奈良・京終
壺阪山駅で電車を待っている時に
奈良の地図を見ていると「京終」がありました。
京終は、観光で知られる「ならまち」の南側にあります。
友人は知っていましたが、私は読めませんでした。
大阪にも読めない難読地名は多いのですが
ある時に、地名の由来として色々と知ることがあったので
奈良に来て知った「京終」の読みと、由来が気になり探すことに
難読地名「京終」は、すぐに「きょうばて」だと分かりました。
この「京終(きょうばて)」という地名は
難読地名として有名で、奈良交通バスのバス停には「北京終町」や「南京終町」といったバス停があるそうです。
初めて奈良に訪れた人は、私のように「きょうばて」と読める人は少なく、「北京終町=ぺきんおわりまち」「南京終町=なんきんおわりまち」と読み間違える人がいるそうですが、私もその中の一人だと思います。(^^ゞ
地名の由来は
その漢字の意味する通り「京」の「終わり」からでした。
奈良時代の平城京から、この京終地域は南東端にあたる場所でした。平城京が無くなって次第に現在のならまち一帯が奈良のまちの中心部となってからも、やはり京終地域は奈良のまちの南の端、南の玄関でした。
伊勢神宮や長谷寺参詣の主要ルートとして多くの参詣者が通った「街道沿い」でもあり、現在でも石燈籠などにその面影が残されているそうです。
京都にもあった終わりの字がつく「京都・上終町」
縄文式土器の遺跡群落として知られるている、左京区北白川通と東鞍馬口通の交差付近の地名に「上終町(かみはてちょう)」の難読地名があります。
名前の由来は
1918年(大正7)京都市に編入の際に
北白川地域の最北端の町という意味で、名付けられました。
難読地名は、地名の成り立ちで分かりますね。
壺阪山駅で電車を待っている時に
奈良の地図を見ていると「京終」がありました。
京終は、観光で知られる「ならまち」の南側にあります。
友人は知っていましたが、私は読めませんでした。
大阪にも読めない難読地名は多いのですが
ある時に、地名の由来として色々と知ることがあったので
奈良に来て知った「京終」の読みと、由来が気になり探すことに
難読地名「京終」は、すぐに「きょうばて」だと分かりました。
この「京終(きょうばて)」という地名は
難読地名として有名で、奈良交通バスのバス停には「北京終町」や「南京終町」といったバス停があるそうです。
初めて奈良に訪れた人は、私のように「きょうばて」と読める人は少なく、「北京終町=ぺきんおわりまち」「南京終町=なんきんおわりまち」と読み間違える人がいるそうですが、私もその中の一人だと思います。(^^ゞ
地名の由来は
その漢字の意味する通り「京」の「終わり」からでした。
奈良時代の平城京から、この京終地域は南東端にあたる場所でした。平城京が無くなって次第に現在のならまち一帯が奈良のまちの中心部となってからも、やはり京終地域は奈良のまちの南の端、南の玄関でした。
伊勢神宮や長谷寺参詣の主要ルートとして多くの参詣者が通った「街道沿い」でもあり、現在でも石燈籠などにその面影が残されているそうです。
京都にもあった終わりの字がつく「京都・上終町」
縄文式土器の遺跡群落として知られるている、左京区北白川通と東鞍馬口通の交差付近の地名に「上終町(かみはてちょう)」の難読地名があります。
名前の由来は
1918年(大正7)京都市に編入の際に
北白川地域の最北端の町という意味で、名付けられました。
難読地名は、地名の成り立ちで分かりますね。
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