京都迎賓館②「人間国宝の金とプラチナの技がある 藤の間」の続きです
「桐の間」
京都迎賓館に行くきっかけになったのは
日本の匠とおもてなしの「桐の間」の写真でした。
部屋の入口上部に見える「五七の桐」
桐の間は、和食を提供する「和の晩餐室」です。
表面が鏡のような大きな座卓は、全長12mの一枚板で
漆も繋ぎ目が出来ないように仕上げられています。
天井は四つに区画され、長い区画部分は12mの一枚板です。
木目の揃ったこの長い天井板は、奈良県吉野郡川上村の樹齢300年位の
40m近くまで真っ直ぐに伸びた杉の木でした。
その杉は、節のない美しいピンク色でとても美しかったそうです。
畳は、畳表の材料であるイグサを迎賓館のために栽培し
「中継表(なかつぎおもて)」の技法で製作しています。
座椅子の背面、肘あての脚部分にも蒔絵で「五七の桐」が描かれています。
「五七の桐」は、明治時代より日本国政府の紋章として使用され
京都迎賓館の紋章になっています。
上写真を見ると・・・
テレビ放送で見たのは、ウガンダ共和国の方たちでした。
そして、いま私が写真を撮っているこの「桐の間」でした。
釘隠
釘隠も「五七の桐」
襖の唐紙(からかみ)にも「五七の桐」
この襖の上部分の欄間に、あの藤の間の「きりかね」が
あったそうですが、残念ながら見落としていました。
従来の日本の障子は高さは、1m73cmですが
迎賓館の障子の高さは、大柄な外国の方にも鴨居に頭を
ぶつけないようにと、2mの高さになってます。
普段は、美術品も何も置かず空っぽの状態になっているそうです。
お客様をお迎えするとき、お客様に合わせた絵画や壺などの作品を
幾つかの美術館に出向いて借りてくるそうです。
「夕映の間」の廊下で右側に見えていた廊橋が、左に見えてます。
京都迎賓館 ④「舟遊びを楽しんでいただく和舟(わせん)」へ続きます。
「桐の間」
京都迎賓館に行くきっかけになったのは
日本の匠とおもてなしの「桐の間」の写真でした。
部屋の入口上部に見える「五七の桐」
桐の間は、和食を提供する「和の晩餐室」です。
表面が鏡のような大きな座卓は、全長12mの一枚板で
漆も繋ぎ目が出来ないように仕上げられています。
天井は四つに区画され、長い区画部分は12mの一枚板です。
木目の揃ったこの長い天井板は、奈良県吉野郡川上村の樹齢300年位の
40m近くまで真っ直ぐに伸びた杉の木でした。
その杉は、節のない美しいピンク色でとても美しかったそうです。
畳は、畳表の材料であるイグサを迎賓館のために栽培し
「中継表(なかつぎおもて)」の技法で製作しています。
座椅子の背面、肘あての脚部分にも蒔絵で「五七の桐」が描かれています。
「五七の桐」は、明治時代より日本国政府の紋章として使用され
京都迎賓館の紋章になっています。
上写真を見ると・・・
テレビ放送で見たのは、ウガンダ共和国の方たちでした。
そして、いま私が写真を撮っているこの「桐の間」でした。
釘隠
釘隠も「五七の桐」
襖の唐紙(からかみ)にも「五七の桐」
この襖の上部分の欄間に、あの藤の間の「きりかね」が
あったそうですが、残念ながら見落としていました。
従来の日本の障子は高さは、1m73cmですが
迎賓館の障子の高さは、大柄な外国の方にも鴨居に頭を
ぶつけないようにと、2mの高さになってます。
普段は、美術品も何も置かず空っぽの状態になっているそうです。
お客様をお迎えするとき、お客様に合わせた絵画や壺などの作品を
幾つかの美術館に出向いて借りてくるそうです。
「夕映の間」の廊下で右側に見えていた廊橋が、左に見えてます。
京都迎賓館 ④「舟遊びを楽しんでいただく和舟(わせん)」へ続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます