kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

高槻市立しろあと歴史館「ダルマさんが並んだ展 達磨図」

2021年01月18日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか


1 座禅をする達磨図


2 達磨の立姿図

堂々と威厳のある達磨の立姿が、等身大に近い大きさで描かれています。

禅の教えをインドから伝えた祖師の画像として、寺院で用いられた可能性も考えられます。 禅宗寺院では達磨の命日とされる10月5日を「達磨忌」と称し、画像をかけるなどして、特区別な法要を行うことがあります。

4 達磨図

太くくっきりとした墨線で描かれた袈裟を、頭から手先までかぶった半身の達磨です。戦国時代(16世紀)に島津氏に仕えた鹿児島の衛僧・雲容等碩の筆と伝えられています。大きな環の耳飾りは菩提達磨の出身地・インドの風俗を意識したものです。

6 達磨図

頭頂部がとがり、黒目がやや中央に寄る個性的な表情をした達磨の半身像です。とがった耳の大きな耳たぶには環の耳飾りがついています。

賛の筆者とされる「江雪宗立(こうせつそうりゅう)」は、沢庵宗彭(たくあんそうほう)に師事し、大徳寺181世を継いだ江戸時代前期(17世紀)の僧で、書面を能(よ)くしました。画の筆者については不詳です。

16 刀工・月山貞一の達磨図

絹の画面には通常、墨のにじみを止める礬水(どうさ)を塗りますが、本図はそれをせず、荒くかすれた筆づかいで達磨の半身を描いています。達磨の視線は定まらず、八方睨みの図像となっています。

明治~大正時代の刀工・月山貞一(がっさんさだかず)が自ら描き、座右に掛けて刀を鍛えたと伝えられています。
※礬水とは、膠(にかわ)に明礬(みょうばん)を加え水で溶いたもの。

19 達磨遊女図

世俗を離れ禁欲的な修行を積んだ禅宗の祖師・達磨が遊女と並んで描かれる浮世絵は、その意外性がユーモアととらえられ、流行しました。

遊女と達磨が服装を交換する趣向もその一種で、江戸時代中期(18世紀)の浮世絵師・奥村政信の版本などにみられます。本図は同時期の肉筆浮世絵師・宮川長春の筆とされますが精査が必要です。

20 達磨遊女図

No.19とそっくりの三人の人物「遊女・達磨・禿(かむろ)」が、余白を詰めて再構成されたような図です。No.19が宮川長春の筆と伝えられていることからも、江戸時代中期から知られた浮世絵の図様があったことが想像されます。No.19の達磨はまっすぐ正面を見ていますが、本図の達磨は、やや首をかしげて視線をそらしています。

21 達磨遊女図

遊女に寄り添い手を取る達磨が、険しい表情でこちらに視線を向けています。遊女の着物には地獄絵が描かれ、室町時代の遊女・地獄大夫を思わせます。
 
地獄大夫は僧・一休宗純と和歌を交わした逸話で知られ、山東京伝(江戸時代後期の戯作者・浮世絵師)は地獄大夫が一休と問答し座禅して悟る話を、「女達磨」の由来として記しています。

着物に描かれた地獄絵

No.21の、遊女の着物に描かれた地獄絵。

他にもブログに残して置きたい「達磨図」がいっぱいありますが
22作品の中から、珍しいと思った達磨図の一部です。(^^ゞ
コメント
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