kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

高松塚古墳壁画公開④「1972年に壁画が発見された高松塚古墳」

2021年10月26日 | 奈良・キトラ古墳壁画と高松塚古墳壁画
昨日11月25日(月)、11か月ぶりに時短営業が解除されましたね。
このまま、終息に向かうことを願うばかりです。

そして今日は、眞子さんが小室圭さんと結婚して皇室を離れ、午後にお二人で結婚会見に臨まれますが・・・女性皇族の結婚式後に夫婦そろって行われる記者の口頭での質疑応答は無くなり文書で回答するだけになりました。

眞子さまが事前に提出された記者の質問案を見て「間違った情報が真実であるかのように印象を与えかねない質問に強い衝撃を受け、多くの記者やカメラの前で回答することに強い不安や恐怖を感じたため」と説明。

お二人の会見をテレビ放送で見ましたが
「間違った情報」は、国民が知りたかった事だと思います。眞子さま抜きの質疑応答で国民が納得できる説明が欲しかったですね。


壁画が発見された高松塚古墳へ

応募していた「高松塚古墳壁画公開」のあと
鬼の俎・鬼の雪隠にも行ってきました。

スタート地点

このスタート地点は、飛鳥歴史公園館と高松塚古墳壁画公開と
高松塚古墳、キトラ古墳へのスタート地点でもあります。
高松塚古墳壁画を見たので、高松塚古墳へ向かってスタートです

芝生広場

芝生広場では、色んなイベントが開催されるようです。


今年は外出を控えていましたが
10月6日に箕面公園へ行ったので、2回目のウォーキングです。


高松塚古墳まで150mです。
この上は、休憩所になっています。

高松塚古墳壁館

高松塚古墳に向かって少し行くと「高松塚古墳壁館」があります。
ここでも「鬼の雪隠」で見かけた子供たちが来ていました。


古墳壁画の公開に行かなかった人は
ここで、壁画の模写や復元模型が見られます。


高松塚古墳

高松塚古墳壁館を出ると、左横に高松塚古墳が見えました。

発見の経緯
1962(昭和37)年頃、明日香村檜前の村人がショウガを貯蔵しようと直径約60cmの穴を、現在の墳丘南側に掘ったところ、穴の奥で擬灰岩の四角い切石が見つかったことが発端でした。


近くまで行けそうなので行って見ます。


7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳です。

下段:直径23m  上段:18m、高さ5mの二段式の円墳です。
前方後円墳は何度も見ていますが、円墳を見るのは初めてです。


1973(昭和48)年高松塚古墳は特別史跡になりました。
そして極彩色壁画は、1974(昭和49)年に国宝に指定されています。

壁画が描かれた石室は、2007年に歴史公園内の修理施設に移され
2020年3月に保存修理が完了し公開されています。


当初は、盗掘を逃れ残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていましたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年~710年)の間と確定されました。


でも、被葬者は特定されていませんが
忍壁皇子、高市皇子、天武天皇の皇子を被葬者とする説があります。

古墳をひと回りして、元の場所に戻ってきました。
次の目的地「キトラ古墳」まで行きますので、今日はここまでにします。

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2 コメント

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Unknown (西風21)
2021-10-26 23:32:38
こんばんは。
いつも沢山の情報に感謝です。
ありがとう御座います😊

さて、今しがた予約記事の途中で、
謝って他のキーに触れてしまいました。
直ぐに書き直すため削除してさせて
頂きました。
折角御訪問頂いたのに申し訳有りませんでした。
ちゃんと校正し直したものを明日の朝、改めてUPさせて頂きます。
本当に申し訳ありませんでした。

西風
返信する
西風21さんへ (kiko)
2021-10-27 12:36:39
西風21さん、こんにちは。
いつも楽しいブログを拝見させて頂いてます。
大丈夫ですよ!
また訪問させて頂きます。
ご丁寧にコメントありがとうございます。
返信する

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