ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

30年前の中国旅行の話

2016-08-22 10:39:21 | 旅行
前回といっても3か月も前になりますが、中国の経済事情などを書いたついでに、30年ほど前に中国にいった話を書きました。途中になってしまったので、続きを書く予定でいましたが、つい忘れてそのままになってしまいました。

この時は中国科学院から私の所属する小さな学会が招待された中国出張ですが、実際はいろいろと接待され、団体旅行気分で行ってきました。昔の上海の様子は前回書きましたが、この学会は日本と中国だけでしたが、中国人の参加者数が非常に多く、我々は日本人席で小さくなっていました。

このとき面白かったのが、開会の時中国科学院の偉い人風の挨拶がありましたが、中国語でいろいろ話していました。ところがよく聞いてみると実は英語で、発音が完全に中国語なのでほとんど理解できませんでした。たぶん私の英語も似た様なものなのかもしれません。

日本人グループには、日本語ができる学生2人と世話役としての英語ができる大学院生が3人ついていましたので、普通の生活には全く問題がありませんでした。毎晩のようにレセプションや懇親会がありましたが、色々な大学教授などにかなり女性がいることが不思議な感じがしました。

この時何回か乾杯をするのですが、この酒がアルコール度数が50%ぐらいありそうな強い酒で、飲めない場合は小さな器に酒をこぼしてからこのしぐさをすると教えてもらいました。この時期の中国はまだタバコ社会で、ほとんどの人が吸っているのですが、灰皿が見当たりません。聞いてみるとそのまま床に捨てて靴でもみ消すというのです。床といってもかなり立派な絨毯ですので、この習慣にはかなり抵抗がありました。

この後150キロぐらい離れた無錫に移動したのですが、なぜ行く必要があったのかよくわかりませんでした。この時は日本の古い観光バスでしたが、このバス旅行はかなり怖いものでした。

道路は国道らしい道で、それなりの幅があるのですが、左右に自転車が3列ぐらいになって途切れることなく走っています。ですからバスは道の中央を走っているのですが、対向車が来るとクラクションを鳴らしながら、自転車の列によって行くのです。特にスピードを落としたりしませんが、自転車も慣れているのか特に問題なくすれ違うのですが、見ていると本当にぎりぎりでたぶん事故も多そうな気がしました。

この移動には数時間かかりましたが、この何列にもなっている自転車が途切れることは有りませんでした。やはり中国の人口が多いことを実感しました。無錫についてからはほとんど観光だった気がしますが、そのあたりについてはまた気が向いたときに書きます。

スーツケースの破損と全日空

2016-05-22 10:38:28 | 旅行
1か月ほど前ですが、かみさんが友人たちと石垣島のほうへ旅行にいったことをこのブログにも簡単に書きました。

その帰り羽田まで迎えに行き、30分ほどの遅れで到着し、駐車場まで行く間にスーツケースの動きがおかしいのに気付きました。このときは遅かったので、そのまま帰り家でよく見たところ、キャスターの片方が完全に壊れ、車輪が外れてしまいました。

本来このスーツケースは、機内持ち込みのサイズなのですが、ソフトケースのため荷物でやや膨らみ、機内に持ち込めなかったようです。これは飛行機からの出し入れで壊れた可能性が高いので、全日空のHPを調べたところ、器物破損という担当がありましたので、かみさんが電話したようです。この時の係員の対応は非常に良かったようで、さすが全日空と感心していました。

結局スーツケースを送り修理してもらうことになったようですが、こんなものをどう梱包するのか考えていたら、向こうから送るための一式を送ってくれることになったようです。比較的早く梱包する袋や、着払いの送付状などが丁寧な詫び状と一緒にきました。しかし私が見たところでは、キャスター部分が大きくひび割れ、とても修理できそうな感じではありませんでした。

またこのスーツケースは友人からもらったものの様で、それほど使ってはいませんがかなり古くあまり高価でもないので、それだけ手間をかける価値もなさそうでした。それでも送る道具はそろっているし、こういったものに全日空がどういう対応をするのか見たい気もあり、ゆうパックで送りました。

しばらくたって連絡があり、やはり修理不可能という結果でした。こういう場合は、自分で新しいものを買うときは3千円か4千円の商品券を送ってくるということでした。また代替品でよい場合は、カタログを送るから選んでくれという内容でした。私の感じでもこのスーツケースはそれぐらいの価値しかなさそうなので、カタログを送ってもらうことにしました。

