京都へ行くときは、JRか阪急を利用していますが
今日は、阪急「西院駅」から乗り換え、嵐電(らいでん)「西院駅」を
初めて利用したときのことです。
嵐電(京福電気鉄道(株)・本社:京都市中京区)の西院車庫です。
阪急では西院駅を「さんいん えき」と呼ぶので
嵐電の西院駅も「さんいん えき」だと思っていたのですが・・・
嵐電沿線マップを見ていると
嵐電では、西院を「さい」と書いてあります!
◇西院(さい)駅
御所から見て西の方角の離宮を「西院」と呼んだことが地名の由来ですが
佐比大路に当たることから 「さい」とも呼ばれるようになりました。
また平安京初期、この辺りは風葬の地と定められ川があり、河原は葬送の
地とされていたことから西院(さい)の河原と呼ばれていたのが由来です。
「西院」の成り立ちはこちらでご覧ください。
嵐山本線には、他にこんな駅名があります。
◇「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅
駅の北側「木島(このしま)神社の中に、蚕を養うと書く「養蚕(こかい)神社」があり、この神社を地元の人は「蚕ノ社」と呼んだことが由来です。
◇「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅
嵯峨天皇の皇后が亡くなったとき、棺を戸板にのせて送葬の途中、突風により棺に覆ってあった帷子が飛び散ったといわれ、それが伝承され名前の由来になりました。帷子とは、経帷子(経文を書いた白い晒の着物)すなわち死装束の事。
詳細は帷子ノ辻 地名の由来でご覧ください。
私のブログ「檀林皇后九相図」で知られる、第52代 嵯峨天皇后は・・・こちら
◇車折神社(くるまざきじんじゃ)駅
マップの左部分は切れているので見えませんが、西の嵐山方向には「後嵯峨天皇」の乗った牛車が立ち止まり、車の轅(ながえ)が折れた事が由来の車折神社前の駅です。車折神社は、芸能人もお忍びで訪れるパワースポットとして有名な神社でもあります。(2010年に車で行ったときの車折神社はこちらでご覧ください。)
※読めない地名は、名前の由来を調べていくと理解できますね。(^^ゞ
今日は、阪急「西院駅」から乗り換え、嵐電(らいでん)「西院駅」を
初めて利用したときのことです。
嵐電(京福電気鉄道(株)・本社:京都市中京区)の西院車庫です。
阪急では西院駅を「さんいん えき」と呼ぶので
嵐電の西院駅も「さんいん えき」だと思っていたのですが・・・
嵐電沿線マップを見ていると
嵐電では、西院を「さい」と書いてあります!
◇西院(さい)駅
御所から見て西の方角の離宮を「西院」と呼んだことが地名の由来ですが
佐比大路に当たることから 「さい」とも呼ばれるようになりました。
また平安京初期、この辺りは風葬の地と定められ川があり、河原は葬送の
地とされていたことから西院(さい)の河原と呼ばれていたのが由来です。
「西院」の成り立ちはこちらでご覧ください。
嵐山本線には、他にこんな駅名があります。
◇「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅
駅の北側「木島(このしま)神社の中に、蚕を養うと書く「養蚕(こかい)神社」があり、この神社を地元の人は「蚕ノ社」と呼んだことが由来です。
◇「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅
嵯峨天皇の皇后が亡くなったとき、棺を戸板にのせて送葬の途中、突風により棺に覆ってあった帷子が飛び散ったといわれ、それが伝承され名前の由来になりました。帷子とは、経帷子(経文を書いた白い晒の着物)すなわち死装束の事。
詳細は帷子ノ辻 地名の由来でご覧ください。
私のブログ「檀林皇后九相図」で知られる、第52代 嵯峨天皇后は・・・こちら
◇車折神社(くるまざきじんじゃ)駅
マップの左部分は切れているので見えませんが、西の嵐山方向には「後嵯峨天皇」の乗った牛車が立ち止まり、車の轅(ながえ)が折れた事が由来の車折神社前の駅です。車折神社は、芸能人もお忍びで訪れるパワースポットとして有名な神社でもあります。(2010年に車で行ったときの車折神社はこちらでご覧ください。)
※読めない地名は、名前の由来を調べていくと理解できますね。(^^ゞ