ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

違法薬物より深刻に広がる市販薬乱用

2025-04-03 10:35:48 | その他
現在は覚醒剤などではなく、市販の薬のオーバードーズ(過量摂取)が特に若い女性で問題になっているようです。

処方薬や市販の薬でも大量に飲めば、幻覚など起こる可能性はありそうですが、それ以外の副作用も心配です。コロナ禍前後で顕著な増加傾向にあるのが咳止めの「デキストロメトルファン」と言われています。

2022年の調査では、市販薬を主に使う薬物とする症例のうちデキストロメトルファン含有群は男性7.6%、女性18.2%となり女性で多くなっています。

調査によるとこの薬剤は咳中枢に作用する成分ですが、乱用することで幻覚を誘発したり、興奮・錯乱状態を引き起こしたりする危険性があります。

2021年に同成分を含む製品が市販薬として販売が始まったことを触れたうえで、2020年調査ではデキストロメタルファン含有群に該当する市販薬は、乱用薬剤として浮かび上がってこなかったとしています。

このタイプの市販薬が、この1,2年のうちに若年層の間で支持を集めている可能性が危惧されると関連を指摘しています。そのほか睡眠改善薬や抗アレルギー薬に含まれる「ジフェンヒドラミン主剤群」は男性3.4%、女性15.5%となりやはり女性に多くなっています。

調査は女性は男性と比較し、市販薬について幅広く使用し、また同時に複数の市販薬を使用している可能性が示唆されると結論付けています。また救急搬送された症例を見ると、高い自殺願望がうかがえるなど深刻な状況です。

21年から22年に市販薬のオーバードーズで救急医療機関7施設に搬送された122人を対象にした埼玉医科大学などの調査では、いくつかの傾向が明らかになっています。まず女性が97人と約8割を占め、平均年齢は25.8歳と若年女性が多いです。

また目的は自傷・自殺目的が98件と最多で、自傷の中にはいなくなってしまいたい、自らを罰したい、傷つけたいといった理由もありました。

その他の目的の中には、元気を出したい、嫌なことを忘れたかった、楽になりたかった、薬をたくさん飲みたくなってしまうから、など現実逃避を目的としていたり、薬の依存性につながるような理由も挙げられました。

薬の入手経路は実店舗での購入が6割強で、オーバードーズに使用された市販薬は83種類189品目に及んでいます。

考察では、メンタルヘルスの不調を抱えながらもどうにか社会生活を送っていて、精神科医療や相談支援に繋がっていない若者が自殺手段や不快気分の解消、つらい現状を忘れる方法として市販薬を過量服用している現状がある。

市販薬の過量服用であっても、自殺する危険性が高い心理状態であること、さらには依存症が加わると自殺の危険性がより高まること、若者がとらえる多様な心理社会的問題に対して、医師だけでなく薬剤師などが協働し、患者一人ひとりに対しての精神的治療を含む支援を提供することが重要である、と述べています。

なんにお金を使えば幸せになれるのか

2025-03-29 10:32:48 | その他
私の家はそれほど裕福ではないのですが、お金の心配をしなくてもよい程度の暮らしをしています。

このお金の有効な使い方というのは、それなりに難しいような気がします。なんにお金を使えば幸福度が上がるのでしょうか。

拓殖大学の研究グループは、これまでの研究では体験・経験への消費は、モノにお金を使うよりも幸福度を高めるとされてきました。しかし最近、これに異を唱える研究が出てきたそうです。地球の資源が有限であるように、使えるお金も有限です。

このためお金をどう使うのかは、人生における重要な問題です。日本人のお金を取り巻く環境を見ると、収入は微増していますが物価も上昇しているため、普段の生活はむしろ苦しいと感じることが多くなっています。

厚生労働省の発表を見ると、2024年の物価を考慮した働き手1人当たりの実質賃金は、前年比マイナス0.2%でした。また内閣府の国民生活に関する世論調査によれば、将来に備えるか、毎日の生活を充実させて楽しむかという質問に対して、現在より将来に備えると回答した割合が増加しています。

これは日本人が支出を切り詰め、倹約に努めていることを意味するでしょう。こういった研究成果をもとに、何を買うことにお金を使えば幸せになるのかを考えてみます。まず注目するのは、消費量と幸せの関係で、ほしい商品が多く買うことができれば幸せになれるのでしょうか。

