ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

入院生活3週間の総括

2025-01-14 10:34:28 | 日記
このブログでも書きましたが、約3週間という長期入院をしていました。この闘病生活についてまとめてみます。

発端は昨年の12月20日でしたが、特に何か運動をした記憶はないのですが体全体が酸素不足となり動かなくなってしまいました。かみさんも軽いパニックになったようで、すぐに救急車呼んでいました。

この時ゆっくり休んで買ってある酸素ボンベ(運動後に吸入するものです)を使用したりすれば回復したと思っています。ただこのときインフルエンザ陽性でしたのでこの治療を急ぐという点では、緊急入院は良かったのかもしれません。

この時の医師の診断では、間質性肺炎などにはなっていないものの、肺気腫が悪化しており帰宅後も自宅で酸素吸入の必要を考える状況だったようです。本人としては息苦しさなどの自覚症状は全くなく、実感としてわからない状況でした。

入院してすぐ酸素吸入と点滴が始まり、若干ボケっとしていたようでこの辺りの記憶ははっきりしていません。ただ私のように肺機能が落ちてしまった場合、なかなか良い治療法はなく、負担がかからないように自然回復を待つしかないようです。

少し良くなると入院生活は非常に退屈なものでした。まず早朝5時から体温や血圧などの計測から始まりますが、この時間に起こされてしまうともう寝ることができません。

私の病室は個室でしたので、いつでもテレビを見ることができるのですが、こんな時間ではあまり面白い番組もなく何となく見て過ごしていました。8時から朝食でしたが、ここの食事はひどいものでした。

移行食という表示がありましたので、毎日変わっていくのかと思っていましたが、3週間、3食ほぼ同じパターンの食事でした。何も味のついていないおかゆがメインで野菜の刻み食とゼリーのようなものが2種類となっていました。

これで栄養として問題ないのかやや疑問でしたが、それなりの資格の人が見ているはずという事で食べていました。朝食8時、昼食12時、夕食6時というのがひとつのタイミングでしたが、あまりおいしくはなかったのですが、大きな暇つぶしとなっていました。

朝9時ぐらいから抗生物質などの点滴が始まり、2週間ほど続きましたが終了し、最も問題であった酸素吸入もやはり2週間ほどで外すことができました。酸素吸入を止めても色々な血液検査などには影響がでず、退院後も必要はなさそうでした。

これで治療はすべてなくなりましたので、退院かと思いましたが、様子を見たいとのことで1週間伸びてしまいました。この最後が何のためかよくわからず、足腰が弱っただけのような気がしますが、無事退院することができました。


昔からの友人との早めの忘年会

2024-12-10 10:31:27 | 日記
同じ中高の同級生の仲間はあまり会うことが無くなってしまったので、今年は少し速めに忘年会をすることにしました。

十年前までは8人のグループだったのですが、A君は早稲田大学の教授を退官後、東京に住んでおり来ることができなくなりました。一昨年E君がガンで亡くなり、今年F君がやはりガンで亡くなってしまいました。

S君は数年前認知症を発症し、だんだん進行しているようです。昨年やはり忘年会の時、参加できるかを聞いたところ、奥さんが既に飲食のコントロールができなくなっており、大量に飲んだり食べたりしてしまうということで、誘うのを諦めました。

今年もY君が電話したようですが、やはり進行しているようで、参加は無理とのことでした。結局今年の忘年会は4人になってしまいました。この程度の人数ならば予約しなくてもできそうと思っていましたが、M君が行きつけのスナックを予約してくれました。

実はこの忘年会の場所まで行く、良い公共交通機関がないのです。そこでここ数年は、自宅から車で10分ほどのY君の家に行き、そこからY君の運転で会場に行くというのをやっています。Y君は完全に下戸で全く酒を飲みませんので、運転手としては問題ありません。

今年はY君の家に行ったところ、私の車は置いて、いつも乗っている軽トラで行くことになりました。乗用車と比較すれば当然ですが、軽トラの助手席は非常に乗り心地が悪いものでした。開始10分ほど前に店に着いたところ、店の前にM君とK君が待っていました。

乾杯して始めましたが、やはり今年亡くなったF君の話になり、同じ大学であったK君が色々話してくれました。昨年末胃ガンが見つかったのですが、すでにステージⅣとなっており打つ手がなかったようです。

