先日、法事を行った故河野正司あんちゃんについて、
こんな想い出話の書きこみがありました。
『フジ子ばあちゃんの家に入りびたっていた私を
「みっこ、みっこ」と娘のように可愛がってくれた正司あんちゃん。
「ガハハハ」とよく笑い、よく呑み本当に豪快で優しい人でした。
お盆にフジ子ばあちゃんの灯籠送りをすませ、
またしばらく帰って来られないからともろもろの整理も済ませ、
あと数日で大阪に発つという日に天国へと旅立ってしまいました。
大阪に持って行く鞄の中に、私たち兄姉の写真が入っていたことを後から聞きました。
正司あんちゃんから受けた、たくさんの深い愛情。
何の恩返しもできなかったぶん、広君を見守っていけたらなぁと思います。
私が幼い頃、正司あんちゃんは、姉弟のように育った私の母にこう言ったそうです。
「洋子姉よ、おんしは なあし こげ めんどしい子生んだがならい。」
と。
それを言われた母は、
「正司よ、そげ 言うなや。しり子やけん、むげねてならんがでよ」
と言ったそうな。
母が今でも言う笑い話です。
亡くなり今はいない人も、
私たちの心の中で生きつづけています。
これもまた、「生きる」というのかもしれません。
そんなお話があれば、ぜひ聞かせてください。
今の私たちがいるのも、命のたすきリレーなのです。
岬人(はなんちゅう)
こんな想い出話の書きこみがありました。
『フジ子ばあちゃんの家に入りびたっていた私を
「みっこ、みっこ」と娘のように可愛がってくれた正司あんちゃん。
「ガハハハ」とよく笑い、よく呑み本当に豪快で優しい人でした。
お盆にフジ子ばあちゃんの灯籠送りをすませ、
またしばらく帰って来られないからともろもろの整理も済ませ、
あと数日で大阪に発つという日に天国へと旅立ってしまいました。
大阪に持って行く鞄の中に、私たち兄姉の写真が入っていたことを後から聞きました。
正司あんちゃんから受けた、たくさんの深い愛情。
何の恩返しもできなかったぶん、広君を見守っていけたらなぁと思います。
私が幼い頃、正司あんちゃんは、姉弟のように育った私の母にこう言ったそうです。
「洋子姉よ、おんしは なあし こげ めんどしい子生んだがならい。」
と。
それを言われた母は、
「正司よ、そげ 言うなや。しり子やけん、むげねてならんがでよ」
と言ったそうな。
母が今でも言う笑い話です。
亡くなり今はいない人も、
私たちの心の中で生きつづけています。
これもまた、「生きる」というのかもしれません。
そんなお話があれば、ぜひ聞かせてください。
今の私たちがいるのも、命のたすきリレーなのです。
岬人(はなんちゅう)