ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

海外旅行の思い出 フランス

2016-02-29 10:40:02 | 旅行
前回ロンドンの思い出話を書きましたが、まだこの地にはいろいろ面白いことがあったのですが、先にフランスの話を書きます。

最初のフランスはどこの次だったか忘れましたが、どこかでの学会の次がパリだったと思います。ドゴール空港からパリのホテルに入ったところ、空港の割と近くでパリ市内からはかなり離れていました。これでは市内観光をするうえでかなり不便なので、前の学会で一緒になった京都大学のT先生がパリ市内のホテルにいるので、このホテルをキャンセルして市内のホテルに移りました。

この経緯は当時の研究所では海外出張になると、総務の女性が航空券からホテル、現地通貨の交換までやってくれ、私はただそれを受け取って出るだけでした(古き良き時代です)。そのころからパリ市内のホテルはかなり高く、適当な値段のところで探してくれたようです。

そのホテルに移ってから、フロントでT先生の部屋番号を聞き、電話したところ一緒に夕食でもと誘われました。ロビーで一緒になり歩きながら先生が生ガキは大丈夫かとのことでした。私は生ガキが大好きで、日本でも殻付きの岩ガキなど食べていましたので、喜んでついていきました。この時は10月ぐらいだったのですが、パリが生ガキで有名ということを知りませんでした。

少し歩くと店の前にカキが山積みになっているレストランがたくさん出てきました。そのうちの一軒に入りすべて先生にお任せしたところ、非常に大きな二人ぐらいでやっと運べるような氷の山に、いろいろな種類のカキがついているものが運ばれてきました。当然カキは片側の殻は取られているのですが、そのほかトコブシのような貝や巻貝などもついています。これを適当にとってレモンをかけて食べるのですが、本当においしく何種類かのカキを堪能しました。

T先生もこの料理が大好きなようですが、二人前からでないと出ないようで、ちょうどよかったと喜んでいました。ビールと生ガキだけでおなかいっぱいになるまで食べるというのは、かなりの贅沢なのかもしれません。T先生はたびたびパリに来ているようで、この後しゃれたバーに行ってしばらく飲んでからホテルに戻りました。

次の日T先生は別なところに移られたので、一緒に行動はできませんでしたが、この時のカキの味は強く思い出として残っています。その後普通のレストランで食事をしましたが、どこにもフレッシュオイスターのメニューがあり、何度か食べることができました。パリに行くたびにこの山のようなカキを食べたいと思うのですが、毎回一人なのでその後は食べられませんでした。

民主党と維新の党が合流

2016-02-28 11:04:38 | 時事
このところ民主党と維新の党の合流問題がいろいろ報道されていましたが、やっと正式に合流することが決まったようです。

まあこれも参議院選に向けた選挙対策の一環のような気がしますが、自民の一強時代にどう対処するのか、野党なりの工夫なのかもしれません。

しかし野党といっても、自民党と区別がつかないような保守の民主党が共産党とまで選挙提携をするというのは、各党の主義主張はどうなってしまったのか、いくら自民党対策といってもやりすぎのような気がします。

さて民主党と維新の党との合流ですが、何となく問題が多く、合流は難しいというような感じでした。もともと民主党というのは、いろいろな主義主張を持った人たちの集まりで、なかなか党としてまとまらないということが政権時代に明らかになりましたが、野党になってしまうと報道されることが少なくなり、内部事情まではよく分かりませんでした。

いろいろな考えの人たちの集団ですから、党としての決定は難しいのかもしれませんが、十分議論をして最終的に執行部が決定するというのが普通の進め方でしょう。ですからどんなに執行部案に反対であっても、党として決定したらそれに従うのが党人としての義務のはずです。ところがその後でも反対を表明するというのは、組織の人間としておかしく、本来離党すべき人が大勢いる党のような気がします。

一方維新の党は、衆議院議員が21名いるといっても、選挙区当選者は4名でほとんどが比例区選出となっています。これは元ボスであった橋下前市長の人気によって当選したような気がします。前回の選挙では民主党が全く駄目であるという印象が出て、それ以外といっても自民党には入れたくないという反自民の人たちが、たまたま橋下人気があった維新の党に入れたに過ぎないような気がします。

