喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

教員免許状更新講習

2011-08-20 | ブログ
 2年間で5コマの講習を受けなければ、持っている教員免許状はなくなってしまことになる。

 日本の教員は、外国の教員と比べるとスーパーマンのような働きぶりに感じる。
3ヶ月研修したアメリカなどにおいては、ほとんどが授業のみの職務。
学校の役割がしっかりと限定されている。

 日本ではそれに加え、生活指導、部活動、道徳、地域連携、事務会計などが加わる。
 
 そんな中での講習制度。
これを、余分なことと考えるか、資質を高めるためと考えるかで、学ぶ姿勢がちがってくる。
 何はともあれ、今朝佐田岬を6時30分に出発し、愛媛大学へ向かう。

 今夜は、ゆっくりと道後温泉にでも入ろうか。

鳥人間コンテスト

2011-08-20 | ブログ
 昨夜たまたま見たテレビに
「鳥人間コンテスト」があった。
琵琶湖を会場として行われるこのコンテストは、ずいぶん昔から続いている。

 となりまち八幡浜市に
「二宮忠八」という人物がいた。
この人はライト兄弟よりも早く、「玉虫型飛行機」を発明した人物として知られている。

「鳥のように大空を飛びたい。」
というあこがれは昔から人間が描いてきた夢の一つ。
「人には、飛びたい理由がある。」のだ。

 今回のエントリーチームの中に、仙台市にある東北大学のチームがあった。
このチームも3・11東日本大震災で大きな被害を受け、
出場をあきらめることも考えていたという。
 しかし、たくさんの人たちの支えにより出場できた。
機体には、そんな人たちの夢と応援メッセージがはられていた。

 ペダルをこぐパイロットには、小型カメラが設置され
その様子が一部始終わかる。
 いよいよ離陸。順調に飛び立った。
 3キロを超したあたりから風にあおられ、
機体が大きく旋回し始め、岸に向かって飛び始めた。
伸びた記録が、マイナスになっていく。

 パイロットの大学生は、必死で方向転換しようとするが戻らない。
機体が水面に下降し、万事休す。
 しかしここからがすごかった。
ボートから大きな声で応援する仲間。
岸では、多くの仲間が大応援をしている。
それに応えようとするパイロット。

 機体は、みごと方向修正し、記録を伸ばし始めた。
5キロ・6キロ。信じられない距離。
 そんな中、再びピンチが訪れる。
ペダルをこぐパイロットの足が、疲労でつり始めた。
痛みをこらえながら、片足1本でがんばっている。
ものすごい形相で、気合いの声をあげがんばっている。

 彼にとっては、
「飛びたい理由がある。」というよりも
「飛ばなければならない理由がある。」のだ。
多くの人たちの期待と夢を一身に受けている。
 機体は、水面すれすれに落ち、
しかし再び浮き上がるのくりかえし。
そして何と8キロを超えた。

 胸がドキドキした。
胸が痛くなった。
私まで祈るような気持ちだった。

 ついに着水。
パイロットの青年には、携帯酸素マスクがかけられた。
自力では、ボートにあがれないほどの疲れきった様子。
我を取り戻した青年は、ボートの上で泣きじゃくった。

「人には、やらなければならない理由がある。」
「よし、自分もがんばろう。」
そんな力がわいてきた。

「大洲青少年交流の家」合宿

2011-08-20 | ブログ
 お盆が過ぎたとは言えまだまだ猛暑が続く。
そんな中、18日・19日に四国最西端の三崎中学校ソフトテニス部は夏合宿を行った。

 国立大洲青少年交流の家がある大洲市は盆地で、
たびたび気温の高さでテレビなどでとりあげられる。

 熱中症対策のため、大きな水分補給タンクと塩飴の準備はバッチリ。
1日6時間の基本練習とパターン練習。
「試合のための練習」を意識して行った。
水を飲んでも飲んでもすぐに汗となり出ていく感じがした。
20~30分に1回の給水と時々塩飴の繰り返し。
たぶん一人につき1日5リットルの水は飲んだだろう。
これは、500ミリリットルのペットボトル10本分。
「人は水がなければ生きていけない」
ということを改めて感じた。

 佐田岬の田舎の子どもたちはよくがんばった。
中学生のときのこの汗は、きっと一生の力と思い出になると思う。

     岬人(はなんちゅう)