東洋のマチュピチュ 2011-05-27 | ブログ ここが最近有名な観光地となっている「別子銅山の東平地区」 ポスターのネーミングにひかれました。 「1万人が暮らした天空の村」 銅を掘り出す最盛期には、この奥深い山に1万人が暮らしていたというのです。 閉山されてからは人がいなくなり、木が生い茂っていて、 今や当時をしのぶことはできません。 松尾芭蕉が書いた「奥の細道」での終点の句を思い出します。 「夏草や兵どもが夢の跡」 その天空の村に今再び光があたっています。 わからないものですね。 地域の魅力って。 岬人(はなんちゅう)