喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平礒の藤娘たち

2011-05-04 | ブログ
 

 我が家の庭には、毎年きれいな紫色の藤の花が咲きます。
これを見るのが毎年楽しみ。

 とてもきれいなので両親から
「写真に撮っておいてや」
とたのまれました。

 せっくなので、藤の花をバックに娘たちの写真を撮ろうと思いました。
すると母もやってきて、これまたせっかくなので
いっしょに写真を撮りました。

 藤娘とかつての藤娘のさわやかな1枚。
何十年か後、この1枚がとてもなつかしく思われるのでしょう。

 
「実家の塀からたれ下がる藤の花」

 
「季節の風物詩、藤の花」


 岬の山々にも野生の藤の花がたくさん咲いています。
山桜といい、野生の花は素朴で凛としていて、とてもきれいです。

天明の天変地異 ~二宮金次郎が生まれた頃~

2011-05-04 | ブログ
 二宮金次郎が生まれたのは、1787年。

 この頃、歴史上最大の餓死者を記録した天明の大飢饉(1781~89)が全国をおそっていました。
 長期間にわたって全国で天候の不順や天変地異が続き、
人々の間ではこの世の終わりかと騒ぎたてるほどだったようです。
 
 特に東北地方では、夏にかけてやませという冷たい風による冷害で壊滅的被害を受け、
おびただしい餓死者がでたようです。
 
 二宮金次郎が生まれた天明3(1787)には、長野県の浅間山が大爆発をおこし、
火砕流によって、ふもとにあった村を焼きつくし多くの人々が犠牲になりました。
 3ヶ月間続いた噴火は、大量の火山弾や火山灰を吹きあげ、東北地方の冷害に追いうちをかけ、
大凶作に拍車をかけました。
 
 江戸でも大風のため大火災が次々とおこり、丙午(ひのえうま)の1786年には、
箱根山が噴火し地震があいつぎました。
 また長雨により洪水がいたるところでおこりました。

 この年だけでの日本国中の米の収穫は、いつもの年の3分の1以下で、
米価は15倍にまではねあがりました。


 写真は、旧松小学校の二宮金次郎像です。