その少し前に忘年会をしたのですが、いつもと同じように飲んだり食べたりしており、全く違和感はありませんでした。今年になってからいろいろ病院を回ったりしていたようですが、良い治療法はなく肝臓などにも転移していることが分り、緩和ケアを考えていたようです。

それでも3月にはK君も含めてゴルフをしたり、通常の生活が送れていたようです。K君は亡くなる5日前に電話したのですが、若干歯切れが悪い程度で元気だったようです。最後まで通常の生活が送れていたというのは、良い死に方といえるのかもしれません。

しかし亡くなったF君とE君は仲間内でも元気な方でしたが、若干病気がある程度の方が長生きになるのかもしれません。

今回は鍋(寄せ鍋風)が中心でしたが、スナックらしいしゃれた食べ物も多く、デザートの西洋ナシがでるまであっという間の3時間でした。やはり昔からの友人というのが、一番気楽に何でも話せる楽しい会といえるようです。

東研有志の会に行ってきました

2024-11-19 10:32:15 | 日記
私が30年近く勤務した東京研究所(通称東研)の65歳以上のOBを集めた会が開催されました。

どうやって連絡を取ったのか分かりませんでしたが(私のところはメールでした)、男性60人、女性20人も出席しました。皆さんほとんどが20年ぶり以上ですが、歳をとってもすぐに誰だかわかるというのも面白いものです。

12時開催で受け付けは11時半からとなっていましたので、11時40分ごろ会場に行くともう多くの人が集まっていました。皆さん一刻も早く会いたいという思いがあったのでしょう。

一応席が決まっており、隣にT君が来ていました。彼は現役のころから若干太っており、健康診断後の結果が悪いところだらけで怖くて見られないという、病気の巣窟のようでしたが、77歳になっても元気でいましたので多病息災なのかもしれません。

反対側がYさんでしたが、彼は所員でありながら大先生の息子で、学会では特殊な地位となっていました。そのYさんが企画したアメリカ出張(ほとんどが観光旅行でしたが)の思い出など楽しく話しました。

後ろの女性がSさんでしたが、彼女はフルートの名手で所内の音楽部的なところでよく演奏したものでした。ここで本名を出しますが、彼女は清宮という素敵な名前でした。それが所内結婚で高橋君と結婚したのです。

そこで高橋君に是非清宮姓にするよう勧めたのですが、結局高橋になってしまいました。30年も経ってから旦那も清宮姓にすればよかったといっているそうです。

途中一緒に実験をしていたS君と喫煙所に行って一服しながらいろいろ話しました。その後元社長であるHさんと話したとき、NACの会(元上司のH研究室の同窓会)をやってくれという事でしたので、S君と一緒にやろうという事になりました。

今回の最高齢はFさんでしたが、もう90代のはずが非常にお元気でした。ただどうしても亡くなった方の話になってしまいました。こういった懐かしい人たちと話しているとアッという間に時間がたち、2時間の予定を伸ばして3時近くに解散となりました。

私は昔の仲間であるE君たちと2次会を考えていたのですが、麻雀仲間のSKさんとH君がコーヒーを飲もうというので、そちらを優先しました。

H君がドトールコーヒーの3階にゆっくりできるところがあるというのでそこに向かいましたが、いつも麻雀をやっているとはいえゆっくり話したことがないので良い機会となりました。

やはり職場の仲間というのは、一緒の時間が長かったこともあり懐かしさがひとしおという感じがするのかもしれません。

昔の仲間との少し早目の「忘年会」

2023-12-20 10:36:23 | 日記
高校時代からの仲間とは時々麻雀などしていますが、会う頻度は低くなってしまいました。2年前にこの仲間だったE君が肺ガンから突然亡くなってしまいましたので、会えるうちに合っておこうと「忘年会」を企画しました。

その連絡をしたところ、M君の妹さんが突然亡くなり、非常に忙しいようでした。そこで日時を他の人に合わせて決定し、是非この日は空けるようにM君には連絡しました。

ここで問題なのが7,8年前に認知症を発症したS君をどうするかです。S君は車の運転はもちろん、パソコンやスマフォも扱えなくなったようですので、当然メールも返事が来ません。そこでS君に電話し、奥さんに症状などいろいろ聞いてみました。

身体は全く元気なのですが残念ながら症状はかなり進み、タクシーでも自宅に案内できないようでした。外に出るとすぐにどこにいるのかが分からなくなるようで、常にだれかが注意してないといけない状態のようです。

