ローテンブルクはロマンチック街道一の人気のスポット。街は城塞の中だけならほんの2、30分もあれば端から端まで周れそうな規模である。前日に滞在したヴュルツブルクもそうだったが、このローテンブルクも9月のドイツとは思えないほど暑かった。街を歩くにもペットボトルの水が欠かせないほど。歩くのも大儀になってきた。
そのような予想外の暑さに負けてしまったわけではないが、残念だったのは聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダー作「聖血の祭壇」にたどり着けなかったこと。どうも聖ヤコブ教会を訪れたとき、教会は開放している場所が制限されていて「聖血の祭壇」へはその日は行けなかったのだ。とても残念だが、ヨーロッパの教会や美術館等ではよくあること。事前のお知らせもなかったり、あっても、サイトではドイツ語だけで見つけられなかったのかもしれない。
昼間の暑さを避けて一旦ホテルで休んであらためて旧市街の町中へ。思い直して、福田緑さんに教えていただいたリーメンシュナイダーの作品のある小さな教会を二つ。フランシスコ教会は『地球の歩き方』では教会の場所だけ記載されていてなんの説明もない観光地ではない地元の教会。そこにあるのが「聖フランシスコ祭壇」。聖フランシスコは福田さんによれば「聖フランキスクス」という名でイタリアはアッシジの裕福な生まれ。鳥と会話できたという(『祈りの彫刻 リーマンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット 2008年)。13世紀初頭に活動した聖フランシスコは伝説も多く、ジョットの祭壇画にも頻出する。その聖フランシスコが驚いている様は、福田さん前掲書によればキリストと同じ聖痕がついている。そこまではよく分からなかったが、相方のレオ修道士が聖フランシスコの様に頭を抱えているので、おそらくはキリスト受難の場面を同時的に看取したのであろうが、詳細は不明である。福田さんのおっしゃるようにリーメンシュナイダーにしては少し、「ずいぶん明るい感じ」ではるが、彩色されていること、表情が他の代表的作品に比して峻厳に見えなかったことによるかもしれない。しかし、聖フランシスコはイタリア以外では描かれたことは少ないらしく(ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』)、そのような聖フランシスコ像を分かりやすく(聖痕や腰帯は典型)、イタリア外で彫り表わそうとしたリーメンシュナイダーの仕事の誠実さにあらためて思い馳せてしまうのである。
フランシスコ教会から北へ5分ほど。城外すぐの聖ヴォルフガング教会はさらにひなびたところ。所在無げにたばこを吸っていたおじさんが、私たちが訪れてきたのを見ると受付に変身。誰もいない。打ちつけの修復作業中(?)の建物内にほこりで汚れた椅子。はたして、信者が毎日あるいは毎週礼拝しているのだろうか。残念ながら「これがリーメンシュナイダーの!」という感動的作品ではなく、ありきたりの祭壇像であった。よく見るとリーメンシュナイダーの作かどうかも筆者には見分ける技量もなく、見過ごしそうなものである。ただ、生涯にあれだけの彫像を遺したリーメンシュナイダーであるから、目見開かされる作品ばかりでもないのも事実である。むしろ作品全体においては教会に納められた祭壇(像)のほうが少ないので、リーメンシュナイダー自身の事情(ちなみにこの聖ヴォルフガング祭壇は福田さんによれば1514年作で盛期とは言えない)、教会側、そして時代状況などさまざま事情により、秀作が納められる条件にはなかったのかもしれない。
ローテンブルクは人気のある町だけであって、日本人観光客も多かったが、街の雰囲気を楽しむ以外はそれほど大きな観光名所があるわけでもない。どうも街の規模以上に土産物屋が乱立していて、さながら倉敷のよう。倉敷ほど俗化しているとも思えないが、聖ヤコブ教会をはじめ、そこにある美術作品を楽しめないとローテンブルクそのもので過ごす時間はむしろもてあますのではないか。ときに大勢でやってくるバスツアーが、ロマンチック街道一の美しい街を2時間そこらで去っていくその理由も分かった、小さなリーメンシュナイダーと出会いであった。(聖フランシスコ祭壇)