ですから維新の党は何を主張しているのか全く伝わってこない、本当にどこが自民や民主と違っているのかわからない党でした。この維新の党の看板である橋下前市長と決別したということは、次の選挙はひどいことになるというのは明らかです。ですから維新の党はどこの政党と合流してもおかしくない党ですが、なぜ民主党を選んだかよくわかりません。

民主党としてもなぜ組んだほうが有利なると判断したのでしょうか。どうも党名を新しくして合流することに合意したと報道されていますが、党名を変えたといっても本質は変わらず、さらに難しくなってしまうだけのような気もします。このことで参議院選挙がどういう結果になるのか、他人事のようですが楽しみにしています。

小保方さん手記4 内容

2016-02-27 11:00:30 | 文化
「あの日」の内容は2回で書くつもりでしたが、途中でしたのでもう少し続きます。

このころの小保方さんは、いかにスフィア細胞の確率を上げるかの実験に取り組んでいましたが、その成果の一つがATP添加系でした。選別した細胞をATPを培地に入れて培養すると、スフィア細胞の発現確率が高まりました。これが後にpHを弱酸性で培養するという方法につながったようです。

また赤ちゃんマウスの細胞のほうが、発現率が高くなることから、分化細胞の固定化といった事にも取り組んでいました。この時期は小保方さんはハーバードのポスドクという身分でしたが、理研からユニットリーダーへの誘いがあり、これが2012年12月でした。この採用試験などいろいろ書かれていますが、無事採用が決まり、本格的に亡くなった笹井さんから論文執筆の指導が始まりました。

このころW先生が山梨大学の教授として理研から離れました。これまでは投稿論文にはこのスフィア細胞をアニマルカルスとして書いていたようですが、笹井さんからSTAP細胞という提案があり、採用されました。ネイチャーへの投稿論文は、色々レフェリーから注文があり、6か月以上かかって追加実験など行い、2014年1月受理されたということになります。

この後雑誌掲載の記者会見から小保方フィーバーが起こり、論文ねつ造疑惑から調査委員会と大体の内容はわかっていますので、ここについては省略し、最後の検証実験について触れます。

この検証実験に小保方さんも参加したのですが、かなり厳しい状況だったようです。本来実験というのは、非常に集中力を必要としますが、それとは程遠い環境でもなんとかSTAP細胞の分離は行ったようです。しかしその後の幹細胞の樹立やキメラマウスの作成には全くタッチできず、結果も知らされなかったようです。

ですから小保方さんもどこまで検証できたのか全く分からないまま、たぶん最終目的であるキメラマウスができなかったということで、検証終了となったようです。このキメラマウスの作成は、技術的にも非常に難しく、W先生の協力も得られなかったようですので、これをもってSTAP細胞はないという結論を出すのは、ややおかしいような気もします。

早稲田大学から博士の取り消しの通知が来たところで手記は終わっています。以上が私が解釈した内容ですが、思った以上に長くなってしまいました。改めて考えると理研はなぜあそこまで小保方さんを、悪者に仕立てる必要があったのか。どうもよくわかりませんが、考えがまとまったらまた書くかもしれません。

錦織2回戦敗退 アカプルコ

2016-02-26 10:26:01 | テニス
今週メキシコオープンテニス(ATP500)が開催されており、錦織も打2シードで参戦しました。

昨年のこの大会は決勝まで進出しましたが、フェレールに敗れ準優勝でしたので、今年はそのリベンジもあり、優勝を狙っている大会でした。出場選手もほぼ昨年同様で、フェレールも当然第1シードで参加しています。

この大会の良いところは、アカプルコは暑すぎるのか大体がナイトセッションですので、日本時間は昼前後となります。またBS朝日がこの大会を放映し、残念ながらライブではないのですが、数時間後の午後5時からとなっていました。PC動画をライブで見ることも可能ですが、やはりテレビのハイビジョンのきれいさには勝てず、それまで結果を見ないようにしていました。

