怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

酒井順子「家族終了」

2021-08-18 17:02:02 | 
酒井順子さんの本にしては結構インパクトのある装丁です。
全体が黄色で、銀文字で著書名と著者名。さらに刺激的な言葉が並んでいます。

内容もインパクトがあって、家族のことについて大いに考えさせられます。
自分が生まれ育った家族のことを「生育家族」、結婚などをすることによって作った家族を「創設家族」と言うそうですが、酒井順子さんは父、母に次いでお兄さんが亡くなり生育家族のメンバーが自分以外全員世を去りました。生まれ育ち、人格を形成していくにあたって、生育家族は大きな影響を与えてきたのは否めません。
家族のローカルルールが血肉と化していて、これが当たり前だと思うことがどうやら我が家だけのことで世間では違っていたことも多々あった記憶はあります。鍋とかすき焼きをやるとそれぞれの流儀があって、我が家の味とか好みも深く刷り込まれています。ほんの些細なことが多いのですが、世間とは違って我が家ではこうだったとか、こういう味付けだったとかを話す相手が誰もいなくなると言うのは、喪失感が大きいと思います。
ただ、そういった生育家族が誰もいなくなったからこそ、書きたいこともあるし、気兼ねなく書くことができることもありそうです。
それやこれやで齢50にして家族のことについていろいろ考え、考えさせられ、書き連ねてあります。
酒井さんも父母のことを書いているのですが、実は火宅の家だったということを告白。戦中派昭和おやじの父と違って自由な家庭に育ち自由な教育を受け戦後民主主義とともに育った母は結婚後も男友達とデートとか密会とか食事とかも楽しんでいたとか。ある日突然「おかあさんには他に好きな人ができたので、離婚することになりました」との宣言。
程なく酒井さんもついて行って実家へ行き別居生活でしたが、「おばあちゃんがかわいそうになった」とかでうちに戻っている。「子どものためではないんだ」と言うことでびっくりしているのですが、まあ、新旧意識が微妙に入り混じった飛んでるおかあさんだったみたいです。酒井さん自身も楽しければいいと要領よく自由に生きてきたのはおかあさんの血を受け継いでいると言っているのですけど。
ところで同世代の友人たちは、結婚している人も多く、嫁力を沸点を迎えようとしているとか。彼女たちの嫁姑関係とか子どもとかの関係を自称負け犬の酒井さんは一歩下がったところで見ているので新しい見方ができるみたい。でもそこは女性なので男性からの視点とは違うし、男性では言えないこともある。
嫁と姑とは、根源にあるのは「同じ男を愛する二人の女」、姑は「この男を自分の股から出した」と言う自負を持ち、嫁は「この男を私は自分の股に迎え入れた」という自信を持つ。股から出した方か入れた方か、男は引き裂かれることになる。う~ん、こんなこと思いもしなかったし、思っても絶対に言えなかっただろう。
今必要な家庭科教育の在り方とか、世襲の妙味とか、新しい家族の在り方とかも論じられているのですけど、私にとっては普段思いもしていない考えもあり、結構心に響く重い家族論でした。このレヴューもなかなか書けなくて2回読み返しています。
私の父は脳溢血で倒れ2年近く半ば寝たきりの胃ろう生活でした。母は89歳ですが今や立派な認知症で短期記憶は喪失状態。ディサービスに通いながらなんとか一人暮らしをしていますが、父母に対する思い出と言うか記憶と言うのは、新しいものにどんどん上書き保存されるので、今の母に対しては美しい記憶がどんどん消えて行っています。
酒井さんはお父さんがなくなり、お母さんは60代で突然亡くなっているので、ぼけるなどと言うこととは無縁だったのでしょうが、認知症の人の相手をしていると美しい老後などと言う認識はあり得ないと思います。生育家族が誰もいなくなり創設家族もいないと言う時に、一人ぼっちの認知症の老人はどうなるのか。「家」は断絶するのかとか「墓」はどうなるどうするという議論の前に、今ここにある高齢者をどうするか。公的支援の出番なのでしょうが、公的支援ができるように多少なりともその人の人生に責任を持って介入するキーパーソンは必要です。でも実の母親でも振り回されて嫌になることが多い私が思うには、まともな議論が成り立たない認知症の人に誰が責任をもって介入できるのか。
新しい家族の形態が自立できなくなった高齢者のセイフティネットになりうるのか、もちろん家族は次の世代につないでいくことが一番の使命で、セイフティネットのためだけにあるのではないのでしょうけど、これから模索が必要だと思います。私自身は「家」だの「お墓」等に拘りはなくて、骨も適当に散骨してくれればいいと思っていて好きにしてくれ言う感じですが、葬式は省略しても火葬ぐらいはしてほしいし、腐乱して発見というのは想像したくない。豚児二人がちゃんと火葬までしてくれるのか不安ですけど、そんなことを言うと要らぬ重荷になるのか。
どうも世間の変遷が早すぎて、人間の意識がなかなか追いついていない気がして、改めて年を取ったと感じる次第。

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