鏡湖池の西側に建つ「漱清」を見た後の、つづきです・・・
銀河泉(ぎんがせん)
足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉で
今も清冽な清水が出ています。
厳下水(がんかすい)
銀河泉のすぐ右横に、足利義満が手洗いに用いたと伝えられる泉。
龍門の灘 鯉魚岩
「龍門滝」は小さな滝ですが
鯉が滝を登ると龍になるという“登竜門”にちなんだものです。
白蛇(はくじゃ)の塚
「龍門の滝」から階段を上がっていくと、左手に大きな池・「安民沢」が見えます。
鎌倉時代の金閣は、西園寺家の邸宅であり庭園でした。西園寺家は、鎌倉時代に権勢を誇りますが、やがて鎌倉幕府が倒れるとその権勢を失っていきます。そして邸宅と庭園の持ち主は、室町幕府の創始者の系譜を持つ「足利家」へと移り変わっていきます。
池の中央部にある島に、鎌倉時代に建てられたものだと言われる
西園寺家の守り神といわれる「白蛇の塚(五輪の塔)」が建っています。
白蛇の塚・五輪の塔の「石の形の意味」
•1番上の小さな玉は「空」
•半月の石は「風」
•三角の石は「火」
•丸い石は「水」
•四角の石は「地」 をイメージして造立されています。
金閣寺の茶室「夕佳亭(せっかてい)」
この茶室は、金閣寺境内の東北の小高い場所に西を向いて建てられた
江戸時代の茶道家である金森宗和(かなもりそうわ)が好んだ数寄屋造りです。
夕佳亭の名前は「夕日に映える姿が佳い」という意味を表しているそうです。
正面の床の間には、難を転ずる」という縁起の良い曲がりくねった、「南天の床柱」
後水尾上皇のために創建したものといわれる 「鳳棲楼( ほうせいろう)」と称される
二畳の上段の間において、後水尾上皇に献茶されたといわれています。
この茶室は、かやぶき屋根で丸い窓と三角の窓が見えます。
明治初年に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたもので
夕佳亭は質素に見えますが、わび・さびを大切にした特別な造りでした。
ご一緒してくれた友人に感謝です。
これからは金閣寺と言えば、この友人を思い出すと思います。(^^♪
銀河泉(ぎんがせん)
足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉で
今も清冽な清水が出ています。
厳下水(がんかすい)
銀河泉のすぐ右横に、足利義満が手洗いに用いたと伝えられる泉。
龍門の灘 鯉魚岩
「龍門滝」は小さな滝ですが
鯉が滝を登ると龍になるという“登竜門”にちなんだものです。
白蛇(はくじゃ)の塚
「龍門の滝」から階段を上がっていくと、左手に大きな池・「安民沢」が見えます。
鎌倉時代の金閣は、西園寺家の邸宅であり庭園でした。西園寺家は、鎌倉時代に権勢を誇りますが、やがて鎌倉幕府が倒れるとその権勢を失っていきます。そして邸宅と庭園の持ち主は、室町幕府の創始者の系譜を持つ「足利家」へと移り変わっていきます。
池の中央部にある島に、鎌倉時代に建てられたものだと言われる
西園寺家の守り神といわれる「白蛇の塚(五輪の塔)」が建っています。
白蛇の塚・五輪の塔の「石の形の意味」
•1番上の小さな玉は「空」
•半月の石は「風」
•三角の石は「火」
•丸い石は「水」
•四角の石は「地」 をイメージして造立されています。
金閣寺の茶室「夕佳亭(せっかてい)」
この茶室は、金閣寺境内の東北の小高い場所に西を向いて建てられた
江戸時代の茶道家である金森宗和(かなもりそうわ)が好んだ数寄屋造りです。
夕佳亭の名前は「夕日に映える姿が佳い」という意味を表しているそうです。
正面の床の間には、難を転ずる」という縁起の良い曲がりくねった、「南天の床柱」
後水尾上皇のために創建したものといわれる 「鳳棲楼( ほうせいろう)」と称される
二畳の上段の間において、後水尾上皇に献茶されたといわれています。
この茶室は、かやぶき屋根で丸い窓と三角の窓が見えます。
明治初年に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたもので
夕佳亭は質素に見えますが、わび・さびを大切にした特別な造りでした。
ご一緒してくれた友人に感謝です。
これからは金閣寺と言えば、この友人を思い出すと思います。(^^♪