1回戦は予選勝ち上がりのランキングも100位以下の選手でした。さすがにトップ10の錦織とは実力差が明らかで、1セットは全くゲームを与えることなく6-0で取りました。2セットになり相手も錦織の球に慣れてきたのか、錦織の集中力が落ちたのかそれほど一方的にはなりませんでしたが、順当に錦織がとりストレートで勝利を収めました。試合時間も59分と楽勝のゲームでした。

この1回戦ではやや波乱があり、フェレールの山ですが第3シードのチリッチが敗れてしまいました。やはり3セットマッチというのはちょっとした油断やミスで挽回できないことがあり、その点が怖い部分です。

2回戦の相手は198㎝という長身のアメリカのクエリーでした。この選手とはその前のメンフィスの準決勝でもあたっており、最初のセットを取られたものの、逆転で勝っています。錦織の嫌いなビッグサーバーですが、よほどのことない限り負けることは無いだろうと思っていました。

試合が始まると、錦織にミスが多く、解説者によればこのコートサーフェスに慣れていないということでしたが、最初のサービスゲームをブレークされてしまいました。その後少しは良くなってきたのですが、このリードを許したまま5-3でクエリーのサービスゲームで、このままこのセットはダメと思っていたら、ここで破り5-4とタイに持ち込みました。これならばと思っていたのですが、なんと次のゲームを失い1セット取られてしまいました。

まあこれは前回同じなのですが、2セット目に入っても全く調子が上がらず、先にブレークを許し追う展開となりました。結局錦織らしさを見ることもなくずるずると負けてしまいました。この前の試合でフェレールも敗退し、優勝の可能性が高くなった分緊張したのでしょうか。今週は十分錦織の試合を楽しめると思っていたのですが、本当に残念です。

小保方さんの手記3 内容2

2016-02-25 10:35:56 | 文化
前回小保方さんの手記で、アメリカに留学中B教授の指導の下でスフィア細胞を分離し、それが万能細胞であることを検証したというところまで書きました。

この後この研究成果をPro.NASという雑誌に投稿することが決まり、残りの留学期間はこのための準備や実験に追われました。この雑誌もかなり権威ある雑誌ですが、どうも小保方さんだけではなく大学の研究者は、論文投稿に非常に強いこだわりがあるようです。

私はずっと企業研究でしたので、会社の利益につながる研究をすれば十分だったのですが、大学などでは一流の学術誌に投稿して初めて研究が認められるわけです。ですから投稿して掲載されるためには、かなりの時間と労力をかけるようです。

さて小保方さんは帰国し、女子医科大に戻りアメリカでの成果の続きを行っていました。この論文投稿を巡っていろいろあり、何回かアメリカに出かけたようですが、結局このPro.NASからは拒絶されてしまい、他の雑誌に投稿するとしても、万能性を示す最後の実験であるキメラマウスの作成が条件となりそうでした。

しかしB教授のところでも日本の女子医大でもこの技術がなく、当時キメラマウス作製では日本の第一人者である、理研発生再生医学研究センター(CDB)のW先生にお願いすることになり、実際の実験が始まったわけです。

そこで小保方さんは東京と神戸を往復するようになり、W先生のキメラマウス作製実験の見学などもしたようです。これにはW先生もかなり苦労されたようですが、結論としてはスフィア細胞のキメラマウスが作成できました。これによってスフィア細胞は完全な万能幹細胞であることが証明できたわけです。

さてここまででこの一連の研究の中に、ES細胞が混入する可能性はあったのでしょうか。この問題は後回しにしてもう少し続けます。

この時期小保方さんはまだ大学院生であり、このスフィア細胞の効率よい分離方法をいろいろ研究し、その結果を女子医大にはもちろんハーバードにも報告していました。その結果両方の先生から、このスフィア細胞は、組織の中にもともとあったものではなく、分離培養する過程で作り出されたものではないかという結論でした。

この後小保方さんは早稲田大で博士号を取得後、ハーバードのポスドクになり、実際は理研CDBのW研究室で実験をするという生活となりました。ここでスフィア細胞が組織中に存在しているのではないという証明実験や、さらに効率の良い作製法を行っていました。この時までは、スフィア細胞は、増殖性がないという観察結果でしたが、W先生の技術によって増殖するスフィア細胞株が樹立されました。

なおこのあたりで特許出願の準備がW先生51%、小保方さん39%で始まったようです。