昨日からのつづき、北野天満宮のお土居からです。
鶯橋を渡ると、お土居の続いているのが見えます。
お土居
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が
長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と
鴨川の氾濫から市街を守る堤防として
天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
三又の紅葉
説明板を読むと・・・三又は、お土居を建造する前から自生していて
災害にも負けず400年を超えているとは驚きです。
この橋が折り返し点になっています。
橋の上から見た、鶯橋方向の紙屋川
紙屋川は、鷹峰(たかがみね)山中に源を発し
北野天満宮西付近から上流を紙屋川、下流を天神川と呼び桂川に合流します。
橋を渡ると、見えなかった三又の上部分まで見えています。
青もみじのトンネルと、紙屋川沿いを歩きながら
鶯橋が見えるところまで戻ってきました。
明日は、残りの見どころを紹介します。
鶯橋を渡ると、お土居の続いているのが見えます。
お土居
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が
長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と
鴨川の氾濫から市街を守る堤防として
天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
三又の紅葉
説明板を読むと・・・三又は、お土居を建造する前から自生していて
災害にも負けず400年を超えているとは驚きです。
この橋が折り返し点になっています。
橋の上から見た、鶯橋方向の紙屋川
紙屋川は、鷹峰(たかがみね)山中に源を発し
北野天満宮西付近から上流を紙屋川、下流を天神川と呼び桂川に合流します。
橋を渡ると、見えなかった三又の上部分まで見えています。
青もみじのトンネルと、紙屋川沿いを歩きながら
鶯橋が見えるところまで戻ってきました。
明日は、残りの見どころを紹介します。