そのような予想外の暑さに負けてしまったわけではないが、残念だったのは聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダー作「聖血の祭壇」にたどり着けなかったこと。どうも聖ヤコブ教会を訪れたとき、教会は開放している場所が制限されていて「聖血の祭壇」へはその日は行けなかったのだ。とても残念だが、ヨーロッパの教会や美術館等ではよくあること。事前のお知らせもなかったり、あっても、サイトではドイツ語だけで見つけられなかったのかもしれない。
昼間の暑さを避けて一旦ホテルで休んであらためて旧市街の町中へ。思い直して、福田緑さんに教えていただいたリーメンシュナイダーの作品のある小さな教会を二つ。フランシスコ教会は『地球の歩き方』では教会の場所だけ記載されていてなんの説明もない観光地ではない地元の教会。そこにあるのが「聖フランシスコ祭壇」。聖フランシスコは福田さんによれば「聖フランキスクス」という名でイタリアはアッシジの裕福な生まれ。鳥と会話できたという(『祈りの彫刻 リーマンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット 2008年)。13世紀初頭に活動した聖フランシスコは伝説も多く、ジョットの祭壇画にも頻出する。その聖フランシスコが驚いている様は、福田さん前掲書によればキリストと同じ聖痕がついている。そこまではよく分からなかったが、相方のレオ修道士が聖フランシスコの様に頭を抱えているので、おそらくはキリスト受難の場面を同時的に看取したのであろうが、詳細は不明である。福田さんのおっしゃるようにリーメンシュナイダーにしては少し、「ずいぶん明るい感じ」ではるが、彩色されていること、表情が他の代表的作品に比して峻厳に見えなかったことによるかもしれない。しかし、聖フランシスコはイタリア以外では描かれたことは少ないらしく(ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』)、そのような聖フランシスコ像を分かりやすく(聖痕や腰帯は典型)、イタリア外で彫り表わそうとしたリーメンシュナイダーの仕事の誠実さにあらためて思い馳せてしまうのである。
フランシスコ教会から北へ5分ほど。城外すぐの聖ヴォルフガング教会はさらにひなびたところ。所在無げにたばこを吸っていたおじさんが、私たちが訪れてきたのを見ると受付に変身。誰もいない。打ちつけの修復作業中(?)の建物内にほこりで汚れた椅子。はたして、信者が毎日あるいは毎週礼拝しているのだろうか。残念ながら「これがリーメンシュナイダーの!」という感動的作品ではなく、ありきたりの祭壇像であった。よく見るとリーメンシュナイダーの作かどうかも筆者には見分ける技量もなく、見過ごしそうなものである。ただ、生涯にあれだけの彫像を遺したリーメンシュナイダーであるから、目見開かされる作品ばかりでもないのも事実である。むしろ作品全体においては教会に納められた祭壇(像)のほうが少ないので、リーメンシュナイダー自身の事情(ちなみにこの聖ヴォルフガング祭壇は福田さんによれば1514年作で盛期とは言えない)、教会側、そして時代状況などさまざま事情により、秀作が納められる条件にはなかったのかもしれない。
ローテンブルクは人気のある町だけであって、日本人観光客も多かったが、街の雰囲気を楽しむ以外はそれほど大きな観光名所があるわけでもない。どうも街の規模以上に土産物屋が乱立していて、さながら倉敷のよう。倉敷ほど俗化しているとも思えないが、聖ヤコブ教会をはじめ、そこにある美術作品を楽しめないとローテンブルクそのもので過ごす時間はむしろもてあますのではないか。ときに大勢でやってくるバスツアーが、ロマンチック街道一の美しい街を2時間そこらで去っていくその理由も分かった、小さなリーメンシュナイダーと出会いであった。(聖フランシスコ祭壇)
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