このカタログを見ると、いわゆる一流メーカーの物はありませんが、何種類かの色々な大きさが揃っており、価格も2万数千円とかなりよさそうなものでした。かみさんは値段の差額はどうなるのかなどと言っていましたが、代わりに出すと言っているので無料のはずで、結局その中から気に入ったものを選び返送しました。

その新しいスーツケースが昨日届きましたが、若干色がカタログと違っているようでしたが、かなり良い品物でした。これでスーツケースの破損問題は解決しましたが、一連の全日空の対応は非常に良いものでした。さすが全日空でこういったシステムもしっかりしているようです。

中国 旅行も含めあれこれ

2016-05-01 10:10:16 | 旅行
中国の技術レポートのようなものをざっと見ていましたが、2008年に輸出総額が1位となり、5年連続で1位となっているようです。

しかし大部分の企業が電気エネルギーによる大量生産にとどまり、情報技術を駆使した生産自動化のような第3次産業革命レベルに達していないとしています。現在でも海外からの技術依存度が高く、製造プロセスにおける高い環境負荷、低いエネルギー効率と生産技術力、人件費の上昇といった課題を抱えているようです。そのため中国政府も製造業強化に乗り出し、中国科学院を中心とした研究開発に力を入れるようです。

実は私は中国および中国人が嫌いで、たぶん差別と偏見によるものだと思っています。私も何人か中国人の知人がいましたが、その人たちは良い人で特に嫌いではありませんでした。それでもいろいろと中国人らしいおかしなところを持っていました。別に嫌な思い出がある訳でもなく、なんで「どうも中国は」という感じになったのかは自分でもよくわかりません。

この中国科学院というのを見ていろいろ思い出しました。もう30年ほど前になりますが、中国科学院から招待されて中国に行ってきました。と言っても私個人が招待されたわけではなく、私が所属する学会を招待してくれて、私もその一員として出かけたわけです。日本からは総勢20人ほどで行ったのですが、今から思うとかなりのVIP待遇を受けたようです。

最初に上海に行ったのですが、30年前の上海は本当に発展途上という感じで、ところどころに高層ビルが建っているだけでした。我々はそのビルの一つの高級ホテルに泊まり、3食接待されていました。ホテルに入り落ち着いたところで暗くなったので、ホテルの最上階に展望室のようなところがありましたので、夜景を見に登ってみました。ところが窓の外は一面真っ暗で何も見えませんでした。その15年後ぐらいにもう一度行きましたが、その時はすでに大都市に変貌していました。このあたりの中国の開発のスピードは素晴らしいものです。

その頃は上海のたぶん繁華街といっても、歩道はほとんどすべて自転車で埋まっており、色々と店はあるのですが外に明かりがなく、本当に暗闇を歩く感じでした。このころは外国人用の紙幣が別にあり、非常にきれいな札でした。それでも買い物など不便なところはありませんでしたが、デパートなども外国人専用のような感じで、中国社会の実感がわきませんでした。

旅行の話になる前に長くなってしまいましたので、次回に続きます。

沖縄旅行 大変な想いで

2016-04-17 10:35:21 | 旅行
今日からかみさんが、大学時代の友人と3人で石垣島に旅行に行きました。私は留守番ですが、猫の世話が大変そうです。

実は今日からですが、羽田発6:10と早い便なので、昨夜羽田まで送り、ターミナル内のカプセルホテルに泊まっています。

私も沖縄から石垣のほうは昔何回か行ったことがあります。15年も前のことですが、静岡の清水にある国が作った海洋関係の研究所に出向になり、単身赴任しました。

4月から赴任し、5月の連休明けぐらいだったと思いますが、沖縄に用事があるので行かないかと誘われ、もう一人の沖縄初めての人と3人で出かけました。最初に石垣に行ったのですが、当時は直行便がなく那覇経由で行きました。ここで小さなボートをチャーターし、サンゴ礁にでてシュノーケリングをしました。

これは本当に美しく一面のサンゴと魚が泳いでおり、ただ浮かんでみているだけでしたが、このきれいさは忘れられません。その後パラオやフィジーのサンゴ礁にも行きましたが、サンゴの種類や密度といった点で、この石垣から西表にかけての一帯はもっともきれいだったと思います。

