喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

熊本阿蘇神社門前町のまちづくり

2011-08-02 | ブログ


 ここは熊本阿蘇神社の門前町。
阿蘇神社は、歴史の古い由緒ある神社。
その神社界隈は、昔から宿や市でにぎわっていたようです。

 ところが交通が発達し、人々のニーズが高まってくると
自動車で乗りつけ、お参りだけをし、宿はお気に入りの温泉宿に泊まるという
スタイルに変わってきました。
 
 市(店)にしても、めずらしいものがなければ、
立ち寄る必要もなく、
結果、しだいにさびれていきました。
 全国津々浦々によくあるパターンが例外なく
この門前町にもみられたようです。

 しかし現在、写真を見ると道の両側に桜やクヌギの木が青々と繁り、
日差しをさえぎり、ひんやりとした風が道行く人を心地よくなでていきます。
けっこう多い人通り。

 こんな変化が見られ始めたのは、まだ10年も経っていないようなのです。
 いったいこのまちに何があったのでしょうか?

 そのキーマンは、写真右側に映っている麦わら帽子をかぶったおじさん。
阿蘇の山々から湧き出た水をひしゃくですくい、
今まさに道に打ち水をしようとしています。

由緒ある阿蘇神社

2011-08-02 | ブログ


阿蘇神社は、阿蘇一の宮町にある神社。
2年前国道57号線を走っていたら、看板表示があり、
たまたま寄ってみたのがきっかけでした。

 ここは、日本全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社。
 全国的にも珍しい横参道で、参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置していると言われているようです。

 まず驚いたのが楼門の大きさ。
高さ21m、二層楼山門式と呼ばれるものでとにかく大きい。
このような楼門は、通常はお寺のもの。
神社の楼門に2階建て(屋根が2段になっている)は少ないようです。

 阿蘇神社は、江戸末期に再建されていますが、
1849年に再建されたこの大きな楼門も繊細な装飾が施された歴史的価値のある建造物で、日本三大楼門の一つとされています。

 他に茨城県の鹿島神社、福岡県の箱崎宮それぞれの楼門が日本三大楼門。
 楼門も大きければ、そこに掲げられる「阿蘇神社」と書かれた額も大きいこと大きいこと。
 明治維新で活躍された有栖川熾仁親王【ありすがわたるひとしんのう】による御染筆【ごせんぴつ】のようです。

ニュースなどでは、「火振り神事」が良く知られていて、
大きな楼門の前で松明を振り回す祀りは勇壮。
 また御田祭り(おんだまつり)という、全身白装束をまとい、
頭には神様のお昼ご飯を入れた唐櫃【からびつ】(かぶせ蓋(ぶた)のついた箱で、
4本または6本の脚のついたもの)を載せて14の神様へ運ぶ姿は、
写真だけでも神秘的でした。
 残念ながらつい先日この神事(毎年7月28日)は終わっていました。

 このように、由緒ある歴史的なものがありさえすれば、
それだけでまちづくりは順風満帆。
と思いきやよほどの歴史通でないかぎり、そんなことは知りません。
 またその歴史をしっかりとPRしないかぎり、
人は魅力あるものとして寄って来ないのです。

 時代の流れにより、阿蘇神社の参道にあたる門前町も
ずいぶんとさびれてきたと聞きました。

 そんなとき、一人の男性が立ち上がったのです。