直観的には幸せになれそうですが、研究結果を見ると商品の種類によってその影響が異なることがわかっています。世の中の商品を手に取ることができる「モノ」と、できない「体験・経験」の2種類に分けた場合、実はモノを多く買ったとしても幸福度は上がり続けないのです。

多くのモノを買いすぎると、ある地点から幸福度が伸びなくなってしまいます。ある研究では多くのモノを買いすぎると、むしろ幸福度が低下すると指摘されています。実は体験・経験への消費は、モノを買うよりも幸福度を高めてくれることがわかっています。

コロラド大学などの研究によれば、コンサートや旅行といった体験・経験にお金を使ったほうが、服や靴といったモノにお金を使うよりも幸福度に強い影響を及ぼすということがわかっています。背景にあるのは、思いで効果です。

コンサートや旅行といった体験・経験は良い思い出となり、自分の人生の糧となります。こういった体験は手に取ることができませんが、自分の中で生き続け、幸福度を高めてくれるというわけです。

この説にも現在は異論が出ているようですが、いろいろな体験をしてみたいと考えています。

道徳的な直観に反して不平等な社会が残っている

2025-03-24 10:32:49 | その他
現代社会が平等かというと、決してそんなことはない気がします。例えば私がよく行くパチンコでも、いつも勝っている人もいれば負け続けている人もいます。

まあこれは不平等とは言いませんが。社会的不平等はおのずと発生し、世代を超えて受け継がれ排除するのは極めて難しいとされています。

簡単に言えば、生じた社会経済的不平等ははなくなりません。誰にもその本質はわからないし、いくら探しても最善の解決策は見つかりません。完全に平等な社会は、今後もしばらくは実現しないでしょう。加えて際限のない不平等と過激な平等を対比する行動は混乱を招きます。

それでもある程度平等な社会には利点があると考えられます。不平等が拡大していくことの最大の問題は、不平等な仕組みが社会資本を損なう、言い換えればその社会の全構成員間の円滑な協調を可能にする非公式な社会規範網を破壊してしまう点にあります。

特に問題になるのが、社会的信頼のダメージです。何しろ基本的に人が互いに信頼できるときにのみ社会のつながりは維持され、社会のつながりが維持されるときのみ繫栄する平和な共存が可能だからです。

社会的不平等による信頼の損失が引き起こす症状には、共同体の基本形態の浸食、公衆衛生の悪化、さらには社会の大部分が自分にはチャンスが公平に与えられることがないと考えることからくる心理障害、暴力傾向、あきらめの増加などが数えられます。

結果として、自殺や薬物の乱用による絶望死が増えることもあります。現代社会は、ある程度の不平等を許容せざるを得ませんが、それは不平等を引き起こしている諸制度が、不平等から生じる心理的・感情的被害を埋め合わせられるだけの利点をもたらす場合に限ります。

市場がとてもうまく機能している場合でも、経済的成功は幸運な偶然や出自や個人の才能に依存するため、社会経済的な非対称性は必ず生じます。それでも非対称な社会が可能とする効率や利益は、すべての人に有益となりえます。

不平等は道徳的な直観に反するにもかかわらず、人類はいまだに明らかな不平等のない社会を築く方法を見つけていません。原始的な生活にロマンを感じる人は多いかもしれませんが、実際そのような形の共存生活へ回帰したいと考える人は少ないです。

不平等は、それで誰も得をしないときはじめて問題とみなされます。結局やや哲学的な話になってしまいましたが、この社会の不平等はなるべくしてなったということのようです。

実際にはこれに実力主義の問題などが絡んでいるようですが、長くなりましたのでこの辺で終わりにします。

就職氷河期世代と正社員も苦しむ停滞する日本

2025-03-23 10:32:51 | その他
1992年から2002年の22歳~29歳の男性については、同時期の正社員の比率が顕著に低下しました。

この時期の20代男性に限って言えば、非正社員の増加が正社員の減少と相関するという通説が当てはまります。この時期の20代とは、まさに団塊ジュニアです。

1990年代に急減したのは、高卒就職者でした。91年の60万7466人から、2004年の20万8903人と約3分の1になったのです。その一方で大学進学率が25.5%(1991年)から40.5%(2002年)に伸びました。

この情勢は高卒では就職できなくなり、大学に行かざるを得なくなったともいえそうです。90年代に大学に進学した団塊のジュニア世代はもともと人数が多く、団塊世代の1949年の出生数は約270万人で、団塊ジュニアの1973年出生数が約209万人となっています。

90年代後半から2000年代初頭は、正社員の絶対数も減少していました。その減少部分は、おそらく従来なら高卒男性が就いていたであろう正社員の職や、バブル期に増加した女性正社員の職であったと推察されます。ただしこうした変動は、90年代の一時的な現象でした。

2000年代になると、大卒者数は約55万人で落ち着き、高卒就職者の減少は止まり、正社員の絶対数も80年代の水準まで戻ったところ安定しました。その結果18歳から54歳に占める正社員の比率も、82年と2007年で同じという形になりました。

そして人数が多かった団塊ジュニア世代に、90年代の変動の影響が集中しました。大卒者が増えた90年代半ばに良い就職口がなかった世代は、その後も影響が残りました。02年~07年の20代男性の正社員比率の低さは、その痕跡と考えられます。

「就職四季報」の人気上位100社の総合職採用数の合計は、2000年代を通じて毎年約2万人と推定されます。さらに同時期の「雇用動向調査」によれば、従業員1000人以上の大企業への大卒新卒就職数は、平均で約11万8000人でした。

この数字は景気動向で1~3割の増減はあっても、大きくは変動しません。2001年以後の大学卒業者数は、ほぼ55万人で一定しています。これを人気上位の2万人、大企業採用数の約12万人と対比させれば、全体の競争状況がどのようなものであるかは想像できます。

結局団塊のジュニア世代の就職の難しさになってしまいましたが、この状況は現在でも続いているではないでしょうか。

あまりにも有名なトロッコ問題

2025-03-19 10:36:24 | その他
思考実験というのは、ある状況を設定しそれにどう対処するかを問う問題ですが、なかなか答えが出せないものも多いようです。

この典型的なものが1967年に提出されたトロッコ問題です。有名なものですが、ここに要旨を付けておきます。

突進しているブレーキの利かないトロッコの前方に、5人の線路作業員がいます。このままでは5人はひき殺されてしまいます。しかしそれを見ているあなたの目の前には分岐ポイントがあって、それを切り替えればトロッコは引き込み線に導かれ、5人は助かります。

しかしそうすると引き込み線にいるひとりの作業員は死んでしまいます。この状況にあなたがいるとしたら、5人を助けるためにポイントを切り替えるだろうか。それとも何もしないでいるだろうか、というのがトロッコ問題です。

一人の命につき1の価値を与える、いわゆる幸福算術によって幸福を計量して代数和を求め、それを最大化するように行動すべきであるといういわゆる功利主義などが出てきています。功利主義という原理に従うならば、ポイントを切り替えるべきでしょう。

しかしこの原理だけでは判断できない状況は、様々に考えられます。さらに思考実験ならではの変化法によっていろいろな設定を考えられます。たとえばポイントを切り替えるという設定を、次のように変更するものが有名です。

トロッコが突進している線路上には陸橋がかかっています。あなたはそこにいて、目の前では太った男がやはりトロッコの行方を見ています。この男を陸橋から突き落とせば、彼は死ぬだろうがトロッコは彼にぶつかって止まり、5人の作業員は助かるでしょう。

ではこの男を突き落とすべきでしょうか。こういった思考実験では、物理学の思考実験以上に色々なことを単純化しています。さらに状況を全く別の物にしてみるという変化法も使われます。

敵軍の兵士が街に侵攻してきました。市民は見つかり次第殺されています。あなたは赤ん坊を抱いて地下室に隠れました。そこには20人の市民が息をひそめています。赤ん坊が泣きだし、このままでは兵士に発見されてしまいます。

あなたはあなたと20人の市民を助けるために、赤ん坊を殺す(黙らせる)でしょうか。この場合、あなた自身が判断するのと、20人のうち誰かが子供を殺せと要求してくるのとでも状況は違ってきます。この辺りも変化法で考察する題材です。

この世に思考実験にはいろいろな題材がありますが、あまりに究極な状況のような気がします。

最後に私のトロッコ問題についての回答は、何もせず見守るです。成り行きに任せた結果を受け入れるのが、最も精神的に楽なような気がします。