その後沖縄本島に戻り、本来の仕事である恩納村漁港に行きました。私の行った研究所はシャコガイの研究をしており、日本で唯一この恩納村漁港がシャコガイの養殖をしています。今回の沖縄旅行はその養殖場の視察ということになっていました。当然夜は漁協関係者を接待し、シャコガイも食べましたがそれほどおいしいものではありませんでした。

次の日は那覇に戻り、1日首里城などの沖縄観光をしました。この時失敗したのは、石垣で海に入ったときは長袖のTシャツを着ていたのですが、沖縄観光の時は半そでで回っていたのです。夕食で飲んでいたころから、日に当たっていた肘から下がピリピリしてきました。

ホテルに帰る前に日焼け後のローションなどを買っていったのですが、それをつけてもピリピリからジンジンと痛み出しました。腕ですので火ぶくれになったりはしませんが、全体がやや腫れかなりの痛みで寝るどころではありません。

フロントに行っておしぼり用タオルを何枚かもらい、それを冷蔵庫で冷やして腕に巻くと少しは良いのですが、すぐ温まって効果がなくなります。夜中になって手まで腫れてきて、指が曲がりにくくなりました。それでも明け方ぐらいには少し治まってきたようです。

そのまま羽田から自宅に帰りましたが、次の日が土日で病院に行けなかったのですが、何とか痛みも引きそのままで治ったようです。その後皮がむけきれいになりましたが、日光に当たると痛いという症状と、ひどいしみが残ってしまいました。やはり沖縄の日差しは、こちらに比べて一段と強いようでした。

海外旅行の思い出フランス3

2016-03-21 10:59:28 | 旅行
パリというとやはりルーブル美術館が素晴らしかった思い出があります。

私はそれほど絵が好きなわけではなく、自分で書いたりもしませんが、海外の美術館はいくつか行っています。例えばワシントンでは国立美術館に行きましたし、ニューヨークでは近代美術館に行ったりしました。私の場合はいつもあまり時間がない中での観光ですので、ゆっくり美術館を見る時間があまりありません。そういった素人でもすごいと感心したのがルーブルでした。

最初にフランスに行った時もルーブルに入ったのですが、あまり時間がなくそれこそ有名な「モナリザ」や「ミロのビーナス」を探して広い館内をうろついて終わりでした。そのときの感じとして、ここはゆっくり見てみたいという印象でした。そこで次に行ったときに、ある程度時間の余裕を作り、じっくりと鑑賞しました。

本当に広い館内で、どれが有名な絵なのかなどほとんどわかりませんが、良い絵の前には数人模写?している人がいますので、そういった絵を中心に見ていきました。確かにそういった絵や彫刻は昔美術の教科書など見たことがあるようなものばかりでした。このルーブルは何げなく置いてあるという感じで、触ったりできないように何かあるというのは、「モナリザ」ぐらいで、大部分が単に壁などにかけてあるだけでした。

ここで驚いたのは、展示室ではなく通路の壁に非常に大きな絵が展示してあるというよりは、おいてあるという感じで並んでいました。そのうちの1枚の絵の前にやはり数人描いている人がいました。それを見上げてみると、私も何度も見たことのあるドラクロワの絵で名前はわかりませんが、女性が旗を持って民衆を率いるという有名な絵でした。

これは本などでよく見ていたのですが、本物がこんなに大きいとは本当に驚きでした。縦横がおそらく3mぐらいはありそうで、描かれている人物が等身大ぐらいありました。当然ですがこれだけ大きいとすごい迫力があり、通路の反対側からしばらく眺めていました。この辺りが本物の良さなのかもしれません。

この時は4時間ぐらいうろうろしたのですが、これはかなり疲れることです。そこで館のつなぎのような階段で座って一休みしたのですが、その前に置かれている彫刻がなんとかのニケというこれも有名なものが、展示してあるというより仮置き的になっていました。これもしばらく眺めていましたが、これも予想より大きなもので、芸術などよくわからない私でも何となく威圧感を感じた記憶があります。

このようにルーブルを堪能しましたが、やはりこういったところは、ある程度詳しい人に案内してもらわないと、いろいろ見落としてしまうようです。