最も問題なのは酒を飲むと量の把握ができず、飲み続けてしまうという事でした。その後S君に代わってもらいしばらく話をしましたが、普段と変わらず元気そうでした。しかしこの状態では忘年会に連れ出すのは無理と判断し、いつもの5人ですることにしました。

当日は車で10分かからないY君の家に行き、帰りは下戸で酒を飲まないY君に運転してもらうつもりで行きましたが、Y君が私の車は運転しにくいという事で、いつも乗っている軽トラで向かいました。

この乗り心地が非常に悪く、いつもの駐車場につくまで尻が痛くなりました。駐車場から出るとちょうど前をM君が歩いており、3人で集合場種に向かうとすでにF君とK君は来ていました。すぐにF君が予約しておいてくれた居酒屋に行きましたが、完全個室で落ちつける良い店でした。

乾杯後最初は皆がよく知っており気になっている、M君の妹さんの話しになりました。妹さんは調子が悪いと感じすぐ近くの知人に連絡して来てもらったそうです。

そこで救急車で病院に運ばれ、脳梗塞と診断されそれなりの治療は受けたようですが、3日後に亡くなったと話してくれました。その後私からS君の状況を伝えましたが、大勢で押し掛けるのは悪いからと私とY君でお見舞い(様子見)に行くことになりました。

乾杯のビールをY君は小さなグラスに少し入れ、残りをF君が飲んでいましたので帰りも心配ないようです。私もビールだけで止めるつもりでしたが、Y君がもう一杯ぐらい大丈夫だろうというのでウイスキーを飲んでいました。

M君も色々問題があるようで、2杯飲んだ後は私と一緒に烏龍茶にしていました。3時間ほどでお開きにしましたが、やはりこの仲間が何の気兼ねせず好きなこと言い合え、一番楽しい飲み会と言えるようです。

昔からの友人との麻雀と早めの忘年会

2022-12-17 10:38:38 | 日記
先月この仲間との久しぶりの飲み会をして、忘年会をするかという話しが出て別れました。

この仲間は私が幹事をすることになってしまったので、メールを出してみるとY君がいろいろ忙しそうでしたが、皆やる気になっていました。特にM君は皆の日程を調整し、自分が行きつけの店で良ければそこでやろうと、とんとん拍子に話がまとまりました。

前回と同様に2時にF君、M君、Y君と私が雀荘に集まり、5時ぐらいからK君も参加して忘年会という計画となりました。問題は私の家から会場のJR駅近くに行く公共交通機関の良いルートがなく、1時間以上かかってしまうことです。

結局いつものように車で近くのY君を迎えに行き、酒を飲まないY君に帰りの運転を頼むことにしました。麻雀はおまけのようなものですが、この雀荘は喫煙もできビールも飲めますので楽しくやることができました。

最初の半荘はM君が絶好調で一人勝ちで1時間程度で終わりましたので、半荘3回はできると考えていました。ところが次は私が荘家でしたが、非常に手が良くなり、親満も含め4回も連荘してしまいました。

麻雀のツキというのは面白いもので、南入した親の時も非常に良い手になり、無理なこともせず簡単に上がってしまい何と5連荘もしてしまいました。この時私は78,000点もあるのに誰もハコテンにならないという面白いパターンとなりました。

当然時間がかかりこの半荘が終わったのが20分前でしたので、少し早めに会場に行きK君を待つことにしました。

このM君の行きつけの店はスナックというよりバーに近い店で、病気以来酒を飲んでいないというM君がなんで行きつけになっているのか不思議でした。時間通りにK君も来て、テーブルの真ん中にあった大きなおでんの鍋をつつきながら賑やかに始めました。

今回は認知症になってしまったS君には声をかけませんでしたが、先月元気な姿を見たので皆やむを得ないという感じでした。この仲間は50年以上の付き合いですので、好きなことが言えますが、どうしても昔ばなし的な話題が多くなります。

ビールで乾杯した後私はコーラに、運転するY君も烏龍茶、M君も酒を控えるとソフトドリンクにしていましたので、F君とK君だけが酒を飲むというおかしな忘年会になりましたが、それなりに盛り上がりました。

料理も和風洋風を含めそれなりに美味しいものが出てきました。デザート風なものが出てきた後、カラオケを進められましたが、話をすることが優先でしたので3時間ほどで早めにお開きとしました。

この仲間は歳のせいもあり色々病気が出たり、昨年一人急死しましたので、動けるうちに顔を合わせる機会を作ろうと感じました。