は自分の判断で許可得ることなく固定されていた爆弾を主導で落下させることができるようにして改造させていて、結果としてこれが佐々木を生還させる力となった。
岩本大尉(確か永遠のゼロにでも名前は出てきていた)の反対理由は非常に合理的で体当たり攻撃では操縦者の生命と飛行機を犠牲にするだけで、効果がありえないからと言うこと。どんなに急降下で突っ込んでも揚力があるので飛行機の速度は爆弾の落下速度の半分ほど。搭載している爆弾ではアメリカ艦船の装甲甲板を貫くことができない。さらに甲板を貫ける徹甲爆弾は海軍しかなく陸軍ではなかった。無謀な作戦を考える前に有効な爆弾を開発することの方が大切なのに「崇高な精神力は科学を超越して奇蹟を表す」(航空技術研究所)と言われると馬鹿らしくてやってられないのが本音では。
岩本は自分の生命と技術を最も有意義に使い活かし、出来るだけの多くの敵艦を沈めたいと言って、出撃しても爆弾を命中させて帰って来いと言った。
佐々木さんはその岩本の教えを忠実に守り、最初の出撃では揚陸艦に爆弾を落とすも命中せず。体当たりすることなく帰った。しかし大本営発表では戦艦を沈めたことになっていて、すぐに次に出撃が命令される。だがその時は夜間出撃で空中集合が出来ずに帰還。
3回目の出撃では参謀長から必ず体当たりして帰って来てはならないと言われている。しかしこの時はアメリカ艦載機の急襲を受けて飛行機は炎上。
4回目の出撃に際して必ず体当たりして来いと言う参謀長や作戦参謀に死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させますと反論している。
何度か生還してくると佐々木さんのことが兵隊たちの中で話題になってくる。悪く言う人はおらず、人気者に。みんな心の奥では作戦の馬鹿らしさにあきれていたのだろう。
6回目の出撃では大型船に爆弾を命中させ撃沈している。しかしその時には体当たりして戦死と広報され、故郷では2度目の大掛かりの葬式がされている。その頃には援護する戦闘機もなくなり、まともな飛行機はどんどん減ってきている。生きていては困るので何でもいいので出撃命令を出している。第4航空軍では銃殺命令さえ出ていたという。
その後佐々木さんはマラリアにり患し、山の中に逃げ延び、敗戦を経て日本へ帰還した。
それにしてもここに出てくる富永第4航空軍司令とか猿渡参謀長の醜さはどうか。そういう人が軍の枢軸にいる組織はそれだけでダメでしょう。でも組織の中ではこんな人はたくさんいるか。
鴻上のインタビューでは佐々木さんの富永なり猿渡への思いを聞いていますが、長い年月が溶解したのか恨み言をいっていません。どうして生還できたかと問われても寿命だと淡々としています。でも当時の軍隊内でちゃんと主張できたということはすごい精神力だったと思うのですが。
ところで全く合理性を欠く特攻ですが、その戦果はと言うとフィリッピン戦では命中率11%、至近突入を含めて18.89%、沖縄本土で5%、至近突入を含めて9.9%。従来の統計ではもっと多いのですが小破(損傷)を含めているから。でも小破は戦果とは呼べないぐらいの損害。次のないただ1回の攻撃である体当たり攻撃の効果は軍事的効率としては評価できない。
特に優秀なパイロットを投入したフィリッピン戦はともかく沖縄戦では未熟練な予備士官などの練度不足搭乗員で飛行機も練習機までを投入して待ち受けるアメリカ軍戦闘機と対空砲火で艦船までまともにたどり着けていない。ほとんど効果がないことは指導部も分かっていながら惰性のごとく続けている。最早客観的な戦力を見れば結果は明らかな中、国民の精神的高揚効果の為だけに続けていたのだろう。何とも暗たんなる気分です。
この作戦を遂行した指導部は絶対に許すことができないのですが、命令を出した自分たちは生き延びて、美化したような言説を言いつのっている輩がいるのには吐き気を催します。
特攻を美化する気分が多少なりともあるのならぜひ読んで頂きたい本です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます